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<title>モグネット</title>
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<description>教員をしてます。明石家さんまさんを勝手に師匠と仰ぎ、「生きてるだけで丸もうけ」を心の支えに奮闘しております、ゲーム・献血・さだまさしを何より好む５3才独身おっちゃんです。スターウォーズももちろん外せません。よしなに。</description>
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<title>やるか　やらないか【ネタバレ注意】</title>
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<![CDATA[ <p>Do　or　do　not.</p><p>There　is　no　try.</p><p>&nbsp;</p><p>マスターヨーダの名言だ。さまざまな場面で引用されている名台詞だ。</p><p>「スターウォーズ　－帝国の逆襲－」で初登場のマスターヨーダ。</p><p>スカイウォーカーの血筋ルークは、帝国に暗躍するシスを打倒する最後の希望。</p><p>ルークはジェダイとしての修業を希望するが、感情的になることが多かったルークの父と重なる面を案じ、ヨーダは懐疑的だ。しかし修業をつけることになる。</p><p>肉体を鍛え、フォースを操る訓練を続けていると、ルークの戦闘機Ｘウイングが沼に沈んでしまう。</p><p>ヨーダはルークにフォースを使ってXウイングを引き上げるよういうと、ルークは無理だと言う。「石とは違う。大きすぎるよ。」</p><p>ヨーダはルークを諭す。</p><p>　大きさは関係ない。ワシは小さいから弱いか？そうではあるまい。</p><p>　フォースはすべてに存在する。宇宙と我々を結びつけるエネルギーだ。</p><p>　地面と、あの戦闘機の間にもある。</p><p>ルークは言う。「やってみるよ」</p><p>そこであの名台詞の登場になる。</p><p>　Try not. Do or do not.（やってみる、ではない。やるか、やらないかじゃ）</p><p>　There is no try.（ためしなどいらん）</p><p>&nbsp;</p><p>この名言は私も好きで、殊テストや進路に関わって生徒によく伝える。</p><p>人生は常に「やる」「やらない」の選択のみだ。同じような使い方は多くの方もされているだろう。</p><p>私はさらに「やってみる」より「やる」。やり切る意志の強さも伝えたい。</p><p>「やってみる」は、ダメかもしれない…とか、ダメでもともと…と、結果に消極的な印象を受ける。</p><p>「やる」ということばに込められた「意志の強さ」もさまざまな場面で重要な因子である。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、私はこの続きも、好きな場面であり、重要だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>ヨーダのことばにルークは集中し、フォースを使う。Ｘウイングが浮き始める。ヨーダも期待に耳が上がる。</p><p>しかしそこまでだった。ルークはフォースを操りきれず、Ｘウイングはまた沈んでしまう。ヨーダは下を向き、耳が折れる。</p><p>ルークは自分が予想したとおりの結果に「できっこないよ」とその場を離れる。</p><p>ヨーダはため息をひとつつき、フォースに集中する。</p><p>するとだ。Ｘウイングが再び浮き始める。R2-D2が騒ぎ立てる。</p><p>場の異変にルークは戻ってきて、Ｘウイングが沼から浮き上がり、陸地にゆっくりと置かれる様を見る。</p><p>ルークはヨーダに言う。「信じられません」</p><p>それに対するヨーダの返事。</p><p>　So you are failer.（だから、失敗するんじゃ）</p><p>&nbsp;</p><p>「自信」を語ることができる場面。</p><p>自分を信じるに足るだけ「やっているか」。</p><p>実は、「やる」を積み重ねるだけでは「自信」としては点睛を欠く。</p><p>「やったこと」によって「よい結果を得られること」も重要。</p><p>１００００回計算練習をしても９０００問間違えていれば「自信」の根拠は薄らぐ。</p><p>１００００回練習を重ねた事実は根拠となり得るが、それに結果が伴うことで自分を信じるに足るより強固な根拠となる。</p><p>&nbsp;</p><p>今年も伝えていこう。</p><p>&nbsp;</p><p>５月４日のスターウォーズの日にちなんでの投稿にするはずだったが、間に合わなかったな。</p><p>May the Force be with you.（フォースと共にあらんことを）</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12900335527.html</link>
<pubDate>Mon, 05 May 2025 00:35:21 +0900</pubDate>
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<title>故にまばゆい程に光り輝く</title>
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<![CDATA[ <p>前回のブログから年が明け、年度も新しくなった。</p><p>３学期、忙しかった！</p><p>先輩の先生の病休、初の２月修学旅行（奈良・京都）、通知票・要録のシステム管理、時間割…</p><p>めまぐるしく、ある意味文字通り息をつくヒマもなく毎日が過ぎていった。</p><p>そして３年前、久々に１年生の担当になった気のいい人たちも卒業してしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>私も進級できた。考えてみると、担任していないとはいえ３年間持ち上げたのは１クラス目以降２回目。</p><p>生徒たちはよかったともなんとも言ってくれない。まあ彼らにとってサプライズのない、普通のことだったのだろうといい方に受けておこう。</p><p>&nbsp;</p><p>マンガ「キングダム」の王騎将軍のことばになぞらえれば、「先生」とはただの職業名。</p><p>”絶大な栄誉”は今はないものの、生徒たちを束ね導く責任があり、生徒たちと共にあることで光り輝く。</p><p>中には、単なる職業名以上の想いを込めて「先生」と呼んでくれる生徒もいる。</p><p>そういう生徒が一人いれば、教職を続けていこう。</p><p>裏でなんと呼ばれているか想像はできるが、裏でも「先生」と呼んでくれる生徒が３人いたら、教職を続けていこう。</p><p>そんな想いでいる。</p><p>ひとつめはともかく、裏でも「先生」と呼んでくれていそうな生徒は４人、思い浮かぶ。</p><p>勝手かつ淡い希望を込めて、だが。</p><p>&nbsp;</p><p>また１年、がんばろう。</p><p>生徒たちのために、そしてこれからの教育界を背負う若者たちのために。</p><p>無論、持続可能性も考慮に入れて。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12897918094.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Apr 2025 01:49:06 +0900</pubDate>
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<title>ハッピーバースデー</title>
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<![CDATA[ <p>先日、誕生日を迎えた。</p><p>誕生日を公開はするが、前後はおとなしく黙っているのが私の常。故にその日は静かに過ぎていくことも常だった。</p><p>今年、初めて学校でハッピーバースデーを歌ってもらった。</p><p>教科担任をしている、担当学年ではない１年生。完全に意表を突かれた。</p><p>&nbsp;</p><p>時間割がいっぱいの日で、いつも通り研究室出発後忘れ物に気づき、取りに帰って遅刻した。</p><p>３階へ到着すると、いつもと違う雰囲気を感じた。企みの存在を、確実に感じる。</p><p>証明するように教室から１人２人顔を出し、引っ込む。来たぞ！の声。</p><p>かくれんぼか、一斉に脅かすか。</p><p>かくれんぼだとすると、普段から保健室など行方不明者の多いクラス、気づかない可能性は生徒も予想するだろうし、来たぞ！はあまり言わない。ならば脅かしの方か。桓騎将軍並みの読みをして教室へ入った。</p><p>すると、ハッピーバースデーの歌声。</p><p>未だに統制がとれていないクラスだけに席に着くのが間に合わず歌いながらバタバタ走る生徒がいることはいつも通りとして、おとなしめの女の子も笑顔で歌ってくれている。ろくに授業に参加しない男の子が指揮の振りマネをしている。さらにもう一人、男の子が指揮の振りマネをしながら教室中を歌い歩いている。そして、♪ハッピーバースデー ディア … がまったく揃わない。こんな雑然とした感じが妙に可愛らしい。</p><p>&nbsp;</p><p>意表を突かれ、アドリブが効かないタチだけに気の利いたことがまったく言えず、非常に悔しい。生徒たちも上手に継いでほしかっただろう、申し訳なかった。ね、おじちゃんは芸人さんじゃないんだよ。</p><p>あのときはうまく言えなかったけど、本当に、嬉しかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな感じの生徒に囲まれながら、先生してます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12880431532.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Dec 2024 17:49:37 +0900</pubDate>
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<title>数学を好きになっているか？</title>
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<![CDATA[ <p>マンガ「はじめの一歩」の鴨川会長のことば。一歩くんの対ヴォルグ戦の前。</p><p>「優れた選手と出会うと自分の理論を試したくなる。無理を強いる。結果トレーナーのエゴによって才能ある選手が壊れていく。そういう事例は確かにある。わしも知らずしらずのうちにそうなっているのかもしれん」</p><p>八木マネージャーが受ける。「会長の選手育成の方針がそうではないことをみんなわかってますよ。いやいや練習している選手はいないじゃないですか。鴨川ジムの子どもたちは、みんなボクシングが好きですよ」</p><p>&nbsp;</p><p>自分はどうだろうか。</p><p>もちろん状況が違うことはわかっている。希望者が集まっているわけではない。好き・嫌い、得意・不得意、小学校時代の学習状況も大きく関わってくる。殊算数・数学は敬遠されることが多い教科だ。</p><p>だが、子どもを魅了せずして何が教師か。</p><p>自分が得意な教科、惚れ込んだ教科をそのツールにせずしてどうする。</p><p>ここは勉強をすべきところ、努力をすべきところだ。</p><p>そもそもわれわれ教員の多くは、自分が好きな教科や活動の魅力を伝えるために、この職に就いたのではなかったか。</p><p>原点回帰。</p><p>&nbsp;</p><p>だが、教員の労務状況については、教職員全員が承知済み。</p><p>特に新人さんたちにとっては、最大のジレンマを感じているところではないか。</p><p>管理職の先生方、主任の先生方、ぜひ新人さんたちにこの時間を確保してください。</p><p>教員としていちばんしたいことを保証する。児童生徒と同じでしょう。</p><p>会議会議、他さまざまなことで拘束して疲弊させて授業の準備が満足にできなくては、児童生徒との関係は良好なものにならないでしょう。</p><p>「学校現場はこういうものだ」「われわれのときは～」は、われわれが新人のときだってイヤなことばだったじゃありませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>新人さんたちには、相談をしてほしい。わからないこと、うまくいかないこと、…、聞いてください。</p><p>ただし、「誰に聞くか」を嗅ぎ分ける能力は大切。</p><p>指導員だって相談に乗ってくれない人もいる。なのに他の人に相談するとないがしろにされたと逆ギレされる場合だってある。「味方」を見つける能力は大切。一昔前のＲＰＧゲームのように味方が決まっているわけではないのだ。</p><p>簡単なことではないが、小さいアドバイスをすると、「自分を見せる」ことだ。</p><p>会話の中に入れば、自分のことを出せるし、情報だって手に入る。仕事への取り組みを見てもらえば、誠実さや得意・不得意などの特性も見てもらえる。全部出さなくていい。できることをやればいい。自分を全然出さずに受け入れてもらう、はムシがよすぎるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>話が少しそれた。</p><p>教員の魅力はもちろん授業だけではない。人柄やおもしろさ、公平性・公正性などいろいろな観点で児童生徒は認めてくれるだろうけれど、でもやはり初心を大切にしたい。原点を大切にしたい。</p><p>時代は変わっているけれど、ここは教師としての不変ではないだろうか。</p><p>さて、数学の楽しさをどう感じてもらうか。また考えるとするか。「これしたらウケるかも」は始点として間違っていないとも思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12876135107.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Nov 2024 02:36:57 +0900</pubDate>
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<title>秋高原に　</title>
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<![CDATA[ <p>口上　澄みわたる大気よ青き空よ<br>　　　西にアルペンの霊峰を望み　東に鉢伏の連嶺を仰ぐ<br>　　　麗しきかな筑摩野の自然<br>　　　この清らなる地の学舎に集いたる　我ら信大思誠寮が健児<br>　　　高らかに歌うは青春の讃歌<br>　　　さあれその魂の底に揺曳するものは何ぞ　問う人あらば答えん<br>　　　ただたぎりたつ若き命あるのみと<br>　　　いざ行かん秋高原に　eins zwei drei<br><br>一　　秋高原に風立ちて　麗朗澄むや山脈の<br>　　　彼方に物の響きあり　ツオイスの庭の召太鼓<br><br>二　　自由よそれよ青春よ　そは征服を要求す<br>　　　桂の枝を折り持ちて　遠く思いを馳するかな<br><br>三　　行け我友よ我が勇士　我らが栄えの歌声を<br>　　　天と地とにひびかせて　帰る日待つぞ行けや行け<br>　　　帰る日待つぞ行けや行け<br>　　　帰る日待つぞ行けや行け<br>　　　行けぇ行けぇバッキャーロー！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>懐かしいなあ。大学時代、正に自由を、青春を謳歌した。</p><p>楽しみすぎて２回留年してさらに楽しんだ。</p><p>異動のあいさつで生徒たちの前でこの口上を謳ったこともあったなあ。</p><p>口上や寮歌を忘れたくないと思っていたが、こんなことも遺してみるか。</p><p>&nbsp;</p><p>もうじき寮祭の時期かな。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12870549831.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Oct 2024 01:25:19 +0900</pubDate>
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<title>生徒からの評価</title>
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<![CDATA[ <p>教職にあって、生徒からの評価は気になるものだ。</p><p>まあ、今までさんざん好き勝手やってきて１００万人の生徒から嫌われた身としては今更嫌う生徒が１万人や２万人増えたってどうってことはない。どうってことはないが、自分がやっていることを生徒がどう感じているのかは気になる。少なくとも仕事として、生徒からの評価はよりよい授業を目指すために受け止めなくてはならない。</p><p>&nbsp;</p><p>１年生の授業で机間指導中、生徒から質問があった。「先生って、芸人なの？」授業中の私のうけこたえがおもしろいらしい。「先生は、教員です。」と答えると「えぇっ！？じゃあ副業してるんですか？」と重ねての質問。どういうことだろう、彼らの中では私が芸人であることが確定しているらしい。授業構想の起点が「これやったら生徒にウケるかも」だから、こうなることは帰着点として当然か…？覚えはないが現状で公務員の副業扱いで処分対象になってしまうのか…？</p><p>&nbsp;</p><p>昨年度、１年生のとき教科担任を持っていた生徒。積極的に話す訳ではなかったが年度末に「手紙もらったら嬉しい？」と何度か聞いてきた。終業式の日、友だち数名と手紙をくれた。私の担当教科は得意ではなかったが私の授業を楽しみにしてくれていたこと、次年度も私に教科担任になってほしいことが書かれていた。嬉しかった気持ちと、次年度について差し障りのない程度の返事を書き、手紙をくれた人全員に新年度準備の日に渡したが、差し障りがなさ過ぎたのか、リアクションは友だち全員含めて全くなかった。</p><p>今年度、その生徒の教科担任にはならなかった。勤務校はチーム担任制で、一応担任の１人には名前を連ねているが、メインの担任が同教科。新任２年目ながら適性と私を超える仕事観を持つ若者。２０年の経験をあっさりチャラにされすでに私が勝る部分は皆無。私が入る余地が全くない。ふとその生徒が１年生のときの様子を思い出したり、もらった手紙の内容を思い出したりしたが、若者の指導に気持ちを向けているのだろうと若干の寂寞の想いを感じていた今日この頃だった。下校時、生徒が突然声をかけてきた。「単元テスト、点が上がりました」タイミングに驚いたことや伝えてくれたことの嬉しさに気の利いたことが何も思い浮かばず「がんばっているね」としか伝えられなかった。その後研究室でちょっとだけ泣いた。話ができなかった生徒が、想いを寄せてくれていたことに深謝。</p><p>&nbsp;</p><p>１年生のとき担任をしていて、進級時にクラス替えで担任から外れた生徒。学級長など表立った役を引き受けはしなかったが「クラスの役に立ちたい」とそれこそ役職に関係なく表に陰にさまざまな仕事に進んで取り組んでくれていた。チーム担任制故私だけが担任をしていたわけではない。さらには１年次は私の基本的な立ち位置を「担任ではない（→メインの担任に気持ちを向ける）」としていたが、その中で私にも気持ちを寄せてくれていた生徒だった。今年度離れてしまったことを残念に思っている旨の話を新担任から聞いていた。</p><p>この生徒が、夏休み明けからまったく話しかけなくなった。最近はどうやら視界にすら入れたくないようで、顔を背ける。まあ私を嫌ったとて、以前と変わらず気働きをしている。ならば心配はない。私を嫌って孤立するわけでも、ひねくれて行動が荒むわけでもない。生徒が前に進めるなら、私が関わることは必須ではない。原因はわからないがもともと叩けば埃で本体がなくなってしまう身、なんらかの判断の根拠が、この行動にはあるのだろう。この生徒の判断には信が置ける。私を斬ると判断したなら、黙って斬られてやればいい、と思える人の一人。原因がわからない以上私が行動を変えることはないが、不快な思いをわざわざさせることもない、視界に入らないようちょっと配慮するか。</p><p>&nbsp;</p><p>生徒たちの想いに、支えられ、諫められる。自分のあり方を問い続ける教師でありたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12869171650.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Sep 2024 00:55:02 +0900</pubDate>
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<title>教員の働き方改革に対する一つの考察　～給特法～　の裏のまた裏</title>
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<![CDATA[ <p>先日からの給特法シリーズ、今回はみんながハマっている給特法の解釈の間違いを指摘する。</p><p>&nbsp;</p><p>給特法で示されているように、教員の業務は「命令された業務による勤務」と「自主的な勤務」の線引きが難しい。だが、その解釈および運用の仕方は明らかに間違っている。</p><p>それは「勤務時間外の業務をすべて『自主的な勤務』と捉えていること」だ。</p><p>現状勤務時間内に片付かない量の業務が命じられているのに「勤務時間外の業務活動はすべて自主的な勤務」と扱われる。部活動は学校で示された日課表に「６時まで」と明記されているのに、勤務時間終了後は勝手に「自主的な勤務」と分類されるから矛盾が生じている。</p><p>「命令された業務」と「自主的な勤務」の線引きが難しいのは、本来、例えれば</p><p>「映画を観る」→「英語の学習」「学級通信のネタにする」　など</p><p>通常プライベートに分類される「活動」が教員の業務に資する部分がある、ということのはず。それを勝手に「時間」で線引きしていることが間違いなのだ。</p><p>だから最初に提示したとおり「各教職員が勤務時間内外に適正な業務を行っているか」を評価する者が必要になる。それは他ならぬ業務を命じる校長。校長が労務管理と業務評価を行うという結論に自然に至るわけである。</p><p>&nbsp;</p><p>埼玉県での判例によると１時間の授業準備に要する時間は５分だというので、司法の判断もアテにならない。</p><p>教職員の健全な業務を担保するものは何もないと言ってよい。ではこちらも勤務時間できっちり切って仕事が間に合わなければ、職務不履行でこちらが処分される可能性だってある。自分の身は自分で守るしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>先生方、ご自愛ください。笑顔でいることが辛くなる前に、信頼できる方に相談をしてください。心と体を休ませてください。先生方の笑顔が、児童生徒を、学校を安定させるんです。</p><p>先生方が笑顔でいることが、何よりも子どものためになるんです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12868690885.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Sep 2024 00:05:44 +0900</pubDate>
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<title>教員の働き方改革に対する一つの考察　～給特法～　の裏</title>
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<![CDATA[ <p>先日、教職員の働き方改革について、給特法を遵守する立場をとった。</p><p>あの考え方に至る者が、私だけとは思えない。特に文科省のお役人方は気づいていよう。しかしそれでも放置されているのはなぜか。</p><p>多くの者が給特法違反の状態にあると判断しても「違反者」がいないからだ。だから違反者を明確にする考え方を示した。違反者がはっきりすれば、そうならないように対策を必死にするだろうと考えてのことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしながらおそらくは校長職にある者が、あの立ち位置を了承するとは思えない。現状初っ端から給特法違反になることがわかっていて校長職に就く者もいなくなるだろう。</p><p>加えて「校長が教職員の業務を命令する者」と明文化されていないのかもしれない。まあこの点は先の埼玉県の教職員の働き方改革における裁判においても「校長が業務として命じているか」が論点になっているのでクリアできると思う。</p><p>&nbsp;</p><p>現場はあの考え方に大反対をするだろう。それがわかっているからお役人方も左うちわで安心していられる。そして今のまま教職員の働き方改革は進まない。</p><p>管理職が、教職員を護る立場をとらず、文科省や教委、行政の顔色をうかがっているうちは我々の苦悩は続く。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12867969991.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Sep 2024 02:11:08 +0900</pubDate>
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<title>教職員の働き方に対する一つの考察　～給特法～</title>
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<![CDATA[ <p>教員の労務環境が問題になって結構な時間が経つ。</p><p>結果教員のなり手がいないという事態に至っている。しかし、教職員の働き方改革は進んでいない。</p><p>教職がブラックなのではない。教職員の未来がブラックなのだ。漆黒である。</p><p>このことは子どもの未来に直結し、そのまま国の未来となる。</p><p>&nbsp;</p><p>教職員の働き方改革に際して、「給特法を廃止せよ」という意見があるが、私は逆だと思う。</p><p>むしろ「給特法を遵守すべき」なのだ。</p><p>すなわち「超勤四項目以外の業務を時間外を命じてはいけない」。</p><p>教職員に勤務命令を出すのは校長であるのなら、勤務時間内に完了しない業務を命じれば校長が給特法違反。</p><p>授業準備はもちろんすべての校務分掌、部活動指導も当然含む。</p><p>校長は給特法違反にならぬよう過大な業務に対しては指示者が教育委員会、たとえ文部科学省であっても拒否する。</p><p>「これ以上の業務を職員に命じれば、私（校長）が給特法違反になる」</p><p>校長が業務の精選を行い、人員が足りなければ確保する。</p><p>&nbsp;</p><p>給特法にも謳われているように、確かに教職員の業務は教職員個人の裁量による部分は多く、自主的に従事する業務と命令された業務の線引きが難しい。だから校長は教職員の労務管理も行う。「この校務分掌に関しては十分だから、これ以上の注力は不要。こちらの業務へ注力せよ。」これでそのまま教職員評価も同時に行うことができる。</p><p>しかし校長も学校へいないことが多く、現状は無理。校外の会合を減らしてもらう。特に昔の教職員の自由研修団体の会合はなくしてほしい。大先輩方の「歴史ある○○会」を大切になさる気持ちはわかるが、それこそ「子どもたちのため」に今は活動の限りない縮減を飲んでほしい。</p><p>&nbsp;</p><p>校長の職務を本来の学校の管理に注力できる環境をつくることが、着手すべき改革の第一歩である。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12867716780.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Sep 2024 02:55:03 +0900</pubDate>
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<title>目指すところ</title>
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<![CDATA[ <p>教員をしているに当たって、目指そうと思っている先生が３人いる。</p><p>一人目は正採用になって最初の学年主任。今は県内の教育団体のトップに就任している。</p><p>「教育は科学だから、必ず原因と結果がある」と教えてくださった。</p><p>私が副担任をさせていただいた３学年時の学級に対しては「指導したとおり、思った通りの学級になっている」とおっしゃっていた。</p><p>トークも文章も、この先生のマネから未だに脱却できない。</p><p>学年会でも生徒指導でも「この人はどこまで見えているのだろう」と思いながら同席していたが、当時から見えなかったものが今わかろうはずもない。</p><p>&nbsp;</p><p>二人目は毛涯章平先生。</p><p>動員がかかって講演会に参加したこともある。その場で著書も購入したが、当時はどんな先生かもわからないまま。</p><p>後に著書を読んで「あの先生か！」「そういえば本も買った！」と思い出す。</p><p>今でも著書を読み返し読み返し、教師十戒を再確認する。</p><p>そのたびにその芯までの遠さに愕然とする。未だにその状態の自分に辟易する。</p><p>&nbsp;</p><p>三人目は小林宗作先生。「窓ぎわのトットちゃん」の校長先生である。</p><p>「窓ぎわのトットちゃん」は中学生のとき母から読みたいと依頼を受けて市立図書館から私名義で借りたことが出会い。</p><p>母は黒柳徹子さんの母上黒柳朝さんの著書「チョッちゃんが行くわよ」も読んでいた。</p><p>教員になってから古本屋で見つけ、文体に惹かれて購入し、一気に読んだ。</p><p>「みんないっしょだよ」という先生の教師観に強く惹かれた。</p><p>「もどしとけよ」、校長先生が怒った「しっぽ」は大好きなエピソード。</p><p>そして「おい、今度は、どんな学校、作ろうか？」には黒柳さんの評どおり先生の情熱が感じられ、心のエネルギーをいただいている。</p><p>&nbsp;</p><p>勝手ながら目標にしたお三方はあまりにも大きく、未だ足下に達するどころか背中すら見えない。</p><p>定年まで１０年を切った今でもだ。しかしながら定年が５年延びる。労務環境を考えるとキツいが、一歩でも近づくチャンスができたと捉えよう。</p><p>できることは全部やりたい。生徒たちにも、教職に就いた未来ある若者たちにも。</p><p>「肩車にのって」「ふきのとうの餞別」「ただびたすらに」「窓ぎわのトットちゃん」は若者たちには薦めたい。標にしてほしいと思う随筆である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shimizuf/entry-12834469945.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Dec 2023 20:59:29 +0900</pubDate>
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