<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>大和田新のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/shin-owada/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>演劇ユニットＩＮ/ＯＵＴ大和田新の演劇とはほぼ関係のないブログです。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>【感想】「腰をふれ!!フルーツパーティへようこそ」果実の会vol.4</title>
<description>
<![CDATA[ 果実の会公演を、先週、中野あくとれで観てきた。<br><br>果実の会の作品は、日常にありふれている場面を繋ぎながら<br>もし自分のことなら、一生忘れないような場面が<br>ほんの瞬間見え隠れするような作り方で<br>鑑賞するには、けっこう好きな作風だ。<br><br>そして今回は武内紀子さんの本ということで<br>楽しみにしていたのだが、事前に武内さんから<br>「かなりエチュードで作っているので、本の原型が<br>残らないかも」と聞いていたので<br>楽しみ半分、不安半分で劇場へ足を運んだ。<br><br>オープニング、三々五々集まる人達は<br>とても脱力していて、おそらく「決めごとなし」。<br>いったいこの先、どうなるんだろうと不安な気持ちが大きくなった。<br><br>だが、オープニングの場面のあとに挟まる<br>プロジェクター映像を使った、テレビドラマのような<br>タイトルバックの場面のあとからは、自由な演技でありながら<br>「工場」「かじかホテル」「丸山家」を舞台に<br>ストーリーが少しずつ絡み合っていく。<br>登場人物ひとりひとりが大事にしていることが伝わってきて愛おしく<br>全ての場面が、飽きさせない。<br>エンディングに向かい、どんどん物語が織り上げられていった。<br><br>最後の最後で、物語は大団円の様相の中、わずかに歪みを含んで<br>終わるあたりは、武内さんの真骨頂というところだろうか。<br><br>どこまでが武内さんの仕込んだ部分で、どこまでが俳優たちが<br>紡いだ部分なのかわからないのは<br>作品が息吹を持っていたということなのだろう。<br><br><br>芝居を観ている間、タイトルを忘れていたが<br>観終わってから気付き、ニヤリとしてしまった。<br>こういう上品な下ネタは、アリだと思う。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-12038852654.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jun 2015 19:07:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】Tama＋project『Hamjets』【ネタバレ】</title>
<description>
<![CDATA[ タイトルが示す通り、シェイクスピアの「ハムレット」の言葉を用いて<br>複数の俳優がハムレットの、オフィーリアの台詞を共有する。<br>仙台と東京の俳優が、「3.11」に上演する作品は<br>震災被害へのレクイエムでもある。<br><br>20年近く前、プロトシアター企画「夏の夜の夢の夢」で<br>大橋宏さんの演出でも用いた手法だが<br>長い時間を経て、当時の出演者である今回の主催、丹下一さんは<br>この時代の必然的な演出として「ハムレット」を仕立てた。<br><br>同じ言葉を異なる位相で紡ぐことで<br>ハムレットという戯曲のもつ、登場人物の暗闇を<br>立体的にあぶりだしている。<br>ストーリーを解体しているにも関わらず<br>俳優ひとりひとりの言葉の解釈が見えてくる。<br><br>被害者の一人ひとりの輪郭と実態を浮き上がらせることで、<br>数で語られることに対するアンチテーゼを試みている。<br>各俳優の個性と力量の裏づけなくして成立しない手法だろう。<br><br><br>演出は極めてストイックで、この作品に対する思いが伝わる。<br>だが、タイニイアリスの空間において<br>額縁の向こう側と客席側のギャップというハンディを<br>克服しきれていないのが残念。<br>額縁の奥で行われる芝居が、全体にフィルターがかかったように<br>遠く感じてしまう。<br>反面効果になるが、額縁の前で演じられる墓堀り3人のダイアローグの<br>生々しさが際立っていて秀逸だった。<br><br>この憎らしくも愛おしい空間も、まもなく閉じるのだそうだ。<br>永く記憶に残る作品になるだろう。<br><br>3月11日まで。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-12000006016.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Mar 2015 00:02:33 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】ユニットR『ウロボロスの輪』【ネタバレ】</title>
<description>
<![CDATA[ 第七回岸田理生アバンギャルドフェスティバル参加作品<br>岸田理生作　戯曲「海鰻荘奇談」より、諏訪部さんが再構成・加筆。<br><br>理生さんの戯曲に繰り返し出てくる血の連鎖、<br>「産む」ということの意味を主題とした作品。<br><br>人間の存在＝皮膚という袋に収められた血であり<br>死に行く登場人物が次々と生き残る者へ憑依し続けるストーリーは<br>Ｊ・ラカンの「転移する欲望」を想起させる。<br>私の持論として、「転移する欲望」理論は<br>演劇のもつ「オリジナリティと複製問題」に対する解だと思っているので<br>この構造は「やられた！」感がある。<br><br>理生さんの書いた戯曲を没後１０年経って上演するという<br>企画自体、理生さんの欲望が転移している･･･と言えなくもない。<br>そう、強い意志を持つ言葉は連鎖されるのだ。肉体が滅んだ後も。永久に。<br><br>終盤、残った亡霊たちが、「名前」を与えられることで再生される様は<br>俳優論にも通じるものがある。<br>そう思えば、台詞をきざむ拍子木の音は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の大序で<br>役名を告げられることで息吹を与えられる人形振りの役者のようだ。<br><br>俳優一人ひとりの技術が素晴らしく、隙がない。<br>あえて性的な描写を抑制した演出が、精緻な台本にマッチしている。<br><br>いい芝居を見せていただきました。<br><br>こまばアゴラ劇場にて<br>２７日昼の部まで。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11561380946.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Jun 2013 23:39:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】千賀ゆう子企画公演『ソロ２題』</title>
<description>
<![CDATA[ Ｓシリーズvol.54は木舘愛乃さん初ソロと千賀さんのソロの競作。<br>20日（土）昼の部で木舘さん、夜の部で千賀さんの作品を見た。<br><br>木舘さんの作品は、私的世界を中心に描かれる。<br>独り暮らしの自宅に疲れて帰宅してきた、という設定の幕開き。<br>歩き方、座り方で状況設定がすぐに判るのは<br>器用な演技の持ち味発揮というところ。<br>序盤は比較的まったりと時間が進む。<br><br>ちょい役で登場する清水周介君が愛嬌を生かした演技で好アシスト、<br>芝居が熱を帯び始める。<br><br>俳優自身の経験を淡々と告白する様子が<br>現実と虚構が実は地続きであるというメタ演劇の構図になっている。<br>いつもの千賀企画公演では、手堅い台詞技術のためか<br>虚構を担保するポジションが多く、<br>その印象が「地続き」の効果を生み出していたのかもしれない。<br><br>ともすれば私小説に帰着しかねない設定だが<br>俳優自らが正確性を手放さないことで<br>すれすれで劇化されていて、そこが観るものの心を打つ。<br><br><br><br>千賀さんの作品は、ある女が旅の途中に訪れたカフェで<br>もて余す時間を愛しむという虚構的な世界。<br>そこに私的な思いの断片が顔を覗かせるという<br>ちょうど木舘ソロと逆のアプローチになっている。<br><br>旅行鞄に詰められた書籍、洋服、小物の類のひとつひとつに<br>大切な思いが込められているのが、手つきから伝わってくる。<br>そんなささやかな演技から、人が生きていく時間の重みを感じる。<br><br>この作品でも清水君がちょい役で登場するが<br>小さなキーワードで木舘作品と繋がっていて<br>二つの作品が対象化される面白さを作っている。<br><br>訪れたカフェは最初居心地がよく<br>しかし次第に居場所を失っていき、最後は余儀なく移動させられるが<br>旅を続けるのではなく、トイレに立て篭もるという意外な結末で幕を閉じる。<br>軽やかな抵抗が、小気味いい。<br><br><br>両作品とも入間川正美さんのチェロが優しく支える。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11515865746.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Apr 2013 22:03:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>さよなら、ニュートン</title>
<description>
<![CDATA[ このブログでも何度か感想を書いてきた<br>仙台の劇団ＯＣＴ／ＰＡＳＳの座長、石川裕人さんが昨日亡くなりました。<br>http://gekisaku.oct-pass.com/?day=20121011<br><br>十月劇場の頃から、ニュートン（石川さんの愛称）の作品が大好きで<br>何度も仙台に観に行ってきました。<br><br>ぺーぺーの私にも、観終わったあとに必ず<br>「どうでした？」と感想を聞いてきて、<br>私の拙い言葉にも「うん、うん」と聞いてくれる真摯さと、<br>世の中の矛盾や悪に対して、決して眼を逸らさない<br>ぶれない劇作態度にはいつも頭の下がる思いでした。<br><br>『方丈の海』の千穐楽打ち上げの席で<br>「震災のすぐあとは、とても作品を作ろうっていう状況じゃなかった」と<br>言っていたニュートン。<br>劇作100本を超えて新しいスタートをきったばかりだったのに。<br><br>まだ、さよならを受け入れられずにいます。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11378088081.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Oct 2012 22:27:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】Theatre Group” OCT/PASS”『方丈の海』</title>
<description>
<![CDATA[ 9月8日（土）、仙台10-BOX10周年記念公演Theatre Group” OCT/PASS”『方丈の海』<br>千穐楽を観てきた。<br><br>OCT/PASSにとって昨年夏に宮沢賢治をテキストにしたオムニバス公演『人や銀河や修羅や海胆は』を上演して以来となる、震災以降、新作公演としては最初の作品である。<br>同時代性を大切にする劇作家石川裕人氏だから、想像を絶する大災害も、いつか作品化してくれるときがくるだろう、来てほしいと震災直後から願っていた。それこそが、仙台演劇の真の復活の狼煙であると思っていたから。<br>だから昨年の『人や～』以上に、この作品は「観なくてはいけない」という思いを強くしていた。震災以降、復興に何一つ助力することができなかった自分にとって、せめて観ることだけはしなくてはならないと思っていた。<br><br>物語は、震災の10年後という設定で紡がれる。<br>津波で街を失った「暁浜」に残された映画館は、国家から捨てられた小さな砦だ。映画館主の家族と、船を失った漁師兄妹が希望を失わずに暮らしている。<br>そこへ東京から、震災によって露わになった人間の憎悪を商品化しようとする不動産屋、興行師等がやってくる（興行師の連れてきた半魚人「カイコー」の存在は、被災者差別のメタファーだろう）。<br><br>10年という時間が、途方もなく長く感じたかと思えば、つい数日前の出来事のように描かれる。<br>歳月がもたらすはずの変化を、ぎゅっと凝縮してデフォルメしているかのような時間の流れ方に違和感を覚えるのは、震災から復興しようとする東北に対する「東京者」の自分の歪んだ目線のせいかもしれない（10年の間、流された肉親の骨を探して東北沿岸部を彷徨い続けている「仏壇を背負う男」は、歪みを測る基準点の役割を果たしていている）。<br>石川裕人の戦う姿勢はいつもはっきりしている。戦う相手と自らの立ち位置を明確にする。<br>この作品の敵は国家＝中央＝東京であり、立ち位置は「東北人」である（したがって暁浜在住の役のセリフは、すべて強い東北弁である）。<br><br>きっと今までにない葛藤とともに作られたであろうこの作品は、実に荒削りでストレートだ。きっとこれからも姿を変え、同じテーマでOCT/PASSは作品を作り続けていくことだろう。<br><br>________________________________<br><br>終演後の打ち上げで、多くの方と有意義なお話をすることができました。<br><br>10-BOXの施設長さんは、自分が初めて音響としてホールに乗り込んだ<br>141スタジオで、当時照明小屋付さんとして働いていたとのこと。<br>こうやって再会（？）できた縁を感じました。<br><br>閖上出身で東京で活動されている俳優のＡさん。<br>千賀企画の先行リーディングにも出演されていたＡさんは<br>昨年夏に『人や～』を同じ日に観ていた縁。<br>実家が被災した方が観た芝居の感想を直接聞かせていただけたのは<br>貴重な体験でした。<br><br>OCT/PASSのＯＧ、堀カナンさん。<br>「津波で被害にあった地域、実際に見た方がいいです」と<br>はっきり言われたのは、今まで「見てもどうにもできない」と<br>迷っていた背中を押してくれました。<br>今回残念ながら時間がなくて行けなかったけど、必ず時間を作って<br>行きたいと思います。<br><br>他にもたくさんの方々とお話しできたけど・・・後半はかなり酔っぱらっていて<br>よく覚えていません（汗）<br>ごめんなさい。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11351509792.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Sep 2012 22:34:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】ある女を描いた演劇、２作</title>
<description>
<![CDATA[ 同じ週に、知人の作品が２作上演された。<br><br>金曜日、駒場アゴラ劇場に千賀ゆう子企画「唖女」を観に行く。<br>岸田理生さんの追悼フェスティバルＲＩＯフェス参加作品で<br>1993年に上演された短編のリメイク。<br><br>風に吹かれ、街に座り続ける唖女（千賀ゆう子）…という役名だが、この女、よくしゃべる。<br>卓袱台を背負う男（清水周介）と漬物石を背負う女（木舘愛乃）の<br>日常を眺めながら、定点観測的にしゃべり続ける。<br><br>街に生きる人の姿を見つめ続けることで人生を過ごしていく唖女の姿は<br>決して特殊なものではなく、街に生きる他者との希薄な関わりでしか生きていけない<br>現代人の典型として描かれているのだろう。<br>千賀さんのたっぷりデフォルメを重ねた隙間隙間にリアルを挟み込む演技に凄みを感じる。<br><br>観終わったあと、一人の女の半生につきあったような<br>けだるさと一種の充実感を覚えた。<br><br>だが、初演から20年以上経ち、「街で見続ける」行為で<br>いまの世の中でも人間は見えてくるのだろうか、という疑問を持った。<br>2014年、街を歩く多くの人は手元の液晶画面の中に生きている。<br><br><br><br>土曜日、スタジオＩＷＡＴＯに、みみよりの会「好色一代女」を観に行く。というより聴きに行く。<br>井原西鶴の原作に、若干の補助線を入れているものの（演出・構成・脚色竹内紀子）、ほぼ原文を使った朗読劇。<br><br>一生の間にいったい何人の男と契り合ったのであろう、主人公の女（関根きぬよ）のあけすけな告白が<br>はじめはふしだらに感じるのに、恋を重ねれば重ねるほどピュアに思えてくる。<br>関根さんは円熟の域であろうが、とても可愛らしかった。<br><br>狂言回し役の竹内さんが軽妙。<br><br>楽士の平岩佐和子さんは、一昨年まで20年上演された音楽ユニット「愉快に誘拐」で<br>既知だったが、演劇参加で聴くのは初めて。<br>オープニングの独唱が、一気に気分を江戸時代に引きこんでくれた。<br><br><br>同じ週に、二人のベテラン女優のそれぞれの持ち味を発揮した上質な演劇を味わうことができた。<br>ちなみに、千賀さんと関根さんは以前に二人で語りｖｓ朗読の異種格闘技戦をおこなっている。<br>できることならもう一度聴きたい。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11286128486.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jun 2012 22:33:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】ＤＡ・Ｍ演劇公演『Random Glimpses/でたらめなわけ２』【ネタバレ】</title>
<description>
<![CDATA[ タイトルに"２"と付いてるとおり、2008年以来の再演である。<br>と言っても初演は観ていない。<br><br>芝居は前半、4人の出演者の即興が同時進行で進む。<br>それぞれが自らの欲望や不安を抱えながら<br>表現ではない、相対化した個を舞台に乗せる。<br>お互いに空間と音を共有しながらも、干渉しあうことが一切ない。<br>個人が一面から観察した人間像を平面的に並べていくかのような手法は<br>ストレートプレイが複数の登場人物の視線を手がかりに、人間を複眼的に描くのと<br>まるで逆のアプローチだ。<br><br>中盤、4カ国で撮影された映像を、それぞれが椅子に座って眺め続ける場面で<br>さらに無関係さが強調される。<br>インターネットを通じて、様々な映像を世界中でシェアしていると言いながら、<br>それを見ているお互いは直接関係を持たずにいられる現代の隠喩のようだ。<br><br>だからこそ終盤に、はっきりとはわからない程度に<br>出演者がすれちがいながら微かに微かにお互いに影響を与えあうシーンが印象的だった。<br><br>終演後、演出の大橋さんと話すことができた。<br><br>そもそも即興主体のＤＡ・Ｍだから、再演といっても枠組みだけ同じで<br>中身はまったく異なるのだろう・・・と思って観たのだが、<br>4年前の課題に再び挑むことで新しい発見がたくさんあったとそうだ。<br>その間にこの国では未曾有の災害を体験したのだから<br>価値観も変わったのではないか、と質問したら<br>自分たちはもともとグローバルな視点で作品を作っているから<br>価値観に大きな変化はない、と言う。<br>そういう考え方もあるのだな、と思った反面、<br>やはり自分は近い距離の"揺れ動き"に重きを置いてしまう。<br>でも、それを再確認できるのは、大橋さんのようなスタンスの人がいるから。<br>演劇には、そんな役割もあるのだろう。<br><br>プロトシアター、19日まで。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11196728597.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Mar 2012 21:48:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】千賀ゆう子企画公演『方丈の海～Theatre Group &quot;OCT/PASS&quot;東京先行』</title>
<description>
<![CDATA[ 東日本大震災から1年。<br><br>この公演も、今日、日本中至る所で行われたであろう<br>関連イベントのうちのひとつに数えられるのだろうか。<br><br>その中でひとつ、この公演を選んで観に行った理由は<br>千賀さんの企画公演Ｓシリーズであること以上に<br>仙台のOCT/PASSが今年５～６月頃に上演する作品の<br>先行リーディングであり、作家石川裕人氏が<br>この１年間に何を考えてきて、今何を作ろうとしているのかを<br>知りたかったということが大きい。<br><br>だが、震災はこの作品のテーマであるに過ぎず<br>鎮魂であるとか、復興に向けてすべきことは何かといった<br>押しつけがましさは微塵もない。<br>そこにあるのは、人間の必死さや愚かさや滑稽さや美しさや醜さを<br>愚直に描き、人間と社会を見つめ直すという演劇本来の作業が、<br>いつも通りのニュートン（石川氏の愛称）らしくおこなわれているだけだった。<br><br>あの日、二度と動かないのではないかと思った時計は動いている。<br><br>先行リーディングということもあり、台本のおそらく半分ぐらいで<br>あろうあたりで今日の公演は幕となる。<br>本公演はまだ先、このブログでネタバレをするわけにはいかない。<br><br>OCT/PASSが上演する時には、なんとか都合をつけて観に行こうと思う。<br>震災復興とかなんとかといった感情は抜きに。ただ、魅力的な芝居を求めて。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11189977153.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Mar 2012 21:51:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【感想】龍昇企画ステージド・リーディング公演「バウンティフルへの旅」</title>
<description>
<![CDATA[ ３月４日、千穐楽を新宿ＳＰＡＣＥ雑遊で観てきた。<br><br>５０年代のアメリカ、新都市ヒューストンで息子夫婦と暮らす老女が<br>２０年以上の間、帰ることを夢見てきた<br>かつて住んでいたバウンティフルへ旅する物語。<br><br>千賀ゆう子さんの、こういった気品ある可愛らしい老女役（ミセス・ワッツ）<br>というのは実は珍しいのではないか。あまり記憶がない。<br>それがこの物語に実にうまくはまっている。<br><br>前宣伝では「人間の尊厳を…云々」といったテーマだったが<br>もっと身近な、人が日々生きていくための小さな小さな<br>心の支えとは何か、を思い出させてくれる良作だった。<br><br>リーディング、と言いながら衣装、小道具、照明とすべて<br>ストレートな仕様。この辺りが「ステージド」なのだろうか。<br>本は持たずにそのまま演じればいいじゃん、と思う一方、<br>ヒューストンではロッキングチェアに揺られながら<br>望郷の念にかられ、眠れぬ日々を過ごしていたミセス・ワッツが、<br>旅の途中、バウンティフルまであと少しという所まで来た駅のベンチで<br>体を丸めて眠る姿が切ないシーンの美しさを思うと<br>最小限の身体によるサインを見せるためには<br>あとは「リーディングですから」と処理するこの演出もアリなのかもしれない。<br><br>引き算の演出。いまのデフレの世の中に似合ってるのかも。<br>バブルの頃はひたすら足し算な芝居が多かったし。<br>まさに演劇は、時代を映す鏡。うーむ。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shin-owada/entry-11184247947.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Mar 2012 23:33:57 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
