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<title>しん。のひとりごと。</title>
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<description>19歳大学生。日常で考えていることを残す。</description>
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<title>うずけ！ジャーナリズム</title>
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<![CDATA[ <p>先生が「これ，昨年度の試験の過去問」と，スクリーンに試験問題を映し出した．</p><p>何人かがスマホを構え，シャッター音が教室に響いた．<br>学生のジャーナリズムがうずいている．<br><br>今や，小学校低学年でも自分用のスマホを持っている時代だ．<br>キッズケータイとはわけが違う．<br>そういえば，キッズケータイにはそれにしか見られないデザインがあった．</p><p>触角が生えてる．<br>僕らにとっての「今」はドコモダケのストラップとキッズケータイを首からぶら下げていたはずなのに，あっという間にこれも「過去」になってしまった．<br>スマホを首からぶら下げるのはちょくちょく見るけど，ストラップというより今はケースと本体の間にチェキとか入れちゃう．<br>チェキは，それはそれで僕らにとっては「過去」だったと思うんだけど，いつの間にか「今」に戻ってきていた．<br>チェキだけじゃない．プリクラ，映画のチケット，ポケモンカード，ワンピースのステッカー，紙だったらなんでも入れていいというレギュレーションらしい．<br>僕も時代の波に乗ろうとして，「ビクティニ」のポケモンカードを入れているけど，ケースがすけてないから，ケースを取るまで気づかれることはない．<br><br>上野公園にいたパンダが中国に返還された．<br>パンダファンの皆様がお別れを伝えるところニュースで見た．<br>みんな自分の肉眼に焼き付けることよりもスマホの画面に，のんきに笹を食べる雑食動物を収めることに必死だった．<br>パンダファンのジャーナリズムがうずいている．<br>まあ僕はその人の熱狂具合に反応したテレビマンのジャーナリズムによってこれを知ったわけだけど．<br><br>大学の英語の授業の教室にはちょっと変わった人がたまにいる．<br>僕らが使うひとつ前のコマの授業に出て，教室のスクリーンの裏にある物陰で身をひそめる習性のある人だ．次の授業が始まるまでには出ていくので，特にこちらに不都合はない．<br>スクリーンで腰より上が隠れているが，ちょうどその人の見える位置に座った僕と同じ学部の学生たちがその人に気が付いてざわざわしだす．<br>僕もお手洗いに行こうと教室を横切ったときに，その人がいることに気が付いていた．<br>すると，僕と同じ学部の女の子がその人に向かってスマホを構えた．<br>同級生のジャーナリズムがうずいている．<br><br>僕は，スマホが物理的な攻撃力を大して持たないことは奇跡だと思っている．<br>スマホがあれば，買い物もできるし，知識も手に入る．ゲームもできるし，人とコミュニケーションだってできる．<br>こんなに便利なのに，物理的な武器にはならない．<br>もしスマホが銃だったら，シャッターという引き金を引かれて，大学の先生もパンダも，大学の変わった人もジャーナリズムに殺されていたのかもしれない．<br><br>こんなことを考えてしまうくらいに，僕はシャッター音に違和感を覚えている．<br>芥川賞作家の受賞会見，国際映画祭，汚職した議員の記者会見，一度は容疑者と呼ばれるも釈放された芸能人が出てくる湾岸署の通用口．<br>過剰なシャッター音．撮られている人はだれもこのシャッター音に喜びを感じているように見えない．<br><br>せめて僕くらいは，ジャーナリズムを抑えて暮らそうと思った．</p>
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<link>https://ameblo.jp/shin-walkwalk/entry-12955567687.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Feb 2026 23:14:25 +0900</pubDate>
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<title>「お姫様」「プリンセス」二元論</title>
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<![CDATA[ <p>街を散歩するとき，電車に乗っているとき，僕は時折人を「お姫様」かプリンセスに仕分けている．</p><p>&nbsp;</p><p>老若男女問わず，みんなを「お姫様」か「プリンセス」かに仕分ける．その人を見た瞬間に「あ，この人はお姫様だ」などと思う．</p><p>直感的にそう思うのであって，自分の中でさえ理由を説明しようとはしない．</p><p>僕がこの仕分けをしていることを人に話すと，必ず判断基準を聞かれるが，今言ったように，直感で判断しているから明確な基準はない．</p><p>強いて言うならば，「お姫様」と「プリンセス」という言葉の間にある微妙なニュアンスの違いと，これまでに見てきた人のイメージとを混ぜ合わせたものが判断基準ともいえるかもしれない．</p><p>&nbsp;</p><p>この「判断基準」は偏見に近いかもしれない．</p><p>&nbsp;</p><p>偏見という言葉は否定的な意味で使われがちである．</p><p>でも僕は，偏見という言葉に否定的なニュアンスは持たせなくてもいいと思う．</p><p>&nbsp;</p><p>ナイフに罪があるのではなく，ナイフで人を殺すことが罪であるのと同じように，偏見に罪はなく，偏見を使って人を傷つけることに罪があると思う．</p><p>世の中には，罪のないものに罪を背負わすことが多いと思う．</p><p>嘘も宗教も爆弾も，全部それ自体に罪はない．それによる被害こそが罪だと思う．</p><p>まあ，もっともその危険な面を考慮せずに触ってしまう人がいるのが問題ではあるのだが．</p><p>&nbsp;</p><p>偏見を完全に捨て去ることはできないし，そもそも何が偏見なのかを判断することも難しい．</p><p>偏見を否定する事実がでてきたときに，その偏見が修正できて，偏見だと判明したことは偏見だと自覚できるのであれば，偏見はもはや，「便利な道具」になりかわる．</p><p>&nbsp;</p><p>この「プリンセス」と「お姫様」を仕分ける遊びの楽しいのは，人と一緒にできるところだ．</p><p>街を歩きながら，今すれ違った人が「お姫様」なのか，「プリンセス」なのか，それぞれの答えを共有する．</p><p>&nbsp;</p><p>自分の中にあるどんな偏見がすれ違う人を仕分けたのか，それはわかっていても相手に共有しては面白くない．</p><p>だから，答え合わせのときは，「この人は圧倒的にお姫様」とか「あの人は悩ましいけどちょっとプリンセスだな」くらいの感想戦がちょうどいい．</p><p>&nbsp;</p><p>しばらく仕分けていると相手の仕分け観がわかり始める．</p><p>相手への偏見が増えるといってもよいかもしれない．</p><p>でもそれは悪いことではない．なぜなら，偏見自体に罪はないのだから．</p><p>一致したときは空気がよくなり，ずれたときは「なるほどな」と思えて，それが楽しい．</p><p>&nbsp;</p><p>仕分けていても，迷うことこそあるが，「完全にどちらでもない人」に出会うことはない．</p><p>僕の目から見ると人々は「お姫様」か「プリンセス」のどちらかに振り分けられてしまう．</p><p>&nbsp;</p><p>そう考えると，「お姫様」と「プリンセス」は対立関係にあるのだと思う．</p><p>「お姫様」と「プリンセス」というよく似た言葉の間にある壁に，自分の言語感覚や，人を見るときの癖が詰まっている気がする．</p><p>&nbsp;</p><p>この遊びはさらに深いところが存在する．</p><p>仕分けて終わりではなく，そのあとにさらに言葉を足していくのだ．</p><p>&nbsp;</p><p>街行くサラリーマンを見て，「彼は江戸時代のお姫様だな」とか，自転車に乗ったヤンチャな少年を見て，「まるでディズニープリンセスのようだ」とか，そういう風にディテールを足してみる．</p><p>&nbsp;</p><p>こうすると，今まで「お姫様」や「プリンセス」という箱に入れるだけだった人たちに質感が生まれて，町が少しだけ立体的に見えるような気がする．</p><p>&nbsp;</p><p>この遊びをしていると，人を仕分けているはずなのに，だんだん自分が仕分けられているような感覚に陥る．</p><p>仕分けた結果に僕の価値観が反映されて，人類を仕分けきったら，仕分けた結果と自分の価値観そのものが完全に重なるような気がする．</p><p>&nbsp;</p><p>今度暇なときに，やってみるといいと思う．</p><p>誰かと共有しなくたっていいし，正解があるわけでもない．</p><p>自分の直感を大事にして，人を見る時間も悪くないと思う．</p><p>&nbsp;</p><p>あ，あそこにいるのは「プリンセス」だな．</p>
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<link>https://ameblo.jp/shin-walkwalk/entry-12925765138.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 19:38:45 +0900</pubDate>
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<title>自動水洗トイレは敵</title>
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<![CDATA[ <p>※タイトルの通りトイレに関するお話なのでご閲読の際はご注意ください。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はお腹が弱いので，公衆トイレにお世話になることが多い．</p><p>駅の中，その周辺，散歩で通りかかった公園，沢山の公衆トイレを使ってきた．</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中で「自動水洗トイレ」によく出会う．</p><p>センサーに手をかざすだけで流れるものとか，便座から離れたことを感知して流れるものもある．</p><p>&nbsp;</p><p>僕はボタンを押したり，レバーを引いたりしてトイレを流したい．</p><p>大学のトイレの壁に取り付けられた、「大」と「小」と書かれたボタンが2つだけあるデバイスに愛着まで湧いてきて，持って帰って定期的にポチポチしたいほどだ．</p><p>ちょっと昔のトイレにある長いジョイスティックのような金属製の棒も好きで，ドアノブをこれと取り替えるのだっていい．</p><p>&nbsp;</p><p>反対に，僕は自動水洗トイレが好きではない．</p><p>理由は単純．</p><p>勝手に流れてしまうからだ．</p><p>&nbsp;</p><p>僕の拭く時の姿勢が人より高くて便器から立ち上がったと判断されているのかもしれないし，左利きが邪魔してセンサーを起動させている可能性だってある．</p><p>もっと言えば，流れないパターンがないようにセンサーを敏感にするという，メーカー側の思惑だってあるかもしれない．</p><p>&nbsp;</p><p>勝手に流れてしまうのはなかなかストレスだ．</p><p>何度も流すと罪悪感を覚えるし，外で順番待ちをしている人に流す音が聞こえたら，「ここが空きますよ」と期待させてしまうかもしれないと思う．</p><p>&nbsp;</p><p>自分の思い描いたタイミングでだけ流すにはやはりボタンを押したり，レバーを引いたりしなければならないと思う．</p><p>&nbsp;</p><p>でも，ノータッチで流れるのは衛生的だとも思う．</p><p>日本の公衆衛生の発展において，「勝手に流れる」は「ウォシュレットがついている」と同程度の貢献をしているようにも思える．</p><p>&nbsp;</p><p>だから，僕が自動水洗トイレに迎合すればいい．</p><p>センサーをよけるテクニックを身に付けて，勘違いされないようにミッションをコンプリートすればよいのだ．</p><p>&nbsp;</p><p>僕が心置きなくトイレするために，僕は自動水洗トイレと闘い続けることになる．</p><p>&nbsp;</p><p>その意味で，しばらくは自動水洗トイレは敵だ．</p>
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<link>https://ameblo.jp/shin-walkwalk/entry-12925314313.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 19:38:00 +0900</pubDate>
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<title>1日は山手線内回り</title>
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<![CDATA[ <p>僕は大学生としてふわふわ暮らしながら、散歩で東京の街を、その場所の人の営みを眺めて、1日はさながら山手線内回りのようだと思った。</p><p><br></p><p>朝起きて、大崎を出発する。</p><p><br></p><p>品川</p><p>高輪ゲートウェイ</p><p>田町</p><p>浜松町</p><p>新橋</p><p>有楽町</p><p>東京</p><p><br></p><p>日が昇って目が覚めて、活動を始める。人々を古来のリズムに強制的に共鳴させる装置、それが社会。社会がないと午前中なんてダラダラしてたら終わってしまうのだから。</p><p><br></p><p>すれ違う人はみんなフォーマルな格好。</p><p>背丈が高いオフィスビルにみんなが吸い込まれていく。ジェンガに見える。1本くらい抜き取っても社会は崩れないんじゃない？</p><p>自分がその1本にもなっていないことを思い出して、これ以上考えるのをやめた。</p><p><br></p><p>神田</p><p><br></p><p>ここでお昼ご飯。</p><p>昼休みのサラリーマンたちがいる。神保町でカレーを食べている。見たところ50代と30代。会社での人付き合いかなと思う。30代の人は楽しいのだろうか。半ば無理やり連れて行かれてるのではないか。散歩で通りがかっただけの僕には分からない。50代と30代、どちらの立場になりたくないと思った一方、今どちらでもないことがモラトリアムなのかと思った。</p><p><br></p><p>秋葉原</p><p>御徒町</p><p>上野</p><p>鶯谷</p><p>日暮里</p><p>西日暮里</p><p>田端</p><p>駒込</p><p>巣鴨</p><p>大塚</p><p><br></p><p>住宅地も増えてきて、生活が香ってくる。住んだことないけど、どこか懐かしさがある。田端‐駒込間にある山手線唯一の踏切が、仕事乃至学校と生活とを結ぶ扉になっているような気がする。</p><p><br></p><p>小学校の登下校は下校が思い出として力を持ちすぎている気がする。</p><p>登校中は死んでるスズメを見つけるくらい。でも下校のときはこのあと遊ぶ約束、やってるゲームの話、誰が作ってどう伝わったかもわからないけど皆知ってる替え歌。</p><p><br></p><p>日の落ちかけた住宅地で、グリーンベルトから、マンションの前の整備されたきれいな道に乗り移る。散歩している自分にとって、「行き道」でも「帰り道」でもないはずだけど、ここははっきり「帰り道」だと思う。</p><p><br></p><p>池袋</p><p>目白</p><p>高田馬場</p><p>新大久保</p><p>新宿</p><p>代々木</p><p>原宿</p><p>渋谷</p><p>恵比寿</p><p>目黒</p><p>五反田</p><p><br></p><p>買い物でも食事でも、仕事や学校から解放されたのなら好きなようにすればいい。山手線の西側はそれを受け入れてくれる。カルチャーに溢れる反面、このあたりにはたしかに生活がある。新大久保の日本人が一人も見当たらない裏路地や、渋谷のいけ好かないマンション、目黒の黒い高級車が停められたでっかい一軒家、数え切れないほどあるボロアパート、戦後すぐからやってそうなお米屋さん、生活が全部ある。</p><p>興味のないカルチャーな店には入らないし、1人だから賑やかな飲食店に入ることもない。</p><p>日が暮れきって、どこにも馴染めていない自分に気がつく。</p><p>結局僕は、新宿のヨドバシカメラでフラフラするだけ。</p><p><br></p><p>五反田から大崎なんて電車使わずに歩けよと思うほど近いのと同じで、寝てしまえば朝なんてすぐに来る。</p>
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<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 19:34:48 +0900</pubDate>
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