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<title>ふぁいんれいにー</title>
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<description>雨の日もあれば、晴れの日もある。今日は2度と来ない今日</description>
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<title>世界は贈与でできている、そんな些細な身近なお話</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>多くのものをもらう機会が増えた。それと同時に、多くのものを日々もらっているんだという事実を感じるのが上手になった気もする。日常は、いつだって贈与に溢れていたんだ、と気づくきっかけになった。それはとても、大きな前進だと思う。日々は、いつだって幸せに満ちている。どうせなら、ありがとうとたくさん伝えられる人生の方が楽しい。そう気づけた人生の方が、ずっと楽しい。</p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/06/91/j/o1080081014926943511.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/06/91/j/o1080081014926943511.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><p>多くのものをいただいているうちに、「贈与」に関してのイメージが少しだけ具現化できるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>「贈与」は対象と離れていた方が嫌悪感を感じにくいこと</p><p>「贈与」は対象が近くにいると嫌悪感を感じやすいこと</p><p>&nbsp;</p><p>ほとんど同じことを書いているけれど、「贈与」との距離が離れている方がもらいやすいと感じた。今回の企画、「初めて公にくださいと宣言する」を通して、それはより明確なものとなった気がする。毎日何かしらプレゼントが届く。うわ〜今日はあの人から届いた！わ〜！これ、いっちばん欲しかったやつ！と、「贈与」が第三者を通して行われた場合（宅急便で毎日届くこと）、それをあっさりとすんなりと、自分自身へのプレゼントだと、受け取ることが出来た。それはとても、嬉しい発見だった。</p><p><br></p><p><br></p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/24/73/j/o1080081014926942592.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/24/73/j/o1080081014926942592.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p><br></p><p><br></p><p>一方で、直接対象が自分に「贈与」であるプレゼントを譲渡する際には、やはり一定の感覚で「申し訳なさ」が働く。これはもう、どうしようもないものなのかもしれないと思った。本来「贈与」は、もらったことによって「申し訳なさ」を感じ、改めてその「贈与」を循環していく、のが常であるらしい。（「困難な成熟」　百田樹-より）</p><p>&nbsp;</p><p>であるならば、こうして直接「贈与」を受け取ることで、みんなが「申し訳なさ」を感じて世界が「贈与」で出来ているのならば、自分に生じるもらったことによる「申し訳なさ」は必要である、のだろう。自分自身での消化は今だにできていないけれど、やはり第三者からもらうことと直接もらうことには、相違がある。直接もらうことは、やはりみんな慣れないのかもしれない。とすると、</p><p>「申し訳なさ」が比較的少なく、「嬉しさ」が増大する第三者による「贈与」例えば、アマゾンほしい物リストなどは、純粋な気持ちで「贈与」出来るとても素晴らしいシステムである、と感じた。そういった、義務感が生じない純粋な「贈与」もこの世に増えてもいいと、私はこの企画を通して思いました。</p><p><br></p><p><br></p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/b1/a0/j/o1080081014926942654.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210415/21/sirubako/b1/a0/j/o1080081014926942654.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p><br></p><p><br></p><p>嬉しい変化はまだある。今まで、両親や友人からたくさんのものを受け取った中で、「返さなきゃ」「私が世界に対して出来ることをしなきゃ」など、そこにマストが生じていた。しなきゃいけない、やらなきゃいけない、こんなにしてもらったんだから、こんなにももらったんだから、私は何かをしなきゃ「いけない」と感じていた。だけど、日々こうして「贈与」がたくさん含まれているのを感じることが出来るようになって、それはマストではなくウォントになった。しなきゃいけない、ではなく、したいへの変化である。私が世界に対して出来ることはなんだろうか、と自問するようになった。世界は贈与でできている、であるのならば、私が世界に対して出来ることはなんだろう、と考えられるようになった。本当に、世界は贈与でできているんだよ。</p><p>&nbsp;</p><p>実家に帰省した。短期間ではあったけど、両親からの愛は今まで以上に感じることができた。車での送り迎え、お昼ご飯へ一緒に行くこと、うどんをご馳走してもらうこと、お酒をご馳走してもらうこと、一緒に夕ご飯を食べること、電車まで送ってもらうこと、夕飯に餃子を作ってくれたこと、お土産にと、たくさんの食品をくれたこと、今まで当たり前だったかもしれないそんな些細なことで、涙が出そうになるくらい私はそこに愛という名の「贈与」を感じることができたのだ。それはとても、幸せなことであるし、とても、嬉しいことでもある。それは本当に、幸せなことなんだよな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>こうして、この企画を通して、日常の変化は訪れた。</p><p>今後は、この純粋に嬉しさをいただいた純粋な「贈与」をどうにかして「交換」して行きたいと思っている。</p><p>どういう風にして私から世界に「贈与」出来るのか、それはまた別のお話、ということで。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12668565582.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Apr 2021 20:51:17 +0900</pubDate>
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<title>ワタシノハナシ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>『どんな自分になりたい？』『なりたい自分は？』そんな問いを自分に投げかけて、気づく。</p><p>そもそも、どんな自分になりたいのか、さえも私は見失っていたのかもしれない。私は、自分がどんな自分になりたいのかさえ、分からなくなっているのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、毎日同じことの繰り返しをする仕事は私は耐えられない。例えば、事務。例えば、遊園地のお姉さん。</p><p>そうじゃない毎日といえば、毎日変化のある仕事。例えば、イベント。例えば、営業。</p><p>&nbsp;</p><p>世間から離れてもう１年半経つ。楽しくないことはしたくない、と世の中の普通を放棄して得た時間で得たものは一体何だったんだろう。適応障害、からは抜け出した。大切な人もできた。友達もできた。だけど、自分だけどうしても世の中から置いてかれてしまったのではないか、そんな気持ちはいつだって私を不安にさせたりする。『どんな自分になりたい？』そう自分に問いかけると、最初に思いつくのは、「あの頃よりも、すごくなりたい」だったりする。いつだって、他人から思われている自分から抜け出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>「あの頃よりもすごくなりたい」って何なんだろう。あの頃っていつだろう。すごいって何だろう。私は一体、どんな人になりたいのだろう。すぐ側にいる私の中の他人、は私に何を求めているのだろう。私がやりたいことをやればいい。行動すればいい。どんなに失敗したって、私にはもう失くして怖いものなんてないのに。すごくなったところで、私は他人にどういう思われたいのだろう。どう思われたら、私は満足するのだろうか。なんて、答えの出ない問いをぐるぐると探したところで、私は結局、他人軸のまま25歳になったということが真実。</p><p>&nbsp;</p><p>逃げている。私は、もう一度頑張ることから逃げている。</p><p>彼との人生を言い訳にして、私は今、逃げている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12654033979.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Feb 2021 22:38:52 +0900</pubDate>
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<title>サイキンノワタシノハナシ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最近の口癖である。「何を書いたらいいのかわからなくなってきた」</p><p>そして今日も同じように呟く。「何を書いたらいいのかわからないんだけど。」と。</p><p>&nbsp;</p><p>最近の私の話をしようと思う。</p><p>最近、毎日図書館に通い詰めていた。理由は、FP３級の受験勉強のため。受けようと思ったのは、「知らない事があるのは人生生きていく上でとても損をしている」ということに気づいたから。私は、生きている限り、なるべく損はしたくないと思う。本来出さなくてもいいお金を「知らない」というだけで多く払ってしまったり、これから生きていく上で税金や制度を「知らない」だけでもらえるお金がもらえなかったり、そう言った事が「知らない」だけで多く存在している事がたまらなく嫌で、FPを受けてみようと思った。世の中には、「知らない」事がとても多すぎるように思う。</p><p><br></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210125/15/sirubako/f6/e0/j/o1080081014886622301.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210125/15/sirubako/f6/e0/j/o1080081014886622301.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a></p><div><br></div><p>図書館に通い詰めていた理由は、図書館は暖房が効いていてあったかいということと椅子に座って勉強ができたから。12月から住んでいる家には、座る椅子がない。いわゆる、こたつ民。こたつはとてもあったかいし、ぬくぬくして気持ちがいいのだけど、如何せん腰が痛くなってしまって、長時間勉強するには向いていない。それに、図書館はあったかい。静かだし、とても集中できるから、最近は専ら図書館民だった。1日最低でも４時間は勉強していたように思う。そんな生活をするのは、ひどく久しぶりだった。まだ自分が「勉強」に対して、集中して机に座っていられる事が出来たのは、それを知れたのはとても嬉しかった。試験の前日には８時間ほど勉強した。本当に久しぶりに、「勉強した！！」と感じられる日々だった。</p><p>&nbsp;</p><p>25歳になって、いろいろ変化したのもとても大きいと思う。まず、恋人が京大出身ということ。勉強に対するモチベーションが全く違う。学ぶ事＝嫌な事、嫌いな事ではなく、学ぶ事＝知らないことを知れる事、プラスな事、面白い事、興味深い事という私と正反対の方程式を持っていた。彼の周りの友人たちも、私が今まで出会った事がないような勉学に対しての姿勢を持っていた。彼らのそばにいると、自分がまだまだちっぽけだと感じるくらい、彼らの学びに対する貪欲さは果てしない。若くて、貪欲で、とても強い。そんな彼らを見ていると、私も頑張ろうと思えた。</p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210125/15/sirubako/cb/09/j/o1080081014886622332.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210125/15/sirubako/cb/09/j/o1080081014886622332.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><p>FPの試験は、自己採点の結果、無事合格できそうだ。よかった。なんだかんだ、１年に１個ずつ新たな資格を取り続けて行くのは面白い。今年は、もう一つ、もう二つだっていい。次の目標は、簿記。自分が受けようという気持ちになるとは思わなかったけど、簿記は今後フリーランスになる上で必要最低限の知識になりそうだから、とってみようと思う。まだまだ、これから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12652489575.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jan 2021 15:19:29 +0900</pubDate>
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<title>『年齢』</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>年齢という呪縛に、一番囚われているのは私なのかもしれない、と思う最近の話。</p><p>ようやく、働き先が決まった。一つは、遊園地のお姉さん。もう一つは、居酒屋さん。８回か９回の面接を経て、ようやく私を雇用してくれた場所。最初は、コロナだから人があまりいなくてそもそも受け入れる人数も限られているから落ちているのかな、と感じたけど、いま振り返ってみると「２５歳」という年齢の権限に引っかかっていたのかも知れないと感じるようになった。一緒に働いている人たちは、みんな自分よりも若い未来のある子達ばかり。一方で私は、大学を卒業して、フリーターになるでもなく一度就職をして2年ほど在籍をしていて社会人として営業として働いていた25歳という中堅の人間。どちらをとるだろうか、と考えたとき何も知らないそして未来がある若い子たちをとるのが「当たり前」なのだろう、という感覚はごく自然に生まれる。私は、常識的に見て世間的に見て「例外」と言われる部分にいる扱いにくい人間に分類されるのだろう。そんなこと、働くまで感じたことがなかった。だって、まだ20代で圧倒的に戦力になる戦力でフリーターでより多く働ける側にいるのだから、落ちるはずがないって。縁がない、と割り切って次へ次へと受け続けてきた面接だけど、年齢という呪縛は世の中にも自分の中にもあったように感じた。一緒に働いていると、自分がどうしても「よくない」人間のように思えてしまう。「楽しさ」を選んで始めたいまの生活も、「間違い」なのかと思えてしまうほどに。「楽しさ」を求めて始めて、「楽しく」働けるのならばそれでいいじゃんと思っていたけど、どうもそうもいかないほどに、年齢という後ろめたさが私を追い込んでくることもある。むしろ、そっちの方が多いのだろうか。日常的に、感じてしまう。それが、年齢という名の呪縛。一番年上、まだ私よりも上がいる、という安心材料を用意したら、それはもう比較をしているということ。私の生き方を、私自身が他人と比較しているということになる。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/55/b3/j/o1080081014860205739.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/55/b3/j/o1080081014860205739.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>話をしている時も、そう思える時がある。私が年上という事実は、紛れも無い事実だけど別に敬語を使うのが当たり前と考えているような人間ではなかったのに、それが普通だと認識していたこともわかった。敬語を使われないと、「異常」だと感じてしまう私がいることに気づいた。年齢も関係なく、人として接していきたいと考えていたのに、その考えを否定している生き方をしていたのは私だった。それがとても、辛くしんどい事実ということ。私は、どうなっていきたいのだろう、と以前より考えるようになった。それは私にとってはいいことではある。年齢、という呪縛に縛られていた私に気づいて私はどうなりたいのか、改めて考える。私は、どうなりたいのか。私は、どうしていきたいのか。私は、「楽しさ」だけでいきて生きたいのか。果たして。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12638648394.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Nov 2020 23:19:48 +0900</pubDate>
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<title>どう勝ちたいのか</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私は、小さな幸せで勝ち続けたいと思った。どこで勝ちたいのか、どう勝ちたいのか。私のことを考えていくと、不意に思ったことがある。それは、正社員で働くことは嫌だということ。もう一度、戻るだろうなあと漠然と思っていたことでもある。どうして、嫌と感じたのか。それは、ただ、正社員で働いている自分がもう想像できなくなってしまったから、に尽きるのだと思う。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/44/cb/j/o1080081014860206068.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/44/cb/j/o1080081014860206068.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>お金、がたくさん欲しいわけでもない。私は今の暮らしにとても満足して生活している。この生活を変えたいとはあまり考えていない。それは、小さな幸せがたくさんあるからだと思う。何かを成し遂げたい！と思う事はあまりない。ただ、漠然と30歳までこの生活をし続けるのはしんどいなあということ。この生活ってなんだろう。この生活とは、いまの自分のまま30歳を迎えること。いまの自分ってなんだろう。いまの自分とは、この能力のまま年を重ねること。出来ることが今のままで、増えていかないこと。変化しないこと。例えば、1人になった時に生きていく力がないこと。私は、例え1人になったとしても自分1人の力で生きていける力を30歳までに持っていたいと思う。30歳までに出来ることを増やしていきたいと思う。じゃあ、それって一体なんだろう？</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/d9/92/j/o1080081014860206069.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/d9/92/j/o1080081014860206069.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>お金がたくさん欲しいわけじゃない。美味しいものを食べて、大好きなお酒を飲んで、大好きな友人や恋人や家族と楽しく平和に過ごしていけること。それがとても幸せなこと。ブランド物のバックや化粧品がたくさん欲しいわけでもない。いい車や時計が欲しいわけでもない。所有するものは、少なくていい。自分が好きなものを必要なだけ所有できればとても幸せなこと。例えば地震や台風などの災害、コロナウイルスのような未だ嘗て体験したことのないような人工的災害、そういったときにも生きられる術を持っていたいと思う。電気やガス、水道がなくなったとしても、自分で生活を、日常を、立て直すことが出来るようなそんな術を持っていたい。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b5/54/j/o1080081014860206071.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b5/54/j/o1080081014860206071.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>お金もちになりたいわけじゃない。お金は、そんなに必要ない。だけど、必要なこともある。</p><p>これからのこと、いろいろ考えて見たときに年を重ねて行って、どれくらいのお金が必要になるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 24 Sep 2020 22:29:34 +0900</pubDate>
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<title>職業訓練に落ちた</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>職業訓練の面接に落ちた。倍率が２倍弱だったらしい。これで、不合格になった面接が4つ目。未だ嘗てないほどの、採用率の低さを更新中。さすがコロナ。めげるなわたし。これからどうしていこうか、それをついに考える時が来たようだ。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b2/e4/j/o1080081014860206303.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b2/e4/j/o1080081014860206303.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>会社を退職して、「楽しいこと」「今までやりたいと思っていたけど、出来ていなかった事」をやり始めようと考えていた。それがゲストハウスのヘルパーだったり、某テーマパークでのアルバイトだったり、富士山の山小屋でのアルバイトだったり、礼文島のユースホステルでのヘルパーさんだったりした。それが、軒並み崩れた。2020年一番の予定だった、ウイグル行きも途絶えた。出来た事はゲストハウスでのヘルパーさんだけ。アルバイトすら出来ず、途方に暮れたりもした。ただ、救いだったのは恋人が出来て京都に移住することになった事。これは、私の「恋人と近くで暮らしたい」という夢が叶ったひとつ。見たい映画があるときに、すぐみれる距離に居たかった私にとって、京都移住はひとつの大きな一歩だった。実際、楽しいことが多い。京都に来てよかったな、と思うことがたくさんある。まだ１ヶ月弱しか経っていないけど、それでも楽しかったなあと思い返せる事は多いのは、素敵な事だと思うんだ。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/de/e6/j/o1080081014860206305.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/de/e6/j/o1080081014860206305.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>ただ、ついに失業保険の給付が終了した。そして、職業訓練の面接にも落ちた。ただ息を吸っているだけで、降ってくるお金はもうない。これは、要するに自分のこれからときちんと、しっかりと向き合わないといけない時がきたって事だと思う。自分がどうありたいのか、どうしていきたいのかそれを考える時。職業訓練の面接に落ちた時、思ったよりショックだったのは、今まで何も考えずにただお金を給付してきた安心感がなくなったという絶望と、ただ単に面接によって私が落とされたという失望感、それはつまり、職業訓練を甘く、下に見ていたから引き起こされた感情なのかな、と思った。私は、自分自身も無職なのに他の人よりも優越だと思っていたのだと思う。勝手に選別、取捨選択をしていたのは私の方だった。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/9d/ef/j/o1080060714860206307.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/9d/ef/j/o1080060714860206307.jpg" alt="" width="1080" height="607"></a><p>これから、どうしていきたいのか。</p><p>これから、何をしていきたいのか。</p><p>私は、何が好きなのか。</p><p>私は、何が嫌いなのか。</p><p>私にとって、どういう風に生きて行くのが「幸せ」なのか。</p><p>&nbsp;</p><p>それを考えていきたいと、思っている。思っているだけ、なのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12623858716.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Sep 2020 10:49:28 +0900</pubDate>
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<title>京都での生活１ヶ月</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>京都に移住して、早くも１ヶ月が経ちました。驚くべきスピードで毎日が進んでいって、私自身は何も変わっていないのに。それがすごく不安でもある。何も変わらない自分、このまま進んでいって私はどうやって生きていくのだろうかそれが今は見えない。だから不安になる。30歳にもなってこのままだったらどうしよう、と。そんな不安と隣り合わせで今は生きています。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/ae/ca/j/o1080081014860206413.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/ae/ca/j/o1080081014860206413.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>新しいことも初めてみたり。来週からはとりあえずこの先３ヶ月の未来も変化する、予定。結果次第で京都でもがくか大阪でももがくのか。今はまだわからないけど、今日はとってもいい日だったということは確かなこと。ウーバーイーツを始めてみた。女性のドライバーはまだまだ少なくて、配達をしながら肩身の狭い思いをしているけれど、それでも今日は配達中に道に迷って教えてくれた女子高生との関わりだったり、自転車を倒したら何も言わずに直してくれた少年だったり。好意を持ってくれた男性だったり、チップをもらえたりと、動かなかったら見えない世界を久しぶりに感じたからすごくいい1日だったと感じた。やっぱり、1人で引きこもっているよりも、動いた先に見える景色だったり現れる関係がすごく好きなんだと思う。たった少しの交流でも、私が社会と関わったという証。それがすごく、嬉しいのだと思う。なんだかんだ、今月で働かなくなって1年が経つ。あっという間だった。何をしていた？と聞かれても、正直何もしていないと答えても差し支えないような1年だった。去年10月大阪で休職。支払っていたバイクの免許を取得するために、教習所に通った１ヶ月。免許取得の11月。関東の友人たちとのたわいもない会話、食事、交流。暇な日々を持て余して始めたバイクのジム。少しついた筋力。年末を越え、2020年1月。会社との面談でやめて欲しいと言われ、2月に退職。2月には熊本のエコビレッジで３週間ほど過ごす。恋人と出会い、変化した日常。3月、伊勢のゲストハウスでのヘルパー。初めての学生寮。恋人との楽しい日々。京都。コロナウイルス。緊急事態宣言。25歳の誕生日。２ヶ月の巣ごもり。何も出来ない日々。メルカリでおこずかい稼ぎ。傷病手当からの失業保険。コロナウイルスで延長された失業保険。6月、１ヶ月の京都の生活。恋人との喧嘩。アルバイトの面接。３つ落ちる。京都で両親と旅行。8月、京都へ移住。職業訓練の申し込み。ウーバーイーツ。面接。自転車で奈良、自転車で京都を巡る。御朱印状めぐり。友人が遊びに来る。来週、職業訓練の結果次第でこの先が変化すること。そんな日々を今は過ごしています。</p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b8/95/j/o1080081014860206416.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201202/01/sirubako/b8/95/j/o1080081014860206416.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><p>とりあえず、今できる事は、恋人に依存しないようにする事。京都での生活を自律させることかなと思う。</p><p>今は友達もいない。京都で生活をしているのに友人がいないのは正直寂しい。これから、できること。</p><p>少しずつでいいからまた始めていきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12622730961.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2020 16:24:11 +0900</pubDate>
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<title>嫉妬</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>前付き合っていた人のSNSにちょっとヨロシクナイ人のツイートがいいねしてあったことがあって。わたしはそれが、すごくすごくショックだったことを覚えてる。私以外に好きな人がいるのかもしれない、この人とそういうことをしているのかもしれない…そんなことを勝手に考えて勝手に傷ついて、勝手に悩んでいたことがあった。わたしはその全てを、適応障害のせいだと思っていたけど、どうやら違うらしい。わたしはもともと、嫉妬する人間らしかった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200718/00/sirubako/87/f8/j/o1080081014790431776.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200718/00/sirubako/87/f8/j/o1080081014790431776.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div>ある特定の場所で、出会った女の子がいた。その子は、わたしにないものを持っていて。(もちろんそれは当たり前なんだけど)すごく感嘆していた。すごいなあ。こんなこ、おるんやなあと。だけど、どうしたものか同じ空間にいるから彼とその子が楽しそうに話しているのを目の前で見てしまって。すごく胸が苦しくなった。いわゆる、嫉妬である。最初は、どうしてわたしがその子に対して嫉妬するのかあまり分からなかったのだけど、わたしにないものを持っているっていう私の嫉妬が、彼がこの子を好きになったらどうしようっていう不安になったんだと思う。実際に、わたしがさいたまに帰ったあとも、その特定の場所でまあ不特定多数の人間と一緒だけれど、一緒に過ごしていそうだった。わたしは、すごくすごく嫌で。どうしよう、どうしよう、と不安だった。だけど、よく考えれば、彼は恐らく、他に好きな人が出来たら、私にまずそれを伝えるだろうし、嘘は一切つけないから、何かしらあったらわたしに伝えてくれるだろうと思うようになった。あの人は、嘘がつけない正直な人だから、きっと何かあったらすぐわたしが察知するだろう、と。それに、わたしが一緒に過ごさない時間がその人のお陰で彼にとっての楽しい時間になるならそれもまたいいじゃないか、と。きっと楽しく過ごしているだろうし、彼がわたしを好きなことも変わらないし、嫉妬をするだけ自分に自信がないってことであるし。もっとわたしは、わたしを生きていきたいと思いました。</div></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200718/00/sirubako/0a/c0/j/o1080081014790431785.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200718/00/sirubako/0a/c0/j/o1080081014790431785.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div>なんかあったら、って思うのって難しいけれどきっと彼は全てをちゃんと伝えてくれるだろう。彼は私の所有物じゃない。</div></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12611678910.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Jul 2020 23:54:34 +0900</pubDate>
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<title>今、ここ。</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>1か月過ごした京都を離れ、久しぶりに実家に戻ってきた。何も変わらないようで、世間では感染者が急増している。もう少し危機感を持ったほうがいいのかもしれない。2週間後、再び京都に向かうのだけど、もしかしたらまた状況も変化しているかもしれない。コロナ、というのは非常に面倒だ。いつまで、私たちにつきまとうのだろう。生活が変わってしまったことが、時々無性に悲しくなったりも、する。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200715/00/sirubako/07/9a/j/o1080081014789078055.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200715/00/sirubako/07/9a/j/o1080081014789078055.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div>今日は書きたいことがあった。「嫉妬」について。今までお付き合いしたことがある人に、その感情を抱いた記憶はあまりなくて。今回、そのような感情を抱いて、わたしもヤキモチを妬くことがあるんだと感じた。嫉妬というのは、今回のわたしの場合、実際にありもしないことをわたしの脳内で勝手に想像して、ひとりで悶々と戦っていることだった。それが、すごく嫌だった。今目の前にいる人が彼とどうにかなったらどうしよう、という現時点で起こっていない出来事を作り上げて不安になる。悶々として、苦しくて、その想像が残像として居座っている。じゃあどうして、わたしは嫉妬しているのだろう、と考えてみた。だって、マジョリティーが女と男でしかない世の中で一方の性に関わらないなんて到底出来ない。私自身、男性の友人はいるし、彼とふたりでご飯に行くことだってある。そんな頻繁に、毎回毎回その感情に支配され続けていたら、きっと関係だって悪くなるし機嫌だって悪くなる。何も起こってないことでムカムカとして、彼との関係を悪いものにしてしまったらどうしようもないじゃないか。じゃあ、どうして？わたしはどうして、今回に限って特にもやもやしているのか。それは、ひとつの可能性だけれども、自分で不安を作り上げて自分でモヤモヤとする状況に自ら飛び込んで、もしかしたら自分自身を攻撃しているのかもしれない、と。悲しい状態が好きな無意識の私が、意識の私を連れ込んでいるのかもしれない、なんて思ったりしている。</div></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200715/00/sirubako/3e/0b/j/o1080081014789078056.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200715/00/sirubako/3e/0b/j/o1080081014789078056.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div>だって、どうしたっておかしいじゃんか。今ない不幸せを自ら勝手に作り出して、今の私を不幸にするなんて。何のメリットがあるのだろう？私が幸せであることに無意識のわたしは、不満があるのだろうか？幸せの状態でいることに、不安があるのだろうか？だからきっと、全て今の私が作り出している妄想にすぎないのだと思う。嫉妬に取りつかれて、今ある幸せを取りこぼしてしまうのはもっともっと馬鹿馬鹿しいじゃんか。だったら、今ある幸せをちゃんと噛み締めたいじゃんか。彼がいること、わたしがいること、幸せなこと。全部、いまある幸せ。きっと不幸な自分が幸せな自分に嫉妬しているんだろうな。そんなことが、そんなわたしが出てこれないように、もっとちゃんと今を見つめていたい。今、現実を見つめていたいなと思いました。</div></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12611071399.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Jul 2020 00:37:01 +0900</pubDate>
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<title>1ヶ月、居候生活のなかで</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>何もしない日々を繰り返していくと、いつの間にかそれが当たり前になって、以前の違和感をどこかへ連れていってしまう。今はまさしくそのような日々で、何もしないことが罪と認識していたはずなのに、その感覚をどこかへ置き忘れてきたみたいに日常を繰り返している。それが「いい」のか「わるい」のかそういった判断ではなくて、それが「好き」なのか「嫌い」なのかそういった判断で過ごせたらいいなあとは常々思う。うそ、常々は嘘だなあ。なんて、以前とは対称的な生活を過ごしてることに変わりはない。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/77/77/j/o1024076814785789723.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/77/77/j/o1024076814785789723.jpg" alt="" width="1024" height="768"></a><br><br>この1ヶ月でわたしはいくつかの未来を選択した。久しぶりに、大きな進歩になった。ひとつ、京都に住むことになった。ふたつ、年内には同棲を始める(予定)。何度か相棒とは衝突をして、この先の未来が一切見えないことにイライラしていた。いくつも問題を抱えていて、恐らく一緒に暮らしていく上でまた衝突せざるを得ないことばかり。それでも、一緒にいたいと思ったから。ふたりなりに、じゃあどうしようかを積み重ねて、なんとか形になるところまで持っていたこの1ヶ月。少しばかり、感動さえする。それくらい、きっとわたしにも彼にとっても大きな選択だったと思う。新しい生活を前にウキウキもするし、楽しみだなあとも思う。久しぶりに、アルバイトもする。正社員ではなくて、アルバイト。お客さんと関わるということ。わたしが正社員時代、改めてしたいなあと思っていたこと。それをもうすぐ、始められる。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/e8/3f/j/o1080081014785789727.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/e8/3f/j/o1080081014785789727.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><br><br>たくさんのムズガユイも発見した今日この頃。女の子として、扱われることへのムズガユさ。体調が少し悪いと、大丈夫？と心配してくれる彼がいるということが少し違和感もあり、嬉しくもあり。今までそういった経験がないから、そういう風に大切にされると、本当はとても嬉しい。それが、普通ではなかったから、それを当たり前じゃないけど当たり前のように受け取ってもいいと自分に許可することもきっと大事。大事な人に大事にされることをもっと自信を持って受け入れることもきっととても大切なことだ。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/4c/b7/j/o1080108014785789729.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200708/02/sirubako/4c/b7/j/o1080108014785789729.jpg" alt="" width="1080" height="1080"></a><br><br>約1ヶ月居候してた生活も間もなく終わりを告げる。あっという間のようで、長かったようで。以前よりも彼の本質を知れたことは大いによかった。たくさんケンカもしたし、その度に仲直りもした。たくさんイライラもしたし、たくさん好きだなあとも思った。すごく素敵な人だけど、すごく残念なところもたくさんある。わたしといる上で、プラスな存在になれたらもっといい。ひとりより、ふたりになれたらとても嬉しいことだ。きっと、たくさん楽しいことがあるだろうな。同じくらい嫌なこともあるだろう。その度にコミュニケーションを繰り返して、ひとりよりふたりになれたらずっといい。わたしも彼も、長くお付き合いするのは初めてだからこそ、出来ることからコツコツと。わたしも怒りを感情に乗せすぎないように暮らしていけたらいいなと思う。日々の、猛特訓だ～！<br><br><br><br><!--/data/user/0/com.samsung.android.app.notes/files/clipdata/clipdata_200708_021248_188.sdoc--><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/sirubako/entry-12609573034.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jul 2020 02:12:54 +0900</pubDate>
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