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<title>slbrのブログ</title>
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<title>家族・父・仕事に対して思うこと</title>
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<![CDATA[ <p>新しい街に引っ越して2週間ほどが経ち、今日車の中で一人、今心の中にある迷いや気づきを静かに言葉にしてみた。</p><p>&nbsp;</p><p>綺麗に文章をまとめるためではなく、自分の思考がどう揺れて、どう着地しようとしているのかを丁寧に確かめるための記録として残しておきたい。<br><br>---<br><b>1. </b><b>子供の成長と、親としてどこか拭えない小さな不安</b><br><br>いま一番心が向いているのは、やはり家族や子育てのことだ。<br>長男（4歳）は引っ越し後まだ日が浅いけれど、毎日「楽しい」と言って過ごしてくれている。</p><p>1歳の妹のことも、自分のライバルではなく家族の一員として大切にし、おもちゃの貸し借りなどで葛藤しつつも、遊び方を教えてあげる姿には愛おしさを感じる。<br><br>彼なりに生きる知恵も身につけているようだ。自分から周囲の子に「遊ぼう」と声をかけ、相手の反応を見て引くところは引くという、自分なりのアプローチを工夫しながら友達を作っているらしい。以前は馴染むのに時間がかかるタイプだったことを思うと、環境の変化の中で頼もしく成長していると感じる。<br><br>それでも親として、「これで本当にうまく育てられているのだろうか」という不安が消えるわけではない。比較できるものでもないけれど、正解が見えない手探りの日々の中にいる感覚は今も残っている。<br><br>---<br><b>&nbsp;2. </b><b>妻との価値観の違いと、言えないモヤモヤが生んでいた「距離感」</b><br><br>家庭内で一番大切なのは、妻が笑顔でいられることだ。それは頭でよく理解しているつもりだが、平日はどうしても仕事が多く、ゆっくり話を聞く時間が取れていない。<br><br>ただ、時間的な問題だけでなく、自分の中に少しひっかかり（抵抗感）があることにも気づいている。<br>妻が求める「子育てや家庭生活のあり方」の基準と、自分がこれまで持っていた感覚との間に少しズレを感じているのだ。<br><br>例えば、今度3人目が生まれた時の下の子（1歳）の幼稚園選びについて。経済的な負担が大きいこともあり、自分としては「専業主婦であれば、小さなうちは家庭で過ごす選択肢もあるのではないか」という思いがどこかにあった。<br>手探りの中で大変な経験を重ねること自体が、親としての成長に繋がる側面もあるのではないか、と捉えてしまう自分がいたのだ。<br><br>だが、それをそのまま口にすれば、妻を批判することになり、感情的な対立を生んでしまうと分かっているから言葉にできずにいた。<br>しかし、思いを抱えたまま表面上だけ合わせていると、二人の間に言葉にならない不協和音というか、静かな「心の距離」が生まれてしまう。この親密さが薄れるような違和感は、決して望ましいものではない。<br><br>車の中で深く考えを巡らせるうちに、妻にこちらの思いを受け取ってもらうためには、まず自分が妻の話にしっかりと耳を傾け、彼女の心を満たすことが先決なのだと気づいた。妻が安心して力を取り戻せる土台があってこそ、これからの家庭について落ち着いて対等に話し合えるようになるのだと思う。<br><br>---<br><b>3. </b><b>父への冷めていた気持ちを見直し、自分の「スタンス」を定める</b><br><br>日本の父親との関わりについても、見つめ直す機会があった。<br>父は今、前立腺がんの手術を控えていて不安を抱えている。時々電話をかけるととても喜んでくれる。<br><br>正直に言うと、私は思春期以来、父に対してどこか冷めた気持ちを抱き、心の中で距離を置いていた。<br>電話をするたびに自身の自慢話や承認欲求が見え隠れする父に対して、「周りの人の気持ちが見えていないな」とがっかりしてしまうことが多かったのだ。<br><br>だが、それも私の浅はかな見方だったのかもしれない。<br>人も「心の中の器（満たされ度合い）」によって態度が変わる。寂しさや不安で器が空っぽになっている状態の父を見て、ただ失望する必要はなかったのだ。<br><br>相手の態度に一喜一憂するのではなく、「あなたのことを気にしていますよ、大切に思っていますよ」というメッセージをこちらから届け続けること。<br>仮にそれで父が変わらなかったとしても、良い父親になってくれなかったとしても関係ない。<br><br><b>「相手がどう変わろうと変わるまいと、自分は相手を思い、大切にし続ける」</b><br><br>これを自分のブレない立場（スタンス）として腹に括ろうと思う。気分で関わるのではなく、このスタンスを貫くことこそが、後悔のない関わり方なのだと思えるようになった。<br>---<br><br><b>&nbsp;4. </b><b>完璧主義を緩め、ゼロベースに戻る許可を自分に出す</b><br><br>最後は仕事のことだ。<br>ビジネスが急速に拡大する中で、今の自分は「できていないこと」ばかりに目が向き、焦りや負担感を感じていた。やらなければいけない課題に押し潰されそうになり、充実感を失いかけていたのだ。<br><br>昨日上司と話した際、「自分たちのビジネスは5年前、何もない『ゼロ』から始まった。息を吹き返したと思って一からやり直せていると思えば楽しいじゃん」と言われ、ハッとさせられた。<br><br>自分も組織も、知らないうちに「あれもできていない、これもできていない」という減点主義の思考にハマり込んでいた気がする。<br>そのルーツを辿ると、幼少期に父から「まだまだだ」「ちゃんとできていないと駄目だ」と言われ続けてきた記憶に重なる気がする。母の肯定的な育て方にも助けられたが、父から受け継いだ完璧主義的な思考パターンが、仕事でシリアスになりすぎる原因を作っていたのかもしれない。<br><br>これまでも何度も意識してきたことだが、改めてこの機会に「ゼロベース」に立ち返ろうと思う。何もなかった原点に比べれば、今は十分に前進している、いろいろなことが実現している。<br><br>すべての要望を100%完璧にこなすのはキャパシティ的にも不可能だからこそ、「本当に事業の核（キー）となる要素」を見極めて集中し、それ以外は「できていなくても大丈夫」と自分に許可を出してあげたい。</p><p><br>日本から手伝いに来てくれている後輩に対しても、整っていない混沌を見せるのではなく、確信を持って進めるようなワクワクする絵を示せる存在でありたいと思う。<br><br><b>5</b><b>．おわりに：これから大事にしたい「</b><b>3</b><b>つの指針」</b><br>一人で静かに思考を深めた結果、自分の中でとても自然でしっくりくる3つの指針が見えてきた。<br><br>1. 【家庭】妻への抵抗感を一旦脇に置き、まずは彼女の話に丁寧に耳を傾けること。<br>2. 【父親】相手の反応に振り回されず、「自分はあなたを大切にし続ける」という愛のスタンスをブレずに持つこと。<br>3. 【仕事】完璧主義を手放し、ゼロベースで核となる部分に注力し、他は「できなくてもOK」と自分に許可を与えること。<br><br>大げさな誓いではなく、静かに自分と向き合う中でこれから大事にしていきたい自分自身の指針である。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 14 Oct 2026 15:34:29 +0900</pubDate>
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