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<title>明石海峡大橋命のブログ</title>
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<description>明石海峡大橋が大好き。あれは芸術だよ。</description>
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<title>三成の前に左近あり</title>
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<![CDATA[ 僕が小学生の頃、夏休みの自由研究で関ヶ原の戦いをテーマにしたことがある。その時、信長の野望(ゲーム)や当時読んでいた図鑑などには登場していない武神のような存在が、石田三成の配下にいたことを知った。<br>島清興…、通称・島左近。<br>大和国(現在の奈良県)に生まれ、松永久秀討伐で戦功を挙げた後、浪人の身であったにもかかわらず、三成より、二万石の禄を与えるという条件付の三顧の礼で配下に迎えられ、居城である佐和山に左近ありと恐れられるほどの頭角を現した人物である。<br>関ヶ原では、三成を護衛しながらも、戦況を判断しながら、突撃や挟撃策を繰り返し、西軍を勝利に引き寄せる活躍をみせたが、結果は皆さんも御存知の通り敗北、討死となってしまった。<br>面白いのは、妻の名が茶々であったこともあり、淀君にも好かれていたのではないかと推測出来ることで、左近という歌舞いた通称も、どこか浮世離れした武神だったことを思わせられる。<br>惜しいというか、悔しいというか….<br>もしも、主君・石田三成に戦の才能が備わっていたら、三成はもちろん、左近のその後の人生も変わっていたかも知れない。<br>そう考えると、関ヶ原の戦いで失われた名将達の命は、はかなく散り過ぎたと思わずにはいられない。<br>振り返れば、戦にはいつでも物悲しい結末があると思えてならないのです。<br><a href="http://www.51wjjx.net/" target="_blank">サイエンスコスメで吹き出物対策</a><br>
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<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 14:29:12 +0900</pubDate>
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