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<title>ソドン・バートル の BLOG</title>
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<description>【連載】「パパの子育て日記」</description>
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<title>天使の涙　（パパの子育て日記①）</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240703/15/sodonbaatar/96/9f/p/o0960096015458866184.png"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240703/15/sodonbaatar/96/9f/p/o0960096015458866184.png" width="420"></a></p><p>　アヤ保育園の事務室で、○○先⽣が午前中⾔ったことを、午後になって先⽣⾃⾝で否定するとは、わたしにはあまりにも予想外で、かなりに驚いた。朝の失⾔に対して、「そんなこと⾔ってないよ」と虚⾔を発する○○先⽣の顔を直視したまま、強い嫌悪感がわたしの胸の底から⼀気に湧き上がってきた。スマホで録⾳しておけばよかったと後悔した。<br><br>　「私は信じる、絶対信じる。嘘つきには、いつか必ず天罰が下される、絶対に！」とわたしが強い⼝調で⾔った瞬間、事務室がシーンとなり、⼀瞬の沈黙に覆われた。○○副園⻑は、「何⾔ってるんだ？今のは、もしかすると⼼理作戦というやつ？おれは全然平気だよ。」といわんばかりの表情を浮かべながら、⼿⾜を少し動かし(不安の証？)、視線をわたしの顔から○○先⽣のほうへ移した。しかし対照的に、○○先⽣は、椅⼦に座ったまま、体が固まったように、⼿⾜も全く動かさず、⽬がだんだん⾚くなり、中には涙が充満していた。<br><br>　○○先⽣の苦しそうな表情を⾒て、わたしはカバンを取って椅⼦から⽴ち上がり、「さてと、もう帰ります。誰かが泣き出しそうな顔をしているし」と⾔って、ドアまで歩いた。彼⼥の涙が溢れ出て顔に零れ出る前に、この部屋から逃げ出そうと思った。あまりにも急いだせいか、ドアの開け⽅がわからないわたしを⾒て、○○副園⻑が近づいてきて「こうすれば開くんです」と開けてくれた。○○副園⻑の落ち着いたしぐさと平然とした表情をみて、この⽅すごいなぁと思った。というのは、ドアに最も近い位置にいた○○先⽣が、まだ固まったまま、何も⾔わず何もせず状態だったから、そのギャップに驚いた。<br><br>　アヤ保育園から出て、⼦供たちを連れてトイザらスへ⾏く途中、「わたしが事務室を去った後、○○先⽣は⼤丈夫だったのかな。ちゃんと泣けたかな。ちゃんと泣いて胸に溜まっている悪いものを全部出したかな。そうして気持ちが少しはすっきりしたかな」と思いながら、「天使が通る(Un ange passe)」というフランスの諺を思い出した。今まで続いていた対話が途切れて、⼀座の者がみんな沈黙してしまうことを「天使が通る」というそうだ。<br><br>　アヤ保育園の事務室では、まさに今⽇の午後「天使が通った」。そして、天使が泣いた。あの涙は、いわば○○先⽣の⼼の中にいる天使の涙なんだ。⼈間には誰でも悪魔と天使という両⾯をもつ。違いはどっちの割合が⼤きいかということだけだ。悪魔は嘘をつく。そして天使がその悪魔のついた嘘に悩み、涙を流す。⾔い換えれば「良⼼の呵責」ということだ。つまり、⾃分の内⼼の良い⼼が、悪い⼼に怒って怒鳴りつけるということなのだ。○○先⽣が固まったあの瞬間、彼⼥の⼼の中の天使が、無⾔のまま歩き出し、あの部屋を通った。あの天使の美しい姿は、わたしの⽬には鮮明に映っていた、はっきりと。今でも泣き出しそうな表情で固まった○○先⽣、その瞬間、天使のように美しかった。彼⼥に対する強い嫌悪感は、⼀瞬のうちに跡形もなく消えてしまい、逆に⾃分が⾔い過ぎたと、⾃分自身を責めるようになったほどだった。考えてみれば、わたしも彼⼥と同じだ。呪いをかけるという悪魔のような仕業に対し、天使が出てきて責めた。それも「良⼼の呵責」だったのかもしれない。<br><br>　⼆⼈の悪魔と⼆⼈の天使。今回のトラブル、結局どうなるのだろう。⼆⼈の悪魔がとことんと対決して勝負するのか、それとも⼆⼈の天使が出てきて和解するのか。それは神様にしかわからない。しかし、われわれが⽣きているこの世の中に、天使が通ってほしいと、⼈々が期待するのだろう、きっと。○○先生が最後まで嘘をつきとおすなら、人々の期待に裏切ることになるのだろう。<br><br>　我々の社会では、嘘をつくこと、つまり不誠実であることは、道徳的にも良心的にも悪いことだとされている。しかし、強制力を伴う法規範と違って、道徳規範や良心規範などは、あくまでも人々の自主的順守が求められる。○○先生の不誠実な発言は、道徳規範にも良心規範にも違反しているのは明らかな事実だが、法には違反していないのだろうか。保育所に関する法令や解釈にはこんな規定がある―「保護者の苦情などに対し、その解決を図るよう努めなければならない。」「保育所は、苦情を通して、自らの保育や保護者等への対応を謙虚に振り返り、誠実に対応していくことが求められる。」<br><br>　つまり、保育士には「誠実な対応」が求められているということだ。それが法規範になっている。しかし、○○先生は、保護者からの苦情に対して、「その解決を図るよう努める」どころか、「誠実に対応」することさえしていない。職務上においては、明らかな法令違反だと断言できるに違いない。つまり、○○先生は、一個人として、道徳規範と良心規範に違反し、保育士としては法に違反したのだ。<br><br>　「他の保育所では子供の様子を見に、ちょっと中に入っていいのに、なぜアヤ保育園だけはだめなの？」という保護者の疑問と苦情に対し、「そうおっしゃるなら、他の保育所に転園すれば？」という彼女の返事は、回答にも説明にもなっていないし。逆に脅しにしか聞こえない。つまり、アヤ保育園の保育内容に対して、保護者が疑問を感じることや質疑することは許されない。疑問を苦情として申し出た保護者に対し、納得まで合理的に説明するどころか、感情的に逆切れし「いやなら他の保育所へ行け！」という威圧的態度なのだ。しかも、後になって「そんなこと言ってない」と連発して事実をひたすら隠蔽しようとする○○先生の姿勢、理解に苦しい。</p>
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<pubDate>Tue, 02 Jul 2024 12:13:12 +0900</pubDate>
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