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<title>くれこの作文☪️。</title>
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<description>自分のことは、健康や病気に関することをいろいろ、書いていけるときに、少しずつ書けたらと思います</description>
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<title>私と緑内障の日常02 小児眼科のころ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;私の小児眼科の時期の詳細な記録は、残念ながら病院側の不手際で、誤破棄もしくは紛失しているので、治療の内容はよく分かりません😕😨</p><p><br></p><p>&nbsp;それでも、母子手帳や当時の領収書などから、わかる範囲の事を書いていきます。</p><p><br></p><p>&nbsp;私が先天性緑内障と診断されて、1週間後に両目の手術を受けました。</p><p><br></p><p>&nbsp;当時の緑内障の手術は、眼圧の素になる眼房水を排水する事が最大の目的で、それは今も同じです。</p><p><br></p><p>まずは、排水管を通す事をしますが、傷をつけて造るので、体は修復しようと、排水管を治そうとします。</p><p><br></p><p>&nbsp;次は、治そうとして塞がりかけた排水管を、再度掘り返す事になります。</p><p><br></p><p>&nbsp;そして1か所で数回、排水管の掘り返しをして、排水管が埋もれないように、体に覚えてもらうのです。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;私は小学校に入る前に、左目は11回と右目は10回ばかり手術をしたようです。</p><p><br></p><p>2歳半までは、両目を同時に手術したらしく、分厚い眼帯で出目金のようとか、あて金という病院独自の金物にたくさん穴を開けた眼帯になると、仮面ライダー見たいと兄弟に言われていました。</p><p><br></p><p>ただ、右目の手術をやめ、積極的治療をしないと加藤医師が判断した状況は、記録が処分されてしまったのでわかりません。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;小学生の時代は、緑内障の手術はありませんでした。</p><p><br></p><p>&nbsp;けれど、病気で黒目が青白く変色していて、いじめの大きな原因にもなっていたし、右目は太陽光すら感知できないし、眼圧は高めで安定した状況だったから、私は人生で初の自己決定と自己責任を覚悟して、親子論争を押し切り、右目を義眼にしました。</p><p><br></p><p>&nbsp;摘出した右目は、母と相談して、病理検体として大学病院に提供しました。</p><p><br></p><p>&nbsp;当時の義眼にするための、摘出手術は、眼を動かす筋肉を残して、空洞になったところに土台になる樹脂の球を入れて筋肉の拠り所にして終わるのです。</p><p><br></p><p>&nbsp;でも、私は樹脂の球と相性が悪く、２回挑戦しましたが厳しく、通常とは違う形の義眼にする事で落ち着きました。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;今でも、10歳でした親子論争は、ちょっぴり影を残していると思います。当時、母は</p><p>私が望むならと賛成してくれたけれど、父は見た目のために生身の体を摘出するなんてと猛反対で、私は見えないし治らないし見た目も悪いからいらないと啖呵をキリ、死ぬまで後悔するなと、言われました。</p><p><br></p><p>&nbsp;それ以来、父からは何を考えているか謎で不可解な要注意人物になった時間が四半世紀以上続きました。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;中学生になり、吹奏楽部に入った事で、左の緑内障が進行しました。</p><p><br></p><p>吹く事が、顔の筋肉を過剰に使う事になり、眼圧を上げる要因になり、初めて視野狭窄を体験しました。</p><p>&nbsp;吹く事はドクターストップになり、体育の授業中に1メートルの高さの平均台で立つ時、見えるはずの範囲が見えなくて、視野狭窄を体感した瞬間でした。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;そして小児眼科時代の最後の緑内障の手術を受けました。</p><p><br></p><p>この時は、排水管を造り、再度の掘り起こしを回避するため、マイトマイシンCと言う抗がん剤を希釈した液を塗り、排水管を長持ちするようにした手術だと思います。</p><p><br></p><p>体調が不安定な月経中の全身麻酔だったので、寛解していた喘息を再発したり、いろいろあった小児眼科の時代でした。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;今現在、私の緑内障は最終盤の攻防をして失明を回避し続けていますし、主治医の世代交代も4度目を目前にして、この小児眼科の記録が重要なのですが、肝心要の記録がない事に大変困惑し、</p><p>処分されて失われた記録を、少しでも正式な記録に近い文書を書き起こしたいと思っています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sonokan84/entry-12718609982.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Dec 2021 13:42:31 +0900</pubDate>
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<title>私と緑内障の日常 01、治療に辿り着くまで</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>君に、運命をあげよう。それは、人生が終わる日より前に、失明する日が来るということ。</p><p><br></p><p>&nbsp;但し、失明しない道を選び続けるという、賭けのゲームをするなら、その日は人生の終わりを越えるかも知れない。</p><p><br></p><p>&nbsp;さて、君はこのゲームを始めるか？</p><p><br></p><p>そんな提案をされたら、私はやると言うし、言ったから今がある。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;私の両親は、紀伊半島の先端近くの出身である。結婚して上京し、</p><p><br></p><p>父は海外赴任を繰り返して仕事に邁進し、母は専業主婦と、当時の一般的な暮らしだろう。</p><p><br></p><p>&nbsp;そして子供ができ、母は里帰り出産を選び、産婦人科のあるA病院とB病院から、</p><p><br></p><p>A病院を選んで、第1子が産まれた。</p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;それから2年半後、私の出産のため、母は長子を連れて里帰りをした。</p><p><br></p><p>前回と同じA病院に、妊婦健診に通い出す。しかし、妊娠後期にA病院が、経営破綻して倒産し、患者さんはB病院や他へ転院した。</p><p><br></p><p>&nbsp;この事が、私の運命をも変化させた。</p><p><br></p><p>&nbsp;B病院で、わたしはなんのトラブルもなく、ごく普通に出産され、普通の新生児として生まれた。</p><p><br></p><p>&nbsp;最初に私の様子に違和感を覚えたのは、産婆さんの手伝いをしたり四人の子育てと五人の孫を見てきた祖母だった。</p><p><br></p><p>祖母によると、新生児なのにやけに瞼が腫れているから、目の病気があるかもと、母に伝えたのが生後4日ころだった。</p><p><br></p><p>&nbsp;その言葉を受けて、産科医と小児科医に診察を受けた結果、緑内障の疑いがあり専門医の受診を勧めると言われた。</p><p><br></p><p>&nbsp;けれど一般の暮らしをする私たちに、子供の眼科専門医など、インターネットもない時代に、探すあても術もなかった。</p><p>そんな私たちに、B病院の小児科医が、一つの情報をくれたのだ。今この病院に、東京にある小児眼科のある私立大学病院の医師が、風土病の研究に来ているから、紹介状を書いてもらえるかも知れないから、依頼してみるか、という話をくれた。</p><p><br></p><p><br></p><p>母は急遽、父と連絡を取り、元々は都内に住んでいる事もあり、紹介状を書いていただく事にした。</p><p><br></p><p>&nbsp;そして、生後10日で私と母は紹介状を持ってB病院を退院し、14日目には都内の家にいた。</p><p><br></p><p>&nbsp;父は、紹介状以外に有力な候補はないのか、知り合いの医師に尋ねるも、あるにはあるが知識や技術に大差はないから、紹介状を活かす方が早期治療になると助言されて、私の治療生活が始まる。</p><p><br></p><p>&nbsp;こうして生後17日目、私と母は大学病院の小児眼科の加藤医師の診察を受け、当時は先天性緑内障と診断されたのである。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/sonokan84/entry-12712392869.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Nov 2021 15:57:02 +0900</pubDate>
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