<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>sil-kunのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/sil-kun/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/sil-kun/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>養蚕、生糸、製糸、絹織物について考えます。前橋、会津、信州の養蚕地帯や積み出し港の横浜が出てきます。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>虫が作り出す不思議な産品</title>
<description>
<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr" id="docs-internal-guid-6e51d505-7fff-0f67-e7d7-cb7254b532f0"><span>　　人類史上養蚕は古代から行われてきた。かいこだけでなく、様々な蛾の繭からも、生糸のように糸が採取されてきた。昆虫を利用したものの生産とはなんとロマンがあることか。あの人間とさりげなく共存している身の回りの虫が、何か美しいものを宿している。</span></p><br><p dir="ltr"><span>　　絹織物で知られるフランスのリヨン、山側のスイス近くでは養蚕が盛んに行われていた。シルクロードでも、農業に適さない山岳地帯が養蚕地帯だった。美しい光沢をもった絹は、ヨーロッパや中国で貴族や王族の衣類を飾った。ビンテージレースのように加工され、様々な衣類や日常品に使われた。</span></p><p dir="ltr"><span>　　</span></p><p dir="ltr"><span>　　醜くくも見える昆虫やその幼虫が、えもいわれぬ美しいものを人知れず紡ぎだすのは、イタリアなどヴァイオリンやギターのラッカーとして使われる貝殻虫もまたそうだろうか。いわゆるシェラック塗装である。天然のラッカーは木の振動を繊細に伝え、もっとも美しい音を出すという。</span></p><br><p dir="ltr"><span>　　　日本でもよく枯れ木に貝殻虫が白い体液を固めたからをいくつもこびりつかせている。ああしたものを目にした古代人たちが、何かに利用できないかと試行錯誤したものに違いない。それはまた踏み潰すと以外な真っ赤な色素を出した。イタリアのリキュールカンパリの色素は以前はその色素を使っていた。あの透き通るような独特な赤は他では得難いものだったのだろう。</span></p><p dir="ltr"><span>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;</span></p><br><p dir="ltr"><span>　　　エノキの木には玉虫が生息する。しっとり濡れた榎の葉は、芳しい上品で奥ゆかしい香りを放つ。玉虫はそんな榎の高い枝に好んで生息する。少し葉をかじり、何するでもなく静かに木にとまっている。人々がよく知るように、聖武天皇の宝物の中に、玉虫の羽を全体に敷き詰めた厨子がある。古代の宝物は大陸由来のものが多く、そんな中には昆虫を使った装飾品もあるということだ。玉虫は、榎の高木の高いところの若葉を好むようで、高いところを移動する。玉虫の光沢のある極彩色は、そんなかれらが鳥に捕食されないためのものだが、それでも鳥に傷つけられてしまい、天上の上品な淑女たちは失楽園の天使さながら、地上にときどき可愛そうに墜落して動けなくなっているのだ。　</span></p><br><p dir="ltr"><span>　</span></p><p></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/sil-kun/entry-12982726617.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Oct 2026 11:19:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日本の生糸輸出</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　　　日本経済の基礎は、明治維新後器械製糸によって横浜から輸出されるようになる生糸によって成立したと言っても過言ではない。それまで各地の山間部で細々と営まれていた養蚕が、福島や群馬、長野で規模が拡大して産業化した。</p><p>　　　そうした動きはスイスからフランス、イタリアにかけての山間部て盛んだった養蚕とリヨンやミラノの絹織物が、かいこの疫病によって大打撃を受けることに始まる。</p><p>　　　映画「シルク」でも描かれたようにスイスから、良質な生糸に目を付けた商人たちがよい蚕種(かいこの卵)を求めて日本にやってきた。その後、生糸の輸出で潤う日本の商人相手に、スイスの時計商人がやってきた。それがいわゆる商館時計の初めである。</p><p>　　　横浜の街には、福島や群馬の町の名が付けられ、各国の商館が建てられ、欧米の商人たちが行き来した。特に上州は、前橋に器械製糸の工場がスイス人によって初めて造られ、その後明治政府によって富岡製糸場が建設された。群馬県令には山口から香取素彦と吉田松蔭の妹ふみ夫妻が派遣され、横浜との間に鉄道が敷設される。福島と群馬の生糸が横浜から世界へ輸出されることで、日本は近代化を進めるのに必要な外貨を獲得した。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>　　　　</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/sil-kun/entry-12982658759.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Oct 2026 18:39:17 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
