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<title>風は思いのままに吹く</title>
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<description>名古屋堀川伝道所牧師である島しづ子牧師のページです。</description>
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<title>道備えしてくれた先輩たち</title>
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<![CDATA[ <p>　友人に市江由紀子さんという女性がいる。娘が通った愛光園や養護学校の先輩だ。彼女は進行性の障がいで次第に歩けなくなり、車椅子生活をしていた。市江さんのお母さんと親しかったので、由紀子さんの生育過程や志など聞く機会があった。当時、障がい者団体は少なく、親からの介護を受けられなくなった障がい者は大きな施設で暮らすという選択肢しかなかった。</p><p>　私たち親は障害が重くても、地域で暮らし続けることが出来るようにと通所先つくりに奔走していた。そんなある日、由紀子さんが一人暮らしを望んでいる、まだボランティアがいないので誰か紹介してももらいたいとお母さんからの連絡があった。紹介するにも自分が確かめなくてはとアパートに伺った。玄関で声をかけると、「ドアの近くに鍵があるから開けて入って」と奥からの声。薄暗い部屋にも目が慣れたころ、畳の上に頭をあげて横たわっている由紀子さんが見えた。こういうアパートに身動きの出来ない由紀子さんが一人でいる、そのことが衝撃だったが、一人暮らしがしたいという志に打たれて何とか協力したいと思った。が、なかなか行ってもらえる友人も多くはなかった。私自身も忙しく、あれこれしているうちに由紀子さんがAJUに出会い、AJUの期限付きアパートに入って自分の世話をしてくれるボランティアを募っていると聞いた。たずねると、ベッドのようにした車椅子に横たわりながら、毎日人の確保に電話をかけ続けていると話してくれた。時々誰も見つからない時間帯もあったり、忘れられたりするといいながら楽しそうだった。しかもAJUでパソコン入力という仕事もしていた。そういう生活の中から、由紀子さんは自分の地域生活だけでなく、養護学校で一緒だった仲間の地域生活の可能性を探り続けた。そしてお母さんと一緒に法人を立ち上げて日中活動の場所、ショートステイする場所、グループホームつくりにも参画した。びっくりする活躍だが、彼女の障がいも不自由さが増えていった。かつては20歳までは生きられないと言われた障がいだが、残された機能を余すtころ無く使って法人の主人公として活躍している。そこで、彼女自身のHPも担い、地域に開かれた拠点を開いて今も活躍中である。</p><p>市江さんにはおりおりに講演をお願いしたり、相談にのってもらってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>　もう一人障がいを持つSちゃんという女性がいた。</p><p>25年前だったろうか、娘が入院していた小児科病棟にSちゃんという5歳の子がいた。Sちゃんは人工呼吸器をつけていて生まれて以来病院生活らしかった。昼はお母さんが付き添い、夜はお父さんが交代。夜になるとお父さんはSちゃんとなりに横になっていた。咳をしたり痰が詰まるとすかさず起き上がって痰の吸引をしていた。夜中もひっきりなしだった。だからSちゃんも付き添う親御さんも夜中だって熟睡することはなかったと思う。そういう生活を五年もしてきたということに驚いたものだった。だから友人に頼んで昼間だけでも付き添ってもらえないかと頼んで何人かが協力してくれた。親しくなるにつれてご両親が家に戻って生活したいこと、地域の小学校に通いたいと話してくれた。人工呼吸器つけて家に帰れるのかとそのときは思った。でも熱意に動かされてすでに地域で暮らしていた市江さんを紹介した。</p><p>こちらから伺うべきだと思っていたが、由紀子さんが小児科病棟に来てくれるという。25年前のその日、由紀子さんは一人でどうやってくるのだろうと案じていた。車椅子用タクシーが着いた。中から電動車椅子を操りながら由紀子さんが降りてきた。横たわったままレバーを押し、おなかの辺りには大きな花束を抱えていた。なんと大女優さんみたいにどうどうと病棟に入ってきた。</p><p>Sちゃん親子と親しく話し、希望をいっぱい語ってくれ、みんなが元気になった。由紀子さんが実践しているように、どんな②障がいが重くても地域で望んだ生活をする。由紀子さんはかねがね語っている。「自分は身体が不自由だけど、声は出せる。だから、養護学校の仲間たちの思い、願いを実現したいの。」そのとおりに彼女は生きている。</p><p>　勇気をもらったSちゃん親子は翌春の小学校入学を目指して、学校、病院、関係者と細かく接触して、前代未聞の人工呼吸器をつけた少女が地域の小学校に通うことになった。時々不調もあったようだけど、無事に小学校、中学校と通い続け、20歳のころSちゃんはすべての力を使い尽くして天に還っていった。</p><p>&nbsp;</p><p>今、幼稚園でも、小学校でも、通所施設でも人工呼吸器を装着しながら通い続ける方々は多く見かける。25年前そういう機会が無かった中、必死で夢を持って歩き続けたSちゃん、それを押し出してくれた由紀子さん。障がいを持つ仲間はいつでも力いっぱい生きていて、元気をくれる。そういう仲間に会えるこの場所がうれしいけれど、時々はこういう場所を作る夢を描いて働いてくれた先輩たちのことを思い出してください。</p><p>由紀子さんはいつも冬になると体調不良になります。このクリスマスも新しい年も守られてすごしてほしいと思います。</p><p>先輩たちありがとう！私たちも後輩のために力いっぱい生きていきます！</p>
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<pubDate>Fri, 14 Dec 2018 10:40:24 +0900</pubDate>
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<title>澤田和夫神父白寿に寄せて</title>
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<![CDATA[ <p>澤田神父白寿のお祝い　　　　　　　　　　　感謝なこと　2018年12月8日</p><p>澤田神父様　白寿おめでとうございます！</p><p>この場で神父とみなさんとお時間を共に過ごせて感謝でいっぱいです。</p><p>ジャン・バニェさんが来日して行われたリトリートは何回でしょうか？神戸、名古屋、静岡で行われたリトリートに参加することが出来ました。それらのリトリートの通訳は澤田神父でした。澤田神父のことを知らなかった私はジャンさんの隣にいる粗末な服装の通訳は誰だろうと思っていました。あまりに見事な通訳、私と娘のところに来て声をかけてくださる姿に感動しました。帰宅して調べたら、高名な神学者であることがわかり、本を買って読みました。そこに「隣人を大切にしよう、そのひとがそれに値するか否かではなく、神様が大切にされたから」という文章に出会い、福音の本質だと知らされました。</p><p>　リトリートに参加するたびに神父の振る舞いに注目しました。すると神父はいつも共同体の中で居心地の悪そうな人のところに行って一緒に座っておられることに気がつきました。その姿を通して、誰も排除してはいけないよ！と教えられました。箱根のリトリートのときに、私は娘と先に帰るので前日ご挨拶しました、すると早朝なのに神父が玄関で見送りのためにたっていました。申し訳なさとうれしかったこと忘れられません、こうして私も娘も生きる元気を頂いたのでした。</p><p>静岡の東山荘で行われたリトリートのときでした。</p><p>ジャン・バニェさんの通訳をしていた澤田神父が身体を傾けました。｢あれ！大丈夫かな？｣と思い、休憩時間に責任者の佐藤仁彦さんのところに行って「澤田神父大丈夫？倒れるんじゃないの？」と聞きました。すると佐藤さんは怒って「知りませんよ、通訳しながら居眠りしているんですから」と言い放ちました。「え！通訳しながらいねむり？」いまから思えば神父80歳のときです。若い人でも大変なのに。長時間の通訳をしてくれているだけでもありがたいことでした。そして佐藤さんは言いました。「あの人はいい加減で、来てくれるかどうかわからないし、困る。でも私たちが困ったときには必ずどこからか聞きつけて駆けつけてくれるんです」と言いました。</p><p>　私は澤田神父はラルシュかなの家の創立者の一人だと思うのです。佐藤さんが困っているときにヨハネ学園を紹介したり、かなの家を応援したり、ラルシュになる道を開いてくれました。そして私たちは、ラルシュかなの家やラルシュリトリートを通して、深い意味で仲間の人たちと出会い、それぞれが魂のいやしを与えられてきたのではないでしょうか。</p><p>東山荘でのリトリートの終わりに私はジャン・バニェさんと澤田神父に言いました。「二人が壇上で話しているとまるでイエス様とジャンと澤田神父が三人で語っているみたいだった。すばらしかった」と。するとジャンが言いました。「それは神様があなたにゆだねられていることでもありますね」と。このお話をさせていただいたのは、福音そのものを生きてこられた神父に出会った者の役目は、それを受け継ぐことだと思うからです。イエス様の弟子たちがイエス様のまねをして生きたように、私たちもイエス様、澤田神父の真似をして生きていきましょう。聖霊に導かれた澤田神父に出会えて神様に感謝です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12424693515.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Dec 2018 05:29:38 +0900</pubDate>
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<title>新しいパソコンと解放</title>
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<![CDATA[ <p>不自由な生活を続けていても、その不自由さを改善をしようとはなかなか思い至らない。</p><p>パソコンが一部破損していて不便だった。そのうちそのうちと思っていたら、パソコンのほうでさよならしてくれた。</p><p>で、この新しいパソコンでこれを書いている。速度もいいし、タッチもまろやかで快適環境だ。</p><p>いつも思う、不自由な環境から解放された時に、はじめて不自由だったという事実に気がつくことだ。</p><p>病気のとき、特に精神的に病的な時は自分ではその不自由さに気がつけない。</p><p>周囲がどのように援助して不自由な環境から逃れる工夫をともに考える必要があるなあ。</p><p>&nbsp;</p><p>最近、大きな責任をひとつはずれて、すがすがしい解放感を味わっている。</p><p>自分から仕掛けたのではないけど、いいタイミングで周囲が仕掛けて、私を解放してくれたことを感謝している。</p>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12419597748.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Nov 2018 08:48:55 +0900</pubDate>
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<title>日記</title>
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<![CDATA[ 今日は法人の新人職員面接があり午前中愛実の会に。終了後、名古屋学院大に。地区の教師会だった。実は休む予定だったが、参加される教師経由で渡すものがあり参加。なんとその方は参加していない。、がーん。<div>せっかくだし、オルガンアワーも聴き、柳川先生の講演も聴いてきた。</div><div>新鮮だった。</div><div>前方に西村先生もいらした。名古屋学院には思い出がある。西村先生が名古屋学院中高の校長だった頃よく呼んで頂き、学生さんたちも初期の愛実の会へのボランティア、寄付をして下さった。宗教部長が相馬先生だった。あの頃来て下さった名古屋学院中高、金城学院中高の方々はもう30歳越えたはず？懐かしい。</div><div><br></div><div>講演会場のチャペルはシンプルな華麗さ。窓の外のアガパンサスに黒の揚羽が来ていた。日本的な佇まいな庭に平安を感じた。</div><div><br></div><div>暑い陽射し。</div><div><br></div><div>名古屋学院大の6階から、「たんぽぽ」が新しく借りる建物が見えた。自然豊かないい場所と再確認。写真を撮った。新しいパンフレットを作るなら採用してほしいなぁ〜。</div><div><br></div><div>今ナイトケア中。西日本の災害に心騒ぐ。</div><div>神さま、なんとかなんとか助けて下さい。</div>
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<pubDate>Mon, 09 Jul 2018 23:20:07 +0900</pubDate>
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<title>ゆるしについて</title>
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<![CDATA[ 昨日は他の牧師の説教だったので体力的にも助かった。内容は考えさせられるものだった。以前から自分を含めたキリスト者の「ゆるし」の考え方に何か問題があると感じていたけれど、少し明確になった気がした。<div>私にも「ゆるし」ていないというか、思い出すたびに不快な出来事がある。不快ということを自分で確認し、不快なことを想起させるような出会いを避けている。避けちゃいけないとか、和解しなくちゃと無理くり考えていたところがあった。友人が避けたままでいいと言ってくれたので、今は避けたままでいる。</div><div>&nbsp;イエスの教えに従うべきだと考えて、誰とも仲良くしなくちゃって曖昧にしてきたことが多い。というよりも、厳しく相手を糾弾する資格など自分に無いと思うことが先だった。自分なんか、神様からどれだけ赦されていることか、それに比べたら小さなことだ、みたいに考えてきた。</div><div>&nbsp;でも。それではいけない、もっと考えろって示唆された。だから考えていこう。その曖昧さや「ゆるしなさい」という言葉で更に深く傷つけられることを忘れないでいよう。</div><div>「ゆるし」は人間の範疇ではなく、神の領域という説教者の示唆にも同感。</div>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12386192455.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jun 2018 07:12:51 +0900</pubDate>
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<title>旅</title>
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<![CDATA[ 2011年3月11日<div>あの日の4日後に私は仙台空港に降り立ち、仙台にある大学で講演させてもらう予定だった。</div><div>東日本大震災の報道に何が何だかわからないまま、仙台空港の様子をユーチューブで見たり、新幹線情報を調べたりして、いかなる方法で講演先に伺おうと考えていた。</div><div>&nbsp;次第に地震と津波の被害が「想定外」との言葉で表わされたように膨大な被災の様子が報道され始めた。思い出してもドキドキする。</div><div>以来一度も仙台に伺う機会もなく、しっかりとお見舞いの言葉も お伝えもしなかった気がする。</div><div>でも、言い訳みたいだけど、直後に施設の親たちが「島さんルートで募金しよう」と言ってくれたので、募金を使い、あちこちに支援物資を送った。迷惑なものもあったかもなぁ。</div><div>&nbsp;お金の方がいいだろうとカンパや献金もささやかだけど伝道所のみなさんと送ったなあ。</div><div>代わりに若者たちが様々にボランティアに行ってくれた。私は何もしなかったような気がして、ちょっと気後れもする。</div><div>&nbsp;これから仙台に向かう。7年ぶりの約束成就みたいだ。七年。</div><div>この間、チケット一つの手配でも自分の衰えを感じる。弱さも足りなさも受け入れて、助けてもらって歩もう。</div>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12383138631.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jun 2018 10:46:29 +0900</pubDate>
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<title>泣く</title>
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<![CDATA[ 昨日、見覚えのない手紙が届いた。内容であの方だとわかった。亡くなったこどもさんのことでお会いした人だった。今日、他の方からの二つの近況報告に自死された方のことが書かれていた。正確に言えば自死された身内の方の様子を知らせるメール。<div>遺された方々の想い。いつ果てるのかわからない悲しみ。愛しみとも書く。つられて私も泣く。何故？あの時何故？何故助けられなかったか？</div><div>どうどう巡りの想い。答えはない。</div><div>涙が出てきてわかった。泣くとつかえが少し取れる。泣こう泣こう。いつの日か、心から笑える日も来るだろう。</div>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12380156241.html</link>
<pubDate>Thu, 31 May 2018 10:05:01 +0900</pubDate>
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<title>良性の目眩</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/amemberentry-12380097864.html</link>
<pubDate>Thu, 31 May 2018 00:31:40 +0900</pubDate>
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<title>尊敬のまなざし    宣伝！</title>
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<![CDATA[ <a href="https://mainichi.jp/articles/20180510/dde/012/070/004000c">https://mainichi.jp/articles/20180510/dde/012/070/004000c</a><div><br></div><div>「尊敬のまなざし」が初めてマスコミに取り上げられた。毎日新聞さん、ありがとうございます。</div><div><br></div><div>いのちの軽視へのNOと、生きる困難さにもかかわらず自由に振る舞い、よく生きのびてる仲間への応援歌を応援してもらうことが嬉しい。</div><div><br></div><div>燦葉出版社の白井隆之さんに発破かけられて、自分も溢れる想いで短期間に刊行した。ミスは再刊で直すつもり。はて？二刷はいつかなあ？とさらなる願望！</div>
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<pubDate>Fri, 11 May 2018 08:34:40 +0900</pubDate>
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<title>新刊書「尊敬のまなざし」</title>
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<![CDATA[ 一昨年、同い年の友達が二人相次いで亡くなった。６８歳だった。一人は障がいを持つこどものために施設を作ろうと呼びかけてくれた友達。初期には一緒にサマースクールなどを企画して頑張った。途中方法論の違いからグループを分かれたけど、互いに切磋琢磨してきた。<div>小学生だったこどもたちはもう、40代。養護学校後のデイケア、(今は生活介護とか地域活動とか言われている)もできた。</div><div>&nbsp; でも、「障がい者の親が安心して死ねる社会」にはまだなっていない。同じ年に相模原の障がい者入所施設で19人もの人が殺された。私は焦った。こういうことをさせないために、30年働いてきたのに、私は何をしてきたのか？</div><div>&nbsp; 重症の床から生き延びた娘のいのちの足跡。娘の友人たちの生き様を書かなくちゃ！と思った。私が経験したこと、考えたことを孫たちにも伝えたかった。</div><div>レインボープライドの祭典のスローガンが「いのちのイコール」だったらしい。私もそう思う。誰のいのちにも優劣などつけられない。</div><div>本が出版された。多くの人に読んで欲しい。そして福祉の現場ではテキストにして欲しい。</div><div><br></div><div>「私たちが大事にしてきた子どもを、同じように大事にしてくれる社会を作ろうよ」と話し合った友だちも亡くなったり、年を重ねた。私も70歳に。亡くなった友だちの子どもも43歳。ヨッコラセと介護しながら、いつまで私が介助できるかなぁと思う日々。相変わらず、安心して死ねない！と呟いている。</div><div>新刊書「尊敬のまなざし」大拡散！</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/shizuisland/entry-12374233384.html</link>
<pubDate>Mon, 07 May 2018 21:05:44 +0900</pubDate>
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