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<title>女の子の随想録</title>
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<description>ティーンエイジャーが日々の中で思ったことや考えたことを徒然なるままに書き殴っていくブログです</description>
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<title>子供の時のゆめ</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/amemberentry-12874628757.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Nov 2024 15:49:35 +0900</pubDate>
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<title>生きる意味とは？</title>
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<![CDATA[ <p>哲学を学びたいと思う前から、永遠に私のテーマであり続けているのは、</p><p><font size="5">生きるってなんだろう</font></p><p>ってこと。</p><p><br></p><p>生物やら地理やら歴史やらの授業で生命の起源を学んで思うことは、生まれた意味なんてひたすらに皆無だなあということで。</p><p>生きる意味なんてないし死ぬ意味もないし、死にたくなったりしてみながら生きてる毎日で。</p><p><br></p><p>でも生きていて良かったと、思う瞬間もあるわけで。</p><p><br></p><p>たくさんたくさん思考して、思ったことは</p><p><font size="5">本能のままに生きる為に理性が備わっている</font></p><p>のでは？ということ。</p><p><br></p><p>理性的に考えて、生きている意味なんてまあ無いですよ。あくまで個人的には。</p><p>ただ、ステージに立っている時や、誰かが私のブログに反応してくれた時などなど自分の本質をアウトプットしている瞬間は本能的に湧き上がってくる力みたいなものを感じて、震えるような感動があります。</p><p><br></p><p>そこで。</p><p><br></p><p>そういう感動を味わうためには、理性に基づいて行動を進める必要があります。</p><p><br></p><p>そういうことです。</p><p><br></p><p>つまりつまり言い換えるなら、</p><p>ホモ・サピエンスは理性的な思考力を得て高度な生きる意味を見い出せたのかというと、きっとそうではない。</p><p>いわば、高度な本能を身につけたのです。</p><p><br></p><p>恋愛をすることやホルモンの乱れでものすごく落ち込むことや他人に共感して涙を流すことは、理性的と言うよりは本能的であるでしょう。</p><p>でもこれらはおおよそ他の種には備わっていない本能的なものであるでしょう。</p><p><br></p><p>そういう高度な本能、欲求に伴って理性(道筋立てて考える力)が生じたというのが持論です。</p><p><br></p><p>話がこんがらがってきた気がしますが、何を言いたいかというと、生きる意味について思考するときに理性に基づいて考えては答えを見出すことは出来ないということ。</p><p>もっと動物的な、進化の過程に逆らうような衝動が沸き起こる事柄に惹かれて、突き動かされて本能的に私は生きているのではないか、と。</p><p><br></p><p>哲学というジャンルの上で、理性的な思考力の向上を目指しているのですが、私にとっては考えることすら本能的な欲求なのだと痛感します。なんだか皮肉ですね。</p><p><br></p><p>うーん、なんだか上手く言葉にできない。</p><p><br></p><p>もっと色んなことを吸収して微妙なニュアンスまで捉えて言葉にできたらいいなあ。</p><p><br></p><p>またいつか、同じことをもっと私の言葉で書きます。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12838969985.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Feb 2024 09:11:36 +0900</pubDate>
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<title>あなたが生きていることに興味があるの</title>
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<![CDATA[ <p>私がいるということと、他者がいるということはほぼ同じ意味。</p><p><br></p><p>仮に白い世界に生まれたとしたら、“私”という概念も“一人”という概念もないのだろう。</p><p><br></p><p>複数の生命体が存在するから、どうやら意思の通じない部分があるのだと気づく。世界を認識する。</p><p>己以外にも同じような個体がいるらしいと分かる。</p><p>“私”を認識する。</p><p><br></p><p>たくさんの生命体に溢れているから種というまとまりが見えてくる。</p><p>古からのそういう過程で自分たちは人間というまとまりだと、自分たちで決めたのだ。</p><p><br></p><p>つまり、不特定の“あなた”がいることが、“私”がいるということなのだ。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>雑な理論展開だが、このように自分と他者について思案した時</p><p><font size="5">他者って興味深いな</font></p><p>という結論に達するわけである。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>私にとって他者とは私の脳とは違う仕組みの脳を持った存在でしかない。</p><p>そこに女であるとか男であるとか、人種がどうとか、何語を話すかとか、学歴がどうとか、というような条件は出る幕もない。</p><p><br></p><p>頭同士を配線で繋ぐか、人間が進化するかして人から人へ感情をダイレクトにぶち込めるようになるまでは少なくとも私以外の存在は「私以外の存在」以上の何者にもなり得ないのだ。</p><p><br></p><p>手を繋いだってただの物理的接触に過ぎないし、そこから何も伝わるわけがない。</p><p>『言葉がなくても目を見れば分かる』とか、愛着とかなんて受け手側の身勝手な妄想だ。</p><p>深く話してみれば思った以上に何も伝わっていないぞと言ってやりたくなる。</p><p><br></p><p>他者が私と同じ意味やニュアンスで単語を使っているかも、空の色を同じように感じているかも、指で机を触った時どんな風に感じているかも、水を飲んでどんな味に感じるかも、分かりはしない。</p><p><br></p><p>絶対分かりやしない。</p><p><br></p><p>それでも私は他者の言葉に一喜一憂し、ある時は消えたくなるほど胸を痛めるのだ。</p><p><br></p><p>何も伝わっていないかもしれないのに。</p><p><br></p><p>相手と同じ言葉を同じ気持ちで使っていることに一筋の望みをかけて。</p><p><br></p><p>分かり合えないし、一つになれもしないのに。</p><p><br></p><p>頭のどこかで分かっていたとしても。</p><p><br></p><p>分かり合えないことに嫉妬して、絶望して、殺しあってそれでも分かり合おうとする行為をやめない。</p><p><br></p><p>断絶しない。</p><p><br></p><p>習性というか傾向というか、そういうものは美しく、興味深く、どこか愛おしい。</p><p><br></p><p>私はそういうものを見たり感じたりしたいから、孤独の集団の中の一つとして生きるのをやめられない。</p><p><br></p><p>また、私は自分とは全く違う他者にも興味がある。</p><p>不特定の“あなた”が今何を感じて、何に苦しめられていて、どんな未来を創っていって、どんな風に思い通りにいかずに軌道修正して、どんな顔をして生きていくのか、</p><p><br></p><p>あなたの気持ちなんて分からなくていいから、私の色眼鏡を通してでいいから、見たい。聞きたい。</p><p>そう思う。</p><p><br></p><p>私なら絶対泣かないところで泣くあなたが、私なら許せないことを許すあなたが、私の嫌いなものが好きなあなたが、本当に興味深くて愛おしい。</p><p><br></p><p>そういうのをもっと感じて、間接的に私を知りたい。</p><p><br></p><p>あなたがいることが、私がいることだから。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12838591349.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jan 2024 12:43:06 +0900</pubDate>
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<title>本質を捕える審美眼</title>
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<![CDATA[ <p>自分の考えや価値観などを晒すことは、服を脱ぎ捨て素肌を晒すことよりよっぽど内面的で、よっぽど扇情的なことだと思う。</p><p><br></p><p>骨格とか脂肪の付き方とか目鼻の形とか、そんなことよりずっと本質的な私自身が言葉には詰まっている。</p><p><br></p><p>だから顔を見るより話をしたいし、肌を晒し合うより口癖や手癖からお互いを知りたい。</p><p><br></p><p>どんな土壇場を乗り越えてきたかなんてことより、それをどんな風に自分の一部として取り込んだかの方がずっと興味が唆られる。</p><p><br></p><p>この人はどんな命を持っているのか、魂はどんな形をしているのか。</p><p><br></p><p>絶対完全には分かり合えないもどかしさはロマン。</p><p><br></p><p>多くのものに触れて感じて取り込んで、留まることなく変わり続ける命を見逃したくないなと。</p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12838153871.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jan 2024 00:27:34 +0900</pubDate>
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<title>私はまだ何も知らない。</title>
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<![CDATA[ <p>日常生活の中で『普通』という言葉を使うのにとても抵抗がある話。</p><p><br></p><p>「普通に〇〇だよね」とか「別に普通じゃない？」とかよく聞く言葉だし、私も使う。使ってしまう。</p><p>でもそういう言葉を自分が使った時、腑に落ちない感じというか、罪悪感というか、そんなモヤモヤした気持ちに苛まれる。</p><p><br></p><p><br></p><p>いやいや、普通ってなんだよ。って。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>17年生きてきた中で知ってることなんてほんの少しなのに、それで『普通』を語っていいのだろうかとしんどくなる。</p><p><br></p><p>聞くところによれば、隣の県では方言があるらしいし、隣の国では私と同い年の人が武器を持つらしい。</p><p>空の雲は触れないらしいし、海の深いところには光が届かないらしい。</p><p><br></p><p>確かな事だと教えてもらったことだけど、本質的には知らないこと。</p><p>&nbsp;</p><p>恋愛感情とか嫌悪感とか、そういうのに関しては誰から教わった訳でもないのに、人類の共通感情みたいに定義している節がある。</p><p><br></p><p>本質的に知っているけど、確かな事だとは教えてもらってないこと。</p><p><br></p><p>そういう不確かなものの寄せ集めで自分の普通を作り上げて、世界を作り上げて、その世界観で他者に裁きを下す。</p><p>生きるってあまりにも自分勝手。</p><p><br></p><p>一方で、人によって『普通』は違うんだと悟りつつも、他者の裁きにいちいち傷ついてしまう自分の未熟さにやきもきしたりして。</p><p>私が勝手に下した裁きが誰かを傷つけているかもしれないことに胸を痛めたりして。</p><p><br></p><p>確かな事なんてほとんど何も知らないからこそ、この目で確かめてみたいと思うし、他者と話をする中でたくさんのことを捉えてみたいと思う。</p><p>結局は自分の世界観から抜け出せないとしても、すこしでも豊かな世界に生きていたいじゃないか。</p><p><br></p><p>自分の未来を想像して道筋を見出すにはまだあまりにも根拠や判断材料が少なすぎると思う。</p><p>私はまだ何も知らないのだから。</p><p><br></p><p>でも、それでも、何も知らなくても、“これが私の人生だ”と言い切る気合いだけは持ち合わせていたいと思う。</p><p>知らないなりに、分からないなりに、進んでいきたい。</p><p>道筋とか見いだせなくても、進んでいきたい。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12838152850.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jan 2024 00:12:41 +0900</pubDate>
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<title>人生3パターン位生きられる訳じゃないんだから</title>
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<![CDATA[ <p>「〇〇をやりたいな」</p><p>と思ったけど諦めてきたこと、今までに何度あるでしょう。</p><p>考え抜いて諦めたことも沢山あるでしょうけど、何となく無理な気がして諦めたこと、何度あるでしょう。</p><p><br></p><p>失敗するのが怖くてとか、自分に自信がなくてとか、そういう『想像』で人生諦めてきた大人にはなりたくないなあと最近よく思うようになってきた。</p><p><br></p><p>だって人生1パターンしかないんだよ。</p><p><br></p><p>在り来りな言葉だね、使い古された言葉だね。</p><p><br></p><p>でもやっとその言葉の本質を掴めた気がする今日この頃。</p><p><br></p><p><br></p><p>逆を言えば、どんな失敗をしたってもう二度とその経験をすることは無いのだから好きにやろうと思ったのです。</p><p><br></p><p>自分の倫理観や道徳だけは守り抜いて、やりたいことはくよくよマイナス方向に考えずにやろうと思ってきたのです。</p><p>(法に引っかかることは私の倫理観にも引っかかるので)</p><p><br></p><p>やろうか迷ったけど、勇気出してやったことは本当に強く私の今まで通った道の中で輝いている。</p><p><br></p><p>あんまりにも眩しい。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>たらればに自分の可能性があったんだ、みたいな勘違い誇張も甚だしい偽物の伝記をつらつらと語るような大人じゃなくて</p><p>「やってみたけど上手くいかなかった」って素直に言えるような、</p><p>等身大の自分も、自分の価値も理解した大人になりたい。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12835780064.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Jan 2024 15:06:31 +0900</pubDate>
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<title>真面目なやつがつまんないわけないよ</title>
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<![CDATA[ <div>生きるってことはものすごく不安定。</div><div>グラグラ グラついている。</div><div><br></div><div>あえて例えるなら、</div><div><br></div><div>“生”がなみなみと注がれて、今にも溢れそうなコップ。</div><div><br></div><div>表面張力でぷっくり膨れたそのコップの縁の、触れるか触れないかギリギリのところを指でなぞる。</div><div><br></div><div>そういう感覚と似ている。</div><div><br></div><div>水とコップの境目に触れてしまったらすぐに零れていってしまって、もう止まらない。</div><div><br></div><div>表面張力の所が厚くなれば厚くなるほど簡単に触れるだけで綻んでしまう。</div><div><br></div><div>そういう意味で、生と死はとてもとても近く、</div><div>もはや同じだと言われるのではないかと私は思う。</div><div><br></div><div><br></div><div><hr></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>どうしても人生という不安の渦中に身を置かなければならないなら多少なりとも狂っていた方が楽だ。</div><div><br></div><div><br></div><div>相反するものがあれば互いに互いを狂ってると思う。</div><div><br></div><div>誰も狂っていない様でみんな狂ってる。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>誰かから見たら、私が狂って見えるかもしれないけれど、私にとってはこれが真面目。</div><div><br></div><div>私の真面目は誰かにとっての狂ってる。</div><div><br></div><div>あなたの真面目は私にとっての狂ってる。</div><div><br></div><div>無理にあなたの真面目を殺して、周りに合わせて狂ったりしなくていいよ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>安心して狂っていいよ、じゃなくて、安心して自分の真面目を貫いていいよ。<br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12835255092.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Jan 2024 15:56:24 +0900</pubDate>
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<title>『多様性を受け入れる』の不自然さ</title>
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<![CDATA[ <p>『多様性を受け入れる』って言葉はどうも『私は大多数の一部ですが』みたいなニュアンスが感じ取られませんか？</p><p><br></p><p>『多様性』というのは私が、あなたが、社会に居る権利がある ということではないでしょうか。</p><p><br></p><p>確かに、受け入れる側ではありますがそれと同時に受け入れてもらう側でもあるということをきちんと認識することが大切なんじゃないかと思うのです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>そして、そもそも『多様性』という言葉自体が使われなくなった時が本当に差別も偏見もない社会、ということではないでしょうか。</p><p><br></p><p>「多様性の社会だから〜…」というのは、多様性という言葉を使って心の底では受け入れられない事柄を受け入れようとしているのではないでしょうか。</p><p><br></p><p>それは悪いこととは思いませんし、努力であると思いますし、それが多様性が本当に実現する社会に繋がる大切なことだと思います。</p><p><br></p><p>ただ、私の意見としては、いつか『多様性』と言われなくなった先に本当の多様性があるのだと思うのです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12835021958.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jan 2024 19:09:06 +0900</pubDate>
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<title>借り物の世界で『オリジナル』を信じる？</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div class="limited023_block01" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="limited023_block01" data-entrydesign-tag="div" data-entrydesign-type="block" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="display:block;width:376px;max-width:100%;margin:0 auto 12px;box-sizing:border-box;padding:6px;color:#333;background-color:#F9E4E2"><div style="background-color:rgba(255, 255, 255, 0.5);border:solid 1px #B3B3B3;padding:16px 12px"><div data-entrydesign-content="" style="background-color:transparent;font-size:16px;line-height:1.4;min-height:22px;break-word:word-break"><p style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0);">共通言語を使って、共有できない部分を探り合う。</p><p style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0);">そういうのがコミュニケーションってことなんじゃないかな。</p></div></div></div><p><br></p><p>オリジナルであることと、唯一無二であることと、自分らしくあることはそれぞれ違うと思います。</p><p><br></p><p>まず、オリジナルってのは今この瞬間初めて発生するもの。これはもちろん自分らしく、唯一無二のものでもある。</p><p>言葉にする前の感情。</p><p><br></p><p>次に言葉にするとそれは急激にオリジナル感を失ってしまう。</p><p>自分発の言語や何かしらの表現方法がない限り、言葉は、音は、画材は、先祖代々からの借り物でしかない。</p><p><br></p><p>でも、借り物だとしても、信念や守るべきものを捨てずに生きれば、それは自分らしいってことだと私は思う、思いたい。</p><p><br></p><p>そうやって少しでも自分らしい生き方をしていれば、きっと、きっと、唯一無二の人生になるかもしれないと思う。</p><p><br></p><p><br></p><p>オリジナルと自分らしいことと唯一無二ということは、同じ要素を含有しつつも全く質の違うが、同じような見た目をして同一線上にあるものであると思う。</p><p><br></p><p>しかし、借り物を使うから、私とあなたが抱きしめ合える。</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>オリジナルなもの、そのものはこの世界の見える部分にはないのかもしれないけれど、人と話してゆく中で“ああ、この人は似たオリジナルを持っているな”と思うことはあるんじゃないのかな。</p><p><br></p><p>共通言語を使って、共有できない部分を探り合う。</p><p>そういうのがコミュニケーションってことなんじゃないかな。</p><p><br></p><p>そうして、言葉がなくとも共有できる関係値になった時のその感覚は、もしかしたらオリジナルかもしれないし、そうでないかもしれない。</p><p><br></p><p>同じ感覚かどうかは確認できないのだから。</p><p><br></p><p>でも、そこに希望を捨てずにやっていけたら、いいね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12834921476.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Jan 2024 22:23:21 +0900</pubDate>
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<title>死なないことにしたんだ</title>
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<![CDATA[ <p>今日私は死のうと思った</p><p><br></p><p>社会とのミスマッチ感に懲り懲りしたから</p><p><br></p><p>でも死に損ねた</p><p><br></p><p>上手く死ねなかった</p><p><br></p><p>よく考えたら、社会と合わないから死ぬなんてみんなが思いつくことだなと思った</p><p><br></p><p>クソみたいな社会に洗脳されて生きる大多数が思いつくってことは『普通』の考えってこと</p><p><br></p><p>普通も社会もうんざりだから</p><p><br></p><p>私は死なないことにした</p><p><br></p><p>散々社会に悪態ついといて死ぬ時だけ社会の“ありがち”と揃うのは心外だ</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>こんな考えの私は大迷惑だけど</p><p><br></p><p>嫌いじゃなかった</p><p><br></p><p>だから余計苦しいけど、その分幸せだった</p><p><br></p><p>皮肉だけど</p>
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<link>https://ameblo.jp/snowy-yt/entry-12834628885.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Dec 2023 01:05:34 +0900</pubDate>
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