福島県原発被災地区の復興に向けて https://ameblo.jp/sigahina/ 3月11日を境に、僕らは変わった。また、変わらざるを得なかった。 ja-jp 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039717131.html  2015年6月7,8日、「脱原発社会をめざす文学者の会」(略称・脱原発文学者の会)の第3回福島訪問旅行に参加し浜通り地方の原発被災地をめぐった。参加者は僕をふくめ11人。メンバーには南相馬市小高区出身の僕の他に、被災地出身者として浪江町で被災し埼玉県で避難生活を送っている橘光顕氏(シンガーソングライター)がいる。彼は僕と同じ双葉高校の卒業生でもある。我々は東京駅から常磐線の特急ひたちに乗車し、いわき駅で下車。駅前でレンタカー2台に分乗し国道6号線を北上した。 旅行のプランは基本的に僕が計画した 2015-06-16T22:41:27+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 2 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039715979.html    久之浜 いわき市の市街地を抜けると国道6号線は北へ行くにも南へ行くにも海岸沿いを走る。震災直後は避難する自動車で渋滞し身動きとれなくなったところへ津波が直撃するという悲劇が起きた場所もある。我々は北へと向かう。津波で多大な被害を受けた四倉港も現在は復旧工事が進み、堤防に並ぶ無数のテトラポットがまっさらな肌を陽光にさらし、海に沈められる時を待っている。 僕は震災の二か月後に隣の海水浴場で浜辺のゴミ拾いをしたときの体験を話した。砂浜から津波が大量の砂をさらっていったおかげで、何十年も前に不法投 2015-06-16T22:31:56+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 3 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039711610.html 大熊町 久之浜漁港でぶらぶらしているうち予定の時間を大幅に過ぎてしまい、富岡町は明日訪問することにして国道6号線を北上していく。 作付けを終えた清々しい田園風景は、いつしか雑草の生い茂る野原に姿を変えていく。僕らは違うレベルの世界に入りつつあることを肌で感じる。同時に、巡回するパトカーもやたら目につくようになる。そして「これより帰宅困難区域」の看板があるポイントを通過すると完全に次元が異なる世界に入ったことを実感する。枝道はすべてバリケードでふさがれ、沿道の民家や商店、レストランはどれ 2015-06-16T22:28:21+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 4 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039709834.html 双葉町 福島第一原発は大熊町と双葉町にまたがる。爆発した1~4号機は大熊町にあり、事故をまぬがれた5・6号機は双葉町にある。事故直後、当時の双葉町長は5・6号機の存続を政府に要望している(『福島原発の町と村』七つ森書館)。あれだけの被害をこうむっても東電依存から頭を切りかえることができなかったのだ。原発立地町の愚かしくも哀しい話だ。 それはともかく、双葉町は原発の恩恵を受けてきた。その象徴とも言えるのが例の「原子力明るい未来のエネルギー」のアーチ型看板だ。 「原子力、明るい未来が消えちゃ 2015-06-16T22:24:49+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 5 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039708197.html 南相馬市小高区 双葉町で僕たちは浪江班と小高班に分かれた。浪江班は橘氏の案内で浪江町に入る。浪江町は橘氏の故郷だ。彼は今、埼玉県で避難生活を送りながら避難者支援のチャリティーイベントを開くなど活動を続けている。 小高班は浪江町を素通りし、僕の案内で南相馬市へ向かう。僕は南相馬市小高区で生まれ、18歳で上京した。小高区は福島第一原発から20キロ圏内の旧警戒区域。同じ南相馬市でも原町区や鹿島区と状況はまるで違う。屋内退避区域ではあれ、いちおうの生活は成り立っていた原町・鹿島区と違い、小高区 2015-06-16T22:19:49+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 6 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039705894.html 希望の牧場 小高の町は表情を変えつつある。壊れた家は次々に撤去されて更地が増え、新しい家が次々に建っている。僕の実家も今年10月に取り壊して建て替え、仮設暮らしの両親が来年4月の規制解除に合わせて移り住む予定でいる。しかし高齢の両親が安心できる医療や介護体制がどれだけ整備されているか、隣近所に話し相手がいるかなど心配の種は多い。帰還を喜んでばかりもいられない。 「戻る」意思を示す住民は「できれば戻りたい」を合わせても3割程度だ。「戻りたいけど戻れない」住民を差し引けばもっと低くなる。 2015-06-16T22:15:18+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 7 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039703691.html 仮設住宅 7日の夜は南相馬市在住の会員である若松丈太郎さん(詩人)と原町区の居酒屋で懇親会を開きにぎやかなひとときを過ごした。若松さんは震災前にチェルノブイリと福島の未来を重ね合わせた詩「神隠しされた」(『ひとのあかし』清流出版所収)が震災後に「原発事故を予見した」と注目を浴びた詩人だ。穏やかな人柄で、ご高齢で酒は一滴も飲めないのに僕らの馬鹿騒ぎにつき合ってくださった。 その夜は原町駅前のホテルで宿泊し、翌朝、若松氏の案内で鹿島区にある仮設住宅を訪問する。鹿島区は仮設住宅が多い。地図 2015-06-16T22:10:07+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 8 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039701075.html 飯舘村 飯舘村について説明は要らないだろう。福島県の悲劇を象徴する村だ。 現在では、帰村をめぐる住民の対立という新たな悲劇が浮上している。村長は来春の帰村をめざしているが、除染でどこまで線量は下がるのか、目標とする線量は何シーベルトなのか、そもそも安全な線量は何シーベルトなのか、環境省や村議の回答は曖昧で住民は不安を募らせている云々とホームページを調べればざっと出てくる。昨年会った福島大の教授は「飯舘村に支援に入っても村長派か反村長派かまず訊かれる。支援がやりにくい」と話していた。  2015-06-16T22:00:00+09:00 脱原発文学者の会 第3回福島訪問 9 https://ameblo.jp/sigahina/entry-12039696300.html 富岡町 飯舘村から南相馬市に戻り、国道6号線を南へと引き返していく。日曜日だった昨日と異なり、やはり大型トラックがやたらと多い。浪江町、大熊町を通過し富岡町に入る。昨日、時間不足で割愛した町だ。「たしかこのへんに高校時代の同級生の家があったんですけどね」僕が言う。一度だけ彼の家に遊びに行ったことがある。「ナマズというあだ名だったんです」 山本源一氏が笑う。目は笑っていない。4年間も放置されていた町は傷みが激しく、生活の匂いがまるでしない。空き家というよりは抜け殻だ。富岡町は福島第一原 2015-06-16T21:54:37+09:00 正月を故郷で迎える https://ameblo.jp/sigahina/entry-11974089297.html  年末年始の休暇に、全線で規制解除された国道6号線をレンタカーで走り、南相馬市小高区へ里帰りしてきた。 TVでも報道されていたが、帰宅困難区域内では枝道という枝道がバリケードで塞がれていた。放射線量が高いという話だが、要所要所には警察官や警備員が配置されていた。普通の防寒着に普通のマスク姿で。警察官はともかく警備員は民間人だろ? 被曝は大丈夫だろうか。一般車は駐停車すら禁止だというのに。僕も警備員をしていた経験があるから言うのだが、警備員という仕事は現場によっては人間扱いされないことも多い。(原 2015-01-06T23:12:56+09:00