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<title>カブンの　あっ! 思い出した　～幸せな人生って～</title>
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<description>「人生をいかに生きるべきか」考えていた青春時代。だが、どこでどうなったのか？今、さ迷い老人の「私」がいます。「記憶」を書き残す中で、わずかでも「私」を振り返り、残された瞬間瞬間を反省のうちに生きたいと考えています。</description>
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<title>【無国籍 国連軍を 組織する】</title>
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<![CDATA[ <p>　今の時代の戦争、誰が始めても、それは「私戦」にすぎないわけで、プーチンの侵略なんて、まさにギャングが縄張りを広げようと一般人まで殺害しているといった、そんな状況です。</p><p><br></p><p>　いかにロシアの名前を使っても、ロシア国民の理解を得ていないというわけで、これは一組織がウクライナという国に戦争を仕掛けた、まさに「私戦」というべきものでしょう。</p><p><br></p><p>　それにしても、 世界の共通理解を得て暴力を止める仕組みは、やはり、できていなかったのですね。　</p><br><p>　第一次世界対戦後に国際連盟を、第二次世界対戦後に国際連合を組織して、人類の様々な問題を解決しようとしたのでしょうが、 今回のような暴挙に対処する決定的な仕組みは、やはりできていなかったのです。</p><br><p>　日本のメディアなど未だに、世界の警察官としてのアメリカがどうだとか、そんな調子で解説していますから、国民も国連の意味や存在の意義、可能性や改革などに考えが至りません。</p><br><p>　広く国際世論の承認を得ない武力行使は「私戦」とみなされるべきで、つまり、国際連合という場での話し合いを経ていない争いはすべて「私戦」ということになります。</p><br><p>　国際ルールを無視して「私戦」を行う集団には、武力による取り締まりが必要になる可能性があります。プーチンの暴挙は、まさにその対象です。</p><br>　以前から言われているように、「国連軍」という組織が必要です。そうでないと、「核をもたなきゃ」と、うろたえるような国などが出て、核兵器廃絶をはじめ、軍縮がますます停滞します。<br><br>　人間の心はそう簡単には進化しません。兵器、軍事力を減らしていくより他に危機回避の方策はないのです。<br><br>　ちなみに、「国連軍」は「無国籍」に、と私は考えています。<br>
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<pubDate>Thu, 10 Mar 2022 22:50:48 +0900</pubDate>
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<title>【柔道の 心は持たぬ 柔道家】</title>
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<![CDATA[ <br><br>柔能く剛を制す　のは、柔道<br><br>　ほら、プーチンさんは柔道家なんでしょ？<br><br><p>　昔の話ですけどね。嘉納治五郎さんの話じゃなかったかな？</p><br>　他の流派の格闘家と試合をしたいという門下生たちがおりましてね。それで、先生が、他流試合は許さんと、するなら破門であると。で、思い止まると思いきや、であれば仕方がないということで門弟たちは破門を選んで、いざ他流試合へと。<br><br>　でもそこは柔の修行をした若き柔道家たち。自分たちは誇り高き柔道家であるから、相手がどんな手を使って来ようと当て身(さしずめパンチといったところでしょうか？)は使ってはいけない、とチーム内？で確認し合ったそうです。　　<br>　なんかホイスグレイシーみたいなもんでしょうか。それで、見事に勝利したとかなんとか、そんな話でした。<br><br><p>　プーチンさん、柔道の心までは学ばなかったんでしょうね。当て身どころか、銃はぶっ放す、戦車を出す、ロケット団を打ち込む、さらには掟破りのクラスター弾なんかを使用したという報告までありますからね。</p><br>　すごいですね。相手が傷つこうが何しようが構わないと、自分の目標を目指して突っ走る。<br>　さしずめ、<br>　　銃 能く 平和びとを 制す <br>といったところでしょうか。<br><br>　プーチンさんの立場から理解しようとする人もいますが、無慈悲、残忍、時代錯誤、どう見ても狂気の侵略ですものね。<br><br>　そして一方、ほら逃げる人たちの言葉が。一般のロシア人たちを恨むわけじゃない、とか、ロシア人とは兄弟だ、とかですね。そうおっしゃってますものね。まったく胸が痛みます。<br><p><br></p>　 それにしても政治家はすごいね。 一握りの人間が10万15万という人間を動かして、殺りくをさせることができるんだからね。恐ろしい話だと思いますね。これって本当に21世紀の現実？<br>　と、私も思います。<br><br>　ちなみに、次回に〈つづく〉です。
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<link>https://ameblo.jp/shosen-3rd/entry-12729250491.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Feb 2022 23:45:20 +0900</pubDate>
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<title>【 独り身は ぎっくり腰も　命がけ 】</title>
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<![CDATA[ <div>　急に冷えたせいでしょうか。ほぼ一年ぶりのぎっくり腰で、いきなりピンチになりました。<br></div><div><br></div><div>　一人暮らしというものは 本当に良くありません。普段から心身によくありませんが、病気など、一度ピンチの状況になりますと、例えば、水が飲めない、おトイレに立てないとなれば、これはもう命に関わります。</div><div><br></div><div>　一年前は、救急に助けていただいたりして、なんとか危機を免れました。入院生活は、私にとっては天国でした。食べ物も、先生やリハビリの先生の指導もありがたかったです。</div><div><br></div><div>　今回は 予兆がありましたので、あらかじめ、さほどの動きをせずに水分と食べ物とおトイレのことなどを、なんとか自分でできるようにと、準備を致しました。それで今のところ生き延びております。</div><div>　これは まさしく、精神的にも肉体的にも修行そのものです。</div><div><br></div><div>　とは言え、私の場合は、何かバチが当たったのだと思って、素直に普通に状況を受け入れております。</div><div><br></div><div>　独身率が高まっているという話を聞きますが、独身の方は万難を排して、また、お持ちの知恵全てを使って、なんとか、共に歩く人を見つけてほしいというのが、この虚弱で貧しい独居老人の切なる願いであります。</div><div><br></div><div>　ちなみに、独居老人だから失意のどん底で一瞬たりとも幸せを感じきれない、・・・かというと私の場合は、そこまではないみたいな・・・・・。</div>
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<pubDate>Mon, 17 Jan 2022 15:01:08 +0900</pubDate>
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<title>【争いに　必要なのは　調停者】</title>
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<![CDATA[ <div>　小学校4年生の頃に喧嘩に興味をもったことがありました。もちろん、顔を殴るとかそういう喧嘩ではなくて、私たちの田舎では、胸ぐらを掴んで押し合いへし合いとか、その程度の喧嘩でしたね。</div><div><br></div><div>　私のような虚弱体質で泣き虫の子どもが喧嘩に参入できたのにはそれなりの理由があります。</div><div>　それは、必ず止める人がいたということです。止める人がいなければ安心して喧嘩なんか出来ません。危ないじゃないですか。</div><div><br></div><div>　ボクシングとか、総合格闘技とか、恐ろしく乱暴なものをテレビで見せる理由がわかりません。頭をなぐられて失神したり、骨折したり</div><div>“ 大ごと ”ですね。あれもレフェリーみたいな人やドクターがそばにいるから大丈夫なんでしょうかね。</div><div>　子どものいざこざと状況に類似点はあっても、危険度が違い過ぎるような気がしますけれどね。そしてまた、それを見て喜ぶ人がいるわけですから始末が悪い・・・と私は思っているんです。</div><div><br></div><div>　それで、私が参入した喧嘩ですけれども、誰かが喧嘩を始めたら、周りの何人かが必ず止めに入るわけですよ。仲裁役って言うんですかね、正義の審判って言うんですかね、調停役って言うんですか、一番格好のいい役です。</div><div><br></div><div>　それがいれば、いろいろ“ 大ごと ”にはならないわけです。もちろん職員室に呼ばれて先生から大目玉を食らう、これは十分な“大ごと ”でしたけれどもね。</div><div><br></div><div>　ところで、今の時代の国際紛争について、調停役は大丈夫ですかね？国際連合の安全保障理事会なんか、軍事大国が常任理事国に紛れ込んでわがままをするような状況ですし、改革不十分でしょう？</div><div>　</div><div>　今の時代の戦争、戦争っていうのはいつの時代もそうなんでしょうが、一旦始まると“ 大ごと ”になってしまいます。今の時代の戦争というのは特に、もう人類滅亡の危機さえありますよね。兵器が違いますから。それはもう77年前ですか、もうずいぶん前に分かったことなんですね。しかし世界では未だにそれを分からない人がいる。さらに、それを理解しない人がリーダーになってる国さえある。これは危ないですね。</div><div><br></div><div>　今、ウクライナ付近で不穏な空気があるそうですけれども、まさに当事者となっている国、それ以外の国々が仲裁役、調停役をを果たさなければならないんじゃないでしょうか？それが日本だったらいいのに・・・と思うのは私だけでしょうか。</div>
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<pubDate>Thu, 13 Jan 2022 00:43:28 +0900</pubDate>
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<title>【 痛くても　利用できない　皆保険 】</title>
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<![CDATA[ <div>　あけまして　おめでとう　ございます</div><div><br></div><div>　いつの話だ？と言われそうですが、これが私の生活のペースです。</div><div><br></div><div>　一昨年来の左肩の痛みが右肩、左腕、右腕、背中上部、腰と広がり、もうなんと言いますか、夜中は痛みでよく眠れず、脈も乱れて、というさんざんな有り様で、・・・・。</div><div><br></div><div>　とはいえ、何分、下層階級の年金生活者、国民健康保険税は年金天引き故に払えても、窓口負担金の支払いは不可能、病院にかかることもできないため、じっと耐えておりました。</div><div>　しかし、よくよく落ち着いて考えてみますと、昨年、ブログを始めた頃は、痛みも少し軽快していたという記憶が・・・・。</div><div><br></div><div>　そこで、また思い立って、書けるときに一人言を書いてみようと、今日、思ったのでした。</div><div><br></div><div>　書いている間は、気が紛れますし、訪れてくださる方があれば、さらに痛みが和らぐのかな？というような調子の単純な考えです。</div><div><br></div><div>　私と同じインターネットサーファーの方々の迷い込み来訪を期待しています。</div><div><br></div><div>　あなた様に幸多き一年となりますように。</div><div><br></div><div>　　　　カブン　ショーセン</div><div><br></div>
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<pubDate>Sun, 09 Jan 2022 17:27:34 +0900</pubDate>
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<title>このままでも</title>
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<![CDATA[ <div>　このまま今のまま、何もできないまま、何もなさないまま、死を迎えることになったとしても、後悔しないようにしよう。</div><div><br></div><div>　このままで、このままでも認めることにしよう。そうしないと成仏できないかもしれないから。</div><div><br></div><div>　やり残したことはいっぱいあるけれども、できなかったことも、いっぱいあるけれども、しようと思っても力が湧かずに、進めきれないことがいっぱいあったけれども、それでも後悔しないようにしよう。</div><div><br></div><div>　とりあえず最低限、命は次の世代に譲ったし、そこのところに、かすかな期待をかければいいと思う。</div><div><br></div><div>　次の次の次の次の世代になった時に、何かしら勢いのある、いきいきとした、より良く、そう、より良く生きる人間が一人でも出現すれば僕はその人のためにあったんだと、例えそれが、戸籍上の関係ではあっても、その人のためにあったんだと思える。</div><div><br></div><div>　そう思う。だから結局、このまま今のまま何もなさぬまま、人生を、この世での人生を終わったとしても、後悔はしないようにしよう。</div>
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<pubDate>Tue, 14 Sep 2021 21:27:35 +0900</pubDate>
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<title>「貸した物は、あげたと思いなさい。」</title>
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<![CDATA[ <p>　私には変な息子たちがおりまして、中に、よくお金を貸してと言ってきた子どももおります。</p><p><br></p><p>　久しぶりに連絡してきたかと思えば「500円貸しといて！」とか言うのです。子どもといっても二十歳を過ぎてそんなことを言っておりましたからね。変な子どもだなぁと、自分で仕事を営んでおりますのに。</p><p>　社員はおらずとも、社長でしょうから 、それが500円持たずに外出するなんてどういうこと？と言いたいわけですが。&nbsp;</p><p><br></p><p>　また、「5000円何とかならん？」と言ってくる子どももおります。これは、多い時には3万円とか言ってくるわけです。しばらく前までは私も2、3万円の融通は無理をすればつけられるかも、という状況でしたので 「分かったぁ。」とか言って出すわけです。</p><p><br></p><p>　がしかし、 返してとは言いきれません。</p><p>まぁ、いくつになっても可愛い子どもという気持ちがどこかにあるのかもしれません。</p><p><br></p><p>　そしてもう一つ、返してと言えない大きな理由があります。 それは従姉たちの言葉です。従姉と言いましても、父方の従姉はもう、私の母親と同じくらいの年でした。</p><p>「人にものを貸したらね、あげたと思いなさい。そういうふうに私たちは教えられて育ったのよ。」と言うのです。また、</p><p>「人に物をもらったら、借りたと思いなさい。」というのも同時に教えられた生き方なのだそうです。</p><p><br></p><p>　従姉は、それが一族に受け継がれた教えの一つであるというような言い方をしておりました。そのせいでしょうか、それは、私の記憶に結構はっきりと残りましたね。</p><p><br></p><p>　 " 貸したらあげたと思いなさい"ですから、なかなか返してとは言い難いものがあります。子どもの一人は調子が良くて 、「お父さん、今、結局俺はいくら借りてるの？」と確認するものですから、一応、借りたことは覚えてるんだ、と思いながら「 5000円 」と答えたりしますと、「わかった！じゃあ今度、1万円返すからね。」と言うのです。</p><p>　言わなければいいのにね、そういうことは絶対しないんだから、と思うんですけれども、この子はそういうことを言う習慣がどこかでついてしまっています。これも親の責任でしょうかね。</p><p>　親は返してと言えない。子どもも、親が、「返して」と言わないことをわかっている、あまり良い関係ではないかもしれませんね、うちの息子たちにとっては。</p><p><br></p><p>　子どもたちの生き方というのは、「借りたものは、もらったと思え。あげた物は、貸したと思え。」という感じに見えて、いささか、残念な感じです。</p><p><br></p><p>　ちなみに、親から子へ、子から孫へと、文化(ものの考え方や行動の仕方)が受け継がれるということは、素晴らしく、そして大切なことだと思いながら生きてきましたので、そういう意味で、ここに至って、親から受け継いだ文化を自分の子に伝えきれなかったということについては、反省してもしきれないものがあります。　　</p><p>　また、後悔そして自責の念でいっぱいです。</p>
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<pubDate>Fri, 03 Sep 2021 15:25:46 +0900</pubDate>
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<title>バスタオル、買いました。</title>
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<![CDATA[ <p>　無力 老人の私、昨日バスタオルを買いに出かけました。ここ2、3週間は杖を使わずに歩いております。結構なことです。</p><p><br></p><p>　100円均一というところをまず覗いてみたんですけれども、ちょうど欲しいサイズがあったので、300円で、しかも、中国製でしたけれど買って帰ったのでした。</p><p><br></p><p>　私は、どこの国の製品を買うかということにこだわりがあります、何年か前からです。</p><p>　というのがですね、何かの記事で読んだんですけど、なんか発展途上国の製品をですね、適正価格で買って、その国に貢献するっていう運動があるんだそうですね。今、どういう状況か存じませんけれども。それはいいことだと思いましたし、購買活動についてもいろいろ考えなくちゃいけないんだなぁ、と思ったりしましてね。</p><p>　昔は企業が中国なんかに出かけて行って安価な労働力で大量生産をして 、その製品が日本にも戻ってくる、という仕組みだったんですかね、随分中国製品がめだっていましたよ。</p><p>　いえ、現在でもですね、私が購入するような安い商品は、ほぼほぼmade in chinaですよ。頼りきってる感じですね。安いものだけですか？中国はもう発展途上国じゃないんですよね。</p><p><br></p><p>　実態はどうか知りませんけれども、中国といえば、もう大きな経済力で時代遅れの軍事拡大を進めているという、非常に、今風に言えばやばい国という印象がありますのでね、中国の人には悪いんですけれども、もう何年も中国製品じゃないんですよ、私は。<br></p><p>　昨日はサイズのことがあったものですから、中国製を買ったのでした。ところが、繊維がすぐほどけて小さな綿ほこりとなって、ほわほわ飛び回り、もう使い物にならないんですね。ハズレのお買い物でした。</p><p>　結局、今日インド製品購入となったのでした。安物買いの何とか、という話です。</p><p>　最近は、インドとかですね、カンボジアでしたか、あるいはタイ、ベトナムとかね、安くて良いものが手に入るんですよ。それぞれの国には、私が知らないことが色々あるんでしょうけども、無力老人の平和貢献は、お金の動きを知った上での購買活動や、ただひたすらのお祈りくらいしかないのかなぁと思ったりしています。　</p><p>　つくづく、無力じゃのう、と感じます。</p><p><br></p><p>　ちなみに、もうだいぶん前から、草むらの仲間たちが一生懸命に鳴いています。</p><p>　秋です。私も無力なりに、一生懸命鳴きたいと思っています。年寄りですから静かに遠慮がちに鳴きたいですね。若い人たちから嫌われないように。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/shosen-3rd/entry-12695354169.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Aug 2021 23:04:58 +0900</pubDate>
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<title>横浜市長選挙　(個人的)【号外】</title>
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<![CDATA[ <div><div>新しい市長さんは「カジノ」反対？</div><div><br></div></div><div>　個人的【号外】<br></div><div><br></div><div>　横浜市長選挙ですか、新市長さんが決まったそうですね。そのニュースの中で耳に残ったこと、それは、カジノ反対の立場をとる市長さんらしいということ。</div><div><br></div><div>　個人的にずっと気になっていることなのですけど、IR問題ですね。</div><div>　IR、IRと言っていますが、その中にセットでカジノって言ってるわけですからね。必ず言うんです、「カジノを含む」と。もちろん広告では、あえて「カジノ」という言葉を使わないこともありますね。IRで夢を広げよう、というような調子の言いまわしですよ。</div><div>　でも「カジノありき」なんですよ、推進している人は一貫していますね。</div><div><br></div><div>　しかし、それにしても、これ賭博ですもの。博打ですよ。禁止されているものを政治家がおおっぴらにやっちゃおうと言い出して、しかも早速ですよ、取り掛かる前から贈収賄事件が話題になったわけですから、もう無理な話なのですよ。</div><div>　政治家をするほどの人でもお金の誘惑には勝てません、ということでしょう？それとも、政治家だけがお金の誘惑に負ける人であって、「カジノ」を運営する人、「カジノ」に通う人は、清廉潔白な、誘惑に負けない人なのです、ということでしょうか？</div><div><br></div><div>　例えばですね、運営主体の問題がありますよね。結局は民間でしょう。反社会的勢力の関わり等も懸念されますよね。それに、もう早速、政治家が反社会的なことをしちゃったという話ですから。</div><div>　ルールを定めてとか言ってますけれど、今すでに、ルール破りの収賄が話題になっちゃう始末でしょう。無理なんですよ。</div><div><br></div><div>　第一、依存症の問題がちっても改善されていない現状なんですよ。具体策はないんですよ。ギャンブル依存症の人、それは、患者なんですよ。今その家族や知人あるいは本人が、相談に行くとするでしょう。どこに行くべきと思いますか。どこかに相談をかけたとしましょう。ワンストップで、私たちの県では、市では、こういう風な仕組みになっていますので一緒に取り組みましょう、というシステムが、どの自治体にも用意されていると思いますか。もし依存症対策のシステムを構築済みで、実績もあげている、そういう自治体があるのなら簡単な話でしょう。そこに学べばよいわけです。</div><div><br></div><div>　課題を解決した上で、新たな賭博場を造りたいんだけど、と提案すべきでしょう。(？)</div><div>　リゾートがどうだとか、経済効果がどうだとか、未来がどうだとか、聞こえのいいことばかり言って、課題解決を後回しにする、なんともあさましい行政スタイルではありませんか。</div><div><br></div><div>　ちなみに、IRに、もっと言えばカジノに立候補している自治体がいくつかあるわけでしょう？どの自治体が最後までカジノ、カジノと言うのか、私は大注目ですね。</div><div>　行政と住民の考えが、カジノ誘致でぴたっと一致するとしたら、それはそれで、ある意味すごい地域だと思いますもの。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/shosen-3rd/entry-12693705553.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Aug 2021 22:53:27 +0900</pubDate>
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<title>本当に「一人ぼっち」？</title>
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<![CDATA[ <p>　今 一人で暮らしていますとね、時々どこかから、「寂しい？」と 尋ねる声が聞こえてきますよ。「寂しいよ。死ぬほど寂しいよ。」と返答してはみますが、何かぴんと来ません。</p><p>「寂しい」とか、「一人ぼっち」とか、それは、一人暮らしの身に当てはまる言葉だろうとは思うんですけれども、なんか、どこか違うんだよな、と思ったりします。</p><p><br></p><p>　そもそも、独身時代の 一人ぼっちっていうのは、職員住宅で仕事をしたり、あるいはちょっとイカ釣りなど、魚釣りに出かけたり、自由気ままなものであって、夜でさえ、寂しいとか一人ぼっちとかいう自覚は、はたして、あったのかなかったのか、どうだったのかなと思います。</p><p>　しかし、結婚して家族をもつと事情は俄然変わりましたね。出張に行っても早く帰りたいと思ったりとか。そして今、家族との暮らしを経験した後の一人暮らしというのは、確かに何かしら、もの足りない、いかにもなにがしかを失ったという感じ、それは、あるんですよね。あるんですけれども・・・。</p><p><br></p><p>　しかし、それにしても、私の一人暮らしというのは、神様が私にくださった何かのチャンスなのか、六十数年の生き方に対する天罰なのか、はたまた別の何か人智の及ばぬ何かがあるのか、いずれにせよ、何もかも妻に依存していた私は、日々にとんでもない修行を強いられております。衣食住の管理は厳しいですね。あっという間に一日が終わります。</p><p>　衣食住生活の主体である私はと言えば、腰が痛い、背中が痛い、五十肩ってこんなに痛くて、しかも一年以上続くものなの？というような調子で、これはもう、修行以外の何ものでもないと思えます。</p><p><br></p><p>　私が、一人暮らしでありながら「寂しさ」や「一人ぼっち」の中に埋没しきれないのはなぜなのか。神様か何かが、一生懸命に私を一人ぼっちにしようとしても、私はなかなかそこに至りません。その理由は、やっぱり私が一人ではないからなのだと思います。</p><p>　人間関係について言えば 限りなく一人ぼっちなのでしょうけれども、広く世の中を見渡しますと、まだ一人ぼっちではないような気が致します。</p><p>　空、雲、星、木、花、川の流れ、鳥の声、様々なものと、まだ話ができているような気がします。</p><p>　しかも、どんなに誰かが私を一人ぼっちにしようと頑張っても、私には多分最後まで、最弱で最も頼りないけれども常に私のそばにあるもう一人の「私」と言う相棒、と言うか分身と言うか、何か訳の分からないもう一人の「私」が私に寄り添い、私をして寂しさやひとりぼっちの中に埋没させないように働きかけるのだと思います。</p><p>　厄介ではあるのだけれども、私に欠かせない、私を生かしているもの、それがもう一人の「私」なのだと感じています。</p><p>　私が世の中の全てから必要とされなくなったとき、私をまだ必要とする「私」が登場する、それが、私が時に幸せを感じたりしながら生きている所以なのです。多分そうだと思います。</p><p><br></p><p>　ちなみに、そのもう一人の「私」は、常に私と反対のことを主張しますが、困ったことにパワー不足なところだけ私と同じです。私ともう一人の「私」がそれなりにパワーを上げていけたら、今と違う私へとグレードアップできるのでしょうけれど。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/shosen-3rd/entry-12693525413.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Aug 2021 23:58:46 +0900</pubDate>
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