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<title>明日になんかならなきゃいいのに</title>
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<description>日々のこと音楽のこと人のこと場所のことあほなこと。</description>
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<title>Under the Sky</title>
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<![CDATA[ いまから二年半くらいまえ、住んでいた家の更新をする金がなくて、たまたまスカイプで話した友達の家にころがりこんだ。その友達は年下の女の家に入り浸りでほとんど自分のマンションに帰らず、実質的に同棲状態だったので、彼のマンションは荷物だけがある無人状態だったのだ。渡りに舟と思い家電などを一切処分してその家に荷物を入れ、入りきらなかった荷物は当時一軒家を借りてシェアしていた友達の家の空き部屋に運び込んだ。決して広くないワンルームマンションは男二人分の荷物でいっぱいになり、ベッドとパソコンの周りしか居住空間はなかったけど、屋根があって水と電気とガスがある家に住めるだけで幸福だと思った。<br>しかしそれでも僕はあいかわらずぶらぶらしてろくに働かず、何だかよくわからないことばかりしていた。金はないしバンドをやる友達はいないしで、家にいるのがいたたまれなくて、頭が混乱すると必ず公園に行ってぼんやりした。<br>ある日、たまにはと思って太鼓を持って井の頭公園へ行くと、外国人の一段がアコースティックギターやマンドリンで楽しそうに演奏しているのが目についた。なんだか気になって眺めていると、そのうちの一人と目が合って、彼はニヤっと笑って、一緒にやろう、といったようなことを僕に向かって言った。ような気がする。<br>それからしばらく経って、彼らとあちこちで演奏するようになった。何の目的もなく、ただ酒を飲みながら演奏して週末を過ごすというリズムに僕も加わり、人に会いたいときはビールを持って公園へ行った。彼らの連絡先などは知らなかったので、行ってはみたものの誰もおらずとぼとぼと帰る日もあった。暑い日も、寒い日もあった。誰かに会わないとだめになってしまいそうなときもあったけど、そういうとき彼らといっしょに馬鹿話をしながら演奏して救われたことが何度もあった。<br>そんな流れで始まったバンドが、何年か経って誰かの役に立ったり、誰かを喜ばせることができるなんて思わなかったけど、最近はやっててよかったなと思えることがたびたびあってうれしい。どこでやっても、心は青空の下にある。
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<pubDate>Fri, 03 May 2013 01:48:48 +0900</pubDate>
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<title>Kのこと</title>
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<![CDATA[ こんなに長いこと風邪をこじらせて苦しんだことはなかったけど何とか回復しつつある昨日や今日。ちょうど仕事もないので家でうどんやコアラのマーチを食いながら養生してます。<br>頭ぼんやりだけどすることもないので思い出したことを綴っていこうかな。<br><br>いまから7,8年前、地方の私立大学でまんじりともしない日々を送っていたころ、毎日地酒をのんだりドラムを叩いたりしていた。一応いわゆるジャズ研というところに所属してスタンダードをやったりしていたんだけどだんだんとそれもつまらなくなり、後半はエレクトリックマイルスの一発モノを誰もいない教室でやったりしていた。まあそんなことはさておき、今回はゆるゆるなサークルの中でもとりわけ頭のゆるかったKという男のことについて書いてみたい。Kは僕より二つ後輩で、ベースを弾いていた。弾いていたといっても大学に入るまで楽器など何もさわったことのないまったくの門外漢で、弦をおさえて指ではじくということすらままならない状態でいきなりジャズを弾こうとしているチャレンジャーだった。ただ黒人音楽に関する知識はそれなりにあって、スタンダードや名演名曲も押さえつつ、おもしろい聞き方をしているやつだった。まったく弾けないものだから最初はひたすら一人でジャズブルースを練習させられていたが、いつまでたってもものにならず、教室の隅でボンボンやっているだけだったが、Kはいつも楽しそうに楽器と戯れていた。ちょっとオツムが足りないというか、話の通じにくい奴で、同級生からはなんとなく面倒くさがられていたが、おれはKのことがなんとなく好もしく、楽しく話ができた。あるとき、もうKも入って数ヶ月になるんだし、みんなとセッションさせてみよう、ということになって、僕とギターと三人で適当な曲をやってみることになった。相変わらず音楽以前の演奏だったけど、Kはとても楽しそうだった。少し上手に弾こうとかテクニックを見せ付けてやろうとか、そういう気は一切なく、ただバンドの音の中にいることを喜んでいるような風情だった。ぼくはその頃高校時代の先輩と東京や京都でインプロのライブをやったりしていたが自分のやりたい音楽もなく、ただ無為に毎日ジャズをやってそれなりに悶々としていた。そんな中でKの天真爛漫さは僕をはげましたのだった。<br>そんなこんなで月日は流れ、僕も卒業するころになるとKもいっぱしに曲をこなせるようになっていた。もっとも我流なのでかなり怪しい演奏ではあったけど、下手ながらねばっこいフィーリングのあるいい演奏をしていたように思う。それから二年ほどたって、Kとももう演奏することはないのかなあなどと感慨にふけっていたら、友達の結婚式でまたKと再会することになり、セッションでいっしょに演奏できるかもしれないということになってうれしかった。<br>しかし卒業後、Kは職場でのイジメや営業上のプレッシャーから心を病んで、実家でしずかに暮らしているという話を聞いた。車のディーラーに勤務したKは物覚えが悪いだの愛想が悪いだのと上司から難癖をつけられ、誰にも相談できず病院通いを始め、時おり薬を飲み忘れるとてんかんを起こしてぶっ倒れるような体になってしまっていた。<br>人からきいた話だが、その友人の結婚式でKと僕が再会した次の日（ぼくは二次会まで出てとんぼ返りだった）、ほかの仲間たちとホテルで食事をとっているとき、Kはとつぜん食卓の椅子から転げ落ち、喉やら胸をおさえてのたうちながら「死にたくない　死にたくない」と涙を流しながらうめいたのだという。久々の面々との再会がうれしうかったのか、その日Kは薬を飲み忘れていたのだ。その場は仲間たちが救急車を呼びそう遠くないKの実家から両親を呼び寄せ事なきを得たが、僕はのちにその話をきいたとき、生まれてはじめてといってもいいくらいの激しい怒りをおぼえた。Kをそんな風にしてしまった奴を殺してやりたいとさえ思った。人間をそこまで追い詰めて、自分は便利に暮らしている奴がいるなんて、どう考えても納得できなかった。馬鹿で愛嬌がなくて、世渡りがヘタクソでも、おれはKのことがすきだったし、絶対幸せに暮らしてほしいと思っていた。そんなくだらないことで、そんなおめでたいときに、彼が床を這いまわって苦しまなければならない理由なんて何一つなかったはずだ。<br><br>その後Kは地元に戻って新しい生活を始め、今はおちついて暮らしているらしい。いまでも楽器とたわむれるようにしてわらっているKの顔が思い浮かぶことがある。ちょっとうまく書けない。<br>そのうちまた会いたい。
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<pubDate>Tue, 30 Apr 2013 13:50:49 +0900</pubDate>
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<title>春かぜ</title>
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<![CDATA[ ここ半月くらいいろいろなことが立て続けに起こってついていけなかったのか、風邪を長引かせてしまった。大阪の有名なチンドン屋さんに会ったり、ブルースやインプロのライブをやったりケビンのバンドでぶっつけ3ステージやったりいろいろ。体調はわるかったけど頭の感度がよくいろいろな新しい発見があってたのしかった。<br>楽しいライブとか、たくさんの人に見てもらいたかったと思えるライブというのは一年にいくつもないけど、最近はいいかんじだった。メンバーとか内容とかっていうより自分の気の持ちようによってどうにでもなることなんだけど。<br>僕にとって音楽は言語だ。縁もゆかりもない人と仲良くなるための道具。たまたま道具が笑ったり泣いたりするだけだ。<br><br>とりあえず風邪なおそう
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<pubDate>Mon, 29 Apr 2013 11:07:49 +0900</pubDate>
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<title>チンドンとじゃんがら</title>
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<![CDATA[ 自分でもわからない意識の深いところで物事がつながっていることがある。とくに色や匂いや音のようなものは言語化して自覚できない分漠然と脳裏にこびりつく。社会生活を営んでいるまっとうな考えでは理解しかねるようなものに惹かれてしまったり、おそれたるするのはそのためであることが多い。<br>こんなことを考えているのはちんどん屋をやりたがった理由についてうまく答えられなかったからだ。3歳まで過ごした富岡町は福島原発から数キロのところにある。海沿いの田舎街で、桜並木くらいしか見るべきものはない。そのあと引っ越して二十代まですごしたいわき市も同様の田舎で、東京や大阪とちがってちんどん屋などいるはずもない。<br>ちんどん屋、という言葉を知ったきっかけはおそらく小学生の頃読んでいた江戸川乱歩の少年探偵シリーズだ。ほの暗い闇の向こうから白塗りの男がやってくるというような、ちょっと不気味で、観てはいけないようなもののように記憶していた。月日がすぎて東京に出てくると、大久保に住んでいた時分、高田馬場駅のあたりでよく三人組のチンドン屋を見かけた。高架下で彼らを見つけると、気分が高揚して子供のようにそのあとをついていったりした。しかし実際の東京の風景の中で見るチンドン屋はさほど風変わりでもなく、楽音は電車の轟音にかきけされ、子供心にあったようなどぎつい印象はまるでなかった。<br><br>おもうに、僕をそのように仕向けていった意識は、こういった実際のチンドン屋との接触によるものではない。よくよく記憶をほじくりかえすと、この原因は、小さい頃よく目にしたいわき市の郷土芸能じゃんがら念仏踊りの音、その記憶によるものなのではないかとおもえてくる。<br>じゃんがら念仏踊り（以下じゃんがら）とは、古くは泡斉踊りなどとも呼ばれ、北茨城の僧が伝えたとする説、いわき市四ツ倉出身の祐天という僧が地元住民の信仰心をあおるため歌に念仏をのせ踊りをまじえて説法をした、とする説などそのルーツについては諸説あり、エイサーとの類似性も指摘されている。<br>両面太鼓をかついた者が三人ほど、摺り鉦を持った者が5、6人ほどでフォーメーションを組み、新盆の家々を角付けするようにして回る。仏様に奉納する儀式というわけだ。<br>行う場はもちろん野外で、民家の庭に入り込み、太鼓を鉦が囲むようにして並ぶ。地域によっては横笛を入れたり提灯持ちが御詠歌を唱えることもある。<br>ふるまわれるビールで顔を真っ赤にした男たちが中腰になったり伸び上がったり、重心の低い姿勢でヤーレヤーレと掛け声をかけながら踊り叩きまくる姿は、今でもありありと思い浮かべることができる。派手な浴衣をくずして着、白いたすきをかけ、鉢巻の端をピンと立て手甲脚半をつけるのがスタイルだが、決して品のいい踊りではない。やけくそのように声をはりあげ、草履と白足袋を土だらけにして、腕を振り回す。しかし統率のとれた動きで、田園風景一面に鉦と太鼓の音だけがある。<br>何軒もの家々をまわった男たちの顔は日焼けと酒でむくれあがっている。暮れはじめた真夏の西の空に、蝉の声がじんじんと鳴り渡ってうるさい。じゃんがら来たぞ、といって近くの子供たちが集まって来、塀から覗き込むようにして庭を凝視している。そして、どどどん、ジャンガジャンガ、といってはじまると、辺りの空気がとまり、太鼓と鉦の音が体をゆらす。けたたましい鉦の音はとぐろを巻いて空に舞い上がり、太鼓の音は田んぼの土に染み入るようにしてどこまでも広ってゆく。男たちの太い声が鳴り渡ると黄泉と常世の扉がひらいて、世界は立体をこえて無限に膨張する。<br>大げさだが、大人になってじゃんがらを改めて観たときの感想はそのようなものだった。どっと涙があふれてはずかしいくらいだった。観客も演者もいない、木や土くれのような音楽。それは気の遠くなるような遠い昔と未来に鳴り響いて、ぼくの体をさーっとつきぬけて、空に消えてしまった。<br>今になって思えば、このときの鉦と太鼓の音と野外のイメージが現実的な欲求となってぼくをチンドン屋に惹きつけたのではないかと思う。じゃんがらについては書いておきたいことが山ほどあるし、読まなければならない文献もたくさんある。単なる郷土芸能としてではなく、音楽として、あるいは東北一円にひろがる呪術の一形式として。<br><br>もし盆の季節いわきに訪れることがあれば、どこかからどどどんという低い太鼓の音が聞こえてくるはずだ。そのときは用事や外出の目的など忘れて、音のするほうへ駆け寄って行ってほしい。
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<pubDate>Wed, 10 Apr 2013 23:15:32 +0900</pubDate>
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<title>ひさびさに更新</title>
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<![CDATA[ こないだ東京の国分寺で、「福島 六ヶ所からの伝言」という映画のプレイベントと上映会の余興で演奏した。チンドン屋のアコーディオンみほさんと二人でやっているんだけど、チンドン太鼓をたたいたり好きに歌ったりして、まったく今までやったことのないスタイルでおもしろい。映画少し観たけど、正直きつかった。映画の出来がどうこうというのではなくて、リアルな人間の悲惨をスクリーンで見せ付けられるのは本当にきつい。幸か不幸か、ふだんからあまりテレビを観ないので震災後の衝撃映像連発のテレビニュースにショックを受けることも少なかったが、二年経って、しずかに、現地の最悪な状況をみせつけられた感じがした。当事者でも非当事者でもない僕にとって、自分の態度を決めかねるという状態が二年間つづいている。言いたいことは山ほどあるけど、俺が言っても嘘っぽいし、言ってる自分もけっこうきつい。いろんな言葉が保留の状態で心の中にわだかまっている。<br>あれからというものことあるごとに『故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く』という啄木の歌を思い出す。しみったれで趣味はよくない歌だけど、ことあるごとにきこえる被災者の声をきくごとに、あれほど憎んで、燃やし尽くしてしまいたいとおもっていたいわきの匂いがよみがえってくる。学校帰りの寒々とした風景がどこまでも追いかけてくる。<br><br>暗い気持ちになっていても仕方ないので寝ましょう。おやすみ～
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<link>https://ameblo.jp/shokeikonno/entry-11507813162.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 01:09:57 +0900</pubDate>
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<title>回想</title>
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<![CDATA[ 転載その2<br>恥ずかしい話、こんなこともあった。今日から新しい仕事だ。<br><br>＊＊＊＊＊<br><br>もうすぐ冬も終わりですね。最近ちらほらと雪が降って、家で茶をずすらずすらしながら冬の最後っ屁かななんて思いながらブライアンイーノを聴いたりする日が続いています。 <br>冬が終わるということは春がやってくるといういうことで、春といえば入学就職の時期。俺は一年前何をやっていたかなと思い返すと、この時期まだ就職が決まらずあくせく就職活動をしていたような気がします。 <br>「気がしていた」と言うのはおぼろげな気持ちで活動していたせいで、いわゆる「シューカツ」やったという実感がないせいです。 <br>夏頃内定をもらっていた会社が零細で潰れそうだったことを今頃の時期に知り（面接は十五分くらい、会社の近所のファミレスでやりました）、その後何度も上京し面接を繰り返して受かった竹橋の印刷会社も内定通知に同封された研修案内の「ビジネスマナー講座」「新入社員は挨拶と掃除から」の文句に嫌気がさし辞退。自分の稼ぎで食っていくということに対する覚悟がまったくないままなぜかアニメの製作進行をやりたいと思った僕はこれまた何となく東京の西の方にある小さなグロス受けの会社を受け、なぜか採用され、杉並区下井草へと引っ越したのでした。不動産屋へ赴き「とにかく安い部屋」という要望のもと出てきた風呂なし共同シャワー八百屋の二階という昭和30年代の漫画家が住んでいたようなボロアパートへと引越し、家から歩いて二分ほどの会社にジーンズサンダルばきで出社する、という毎日が始まるはずでした。 <br><br>アニメの製作進行というのはいわゆる出版の編集者やADなどに近いような仕事で、企画立案画コンテにはじまり原画、彩色、動画、仕上げ等々分業によって製作されるアニメの素材をそれぞれのスタジオ間で持ち回る仕事です。また車での移動がほとんどのためスタッフの輸送からスタジオで大量に出る紙ゴミの処理まで、雑務的な役目を果たします。 <br>出社一日目の夜二時。スタジオでは原画家たちがイヤホンをしてフィギュアに囲まれながらもくもくと画を描いています。ときに交わされる会話はすべてアニメ漫画の話題です。馬車馬のようにこき使われながらも画を描くことに生の喜びのすべてを見出している彼らに自らの境遇を疑う余地はありません。廃棄予定のコンテを段ボールに詰めている僕の傍らで髭面で腋臭の男と普通めの女性がネギま二期の作画について語り合っています。その奥ではペイズリーのバンダナをした作画監督がマックのハンバーガーを音をたてながら食っています。さらにその向かいの机では僕と同じ製作の太った男が坂本真綾の新譜をにやにやしながら聴いています。歌詞カードをみながら。 <br>詰め作業を終えた僕は、リクナビNEXT、で検索をかけました。 <br><br>明くる日、他のスタジオをまわって自己紹介をし、車庫入れで街灯に軽く車の尻をぶつけた僕は帰りがけ直属の上司であり教育係であった真綾ファンの男に向かって辞意を伝えました。 <br><br>「辞めさせてもらいます」 <br>「は」 <br>「いや辞めますって」 <br>「次の仕事は」 <br>「さあ」 <br>「・・・」 <br><br>次の瞬間、ちょっと社長に話してくる、といって会社のほうへかけていく彼の後姿を横目に、僕は家路につきました。 <br><br>家々の灯りが遠くにみえた。<br><br><br>2008年2月9日
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<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 10:27:14 +0900</pubDate>
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<title>ただのともだち</title>
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<![CDATA[ またまたmixiの日記を転載。いつ退会するか分からないので今のうちにこっちにめぼしいやつを転載しておこうかななどと思っています。<br><br>＊＊＊＊＊<br><br><br>このところ暇なのでmixiの更新回数が増えていて何だか憂鬱な気分です。 <br><br>今日マイミク情死くんとラーメン二郎桜台店へ行った後近くのマックでだらだらしていて「局長元気かな」という話になりました。局長というのは僕が以前勤めていた郵便局の局長のことです。 <br>なぜ職場の人間でもない情死君が僕の勤めていた郵便局の局長のことを知っているのかというと、それは去年の夏、局長、情死君、僕、局の若い人の四人で靖国神社の御霊祭に行ったから。お神酒で顔を真っ赤にしながら。 <br><br>僕と局長との出会いは昨年四月、アルバイト面接のときでした。 <br>しかもその局の面接ではなく、隣の局に面接で。なぜか局長は自分の局ではなく隣の局の面接に同席していたのです。 <br><br>局長B（隣の局の局長）「どうして就職もせずに福島から来たの」 <br>僕「あ、いえ、実は、音楽とかやりたくて」 <br>そのとき僕は、仕事を二日で辞めてしまったので食いつなぐために来ましたとは言えず、咄嗟にはったりを言ってしまったのです。 <br>局長A(件の局長)「どんな音楽？」 <br>僕「あ、ジャ、ジャズとか（当時バンドを組んでいなかったため）」 <br>局長A「ほう、ジャズね。僕もオスカーピーターソンが好きでね（興奮気味に）」 <br>僕「そ、そうなんですか」 <br>局長B「・・・。」 <br>局長A「Bさん、ちょっとこの人借りてもいいですか」 <br>局長B「ええ、まあ・・・」 <br>局長A「じゃあちょっと飯でも行こうか」 <br>局長B「え、ちょ」 <br><br>といった調子でなぜか隣の局の局長に連れ出された僕はそのまま回らない寿司屋へ。貝類などを食べながら局長の若い頃の話を聞かされ、即採用。何が起こっているのかまったくわからないまま、僕はそのままその局長のもとで働くことになったのでした。 <br>局長は某大手食品会社に三十年勤務し退職を待たず実家の特定郵便局を継いだ人物で、土地持ちでインド株か何かで儲けているためか羽振りがよく、まるでバブル絶頂期の管理職のようでした。 <br>何でも若い頃音楽を志したことがあったらしく、鳴かず飛ばずの末とりあえずの就職で博多へ飛ばされ、二十代を九州人の迫害に耐えながらすごしたのだといいます。 <br>浴びるように酒を飲む人物でしたが、決して強いわけではなく決まって酔いつぶれては同じ話を繰り返す癖がありました。週に一、二度は飲みに連れて行ってもらっていたのですが、その度に明日の仕事は大丈夫なんだろうかと心配になるほど酔っ払う人でした。それでも明くる日は元気に出勤し、下手なギャグをふりまきます。局員の女性たちには半ばあきれられているようでしたが、僕にはとても好い人物に思えました。 <br><br>ある日、二人で吉祥寺のジャズバーへ飲みに行ったときのこと。局長はウイスキーソーダなどを飲んで完全に酔っ払い、隣の見知らぬ客に酒をおごっています。店内ではピアノトリオがJUST FRIENDSか何かを演奏しています。曲終わりのカデンツァの最中、ハイテンションだった彼はふとグラスに目を落とし、「ブルースだよ、分かる紺ちゃん、ブルースが足りないんだよ」と呟き、目に涙を溜めていました。 <br>簡単なミスをやらかしては年下の局長代理（局で二番目に偉い人）や主任に叱られ、無理を言う客に頭を下げ、仕事が残っているのに飲みに行ってしまう局長。「酒は薬だ」が口癖の局長。細身で右足を引きずりながら歩く局長。 <br>癌を煩い休みがちで他の局を追い出された職員を二つ返事で受け入れた局長。 <br>その涙が音楽による感動のせいだったのか、酔いのためだったのか定かではありませんが、その瞬間彼のブルースが僕の中に入り込んできたのです。 <br><br>決して仕事の出来る人ではありませんでしたが、ほんとうに優しい人だったのだと思います。 <br><br>そんな人だったので、僕の友人である情死君を無理に誘って御霊祭に行くくらいのことは彼にとってなんでもないことでした。しかもその後なぜか麻布十番の焼肉屋へ。思い返せばこのご時世に、無茶苦茶なことです。 <br><br>局長元気かな、明日会いに行ってみようかな。<br><br><br>2008年2月27日
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<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 10:23:14 +0900</pubDate>
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<title>あけましておめでとう　んで初雪</title>
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<![CDATA[ みなさんあけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。<br>こういった月並みな挨拶の大切さをしみじみと実感している昨今。東京でも雪が積もり、交通は麻痺、断絶状態、事故多発。そんな中ＤＶＤを返しに新宿のツタヤへ原付で行ってきました。つるつるすべりながら、前を走る高級車に車間詰めすぎじゃボケとどやされながら、おいこしざまに泥をひっかけられた車に頭きてしゃかりきに走ったら転倒しながら。人を呪わば穴ふたつ。今年は慈悲寛大の心でいきたいと思います。<br>記事を書く気力もないので去年のミクシィの記事を転載しとく。オーイエー。<br><br>＊＊＊<br><br>今こうして手巻き煙草をふかしながらパソコンのキーを叩いているむさ苦しいおれにもかわいらしい少年時代というものがあって、今日の降雪でむかし作った雪だるまをのことを思い出した。 <br>地元福島県いわき市は東北とはいえその最南端に位置し年間の降雪量は東京とさして変わらないが、冬の気温は低く奥羽の山々を越えてやってくる乾いた風は冷たく厳しい。 <br>七つか八つの頃であったか、生まれて幾度目かの雪でおれはおおはしゃぎになり、近所に住んでいたひとつ年下の野口ノリヒコくんと二人で一所懸命ゆきだるまを作った。子供が作るものであるから大して手の込んだものではなかったが、ちいさい手を真っ赤にしながら砂利敷きの駐車場に積もった雪を転がしてはふくらまし、１ｍほどのものを作った。当時は手軽に携帯電話で写真をとるなどということもできず、ただ出来上がった雪だるまを母親に自慢してその夜は眠ったのだった。 <br>あくる日、今日の天気はいかがなものかと玄関を飛び出してみれば空は晴れ晴れ。残念に思いつつ雪だるまの様子を確かめにゆくとその丸々としたフォルムは充分に保たれており、おれは得意の笑みであった。 <br>しかし異変は学校から帰った夕方からおこった。 <br>さほど気温の低くない南東北の冬、ゆきだるまはみるみるうちに溶け出し、首をかしげはじめていたのだ。そのときおれは何かとても不吉な、胸に黒いわだかまりのようなものを感じた。暖かいところに置けば雪が溶け出すのは当然のことであるが、幼少期のおれにとってそのゆきだるまは自分たちの作品であり、さらにはそれを超えて、新しい友達だった。この雪だるま君をどうにか救わねばと思ったが大きな水の塊を家の中に置いておくわけにもいかず、おれはじりじりと小さくなっていく友達を指をくわえて見守るほかなかった。 <br>さらにあくる日、事態はさらに悪化する。すでに頭は胴体から滑り落ちはじめ、雪だるまの面影は薄れつつあった。後ろ髪ひかれるおもいで学校へ行き、息を切らせて帰ってくると頭が胴体から離れそうなほどに溶け出していた。 <br>狼狽したおれは母親にこの友達を救うすべを求めた。そこで困りはてた母親は、この友達の肉体の一部を使ってミニチュアの分身をつくり、冷凍庫にて保存せしめることを提案した。色めき立ったおれはすっかり水っぽくなった友達のボディを削り取り、分身を作り上げ、大急ぎで家庭用冷凍庫の空いたスペースに鎮座せしめた。泥と小石の混じった汚い色の雪だるまが、並んだ食品の隅で小さくなってこちらを見ていた。 <br>どんな顔をしていたのかはもうわからない。 <br>その後のことはよく覚えていないが、おれが雪遊びにも飽きてきた頃、冷蔵庫の中の彼は母親によって処分されてしまったのだと思う。 <br><br>思えばこのことに限らず、おれにはモノや人間との別れを人一倍はかなむ性質がある。小学生の頃、長期休みの度に田舎へ遊びに来ていた練馬の従兄弟が東京に帰るときなど、帰京の前夜からいやな虫が背筋をぞわぞわと這い上がってくるような感覚に苛まれて眠れなかった。おれは滅多に泣かない子だったが、彼を平駅まで送る車中では目玉がふやけるほど涙が出た。 <br>さらに白状すれば、これも小学生の頃だが、そそうをしたパンツを即刻捨てろと母親に命じられ、どうしてもそれができずパンツをタンスの裏に隠しておいたことがある。これは家族に対する嫌がらせでも反発心なんでもなく、長くつれそったパンツ君が焼却処分されてしまうことをはかなむ一念によるものだった。モノを大切にしようとか、モッタイナイ精神とかいうわけでもなく、自分の肉体の一部が切り離されてしまうような感覚に襲われて、いたたまれなくなるのである。 <br><br>今日も雪にうかれて年甲斐もなく雪だるまを作った。また彼との別れを迎えなければならないのだと思うと胸が痛む。酒がのみたい。<br><br>2012年1月23日深夜
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2013 01:22:18 +0900</pubDate>
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<title>23日イベントの映像</title>
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<![CDATA[ その1<br>ダラブッカ、タブラ、ベースなど<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/N_QbeNf1IEo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>その2<br>ダラブッカ、タブラ、ベースなど<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/LBgUbPmsUCY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>その3<br>ベース二本メイン、灰皿、バンスリ<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/s1qG0uNPOAI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>その4<br>サックス四本　アルト二本、ソプラノ、テナー<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/cQkxK12FwLA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>その5<br>ほぼ全員参加<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/7XQ1AMcL-dM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br><br>いやーそれにしてもみなさん好き勝手にやってくれましたね。各々が別のレイヤーで動いているようなシーンが多くてぼくは好きです。アンサンブルはアンサンブルでいいんだけどね。<br>とってくださったにむにむさんありがとうございました。よいアーカイブになります。<br>
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<pubDate>Wed, 26 Dec 2012 02:00:05 +0900</pubDate>
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<title>西暦2012年12月23日分の反省</title>
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<![CDATA[ 世間はクリスマスですが、一人カップラーメンを食いガキ使のDVDをみております。詩や小説と同じように、笑いもじつに言葉の深淵に迫ろうとするジャンルであると最近思うしだい。<br><br>といったわけで、23日の江古田でのイベント無事終えることができました。ご協力くださったみなさんたいへんありがとうございました。当初は前回の9月のイベントに続いて語り物のイベントにしようと思っていたのが目算が狂いまくりネタが出て来ず、何かほかにできることがないかと思いインプロのフリーセッションということになったのですが、はじめから呼びたいと思っていた人はもとよりイベントが決まってから知り合ったプレイヤーも参加してくれるなど面子に恵まれました。<br>どこのセッションに行っても、とにかくホストや仕切りというシステムがありそれがなんともいまいましかったため今回は仕切りほとんどなしで全員がすきなようにすきなタイミングで始めることにしてあったので金を払ってサービスを受けようと思って来られる観客の方には優しくない内容でしたが、出演者も観客も自分なりに考えて生産的な楽しみ方を見つけてほしいというのが僕の中に常にある課題なので、申し訳ないと思いつつ仕方ない、といったところです。<br>ともあれ、自分の知人の範囲内ではありますがこの人とこの人を会わせたら面白いだろうなあという人たちを集めてぶつけてみたわけで、サックス四人の即興演奏や六弦ベース（しかも楽器も同じ機種）二人のセッションなど組み合わせの妙も生まれ、おかげさまでほかでは見られない珍しいサウンドを楽しむことができました。あとはほとんど全員参加のフリーセッションでみんな好きなように音を出し合い、という感じ。<br>とにかく今年はできる範囲で色々なところに顔を出してできるだけセッションにも参加し、人と会うことを目標にやってきたので、最後にちんまりと結実させることができてよかったように思います。前谷くんを媒介した外大の人たちとのかかわり、ジャパノイズのかかわり、大学の後輩、さらにはチンドン屋のかかわりなど、いわゆる即興演奏の専門家ではない雑多なジャンルの人を一挙に集めてできた音楽がどんなものであったか説明するのは大変難しいことですが、とにかくひとつの場に集まって誰かと音楽をしたいという参加者の人たちの気持ちがとても清清しく創造的であったということはいえます。<br><br>今年二回のイベントをベースに、来年はもう少しテーマ性のあることを考えて魅力的なイベントをしたいと思います。その際はご協力よろしう<br><br><object width="459" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/HORM2KcM6zo?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/HORM2KcM6zo?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="459" height="344" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 20:16:47 +0900</pubDate>
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