<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>秀一のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/shuichi1217/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/shuichi1217/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ごみ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ゴミを木に変える力。<br>YouTubeを流し見ていたらうえきの法則の動画が流れてきた。<br>ゴミを木に変える能力が出てくるが、<br>ゴミであるかの定義は植木次第。<br><br>ゴミってなんだろう。<br>イメージ的には何かを繰り返し使用してそれ以上利用価値がないと感じたらゴミなのだろう。<br><br>これを逆に考えてみると誰もが驚くような発明も最初はごみなんだろう。<br>皆が価値がないと感じたものが改良を重ね、</p><p>あるところで有用性が認められる。<br>そう考えると役に立たないごみに目をつけることが発明の母なのだろうと思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shuichi1217/entry-12434439791.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jan 2019 08:58:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>月</title>
<description>
<![CDATA[ <p>最近やけに月が綺麗でつい上を見上げている。</p><p><br>&nbsp; 月は夜空で一際大きな存在感で輝くが、</p><p>その隣で小さく瞬く星の方が実際は遥かに輝いている。ここでふと知識を得ることとはどうゆうことなのか、という中学時代の教師の話を思い出した。</p><p><br></p><p>「知識を得るということは、自分からより遠くを照らせるようになることだ。円が大きくなればなるほど、円周が大きくなり新たに興味を持てる範囲も増える」</p><p><br></p><p>啓蒙という言葉は英語ではenlightというが(enlightの訳語として啓蒙という言葉が生み出されたかもしれないのでこの表現はいささか不自然かもしれない)、これは遠くから道しるべの光を示すイメージだろうか。</p><p>幼い頃は親や優秀な友人といった近くにいるものが夜空の月のように大きくすごいものだと感じていた。しかし成長するにつれて様々な人に会うにつれて彼らは凡人だったのだと気付く。</p><p>そしてさらにもっと遠くにはまだ見ぬ巨大な星があるのだろう。そういった光に導かれ自分自身も人を照らす大きな光になっていくのが成長であり、その継承が人類の歴史なんだろう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/shuichi1217/entry-12434227199.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jan 2019 11:05:01 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
