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<title>教育ってなんだろう？　勉強ってなんだろう？</title>
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<description>渡米して２０年。日米の教員経験から、将来を担う子どもたちの事を考えています。</description>
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<title>私の大切な友人の死と　私の移民としての居場所と役割</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。懇談会のあとの、楽しみにしていた感謝祭休みですが、もうそれも終わろうとしています。新学期は始まってからは、全速力で走り続けているようで、随分ブログもお休みしてしまいました。やっぱり三足ワラジは無理なんだろうなあ。</p><p>&nbsp;</p><p>突然ですが、今週、私の大切な友人が亡くなりました。グレッグ　マルタニ氏。彼は、日系人収容所の歴史教育の普及に力を注いだ人生を送られました。日本育ちで、日系アメリカ人の歴史を何も知らなかった私が、彼のサポートなしに、フレッドコレマツ劇を通した人権教育集会を行うなんて考えられません。私の行う劇による人権集会のたびに、こっそり泣いてくれていたのも、彼でした。（私の劇には、彼のおじさん、ウイリアムマルタニ判事が、日系人に対するアメリカ政府の謝罪に貢献したシーンがあります）</p><p>&nbsp;</p><p>グレッグが、まもなくいなくなることは、彼の病気からわかっていましたが、この何日間か、このぽっかり空いた心の穴は、私のこの歴史教育への熱意にかなり影響していることに気づきました。それだけ日系人の歴史教育を推進していても、日本人として、日系社会に認められることは難しい。もちろん、日系社会が複雑なので、誰に非があるわけでもないんですが、これが、一個人としての印象です。移民の、日本人の、外れた位置にいる自分を支えてくれたのは、グレッグとの友情や信頼があったからこそ、です。ここまで来れたのも、個人のつながり、人としてのつながりがあったからこそ。それなしに、これからも、今までのように熱意を持ってやっていけるのだろうかと、不安。</p><p>&nbsp;</p><p>私は今まで、こういったことは自分の信条に影響せず、正しいことは続けていくタイプだと思っていましたが、ちょっと疲れてるのかも。ストレスの多い職業です、教師は。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、自分のグレッグに対する友情が大切なら、グレッグが私にいったことを忘れてはいけないと思い、ここに記すことにしました。亡くなる少し前に、グレッグの病状について私ができることはないかと聞いた時、今やっていること（日系人歴史を通した人権教育）を続けてくれ、と言っただけでした。（ご飯を作ってずっと持っていったんですが、口にあったかどうか。）</p><p>&nbsp;</p><p>何年か前に、母校の大学の同窓会会報に、私のアメリカでの教育経験を元にしたエッセーを書きましたが、グレッグのことを書いていたので、初心に戻り、それを今日はシェアしたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p><p>「人権集会」</p><p>&nbsp;</p><p>　「私はどの役もやりたくないけど。」最後に残った役を見て、<wbr>教え子の一人、キャサリンが言った。えっ、ちょっと待って、<wbr>何でもいいと言ってたじゃない、と思ったが、<wbr>とりあえず子どもたちの前では平静を装った。<wbr>劇の発表まであと二週間しかなかった。</p><p>　今年一月、<wbr>日系アメリカ人人権活動家フレッドコレマツ氏の日にちなんで、<wbr>全校の人権集会を担当した。コレマツ氏の弁護士団代表、<wbr>デールミナミ氏を招いて、<wbr>第二次世界大戦中の日系人強制収容の歴史の理解と人権意識の向上<wbr>を図ろうという行事だ。幼稚部の児童にもわかるように、<wbr>四年生担任である私は、<wbr>クラス全員でコレマツ氏の一生を劇にして発表することを計画して<wbr>いた。子どもたちの意気込みは半端ではなく、たった二日ほどで、<wbr>ほとんど全員がセリフを覚えてきた。</p><p>　キャサリンは頭が良くて、芯が強い。<wbr>彼女が自分の役に納得しなければ、<wbr>彼女との間にわだかまりできて、<wbr>今年一年全体の取り組みに影響するだろう。「<wbr>こんな役はどうかな。」コレマツ氏と同様、<wbr>米政府の命令に抵抗した他二人の日系人の名前を挙げてみた。「<wbr>じゃ、ゴードンヒラバヤシにする。」それから三日間、<wbr>ヒラバヤシ氏について調べ、台本を変えたが、しっくりこない。<wbr>今は退職されているが、元日系アメリカ人市民同盟、<wbr>歴史教育担当の友人、<wbr>グレッグマルタニ氏に見てもらうことにした。</p><p>　「ジュンコ、ヒラバヤシを入れるんだったら，<wbr>ヤスイを入れないと、おかしいよ。でも、<wbr>フレッドコレマツに焦点を当てているんだろう。<wbr>別の役がいいかも。」グレッグの言うことは理解できるが、<wbr>時間がないという焦りでいっぱいになった。私の英語力で、<wbr>今からやり直しなんて到底無理だ。「ほかに、どんな役ができる？<wbr>キャサリンは、どんな役でもいいという子ではないから。」</p><p>「戦後、<wbr>カーター大統領時代に発足した日系人収容に関する調査委員会のメ<wbr>ンバーはどうかな。政府に謝罪や補償のアドバイスをしたんだ。<wbr>実は、僕の叔父は、そのメンバー九人に入ってたんだ。<wbr>唯一の日系人として。」「え？本当？<wbr>どうしてそんな大事なこと今まで言ってくれなかったの？」「<wbr>まあね。資料がいるんだろ。今から届けてあげるよ。」</p><p>　一日たりとも無駄にできないと、<wbr>週末の間にキャサリンの保護者に連絡を取り、<wbr>彼女自身から役の変更について承諾を得た。<wbr>それから必死で新しいシーンを台本に加えた。</p><p>　グレッグは、日系アメリカ人の歴史を知らずに日本で育った私を、<wbr>ことあるごとに助けてくれている。時には、鋭い指摘も受ける。「<wbr>日系人は、そこで万歳とは言わないよ。」戦後４０年、<wbr>コレマツ氏が受けた最高裁の有罪判決を無効とする裁判のシーンに<wbr>ついてだった。グレッグの少しいらっだった短い言葉から、<wbr>私の無知さによって日系人の感情を傷つけたことを思い知ったこと<wbr>もあった。</p><p>　人権集会当日、劇は大成功に終わった。<wbr>子どもたちの素晴らしいチームワークと無限の可能性を目の当たり<wbr>にして、鳥肌が立った。達成感いっぱいの彼らの笑顔を見て、<wbr>改めて教師という仕事について考えさせられた。</p><p>　会場を出る児童や保護者に紛れて、グレッグの後ろ姿が見えた。「<wbr>グレッグ、来てくれて...」ありがとう、と言いかけて、<wbr>彼が泣いているのに気が付いた。<wbr>歴史と人権の重さを感じた瞬間だった。</p><p>&nbsp;</p><p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p><p>グレッグ、今までありがとう。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12550979648.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 03:19:56 +0900</pubDate>
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<title>今日の算数：６桁、７桁などの大きな数から見る世界</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。新学年が始まり２週間が終わろうとしています。学校の工事に伴い、大幅にスケジュールや、休み時間場所の移動、新しい先生とのコミュニケーション、学校のイベントの計画、宿泊学習の計画、などなど、やることが山積み。大学院のクラスも始まったので、かなり疲れてます。</p><p>&nbsp;</p><p>４年生担任としては、いつも初日から、理科の実験やプロジェクトの授業から始めますが、今年はDesign Thinkingの歯ブラシロボット作りから始めました。子どもたちの反応はかなり面白かったですが、この活動から、子どもたちの性格や、クラスの特徴がよくわかります。特に、新しいアイデアを出したり、問題解決能力については、面白いほど知識のある子がいたりして、教師としては、自分も楽しめる、天才探し、とは言葉に誤解がありますが、子供の持っている能力が色々な方向で観察できる、子供達のことを知る、とてもいいプロジェクトだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>去年は、できないといって喚き、もう活動に戻れなかったり、友達関係がうまくいかず、共同作業で冷たい空気が流れていたりしました。確かに、振り返ってみると一年中色々あったなぁ、なんて。最後には、一番思い出に残る学年でしたが。</p><p>&nbsp;</p><p>問題のあるときに直接手を出さないで、子供が自分でできるようにしてあげるサポートは、教師の根気と判断力と高い目標、に尽きるかな。今、厳しくするところだ、とか、優しくするところだ、などの、勘がいりますが、教師って、そういう毎日ですよね。短い時間の間に、ものすごい数の決断の選択をしていて、それを自分で、選択理由をはっきりさせ、人間として正しいのかどうか、判断することを瞬時にできるかどうか、ですかね。子供と信頼関係を築区ため、いつも意識しています。</p><p>&nbsp;</p><p>去年のグループは、学力のある子も多かったので、クラスでのディスカッションはとんでもなくレベルが高かったことを覚えています。四月にLGBTQの月だから、と話を始めたら、２０人以上の子供達がもっとディスカッションを続けるといって、２時間くらい話し込んだりしていました。ほんっと、今から思うと、力のあるグループでした。</p><p>&nbsp;</p><p>今年のクラスは、最初静かで、大人しくて拍子抜けして、少し感動。まあ、これがハネムーンピリオドという期間だったというのは今週気づきました。ですが、去年のグループはそれもなかったので、今年のほうが精神的には少し安心。休み時間ずっと外で様子を観察しなければいけないような、感情の起伏が激しい子がいない、というのが第一印象。これを肯定するかのように、ロボット作りの時間に、うまくいかなくてなく子がいたり、私に当たる子がいたりしましたが、それも５分くらいでまた活動に戻れている様子を見て、安心びっくりしました。</p><p>&nbsp;</p><p>何人かの子どもたちは、私のクラスに入りたかった、と、最初から懐いてくれてます。一方、反抗的な態度をとって私を試す子ももちろんいます。でも、今日は、少しだけ、あ、先生の言うこと聞こう、みたいな姿勢が見られました。算数の時間で、大きな数を勉強している時間です。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日は、カードゲームで、先生対児童の子どもたちで、運による結果ですが、どちらが大きい７桁の数を作れるか、という比べっこをして、私が負け、余分に休み時間をあげました。今日は、またゲームをしたのですが、ゲームの勝ち負けで、また休み時間が増えると思っている子供達に、今日は休み時間はあげないよ、といったところ、「えー！」という不満そうな声が。全員じゃないけど、反抗的な態度をとっている子供達こそが、大きな声で文句です。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、ゲームで使った数について、意味があるか尋ねました。何人かの子どもたちは、「７桁で、OOの位は４で、、、」と説明していました。そこで、新しい数字を見せて尋ねました。</p><p>「3,500,000という数字は何かを表しているけど、なんでしょう？」なんといったかははっきり覚えてませんが、いくつか出た答えは、全部見当違い。ふざけて答える子ももちろんいます。「アイスクリームの数」とかね。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、私はこう言いました。「これは、亡命希望者の数だよ」</p><p>４年生の子供達は、亡命・Asylumという言葉の意味は理解していません。そこで、説明を付け加えます。</p><p>&nbsp;</p><p>「世の中には、家を追われる、国を追われる人がたくさんいるのを知ってる？日系アメリカ人もそうだったよね、第二次世界大戦中に、自分が住んでいる場所から、収容所に行かされたでしょ。何か悪いことした？何もしてなかったでしょ、敵の顔をしている以外は」</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、子どもたちは真剣な顔になりました。私は説明を続けます。</p><p>&nbsp;</p><p>「日系アメリカ人の多くは、アメリカ国内で、家を追われたでしょ、そういうのをInternally Displaced Peopleと呼びます。現在、41,300,000人います。国外に追い出された人、戦争や災害で、出なくてはならなかった人たちをRefugeeと呼びます。その数は、25,900,000人です。そして、他の国に助けを求めて、許可を待っている人をAsylum Seekers と呼びますが、その数が、3,500,000人ということです。アメリカとメキシコの国境に、こういう人たちがたくさんいるよね、テレビで見るでしょ？許可は早く出ると思う？出ないよね？でも、助けてあげなきゃ、といって、この人たち全員アメリカで面倒見られる？無理？できる方法はあるかな？」</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでくると、全員真剣に聞く姿勢に入っていました。「だから、学校は休み時間をもっと増やすべき、とか、夏休みを長くして、難しいことや宿題をやめて、楽しいことを増やすべき、大人は子どもに指示するな、とか、もっといい家具増やせ、とか、そういった考え方でいいかな？」というと、「あっ」という顔をしていました。先週、学校とはどうあるべきなのか、というデスカッションを何回もしたからです。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、最後に数字を書く練習。「じゃあ。今度は１５Millionを書いてみて」</p><p>15,000,000と書き、意味を聞きます。「ヒントは、これも人口ね」色々出ましたが、国連のRefugeeの情報の刺激が強すぎたせいか、難民キャンプの数、家がなくなった人、などの意見が出ます。「うーん、違うなあー、じゃあ、ヒント、これは子供だよ」と、A Number of Children Who....と説明書きを始めます。すると、移民強制収容所に入っている子どもの数、という意見が多数出ました。そこで、私が、「いや、この子たちは家がある子の方が多いかも」と説明を書き足します。A Number of Children Who Live in Porvertyとかくと、「Povertyって何？」という質問。私が「貧しいということだよ」と答えます。そして、「どこの話だと思う？」と聞くと、「セントラルアメリカ！」「アフリカ」などという意見。そこで私が最後まで書きました。</p><p>&nbsp;</p><p>A Number of Children Who Live in Poverty in the U.S.</p><p>&nbsp;</p><p>「えっ？」ショックを受けたような顔をしていました。自分の国で起こっていることだとは、全く思っていなかった子どもが大多数です。中には、大変な家庭の子どももいるのですが、そういう子たちは静かに聞いています。</p><p>&nbsp;</p><p>「アメリカの子ども達全体の２１％は貧困家庭にいるんだよ。５人に一人だよ。こういう子どもたちたちがいる自分の国を、この世界をどう思う？やっぱり、勉強って大事だと思わない？」と最後に聞いたところ、結構真面目に、納得した顔をしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>今日の宿題は、家の中から見つけられる大きな数集めで、その数の意味を書いてくる課題です。さあ、どんな数を集めてくるか、楽しみ？</p><p>&nbsp;</p><p>今日、このブログで使った数字は国連のサイトから取ったものです。去年の子も、学年の最初に算数の時間に少し使っただけだからあまり覚えてないかなと思いましたが、移住のプロジェクトや日系人の歴史を学ぶ中で、色々繋げていった子もいました。教育って、ほんとすごい。でも、ブレインウオッシュも簡単にできて、怖い。</p><p>&nbsp;</p><p><img alt="Figures at a glance" src="https://www.unhcr.org/images/infographics/(English)_FiguresAtAGlance_Infographic(19JUN2019).png"></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12515149200.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Aug 2019 16:39:20 +0900</pubDate>
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<title>新学年の準備：あと3日で勝負！</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>日本から帰ってきて5日が経ちました。あと3日で新学年が始まります。こんなに急いで教室の準備をするのは初めて！というのも、アメリカでは教科書などがないため、初日から全ての活動の準備に時間がかかります。今年は、初日から簡単なロボット作り、STEM学習で子どもたちを楽しませ、学校って楽しい！という印象を子供達が持てるように計画しています。といっても、最初から顔見知りとはいえ、三十人あまりの子ども達の学級がすぐ仲良くなって活動に一生懸命取り組む、なんてありえないので、一人ひとりをどう大切にして、共生していくか、といったルール作りとか、どういった行為がいじめに当たるのか、という定義や、学校で許されない行為について共通理解が必要です。その過程で、言葉を使うゲーム、使わないゲームなどを入れて、学級という自分たちが属する場所、という意識をたかめることから始めます。</p><p>&nbsp;</p><p>準備には、毎年３週間くらいかけてするので、今年はできるかどうか不安でしたが、なんとか今日の時点で少し目処が立ってきました。今年は学校が改装工事に入るので、学年始めの会議も少なめでほんっと助かりました！</p><p>&nbsp;</p><p>準備の中で、今日は２つのことについて書きます。</p><p>&nbsp;</p><p>（１）教材購入：バインダーで、エグゼクティブファンクションと言われる実行機能を鍛える</p><p>&nbsp;</p><p>鉛筆、消しゴム、フォルダー、ノート５冊ずつ、などありますが、一番考えるのが、バインダー。なぜかというと、バインダーに色々機能を付け加え、それにラベルを貼り、ぱっと見るだけで、何がどこにあるかわかるようにします。この使い方を教えることによって、宿題やプロジェクトがやりやすくなったり、忘れ物が減ったり、これから学校生活に必要な習慣をつけることが目的だからです。</p><p>&nbsp;</p><p>１.５インチ幅のバインダー、バインダーのルーズリーフ用紙、バインダー用鉛筆小物入れ、バインダー用クリアファイルなど、全部購入しますが、今年はバインダー本体にものすごく手間取りました。まず、間違って、２インチにしてしまい、それも２セットも買ってしまった！教育委員会から購入した一セットは返品が難しいので、学校に置いておき、欲しいスタッフや先生がもらってもらうように、もう一セットは、返品です。また、どんなバインダーでもいいというわけではなく、外側にはカバーがついていて、自分の好きなように表紙が入れられるもの、中にポケットがついているもの、一年間壊れないもの、となると、結構値段も高くつきます。</p><p>&nbsp;</p><p>バインダーの表紙は自分で作らせますが、学校のある１０ヶ月間、毎日見るので、自分の選んだ有名な人の心に残る言葉を選んでミニポスターのようにしたり、いくつもある場合は、名言、格言集のようにします。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、いつもFred Korematsuの名言は必ず使います。というのも、一月のFred Korematsu Dayにちなんで、彼の伝記劇を私の学級で練習させ、学校全体の人権集会で発表させるからです。１月の取り組み、といえども、８月からの準備があってからこそ、成功するもの何ですよね。何事にも学級の子どもたち全員がやってよかったと思えるような成功体験を作るには、時間がかかります。</p><p>&nbsp;</p><p>また、作成中や作成後、どうして気に入ったのか、どういう状況でこういった言葉や出てきたのか、など話し合いに使います。</p><p>"If you have the feeling that something is wrong, don't be afraid to speak up."&nbsp; -Fred Korematsu</p><p>&nbsp;</p><p>"Do the best you can until you know better.&nbsp; Then when you know better, do better."&nbsp; -Maya Angelou</p><p>&nbsp;</p><p>"Let's do more giving<br>Do more forgiving, yeah<br>Our souls were brought together so that we could love each other...</p><p>We are here<br>We are here for all of us" -Alicia Keys</p><p>&nbsp;</p><p>下の写真のバインダーは、３年ほど前に見本として作りました。今作ったら、違う言葉を引用すると思います。例えば、Native Americanの学者”How Shall We Live?" (Daniel Wildcat)の言葉や、Black Studiesの“It cannot be denied that the university is a place of refuge, and it cannot be accepted that the university is a&nbsp;place of enlightenment,” （Fred Moten and Stefano Harney）など、現在の状況や、自分の教育のあり方を問い続けることを忘れないような、そういった引用を入れるかな。子供向きではないですが。大学院で学んだことから、考え方が変わってきたからでしょうね。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190816/15/sfjunko/65/83/j/o0480064014538803631.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190816/15/sfjunko/65/83/j/o0480064014538803631.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（2）教室の模様替えーーまだまだ無茶苦茶です</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190816/15/sfjunko/e0/5b/j/o0640048014538786611.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190816/15/sfjunko/e0/5b/j/o0640048014538786611.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>今年は、アップルTVが入りました！ホワイトボードにものすごく綺麗に写ります。でも、まずどうやって使うか勉強。そして、このアップルTVを効果的に使えるように、教室の家具やカーペットの位置を変えなければなりません。子ども達はいつも机に座ってるだけでなく、カーペットに座っての授業とか、少人数でのグループ活動なども考慮した机、椅子、カーペット、イーゼル、本棚の位置、私が座る場所、などなど。</p><p>&nbsp;</p><p>机は、４人、６人、８人で座るように、いくつかくっつけます。全員が前を向いて座るということはほとんどありません。誰がどこに座るか、にもよるし、子ども達同士ケンカなどにならないように、安全かつ効率良い移動の流れを考えたり、サポートの必要な子がいる場合、私の近くに座らせたり、そういう子供達にアシスタントになってもらうための特別の椅子の位置、など考えるだけで、結構の時間が過ぎてしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>土曜日の大学院の初日の授業を入れても、なんとか日曜の夜には終わりそうかな。もう少し頑張ります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12507476591.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Aug 2019 15:49:01 +0900</pubDate>
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<title>教師として自分を知ること：（3）子どもたちから学ぶ第二次世界大戦の歴史</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、前回書こうと思っていた自分のクラスの子どもたちから学んだことをシェアします。教師の無知さから書き始めたブログの続きです。私の持っている知識は、教科書や書物からとってきたもので、本当に一面的であることがわかり、これからも自分の無知さを意識しながら、教室がどのような場所であるべきか、考えていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもたちやその家族の経験した知識が、全員公平に認められるように実践したオーラルヒストリープロジェクトですが、私の尊敬するDr. Suzan Katzの人権教育のクラスから学びました。大学院生として、自分がオーラルヒストリーとそれを使って単元指導計画に取り組んだ後、自分の４年生の学級の課題に応用し実践したものです。想像以上に子供たちから学ぶことが深くて、びっくりしました。たった９歳や１０歳なのに。。。小学生だからといって、できないだろうと決めつけるのは良くないな、と教師として自分に言い聞かせる機会になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>ここに紹介する児童の家族が体験したことは様々ですが、次の三人は、第二次世界大戦が共通となっています。場所や状況によって家族の運命が決まったことがわかりますが、その家族の子孫が私のクラスで一緒に学習するなんて、とても不思議で、なおかつ教育の重さを感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>児童Aさんは、フィリピン出身のおばあさんのオーラルヒストリーを作成しました。世界第二次世界大戦中に、日本軍から逃れるためにトルコへ逃げ、そこで新しい生活を始めたそうですが、教育のためにアメリカへ留学したことが、自分のアイデンティティーにつながるとかいています。なぜなら、おばあさんが教育のためにアメリカの大学に来なければ、おじいさんに会わなかっただろうし、自分のお母さんもアメリカに留学しなかっただろうし、そこでお母さんは、アメリカ人のお父さんに出会うことはなかったという家族の歴史から、自分の運命はいくつもの偶然が重なった結果だと述べていました。</p><p>&nbsp;</p><p>児童Bさんは、日本から移住したひいおじいさんのことを書きました。ひいおじいさんはハワイに移住し、クリーニング店を営んでいましたが、真珠湾攻撃をきっかけにFBIに逮捕され、収容所で３年過ごした経験ををオーラルヒストリーにしました。アメリカ西海岸に比べて、ハワイには日系人収容はなかったといわれますが、このオーラルヒストリーからそうでない場合もあったということが明らかになりました。ひいおじいさんはなくなっているのですが、保護者も、児童本人も、ひいおじいさんの経験を記録に残すことが家族の宝になると、残った家族からひいおじいさんの情報を集めました。この児童Bさんは、オーラルヒストリーの最後を、次のように締めくくっています。「ひいおじいさんの、日本人、日系人差別に対してたたかい、成し遂げたことや勇気を理解したい。そして、ひいおじいさんがいかに努力し、この世界をよくしてきたことを学ぶことで、私のこれからの生き方が変わると思う。ひいおじいさんはこの世にはいないけれど、彼の勇気は私の中に生きている、と思う。」と終わっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一人ほかに、日系カナダ人収容所でうまれたおじいさんの経験をオーラルヒストリーにした児童がいたのですが、児童Bさんと合わせて、日系人の歴史について、アメリカだけでなくカナダに行った日系人も収容所に送られたという事実がわかり、日系人の歴史の見解も広がりました。</p><p>&nbsp;</p><p>児童Cさんは、ポーランドから移住したひいおじいさんのオーラルヒストリーを作成しました。彼女は自分のアイデンティティーについてこう書きました。</p><p>&nbsp;</p><p>「私のひいおじいさんは、ユダヤ人迫害を逃れるために若い時にポーランドを出ています。もし、アメリカに来なければ、１９３９年のドイツ軍により、ポーランドから出国を許されなかった他の家族と同じようにユダヤ人収容所に送られ、殺される運命にありました。私の祖先はユダヤ人であるために殺されたので、私はユダヤ人としての遺産を誇り高く持ち続けたいと思います。また、将来、人種、宗教に対する差別や偏見、迫害をなくすために立ち上がらないといけないとおもいます。私のひいおじいさんは、アメリカ人になったことが誇りであったので、私はここで生きていけることを幸運だと思います。」</p><p>&nbsp;</p><p>このように、第二次世界大戦について書いてきた子どもたちが、クラスの３分の１はいたのではないでしょうか。おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさんの年代が経験した知識を学級で共通理解にすることが、うちのクラスで大変貴重な経験になりました。個人の発表は何日もかかるのですが、数をこなすたびに、お互いに刺激しあって、プロジェクトや発表の質もどんどん高度になっていきました。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、クラス全員がこのような深いことを書いてきたわけではありませんが、私の一番予期しなかったことで、一番大事だと思うことは、子ども達一人ひとりの知識をつなげることで、学級全体で新しい知識、新しい見解ができるようになった、ということです。これは、４年生の教室で予想していなかった近代の世界史の授業の展開となりました。</p><p>&nbsp;</p><p>また、もう一つ重く受け止めた面は、子供達に課題の中で、家族の移住経験から自分のアイデンティティーについて書きなさい、という項目が、授業の方向性を広げた点です。自分の考え方や見方がどう反映しているか、なんて、なかなか大人でも明確でないことが多いですが、人権についてとても深いことを書いていて、私の方が子ども達から、将来への夢や希望をもらったように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>こういった授業が、また来年もできるように自分の実践を振り返り、記録に残し、また、他の先生方ともシェアできるようにしていきたいです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12502571326.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Aug 2019 19:09:59 +0900</pubDate>
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<title>中国旅行で新しく見えたこと：家族の変化と私の過去</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、予定していなかったんですが、先週の中国旅行について書きます。田舎者の両親を連れて家族６人で北京に行きました。中国に一度は行ってみたいという父の強い希望だったのですが、二人だけでは行けない両親へのプレゼントとなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>この旅行で、三つ、考えさせられたことがありました。（１）少し自分の子どもたちについて見直したこと。（２）両親の変化、そして、（３）自分の過去にも向き合うことができたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>いつもは、１７歳の娘は怠け者。６歳の息子は、親の言うことは聞かず、甘えん坊。でも、両親によると、この二人が色々助けてこの旅行を思い出深いものにしたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>普段から気難しく自分勝手な父は、旅行前から体の調子が悪く、病み上がり。母は昔から足が悪く、その上トイレ問題があり、どこへ行くにも緊張しがち。どうなることやら、とは思っていましたが、北京にいる義兄の助けも借り、５日間の旅行はなんとかなりました。とりあえず、暑かった〜！とりあえず、無事帰ってこられてよかった〜！自分が昔、中国で自転車キャンプ旅行していた時より気を使いました。</p><p>&nbsp;</p><p>父がどうしても行きたかったところは、万里の長城、故宮、天安門広場でした。母は演劇関係は好きで、二胡も習っているので北京オペラ（京劇）へも連れていきました。</p><p>&nbsp;</p><p>初日は、義兄に運転してもらって、万里の長城へ。観光客の少ないロープウエーでいく八達嶺長城に行きました。ただ、ロープウェイは６人プラス義兄だと結構高くつくので、娘と息子に両親を任せることに。１７歳の娘は北京語ができるし、ここには修学旅行で来たことがあるといって、「いいよ、じいじとばあば、つれてってあげる。」息子は、小さい割に旅慣れしているので、まあいいか。「お姉ちゃんと離れたらあかんで」と、念を押していかせました。</p><p>&nbsp;</p><p>暑い中、急な万里の長城を登るのは辛かったらしいですが、両親は喜んで帰ってきました。何が一番良かったかと聞くと、孫二人に助けられて素晴らしい歴史に触れられたこと、という感想です。というのも、娘がガイド役をし、体の調子の悪いじいじと、足の悪いばあばが、必要な時は手を繋いで、６歳の息子はすばしっこく先回りして、どこが危ないか教えてあげたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（１）子どもたちのこと</p><p>&nbsp;</p><p>私の子どもたちが、祖父母と一緒に楽しく旅行ができて、助けてあげられることができた、そして、うちの両親もまた、孫のおかげでとても無理だと思っていたことが実現した、という家族としての成功体験。多分、もう二度とない、祖父母をいれての家族旅行。私も、夫も、義兄も、彼の奥さんも、思い出の多い旅行にしてあげようという共通の目的を持って取り組んだこのプロジェクト。（教育でも同じだけど、今日は家族の人間関係を中心に書きます）</p><p>&nbsp;</p><p>うちの子について見直したこと。あまり賢いわけではないけど（私も同じです）、人の顔色をうかがったり、自分の利益のために誰かを騙そう、とか考え子たちじゃないな、と。純粋に、体の悪いじいじとばあばのために、二人で協力して、それも計画したわけではないけど結果的には役割分担ができていて、思いやりを持って行動することができたこと。</p><p>&nbsp;</p><p>「優しくて、利発な孫を持って幸せや」と言っている両親を見て、特別、親孝行しようと思って連れてきたわけではなかった私ですが、安心したというか、自分の役目を果たしたように思いました。私が日本に毎年帰ってくる目的は、私の「家系」を次世代に伝えていくためで、両親と、私の子供たちが良い関係を持てるように、今まで努力してきました。日本語を教えてきたのも、日本にいる両親とコミュニケーションがうまくとれるように、との目的です。</p><p>&nbsp;</p><p>私が子育ての中で、親としてしなければならない、と信じていることがありますが、子ども達が、祖父母を理解することは、母親である私の国、日本を理解することにつながり、自分の人種に関わるアイデンティティーを持ち、日本人として、日系人として、私たちの家系をつなげ、将来は、自分の子孫に、この祖父母が持つ大切なことを伝えていってほしい、誇りを持って生きていってほしい、と思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもたちは、あまり態度に表さないけど、私の願いに向かって頑張ってくれてるのかな、と、なんか胸が熱くなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>（２）両親の意識の変化</p><p>&nbsp;</p><p>両親にとっては、初めて会う北京の義兄のところでむちゃくちゃお世話になったこと、そして中国の壮大な歴史を見て、いかに日本の歴史が影響を受けているか、という面を理解することができて、言葉も出なかったようです。この数年で、中国政府が厳しくなったこともあり、ゴミは少なくなり、テクノロジーが進んで、日本の方が遅れているかも、と感じたらしい。（もちろん場所によります）また、血も繋がってない娘も可愛がってくれるこの中国人の義兄に接することによって、中国人全体に対する考え方が変わったと言います。また、これまで、日本のメディアの影響で、中国への見方がかなりネガティヴに一方的になっていること、に気がついたらしいです。</p><p>&nbsp;</p><p>帰ってきて、うちの父がボソッと言いました。「実は、最初ダンさん（いまの夫です。法律上はただのパートナーですが）を連れてきた時、心配やったんや。中国人やし」この言葉の裏には、最初の夫、白人、と比べて、人種によって偏見があったこと、をほのめかしていたのかな、と思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>義兄からのもてなしは、日本での常識も覆されたようでした。以前、娘に、「アメリカからの友達はうちへ連れてくるな」と言ったことを後悔してました。父が、トイレの鍵が壊れているとか、きちんとした部屋がないとかで、最近多くなったセクハラで訴えられる、と気にしていたそうですが、そう言ったことは結局自分中心に考えていて、孫娘のことや、友達のことなんて少しも考えていなかった、と気が付いたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>そのほか、父は、私から色々言われ、疲れたらしいです。（公の場でのレディーファーストのマナーをはじめ、きちんと相手の目を見て話す、とか、自分のことだけしないとか、母に全部用意してもらわない、とか）最後に、私が「日本人として、日本に生まれてよかったね、いつも偉そうにして怒鳴り散らしていても、何も言われないところに住んでることに感謝しなさいよ」と言った時も、黙って聞いてました。珍しいーー</p><p>&nbsp;</p><p>（３）自分自身のこと：虐待のトラウマ</p><p>&nbsp;</p><p>両親の変化に対して、私自身も変わってきたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、この両親のもとに生まれてきたことを、かなり恨んで生きてきました。幼い頃から父から虐待を受け、その事実を母は見て見ぬ振りをし、自分の都合や、世間体が悪くなることは、すべてなかったことにして対処してきました。母が、父からの虐待を避けるために、私と妹を利用したというずるい面もありました。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、この子供時代の経験から、また大人になってからも男性優位な社会で、自分を否定され続けることに反抗し、同じように虐待を受けたアメリカ人と出会った事がきっかけで渡米しました。両親に対して、許せないことが多かった。と同時に、同じように振る舞う人に対しても、嫌悪感がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>こういった理由で、渡米して１０年ほど、日本が恋しいと思ったことはほとんどなく、日本語を話さず、たどたどしくとも英語で自分自身を表現することで、新しい自己を作ってきたんだと思います。カルチャーショックや、言葉ができないことで心の中に成長できなかった、泣いている幼い自分自身を見つけた時は、びっくりしましたが。後になって、インナーチャイルド、と呼ぶんだ、と理解しました。</p><p>&nbsp;</p><p>今、両親と私の子どもとの関係を見ると、そんな複雑なことは一切見えません。一時期、とても嫌いだった両親も、日本の階級社会の構造の中で生まれた犠牲者の一人であるのだ、ということが見えてきました。彼らも、戦後の高度成長期の中、欧米に追いつけ追い越せ、という競争社会で、選択の無い、ストレスの多い人生を歩んできた結果なんだろうな、と思います。人権だとか、自己実現だとか、そういうことが言える時代ではなかった。そう見ると、私自身は、許せるようになったのかも。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、妹の家族と父はうまくいっているわけではないので、すべてが良いわけではないけど、今の状態が適切なのだとは思います。時間が経てば、人も、時代も変わる。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、同時に、日本全体はどうなんだろう、とも思います。昨日、ちょうど息子が見ていた戦争のアニメ映画、「この世界の片隅に」を途中から見ました。個人的には、素晴らしい映画だと思いました。そして、現在、国際情勢は良くないのを考慮すると、これだけではないけど、日本人の戦争中の苦しみ、悲しみは、大きすぎて、今でもトラウマになっているがために、他の人種に起こったことを受け入れることができないのかな、と。人間って、社会って、国家って、世界って、ほんっと複雑。</p><p>&nbsp;</p><p>あと５日で、日本を発ちます。有意義な夏を過ごさせてもらって、本当に心から感謝。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12501595701.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Aug 2019 00:11:11 +0900</pubDate>
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<title>教師として自分を知ること：（２）自分の無知さに向き合って教育活動を考える</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>日本語で書く練習をするつもりで始めたブログで、あまり何も考えずに書いていましたが、いいね！をもらえると嬉しいものですね。やっぱり人間は、大人も子供も、ポジティブなフィードバックが大事だなあと思いました。読んでくださっている方、いいねをしてくださった方、本当にどうもありがとうございます。</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b id="docs-internal-guid-9bf9adfc-7fff-e717-a1d4-d78d341d4da5">今日のテーマ：子どもにとって、多様な価値観や知識の理解を深めるための授業はとても大切、ですよね。</b></span><span style="font-weight:bold;"><b>でも、教師として、自分自身の多様な価値観における知識や理解度はどうか、知らないことを知らないとわかっているのかどうか。。。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>特に、日本の社会でマジョリティの日本人として育ち、日本の学校教育を経て、日本の教科書に慣らされた私の一般常識は、日本で画一的に作られたもので、それがアメリカで常識としては通用しないことは２０年前わかりました。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>最初は、日本の教科書を使うように、教育委員会が購入した教材を使って、指導書などに書かれてあることを伝達するだけで必死でした。教師って伝達役ではないんだけどね。英語力がなかったため、教材の内容について子どもに合うかどうか、それが、画一的なものであるか、多様性のない教材であるかどうかなんて、考える余裕なし。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>話はズレますが、もともと私は日本の教育学部では数学研究室でしたので、英語は嫌いではありませんでしたが、実際には全く使えない英語力しかありませんでした。アメリカで学級担任になった当時、妊娠中にも関わらず、毎日夜中の２時３時まで、次の日に教えることを必死に勉強していました。（この時、妊娠していて覚えているのは、夜中にお腹が痛くなったら寝る、とか、妊婦用のクラス、ラマーズ法などのクラスに出席するよりも、寝る、とか、生まれてくる娘のことを考えてる暇がほとんどなく可哀想だったなあ、と思います）</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>ただ、ラッキーなことに、私の勤務校は、昔からプロジェクトベースで、先生によって得意な分野を取り入れ深く追求する教育実践がなされていました。ただ、足並みが揃っていない、という弱点があるのと、新任の先生や経験のない先生が、いきなり大きなプロジェクトをするのは大変ですが</b></span><span style="font-weight:bold;"><b>。（最近は厳しくなって、どんどん教える内容は増え、やることも増えて昔のようにはいかなくなりました。）また、どの学校でも同じかというと全く違うので、保護者にしてみれば学校を調べて自分の子どもにあうところを選択できる、というメリットは大きいでしょうね。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>２０年前は、他の先生の教材をもらったりアイデアをもらったりして、アメリカ人のネイティブの先生の教え方を真似するところから始めました。日本の教科書と指導書に慣れていた私には、全く新しい方法でしたが、日本人でない子ども達や保護者を目の前にして、自分の知識や価値観を押し付けないように、と必死でした。学級担任に決まった時、ネイティブでないからと、特に日本人の保護者に「日本人のあんたにアメリカの現地の学校で教えられるわけがない」と強く批判された経験があり、結構ストレスの大きい生活でした。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>現在は、ベテラン！？といわれる年になり、自分の無知さがあるにしても、有色人種の、移民の、ネイティブでない私しか持てない見解があることにも気づきました。教科書に載っていない、多様な背景の子ども達や保護者の知識や経験を活かすことができた授業、プロジェクト後の、彼らの姿は誇らしげでパワフルです。それは、私が教えたわけではなく、そういった場を提供することで、隠されていた、あるいは押し込められていた、表面に出されてこなかった知識が価値のあるものとして学級や学校で共有できた、ということにつきますね。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>でも教員をしてうまくいくかどうかなんて、日々答えられないことも多く、大学院に戻ったわけです。死ぬほど忙しいですが、何が素晴らしいかって、理論を学ぶことでわからなかった部分が雲が晴れたように見えるときは、学問ってやっぱりすごい、と思います。教育理論って、現場を知らなければ紙の上の単なる空想物語で終わるかもしれませんが、経験を元に実践ができる自分はラッキーだと、担当教官に言われました。そういった意味で、３束のわらじも悪くない、かな。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>Gloria Ladson-Billings の提唱する子どもたちのもつ文化に関連する教育(Culturally relevant teaching) 、そして、教室での学習と実社会とを結びつけるPaulo FreireのCritical Pedagogyの実現のため、</b></span><span style="font-weight:bold;"><b>最近の単元計画や授業案は、教科書や文献に書かれてある情報はいかに社会的不平等を助長しているか、というところに焦点を当てています。教科書大好きな面も大いにある私ですので、これは、自分が持っている知識や常識</b></span><span style="font-weight:bold;"><b>を分析する良い機会です。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>次回は、子どもたちやその家族の経験した知識の価値が認められるように実践したオーラルヒストリープロジェクトから学んだことを書きますね。子どもたち、たった９歳や１０歳なのに、発表した内容がむちゃくちゃ深くてびっくりしました。歴史に関しても、ほとんど私の知らなかったことです。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-weight:bold;"><b>教師として、子どもたちから学ぶことがあるなんて考えてみればものすごーく普通のことですが、これがいつも可能か、というとなかなかできないんですよね。教えないといけない内容もものすごくあるし、日常の教材準備だけでなく、私との信頼関係は当たり前、学級の、子ども同士のチームワークがないと、そういう場は実現しない。一人ひとりどの子も成功経験や達成感が持てるように、お互いに助け合って学びあう場をつくる、そのためには私が支援をいつでも誰にでもできるように様にしていかんと。。。</b></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12497071847.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Jul 2019 15:40:23 +0900</pubDate>
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<title>教員として自分を知ること（１）移民でシングルマザーの経験</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>今日の話題：教師として子どもたちに接するとき、自分の見方や考え方は正しいのか、間違っているのか、それを知らずに押し付けているのか？</p><p>&nbsp;</p><p>昨春のセメスターで取ったクラスは、自分のアイデンティティーについてエッセーを書く課題がありました。この課題の目的は、教育者として、自分が何者なのか、どういった環境で育ってきたのか、何が自分の知識や考え方に影響してきたか、などを分析することで、自分の教育実践の根底にある信条や偏見を明らかにすることです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私の人生の中で、教員として大きく見方がかわったのは、家庭内暴力などが原因で４歳の娘と逃げ、シングルマザーとなった経験からです。</p><p>&nbsp;</p><p>移民シングルマザーの私には、娘の声なき涙を見るのが一番辛かったです。寂しがりやの娘はよく泣きましたが、でも、私の苦労をわかってか、ほとんど文句を言ったことはなかったなあ。彼女にとって安定した生活が手に入るかどうかは、アメリカ社会で独り立ちしたことのない、英語もままならない私にかかっているんだと思うと、娘に対してどうしようもなく申し訳なく、自分を責めました。娘の友達は親が二人いて、いろんな習い事をしたり、休日は楽しいことをして過ごしたりすることが当たり前で、私は肩身が狭かったんですね。そのくせ、子育ての義務から、自分の時間がないことを娘のせいだと思ったりして、無責任で身勝手な親でした。</p><p>&nbsp;</p><p>親として必死でも、娘には最低限なことしかしてあげられず、その上心配なことがありすぎて、心に余裕がない生活。そんな保護者の気持ちがわかるようになったのは、こういった自分の経験があったからです。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、私は日本人として大学まで教育を受け、小学校教員をしての経験もあり、アメリカで修士をとった、という背景があるからこそ、数年かかったとは言え、安定した生活を手に入れることができたんじゃないかと思います。ラッキー！？だったんです。なぜなら、同じような立場にいたシングルマザーの人たちで、今なお不安定な生活を強いられている人も多く見ています。</p><p>&nbsp;</p><p>少し話は逸れますが、問題は、ラッキーだったとか、アンラッキーだったとか、生まれた国や場所、家庭で運命が決まってしまっていいのか？ということです。真に平等の社会であるなら、どのシングルペアレントも安定した生活を手に入れられるべき、なはずです。でも現実は、シングルペアレントであるがために子どもが十分な教育を受けられないケースも多く見られます。また、教育を通して、平等な社会を創り上げるべきなのに、教育現場kら不平等さが固定され、学校自体が貧困の再生産、階級の再生産の場所となっている状況があります。</p><p>&nbsp;</p><p>今、教員として、子どもや家庭の状況を知らないのに、宿題をみてください、とか、学校で問題行動について話しましょう、なんていうのはやめました。保護者に言っても余計に追い詰めるだけだったり、子ども第一なんだけれども、実は保護者の方が先生に聞いて欲しいとか、言いたいと思っていることがたくさんあるんだ、ということが見えてきたからです。でも、保護者と教師は赤の他人で、その赤の他人に切実な願いを言えるか聞けるか、は、大きく信頼関係にあると思います。保護者との信頼関係ができると、大体は子どもとの信頼関係もできてきます。また、子どもの信頼を得ると、保護者の信頼も得ることができる、と、人によって様々です。</p><p>&nbsp;</p><p>結局、教育現場では、人と人との繋がりが一番大切で、そのためには、わかりあうことが不可欠。わかりあうためには、広い見方や知識が必要ですが、その過程で、自分というものを知らないと、知らず知らずのうちに偏見で人を判断してしまうことがあるんだなと。私もまだまだ自分の隠れた偏見を見つけるために、これからも自分探しに励みたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、私の娘は今年１７歳になりました。私が一番辛かったときに彼女がいなければ、私は前向きに生きることを諦めてここに存在しなかっただろうな、としみじみ思います。小さい時はものすごく厳しく育てて、たくさん喧嘩もしたし、今もするけど、彼女には心から感謝しています。甘えられない余裕のないお母さんでごめん。辛い時も「へへへ」とボケて、私が忙しいと６歳の弟の面倒見てくれます。</p><p>&nbsp;</p><p>私の娘に生まれてきてくれて、本当にありがとう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12495521899.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jul 2019 03:51:03 +0900</pubDate>
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<title>集団でしかできないアイデンティティーの確立：体験入学を終えて</title>
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<![CDATA[ <p dir="ltr">こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>先日、息子の体験入学が終わり、お世話になった小学校の先生方へお礼の手紙を書きました。一部プライバシーを保護するため変更してありますが、ここでシェアさせていただきます。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>今回、実感したのが、家庭ではバイリンガルの育てることはできても、日本人として、日系人としてのアイデンティティーを確立させられない、ということです。ポジティブな自己確立をするためには、集団のなかで、周りを含めた自分を肯定的に捉える場が必要だということです。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>アメリカ(私が住んでるところです）では、娘は、なんとか３ヶ国語できるようになりましたが、現在、面白いことに、娘は自分のことを日系アメリカ人、というよりは、アジア系アメリカ人だと思っています。中国系の学校に入ってしまったため（宝くじ制です）で、英語に加え、広東語、北京語を学ぶことになってしまったので、彼女と話し合った結果ですが、家庭だけで日本語勉強に取り組んだためなのかなと思います。（他にも理由はあると思いますが、またの機会に書こうと思います）</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>自分という人間を確立するにあたり、自信を持って、誇りを持って生きていければ、自分が何人だ、とか、何人でない、など、こだわらなくてもいいかと思いますが、娘の場合を参考に、</b></span><span style="font-size:1em;"><b>これからの息子のアイデンティティー確立の過程とその支援について考えていきたいと思います。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>まずは、私が小学校の先生方へ書いた手紙です。</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">「OO先生へ、職員の皆様方へ</b></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span style="font-size:1em;"><b>三週間、息子が一年生の学級で大変お世話になりました。どうもありがとうございました。</b></span></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306"><span style="font-size:1em;">OO先生には、一年生担任をされてお忙しい毎日に加え、息子が一人増えることでお仕事を増やしてしまって申し訳ありませんでした。でも、この期間で、彼はいろいろな</span>面で成長することができ、これもOO先生の温かいご指導のおかげだと、心から感謝しています。</b></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">息子は末っ子のせいか甘えん坊で、知らない環境で問題なく過ごすことができるのか心配しておりました。この数年、日本語や文化の習得についてはできるだけ準備をしてきたつもりですが、本人の関心、意欲は一貫していなかったので、先生に迷惑をかけないか、仲の良い子ができるか、違った言語環境の中で自分を肯定的に捉えられるか、など、全く予測できませんでした。本人も訳がわからないまま、親の意向で始めた、といったところでしょうが、毎日「学校楽しかった」と言って帰ってきました。「給食も頑張って食べたし、休み時間も誰かと遊んでおもしろかった」と聞いて、私も家族も、よくできたと彼のことを誇らしく思います。</b></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">この最初の一年生の体験入学が、楽しい思い出として残っていくことで、この先、息子が日本や日本社会をどう捉えるか、という大切なはじめの一歩がうまく踏み出せたように思います。これから学年が上がり難しいことが増えても、先生や友達との関係が深まることによって、諦めずに勉強を続けることができるのではないかと期待しています。</b></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">アメリカでは、日本語学習環境が非常に限られており、日本語補習校に入れない子ども達が増え、日本人コミュニティの中でも問題となってきています。日系人収容所の歴史から、差別に苦しんできた旧日系社会と、それを知らない新日系人社会との隔たりもあり、私自身、教育現場から多文化共生社会のよき未来を目指して模索していますが、一人ひとりの子どもが前向きに自己確立をするためには、自分のルーツを肯定的に捉える集団の環境が必要です。家庭内教育では、バイリンガルに育てることはできても、日本人としてのアイデンティティーを確立することは容易ではありません。そのため、補習校に入れなかった特定の保護者はとても苦労しています。息子もその一人で、彼にとってはこの日本の小学校だけが日本語学習環境にアクセスできる場となりました。</b></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">このような背景があり、私たち家族一同、OO先生をはじめ、小学校の全ての職員の皆様方には心から感謝しております。また、クラスのお友達、登校班のお兄さんお姉さん、お出会いした保護者の方々、学童の職員の方々も含めて、この３週間、多くの方々に支えていただきました。息子は、日本だけでなく、アメリカ、中国、香港と、様々なルーツを持っていますが、日本人として誇りを持って世界で活躍できるような資質を持って欲しいと願っています。上の娘の時も、多くの素晴らしい先生方に有意義な体験をさせていただきました。今年は息子が、OO先生、関わってくださった先生のおかげで、知らない世界へ踏み出す支えとなってくださいました。このような成功体験は、これから勇気をもって新しいことにチャレンジし努力を続けるために不可欠だと思います。本当にお世話になり、ありがとうございました。</b></p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><b id="docs-internal-guid-f05881b8-7fff-244c-8cba-d4502b638306">またご迷惑となりますが、来年も息子に体験入学をさせていただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。」</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>と、こんな感じです。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>息子が、こういったポジティブな体験入学を続けさせていただくことで、この子の日本人の部分のアイデンティティーが肯定的に確立されることを願います。来年は、３週間だけ、ではなく、それ以上来ても良い、と言ってくれるといいなあ。。。。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>娘は、日本での体験入学の中で、高学年になって仲の良かった友達から急に無視をされたことがきっかけなのと、授業の形態のあまりの違いに、ショックだったことがありますが、今になって、日本語ができること、日本文化を理解していることに感謝していると言っています。私にはあまり言ってきませんが、弟にも日本語の勉強をちゃんとやれといって、見てくれることもあります。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>こういったことは、海外に住む日本人が、日本の学校の体験入学をする場合だけではありません。どの子も、どこで生まれても、どの学校であっても、集団の中で自分が誰なのかを確立させる上で、成功例が大きくその後の人生に関わってくると思います。できた、褒めてもらえた、楽しかった、などという前向きな体験を積み重ねるられるように、教育者としても、親としても、また、研究者としても、考えていきたいと思います。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>最後に、アメリカで教員をしている立場から思うことを書きたいと思います。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>最近、日本で体験入学をされるお子さんも多くなり、受け入れる学校も大変だというのは、確かにそうだと思います。受け入れてくださる学校や先生方にとても感謝していますし、ご苦労される点は理解しているつもりです。でも、体験入学をグローバルに見てもらえた娘の場合を見ると、お互いに良かったのではないかと思います。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>日本語ができ、多様な文化の見方ができる子ども達と触れることは、日本の学校にとって多文化共生のきっかけになります。（なんて、半分理想論なのは認めますが。）</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>ただ、日本国外については反対の立場になります。私の勤務するアメリカの公立の小学校は、日本の子どもたちの転入先、また、多くの日本からの訪問の受け入れ先になっています。私自身、いつも新しく日本からくる子ども達や保護者の方の担当で、英語ができなくても、日本語で知っていることを披露したり、文化について説明したり、日本語のロールモデルになってもらったり、リーダーシップを取れるような役を作ってあげたり、など毎日取り組んでいます。それから、例えば去年なら、文部省の職員の方々、大学教授の方々、企業の方、これから外国語を始める学校関係者の訪問など、たびたび授業の公開をすることがありました。こうして、日本の方が来られた時は、私たち学級担任の何人かが率先して快く引き受けています。</b></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><b>日本であってもアメリカであっても、一つの大きな国際社会、地球社会の一員として、私たち教育者が協力して将来の担い手を一緒に育てることができたら、と思います。</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12494482620.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Jul 2019 01:00:09 +0900</pubDate>
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<title>小学校６歳児の経験から見る学校教育の日米比較：宿題</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>このブログの元の記事は、あまりにも長すぎたので、分けました。これが、第３弾です。</p><p>&nbsp;</p><p>先週、６歳の息子が、私の母校での体験入学が終わりました、そこで息子の個人的な体験を切り口に、学校教育の日米比較をして見ました。今回は宿題についてです。</p><p>&nbsp;</p><p>キンダーの宿題は、毎日ありませんが、一週間に一回Blue　Bookバッグというものを持って帰ってきます。青い手提げ袋の中に、いわゆるよい絵本という定番の本と、共用の絵日記タイプの読書感想文のノートが回ってきます。２５セットくらいあったのでしょうか？学校の間９ヶ月間ほどずっとありました。先生からは、お手本例が説明されますが、基本的に何を書くかは子どもの自由です。</p><p>&nbsp;</p><p>うちの息子の場合、持って帰ってきて最初の１−２日は、寝る前に読み聞かせをしながら本の内容について話し合い、週末に、共用ノートの他の子どもの作品を見てから、自分はどんな絵や感想を書くのか決めて、取り組みます。ので、仕上げるのに４日ほどかかります。なかなか終わらず泣きながらさせることもありました。</p><p>&nbsp;</p><p>（１）この、泣きながら、をどう見るか、ですね。教師としては、保護者に、どういった場面で自分の子どもが苦しい思いをするのかを知っておいて欲しいです。なぜなら、学校で現れる子どもの行動、特に嫌いなこと、知らないことに取り組むときの状況を知らせると、保護者が理解を示さないことがあります。というのも、家庭で面白いこと、楽しいことだけに集中し、子どもが自分の苦手なことを克服する過程を見たことがない、というのが私と仲の良い同僚の見解です。</p><p>&nbsp;</p><p>（２）自分の考え方を表すいい練習になりました。特に、友達の作品に関しては興味津々だし、同じことを書くこともあるし、違うことを書くこともある。特に面白いのは、６歳でも思ってもみなかった素晴らしい考え方を出してきたり、とんでもない偏見を持っていたりしました。これは息子のことを知るよい経験でした。</p><p>&nbsp;</p><p>日本では、方向性の違った宿題がでました。ワークシート式のプリントと音読。決められたページを読み、出された問題に答え流タイプです。先生が全て丸付けをして、１００点満点で点数をつけて返してくださいました。答えはただ一つ、正解か間違いか、はっきりしたものがほとんどでした。</p><p>&nbsp;</p><p>これらのことは、私が教師として親として自分を振り返る良い観点になりました。自分もやってること、たくさんあります。</p><p>&nbsp;</p><p>（３）与えられる課題。答えが一つになる問題。創造性を働かせたり問題提起をする場のない宿題は、どう人間形成に影響を与えるだろうと考えると、同化教育、集団で従順さを求められることが最優先になってしまうのではないでしょうか。リーダー育成を学校教育の中で、どう位置づけているか、でしょうか。でもコツコツ練習を重ねることはものすごーく大切です。</p><p>&nbsp;</p><p>（４）点数ってどうかな。点数が１００点をとれる子どもによっては達成感があるかもしれませんが、子どもも親も、パブロフの犬のように、点数がつけてあると点数ばかり注目しがちになるかも。というのも、私が息子に、「なんで１００点じゃないの」と言ってしまったことが２回ほどありました。</p><p>&nbsp;</p><p>また体験入学後の息子の様子を見ていると、終わった後に、自分で１００点をつけていました。点数って、中毒になるのね。</p><p>&nbsp;</p><p>（５）アメリカで、赤で子どもの作品や答えを直す事はずいぶん前になくなりました。私が子どもの作品にコメントを書くとき、答えをチェックする時は、だいたい鉛筆や、青、緑のペンを使います。赤で書くと、ネガティブで、間違いに重点を置いているという印象、という理由です。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして息子の宿題状況や使用する教材の日米比較から、自分が教師としてどんな宿題を出すべきか、また授業や教材は有効か、など客観的に考えさせられます。あー失敗だった、と思うことも数えきれないですが、両方の良いところをとって、より良い教育を目指していきたいです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12492271359.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Jul 2019 01:07:14 +0900</pubDate>
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<title>小学校６歳児の経験から見る学校教育の日米比較：登下校と持ち物・教材（アメリカから見ると）</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、３足ワラジのジュンコです。</p><p>&nbsp;</p><p>このブログの元の記事は、あまりにも長すぎたので、分けました。これが、第２弾です。</p><p>（少し足したのでまだ長いけど、これから気をつけます）</p><p>&nbsp;</p><p>先週、６歳の息子が、私の母校での体験入学が終わりました、そこで息子の個人的な体験を切り口に、学校教育の日米比較をして見ました。今回はアメリカから見た登下校、持ち物・教材についてです。</p><p>&nbsp;</p><p>アメリカでは、州、市、また各学校によってずいぶん変わります。統一性はないような、あるような感じです。（数年前、日本の学習指導要領のようなコモンコアステートスタンダードが導入され、以前よりは統一されたのかもしれませんが、教材はほとんど教師任せです）</p><p>&nbsp;</p><p>日本では絶対にありえませんが、息子の学校は私の勤務校なので、登下校の送り迎えは楽になりました。入学については宝くじ制で、校区が決まっているわけではありません。教師の子どもは優先されて、勤務校に入ることが保障されています。こうした制度は、地位の低い教師の労働状況を助けるため、とされています。</p><p>&nbsp;</p><p>朝８時ごろ学校に着くと、朝も夕方も同学校内にある学童、または日によっては中国語のクラス、チェスクラス、アートクラス、サッカーなどに行きます。（これはすべて有料ですが、うちの息子はリラックスできる学童にいるよりは、こういった習い事をした方が問題行動が少なくて済む、と私が学童の先生に気を使っているところもあります）</p><p>&nbsp;</p><p>うちの学校は公立学校ですが、恵まれている家庭が多く、ほとんどの子どもは保護者が送り迎えをし（カープールのシステムや、Uber、Kangoなど幅広くあります）、少数派にスクールバス、近くに住む子どもは保護者あり・なしで徒歩通学のケースがあります。うちの学校は９時半始まりで３時半に終わり、全学年同じです。兄弟で下校時間が異なるわけではないので、保護者にとっては都合がいいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>教材は、教師が全て用意します。キンダーから３年生までは、市から1クラス１８５ドルの補助（高学年は1クラス３０人以上なので＄２１５です。下学年の1クラス２１、２２人に比べて人数多めです）が出て、年度末に来年度の教材の注文をします。鉛筆、けしごむ、色鉛筆、クレヨン、ペン、絵の具、画用紙など教室に保管し、子どもたちは共同で使います。</p><p>&nbsp;</p><p>アメリカ政府は公立の義務教育をどう考えているんだというくらい、この予算で教材、遠足などにかかる費用には、全然足りません。裕福な家庭は、子どもを私立に行かせるのが普通なので、教育は権利ではなく商品とみなされています。これは問題。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、ラッキーなのか不公平なのか、私の勤務校はPTAがお金を持っていて、キンダーは、一人７５ドルの学級費、すなわち＄７５X22人がでます。一人ずつ宿題などを入れるフォルダーやノートの数々、遠足費用や出張授業を頼む時もこの学級費から出します。各家庭から現金徴収や購入をお願いするなど、全くないと言っていいでしょう。でもこれは保護者による寄付や資金集めの賜物です。できる人がする、できない人はしない。それを学級ごとに振り分けます。学校によっては、個人的に先生に直接寄付をする制度もあり、学級ごとに学級費の差が出ます。公平や平等の意識が全く日本の平等意識が違いますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、PTAから補助がない学校も多く、ポケットマネーを使わないといけない先生がいたり（これが理由で辞める先生もいました）、学習に有効な教材なしに授業が進められたりします。</p><p>&nbsp;</p><p>そう思うと、日本では、自分だけの無料の教科書があって、保護者が何を学習するのか見ることができるというのは、学習を進める上でとても有利ですね。ただ、教科書の使い方、内容の取り扱い方に気をつけなければいけませんが。（最近日本で流行っていそうなワークシート式、穴埋め式の教科書って？と疑問に思いました）</p><p>&nbsp;</p><p>息子のバックパックの中は、必要なもの、宿題、連絡用のフォルダー、お弁当、水筒だけです。日本で時間割を見て、責任もって持ち物を用意することは良い経験でした。ただ、用意する時間がとんでもなく長くかかったので、アメリカにいる方が、クリエイティブに好きなことをしたり考える時間があります。特に、私がキレなくて済む、といったところでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>次回は、宿題について少し書きます。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sfjunko/entry-12492259346.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Jul 2019 00:16:37 +0900</pubDate>
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