<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>闘牛と錦鯉の伝統文化</title>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/shinoda-yasuhiro/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>江戸時代における二十村郷の文化</title>
<description>
<![CDATA[ <p>江戸時代の初めに、新潟県長岡市山古志地域を中心とした地域に越後二十村郷という地域が確認されている。</p><p>もちろん、江戸時代の初めに越後二十村郷ができたわけではなく、村の伝説によると平安時代より以前から村があったと言われている。</p><p>この地域は、山間の田に稲作を生活の中心として、また山間の畑に野菜を植えて生活していた。</p><p>この地域に、鯉と牛という動物が深く関わってきた、動物とともに生活する文化であった。</p><p>牛は、もともと稲作のため棚田の耕作に使役してきました。</p><p>また荷物の運搬に使役してきました。</p><p>また山間の棚田の、稲作の用水の確保のため野池を作り、灌漑用水としていた。</p><p>その野池、棚田に、食用に、鯉を飼い、冬場の越冬のための食材としていた。</p><p>鯉は、雑食性であり、野池や棚田の雑草や藻や、昆虫などの小動物も食べる。</p><p>そのため野池だけでなく、田の除草のために棚田にも放されていた。</p><p>とりたてて、餌をくれなくても、雑草などを食べるため飼育が容易である。</p><p>また餌を十分にやり、栄養が十分であれば、生涯成長して、大きくなる性質があり、食材としても、非常に優秀であった。</p><p>また鯉は、大変に栄養豊富であり、昭和の３０年代までは、産後の女性の栄養食として、また病人のための栄養食としても食べられていた。</p><p>冬場の二十村郷の地域に、食材のない時に栄養豊富な、美味しい鯉が地域の食材として選ばれていたことは、地域の先人の知恵によるものである。</p><p>私の子供の頃、50年ほど前は、鯉、錦鯉はご馳走であり、秋の鯉上げのシーズンともなれば、鯉のから揚げ、鯉のつくだ煮にして、楽しみにして食べていた、山間地域で、生の魚など食べられなかった時代に、栄養豊富で美味しい鯉を子供の頃から食べさせて頂いたことに、二十村郷の先人に感謝しなければならない。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/11/shinoda-yasuhiro/b8/11/j/o0480064015772280448.jpg"><img alt="" height="640" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/11/shinoda-yasuhiro/b8/11/j/o0480064015772280448.jpg" width="480"></a></p><p>このように、牛と鯉は、二十村郷の地域の生活のために、必要不可欠な、動物であっが、</p><p>二十村郷の地域の先人は、この動物を、可愛がり娯楽のレクリエーションとしても楽しんでいた。</p><p>牡牛は、牡牛同士で、角を突き合わせ、力比べをする習性があります。</p><p>それを.二十村郷の地域の先人たちは、地域の行事として娯楽として楽しんでいた。</p><p>牛の角突きの伝統行事であります。</p><p>　千年の歴史があると、二十村郷の地域の人々に言われてきたように、古来より行われてきたものと思われます。</p><p>闘牛の起源の示す文献として、中国の史記、前漢書があげられます　、</p><p>前漢書によると、西暦紀元前1世紀頃の前漢の皇帝武帝が、闘牛を好んだという記述があります。</p><p>中国東北部の少数民族、（中国は中華思想の国であり、蛮族と呼ぶ）の習俗として、牛を角突き合わせて楽しむ闘牛の習俗があった。中国では、角であらそうと書いて角ていと呼んでいた。</p><p>その角ていの習俗が少数異民族のあいだで行なわれていた。</p><p>それが紀元四世紀から五世紀頃、稲作文化の日本への伝来により、稲作とともに牛が伝わり闘牛も日本に伝わったものであろうと考えられる。</p><p>現代において闘牛の行われている地域が壱岐、沖ノ島、宇和島、徳之島、沖縄と、大陸、中国、朝鮮からの通路になっていた地域である事もその証拠である。</p><p>日本の闘牛の文献は、承久3年、12世紀頃、隠岐・中之島で後鳥羽上皇が闘牛を好んで見たという文献があります。</p><p>二十村郷の地域は、この闘牛の習俗を千年以上にもわたり、守り伝えてきたものであります。</p><p>二十村郷の地域には、動物を可愛がり、動物と親しむ習俗が育まれてきたものと思われる</p><p>それは、二十村郷の地域は冬場は4ｍ、5ｍも積雪ある豪雪地であり、気温も零下10度、20度となる寒冷地である。</p><p>そのため牛は主人の家の中で飼われ、主人と共に生活する家族同様であった。</p><p>現在の闘牛場は3か所であるが、闘牛場跡が数か所あり、江戸時代には、二十村郷の地域の各村々に闘牛場があったと思われる。</p><p>江戸時代の闘牛を伝える文献に、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」がある。</p><p>南総里見八犬伝の出版された1820年頃には二十村郷の地域には500頭の牛がいて、3日間にわたり、闘牛が行われていたと、当時の隆盛を伝えている。</p><p>闘牛は、田植えの後、お盆、稲刈りの後の農閑期に行われた。</p><p>闘牛は、しこ名を、主人の屋号で呼び、家を代表して闘った。</p><p>闘牛の前日ともなれば、主人は牛に美味しいご馳走を食べさせ、びんずけ油で毛並みまで整えた。</p><p>家に横綱牛が出たともなれば、家の誇りであり、主人の名誉となった。</p><p>主人も牛を可愛がり、牛も主人のために、一生懸命に闘う、そういう主人と牛との心の交流の文化であった。</p><p>そこには、使役動物と人間といった関係を離れ動物と人間とが心を合わせる文化が長年にわたって築かれていった。</p><p>牛と人は闘牛を離れて日常生活においても一体であり、心を合わせて農耕に、荷役運搬の作業をする同じ仲間であったと思われる。</p><p>仏教文化の影響の強い江戸時代なので詳しくは伝えられていないが、また牛は食材でもあり、牛を食べていたと考えられる。</p><p>牛の食文化のある二十村郷の地域から、明治以降、東京においても食肉事業者として、人材を多く出しています。</p><p>そのように牛は食材であり、使役動物であり、労働の仲間であり、家族同様であり、村という共同体の一員であるといった、牛と人間とは多面的な豊かな関係を築いている。</p><p>そういうことは、現代にない関係であるが、牛を生きものとして人間の用途にかかわらず尊重する社会と考える。</p><p>牛を牛そのものとして可愛がる、という先人の知恵であると思います。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/11/shinoda-yasuhiro/3e/f6/j/o0640042715772281184.jpg"><img alt="" height="427" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/11/shinoda-yasuhiro/3e/f6/j/o0640042715772281184.jpg" width="640"></a></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12963272166.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 11:35:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>地方の再生について</title>
<description>
<![CDATA[ <p>一、問題点　</p><p>私は、地方再生の問題を解決したいという気持を持っています。</p><p>小子化、過疎化により、長岡市、山古志地域などの中山間地の里山が崩壊し、熊、いのししなど野生動物が生活を脅かすようになり、中山間地の里山に人が住めなくなる状況になりつつあります。</p><p>10年後には、人口が半減し里山には人が住めなくなります。</p><p>中山間地の里山を残し保全する事は、長岡の市街地を残す事です。</p><p>里山が荒れることにより、市街地での鳥獣被害や水害などの自然災害が加速する。</p><p>　また、少子高齢化により、年金、社会保険などの社会保障の制度が危うくなってきています。</p><p>働き手の若者が減り、小数で高畿者を支えなければならなくなっています。</p><p>　この制度を維持するには若者たちの同意を得なければなりません、この制度は若者一人でたくさんの高齢者を支えなくてはならなくなっています。</p><p>　若者たちの同意を得なければ、この制度は崩壊します。</p><p>制 度を維持するためには、若者たちにも、同意頂ける改革が必要です私たち高齢者の生活を守るためにも、重大な問題です。</p><p>　また私たちの年金などの社会保障を守るために作った１千兆円もの借年（国債）も次の世代に返済して頂けるか、返済して頂けないなければ、国家破産となります。日本の国債は日本人が保有しているから大丈夫だとの声も聞きますが、政府が償還できない、デフォルトと宣言するなら、日本人の誰も購入し保有するものはいません、同じことです。</p><p>　この問題も自分たちの生活に重大な影響を与えます。</p><p>自分たちの世代が作った問題なら次の世代に丸投げして何とかしてくれとは言えないと思います。</p><p>　このような大問題を解決し自分たちの生活を守り、先祖から受けつぎ守ってきて頂いたこの地域の生活を守り次の世代に伝えていく責務が、私たちの世代にあると思います。</p><p>　二十万年前にアフリカで誕生した人類が六万年前にアフリカを出発して三万年前に日本に到達しました。</p><p>山古志地域には、縄文時代の遺跡があります。</p><p>また長岡市にも縄文時代の馬高遺跡があります。</p><p>　日本に到達した御先祖様は１万年以上前からこの地を住居と定め、我々子孫に伝えて頂きました。</p><p>二、懸念点</p><p>⑴民主主義について、</p><p>日本は民主主義だから大丈夫だとの声が聞こえます。</p><p>しかし、民主主義は、たいへん難しい制度であると思っています。</p><p>　民主主義の問題点を言う場合、古代ギリシヤの</p><p>ソクラテスが参考になると思います。</p><p>　古代ギリシヤの都市国家アテネは、ぺリクレスの時代にペルシャとの戦争でペルシャに勝利して最盛期を迎えたが、ソクラテスの晩年には、紀元前４３１年のペルポネソス戦争でスパルタとの戦いに敗れ衰退期を迎えていました。</p><p>　ソクラテスは、アテネの市民である事に自信と誇りを持っていました。</p><p>若い時にはペルシャ戦争にも従軍しました。</p><p>アテネの民主制はいい政治制度だと思っていました。</p><p>そのソクラテスは何が不満で、真、善、美などと言い.アテネ市民は誰も知らないなどと言ったのか。</p><p>　ソクラテスは民主主義の問題点を主張して死刑になりました。</p><p>問題点の一つは、民主主義は利害の調整能力が限定的である事です。</p><p>　利害が対立する場合には多数決によって調整しますが、多数の意見の必ずしも正しいとは限らない、正しい理念でもって利害を調整しなければ、政治が誤った方向に行ってしまう。</p><p>またどうしても多数者の利益のための政治になってしまうので、いわゆる衆愚政治になってしまいます。</p><p>　ソクラテスは政治は高い理念に基づいて利害を調整しなければならないと主張しました。</p><p>　今の日本も若者は極めて少数で、若者の意見を代表する政党はなく、どうしても高齢者の意見が通り、年金だとか、高齢者福祉だとか高齢者の利害が重点になってしまう。</p><p>　そこが問題です。</p><p>&nbsp;</p><p>⑵資本主義について。</p><p>　共産主義は間違っていた、資本主義が正しい、資本主義なら大丈夫だとの声が聞こえます。</p><p>しかし資本主義の負の側面、アメリカの産軍複合体経済と言われているように、戦争がなければ経済が回らなくなっています。</p><p>　理由などどうでもいい無慈悲な戦争をくり返さなければならない。</p><p>それを貧困な若者に担わさせているのが今のアメリカ社会ですが、今の日本の若者が、理由のない、不条理で無慈悲な戦いができるとは思えません。</p><p>　また１０％の人が９０％以上の富を有している格差社会で、資本主義の利益が、一部の富有者層に集中しています。</p><p>　また無用の貧困と競争を若者は強いられて、若者がたいへんなストレス状態になっています。</p><p>　何より利益を生む産業が地方に無く、経済的利益の少ない地方の過疎地の再生に、資本主義的方法がどう役だつのか大変疑問であります。</p><p>　資本主義的方法であるなら地方がまず見捨てられて、利益を生む産業のある都市に集中してしまうと思います。</p><p>三、解決の方法</p><p>互尊独尊について</p><p>　今の社会の問題を解決するのは、</p><p>野本恭八郎先生の互尊独尊の社会を実現すれば良いとおもいます。</p><p>そのためには科学と人の幸せを目的にする宗教がお互いに協力し合って互尊独尊の社会を作り上げる事が大切だと思います。</p><p>　宗教と科学は本来対立するものではないと思います。</p><p>　よく宗教は非合理的あると言われますが、非合理的なものだけが、信仰の対象では有りません。</p><p>　科学の知見を否定する宗教は迷信であり、合理的に目的を果す事はできません。</p><p>信教の自由と言いますが、科学はもっと、社会科学の知見を含めもっと社会に主張し、その知見を信仰に対しても活かすべきです。</p><p>　また、宗教に反する科学は、方向を失った暴走におちいります。</p><p>　宗教的倫理のない科学は、原子爆弾などの兵器を作り、人類に悲惨な被害をもたらし、人類の生存さえも脅かしています。</p><p>　世界で唯一の被爆国の日本は、核兵器の悲惨な被害をもっと発信していかなければならないと思っています。</p><p>　宗教的倫理のない科学は舵のない船のようなものになります。</p><p>　互尊独尊の社会となれば、宗教と科学はお互い協力して、人を利益し、仏教で言う妙法の社会となり人々を幸せにする社会になります。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12962245578.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Apr 2026 12:26:35 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>闘牛場跡地見学</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　かつて二十村郷の各村々に闘牛場がありました。今は使われていないものです、中越地震で被災して壊れてしまったものもあります塩谷闘牛場跡です。観光闘牛場として整備したが、いまはもう使われなくなったもの。虫亀闘牛場趾です、今は使われていないが、時々使われるもの、種芋原闘牛場です、江戸時代の闘牛が盛んだった時代に、５００頭の牛が3日間も闘牛会をやったという伝説の闘牛場、千足闘牛場跡です、今はもうその場所さえはっきりしていません、闘牛場跡見学の目的は、千年もの歴史のある闘牛の歴史を現地の闘牛場跡に行き身体で触れて肌で感じてみる事です。</p><p>この地域に千年もの間人が住み続け、生き、死にを繰り返しながら牛と共に生活し、闘牛の伝統文化を作り上げ守り続けてきました。</p><p>この草深い土地は牛にとって大変なご馳走だったのではないかと思います。</p><p>中山間地の、山の中が牛にとって平地よりずっと活動しやすい場所であったと思います。</p><p>　今開催されている闘牛会は、千年の歴史を背負っています。</p><p>この狭い二十村郷の土地に５００頭の牛がいたのはどんな風景だったでしょうか。</p><p>人と牛の作る稲作はどんなだったでしょうか。なぜ平地の土地ではなく、この中山間の山地に人と牛の文化が生まれ、守り続けられてきたのでしょうか。</p><p>との思いを目で見て耳で聴き肌で感じて頂きたいと思います。</p><p>いろいろな条件が組み合わされて、この特異な文化が生まれてきました。</p><p>その条件の一つ一つを思い至ると、この風景の中でかつてこの二十村郷で生活した先人の思いがこの二十村の闘牛場跡の風景を通して伝わってきます。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12613493135.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Jul 2020 12:09:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>闘牛について</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-size:11.0pt">闘牛の伝統文化は、新潟県長岡市山古志地域を含む江戸時代に越後二十村郷地域に1000年から続く伝統文化です。現代の機械化されてパッケージ化された文化と全く違います。日本古来の中山間農村の生活から生れた伝統文化であり現代と全く異なる価値観を持ち、独自の文化を作り上げてきました。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">その伝統文化の闘牛の素晴らしさは、江戸時代の文豪、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」により、越後二十村郷の勇壮な奇習として伝えられています。その他に例を見ない勇壮な伝統文化として人気を集めました。闘牛牛を江戸まで連れていき江戸興行も行ったとのことです。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">闘牛の勇壮な伝統文化の根底に人と牛との信頼関係のある強い繋がりがこの文化を生み出したものと考えます。それは、この地域において牛と関わる生活が生み出したものであり、二十村郷の先人の牛に対する強い愛情が生み出したと思います。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">かつて二十村郷では、<span lang="EN-US">3</span>メートルも積雪のある豪雪地帯であり、冬は零下<span lang="EN-US">10</span>℃にもなる寒冷地だったため、牛舎ではなく自宅の家で家族同様に飼っていました。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">牛を自分の息子のように可愛がり主人の家で共に生活する、その愛情に応えて牛も、闘牛の時には主人のために、精一杯闘う、主人も強い横綱牛を家の名誉と思い誇りに思う。そういう村の伝統文化が牛と人との強い信頼関係のある繋がりを生み出したものと思います。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">牛と人との強い信頼関係は、牛のオーナーになり牛の飼育をし、オーナーとして、伝統文化の闘牛会に勢子として参加することにより疑似体験できると思います。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">それには多額の資金と飼育の時間がかかります。</span></p><p><span style="font-size:11.0pt">そこでクラウドファンディングで資金調達して、参加して頂いた方に、牛の飼育、闘牛会参加体験をして頂く、牛との触れ合い体験をして頂くことを企画いたします。</span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12592715454.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Apr 2020 09:56:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>1.闘牛と錦鯉の伝統文化の楽しみ方について</title>
<description>
<![CDATA[ <p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">今皆様は何を喜ばれるでしょうか。闘牛が迫力のある勇壮な格闘ということで人気のあったのは江戸時代から敗戦前までのことと思います。第<span lang="EN-US">2</span>次大戦の敗戦後、戦争の悲惨な記憶から闘いはいやだと平和に仲良くすることが、人々の願いになっています。</span></p><p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">また、映像技術の発展のため、迫力のある映像はテレビでも映画でも漫画でもいっぱい溢れています、人々はそれに慣れてしまっています。闘牛にそのような迫力のある格闘を強いるなら、残酷な動物虐待につながりかれないと思います、格闘の迫力のある勇壮なシーンにこだわることなく、勝ち負けの勝負にこだわることなく、越後二十村郷の古来より続く伝統文化の持っている、本来の農耕文化の中で動物を可愛がり親しむ動物と人間の関わり合いが、現代の人々のニーズではないかと思います。</span></p><p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">闘牛は平和な中山間農村の牛を可愛がり触れ合う文化です。</span></p><p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">錦鯉も江戸時代にこの越後二十村郷の地域で改良により生まれた観賞魚ですが、人と鯉の、可愛がり触れ合う人々の生活の中から江戸時代に錦鯉は生まれました。</span></p><p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">錦鯉は、江戸時代より、富裕層の方々に愛好されてきたため、富裕層の方々をもてなす、もてなしの文化を育んで来ました。</span></p><p align="left" style="margin-left:18.0pt;mso-para-margin-left:0gd;text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">越後二十村郷の中山間農村の素晴らしい風景と、牛と鯉と触れ合い可愛いがる文化、人々と触れ合いもてなす地域の方々との触れ合いを喜んで頂けると思います。</span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12591260447.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Apr 2020 11:57:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>闘牛と錦鯉の伝統文化の話2</title>
<description>
<![CDATA[ <p align="left" style="text-align:left">私の子供の頃、<span lang="EN-US">50</span>年ほど前は、鯉、錦鯉はご馳走であり、秋の鯉上げのシーズンともなれば、鯉のから揚げ、鯉のつくだ煮にして、楽しみにして食べていた、山間地域で、生の魚など食べられなかった時代に、栄養豊富で美味しい鯉を子供の頃から食べさせて頂いたことに、二十村郷の先人に感謝しなければならない。</p><p align="left" style="text-align:left">&nbsp;</p><p align="left" style="text-align:left;text-indent:10.5pt;mso-char-indent-count:1.0"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;color:black;mso-themecolor:text1">このように、牛と鯉は、二十村郷の地域の生活のために、必要不可欠な、動物であっが、</span></p><p align="left" style="text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;color:black;mso-themecolor:text1">二十村郷の地域の先人は、この動物を、可愛がり娯楽のレクリエーションとしても楽しんでいた。</span></p><p align="left" style="text-align:left">&nbsp;</p><p align="left" style="text-align:left;text-indent:10.5pt;mso-char-indent-count:1.0"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;color:black;mso-themecolor:text1">牡牛は、牡牛同士で、角を突き合わせ、力比べをする習性があります。</span></p><p align="left" style="text-align:left;text-indent:10.5pt;mso-char-indent-count:1.0"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;color:black;mso-themecolor:text1">それを<span lang="EN-US">.</span>二十村郷の地域の先人たちは、地域の行事として娯楽として楽しんでいた。</span></p><p align="left" style="text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;color:black;mso-themecolor:text1">牛の角突きの伝統行事であります。</span></p><p align="left" style="text-align:left">&nbsp;</p><p align="left" style="text-align:left"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt">　</span><span style="color:#000000;"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;mso-bidi-font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;">千年の歴史があると、二十村郷の地域の人々に言われてきたように、古来より行われてきたものと思われます。</span></span></p><p align="left" style="text-align:left">&nbsp;</p><p align="left" style="text-align:left"><span style="color:#000000;"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;mso-bidi-font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;">闘牛の起源の示す文献として、中国の史記、前漢書があげられます　、</span></span></p><p align="left" style="text-align:left"><span style="color:#000000;"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;mso-bidi-font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;">前漢書によると、西暦紀元前<span lang="EN-US">1</span>世紀頃の前漢の皇帝武帝が、闘牛を好んだという記述があります。</span></span></p><p align="left" style="text-align:left">&nbsp;</p><p align="left" style="text-align:left;text-indent:10.5pt;mso-char-indent-count:1.0"><span style="color:#000000;"><span style="mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;mso-bidi-font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;">中国東北部の少数民族、（中国は中華思想の国であり、蛮族と呼ぶ）の習俗として、牛を角突き合わせて楽しむ闘牛の習俗があった。中国では、角であらそうと書いて角ていと呼んでいた。</span></span></p><p><span style="color:#000000;"><span style="font-size:10.5pt;font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;mso-bidi-font-family:&quot;ＭＳ 明朝&quot;;mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA">その角ていの習俗が少数異民族のあいだで行なわれていた。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191213/13/shinoda-yasuhiro/76/19/j/o1024076814672800622.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191213/13/shinoda-yasuhiro/76/19/j/o1024076814672800622.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12557397814.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Dec 2019 13:28:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>二十村の闘牛と錦鯉の伝統文化について</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　</p><p>　山古志地域旧名二十村の闘牛と錦鯉の伝統文化、伝統産業は、長岡市にとっても、新潟県にとっても、素晴らしい文化遺産であり、観光資源でもあります。</p><p>　それがこれまでの経緯から、正しく広報されてこなかった。</p><p>　観光としても、それが大きな、マイナスとなっていると思います。</p><p>　<a name="_Hlk493102740">山古志の</a><a name="_Hlk493102969">闘牛と錦鯉の伝統文化</a>と広報されてきたと思いますが、山古志地域は二十村の一部分であり、山古志の闘牛と錦鯉と言うと正確ではなく、誤解を招くと思います。</p><p>二十村の闘牛と錦鯉の伝統文化と言ったほうが正確だと思います。</p><p>　長岡市と、小千谷市と闘牛と錦鯉の伝統文化が２地域あるように誤解をうけてしまうのではないかと思います。</p><p>　かつて、長岡市と、小千谷市に隣接した地域に、越後の国古志郡二十村があり、千年前より闘牛の伝統文化があり、五百年前より錦鯉の伝統文化がありました。</p><p>　江戸時代は、幕府の直轄地でありました</p><p>　昭和２７年旧二十村の一部東山地域が小千谷市に合併しました。平成一六年山古志村が長岡市と合併しました。</p><p>合併後も、旧二十村地域では、闘牛と錦鯉の伝統文化を守っています。</p><p>　長岡市として、二十村の一部分の山古志地域の、闘牛と錦鯉の伝統文化を応援するのではなく、全体としての、旧二十村の闘牛と錦鯉の伝統文化を応援するのが、理にかなっているのではないかと思います。</p><p>　これは、錦鯉の世界遺産登録プロジェクトとして、小千谷市と協力して進めていると同じように、応援し広報したほうが良いと思います。</p><p>錦鯉は、長岡市、小千谷市の市の魚ですし、新潟県の魚になりました。</p><p>　また長岡市のプロジェクトとして、小千谷市と協力して、錦鯉の世界遺産登録プロジェクトを推進しているところです。</p><p>　世界遺産は、農業遺産として、錦鯉の文化的価値を素晴らしい価値あるものとして、登録するもので、これは、錦鯉の鑑賞魚としての価値、美しさ、また観光としての価値ではありません。</p><p>これは、二十村の闘牛と錦鯉の伝統文化を、</p><p>価値あるものとして、市民の方々に紹介して楽しんでいただくという、私たちの闘牛と錦鯉の伝統文化を楽しむ会の目的と一致しています。</p><p>　この活動を、盛り上げて広く市民の方々に認めていただく、活動こそ、世界遺産登録に必要だと思います。</p><p>　文化は歌舞伎を例にとるまでもなく、市民の活動の中から生まれ、江戸時代ですから役人に認められて発展していきます。</p><p>　市民の活動を応援する行政の役割も必要だし、市民の活動に協力して、応援して頂きたいと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171008/13/shinoda-yasuhiro/bb/26/j/o0426064014044192123.jpg"><img alt="" height="631" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171008/13/shinoda-yasuhiro/bb/26/j/o0426064014044192123.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12317729144.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Oct 2017 14:00:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アメブロ、はじめました！</title>
<description>
<![CDATA[ <h3 style="text-align:left"><img alt="まじかるクラウン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/472.png" width="24">&nbsp;Q1.ニックネームは？</h3><p style="text-align:left">やす</p><h3 style="text-align:left"><img alt="ラブ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/026.png" width="24">&nbsp;Q2.最近のマイブームは？</h3><p style="text-align:left">闘牛と錦鯉の伝統文化を楽しむ会</p><h3 style="text-align:left"><img alt="バナナ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/248.png" width="24">&nbsp;Q1.好きな食べ物は？</h3><p style="text-align:left">夏みかん</p><p style="text-align:left">&nbsp;</p><p style="text-align:left">&nbsp;</p><p style="text-align:left"><img alt="熊しっぽ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/209.png" width="24"><img alt="熊からだ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/210.png" width="24"><img alt="熊からだ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/210.png" width="24"><img alt="熊あたま" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/211.png" width="24"><img alt="クマムシくん" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/201.png" width="24"><img alt="音符" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/143.png" width="24"></p><p style="text-align:left">新潟県長岡市山古志地域旧名二十村の伝統文化</p><p style="text-align:left">闘牛と錦鯉の伝統文化を楽しむ会を開催しています。</p><p style="text-align:left">闘牛見学会、二十村の伝統文化講演会、闘牛と錦鯉の伝統文化写真展を開催して</p><p style="text-align:left">います。</p><p style="text-align:left">&nbsp;</p><p style="text-align:left"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171008/13/shinoda-yasuhiro/8a/cb/p/o1920108014044165007.png"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171008/13/shinoda-yasuhiro/8a/cb/p/o1920108014044165007.png" width="420"></a></p><p style="text-align:left">&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shinoda-yasuhiro/entry-12317717365.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Oct 2017 13:05:36 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
