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<title>simizukeinのブログ</title>
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<title>　水素社会への期待　その１</title>
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<![CDATA[ 　水素社会への期待　その１　　　　　清水　景允 　 　<br><br>　2015年2月11日の北海道新聞トップ面に「風力から水素 事業化　二酸化炭素排出せず『究極のエコ』・・・」と言うニュースが載っていました。また、2015年10月24日の北海道新聞朝刊４面に「『水素タウン』札幌市検討」と言う記事も出ていました。<br><br>　私は考えるのです。1960年代欧米の知識人達が環境破壊を危惧し、その原因を当時、軍事目的で開発中であったインタネットを利用し、世界中の環境破壊に関する情報を収集・分析しはじめました。その結果、環境破壊の原因は「産業社会」にあるとし、ポスト　インダストリアル　ソサイェティ（このPost Industrial Society「産業社会の次ぎに来る社会」を、日本ではその方法論から「情報化社会」と訳されて一般化していますが、全くの誤りです。）を探し求めはじめました。その社会が、正にこの「水素社会」である・・・と。<br><br>　この水素社会は、エネルギーの地産地消のシステムを構築するのに最も可能性があると考えられるのです。つまり、電気を電力会社から買わなくても自由に安い電気をその地区で作ることができるのです。<br>　例えば、いま、北海道道内では風力発電が至る所で行なっています。しかし、その地域で発電した電気を送電するのに電力会社から、色々と条件を突き付けられ大きな抵抗があります。それなら、その発電した電力で水を電気分解し水素を作れば良いのです。そして、その水素を水素電池の燃料として他の地域に売ればビジネスチャンスが成立し、新しい経済社会の構図が出来上がるのです。<br><br>　また、風力発電のできない地域があります。その地域では家畜の糞尿をメタン発酵させ（方法によっては水素発酵させ水素を得られる）、そのメタンと水を化学反応させ水素を作るのです。少々化学的な話になりますが、この方法ですとメタン１と水１を反応させると水素３と一酸化炭素１ができます。その発生した一酸化炭素は猛毒ですから燃やして、メタンと水を反応させる時の熱源にし、二酸化炭素として大気中に戻すのです。この二酸化炭素は、植物が太陽光との光合成で生体を作り上げるため原料となるため温暖化ガスにはなりません。<br><br>　さらに、この地球上には１ヘクタール当たり５２トンもの乾物収穫量を誇る農作物があります。現在、乾物１トン当たり２００リットルの炭化水素化合物（バイオエタノール）が取れる所まで研究が進んでいます（北海道道立総合研究機構　林産試験場　折橋健氏　バイオエタノール製造）。仮にこの農産物５０トンで燃料（バイオエタノール）を作ると５０トン×２００リットルで１００００リットルの燃料が取れます。ドラム缶５０本分です。<br>　私は思うのです。この１００００リットルの炭化水素化合物を水と反応させ水素にすると、膨大な量の水素が得られる（仮に例えば、炭化水素化合物は液体ですから、水に例えると水の分子量は１８ですので、水１８グラムを完全に気体すると２２．４リットル出来ますから、液体の炭化水素化合物から分子量によって異なりますが膨大な量となる訳です。）ことになります。<br><br>　私は考えるのです、バイオエタノールを製造するには、植物を構成しているセルローズのみを分解し、単糖類にしなければなりません。そこにエネルギーを使用しなければなりませんし、そのセルローズも、生体を構成している植物の中に最も多いとされている植物の中でも40％強しか含まれておりません。後の60％近くがリグニンという炭素・水素・酸素の化合物で、このリグニンは糖類にすることはできません。つまり、バイオエタノールにすることはできないのです。それでは植物の体を作り上げている半分以下の成分しかバイオエタノールにすることができません。<br>　そこで、考え出されるのが一生を終えた植物をメタン菌によるメタン発酵させるのです。そうすると、植物の体を構成している炭素・水素・酸素化合物を分解しメタンができます。メタンができた残りの残渣は肥料として土に戻せば、次のバイオの生育に役たちます。まさに循環型社会の構造が出来上がるのです。<br><br>　私はこのバイオに日本古来より原生している1haあたり乾物52トンも収穫できる植物に目を付けています。これを利用しないで科学信仰の下で、この地球上で使用してはならないものに手を付けてしまった人間の反省の基に、神様が与えてくれたものにもう一度、謙虚な気持ちで見直す時に来ているのでないでしょうか。<br><br>　ここで、少し現在のエネルギー社会の構造を眺めて、何故、今朝の新聞ニュースが新しいエネルギー社会を構築して行くのかと言うことについて考えてみます。<br>　現在は、國のエネルギー政策として、その高度な技術を持つ大手電力会社の擁護に勤めています。電気は簡単に発電することは出来ないという理由から、電力会社の特権として利権で守られています。その為、ライバル電力会社の設立を困難にしています（発電は出来ても送電には既存の送電線を使用しなければ成りません。）。しかし、それが『水素』となると既存の利権、特権を全く関係ありません。全く新しい体制でエネルギーを私達は確保出来るのです。<br><br>　想像してみて下さい。電柱はこの地球上から無くなるのです。そして、私達はコンビニで水素ガスボンベを購入し、その水素で発電するのです。各家庭には電柱からの引込み線はありません。冷暖房は水素で行なう為、二酸化炭素の排出はありません。つまり、温暖化ガスの排出はないのです。街には水素燃料で走る自動車（トヨタが既に水素燃料電気車を開発）が走るのです。これが、正に科学技術立国日本の姿ではないでしょうか。日本の科学技術はそこまで来ています。<br>　次回はどのようにして水素を作るのかについて、現在の利権と絡めて説明します。　<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12092786207.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2015 08:54:34 +0900</pubDate>
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<title>　　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.８</title>
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<![CDATA[ 　　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.８　　　清水　景允<br><br>　前回は、日本の「情報化社会」の誤った認識が、産業社会と異なる環境破壊へと進み、生態系の破滅を予測されると結論付けしました。今回は、この問題には人間の本質にかかわるもっと根深いものがある様な気がし、近代文化の発展は、はたして人間を幸福にしているのか。と言うところまで掘り下げて考えてみたいと思います。<br><br>　No.５で考えた通り近代社会は、産業社会の本質である科学信仰が、それに基づく技術を通して拡大してきました。確かに、その一つひとつの部門をとってみると人間社会は良くなっていると言えるかもしれません。例えば、鉄道には高速列車が走り、札幌東京間を４時間切るところまで来ています。空には飛行機が同じく札幌東京間を2時間切りました。その意味では、より良くなった。便利になった。と言うことが出来る訳です。<br><br>　しかし、私達は便利になった日常の生活を営んでいるなかで、常に不安を抱えているのでないでしょうか。例えば、誤った情報のコントロールのために生活していく中で起きる事故、事件があります。人間社会には法の下で生活していかなければなりません。つまり、決まりごとの中で生きていかなければなりません。ですが、その決まりを守っていても、どうすることも出来ない出来事に遭遇することがあります。その出来事の中に、近年人災事故が多くなっているような気がします。その最たるものが「公害」という言葉で代表される責任者の明確でない環境破壊問題があります。その最たるものが原子力発電事故です。ここでは、この原子力事故に付いては取り上げませんが、正に科学技術信仰の対象に霊があるなら、その悪霊による災害とものと言うことが出来るのでないでしょうか。その悪霊は人間が作ったものです。さらに、人間の内においては、生活を豊かにするかに見える物質が豊富に出回っている中で、精神的に満足させる物がだんだんと消え去っているのです。活字離れする人々の出現、これは考えることをさせない視覚による映像文化の出現が影響しています。このことは、産業社会の落ち行く先を暗示している様な気がするのは私だけでしょうか。<br><br>　これでは、健全な社会生活を送ることができません。今日のアンタゴ二ズム（哲学用語で敵対意識）を生み出したのは、この科学信仰の結果と言うことが出来ます。ここで、もう一度、科学とは何かについて真剣に考えなければならない時に来ている様な気がします。<br><br>　今回８回に渡って「日本における『情報化社会』とは何か・・・」と題して、私独自の意見を述べさせていただきました。結論から云いますと、この「情報化社会」とは「産業社会の次ぎに来る社会」を摸索し始めたところにありましが、日本の場合は、その方法論だけに目を向け、戦後教育を受けた一部の人間による情報（映像も情報の一部）のコントロールが、地球上の生態系に大きな汚点を残すところまで来ている様な気がしてなりません。人間の成長に例えると、言葉を覚え、その覚えた言葉を己の成長のみに使用し、他者との共存のために使用することを忘れてしまった様な気がしてくるのです。その意味では、日本だけでなく、世界の殆どの國も、一部の人々を除き、まだ情報化社会に気付いていないように見えて来るのです。<br><br>　８回に渡って、私勝手な考えをブログに投稿させてもらいましたことをお許しください。またチャンスがあれば、水素社会と情報社会との関係、新しい歴史の中での人間の生活を考えてみたいと思います。<br><br>　私の自叙伝「大雪山」の補足として投稿いたします。<br><br>（参考文献：沢田允茂著　講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」）<br>（参考文献：日本科学者会議編　リベタル出版「地球環境と原子力」）<br>（参考文献：岩波講座　岩波書店「哲学15　宗教と道徳」）<br>（参考文献：沢田允茂著　岩波書店「認識の風景」<br>（参考文献：沢田允茂著　岩波書店「九十歳の省察」）<br>追伸　この「九十歳の省察」は先生が亡くなる三日前に原稿用紙にピリオドを打った遺稿です。<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12082041892.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Oct 2015 21:35:14 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.７</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.７　　　清水　景允<br><br>  前回は、本来学問であったはずの科学がその厳格さ故に信仰の対象へと変化し、それが技術と結びつき科学技術の発展が人間の生活を豊かにするものと信じ、科学技術が生み出すものを批判することをせず、科学者の言いなりになって来たところに、今日の悲劇を生み出したと結論づけをしました。<br>今回は、このシリーズNo.４で考えたところに戻り、もう一度、人間の発育過程から、情報化社会の意味を考えて見たいと思います。<br><br>　人間が成長していく過程の中で、初め肉体、内蔵の発育が優先されます。この段階では、他の動物も全く同じです。少々硬い物を口にしても体内で他の物質に変えられ肉体の成長に施されます。また、同時に手足の機能が発達し、自然環境の中で適応できるようになります。さらに、人間にはもう一つの能力が肉体の発育の後にやって来ます。つまり、言葉を身につけるのです。この言葉には大脳の発育がなければなりません。そして、この言葉をもちい、考え、他人とのコミュケーションの手段として使用されます。<br><br>　このことは、人間の社会でも同じことが言えます。初め産業社会が機械文明を生み産業の発達に繋がりました。やがて、遅れて人間の大脳の働きが言葉を手段として発達するように、人間の社会では情報の伝達が見られるようになりました。それが、やがて情報の処理へと発展し社会政策が決定され、それに基づいて行動するようになって行くのです。<br><br>　しかし、日本では少々情報の処理の仕方が異なっていました。それは戦後教育を受けた一部の指導者によって産業社会の維持と繁栄を図る目的で情報をコントロールするようになり、環境破壊に拍車がかかり、その環境破壊が日本国内だけでなく地球規模へと拡大しはじめたのです。地球規模の環境破壊は生態系の破滅を予想させるものです。<br><br>　「日本に於ける『情報化社会』」について考えていると、何も日本だけの問題ではないことに気がつきました。どうも、人間の本質にはもっと根の深い何者かが存在しているのでないでしょうか。次回はそこのところについて考えてみたいと思います。<br><br>（参考資料：沢田允茂著　講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」）<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12080988132.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Oct 2015 23:19:19 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.６</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.６　　　清水　景允<br><br>  前回はホモ・サピエンス（知恵を持った動物）が、産業化社会の次ぎに来る社会を摸索しはじめたところで終わりました。日本では、この「Post Industrial Society」をどのように解釈したのでしょうか。その部分について考えて見たいと思います。<br><br>　日本ではPost Industrial Society を「情報化社会」とその方法論から訳してしまいました。その中には産業社会の延長としか思えないところがあります。それは、20世紀の中葉に産声を上げたインタネットで代表される社会で、情報を誰からも発信され、その情報を誰でも受信でき、それを支える企業が出現した社会と言うだけの認識でした。そこには、環境破壊という意味合いが全く含まれていません。誤ったPost Industrial Society の認識の下で、日本は産業社会が進み環境破壊が進んで行くのです。また、責任者の不明な「公害」という言葉を「環境破壊」に置き換えて言うようになりました。拡大する産業社会の中で、情報を一部の指導者の下でコントロールされることによって起きる社会問題が今日の日本の悲劇を生んでいるのです。<br><br>　これには、戦後の日本の教育にも問題がありました。拡大する産業社会の下で作られる学習指導要領で教育を受けた者が社会の指導者になって行く所に、Post Industrial Society などと言う精神は見ることができません。ただ、過去の偉大な人のこと、過去の文学、歴史をただ学ぶ、一方においては新しい科学、技術といったものを発展させるだけの教育でした。拡大された社会の中でいかに自分の生き方をコントロールして行くか、と言うことに付いては、ほとんど何も教えていないのです。人間の行動のシステムの方は、拡大されていくが、それをコントロールするための知識が一つも身に付いていません。気がつけば、原子力発電所が54基も建設されている社会になっていたのです。<br><br>　ここで、少し「科学」について考えてみます。<br>　本来、科学はラテン語でscientia という語が用いられています。この語の中には「学問」と言う意味をもっており、その意味では神学や哲学もその一部でした。しかし。近世になって事象を観測するため新しい道具や装置が開発されるとともに仮説をテストするために実験と言う方法、より厳密な数学的計算の技術にもとづいて理論がつくられ新しい方法論の領域が大きく発展していくのです。<br><br>　さらに、この新しい理論は実際の人間の生活行為の目的ために「技術」と結び付きました。その結果、新しい道具、機械、装置が作られ、これが人間の社会生活の中に入り込み、以前と生活様式が大きく変化させたのです。ここに、学問としての科学から、人間生活の行為目的のための科学へと変化し科学信仰が生まれるのです。その最たるものが日本での技術立国と言う神話が生まれ「科学者の言うことだから・・・。」と言うことを日本の人々は何の疑問を持たず、新しい宗教が一人歩きはじめたのです。<br><br>　次回は、このシリーズの最終回として、何故、日本は「情報化社会」に成れないのかと言うことに付いて考えていきたいと思います。多分紙面の関係で2回にわたると思います。<br><br>（参考文献：沢田允茂著　講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」）<br>（参考文献：日本科学者会議編　リベタル出版　「地球環境問題と原子力」）<br>（参考文献：岩波講座　岩波書店　「哲学15　宗教と道徳」）<br>　<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12079976173.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Oct 2015 10:01:21 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.５</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.５　　　清水　景允<br><br>  今回は、人間が自然からの脅威に対処するためいろんな道具を作り、その道具を使用し自然の突然の変化に対応し生活をして行くうちに、その結果もたらすものは何かについて考えてみます。<br><br>　その道具とは、本来人間が持っている手の延長であるハンマーであったり、ノコギリであったり、その腕を延長させたものがクレーンであったりするのです。また、身体を移動させるのに足を使いますが、その足の延長が自動車であり、電車であったりする訳です。また、流れる川を渡る時、そこに浮かぶ木々につかまり川を渡ることがありますが、その木々の延長が舟です。更に人間は鳥と異なり翼がありません。しかし、言葉によって飛ぶ鳥を観察して、その飛び方を学び飛行機までつくりました。<br><br>　また、人間は食物をとり、体内で違った物質に変え、不必要なものを排出し生活をしていきます。しかし、動物の体内で作られた不必要なものは、自然界においては多の生き物にとって大切な資源となるのです。産業社会は、地球上の生き物の化学反応を表面的に模倣し化学工場をつくりました。その工場から作られる物を使用して過ごしやすい居所をつくり、その中で生活するようになりました。このようにして人間は自然の脅威から解放され「自然を克服」すると言う発想が起きて来るのです。<br><br>　このような機械（道具を大きくしたものを機械と言うことが出来ます）を使用し自然の脅威から己の身を守る機械文明が台頭しました。その紀元は産業革命からで、そのあたりから急速に機械を使用し、それにともなって人間の生活空間が膨張していくのです。<br><br>　機械文明の到来は、「自然を克服」したかに見えました。しかし、そこには大きな落とし穴があったのです。このシリーズ No.2 で考えましたが、工場から排出される廃棄物の中に人間を含むこの地球上に住む生き物の生命を脅かす物まで出てきたのです。つまり、環境破壊物質です。この問題についてホモ・サピエンスは英知を発揮しはじめました。そして「Post Industrial Society」を探し求めはじめたのです。丁度、幼児が発育して行く中で、基本的な肉体の発達が一段落してから言葉を覚え、その言葉を使用して物事を考えるように、情報の伝達と処理を行なうようになりました。そして、環境破壊の原因となる所を探し求め、その原因が「産業社会」にあると結論付けしたのです。<br><br>　次回は、この「Post Industrial Society」を、日本ではどの様に解釈しその結果どのような問題が生じて来たのかについて考えてみたいと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12079091766.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 22:11:08 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.４</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.４　　　清水　景允<br><br>　はじめに、2015年2月27日の北海道新聞朝刊2面及び3面の社説に原発事故による汚染水の問題を取り上げていました。この記事は、私がこのシリーズ「日本における『情報化社会』とは何か・・・」について考えていかなければならない問題としての出発点でした。<br><br>　前回は、原子力についてよく分析せず表面的な平和利用から生じる環境破壊について考えてみました。今回は、産業革命以後の社会状況とそれに伴う環境破壊の進捗状況を、人間の成長過程と照らして比喩的に2回に分けて考えてみます。<br><br>　人は（他の動物も同じですが）素裸で生まれてきます。初めは親の庇護の元に自然環境の中で生きて行きます。それが、幼児期には自然環境の中に適合していくために、少々硬いものを口にしても生きて行ける様に胃腸を強くし、それにともない、肉体的に身体を立ちあがり、歩くようになり自然の中を移動できるように手足が鍛えます。ここまでは、人も他の動物も同じように発育をして行きます。しかし、人はここから先、他の動物と異なる発育をして行きます。言葉を身につけるのです。<br><br>　言葉は、厳しい自然環境の中で生きて行くための知恵を発掘する手段として人間に与えられた特有のものです。その知恵が生活する場所（自然環境）が農業に相応しい場所であるなら、言葉を使用して他の人とコミュニケーションを取ながら、この土地に何を植えたら良いか、この地に水があるから稲を植えよう。と言うように、言葉を使用し学習して行きます。また、そこが農作に相応しく無い自然環境であるなら、その土地に住まいを建て生活する場とするでしょう。<br><br>　しかし、人が生活している自然環境は何時も安定していると言う事はありません。自然災害が時には襲います。その環境の急激な変化に適応できないで餓死するとか、洪水が起こりその場所が壊滅する様な事があります。つまり、人間は自然の変化、環境の変化と言うものに対して無防備な時があるのです。そこで、人は安定した生活を保とう、影響されないようにしようと言う事で言葉を使用し考えます。ここに、他の動物とは違う知恵を持った動物の出現を見るのです（ホモ・サピエンス）。そして、それが、自然の突然の変化、自然の驚異に対応するためにいろんな道具の発明へとつながっていくのです。<br><br>　このことは一体何を意味するのでしょうか。このことについて次回考えたいと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12078275321.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Sep 2015 19:24:20 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.３</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.３　　　清水　景允<br>　<br>　前回は科学信仰に基づいた産業社会が今の環境破壊を生み、社会問題を引き起こしていると言いました。そこでもっと具体的に、科学信仰に基づいた産業社会が環境破壊の原因となっていることを原子力産業に目を向けて考えてみたいと思います。<br><br>　私達が住む地球上では産業革命以来、環境破壊が進んでいます。工場からの排出される汚染物質が原因と見られる疾病、酸性雨による森林破壊等々、地球上に大きな問題を投げかけました。<br><br>　この問題を解決するには表面だけを見ると、ある企業が工場を建て膨大な量の有害な汚染物質を自然界に排出するから、自動車が走り回っているから、だから、そういうことを止めれば環境破壊はなくなる。と言うことになります。しかし、このようなことを全部止めることは、私たちの生活を原始時代に戻すことであり不可能であると同時に、現状のままで放置するわけにはいかないと言う裏表の問題を抱え込んでしまったのが産業革命以後の社会構造です。そのことに気がついた人々は英知を絞って解決に勤めだしました。それがPost  Industrial Societyだったのです。しかし、２０世紀の中葉からもっと深刻な環境破壊の現象が明らかになってきました。原子力産業による放射能汚染です。この環境破壊はどうして起き、どの方向に進んでいくのでしょうか・・・。<br><br>　ご存知の通り、原子力の平和利用（1952年米国のアイゼンハワー大統領が核兵器の悲惨な風景を表面的に眺め、原子力の「平和利用」を訴える）は、原子核の核分裂または核融合によって物質の質量が減り、質量の減った分だけエネルギーとなり、そのエネルギーを電気エネルギーに変え利用するものです。核分裂または核融合によって発生するエネルギーは膨大なもので、１gの燃料（ウラン235または重水素）で広島の上空で炸裂した原子爆弾一個分（約0.7gがエネルギーに変わったと言われている）に相当します。この様に膨大なエネルギーを得ることの出来る科学理論が技術と結びつき、原子力の平和利用を旗印に原子力発電へと開発が進み、商業ベースへと発展して行くのです。しかし、初期の段階では核分裂して生じた危険な放射性物質は格納容器内に溜めておけば良いと考え、頑丈な格納容器を開発し、その中で核分裂を起こさせ熱エネルギーを得ていました。ですが、原子炉を使用している内に科学者・技術者の予期しない現象が起きて来ました。それが、この地球上の自然界で発見することの出来ない物質が原子炉の中で大量に出来ているということです。その新しく生まれる物質が放射線を出す物質なのです。<br><br>　この放射性物質は、放射線を出しながら安定した物質（放射線を出さない物質）になろうとしますが、安定な物質になるためには数秒から、何万年何百万年という長い時間を要する物質があります。特に恐ろしいのは長い時間をかけて安定な物質になっていく放射性物質です。その間、放射線を出し続け生態系に問題を生じさせるのです（私のブログに投稿した「　トリチウムは自然界（人間も自然界の一員として）にどのような影響を与えるか・・・。」を参照）。原子炉で生じる放射性物質の中には表面的に除去できる物もありますが、それは、その放射性物質を他の場所に移動させたにしかすぎません。その除去した放射性物質を一箇所に集め管理するだけのことなのです。しかも、そのためには膨大な資金を必要とします。また、一箇所に集められた放射性物質は先にも記しましたが安全な物質になるためには何万年から何百万年という時間がかかります。その間、人間は誰が責任を負えるのでしょうか。まさに負の遺産を子々孫々に残すことになります。そこで、考えたのが地層処理ということです。つまり、臭いものには蓋をするという考え方です。これが、「科学」がなんとかしてくれると信じている人々の考え方なのです。<br><br>　この様に考えて行くと、原子力の環境破壊の及ぼす影響は、他の環境破壊物質と違った性質があることが分かってきます。<br><br>　次回は比喩的な方法で情報化社会への流れを考えてみます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12077608490.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Sep 2015 23:40:19 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.２</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.２　　　　清水　景允<br><br> ・・・昨日の続き・・・<br>　ところが、現代になって本来の豊かな自然の中で生活していた生き物の環境が崩壊せざるを得ない新しい事体が起りつつあることに気がついた人々が居ました。1950年代から1960年代の欧米を中心とする哲学者、科学者、宗教学者、教育者達です。これら知識者たちは、環境破壊をもたらす原因調査のため情報を収集し、その原因が「産業社会」にあると結論付けし「Post Industrial Society（産業社会の次ぎに来る社会）」を真剣に考えだしたのです。日本では、このポスト　インダストリアル　ソサエティーを、その方法論から「情報化社会」と訳してしまったのです。<br>　私達の國、日本ではその科学信仰が経済産業と結びつき「今起きている問題は、やがて『科学』が解決してくれる。だから、今のうちに・・・。」という科学信仰に基づいた資本主義経済が成立してしまったのです。その最たるものが原子力産業です。<br><br>　次回は、この情報化社会の意味を分析し、その結果、今の社会混乱を引き起こしていることを取り上げたいと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12076487388.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Sep 2015 22:22:46 +0900</pubDate>
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<title>　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.１　　</title>
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<![CDATA[ 　日本における「情報化社会」とは何か・・・　　No.１　　　　清水　景允<br><br>  私は毎週金曜日に街角に立ち、市民の方々と対話を通して、今、私たちの周りで起きている問題に付いて話し合ってきました。その中で、何時も感じることがあります。それは、私達は「科学」が世紀の救世主であるかの様にみているが、はたしてそれは本当だろうかと言うことです。そこで、今回、「情報化社会」とはどのような社会なのか・・・。この情報化社会のなかで私たちは「科学」とどのように接していったら良いかといいうことについて考えてみたいと思い特集を組みました。皆様のご意見をいただけると嬉しく思います。<br>　<br>　2015年2月23日の北海道新聞朝刊の社説に「原発のごみ処分　国民不在の論議は疑問」と題して載っていました。この記事を読んで気がついたことがありました。それは、今の日本の人たちは、現代の科学が技術と結びついた「科学信仰」に全ての問題の起因があるのでないか・・・。と言う疑問です。<br><br>　そもそも、「科学」は「学問」を意味するラテン語scientiaで、この中には神学も哲学も含まれていました。それが近世から近代にかけて「自然の克服」を目的として厳密な観測、仮説をテストする為の実験と言う発想法、更に数学的計算の技術にもとづく理論がつくられ、新しい学問の領域が拡大されていきました。さらに、この理論が「技術（technology）」と結びつき新しい道具、機械装置が作られ、これが人間社会を大きく変化させ、「人間は自然を克服した。それは『科学』のお陰である。」という科学信仰を生み出したのです。<br>　・・・次回に続く・・・<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12076106994.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 22:31:22 +0900</pubDate>
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<title>トリチウムの自然界に及ぼす影響</title>
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<![CDATA[ 　トリチウムは自然界（人間も自然界の一員として）に<br>                    どのような影響を与えるか・・・その５          清水景允<br><br>　昨日は、生体内において細胞増殖の盛んな組織である器官にトリチウムが標識としやすく、新陳代謝の旺盛な胎児、幼児に蓄積される率が高いと話しました。今日は、どの位の放射線量のトリチウムが癌を発生させるのかについて話します。しかし、このデータは医学的に確定されているものでなく、京都大学放射線生物研究センターの小松賢志先生の発表を参考にしたものです。<br><br>　京都大学放射線生物センターの小松先生は、「トリチウムβ線では卵巣、肝、下垂体、ハーダー氏線に腫瘍発生率の増加が見られる（試験体は不明）。」さらに、「動物発癌系ではトリチウム水１回投与と同線量のトリチウム水を４週間にわたっての分割投与とを比較実験では、１回投与のリンパ腫発生率が20％なのに対して分割投与では予想に反して約４倍に増加した（原文）。」と言っています。つまり、放射線を１回照射するよりも、低い放射線量でも何回も照射すると、はるかに癌の発生率が上がることを意味しています。よく、学者の中には、「低放射線量だから海に放出しても、更に海の水によって薄められるから自然に影響が無い。」といっていますが、これは大きな誤りではないでしょうか。<br><br>　更に、同センターの放射線が生体に及ぼす影響について次の様に言っています。 「放射線が生物に与える影響は二つの現象が見られる。その一つは『細胞死』で、もう一つは『細胞の突然変異』だ。トリチウムの特徴として、『細胞の突然変異』がきわめて高い。」と言うのです（『細胞死』の現象はガン細胞の放射線を照射することによって、ガン細胞の死滅）。これは，何をものがたっているかと言うと、トリチウムは有機形として長時間生体内に留まり、低線量の放射線が細胞（DNA）にダメージを与え続け、細胞の突然変異を起こす。つまり癌化する確立が非常に大きいことを意味します。<br><br>　以上５回に渡ってトリチウムについて話してきました。 　トリチウム（三重水素）は水素の放射性同位元素であるが故に、自然界では酸素と結びつき水になることから、他の放射線元素とは異なるところがあります。水として生物の体内に容易に吸収され、体内に吸収されたトリチウム水はアミノ酸などを構成している炭素、酸素と結びつき有機形を形成し、それが長時間（トリチウムの半減期12.3年）体内に留まり、周りの細胞を突然変異させるという特徴があります。特に、新陳代謝の旺盛な胎児、幼児は母体に吸収されたトリチウム水から有機形のトリチウムとなり胎児に、幼児にと移行し大きな病気を発病させるのでないでしょうか・・・。<br><br>　今回、12月19日（2014年）の私の質問に対し資料を送っていただいた株式会社　自然エネルギー研究センター　体表取締役大友先生、並びに当時司会を務めた水島氏に熱くお礼を申し上げます。<br><br>　今も（2015年9月12日）、金曜広場に立ち続けながら日本の社会を見詰めています。その中で、現代は「情報化社会」と言われていますが、今の日本を見ていると「情報化社会になれない日本」を発見した様な気が致します。そこで、哲学的観点から「情報化社会になれない日本」と題してシリーズで投稿を予定しています。興味をおありの方見ていただけると嬉しく思います。<br><br>　<br>
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<link>https://ameblo.jp/simizukein/entry-12072482453.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Sep 2015 00:44:23 +0900</pubDate>
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