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<title>こうたろうのブログ</title>
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<title>このマンガがすごい！１６４</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160905/02/shimamura70/8d/8b/j/o0255031013740610567.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160905/02/shimamura70/8d/8b/j/o0255031013740610567.jpg"></a> </div><br><p>タイトル・・・静かなるドン<br>作者・・・新田たつお</p><br><br><p>　単行本全１０８巻の大河ノワールの傑作である！タイトルからわかるように極道物であるが、シリアスありコメディあり、恋愛ありと長く読んでいても飽きることはない。自分あんまり極道物は好きではないのだが、これは別である。とにかく派手な演出とありない設定にエンタティメント性を感じ、日本のマンガの質の高さを十分感じれ、なおかつ、教養性を教えられたマンガなのである。勿論、極道マンガなので陰湿なシーンや残虐描写もあるのだが、そういうのはあくまでもマンガの中の副産物の一因だけであって、物語全体を見てみると、そういうシーンも必然であることが分かり、このマンガを只の極道物だけにしていないのがよくわかる。このマンガ１００巻超えをしているだけに、幾度か映像化もされているが、こちらの方は今一つ。まあ、よくあることだね！このマンガは実写化でも、アニメ化でも、マンガ自体が持つ迫力、あるいは、面白さは伝わることはなく、実際にこのマンガを全巻読破されることを、お勧めします。勿論お金がる人、このマンガに非常に興味がある人に限りますけど。かく言う自分も、このマンガを最初に読んだのは、５～６年前で、割と遅かった。しかも５０巻ぐらいまで読んで、頓挫していて、全巻読んだのは、このマンガが文庫になってからのことだった。文庫になっても５０巻超えで、読んでいて、自分至福の時を感じましたよ。</p><p>　で、物語であるが、主人公・近藤　静也は、昼間はプリティという下着会社のさえないデザイヤーだが、裏の顔は一万人の構成員を持つ広域暴力団新鮮組3代目総長を務める。本人はいたって、穏健派で、抗争等を嫌い、ヤクザそのものを嫌っている人物で、その穏やかな佇まいから『静かなるドン』と、呼ばれている。しかしそんな近藤に、東西を両部するもう一つの勢力・鬼州組との対立や、チャイニーズ・マフィア、アメリカン・マフィア、ロシアン・マフィアとの対決、最後にはシチリア・マフィアとの対決があったりして、策略と暴力で対抗していく。しかし、そんな近藤は、元プリティでの同僚だった秋野　明美に恋をしており、彼女と恋人になることを切に願っている。そんな近藤と秋野は最後にどうなるのか？</p><p>　と、言うのが簡単な紹介であって、とにかく物語が大河過ぎて、説明できません。後は、・・・読んでくださいな。とにかく、出てくるキャラクター達濃ゆすぎ！ではどんな連中たちが出てくのかというと、あまりにも登場人物が多すぎて、ここでは書けません。そこらへんは、ウィキペディアを参照にしてくださいな。ああっ手抜き過ぎてすみません。でも本当に、どいつもこいつも一癖二癖ある連中ばかりで、こいつらの活躍が嫌が応にも、物語をヒートアップさせているのは間違いないので。</p><p>　このマンガ、設定が非常に良いのであった。主人公の近藤は昼間はサラリーマン（しかも、下着のデザイナー）で、夜がやくざの組長。いわゆる二足の草鞋を履いているわけであるが、ここら辺が面白いのである。夜は誰もが恐れる組長、昼は先輩同僚にどつかれるさえないサラリーマン・・・実にイイ！でも実際問題二足の草鞋を履いている極道は洋の東西実在している。マフィアなんかは、表の家業はレストランのオーナーだったり、建築業の社長だったりと、表と裏の顔をはっきり区別している人たちが多い。おそらく、日本の極道の方にもこういう人たちが割といるんではないかと思う。まあ、このマンガは極端な設定にはなっているが、これはこれでよいのである。</p><p>　新選組も一枚板ではないのも、面白いし、実際に極道にあることだろう。そんな組を、一つにまとめるのは、難しいことで、これも表の社会でも裏の社会でも一緒のことだろうね！そう、トップというのは辛いものなんだよ。下剋上の激しい世界・・・そう言ってしまえば、それまでであるが、近藤はそれでも結果的に組をまとめ上げていく。さえない下着のデザイナーでも、闇の世界ではカリスマなのである。馬の目をくりぬくような世界で、飴と鞭の使い分けで、常に敵と対峙していくところは、物語の絶妙な設定で、これまた面白いのである。</p><p>　虎視眈々と立身出世を狙う幹部・生倉、ライバルの肘方、腹心の部下・鳴門そして龍宝・・・こいつらを従え、鬼州組との対決はやはり面白い。それに、ワールドワイズにアメリカン・マフィアとの対決なんかは、印象深かった。アメリカン・マフィアなんかは、日本で原爆を爆発させようとしていたのを、鬼州組と手を組み、やっつける所は、昔の日本みたいだ。知ってます？日本が占領地下、GHQなんかと極道の方々が堅気の人間を守るためにたたかった歴史がある事を。それに、有名な話にアメリカン・マフィアのラッキー・ルチアーノが政府に協力してナチスやファシストたちと戦った事も。毒を以て毒を制すとは、こういうことかも。</p><p>　近藤と秋野の関係も目が離せない。最初は、近藤の正体を知らいない秋野が裏の世界の近藤に惹かれていく。そして、次第に近藤の正体に気づく秋野だが、それでも愛は揺らぐことはない。時に危険な状況に置かれたり、ロシアン・マフィアに戦闘スキルをたたきこまれていく秋野。いつしか二人には強固な絆が結ばれていく。この二人の恋愛マンガとしても、しっかりと成立しているので。</p><p>　最初読んだ時にはおちゃらけた極道物と思っていたが、物語が進むうちに、だんだんとバイオレンスや闇社会の派閥、過激な残酷描写が深化していき、日本最長編の極道クロニクルとなったマンガであるが、自分としてはまだ、引っ張ってもらいたかったな～。だって、本当に面白いんだもん。でも、このマンガ、８８‘年から１３‘年まで、実に２５年の長期連載になったわけであるが、そりゃー２５年も描けば、さすがに新田先生でも、他にも描きたいものがあるのかもしれなかったね。</p><p>　近藤の最終的な目的は、この世からやくざをなくす事だが、それは無理というもの。古今東西、極道がいなかった歴史はないのである。旧ソ連にもいたし、アフリカの奥地にだっているんだよ。と、まあ非常にロマンチックな幻想ではあると思うが。ヤクザの世界は、しょせん一握りの奴らだけが潤い、残りは悲惨な最期を迎える者たちが多いと聞く。多分これは事実と思う。幹部の生倉のような経済ヤクザがトップになり、裏と表の境界線が薄くなるところで、繁栄する。あの名作『ゴッドファーザー』でも、ここら辺は描いてある。世の中、上の世界に行けば行くほど汚れていくのだ！近藤が１万人の構成員を束ねた新選組のように広域指定暴力団のように表に出ている方が、マフィアのように地下に潜らなくてわかりやすく、堅気の人間との棲み分けができるというものである。</p><p>　何はともあれ、ヤクザ社会をエンターテイメントたっぷりに読ませてくれる『静かなるドン』は、べつにヤクザが嫌いな人でも面白くかつ、ドキドキに感じさせてくれる名作であることを自分が保証しますよ！</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12196886638.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Sep 2016 02:27:06 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１６３</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160731/06/shimamura70/08/61/j/o0145022913710832752.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160731/06/shimamura70/08/61/j/o0145022913710832752.jpg" width="145" height="229"></a></div><p><br>タイトル・・・ぼくらの先生</p><p>作者・・・日野日出志</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　みなさん！お久しぶりです。なんと！数か月ぶりの更新ですね～。言い訳をすれば・・・仕事がきつかったのと、ネタが何をしようかとグダグダと考えつつ、数か月経ってしまったのである。で、ないとき頼みの、日野先生登場なわけである。思えば日野先生の作品も２～３本は書いているが、氏は何といっても、短編の名手！と、言う訳で今回『ぼくらの先生』を選ばしてもらった。この作品、日野先生お得意のカニバリズム物の訳であるが、カニバリズムの直接な描写はない。じゃーそういう作品が面白いのかというと・・・面白いのである。これが。しかし、日野先生の日野ワールドとも言うべきショッキングシーンは健在で、トラウママンガになることは必至である。この作品は氏のある意味一番脂の乗った時期に書かれたもので、先に述べたように、カニバリズムのシーンはないが、物語が巧みに構築されて、なるほど！こういうエンディングもありか・・・と、得心させられる。（ただし、こういうエンディングは古典ではあるので）しかし、何はともあれホラーマンガの傑作であることは間違いなので、今の時代、マンガ離れ、古典マンガ離れしている人たちに、こういう叙情的なホラーがあることを知ってもらいたい。</p><p>　で、物語であるが、主人公・先生はとある小学校で、子どもたちに人気者の明るくて少しドジな先生であった。しかし、この先生には重大な秘密があった。先生は子供のころ、体が弱く、やせていた子供であったが、ある日、あくびをしていたとき、口の中に蝶々が飛び込んできてそれを思わず飲み込んでしまったのである。しかし先生は、その時口に入った蝶々が思いの他、美味に感じて、それ以来、いろいろな生き物を口にするのであった。そして最終的に、ネズミや子犬・子猫などの死骸を食べなければいけない体質になってしまったのである。もし一日でもそれらの死骸を口にしなければ、体が老化し、別人のように弱ってしまうのである。先生は時々、自宅に子供たちを呼んでいて、小動物を飼っているのを見せて、子どもたちから、捨てられていた動物を家で養う優しい先生だと思われていた（勿論、これは食糧確保）。そんな先生は、ある日、遠足の時に、クラスの教え子の女の子が足に蛇にかまれたのを目撃する。先生はその時毒があるかもしれないからと、その傷口を吸うのであるが、その時、傷口にあふれていた血に甘露な味を見出す。そして先生はある日、ついに耐え切れず、その女の子を、家にかわいい子犬が産まれたから見に来なさいと、誘い、二人で先生の家に向かうのであった・・・</p><p>　物語は、二人が家路に向かうところで終わっているので、あとは想像になるわけであるが、これがなかなか怖いのである！このマンガの一番グロイところは、先生の弁当にみっちりと詰め込まれた動物の死骸！しかもそれを食し、口元から滴る血！まさに生理的な恐怖を感じれづにはおれないのであるんだなこれが！日野先生の描かれる動物の死骸や赤ん坊の死体など、日野マンガを体験された方にはわかるであろう忌避感！はっきり言って・・・素晴らしいの一言である。マンガでここまでの気持ち悪さや、恐怖を体験させてくれることは、早々にない。今の時代のホラーマンガにない独特の魅惑が日野マンガにはあるのである。</p><p>　このマンガの最後はカニバリズムを想像させるところだが、カニバリズム自体は、そう珍しいことではない。近年までも、宗教的、民族的慣習なんかでは結構あったり、ハリウッドでも普通に映画化されていて自分なんか結構、カニバリズム物の映画をよく見ている。とくに有名なのは、イタリア映画の『喰人族』やロメロの『ゾンビ』、アカデミー賞を受賞した『羊たちの沈黙』なんか、メディアは、喰人行為が結構好きなのである。おっと話がハリウッドに行っているので閑話休題。</p><p>　日野先生の物語には、何故か叙情的とも言うべきもの悲しさが感じられてしまう。それは強大な力に振り回され、弾圧されるもの悲しさ、あるいは己の中にある抑えきれない衝動的なものを抱え込んでいるもの悲しさ。いずれも自分ではどうしようもない運命に抗う人々の慟哭を自分は感じてしまう。こう言った描写、物語が、日野マンガを只のグロテスクマンガだけにとどめていないところだろうと自分は思う。今のマンガには、見られないもの悲しさ、そう人間としての性が溢れている。このマンガは今から４０年以上前に描かれているが、読むたびに自分は新しい発見がある。そう、読み手側にも成熟度が必要で、読み手側の年齢や社会的状況、心因的なものが、日野マンガからの新しい感銘が伺いしれ、今の時代でも、日野マンガがホラーマンガとしてだけではなく、それ以上のまるで極上の小説を読んでいる感覚に感じさてくれる一因でもあるのだ。</p><p>　しかし、天才の時期も長くは続かない。日野先生も７０年代以降は、少しばかり、エンターティメント性の作品を発表するが、自分的にはパワーダウンされたように感じる。マンガ家も長く続けていくと、前期、中期、後期と作風が変わっていく傾向があるが、日野先生は、明らかに前期が一番面白く、傑作が多い、だから自分も『このマンガがすごい！』では、前期の作品ばかりを紹介している。しかし、何はともあれ、日野先生の紡ぎだしていった日野マンガの前期作品は、今後も、マンガ史上に残る燦然とした傑作として読み継がれていくだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12186095259.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Aug 2016 02:53:50 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１６２</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160326/01/shimamura70/13/d7/g/o0590045313602106999.gif"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160326/01/shimamura70/13/d7/g/o0590045313602106999.gif"></a></div><p><br></p><p>タイトル・・・傷追い人</p><p>原作…小池　一夫</p><p>作画・・・池上　遼一</p><br><br><p>　小池・池上ペアの中期の金字塔の作品で、壮大なスケールで描かれており、もし、日本冒険マンガ大賞があるとすれば、間違いなく受賞するだけの度量のある作品で、以前紹介した『クライングフリーマン』と双璧をなすといっても過言ではない。小池・池上ペアは、幾度となく作品を生み出してきたが、このマンガは、自分が多感な時期に連載されていて、初めて劇画のすごさを思い知らされたものだ。ある意味、青春の１ページで、自分をマンガマニアに引き込んだ一作品と言ってもよい。とにかく情報量が多い作品で、インターネットのない時代に、よくこれだけの情報を書き込められた博識の深さにひたすら脱帽する思いである。連載は８２‘年から８６‘年だから丁度３０年前のマンガになる。その為、時代性はややあるが、それでも有無を言わせない、凄みがこのマンガにはあって、自分１０年ぶりにこのマンガを読んだが、やはり面白いの一言に尽きる。池上先生の画も、まだ灰汁が抜けてなく、それがかえって凄みを出している一因であると自分は個人的には思う。池上先生が描かれる女性像も美しく、アジア人を描けば世界で一番素晴らしく描かれると言われる池上先生だが白人女性も美しく描かれおり、クリエイターの底力を感じることが出来と思う。</p><p>　で、物語であるが、今回はウィキペディアから参照させていただきますのであしからず。主人公・茨木　圭介は、かつては一流のアメリカンフットボール選手だったが、最愛の恋人・夏子とともに、有名人を出演させる闇のポルノフィルム制作組織<b>G・P・X</b>（God Pornographic X-rated Film）に拉致される。圭介と夏子は愛を貫いて出演を拒否し続けるが、彼等の策略の前に夏子は自決、母は殺され、自らは麻薬使用の濡れ衣を着せられる。全てを失ったことによる怒りと復讐心を生きる糧とした代償として短期間で白髪となり、看守を驚愕させたほど。服役を終えた圭介は、G・P・Xの手が唯一及んでいないブラジルの奥地にて<b>リオ・バラキ</b>と名乗りブラジルの奥地でガリンペイロとして金の採掘を続けながら復讐のために再起をかける。やがてポルトガルの財宝を手に入れた後に夕湖を失いつつも渡米。財宝をもとにアメフトチーム“ニューヨーク・リベンジャーズ”のオーナー兼クォーター・バックの実業家<b>ジョー・ツルギ</b>として社交界で頭角を現し、G・P・Xをおびき寄せることに成功する。G・P・XのNo.2・カルロ・ザンビーノとの戦いでペギーを失うもカルロのファミリーを取り込み、コーザ・ノストラに加わる事で裏社会の力を手にし、G・P・Xの核心に迫っていく。そして、圭介を狙う刺客だったミスティを伴侶としG・P・Xとの最終決戦に赴く。と、まあややわかりづらいものがあるが、要は復讐物である。このように、日本人が外国で活躍する作品に船戸　与一の小説があるが、このマンガも内容的には決して負けておらず、画で見せる分、面白さがより伝わってくる。</p><p>　このマンガ、エロス＆バイオレンスであるが、とにかく美女たちと圭介のファッキングシーンが多くて、さすが青年誌！さすが池上先生と嬉しくなってしまう。自分個人的には、ミスティが好きでこんな恋人がほしかった！夏子・夕湖・ペギーといろんな美女たちが出てきて、圭介たちとヤルわけであるが、まあ、このマンガの見どころの一つであるわけであるが、下手なエロ本よりもエロいマンガであることを一言。劇画で描かれる女性は、今現在少なくなってきている・・・というか、もう池上先生ぐらいしかいなくて、自分すこぶる残念に思う。そういう意味でならば、マンガ業界は、池上先生の後釜になるような新しいマンガ家を育成してもらいたいと思う。劇画の激減は時代の趨勢かもしれないが、それでも、骨太の読み応えのあるマンガになるので、この火を絶やしてはいけないと思う。</p><p>　でもこのマンガ、一つだけ大きな間違いがある。それはというと、主人公・圭介がアメリカン・マフィアのコーザ・ノストラのボスになることで、これは決してあり得ない。コーザ・ノストラはマフィアであって、その純血性が大事であって、イタリア人、それもシチリア系の血が流れてないと、組織に属することはできないのである。アメリカン・マフィアはコミッショナーが成立しており、そこら辺は正しいのであるが、日本人のの圭介が、マフィアのボスどころか、ソルジャーさえもなることは決してできないのである。まあ、ここら辺は、マンガの演出としてOKとしておこう。</p><p>　このマンガのもう一つの見どころは、圭介とミスティ（元はG・P・Xの刺客だった）のペアがG・P・Xの子飼いの組織・退役軍人（クラッシック・アーミー）との対決であろう。とにかく殺しあるいは暗殺テクニックの見せ場のオンパレードで、読んでいて飽きないというか、引き込まれる。あのカルト的な名作『ハウ・トゥキル』を参照にしてあるらしく、知っているものには知っている暗殺スキルが丹念に描かれていて、やはり、小池先生の博識ぶりがうかがえる。出てくる、銃やナイフの描写も正しく、ここいら辺は、池上先生の描写力が際立っており、物語をチープなものにしていない。そう、小道具の正しい描写は、そのマンガの生死を左右する働きがあるのだ。他にも、車、船、背景なども決して手を抜くことはしておらず、池上マンガのレベルを必然的に上げている。</p><p>　先にも述べたように、池上・小池ペアの傑作であるが、自分としては、今一度、二人の共作を見てみたいと思っている。優れた原作者と、優れた絵師。この組み合わせは、優れたマンガを生み出すある意味、必須条件であるといってもよい。確かにマンガ家が一人で優れたマンガを描く場合もある。しかしそれは最初の一本か二本ぐらいで、あとは続かないものなのだ。ここら辺が、クリエイティブな作業のつらいところで、やはりマンガは分業制にした方が面白さ、量産性に秀いているものなのだ。池上先生が、今の時代でも、優れたマンガを描き続けられるのはここに一因する。マンガの分業制は決して恥ずかしいことでもないし、むしろ、これからどんどん進んでいく。そう、マンガは最終的には読者のものである。この事実が踏まえられている限り、これからも優れたマンガが出てくるであろうと、自分は固く信じている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12143209883.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Mar 2016 01:21:42 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１６１</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160316/01/shimamura70/fc/ad/j/o0340047513593393817.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160316/01/shimamura70/fc/ad/j/o0340047513593393817.jpg"></a></div><p><br></p><br><p>タイトル・・・スプリガン</p><p>原作・・・たかしげ　宙</p><p>作画・・・皆川　亮二</p><br><br><p>　これぞ、少年マンガの王道ともいうべきマンガで、連載は９０‘年代初頭だったと思う。と、言うことは２０年以上前の作品ではあるが、今読んでも全然面白い！時代性はあまり感じさせず、むしろ今の現代にこそ、連載していてもらいたかった。そうすれば、巻数（このマンガ１１巻で終わってしまう）がもっと伸び、より楽しめたのかもしれない。しかし、９０‘年代と言えば、オカルトやSFが映画やマンガで跋扈した時代で、このマンガは時代の必然性に生まれた産物ともいえる。たかしげ先生、皆川先生の出世作で、このマンガで二人は、スターダムにのし上がっていくわけである。このマンガを初めて読んだ時、えっらくおもしれ～マンガだな～と、素直に感嘆の意を表したが、マンガの分業制の良さも、改めて認識した。普通、出世作というのは、まだどこか完成されていないところがあるが、この作品に関しては、ほぼ完成されていても過言ではない。画の筆致、物語の完成度、この下地があってこそのこのマンガで、この二人の先生方は、その後、名作を描かれていく。出来れば、今の現代にこそ、続編を描いてもらいたいと、自分は個人的思っている。</p><p>　で、物語であるが、主人公・御神苗　優は、普段は高校生だが、その実、アーカム財団に属する、特殊工作員で、世界中の遺跡やオーパーツ（その時代に作りえないあるいは、場違い的な物）を保護、あるいは破壊する為に、活躍をしていた。そんな御神苗には、かつて、子どもながら、殺人マシーンとして教育された過去があるが、それでも仲間たち、獣人のジャックモンド、師匠の朧、魔女のフラット、それと、遺跡荒らしの染井　芳乃たちともに共闘して、超古代文明のオーパーツの力を利用しての世界を裏から牛耳ろうとする、軍需産業・トライアドを相手に戦っていくのであった。</p><p>　このマンガ、設定にかつて大昔に超古代文明ともいうべき時代が存在し、その時代に現代のテクノロジーでは作ろうとすることができないオーパーツがあり、それが物語の要として登場するのであるが、その設定が面白い！例えば、ピり・レイスの地図、ストーンヘンジ、水晶髑髏、ノアの箱舟、聖杯、賢者の石・・・と、まあインチキ臭いものがたくさん出てきて、まるで月間ムーから引用したものが多いが、それが見事に、マンガの中では、生き生きと活躍して、物語をヒートアップさせてくれる。自分、こういうものが嫌いかというと・・・実は大好きで、オカルト・ミステリー大歓迎の人間なのだー！今でもテレビ番組で、いわゆる超常現象というものが特集されるが、自分大好き！だって、そこにはロマンがあるから！そのロマンを具現化して、読ませてくれる『スプリガン』は、正に、自分の中でのドストライクの作品で、一年に一回は読み返しているんだな～これが！</p><p>　出てくるサブキャラたちもカッコいい！例えばジャックモンドはかつて超古代文明時に作られた生物兵器（ライカンスロープ）の末裔で、危機にされされると獣人に豹変し、まるでウルフガイ。御神苗の武術の師匠・朧もある意味、人間界の最強の人物で、修行で、仙人になろうとしている。染井　芳乃はアーカムの人間ではないが、霊媒体質で、世界中の遺跡から金になるようなものを見つけ出す、小悪魔。山菱　理恵は、現代のシャンポリオンと揶揄される言語学のスペシャリスト。と、とにかく、出てくる人間一癖も二癖もある濃ゆい人物ばかりで、まだこのマンガを読んだことのない人は、ウィキペディアを開くことを推薦する。</p><p>　この物語、先にも述べたように、世界中の遺跡やオーパーツの紹介があって、そこら辺の予備知識があると、さらに楽しめるというものがあって、そこいら辺が、たかしげ先生の博識が遺憾なく発揮されていて、ストーリーテラとしての実力がうかがえる。マンガの原作者は、知識だけでなく構成力も必要で、どっちも欠けていてはいけない。そして、その時代のトレンドや先の展望なんかも予測し、常に面白いものを見せないといけないのである。そういう意味では、映画作りと非常に似ている点がある。極端に言えば、紙媒体か、フィルム（今の時代、ビデオなのかな？）の差でしかない。</p><p>　この『スプリガン』も、映画化（アニメ）されていて、あんまり評判は芳しくないようだ。マンガとアニメでは、同じ作品でも、イメージが変わり、マンガが名作でも、アニメになった瞬間、ダメになるパターンも結構なるので、いかに映像化が難しいかがうかがえる。ましてや実写化になったりした日にゃ・・・とんでもないことに・・・</p><p>　しかし、この『スプリガン』マンガだけで見る分には、最高に面白く！主人公たちの生き生きとした、活躍ぶりは、スカッとするものがある。ただ設定を、高校生にしている分、大人としての素養がなく、お色気シーンもなく、ここら辺がやや残念な気がする。皆川先生の画って、女の裸が出ないんだよね～なぜか。まあ、ここら辺が、少年マンガの王道って言ったところだろう。</p><p>　『スプリガン』は、全１１巻とやや短い気はするが、その分、中身が濃ゆいマンガではあるが、先にも述べたように、続編が出てもよい内容である。まだまだ、世の中には不思議なことやオーパーツは沢山存在する。２１世紀、新たな『スプリガン』が出てくることを個人的に切望していますよー！</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12139661748.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Mar 2016 01:27:14 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１６０</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160301/05/shimamura70/bc/c6/j/o0800060913580678519.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160301/05/shimamura70/bc/c6/j/o0800060913580678519.jpg"></a></div><p><br></p><br><p>タイトル・・・ピーター・キュルテンの記録</p><p>作者・・・手塚治虫</p><p> </p><p> </p><p>　遂に『このマンガがすごい！』も１６０回を迎え、いつものごとく、手塚御大の登場であります。今回もいろいろと悩んだ挙句、この『ピーター・キュルテンの記録』を選んだわけであるが、この作品、手塚作品の中でも異色の作で、何故、手塚先生がこのようなマンガを描かれたのか？自分不思議な感じがした。確かに手塚先生、実録物をいくつか描かれているが、これはやはり、その中でも、ダントツに異質で、描かれたのは７３‘年で、手塚先生がある意味、一番脂ののっている時期であり、何故この事件が題材なのか今では知る由もないが、ピーター・キュルテンの名は、この時代、間違いなく日本で一番有名になったシリアルキラーである。勿論、この作品は短編であって、ボリュームはないが、その分事件の内容を詳しく紹介してあって、実録犯罪物が好きな人にも、感心させられるマンガでもある。ネットもない時代に、よくここまで調べてあげられたな～って思ったら、一番最後のページに鶴見　俊輔氏の著書を参考に描かれているみたいであった。でも、今でこそ、世界中の猟奇犯罪者の資料が手に入り、彼らが紹介されている本や映画あるいはホームページ等が有象無象あるが、当時としては画期的な作品だったと思う。事実は小説よりも奇なり・・・まさにこの格言がふさわしいマンガだと自分は思う。<br>　で、物語であるが、主人公・ピーター・キュルテンは、ドイツのでデュッセルドルフで、工場員として働いていた。組合活動員としても人望厚く、近所の人たちからも礼儀正しく妻思いのいい人だと思われていた。しかしそんな彼には、裏の顔があり、それは、強姦殺人魔としての性を持ち合わせていた。幼少のころより、殺人を起こして、窃盗罪で８年の刑務所暮らしも経験していた。そんな彼も、結婚して妻を愛していたが、殺人の欲求は衰えることなく、遂に、妻に自分が連続殺人犯であることを告白し、妻は警察へ告発をする。裁判の時も、妻は夫を愛しているあまり、『夫を死刑にしてください』と、嘆願する。この方が彼が苦しまないと思ったからだ。そして、３２年７月２日、ギロチンにて死刑が執行された。</p><p>　この事件、後のシリアルキラー達の原点の一つだと言われているが、それ以前にもいなかったかというと、いたんではなかろうかと自分は思うんですがね～。ただ１９００年初頭言えば、まだまだ通信網やメディア、警察としての組織が、まだまだしかっりしていなくて、大量殺人を起こした人は、知られていないだけで、結構いたのだろうと思う。極端に言えば、氷山の一角である。</p><p>　このマンガで描かれるピーターは、明らかな二面性がある。それは、妻を愛し、礼儀正しい普通の人と、強姦を繰り返し、殺人まで平気で行う悪鬼としての一面。確かに人間大なり小なり二面性があるのは、普通のことだと思うが、たいていの人は、強姦も殺人もしない。それは勿論、良心やモラルというものが心のくさびとして働き、あくまでも普通の人間として生活していくものである。だけど、この心のタガが外れる人が結構いるもので、大量殺人まではいかないものの、人を一人や二人強姦する人間や殺してしまう人間はざらにいる。毎日の新聞やテレビを見ていれば、事件が無いに日は無いと言って過言ではない。つまり、人間ちょっとしたことで、モラルのタガが外れてしまうのである。それが証拠に、お酒を飲んだときに、人が変わってしまうという人はざらにいて、あれもある意味、精神的な欲求の爆発であり、人間紙一重だと、つくづく感じてしまう。</p><p>　手塚先生は、結構、人間の闇を描かれている作品があるが、戦争や革命に比べれば、個人が行う殺人の犯行など微小たるものだが、それでも、殺人は人間の３大タブーの一つで、恐ろしいことである。手塚作品でも『奇子』や『MW』なんかでも、近親相姦や同性愛、強姦、殺人が繰り広げられていく。物語としては面白いが、実際にあったら怖いことでり、忌むべきことである。しかし、この『ピーター・キュルテンの記録』は、実際にあったことで、ドキュメントである。ここのところが、他の手塚作品と一線を画しているところで、この作品を異質なものにしている。</p><p>　ここまで書いたところで、自分、『羊たちの沈黙』という映画を思い出した。この中でも、バッファロー・ビルと言うシリアルキラーが人を殺していくさまが描かれているが、彼も、人を殺すことにためらいがない。いわゆる、ナチュラル・ボーン・キラーなのである。人間は本能的に人は殺せない。しかし極わずかな人間にだけ、この本能が、緩む人がいる。古代から人は争うもの・・・そう言ってしまえば身も蓋もないが、それでも彼らは存在する。いつの時代でも。今の現代においても人種や宗教によるテロや殺戮が平然と繰り広げてられる。だからこそ、自分たちは知らなければならない。人間の蛮行、犯罪。この『ピーター・キュルテンの記録』は、手塚先生が自分たちに与えた宿題だと感じてしまうのは、自分一人だけだろうか・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12134711775.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Mar 2016 08:35:56 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！外伝</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160218/02/shimamura70/d2/d7/j/o0472075013570185877.jpg"></a></div><br><br><div align="center"><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160218/02/shimamura70/d2/d7/j/o0472075013570185877.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160218/02/shimamura70/d2/d7/j/t02200350_0472075013570185877.jpg" width="220" height="349"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160218/02/shimamura70/d2/d7/j/o0472075013570185877.jpg"></a></div><p><br>タイトル・・・コータローまかりとおる！Ｌ</p><p>作者・・・蛭田　達也</p><br><br><p>　は～い！１６０回を目の前にして、外伝であります。確かこれで３回目だっけ？まっ！それは置いといて、とにかく外伝なのです。以前にも『コータローまかりとおる！』を、紹介しましたけど、この作品なかなかの大河で、しかも未完ときたので、改めてその未完の部分『コータローまかりとおる！Ｌ』の紹介をすることにした。おさらいとしてこの『コータロ－まかりとおる』第一部、第二部、第三部と別れており、第一部では、千葉流編で終了してしまった。そして、その後に、『新・コータロ－まかりとおる！柔道編』と続き、この後『コータローまかりとおる！Ｌ』』と、続いたわけであるが・・・ここで残念な目にあってしまったのである！それがなんと！『コータローまかりとおる！Ｌ』まさかの８巻で休刊になってしまったのである。その理由として、蛭田先生のご病気で、休筆となったわけであるが、話がものすごくエンターティメント性に徹していたばかりに、ものすごく残念で、自分としては、続刊を望んでいるが・・・難しいかもしれない。このマンガ、今のところ８巻まででているが、最後の巻が出たのが、２００４年で、休刊されて、もう、１２年が経とうとしている。『コータロ－まかりとおる！』は、ギャグあり、格闘あり、シリアスあり、恋愛ありと、まさに少年漫画の王道を行くようなマンガであって、自分はものすごく好きなマンガなので、ぜひ復刊を望んでいる。</p><p>　で、物語であるが、ウィキペディアでざっくりと紹介してあったので、コピーします。突然ニューヨークより帰国した功太郎の母親<b>功流美</b>。忍者であり、功太郎を上回るトラブルメイカーである彼女は新堂家に伝わる秘伝<b>虎の巻</b>を狙う<b>アメリカ忍者</b>を連れて来てしまった。最先端技術を用いた、NASA 製の特殊忍具をつかい功太郎達に襲いかかるアメリカ忍者。戦いの中で功太郎は、逃亡防止用の遺伝子組換え破傷風菌を打たれあと5日の命となってしまう。ワクチンを手に入れるため敵の本拠地に乗り込む事とした。</p><p>　と、これから物語がヒートアップするとこで、まさかの休筆、至極残念きまわりない。それから１２年いつか、再筆されるのでは・・・と、思い続けているが、なかなか難しそうである。そりゃ～１２年も経てば、スタッフが当の昔に解散しているわな。知らない方もいるかもしれないので、マンガの簡単な制作方法は、まず先生が下書きをします（この下書きもスタッフがする場合があります）。そしてその下書きに、ペン入れをスタッフがしていきます。勿論、モブシーン（群衆）や背景もスタッフが描きます。つまり、メインキャラクターの下書き以外はスタッフが描き、その他は、記号として描かれるんですね～。つまり、優秀なスタッフがいればマンガの量産が可能となるのである。特に週刊誌の場合。逆を言えば、スタッフがいなければ、マンガの量産と緻密な画は描くことができず、蛭田先生の場合、休刊して１２年も経つので、スタッフが解散して、再びチーム蛭田が結成できず、マンガの再筆ができない可能性が高いのである。１０年２０年と同じマンガを描いてると、作者自身とスタッフの画的成長が出てきて、ある意味マンガの完成度が高くなってくるのである。よくあるでしょ？最初の方と後では画のタッチが変わっていくのが。</p><p>　それにしても、やはり惜しいと言わざるを得ない。第一部第二部に増してさらにエンターテイメント性がタップリましてきて、面白くなってきたのに。今回はアメリカの忍者と、コータローの対決ぶりや、天光寺や如月の活躍、そして狂四郎の実力が発揮される名場面がてんこ盛りで、どのキャラクターたちも実に生き生き描かれていて、はっきり言って、みんなカッコいいのである！勿論、ギャグもしかっり描いてあって、マンガの本道は決して忘れてはいない。上記の物語で国際陰謀的な話になっているが、あくまでも学園マンガなので。しかしな～学園マンガとしては、何でもありということになっているので、細かい所に決して突っ込まないようにしてきださいな。（そもそも、第一部の千葉流編で既に学園マンガ尾の域を超えていた）</p><p>　ヒロインの麻由美や初登場の功太郎の母・功流美のエロっぽさも、いいっ！二人とも美人で時に見せるセミヌードやパンチらの描写もなかかなかのグッド！蛭田先生相変わらずいい仕事してるな～と、つい思ってしまう。この先、まだこのマンガを描かれていたらもっと、ヒロイン達のセクシーショットが見られたかもしれない。ああっ・・・たまらん！そう、私、２次元オタクなので、ヒロインたちが脱ぐのは大賛成なのである！ハイ、私、変態です！</p><p>　先にも述べたようにこのマンガ、未完の大作である。完成していたら、おそらく３０巻前後になっていたかもしれない。いや、もしかしたらそれ以上かも・・・前半の８巻でもあれだけの盛り上がり方だから、どんなマンガになっていたのだろうか？ここであーだのこーだの考えても仕方ないだろうが、順調に描いていたなら既にこの『コータローまかりとおる！Ｌ』既に終了して、第四部が描かれていたかもしれない。歴史にもしは無しだが、もし、蛭田先生がご健在で、このマンガを描き続けていたならば、どんな話になっていただろう？自分の小さなボキャブラでは想像もできないが、このマンガの続巻を思い続ける思いは、人には決して負けない自信がりますよ。そう、最後の最後まで、自分は・・・あきらめません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12129993073.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Feb 2016 02:55:43 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１５９</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160208/13/shimamura70/03/af/j/o0470072013561582026.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160208/13/shimamura70/03/af/j/t02200337_0470072013561582026.jpg"></a> </div><br></div><div align="center"><br></div><div align="center"><br></div><p><br>タイトル・・・ススムちゃん大ショック　</p><p>作者・・・永井　豪</p><br><p>　このマンガを読んだのは、小学校の低学年の時で、ものすごいショックを受けた覚えがある！主人公もやはり小学生で、どこか自分とシンクロしてしまったように感じて、このマンガを読んだとき、あまりに怖くて眠れななかった事をいまだに覚えている。自分の中では、いわゆるトラウママンガと言うやつで、このマンガと、日野　日出志先生の『蔵六の奇病』、つのだ　じろう先生の『恐怖新聞』は、自分の中では三大トラウママンガとなっている。もちろん時代のせいもある。自分が幼年期を過ごした７０‘年代は、いわゆるオカルトブームに火が付いた年代で、日本では、五島　勉先生の『ノストラダムスの大予言』や、やはり永井先生の『デビルマン』、映画では小松　左京先生の『日本沈没』、ウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』など、終末思想やアンチクラィストなどの風潮がはびこって、形なき恐怖が世の中を席巻していたように感じていたもんだ。今では、ただのSFで終わらせてしまうことができるが、当時はほんとに怖かったんだよ。ホント。いま改めてその怖さを分析するとゴシックホラーではなく、単純なオカルティズムなのかもしれないが、文章やマンガでつづられる一章節、一ページの力は本当に強いものがあって、それを目に見せるという力は、百聞は一見に如かずをまさに地で言っているようなもので、文化の力を改めて教えられたような気がする。</p><p>　で、物語であるが、主人公・ススムは、ある日、大人が理由なく子供を殺してしまうのを見てしまう。何が何だかわからないうちに下水道に逃げ込むが、そこにいた同じ子供たちがやはり同じように何かがおかしくなっていることを告げられる。ラジオをつけても、普段と同じように放送していて、子ども殺しのことは何一つニュースで流れることはなかった。そのうち一人の子が、親と子の見えない絆が切れてしまったのでは？と、言うが、ススムはそれを信じることができなくて、母親会いたさに、わが家へと向かう。そこで待っていたのは、料理をしながら笑顔を見せる母ではあったが、手には包丁が・・・</p><p>　と、ほとんどネタバレのような話ではあるが、本当に怖かったんだよ、初めて読んだときは！本当に人に感銘を与えるのにはページ数は関係はない。この作品も、短編で、一冊あるわけではない。短編いわゆるショートショートであるが、名のある先生はショートショートの達人でもあり、大体において短編集を出されていることが多い。永井先生も短編の名手で、いくつかの短編を出されているが、どれもなかなかの出来映え。お目にかかる機会があれば、ぜひ読んでもらいたい。</p><p>　人に本当の怖さや感動派を与えるのには、ページ数は関係ないと上記で書いたが、まさにそのとうりである。短編でも名作というのはたくさんあって、ＳＦ、ホラー、家庭etc・・・と、多岐にわたっていろんな種類の短編があるわけだるが、どの作品も、その作者さんの、その時の脂の乗った思考が生み出すものが多いので、結構名作が多いわけである。</p><p>　『ススムちゃん大ショック』も、多分に漏れず、やはり永井先生の脂ののった時期の作品だと思う。確かに今読んで見ても面白いのだが、画の方は少しきついものがる。しかしそれを超えて、なおかつ恐怖というものを感じさせてくれるストーリー展開はさすがで、永井節と言える。永井先生と言えば残酷描写もバッチリで、この作品にも、スプラッタシーンは、十分見て取れる。こう言うところがマンガの強みであろう。永井先生のほかの短編にも、『鬼』や『真夜中の戦士』なんかが有名であるが、自分はやはりダントツにこの『ススムちゃん大ショック』なのである。子どもと親の絆が理不尽に崩れる・・・やはり恐ろしいことで、この世の終わりを暗に告げている。世界中で親が子供をすべて殺し終えたとき、そこになにがあるのか？考えたくもないが、このマンガからは、その時代の終末思想が見て取れる。そう、あくまでも７０‘年代のうねりが生み出した産物でもあるのであり、時代が育んだマンガでもあるのだー！</p><p>　永井先生は、ギャグマンガからスタートされて、その後短編長編を問わず傑作を描かれているが、やはり天才というべきほかない。よく努力をすれば、出来ないことは二というが、これは嘘である。やはり人間出来ないことは沢山あるものでる。誰もが努力で何でも出来るならば、世の中、金持ちだらけであり、クリエティブな作品が、有象無象に存在する。やはり、選ばれた一部の者こそが生み出す素晴らしいものが、世の中に、何らかの感銘を与えるのである。それがマンガであって、ホラーであっても、読んだ人間に何らかのショックを与えても、それは良くも悪くも文化である。『ススムちゃん大ショック』は、先にも書いたように、世の中に一石投じた問題作である。だけど、ここから何らかのメッセージを自分なりに読み解いて、考えてくれる人間がいる限り、このマンガは、名作として永遠に輝いていくだろう。</p>
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<pubDate>Mon, 08 Feb 2016 13:43:56 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１５８</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><div align="center"><br><div align="center"><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160113/03/shimamura70/48/64/j/o0340047513539470192.jpg"><img width="220" height="307" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160113/03/shimamura70/48/64/j/t02200307_0340047513539470192.jpg" border="0"></a></div></div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160113/03/shimamura70/48/64/j/o0340047513539470192.jpg"></a></div></div><p>タイトル・・・さすがの猿飛</p><p>作者…細野　不二彦</p><br><br><p>　いや～あけましておめでとうございます。と、何を今更なんですが、とりあえず今年一発目という事で、新たにお付き合い願います・・・いやはや・・・</p><p>　ところで、皆さんお気づきでしょうか？このブログ『このマンガがすごい！』ホームページをリュニューアルしてしまったんですな。と、言うのも、なぜか『このマンガがすごい！』１５７回まで更新したところで、なぜか、自分のブログにアクセス出来ず、前のブログは閉鎖という泣きたくなるような目に合ってしまった。自分パソコンスキルが低くて、どうしても旧盤のブログが復帰できずに、結局この新たなブログに今まで書いた『このマンガがすごい！』をすべて移植するという力技で新たに心機一転始めるということにしましたけん、なにとぞよろしくお願いします。</p><br><p>　早速ですが、この『さすがの猿飛』、初めて目にしたのは、自分が中学の時で、しかもアニメであった。アニメもの方もなかなか面白くて、少しばかりのお色気シーンでも、結構ドキドキしながら見ていたもんだよ。そりゃー男子中学生といったらエロいことに目がない盛りである！魔子ちゃんの下着のシーンでも下半身は・・・やめておこう。自分のあほさ加減に今更ながらあきれてしまうのであった。自分当時から二次元オタクで、やはりエロなことはマンガから教えられたもんなんだなこれが！と、言ってもこの『さすがの猿飛』は健全なエロであって、さわやかなので子供でもアニメ版でもマンガ版でも見て良し読んで良しなことを一言</p><p>言っておきますので。自分、このマンガ初めて読んだのは高校のころで、アニメ版と話がえらく違うのにビックリした覚えがある。アニメ版の方は私立忍ノ物高校とスナイパー高校との対立になっているので、初めてマンガを読んだとき、原作をあんまりいじくりまわすのはいかがなもんなのかな～と、ふと考えてしまったことを覚えている。優れた原作はそれでも十分行けるので、そこら辺の拝領はしてもらいたかったと思う。まあ時代の勢もあり、スポンサーの意向もあるのでこればっかりは何とも言えないので、仕方がなかったのであろう。だけど、先にも言ったように優れたマンガなので、本だけでも十分ですからね！</p><p>　で、物語であるが、主人公・猿飛　肉丸は私立忍ノ物高校に転入してきた。かれは見かけは超肥満体であるが、忍術にかけては一流の忍びの者であった。そしてこのマンガのヒロイン・霧隠　魔子は学園理事長の娘で肉丸の幼馴染でなぜか肉丸にぞっこんなのであった。（幼いころ魔子は肉丸に命を助けてもらったエピソードがある）そんな二人と彼らを取り巻くのは、魔子の親友・石川　美加、肉丸を先輩と慕う・服部　優一郎、そんな彼らが時に忍法を駆使してライバルや敵を倒していく学園ドタバタコメディである。</p><p>　と、まあいつものごとくざっくり書いてしまったが、真剣な戦いや、人情話も盛り込んでいるから今読んでも全然面白いので、読む価値ありである。</p><p>　しかし何といっても、ダントツにいいのはキャラクターの設定である！猿飛　肉丸！なんと言っても、彼のキャラクターはダントツにいいのである！今までのキャラクターでは肥満系は存在しなかった。（体ががっちりしたキャラクターは存在していたが）おそらく肥満系のキャラはこの肉丸が最初ではなかろうか？と、思うんですがね。しかしただのデブと違うのは、肉丸は超一流の忍者。その見かけとは裏腹に、俊敏な動き、神風の術（足の摩擦運動で上昇気流を起こしスカートをめくる、どうしようもない術）を駆使し、常にドタバタな騒動を起こしていく。そんな肉丸を慕う、魔子ちゃんもカワイイのである。このマンガで男は見かけじゃないんだよと、自分得心したもんだ。しかし、なんだかな～・・・忍術使える人って・・・いる・・・？まあ、それは置いといて、あくまでもマンガの面白さを追求しようではないか！</p><p>　忍ノ物高校は、その名のごとく世の中に忍者を送り出す学校ではあるが、現実的な問題では、スパイの存在がある。そう、スパイこそが現代の忍者ではなかろうかと自分は思うんですがね。日本ならば公安、アメリカならＣＩＡ、イギリスならＭＩ６、イスラエルなるモサド・・・どこの国にも諜報機関がありそれこそが現代の忍者たちの存在なのである。彼らの存在はそれはそれで面白いので、『ゴルゴ１３』で楽しまれてくださいな。</p><p>　話を戻しましょう。肉丸のライバルたちもカッコいいだぜ！服部　優一郎なんかも、最初は肉丸を先輩と尊敬していたが、なんと、神風の術を会得し、肉丸に挑戦していく。（結局は負けて、又舎弟になる）そして、柘植　省吾・藤林　祥子との対決もカッコいい！肉丸は二人に一度は負けるが、修練を積み、胃の笛の術を会得して、やっつける。しかし、どの勝負にも、最終的には肉丸は勝が、決して嫌味な終わり方はなく、ある意味、大団円でコメディマンガらしく爽やかに後味のいい終わり方になっているので、読んでいて楽しいし、気持ちいものがあるよ！</p><p>　肉丸の家族たちもまた面白い！父親は警官をしていて、勿論忍者であるが、その術を仕事に生かしているさまは正に忍術こそ現代の警官に必須アイテム・・・んなバカな！閑話休題。母親も元凄腕くノ一で、肉丸をあしらう様は堂にいっていると感じてしまった。おじいちゃん・八宝斎も肉丸に負けづ劣らずのくせものでなかなか面白い存在なのである。そう、これは、家族の物語でもあるのだ！もちろんコメディなんですけどね。</p><p>　このマンガ、今から３０年以上も前の作品だけど、今でも全然面白い！細野先生の初期の作品の中でも、ダントツにこのマンガが面白いと自分は思っている。まだこの頃の細野先生の画はアクが抜けておらず、それがまたいい味を出していて、マンガ家として野心が芽生えている様が画を通して伝わってくる。マンガ家の人たちも長年仕事をしていると、絵柄が変わってくるが、この『さすがの猿飛』も、細野先生がさなぎから蝶へと変革する黎明期のもので、その後の『ギャラリーフェイク』へと凄みがだんだん増していくのである。</p><p>　若い頃こそできる仕事がある。それは人によって様々であるが、この『さすがの猿飛』も、その時の細野先生だからこそできた仕事であって、今の細野先生では出来ないかもしれない。クリエイティブな仕事であればあるほど、それは顕著に見て取れるものがある。歳を取ればそれなりの経験値が付いていく。いい意味でいえば上達。悪い意味でいえば老獪。今一度、自分の若かりし日々を思い出すためにも、自分はこのマンガを読み返し、過ぎ去りし日々を感じてしまうのであった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12116845372.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 03:20:22 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１５７</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a class="detailOn" id="i13441692434" href="http://ameblo.jp/lioncafe70/image-12079562938-13441692434.html"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151002/03/lioncafe70/30/7a/j/o0336047413441692434.jpg" border="0"></a> </div><p><br> タイトル・・・２０世紀少年</p><p>作者・・・浦沢直樹</p><p><br></p><p>　いや～実に面白いマンガなんだなこれが！７～８年前に初めて読んで、今回また久しぶりに読み返してみたが、やっぱり面白かった。自分も昭和に生まれ平成を生き抜いているが、自分の子供のころをやっぱり思い出してしまい、自分もある意味、『２０世紀少年』だったと思う。昭和・・・良くも悪くも日本という時間が一番動乱に動いた時期ではなかったのではなかろうかと思う。勿論自分は戦後のずーっと後の時代に生まれたが、それでも昭和レトロの時代を生きていた。だからこそケンヂたちに感情移入するのだろうと思う。ケンヂたちが原っぱで秘密基地を作ったり、駄菓子屋でお菓子を買ったりと自分の子供のころとシンクロしているシーンがたくさんあって、平成生まれの『２１世紀少年』たちにはわからんだろな～。と、いうか、当時は携帯もテレビゲームなくアナログな遊びしかなかったのである。しかしそれはそれで楽しい時間で、今でも、昭和はいい時代だったと思う。何度でもいうようであるが、自分もまた『２０世紀少年』だったのである。</p><p>　で、物語であるが、主人公・遠藤ケンヂは、子供のころ（７０‘年代）、仲間たちと原っぱで秘密基地を作り、多感に遊んでいた。そして『よげんのしょ』を描きタイムカプセルを仲間とともに埋める。９９年、大人になったケンヂはコンビニ経営をしていた。その背中には姪のカンナをおんぶして仕事をしていた。そんな時、かつての遊び仲間だったひとりが、[ともだち]という謎の存在になり、『よげんのしょ』通りに世界を破滅しようとしていたの知り、それを止めようとする。しかし結果的に、世界中に破壊活動がおこり、ケンヂと、その仲間たちはテロリストの汚名を着せられ姿を消す。２０１５年、ケンヂの姪・カンナは、[ともだち]を倒すべく、かつてのケンヂ仲間たちと、再び立ち上がっていく・・・</p><p>　と、相変わらず大雑把に書いてしまったが、本は全部で２４巻（ラスト２巻は、『２１世紀少年』）と、大河的なドラマで、早大稀有なクロニクルなマンガといっても過言ではない。このマンガは１９７０年、１９９９年、２０１５年と三つの時代を描いてあり、なかなか面白い設定で、昭和時代の人間には、『これ、あるある！』の世界が描いてあるし、平成生まれの人間にも充分面白く感じれる内容になっている。そう、正にエンターティメントな物語で、これぞ日本が生んだマンガ！って感じもする。</p><p>　浦沢先生のマンガは、アニメ化ドラマ化されているものが多いが、この『２０世紀少年』も映画化されている。しかも三部作構成で製作費６０億円で、ケンヂの役には唐沢　寿明、カンナ役には平　愛梨が起用され、他の俳優たちもなかなかの配役だったと思う。ただ原作の広大複雑な世界観は完全に表現されてはいなく、原作ファンとしては映画の方はややチープに感じた。ただカンナ役の平　愛梨は自分個人的に大好きで本当に当たり役だったと思う。愛梨ちゃん・・・かわいいっ！♡</p><p>　このマンガの面白いところは実際の人物をモデルにしたり、結構遊び心がちりばめられていたり、他にもマンガやドラマのオマージュが結構見て取られマンガ好きアニメ好きにはたまらないシーンが多々あり、わかる人間にはわかるパロディがあるのが浦沢マジックとでも言える。勿論、浦沢先生だけでなく、原案協力者の人の博識があるのも事実だが、これをマンガ的に、結果的描かれている浦沢先生のセンスが実にうかがえる。ただ少し残念なのは、浦沢マンガは、線がシャープ過ぎて、尚且つコマワリがやや大きすぎて、するする読めてしまい、引っかかりが今一つないのも事実である。これがいいのか悪いのかは、結局は読者にゆだねられるのであるが、自分としては浦沢マンガの悪い一面ととらえている。浦沢先生すみません。だけど、それを凌駕して面白いのが浦沢マンガでもあることを、念のために一言。</p><p>　『２０世紀少年』は、友情のマンガでもある。ケンヂとその仲間たちが、悪に立ち向かう・・・簡単に言えばそれまでなのだが、それがかっこつけづにやっているところがこのマンガをヒューマン的な見方で、ドラマを奥深くしている。物語を７０年から２０１５年までの長いスパイラルで描いていて、子供が立派なおじさんおばさんにになっていき、少女は大人になっていく。彼らは、時に武装して戦い、時にレジスタンス活動で独自の戦いをしていく。そう、人間戦わなきゃならん時は、何らかの形で戦うものなのである。そのことの重要性をこのマンガはわかりやすく教えてくれるマンガもあるのだー！</p><p>　このマンガ読んでいて、恋愛シーンやエロシーンが全くないのを改めて感じた。せいぜいカンナのパンティ姿があるだけで、エロとか恋愛とかなくても物語は成立するものだ。でも、自分的には、ケンヂとユキジを結び付けてやりたかったし、カンナも恋愛の一つがあってもよかったのではなかろうかと個人的には思ったものだ。ここら辺のシーンがあるかないかで、また違った物語の広がり方があったのではなかろうかとフト思ってしまった。まあ歴史にもしは無しなので、これはこれでよかったのかもしれない。でも、おじさんおばさんになっても未来の展望はあるからね！</p><p>　『２０世紀少年』から　『２１世紀少年』になっても、未来は続く。それどころか『２２世紀少年』『２３世紀少年』になっても、世界は続いていく。そしてそこには、いつもケンヂがいて仲間がいて、友情の戦いがあることを自分は信じている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimamura70/entry-12116841998.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 03:14:37 +0900</pubDate>
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<title>このマンガがすごい！１５６</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a class="detailOn" id="i13424386809" href="http://ameblo.jp/lioncafe70/image-12072925440-13424386809.html"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150914/08/lioncafe70/ff/c9/j/o0160026013424386809.jpg" border="0"></a> </div><p><br> タイトル・・・包丁人味平</p><p>原作・・・牛　次郎</p><p>作画・・・ビッグ　錠</p><br><br><p>　日本マンガにおけるグルメマンガのパイオニア的な存在のマンガで、料理というものの存在を初めてマンガで取り上げた功績は大きく、後に様々なグルメマンガが登場するきっかけとなった作品であるといっても過言ではない。連載されたのが７３‘年から７６‘年で、『美味しんぼ』は、まだずうーっと先の話である。このマンガ最近読み返したのだけれど、さすがに時代性というものがあるが、料理に関する資料もまだ乏しい時代によくこれだけ書き切ったものだと自分は素直に感心する。そうですぞ！７０‘年代ですぞ！まだネットも料理本もあまりなかった時代ですけんね。ただ、料理とスポ魂が既に合体した作品に仕上がっており、料理対決という図式もこのマンガで既に完成されており、当時の劇画時代のブームに見事にマッチしていた。劇画というのはアンチ手塚で始まったものだから、この時代、様々なものがマンガに取り入れられていた時代でもあって、その中でも、このマンガは異色のマンガだったと思う。</p><p>　で、物語であるが、主人公・塩味　味平は中学を卒業して、父親・塩見　松造の期待を裏切り、高校へ進学せず、キッチン・ブルドッグへ入店し、洋食の修行へと進んでいく。しかし鼻っ柱の強い味平は、まだ半人前の腕前のくせに、他の料理人たちとつい料理対決をしてしまうのである。仲代　圭介戸の包丁試しや、包丁貴族・団　英彦との点心礼出の戦いなど味平は苦心しながら勝利していく。カレー戦争編では、デパートにやとわれ、対するデパートのカレー将軍・鼻田　香作との壮絶な戦いに勝利する。そしてラーメン戦争編ではカレー戦争編の時同じ仲間だった柳　大吉と勝負をすることになる・・・</p><p>　と、まあざっくり書いてしまったが、結構、重圧なストーリーで資料面においては、やや時代性あるいは乏しさを感じるものの先に述べたスポ魂的な要素が充分に取り入れられ、飽きることはない！それまで料理人というのは、格下の存在に見られていた傾向があるが、このマンガで料理人という存在が如何に偉大で尊敬の対象になるのかというのが、このマンガ見直されたような気がする。この時代はまだ料理界は男社会で、女が料理をするというのは家庭だけのことであり、プロの世界というのは、厳しい存在だということをまじまじと見せつけられたマンガでもある。</p><p>　味平の父親・松造は五条流（おそらく四条流<span class="st">庖丁道のこと）の免許皆伝者であって、和食において凄い事なのであるが、味平はなぜか洋食を選ぶ。勿論和食と洋食とで、どちらがえらいとかそういうのはないと思うのだが、あえて洋食で、修行をしていく。まあ、結果、物語的には和食勝負あり、日本の国民食といってもよいカレー勝負があり、今でこそブームであり地位を確立したラーメンの勝負がありと、ある意味では時代を先取りしていたのかもしれない。ちなみに昨今ブームになっているつけ麺なんかも、すでにこのマンガで登場している。牛　次郎先生のクリエイターとしての先を見通す力に自分驚いている！なんてたって四〇年前のマンガですからね！</span></p><p><span class="st">　料理マンガと言う、新しいジャンルを開拓したこのマンガの功績は大きいと思う。７０‘年代時代はうごめいていた。勿論マンガの世界にいおいてもだ。アンチ手塚を叫び、様々な人々がマンガにおける表現を模索していた。このマンガもその一つである。新しいジャンルを見つけることは冒険であり喜びでもある。そしてそれを育てようとした編集者たちの懐加減さじ加減が勿論ある。結果、時代は劇画を大頭させ、今日に至る。きっとこのマンガを描いた先生たちはこのマンガを描生き始めた時、神が下りてきたような喜びを受けたと思う。その熱い思いが時代をたっても伝わってくるのである！名作と言うのにはだからこそ時代は寒けないのである。面白いものはいつ読んでも面白いのである。これが結論！</span></p><p><span class="st">　このマンガ以降、グルメマンガというジャンルが確立し、『美味しんぼ』で、決定的に、一億総グルメ時代に突入したと思う。やはり食べ物というのは、人間三大性欲の一つを制しているものであり、これからも伝統と文化の発展がしていくものであるだろう。その時代に警鐘を鳴らしたこのマンガを、古典としながらも、これから先読み継がれていくことだと自分は思います。</span></p>
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<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 03:13:49 +0900</pubDate>
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