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<title>プライム プリズム</title>
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<description>主にフィギュアスケートを中心に書く予定です。広くやや深い、音楽・ダンス・お芝居の経験をベースに書きますので、フィギュアスケートについては素人です。万が一、コメントを頂いても、お返事出来ないことが多いと思いますので、予めお詫び致します。</description>
<language>ja</language>
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<title>フィギュアスケートに関わるという覚悟</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>平昌オリンピックの後ルールが変わり、今季また幾つかの変更がありました。<br><br>CSの初戦を経て、点数の出方・エラーの取り方など、様々な取り上げがなされています。<br><br>昨季からGOEの付け方についてより複雑な計算方法が適応されていて、<br>-5～+5の各段階に応じて基礎点も10％単位で増減するようになり、<br>また、転倒やエラーにより制限が設けられました。<br><br>昨季の始め、自分が簡易的にめぐらせた点数とプロトコルのそれに違いがあって、<br>excelで自分なりに計算表を作成してみたのですが、あまりにも複雑で、<br>(と言うか自分のアタマがついて行かず)<br>男子シングルの分を作ったところで挫折しました。<br>(こういうのは得意な方が毎年上げて下さっているので、そちらを見ればいいのですが、<br>自分で作るには仕組みを理解する必要があるので、勉強にはなります)<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190922/19/solla-note/fc/a3/j/o0989044714596170470.jpg"><img alt="" height="190" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190922/19/solla-note/fc/a3/j/o0989044714596170470.jpg" width="420"></a><br>&nbsp;</p><p>この表では一番左の二重枠内にジャンプの種類を入れて、ジャッジそれぞれの評価を入れると、<br>実際のGOEが計算される仕組みにしてありますが、<br>もちろん今季はエラーに関する基礎点の減率が変わったので、このままでは使えません。<br>(そして女子の場合はこれに係数が掛かるので、それをやろうとすれば半日くらいはかかりそう)<br><br>ただたぶん、こういうものを頭に入れていると、失敗した時のリカバリや次戦に向けての対処法などが<br>より具体的になるのだろうなぁと思います。<br><br>こういうベースのルールについては、コーチは取り敢えず把握していなくてはダメですよね。<br>点数を取る為に全体を見ていく立場なので。<br><br><br>テクニカルの方とジャッジ資格を持つ方が今季のルール変更について話されている番組を見ましたが、<br>例えば、-2以上を付けなければいけないルールだと、エラーをとるのは躊躇するけれど、<br>-1以上だったら(心情的に)付けやすくなる、と。<br><br>今季は昨季と比べて、回転不足やエッジエラーに対する基礎点の減率が75％から80％に上がりました。<br>また、1Euの回転不足は取らず、GOEからマイナスとなります。<br><br>番組の中で無良さんも言っていましたが、昨季まではジャンプ・シークエンスで1Euの回転不足を取られると<br>シークエンスそのものの基礎点が75％になっていました。<br>最初と最後のジャンプがどんなにきちんと回っていても、です。<br>対して、今季は1Euの回転不足では基礎点は下がらずGOEからのマイナスになるので、昨季よりはマイナスにはならない。<br>そして、基礎点の75％から80％に減率が少なくなっている。<br><br>そうすると、ジャンプ・シークエンスにおいてプロトコル上はマイナスに関する表記はないけれど、<br>実際は1Euの回転不足が認められればGOEが下げられる。<br>・・ということでしょうか。<br><br>ん？？？？<br><br><br>CSの各初戦からURについてやたらと厳しかったのは、昨季は基礎点から75％だったからあまり取らなかったけど、<br>今季は80％とに上がった分、厳しく見るからね、ということなのかな、と推測したりもします。<br><br>あと、ジュニア上がりの選手はこれからまだ修正の可能性があるから厳密にはエラーを取らないけど、<br>シニアに上がって何年も経っても直らない(直さない)または、いつもより不足が感じられる選手は、しっかり取りますよ、<br>というのもあるのかな？と感じます。<br>(これは、新入社員は大目に見るけどベテランはミスなんて許されません、て感じなのかな。一般に例えると)<br><br>まぁ、わからないでもないですが、選手が個々にしている努力は公平に判断して欲しいと願います。<br><br>10代の選手は若い分だけ身体能力が高い。<br>正直、何も考えなくても伸びる時期はあります。<br><br>そこを越えて、ずっと続けている選手はもっと別の努力をしていると思うし、失敗があったからPCSまで下がるというのはどうかな、と。<br>(PCSって努力の積み立てみたいなものだと思ってたんですけどね。アスリートとしてアーティストとしての成長のボーナス点みたいな。)<br><br><br><br>このタイミングで一度、ルールやジャッジについて自分の思ったことを書いておくことで、<br>頭の中の整理をつけたいと思い、文字にしました。<br><br>これからシーズンが進むにつれて、また違う考えになるのかも知れないし、現時点で誤った認識があるのかも知れませんが、<br>ひとまずここまでで。<br><br><br><br>あぁ、これは書いておこうかな。<br><br>ジャッジもテクニカルも「資格」であって職業ではない。<br><br>そして個々の裁量(あるいは度量)によって、採点は大きく左右されます。<br><br>スケーターの豊かな感性や高度なスキルを「判断」するには、ルールの熟知以外にも個々の資質が必要になります。<br><br>本来、片手間にするものではない「判断」をする覚悟を、全ての「資格」を持つ方々にはしっかりと意識の真ん中に据えて頂きたいです。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12528563707.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Sep 2019 12:07:01 +0900</pubDate>
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<title>ヨシナシゴト</title>
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<![CDATA[ <p>　<br>ひとには個々の考え方や価値観がある。<br>これは主に、その人の経験値や知識に依るところが大きい。<br>主観で「こうだ！」と言っても、それはルールでこう決まってるんですよ、とか、<br>それは背景にこういうものがあるからこうなっているんですよ、とか、<br>そういうものを知っているか知らないかでも変わるし、<br>ましてやそれが正しいとか間違っているとかは、個の判断を超えて同調増幅させるものではないと思っている。<br>　<br>生き物は「寄り添う」という意思を持つ。<br>これは人間だけにはとどまらない。<br>近年はネコと鳥とかイノシシと犬だって寄り添う。<br>ちゃんと種は越えられる。<br>　<br>なのに、人間は同じカテゴリーの中でも啀み合う。<br>なんだかね。<br>　<br>正直、陰謀論とか組織的○○とか、<br>それ、自分の発したことにちゃんと記名して責任取れる・・？<br>って言いたくなる。<br>　<br>無いとは思ってないですよ。<br>だって、政治でも会社でも全くクリーンなんて見たことないし、<br>昔は談合なんて普通にあったそうだし(今もたまに問題になるけど)、<br>人類の半分は自分の利益を優先してると思う。<br>　<br>ただ、ものすごく単純な例で言うと、<br>エレベーターに乗って<br>自分の降りる階だけ押して、着いたらさっさと降りるのか<br>ボタンを押す位置に立って、乗ってきた人の階数を聞いて押してあげて、<br>着いたら開くボタンを最後まで押して降りるのか<br>みたいな、ね。<br>　<br>自分のことだけ考える<br>他人の立場に立つ<br>相手の気持ちを思いやる<br>俯瞰で見て先のことを考える<br>相手に良く思われたい<br>嫌われたくない<br>　<br>理由は様々。<br>行動の根拠なんて一つではないのに、自分の価値観だけで決めつけるのはどうなの・・？<br>と、私は思うのです。<br>　<br>先程のエレベーターだって、ボタンを押す位置にいた人がベビーカーと一緒に乗ってたら、<br>他の人はさっさと出て入口を空けてあげたほうが親切かもしれない。<br>でも、この状況を見た人が<br>「ベビーカーと一緒に乗っていた人にボタンを押させて、さっさと降りるってどうなの？」<br>って見ていない人間に意見を求めたら、それって酷いよね、になる。<br>　<br>そういう、不特定多数に向けて主観主導で無責任に発してしまうことの怖さを、<br>認識してない人が多いなと。<br>　<br>あと、他人の考証とか検証とか意見を持ってきて、ここでこう言ってるから正しいんです、<br>みたいな責任丸投げ便乗論法も多い。<br>　<br>それ、自分でちゃんと確かめてないよね？<br>　<br>情報紹介でリンク先貼ったりコピペして、そこに自分の思ったこと書いて終わり、とか。<br>どっかのブログから引用して記事書いてるライターの人とやってることはあまり変わんないと思うのだけど。<br>金銭が発生してなければいいのかな。<br>個人のブログなら何を書いても責任ないのかな。<br>　<br>対象にされる側は公的な場所で万人に向けて、自分の言葉で発していたとしても、<br>切り取られたり歪められたりすることが多いのに、<br>その末端にすら責任を取れとか言う、匿名正論者はたくさんいて。<br>　<br>　<br>以前、2年程ブログを更新していなかった理由を書いたことがありましたが、<br>結局、変わらないのかな、と。<br>　<br>　<br>私は、フィギュアスケートが好きで、シングルもペアもアイスダンスも好きで、<br>全日本は毎年楽しみにしているし、今は出来ていないけどブロック大会も行きたいと思ってるし、<br>アイスショーも、国内で開かれる国際試合も行ける時はなるべく行きます。<br>プロアマ問わず、頑張っているスケーター全員に敬意を持っているけど、<br>でも、その中でも好きなスケーターはもちろんいる。<br>だからと言って、誰かを上げるとか下げるとかはしたくないし、<br>不甲斐ないって思えば「何でそこで・・。」とかは言いますれど、それだって実力があると思えばこそ。<br>そもそもそこで誰かに同意してもらおうなんて思いませんが、<br>いわゆる「いいね」に価値を置く人が多いことにも「？」です。<br>　<br>これは読む価値がないですよ、とコピペやスクショを置いて紹介して、自分のバナーは押して下さい、って何だろう・・。<br>何かを否定した自分を肯定して欲しいのかな。<br>　<br>　<br>自分の名前を出して何かを発している人や、自分を看板として仕事をしている人と関わっていた時期があったり、<br>そういう知人がいたりしたので、その大変さを少しは知っていますが、<br>○○の誰、といった肩書きの影でしか生きてこなかった人間や、まして匿名という実生活には何の支障もない架空の人間としての<br>お気楽な「ご意見」が、表現の自由として大きな顔をする。<br>そんな中で何か反対意見を言われると、すぐ「アンチ」とか言って口撃したり、こんなこと言われたって晒したり。<br>逆に自分では何も発してないのに、他人の意見に噛み付いてアラ探ししたり。<br>　<br>そこで何かに傷付いたとしても、それはリアルな自分じゃないからリセット出来ますよね？<br>　<br>でも、対象とされる人間はその人として傷を受ける。<br>わかってるのかな。<br>そもそもの土台が違うってこと。<br>　<br>　<br>最後に。<br>推測や主観で、さも見てきたかのように責めたり批判したり「ご意見」したりする人間が、<br>実生活では熱が出て自分が会社を休むのは当然の権利だと思っているくせに、<br>頑張っている人が何か躓いたり立ち止まったりすると、自己管理だのサボりだのと喚き立てるのは、<br>ただの劣等感か、自分のほうが頑張っていて大変なんだよ、というアピールでしかないので。<br>　<br>他に寄り添うことが出来ない、動物の基本的な感情も持てない可哀想な人だと、<br>私は思います。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12419904312.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2018 17:02:24 +0900</pubDate>
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<title>Kazuki Tomono</title>
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<![CDATA[ <p>遅咲き、という言葉がはたして真にそぐう表現であるかどうかは分からないけれど、<br>目に見える結果として注目され始めたのは、昨季ぐらいからだろうか。<br><br>「Westside Story」での魅せる力と、ワールド5位という快挙。<br><br><br>私が最初に興味を持ったのは、2016-2017シーズンのSP、ベートーヴェンの「運命」だった。<br>クラシックの王道をアレンジしたデイヴィッド・ギャレットの「交響曲第５番」<br><br>スケーターは割と得意不得意が分かれるもので、ポップな音楽が得意であれば ゆったりとした曲はちょっと・・とか、<br>クラシカルな曲が得意であれば アップテンポな曲はキレが・・ということが多いのだけれど、<br>彼は１曲の中で、その２つをきちんと表現していた。<br><br>まだジャンプが決まらなかったり、スピードに上手くのれていなかったりという面はあったとしても、<br>「表現したいこと」「伝えたいもの」が見える選手だと思った。<br><br><br>昨季のプログラムは、SP・フリー・EX全部、実は私の好きなジャンルの曲で、<br>ツィゴイネルワイゼンは超絶技巧のヴァイオリン曲だし、<br>「Westside Story」はバーンスタイン作曲の、「巴里のアメリカ人」はジーン・ケリー主演のミュージカル。<br><br>どの曲も曲だけでワクワクしてしまうのだが、彼はその世界観をきちんと表現していた。<br>つまり、プログラム持つの世界観を踏襲出来ているのだ。<br><br>これは実は結構難しい。<br>よく「オリジナリティが・・」とか言うけれど、基になる素材を咀嚼・表現出来た上での個性と、<br>そもそも個性しかウリのない(失礼・・！)演技者のそれとでは、ベースの厚みが全く異なる。<br><br>フィギュアスケートは、スポーツでありながら表現媒体であり、<br>そこにはプログラムに対する敬意や理解がなくてはならないと私は思っている。<br><br>ただのノリや雰囲気で「表現」とは言われたくないし、リズムが取れてればいいんでしょ、といったスケートも<br>厳密には「演技」とは言えないと思う。<br><br>まぁ、そこは。<br>たぶん観る側もジャッジも色々なわけで。<br>(好みとかね)<br><br>人間は自分が興味のある対象以外は、目に入っていても脳がスルーするらしく、<br>(じゃないと情報量が多すぎて脳が処理出来ない)<br>受け止める側にそれだけの背景がないと中々評価して貰えないことが多いので、<br>後はもう、有無を言わさない圧倒的な「何か」で、取り込んでいくしかないんだよなぁ・・と思うのだが、<br>そういう域に、彼は達することが出来るんじゃないか、と期待しています。<br><br><br>今季のEXもいいですよね。<br>なかなかスケートでは選ばれないジャンル(というか振付)だけど、こういうのもホントに巧い。<br><br>ジャンプについては。<br>踏切のタイミングとか身体の締め方かなぁ・・と、素人ながらに見ております。<br><br>スピードと氷の力をもっと跳ぶ力に変換出来ると、たぶんもう少しラクに跳べる。<br>あと、軸がちょっと遠心力に負けて緩くなりがちなので、ぶれないように締めることが出来るとラクかな、と。<br><br>個人的には、降りるまでをイメージしてジャンプの練習をすることで、全体的なバランスが取れるようになる気が。<br><br><br>SPは、振付をミーシャに頼んで、また違う表現を模索しているのかな。<br>腕や膝の動きが以前よりもやわらかくなっていて、<br>スケーティングも含めていいものを吸収出来ていると思う。<br><br>見て学ぶということは意外とすぐに身になったりするので、海外のスケーターと滑ることで、また変わるだろう。<br><br><br>今季から特別強化選手になり、以前よりは練習しやすい環境になったのかな、とも思う。<br>PCSが全体であと10点ぐらい上がって、彼を応援してくれるスポンサーが付けば、<br>また違うアプローチも見えてくると思うのだけど、ね。<br><br>環境もまた、人を育てるから。<br><br><br><br>時々。<br>自分がもの凄い資産家だったら、影武者たててこっそりスケーターを支援するのになぁ・・と思う。<br>(自分の顔は出さない。それはフェアじゃないし、好きじゃない。元々権力とか嫌いだし)<br><br>自分が作ったスケートリンクで清掃員とかしながら、頑張ってる姿を見て応援したいな。（笑）<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12411611418.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Oct 2018 15:15:00 +0900</pubDate>
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<title>scene</title>
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<![CDATA[ <p><br>去年のちょうど今頃に書いた<br>自分の記事を読み返しました。<br><br>プログラムという作品を どう表現し、創り上げたいか。<br>そのために必要な技術と、点を取るために必要な技術との せめぎ合い。<br><br>点を取りに行き、ノーミスを目指す。<br><br>それは、アスリートとしては一つの目指すべき場所なのだけど、<br>ここで跳びたいジャンプは、表現したい高さは 感覚は、<br>トゥループじゃなくて ループなんだよ、とか。<br><br>なんかね、そんな世界感を持った作品が見たい、と<br>改めておもったのです。<br><br>ここは ふわっとアクセントを付けずにループがいいんだけど、<br>前半でループ入れてるし、基礎点がなぁ・・とか思ったら、<br>じゃあ、アクセルを ふわっと跳んじゃえばいいじゃん♪<br>とか。(笑)<br><br>なんか、そんな感覚でエレメンツを考えちゃうくらいのスケートが見られたら、<br>それはもう、一生分のHappyなんじゃないかって、<br>最近、おもうのです。<br><br><br>繊細なルッツ、やわらかいトゥループ。<br>力強いキャメルスピン、雲の上をスキップするようなステップ。<br><br>ふふ、これってジャッジはどう判断するんでしょうね。<br><br>「こうあるべき」なアタマの硬い方々は、目前に 心に迫るその「scene」に<br>どんなＧＯＥを付けるのでしょう。<br><br><br>枠があっても、高い技術と それに基いた表現力と 感性があれば、<br>自分を解き放つことは出来る。<br><br>それは「自由」よりも難しいけれど、絵画のように美しい。<br>額縁(枠)込みでの 芸術に創り上げることが出来るなら、<br>まさに、総合芸術なのだと<br>私は思うのです。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12406786501.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Sep 2018 17:14:16 +0900</pubDate>
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<title>言葉がみつからない</title>
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<![CDATA[ <p>デニス・テン選手が亡くなった。<br><br>私はそのことを友人からのメールで知った。<br><br><br>翌朝、亡くなったというニュースと共に</p><p>親交があった人々からの故人に対する「コメント」が取り上げられ、<br>私は言いようのない違和感を覚えた。<br><br>笑顔のツーショット写真や、ピースサインの写真と、<br>「哀しい」「信じられない」という文字。<br><br><br><br>私は何年か前に友人を亡くした。<br><br>住む場所も離れていたし、年賀状をやり取りするくらいの間柄で、<br>その死も ご家族からの喪中葉書で知らされた。<br><br><br><br>それでも。<br>そのことをSNSに上げる気には到底なれなかったし、何か文字にしようとも思わなかった。<br><br><br>今でも、写真を見て悼む気持ちにはなれない。<br><br><br>「実はウソだよ～。」と、笑えない冗談を言ってたのじゃないかとすら考える。<br><br><br><br><br>たまたまつけたテレビで、ジャズサックス奏者の渡辺貞夫氏が</p><p>震災跡の慰霊碑を訪れた後にこう答えた。<br><br>「言葉がみつからないね」<br>と。<br><br><br><br><br>テン選手の訃報を知ってすぐ、哀しみながら信じられないと言いながら、<br>自分のカメラフォルダの中からSNS映えする写真を探したのだろうか…？<br><br><br>或いは、自分はこんなに親しかったんだよ、と。<br><br>こんなに哀しいんだよ、と。<br><br>共感して欲しかったのか…？<br><br><br>そこに付けられた「いいね」は、何が「良い」んだ…？<br><br><br><br>中には、写真も何もなく、ただひと言だけ呟いている人もいた。<br><br>白黒の写真を上げて、冥福を祈っている人もいた。<br><br><br><br>それは、わかる。<br><br>その感覚は理解の範疇だ。<br><br><br><br><br>そんなに、「コメントすること」は必要か…？<br><br><br><br>一般人と一緒にするな、と言われるかも知れないが、<br><br>哀しむ気持ちは同じだろう…？<br><br><br><br>だが確かに、その場の感情を共有し拡散することが</p><p>当たり前の感覚である人々はいて、</p><p><br>そうすることが当たり前だと、<br>それが常識だと、<br>考える人間も多いのだろう。<br><br><br><br>その哀しみをただ、受け入れることに精一杯な人間は、<br>時に揶揄され、疎外され、<br>悼む気持ちすら否定される。<br><br><br><br>「言葉がみつからない」のに、<br>訊ねられてもいないのに。<br><br><br><br>それでも、言わなくてはいけないのだろうか。<br><br><br>「言葉がみつからない」と。<br><br><br><br><br>先程のテレビの最後に、渡辺貞夫氏のライヴ演奏が流れ、<br>「花は咲く」を演奏しておられた。<br><br><br>やわらかい 優しい 音色だった。<br><br><br><br>観客の一人は<br>「国の宝ですね。心が揺さぶられました。」<br>と言っていた。<br><br><br>そして渡辺氏はこう言った。<br><br><br>「音のちからって、在るわけで。<br>音ひとつでほんと 涙がこぼれますからね。」<br><br><br><br>私も、その「ちから」を信じている…。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12392682586.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jul 2018 04:30:00 +0900</pubDate>
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<title>必要とされたい場所</title>
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<![CDATA[ <p>このタイトル、日本語だとなかなかピッタリくる言い方が思いつかなくて。<br>たぶん英語とかのほうが伝わりやすいんだと思うのですが、<br>私、そんなに英語力ないので・・。<br><br>何だろ。<br><br>「The way to be needed」<br><br>・・かな？（分からん）<br><br><br>私は物心つくかつかないかの頃から10年くらいクラシックバレエを習っていて、<br>20歳前後にはクラシック・モダン・ジャズ・タップというジャンルの踊りを習っていました。<br><br>私にとって、言葉以外のいちばんネイティブな表現方法はクラシックバレエだけれど、<br>今は表現する為の身体的能力が全くないので、要するに語彙力が無いわけです。<br><br>こればっかりは、一番雄弁であった10代の頃と同じには戻せない。<br><br>ずっと続けてきた人なら、10代の頃に出来たことは出来なくなったとしても、<br>それを補う、あるいは代替出来る別の技術が付いてくるものだと思いますが、<br>続けていないと<br>20代を越えた場合、もう元には戻せないし、代わりを見つけるのは難しい。<br><br>例えば。<br>漢字だって書いてないと忘れたりするでしょう？<br>で、ここではこの漢字を使いたいんだけど、思い出せない。<br>辞書もない。<br><br>仕方がないから平仮名で。<br><br>これはもう、当初の表現したいものとは変わってしまう。<br><br><br>私は、大人になってからバイオリンを始めて。<br>これもまた、言葉以外の表現方法だけれど、<br>それでバレエのように表現が出来るのか、と言えば「No」なわけです。<br>まず、技術がない。<br>譜面通りに弾く技術はもちろん、その上の細やかな表現や自分らしさを表す技術もない。<br><br><br><br><br>最初に、<br>伝えたいことは日本語だと上手く表せない、と書きましたが、<br>じゃあ英語だと今度は語彙力がない。<br><br>それって結構、ストレスで。<br><br>私が必要とされたかった場所、最大限に自分を表現したかった場所は、バレエの舞台だったけれど、<br>それはもう、自分の望む形では叶わないこともわかっているのです。<br><br>そして、離れたのは私自身だということも。<br><br>一度離れた場所に戻ろうとしても、結局そこでもまた、望んだ「needed」は手に入らない。<br><br>一度降りてしまった電車に乗るためには、乗っていなかった時間の倍以上の速さで追い付かなければならない。<br><br>そして、乗っていなかった時間に見れたであろう景色は、決して見ることは叶わない。<br><br><br>もちろん、離れていた時間に私は別の景色を見ていました。<br><br>お芝居だったり、音楽だったり、それはそれで私の財産です。<br><br>だから、戻ろうとは思わないけれど。<br><br><br>時々、すごく憬れを感じるんです。<br>今も現役で踊っている、私より年上のダンサーの方々に。<br><br>その場所でしか得られない、至福の時間に。<br><br><br>でも、時間は戻せない。<br><br>それは、自分で理解するしかないことなのだけれど。<br><br><br>少し、哀しい。かな。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12389321870.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Jul 2018 12:34:56 +0900</pubDate>
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<title>monologue</title>
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<![CDATA[ 与えられたチャンスは、<br>受けとって活かすのが、礼。<br><br>想いは、伝えることが大切。<br><br>たくさんの「ありがとう」を<br>自分らしく<br>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12338226824.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Dec 2017 12:07:00 +0900</pubDate>
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<title>ジャンプとプリエとグリッサード</title>
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<![CDATA[ <p>クラッシックバレエを、物心つくかつくかないかの頃から10年程習っていました。<br>小さい頃に身に付けたものは、大人になっても覚えているもので、<br>感覚としては、未だに残っています。<br>（必要な筋肉と柔軟性は ほぼないので、もちろん、子供の頃のようには踊れませんが）<br><br>バレエは基本、踊っている中で「歩く」という行為はなく、全て「パ」と呼ばれるステップでつないでいきます。<br>そして、その全てにかかわるのが「プリエ」です。<br><br>プリエとは、簡単に言えば「膝を曲げる」ですが、ただ曲げればいいのではなく、正しいプリエというものがあって、<br>これを体に覚え込ませることによって、高いジャンプ(グランジュテ)を跳べたり降りれたり、軽やかに移動したり、<br>ということが出来るようになります。<br><br>正しいプリエとは、足の裏と身体の筋肉をしっかりと使って、自分の体重(重力)を最大限にコントロールし、<br>身体への負担を少なくしつつ、表現をより豊かにする為の、本当に大切な基礎です。<br><br>この「プリエ」をおろそかにして、難しい技術を積み上げようとすると、どこかしらに無理や綻びが生じて、<br>結果、歪みが出てしまう訳です。<br><br><br>バレエでは、床に立つ時よく「床を掴む」と言います。<br>文字通り、足の裏全体で、床を掴む感覚です。<br><br>でも、これが出来てない人は割といて、そうすると何となく安定感のない動きになってしまいます。<br><br><br>プリエの状態で移動するパ(ステップ)に、グリッサードというものがあり、<br>これはとても効率良く、地面からのエネルギーを身体に伝え、ジュテ(ジャンプ)の動力源となります。<br><br>でも、これも正しいプリエが出来ていないと、足の裏がきちんと床を掴めず、エネルギーを溜めたり伝えたりすることが出来ません。<br><br>フィギュアスケートでジャンプのタイミングか合わない選手を見ると、<br>私はこの「プリエ」と通ずる動作が、きちんと出来ていないんじゃないかな・・？と思います。<br><br>例えば無良選手は、ここ一年くらいでスケーティングの技術が上がった為に、以前の氷の掴み方だと正しい「プリエ」にならなくなってしまって、<br>タイミングの取り方が分からなくなっているのではないかな、と思います。<br><br><br>私は、スケートは子供の頃に少しやったきりなので、スケーティングの感覚的な部分はほとんど解りませんが、<br>自分がやってきたバレエの感覚に当てはめると「こんな感じかな？」というイメージが見えます。<br><br>最近のロシアの女子選手は、簡単に高度なジャンプを跳びますが、ロシアは伝統的なバレエ大国です。<br>そのバレエの身体的技術が、スケートにも活かされているのかな・・？と思ったりしています。<br><br>特に、バレエの「アン・ドゥオール」「アン・ドゥダン」という基礎は、身体を使う上でとても大切な要素です。<br><br>日本でこの感覚を比較的理解して使っているのが、宮原選手かな、と思います。<br><br>彼女の背中はとても美しく、スパイラルやスピンは理にかなったポジションを取っています。<br><br>日本でも、スケートとバレエの両方を解っている指導者が現れれば、トレーナー以上にフィジカルを安定させることが出来るのではないか、と、私は思います。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12336821075.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Dec 2017 17:10:28 +0900</pubDate>
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<title>引力とフィルターと憶測と真実</title>
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<![CDATA[ <p>シーズンが進み、<br>佳境にさしかかろうとしている。<br><br>グランプリシリーズも最終戦。<br><br>ファイナル出場者が決まっていく一方で、初戦前から怪我などの理由での欠場も目立つ。<br><br>「out in out in」<br><br>一喜一憂ならぬ、一憂一機、というところだろうか・・？<br><br>言い方としては好きではないけれど、出場ギリギリのラインの選手にとっては、<br>チャンスとなることもある。<br><br>トップレベルの選手たちと同じ舞台で戦えるという、チャンス。<br>自分の演技を、より多くの人に観てもらえるというチャンス。<br><br>そして、そこには<br>欠場した選手への思いもあるだろう。<br><br><br><br>いつも、思うことがある。<br><br>外野は所詮、外野なのだ。<br><br>どれだけ思いをはせても、<br>想像しても、推し測っても、<br><br>当事者の心の中など、わかりはしない。<br><br>まして、第三者というフィルターを通した言葉は、本来のニュアンスを失うことが多い。<br><br><br>こういう文章を書くとき、私は漢字や句読点、改行にも気を配る。<br><br>「こだわる」と言うほど重いものではないが、<br>どう書いたらぱっと見て伝わるだろうか、ということを考える。<br><br>それは、第三者に向けてというよりは、未来の自分に向けている。<br><br>その時々に感じている感覚を、ダイレクトに残したい為の作業だ。<br><br><br>自分のことなので、自分では解る。<br><br>端的に言えば、<br>「分かる」なのか「解る」なのか「判る」なのか「わかる」なのか。<br>ということ。<br><br>例えば、話している言葉を書き起こした時点で、書き手のクセや思想(あるいは能力)が入ってくるし、<br>句読点の位置でも変わってくる。<br><br>時数や時間の制限で、切り取られたり端折られたり。<br><br>そんなことは当たり前に行われる。<br><br>それが、媒体であり、<br>こういうブログとは大きく異なる部分だ。<br><br>そして<br>第三者のフィルターを通した言葉を主題に、色々と捏ね繰りまわすのが好きな方々もおられる。<br><br>それはもう、本来の姿ではないだろうに。<br>あれこれと、思考する。<br><br>良くも悪しくも。<br><br><br><br>私は、人を見る時、その立ち姿を見る。<br><br>言葉も大切ではあるけれど、その人がどんな姿勢であろうとしているかを感じようと努める。<br><br>もちろん、私が感じ取り切れないものは多々あるだろうし、<br>自分の器について、大した自信もないので、偉そうなことは言えないが。<br><br>それでも、受け取ったものは大切に自分の中にしまう。<br><br>そして、時折、伝わったものを別の形で伝える。<br><br>それが、私の「エール」だ。<br><br><br><br>推考は、必要か・・？<br>憶測は、当たり外れだけの自己満足じゃないか？<br><br>助言って何だ？<br><br>ただ、年齢を重ねただけの生き物は、そんなに偉いか・・？<br><br>同じ立場で、時間を積み重ねたことがあるか？<br><br>毎日を、目標を持って投げ出さずに続けたことがあるか？<br><br>自分の人生を振り返って、胸を張って、訓示を垂れるなら、<br>余程の厚顔無恥だろう。<br><br>結局、自分のアイデンティティを確立する為に、利用しているだけじゃないか？<br><br><br><br>自分が選んだことを、他人のせいにする。<br><br>そんな文章ばかりが踊っている事に、少々嫌気がさしたので。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/entry-12331269192.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Nov 2017 12:00:07 +0900</pubDate>
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<title>The Day I met his message</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/solla-note/amemberentry-12344801647.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Nov 2017 12:07:01 +0900</pubDate>
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