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<title>団塊ソングスのブログ</title>
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<title>団塊SONGS／221「青春時代」</title>
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<![CDATA[ <div><div><div><div><div>　　青春時代（一九七六年）</div><div>&nbsp;</div><div>　作曲家として有名な森田公一がトップギャランを率いて歌って、ミリオンセラーを記録した楽曲である。この楽曲を歌っていた森田公一は、まだ歌手だった。作曲家としてすでに名を馳せ、その森田がヒット曲を飛ばした、と記憶していたが、順序は逆だった。そのデビューは一九六九年だった。ミリオンセラーになったのは、一九七七年だったから、デビュー後九年を経過していた。<br>　作詞は売れっ子の阿久悠で、青春時代のちょっぴりほろ苦い哀感を込めて綴っている。歌詞を見てみよう。「青春時代が夢なんて／あとからほのぼの思うもの／青春時代のまん中は／道にまよっているばかり」と一番にある。二番の最後は「青春時代のまん中は／胸にとげさすことばかり」である。<br>　決して明るい歌ではなく、阿久悠はたぶん自分の経験を歌に込めたのだろう、と思われる。ところが森田公一のメロディが、その暗さをすっかり吹き飛ばして、青春謳歌にしてしまっている。ネット上に特別な記述はないが、詞が最初にできた歌なのだろうか、と思ってしまう。この乖離がこの楽曲のポイントになるのだろうが、まあ、二人とも若く、多少のことにこだわりがなかったのではないか。<br>　それにしても、ミリオンセラーの売れ行きになったのは、やはりメロディに負うところが大きい。よく歌番組のフィナーレで登場歌手全員が歌っているシーンを見かけるが、それほど調子のいい歌なのである。<br>　比べるのは無理があるにしても、やはりペギー葉山の「学生時代」なのだろうか。こちらも学校生活の讃歌である。暗さはなく、良き想い出を歌い上げるパターンだ。ただ時代がタイトルに付いているからという程度の近似値か。<br>　その後の森田公一の作曲家としての活躍は目覚ましい。ジャパン・ポップスの走りといってもいいだろう。演歌・歌謡曲でもなく、かといってフォークでもない。どちらに偏することなく、自らの信じる道を歩んでいる。作品を見ると、アグネス・チャンの『ひなげしの花』、天地真理の『ひとりじゃないの』、河島英五の『時代おくれ』、和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』などがある。『あの鐘…』は、阿久悠の作詞である。<br>　最近の森田公一の活躍はあまり聞かない。現在は七八歳で、すでに高齢であり、作曲という感性を必要とする仕事には向かなくなっているのだろうか。あのまま歌手としていっても、たぶん成功したろうが、ご多分に洩れず、晩年は演歌に進んだとしたら面白い。森田公一の演歌は聴きたいものである。チャレンジして、新しい演歌の地平を拓いてくれれば、と想像してしまう。</div><div>&nbsp;</div><div>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</div></div></div></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12385945305.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jun 2018 07:37:31 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／220「人生一路」</title>
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<![CDATA[ <p>　　人生一路（一九七０年）<br><br>　歌手生活三五周年の記念リサイタルが日本武道館で行われた。ここで歌った『人生一路』は凄まじかった。エネルギッシュに舞台上を駆け回り、はち切れんばかりに歌い上げた。たまたま私はこのシーンだけを見る機会があって、思わず吸い込まれた。上手い下手を通り越して、ステージと客席を一体化した別世界を創り上げていた。ひばりも当時はやや太り気味で元気だった。その点、最後の東京ドームの不死鳥リサイタルでのこの楽曲は、違った味わいになったのは、無理がなかった。<br>　武道館ではひばりはこの楽曲を、客席に向かって挑むように歌っている。ひばりの視線と客席の視線が空中でぶち当たり、火花を散らしているような盛り上がり方だった。前述の不死鳥リサイタルでは、もっと内省的な歌い方になっていた。体調と年齢がそうさせたのだろうか。ただこの歌い方を否定するのではないが、あまりに武道館の歌唱が強烈だったのだろう。<br>　作詞は演歌の大家の石本美由紀。もともとこの楽曲は、松竹映画の『美空ひばり・森進一の花と涙と炎』の主題歌として制作されたもの。映画の内容については、特段の記述がないから、大した映画ではなかったのだろう。歌詞を見てみよう。一番は「一度決めたら 二度とは変えぬ／これが自分の 生きる道／泣くな迷うな 苦しみ抜いて／人は望みを はたすのさ」とある。苦労をして夢を実現する、とストレートに表現している。歌詞は村田英雄の『王将』などに通じるド演歌ではあるが、メロディが軽快でそれを救っている。<br>　ネット上の情報によれば、ひばりは好んでこの楽曲を採り上げている。不死鳥リサイタルでも締めに歌った。自分の生き方を鼓舞するこの歌が好きだったというのがありそうだが、やはり作曲が実弟のかとう哲也で、それが気持ちの中に占めていたのではないか。なにより家族を大事にして、結局弟二人は期待に反して無頼に堕した。しかし、歌は裏切らない。この楽曲を歌うことによって、果たされなかった家族と寄り添うことができる、と思っていたのだろう。<br>　三番の歌詞は「胸に根性の 炎を抱いて／決めたこの道 まっしぐら／明日にかけよう 人生一路／花は苦労の 風に咲け」と、一番のテイストと変わりはない。ひばりが『川の流れのように』を与えられた時に、私の最後の歌になりそうな曲、と感想を漏らしたとか。こちらも人生を歌っているが、『マイウェイ』のように人生を振り返っている。ところが『人生一路』は前向き、明日に向かって生きることを歌い上げる。翳りはまるでない。ひばりはこの明るさが大好きだったのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12382599771.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jun 2018 06:41:59 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／219「ムーン・リバー」</title>
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<![CDATA[ <p>　　ムーン・リバー（一九六二年）<br><br>　右目が白内障、左目が眼底出血でモノが見えづらくなり、アップロードをお休みした。原則二週ごとのアップロードは守っていく方針である。洋楽のエッセーは、ジョン・デンバーの『カントリーロード』以来である。音楽を最初に馴染んだのは洋楽であるのだが、やはりエッセーを書くとなると縁遠くなるものだ。メロディよりも歌詞に重きを置いているエッセーだからかもしれない。<br>　それでこの『ムーン・リバー』であるが、私はこの映画『ティファニーで朝食を』を映画館で観ている。ロードショーでなく、何と併映していたか忘れてしまったが、二〇歳前でもっとも映画を観ていた時期だった。アクションから前衛モノまでジャンルは問わなかったが、その中で最高に都会的でお洒落な映画がこれだった。冒頭、オードリー・ヘップバーンがパンを食べながら、ニューヨークの街をそぞろ歩くシーンは衝撃的ですらあった。こんな世界があるんだ、と唸ったのを記憶している。<br>　原作はトルーマン・カポーティー。ネットの情報によれば、カポーティーは映画化にあたって、主役はマリリン・モンローを、と注文をつけた。しかしモンローは娼婦の役を嫌い断った。それがヘップバーンに回り、あれほどのエレガントなファーストシーンが残ることになった。監督はブレーク・エドワードで、『酒とバラの日々』や『ピンクパンサー』で知られている。共演はジョージ・ぺバード。後年は『トラック野郎Ａチーム』のボスとして活躍、いつも葉巻を加えて演技していたが、肺がんで逝った。印象に残ったのは『西部開拓史』の保安官だった。<br>　この二人の恋愛ドラマがこの映画で、ぺバードが売れない作家、ヘップバーンが高級娼婦という設定で、たぶんヘップバーンを表す言葉に瘋癲が使われたのは、この映画が最初だったのではないか。劇中、窓辺でヘップバーンが『ムーン・リバー』をギター片手に歌う。哀調を帯びたハスキーな声音で、思わず聴き入った。作曲はヘンリー・マンシーニ。映画音楽の大家である。歌詞の意味は、同じ夢を追いかける二人の想いを歌っているが、ちょっと難解。直訳ではたぶんヒットしなかったろう。<br>　月の川ならば、やはり愛し合う男女の求め合う心を平易な言葉で紡ぐ、というのが手法であろう。それが難しいところで、ピアフの『愛の讃歌』も岩谷時子の訳がなければ、あれほどヒットしなかったであろう。この劇中歌を試写で聴いた映画会社の社長がカットを要求したが、ヘップバーンが断固拒否したというエピソードも伝わっている。難解さが忌避されたか。この歌と比較できるのはモンローの『帰らざる河』。映画の中でさりげなく名曲が歌われた時代だった。</p><p><br>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12379009461.html</link>
<pubDate>Sun, 27 May 2018 05:30:26 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／218「フォルテシモ」</title>
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<![CDATA[ <p>　　フォルテシモ（一九八五年）<br><br>　団塊の世代にとって、ぎりぎり音楽シーンを理解できるのは八〇年代までであろう。九〇年代に入ると、例えば紅白歌合戦を聴いていても、流行しているＪ‐ＰＯＰなどはまったく頭に入らなかった。そんな中で八五年にリリースされた『フォルテシモ』は、ロックでありながら、歌謡曲のテーストがたっぷりで、耳にすんなりと馴染んだ。その後、聴いたり聴かなかったりの状態が続いていたが、やはりエッセーの俎上に載せるべきだろう、と思うようになった。<br>　それというのも、グループのハウンドドッグの大友康平が、俳優としてなかなかいい味を出している。私がよく見る二時間サスペンスで、情けない中年の刑事役を多く演じている。ある時、えっ、ロックシンガーだったの、ということに気がついた。それほど音楽とは無縁のキャラを作っている。かつてのタイガースの岸部一徳もいい役者になったが、大友康平はヴォーカリストでもあり、まだ現役なのだろう。<br>　その大友康平が歌うのが『フォルテシモ』である。印象的なメロディで、力強い歌詞が綴られる。ハウンドドッグが音楽活動に行き詰った時に、我々のできることは何だ、と自問して、音楽を聴いてくれるファンを元気にする歌を作ることではないか、という結論になった。それでできたのがこの楽曲という解説を聞いたことがある。歌詞は八〇年代に多くの歌手に歌詞を提供した人気の作詞家の松尾由紀夫、作曲は大友康平の大学時代の後輩である蓑輪単志である。ハウンドドッグのメンバーでもあるが、仲間割れもあって仲は良くないそうだが、ヒット曲の多くは箕輪が作っている。<br>　メロディも歌詞も見事にマッチした名曲であるが、歌詞は「激しくたかぶる 夢を眠らせるな あふれる思いを あきらめはしない／愛がすべてさ いまこそ誓うよ 愛をこめて 強く強く」が、一番の最後の部分である。愛に引っ張られながらも、自分の夢をあきらめない男の真情を歌い上げる。そこに矛盾はあるのだが、その葛藤こそがこの楽曲の魅力なのだろう。やはり八〇年代の歌は、それほど単純ではない。<br>　私は最初に大友康平をテレビで見たのは、和田アキ子と一緒に『あの鐘を鳴らすのはあなた』を歌っているステージだった。たまたまその楽曲の練習をしている時で、二時間サスペンスの刑事役と歌っている大友康平が結びつかなった。さすが高音のフレーズはつらそうに歌っているが、ハスキーだが高音まで伸びる味のある声である。和田アキ子は『フォルテシモ』もカバーしており、仲がいいのだろう。この楽曲は確かに歌って気持ちのいい歌である。まだ消化はされていないが、いずれは私のレパートリーになる楽曲といえるが、年齢的にはやや引け目を感じている。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12370232223.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Apr 2018 05:54:59 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／217「小樽のことよ」</title>
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<![CDATA[ <p>　　小樽のひとよ（一九六七年）<br><br>　作詞は池田充男、作曲はリーダーの鶴岡雅義である。北海道・小樽のご当地ソングでもある。ボーカルは三条正人であった。曲は公演先の釧路で地元の女性と恋仲となった「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」メンバーの実体験を元に鶴岡がまず曲を書き、以前にも鶴岡の曲に詞を付けたことのあった池田に作詞を依頼した。池田は曲の舞台を自らもよく知る小樽に変更することを提案、鶴岡から聞いた体験談も盛り込み『電話で愛を』という曲名で詞を書いたが、鶴岡がパンチ不足であるとして、池田に新たに作詞を依頼。そこでできたのは『粉雪のラブレター』という曲であった。<br>　しかし、小樽市サイドから「もっと観光ＰＲを」との要請を受け、随所に地名などを織り込んだ歌詞に変更し、『小樽のひとよ』に改題したものである。曲名は、北島三郎の『女シリーズ』を参考に、「女」を平仮名の「ひと」にして「よ」をつけたものである。<br>　以上はネットの情報である。このエッセーにどうしてこの楽曲なのだろう、と思う読者も多いと思うが、この制作年代は一九六七年。私が高校を卒業した年であり、当時を代表したムード歌謡の最大のヒット曲のひとつになり、ご当地ソングの強みもあり、以来ずっと歌われ続けている。<br>　気になるのは二番の歌詞。「二人で歩いた 塩谷の浜辺／偲べば懐かし 古代の文字よ」とあり、他の歌謡曲で使われている語句が出てくる。塩屋はひばりの『みだれ髪』に出てくる。この楽曲の年代を調べると、一九八七年。『小樽のひとよ』から二〇年経っている。また古代文字は、北原ミレイの『石狩挽歌』り中に出てくる。これのリリースは一九七五年。いずれも『小樽のひとよ』よりも後年で、作詞者はこの楽曲もよく知っていたことだろう。この作詞の池田充男は、どういうインスピレーションでこれらの語句をはめ込んだのだろうか。その説明はネット上にない。<br>　歌詞を読むと、東京にいる男性が、小樽に住む恋人に想いを馳せる内容である。何らかの理由で引き裂かれた二人であるが、男性の心は揺るがず、三番で「待ってておくれ」と繰り返す。そこに希望があり、二人の幸せを予感させるがゆえに、これだけヒットしたのであろう。高校卒業時は、まったく演歌は受け付けなかった。あれから半世紀以上。歌を楽しむようになって、こうした歌謡曲も受容できるようになってきた。齢をとってきた証左でもあるのは情けない。<br>　池田は、石原裕次郎の『二人の世界』や大月みやこの『白い海峡』などを提供している。作曲の鶴岡雅義は言うまでもなく、東京ロマンチカのリーダーであるが、その音楽的才能は定評がある。ほかに『君は心の妻だから』がヒットしている。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12366681567.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Apr 2018 06:39:23 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／216「男はつらいよ」</title>
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<![CDATA[ <p>　　男はつらいよ（一九六八年）<br><br>　日本人なら誰でも知っているフーテンの寅さんの主題歌である。最初はテレビドラマでスタートして、後に国民的な映画シリーズとなり四十八作が制作された。主題歌はテレビドラマ時代から流されており、やはり国民的な歌謡曲となったが、さわりを歌う程度で、映画ほどには人口に膾炙していない印象がある。<br>　なぜだろう、と考えると、あまりに映画と一体化しており、フーテンの寅さんのイメージが強すぎるのではないか。歌えば、寅さんの世界に入れるのだが、それ以上の広がりがないように感じてしまう。当時なら、そうした主題歌で成功したのだろうが、時代が流れるにしたがって、人々の映画主題歌に対する考え方も変わっていったのだろう。当時流行った角川映画と比較すると面白い。<br>　私は当時、まったくこの映画を受け付けなかった。むろんその主題歌を聴くのも嫌だった。多くの若者は、フランス映画やハリウッドに憧れており、邦画を一段下に見ていた。だから、下町根性丸出しでテキ屋が主役のコメディなんか、観られるもんか、と肩ひじを張っていた。それが三〇歳前後まで引きずり、葛飾生まれの女房と一緒になるまでは、まともに映画は観ていなかった。むろん現在ではそれなりに楽しんでいるが、監督の山田洋二が好きになれない。ただ役者陣は大いに面白い。特に初期の作品には、昔好きだったコメディアンが多く出演していた。<br>　おいちゃんの森川信、寅さんの仲間の関敬六、海野六郎、谷幹一などなど、みんな浅草の演芸人であった。このエッセーでかつて書いたことがあったが、森川信の団子屋の亭主は絶妙で、ばかだねえ、と呆れた口調でこぼす演技は素晴らしい。これを見るだけでも、寅さん映画を観る価値はあるだろう。<br>　映画の話がすっかり長くなってしまったが、歌詞は義理と人情に引っ張られる男の情けなさを歌う。当初、自分がいて妹のさくらが結婚できないことを嘆く内容だったが、結婚したから、やくざ者と自嘲するように替えられた、とネット上にある。<br>&nbsp;「男といゆもの つらいもの／顔で笑って 顔で笑って／腹で泣く 腹で泣く」が最後の歌詞で、この後口上の科白が入る。やはりテキ屋の唄であり、今ではもう正当な職業として扱われていない。その存在の非社会性が、あまり歌われなくなってきたことと関連していよう。星野哲郎が作詞し、山本直純が作曲した。元気な頃の山本直純をよくテレビで見たが、クラシック音楽を身近な楽曲にした功労者だった。そして渥美清が歌う。かなり作った歌い方をしているが、歌の巧さには長けている。そこに生粋のコメディアンの真骨頂がある。渥美の歌をまねても、たぶん破綻しよう。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12362994748.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Mar 2018 05:53:37 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／215「夜の訪問者」</title>
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<![CDATA[ <p>　　夜の訪問者（一九七五年）<br><br>　このタイトルとなると、我々の世代ではやはりチャールズ・ブロンソン主演のミステリー映画を思い出すだろう。この映画の公開が一九七〇年だから、五年後に歌謡曲の『夜の訪問者』がリリースされたわけだ。それにしても、どうしてこの楽曲を覚えていたかは、やはり歌詞の中にある「夜の訪問者」というフレーズとメロディであった。<br>　覚えてはいたが、まさかこのエッセーに書くことになるとは予想していなかった。その理由は、ＮＨＫＦＭの昼の歌謡番組である『歌謡スクランブル』でたまたまやっていたからだ。ずっと聴いていて、最後のところで「夜の訪問者」という歌詞が出てきて、ああ、この歌だったのか、と合点がいった次第だ。それにしても久しぶりに聴いて、そこの一フレーズだけ覚えていたことに、我ながら呆れてしまった。<br>　歌う歌手は小川順子。どうやら一発屋らしく、その後の活躍は聞いていない。作詞は石坂まさをで、小林旭の『北へ』をこのエッセーに上梓している。作曲は城賀イサム。多くの歌手に楽曲を提供しているが、ビッグヒットでの印象はなさそうで、たぶんこの『夜の訪問者』が代表曲になるのであろうか。<br>　映画の勢いを歌でも、という思惑でこのタイトルをつけたのであろう。そういう手法はあって、他の例もあるのだが最近はあまり聞かないが、この楽曲では成功している。歌詞は、好きな男に恋焦がれる女性の心理を描いている。<br>&nbsp;「夜のしじまに誰かの足音聞いて／胸をかすめるあなたの横顔／泣くだけ泣いて朝まで待って／つかみたいのよ小っちゃな倖せ／きっときっと又来てね／素敵な私の夜の訪問者」。これが三番の歌詞である。<br>　現代ではあり得ないようないじらしい女心である。ただこの二人はどういう関係なのだろうか。夜しか来られない、という関係なら、不倫ということになろう。小さい幸せを掴みたい、といっているから、不倫であっても、一瞬の幸せに身も心も捧げている状況だ。この歌詞を可愛らしい小川順子が歌うのである。ちょっとミスマッチ的なところが、ヒットの理由でもあったろう。<br>　私の音楽センスはあまりなく、三度ほど聴いてみたが、前段のメロディはまるで頭に入らない。最後になって「雨の訪問者」のところで、口を揃える始末である。とても練習して歌えるようになるとは思えないが、こうした歌もあったねえ、という話題提供になるようなエッセーになってしまった。その小川順子は、この楽曲でレコード大賞の新人賞を受賞し、『男の世界』もヒットしたが、三年後に芸能界を引退して、歯科医師に嫁いでいる、とネット上にある。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12359281848.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Mar 2018 06:19:10 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／214「わかれうた」</title>
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<![CDATA[ <p>　　わかれうた（一九七七年）<br>　<br>　中島みゆきの歌は、『時代』『地上の星』『ヘッドライトテールライト』ぐらいをアップロードしている。他の歌はあまり知らないのが実態で、最近なら『麦の唄』が耳に残っている。朝のＮＨＫの連ドラを見ていたせいだろう。ただ三〇代後半にかなり凝ったことがあった。ウォークマンにカセットテープを入れて、ずっと聴いていた。だから中島みゆきの唄には馴染んでいるのだが、覚えるところまではいかなかった。<br>　じゃあ、どうして『わかれうた』なのか。この歌はもっと前、二〇代後半に、父が買ったＬＰの歌謡曲の全集に入っていたような記憶がある。この楽曲はミリオンセラーになったから、ニューミュージックといっても一般的な歌謡曲として扱われたのであろう。しかし、この齢になって聴いてみると、いろいろな解釈ができる楽曲だなあ、と思う。<br>　男の影はどこにもなく、ただ別れることのさまざまなシーンを歌っている。中島みきはたぶん、いろいろな別れをイメージして、きれいごとでない別れを作詞に込めたのであろう。読むほどに、本当に素直でない歌詞だなあ、と思う。「別れの気分に 味を占めて／あなたは 私の戸を叩いた／私は別れを 忘れたくて／あなたの眼を見ずに 戸を開けた」は、一番の中にある歌詞であるが、何かいいたいのだろう、と思ってしまう。理屈をつけるなら、また忍び寄る別れの気配をおそれ揺れる心を歌っているのか。ただ別れるためなら、また邂逅がなければならない。その出逢いを願い、そして別れを予感するという流れなのだろうか。<br>　分かりやすいのは繰り返しの部分で「わかれはいつもついて来る 幸せの後ろをついて来る／それが私のクセなのか いつも目覚めれば独り」である。まあ、確かに中島みゆきらしい本音と怨みが交錯している。ほぼこの路線で中島みゆきは音楽活動を続けていくが、最近は主題歌ということもあるが、『麦の唄』のように分かりやすくなっている。<br>　わが友人はヤマハの出身で、いまでも私に『時代』を歌わせる。ヤマハ振興会主催のポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得している。自慢もあるが、稼がせてもらったという感謝の気持ちもあるのだろう。その『時代』よりも、この楽曲のほうが売れている。より親しみやすいこと、別れを女性の本音の視点で描いたことなどがヒットにつながったのだろう。<br>　シングルデビューの『アザミ嬢のララバイ』から最近まで、ずっと中島みゆきは突っ走て来た。ほとんど息切れしていない。その創作意欲はどこから来るのだろうか。インスピレーションは何だろう。こういう歌手が日本にいた、ということは、同世代に生きた者にとっては感謝の何ものでもないだろう、と思わをざるを得ない。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12355560448.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Feb 2018 05:10:46 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／213「矢切の渡し」</title>
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<![CDATA[ <p>　　矢切の渡し（一九七六年）<br>　<br>　どうして、この時期にこんな歌が流行ったのだろう、と考え込んでしまう。一九七六年は、『およげたいやきくん』がヒット街道を驀進していたが、『木綿のハンカチーフ』や『わかって下さい』などのニューミュージック、『北の宿から』の演歌などがヒットしており、流行歌といえば混沌としていた時代であったろう。<br>　そのなかで、ド演歌とも思える『矢切の渡し』がリリースされた。初出はちあきなおみのシングルのＢ面であった。それから六年後に、大衆演劇の梅沢冨美男が舞踊曲目に採り上げて話題になり、急遽Ａ面での発売になって知られるようになった。それから多くの歌手がカバーしたが、細川たかし版がもっとも売れた。<br>　細川たかしは、この楽曲を男女の止むにやまれぬ道行として、ちあきなおみのように情念を込めて歌うのではなく、さらりと歌い、カラオケの歌い方にフィットしたゆえにヒットしたといわれている。かなりニュアンスが違うが、歌にはそういう多面性があることは否定できない。作詞・石本美由紀、作曲・船村徹がどう思ったかは、ネット上にデータはない。<br>　それで最初の問いだが、歌詞を読むと、明日のない駆け落ちを描いている。場所は柴又から松戸を結ぶ矢切の渡し。ある意味、徹底した作為に満ちている。状況はきわめてアナクロである。時代は明治か大正か、場所は江戸川の渡しであり、道行であり、松戸に着いても幸せが保障されているわけではなく、ただ逃げる男女に救いはない。それでも二人で生きていこう、という決意は強い。<br>&nbsp;「「見すてないでね……」／「捨てはしないよ……」／北風が泣いて吹く 矢切の渡し／噂かなしい 柴又すてて／舟にまかせる さだめです」が二番の歌詞である。この架空の絵空事が人々の想像を膨らませ、違う人生を思い描けることになったのてはないか。歌えば、男女のどろどろとしたドラマに入り込める。歌う自分が主役になれる。そんな理由でヒットしたように思う。道行のわりには、さほどの暗さはなく、二人の強い絆に目が向く。いわば貞節を歌い上げるようでもある。<br>　なぜ渡しがモチーフになったのか。石本美由紀が故郷の近くの渡しと矢切の渡しを結びつけ、船村徹は鬼怒川の渡しを知っており、二人が会った時に渡しの話題で盛り上がったという。当時、矢切の渡しがなくなる、という噂があり、なくなるなら歌で残そう、と意気投合したとネット上にある。たぶんレコード会社がこうした状況設定を作ったのではないだろうか。もちろん細川たかし版より、私はちあきを採る。作詞・作曲の心をもっとも忠実に再現していると思われるからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/shiratorimn/entry-12351846889.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Feb 2018 06:34:31 +0900</pubDate>
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<title>団塊SONGS／212「想い出の渚」</title>
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<![CDATA[ <p>　　想い出の渚（一九六六年）<br>　<br>　この楽曲は書いたかなあ、と思って、これまでの履歴を見返してみたが、どうやらなさそうだ。ワイルド・ワンズ関連の歌は『さらばオーシャン』を採り上げてみたことがあったが、この最大のヒット曲には触れずじまいだった。一応、作詞はメンバーの鳥塚繁樹であるが、歌詞はメンバーが言葉を連ねて作ったそうだ。鳥塚のフレーズがもっとも長かったから、彼の作詞になったとか。作曲は加瀬邦彦だった。<br>　一〇〇万枚以上を売り上げたが、どうしてそれほどのヒットにつながったのたろうか。この当時、すでに加山雄三が活躍していて、歌う若大将として圧倒的な人気を誇っていた。その加山のテイストに連なるのが、このワイルド・ワンズだった。同じ湘南サウンドとしては、サザンオールスターズがいるが、ロック色が強くなり、もっとワイルドだった。<br>　当時、私は高校三年生であった。名古屋の高校に通っていたが、新しい音楽には敏感だった。名古屋に新しい音楽の萌芽はほとんどなかった。関西と東京から伝わってきた。中でもフォーク系に心を惹かれた。フォークソングもいろいろなジャンルに分かれ、反戦、平和、社会的な問題を歌う告発的な楽曲もあったが、私はカレッジ・フォークが気に入っていた。憧れと羨ましさがあったような気がする。<br>　だがあっという間に、グループサウンズの奔流に押し流され、カレッジ・フォークの寿命は短命だった。その中で、ずっと生き残ってきたのがこの『想い出の渚』だった。湘南サウンドとしてのポジションを守り、上品で育ちが良さそうなメンバーで、ずっとその枠を崩さなかった。それが彼らの音楽が続いた理由であろう。<br>&nbsp;「水面走る白い船／長い黒髪風になびかせ／波に向って叫んで見ても／もう帰らないあの夏の日」が、一番の後半の歌詞である。渚にたたずみ、別れた恋人に想いを馳せる若者の姿を描いている。深刻さはないが、ちょっぴりと心に涙をためて、ただ過ぎた日々を懐かしんでいる風情である。<br>　やはりワイルド・ワンズの良さは、さらりとした歌詞と品のいい曲にあるのである。人は時に青春のひとコマに戻りたくなる。そんな時に、この『想い出の渚』はぴったりであろう。くせがなく、無理なく口ずさめ、甘酸っぱい感傷に浸ることができる。加瀬邦彦は作曲の才能があって、いろいろ印象に残る楽曲を提供している。前述の『さらばオーシャン』は加山雄三が歌ったが、作曲は加瀬邦彦、作詞は阿久悠であった。今ではメンバーが欠け、往年の演奏は難しくなっているが、たまに音楽番組などで全盛期の姿を放送している。それを聴いても、変わらないことの素晴らしさにも思いが至る。これから往年のスターたちが去っていく。寂しくなっていくのである。</p><p>&nbsp;</p><p>　写真・カメラの情報はhttp://camerajoho.web.fc2.com/を参照。ユーチューブの団塊SONGSや団塊SONGSエッセーもそのページの下部のアイコンから入れます。お楽しみください。<br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 28 Jan 2018 07:18:39 +0900</pubDate>
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