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<title>オキシドールで消毒。</title>
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<description>傷口を消毒する時に使用する約3パーセントの過酸化水素を含む水溶液で、しゅわしゅわっと発泡するアレです。</description>
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<title>　　世界で最も悲哀に満ちたヒトは誰？</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><br>　【世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」（閲覧注意）】<br>　<a href="http://karapaia.livedoor.biz/archives/52188907.html" target="_blank">http://karapaia.livedoor.biz/archives/52188907.html</a><br><br><br><br><br><br><br><br>　私の祖母は87歳で死んだ。<br>　<br>　直腸癌だった。<br><br>　だから最後は病院のベッドの上だった。<br><br>　この記事で取り上げられてる孤独死した85歳の老人と比べたら幸せな最期だとの印象が他人には残ると思う。<br><br>　この世を去るまでの数ヶ月はみるみる衰えて、週に一度、洗濯物を取り換えるためだけに訪れる私を見ても何の反応も示さず、「早く帰れし」とだけ。<br><br>　当たり前だ。可愛がった覚えの無い孫だけしか定期的に見舞いに来ない。<br><br>　県外に嫁いだ実の娘が頻繁に来られるワケがない。<br><br><br><br><br>　<br>　私は子供の頃から祖母が嫌いだった。<br><br>　母と仲が悪くて、母をイジメているように思えたからだ。<br><br>　そして見栄っ張りだった。<br><br>　近所の人にまで呆れられるくらい見栄っ張りだった。<br><br>　そういう祖母を好きになれない私の言動は祖母に対してはどんどんキツくなるばかりで、結果的に祖母も私の事が嫌いになっていった。<br><br><br><br><br><br>　週に一回、衰えてゆく祖母を見ながら「哀れなヒト」と思った。<br><br>　でも、ボケてるなら、自分の哀れさも分からないだろうと思っていた。<br><br>　嫌いな祖母を見ても、思うことはそれだけだった。<br><br>　しばらくして祖母はこの世を去った。<br><br>　葬式の時に知ったが、実の娘に言わせると祖母はボケていなかったらしい。<br><br>　そして「もう、頑張れない」と弱気なことまで言っていたとも。<br><br>　「頑張れない」と諦めるまで、祖母は頑張っていたという事になる。<br><br>　・・・何のために？<br><br>　祖母のような90歳近い老人の病が快復するなど誰も思わない。<br><br>　いつ頃、死んでしまうんだろう、と誰もが思っていたと思う。<br><br>　「もう、頑張れない」とクチにしてから、この世を去るまでの間、祖母は何を考えながら生きていたんだろう？<br><br>　体力もなく、自分で命を絶つことも出来ない。<br><br>　目覚めて見えるのは病院の天井だけ。<br><br>　目覚めて病院の天井を見る。意思表示も出来ず寝る。その繰り返しが終わるまで生かされていただけのように思えて、ぞっとした。<br><br><br><br><br><br>　最初に貼った記事の中で孤独死した85歳の老人よりも祖母の最後は幸せだろうか？<br><br>　幸せではないにしても「マシ」だと思う人は多いだろう。<br><br>　でも、何がマシなんだろう？<br><br>　病院の天井を見ながら祖母が何を想っていたのか知ることは出来ない。<br><br>　ただ、家族にしてみると、病院で死んでもらえると葬式までの事務手続きがスムーズだ。<br><br>　兄が若くして突然、死んでしまった時と比べても数倍スムーズだったし、葬式も冷静に終えることができた。<br><br>　当たり前の死だから。<br><br>　　<br><br><br>　<br><br>　<br>　<br><br>　<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-12011031925.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Apr 2015 18:23:48 +0900</pubDate>
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<title>　　サエちゃんのこと</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><font size="2">　スーパーでサエちゃんを見かけた。<br><br>　たぶん、サエちゃんだと思う。<br><br>　中学生くらいの子供と一緒だったサエちゃんは、心なしか疲れているように見えた。<br><br>　見かけただけで、声はかけてないから、本当はサエちゃんじゃないのかもしれない。<br><br>　どーしてもサエちゃんだと思ってしまったので、あの女性はサエちゃんだったということで、想い出を書く。<br><br><br><br><br>　サエちゃんとは中学まで一緒だった。<br><br>　“サエちゃん”なんて書いておいてなんだけど、別の友達グループだったから、それほど仲良しというワケではなかった。<br><br>　先日、麻生太郎が“学校で一番いじめられてるやつはといえば、けんかは弱い、勉強できない、しかも貧しい。 3つそろったら丸腰。”と言って物議を醸したけど、あながち間違いとは言えないどころか、内心、認めたくはないが、その通りだと感じた人は多いと思う。<br><br>　サエちゃんは・勉強できない・貧しい、の二つが揃った娘だった。でもイジメられてたワケじゃなかった。学校内のカーストで言えば最下層のグループに属してるという認識だけ。<br><br>　あの頃、学年で誰かを孤立させるというイジメが起きた記憶は無い。<br><br>　ナゼだか、グループに分かり易く亀裂が入るのは一番上の華やかなグループばかりで、そこから弾かれた子は、最下層のグループに堕ちる。<br><br>　最下層のグループの子達は、堕ちて来た子を嫌がることもぜず、それなりに受け入れていた。<br><br>　サエちゃんのいたグループがセーフティーマットの役割を果たしていたため、誰かが孤立するような事態は起きなかった。<br><br>　しかし、堕ちてしまった子が、この最下層のグループから、いつかは抜け出さなくちゃ、と思ってるのは遠巻きに見てると分かる。<br><br>　友達同士の亀裂は防ぎようがないが、孤立者を出さないシステムみたいなものが自然発生的であった点は、社会保障制度が必要としてる弱者に行き届いてない今の日本よりも、まともな空気や人の質みたいなものがあったように錯覚してしまいそうだけど、それは、大人になった今、サエちゃんのことを思い出そうとして、一時的に、あの頃を俯瞰してるからってだけで、昔は良かったなんて、懐かしがる気はさらさら無い。<br><br>　時がバブル前夜くらいだったから、時代の余裕が子供だった私たちにもキモチの余裕を与えていたのかも、などと分析する他人はいるだろうが、あの頃がバブル前夜だったなんて、不況の今だから、そう思えるだけのことだから。<br><br>　こう書いてみて、冷静に振り返ると、私だってサエちゃんと同じく・勉強できない・貧しい、の二つが揃った子供だった。<br><br>　母子家庭の貧しさは、あの頃の私にはどうにもできない。いい大人になった今でも、どうにもできないのだから。<br><br>　それでも、勉強なら少しは結果が出せる気がした。<br><br>　神童と呼ばれる同級生は既に居たから、そんな天才を目指す必要はなかった。とにかく、バカにされるほどのバカになってしまっては、学校では生きてゆけない恐怖感があった。片親というハンデを持ってしまっている以上。<br><br>　私から見たら、サエちゃんは麻生太郎が言った“丸腰”そのものだった。<br><br>　勉強が出来ないことに落ち込む様子もなく、母親は二人目で、家が貧乏だと皆が知ってたのに、ウチにはグランドピアノがあるの、と、すぐバレる嘘をついて、バカにされたりもしてたけど、そんなサエちゃんを庇う友達もいて、私が抱え込んだ恐怖と同じものをサエちゃんから感じ取れることはなかった。<br><br>　サエちゃんですら庇ってもれるのなら、私も無理せず丸腰のまま生きてゆこう、だなんて、あの頃、どーしても思えなかった。<br><br>　サエちゃんと私は別だと言い聞かせてたんだと思う。無意識に。<br><br>　そしてサエちゃんは庇ってもらえても、私が庇ってもらえる自信がなかった。<br><br>　庇ってくれるような友達がいるサエちゃんが羨ましくて、軽蔑するしかなかった気がする。<br><br>　私が属したグループは、それなりだった。カーストでいったら中間くらい。<br><br>　母子家庭で貧乏な私が、そのグループにいることに違和感を覚えてる子がいるのには気づかない振りをするしかなかった。<br>　<br>　他愛も無い話をしていても、あからさまに背を向ける子がいたり、言葉にはしないものの、軽蔑してる視線で私を見てくる子もいた。<br><br>　今なら、あの頃の自分を、同じグループの友達から背を向けられた私、軽蔑された私、と言葉にできる。きっとそれは、あの頃の自分は、今、こうやってブログを書いてる自分とは違うと勘違いしてるからだと思う。<br><br>　誰かから背を向けられたり、軽蔑されたり、実は、今でも自分に起こってる現実なのだけど、“あの頃”を言葉にすると、少しだけ今とは別ものになる。<br><br>　私が抱え込んだ、母子家庭を軽蔑されることへの羞恥心とか、両親が揃ってるだけで健全だと判断される他の子に対する嫉妬とか、そういうドロドロした感情がサエちゃんからは感じ取れなかった。<br><br>　だからサエちゃんが能天気に見えた。サエちゃんはバカだから、ということで納得しようとした。<br><br>　サエちゃんがイジメられなかった理由は、そもそも敵とみなされてなかったからな気がする。私みたいに歪んだ上昇志向が皆無だと皆に判断されたからな気がする。<br><br>　それでも、サエちゃんが学校で泣いたのを一度だけ見たことがある。<br><br>　小学校だった。<br><br>　学年の終わりに、一年間世話になった教室を、いつもよりも念入りに掃除をしてた時のこと。<br><br>　クラスメイトの一人が、埃だらけでシワくちゃの答案用紙を見つけた。<br>　<br>　名前を見ると、クラスメイトのものではなく、何年か前の答案用紙らしかった。<br><br>　しかも、おどろくほど点数が低く、呆れて馬鹿にしながら皆が笑っていた時、先生だったか、クラスメイトだったかが、その答案用紙の名前がサエちゃんの兄の名前だと気づいた者がいて、サエちゃんに答案用紙を渡すと、受け取ったサエちゃんがたちまち泣き出した。<br><br>　いつもは能天気なサエちゃんが泣き出したことに皆が戸惑ってしまった。<br><br>　今でも覚えてるけど、その場に男性の担任がいたのに、何も言わなかった。<br><br>　サエちゃんが泣いていて、皆が戸惑って、先生も何も言わず、この日がどんなにふうに終わっていったのか覚えていないけど、なぜ先生は何も言わないんだろう？と、腹立たしかったのを覚えている。<br><br>　私にもサエちゃんの兄と同じくらいの兄がいて、他人事とは思えず、サエちゃんが泣くしかない理由は痛いほど分かった。　<br><br>　<br><br><br>　それから十数年がたって、車で信号待ちをしている時、横切ってきた車をサエちゃんらしき人が楽しそうな横顔で運転しているのを見て、羨ましかったのを覚えてる。　<br><br>　それからまた十数年がたって、近所のスーパーでサエちゃんを見かけた。<br><br>　冒頭で書いたように、本当はサエちゃんじゃないのかもしれない。楽しそうに車を運転してた人だって、違う人かもしれない。<br><br>　スーパーで見かけた、地味なＴシャツに地味なズボンで、明らかに貧相な身なりの、その女性が疲れたような表情をしていたことで、子供の頃にサエちゃんに抱いた、“能天気だけど哀れな子”のイメージの“哀れ”というイメージの方だけが合致して、私が勝手にサエちゃんだと思い込んでるのかもしれない。<br><br>　順風満帆な人生を歩んでるとは冗談でも言えない私もＴシャツにジーンズ姿で、サエちゃんと思われたその女性と大差ない格好をしていた。<br><br>　私がその女性を見てサエちゃんを思い出している時、貧相な格好の私を見て、貧乏で馬鹿なくせに無理をしてた可哀想な子供の頃の私を思い出してる誰かが、あのスーパーにいたのかもしれない。<br></font><br>　<br><br>　<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11888296182.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2014 18:56:31 +0900</pubDate>
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<title>　　祖母のこと</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><br><br><br>　祖母の話をする。<br><br>　祖母の話といっても、死に際の話になるけど。<br><br>　直腸癌を患った祖母は87歳で死んだ。<br><br>　私は母も嫌いだけど、同じくらい祖母も嫌いだった。<br><br>　それなのに職場が近いという理由で、週に一回の見舞いを母から強制させられた。<br><br>　県外に嫁いだ一人しかいない実の娘が、どのくらいの頻度で見舞いに来てたのかは知らない。　<br><br>　ただ、見舞いと言っても、病院で取り替えてくれた使用済み下着を持ち帰り、替わりに新しい下着を置いて、後は会計を済ませて帰るだけ。<br><br>　ただ、それだけ。<br><br>　嫌いな祖母だったけど、病室に入ると、それだけで帰るのには気が引けた。　<br><br>　最後の病院に転院した頃は、まだ元気で、たいして可愛がった覚えの無い孫の私ばかりが見舞いに来るのが嫌だったようで、母に来るようにと我がまままで言い出した。<br><br>　そんな祖母の見舞いなど面倒臭かったし嫌だったけど、もう回復する見込みのない祖母が哀れに思えてしまったのと、薄情な孫だと病院の人から思われたくなった両方のキモチで、なかなかすぐに帰ることが出来なかった。<br><br>　そんな祖母が衰え始めるには時間はかからなかった。<br><br>　自力で起き上ることも出来なくなり、仕舞には私を見ても何もしゃべらなくなった。<br><br>　それでも、何か言うまで傍らで座っていると、「もう、帰れし」と小さな声で。<br><br>　不思議だけど、そんな状態の祖母を見ていても、死ぬイメージはわかなかった。ただ、身体の衰えに加えて人格が変わったような気がした。<br><br>　その頃だと思う、母が気まぐれに祖母の様子を訊いてきた時、私は「ボケてきみたみたい」とだけ言うと、母は「そう」とだけ答えて、それきりだった。<br><br>　祖母と母の折り合いが悪いのは子供の頃から見てきた。<br><br>　大人になった今では、嫁と姑のそんなことは、どこの家庭でも、よくある話だと思えるが、子供の頃の私には、眠りにつくまでの間に、時折、聞こえてきた母と祖母の喧嘩をする声が恐ろしかった。父が死んで、残された大人が仲が悪いのでは、この家は壊れるかもしれないと思うと眠れなかった。　<br><br>　しばらくして祖母は死んだ。<br><br>　職場に向う途中に連絡があり、その足で病院に向い、私が着いた時には、まだ祖母は生きていたが、意識はもう無く、母と弟が到着し、少しすると亡くなった。<br><br>　これを死に目に会えたというのだろうか。<br><br>　一般的には言うらしいが、私にはいまだにピンとこない。<br><br>　子供の頃は、祖母という生き物は、若い頃など存在しない生き物だと思っていた。<br><br>　祖母の容姿は、まんが日本むかし話に登場する、ふくよかな老婆そのものだった。<br><br>　肩にドっこいしょと乗せられるほど大きかった胸は、亡くなる頃には面影もなかった。<br><br>　少しだけ涙が出た気がする。<br><br>　しかし、こういう時に限って身内は感傷に浸ってられないのだと、兄の葬儀で学んだ。<br><br>　祖母の亡骸を迎え入れられるよう、適当でも家の中の掃除をするために、私だけ一足先に家に帰った。<br><br>　老人の葬儀は、呆気ないくらいスムーズだ。<br><br>　兄の時とは違い、気が動転して、葬式のための重要な何かを忘れるなんてことも起きなかった。<br><br>　病院のベッドで死ぬにしても、それが老人だと、死に憚りがない。<br><br>　憚りが無いというのは、残された家族にとって、事務手続きがスムーズということ。<br><br>　亡くなった本人にとって、死がどういうものだったのかを残された家族が考えなくても世間は責めないという空気みたいなもの。<br><br>　ほとんどの人が理想とする死が、この憚りの無い死だと思う。<br><br>　果たして、理想だろうか。<br><br>　ここ最近、そんなことばかりを考える。<br><br>　祖母の葬儀が済んで、一段落ついた時、母が思い出したように、祖母の実の娘が言ったことを話し始めた。<br>　<br>　祖母はボケていなかったと言っていたと。<br><br>　そして、もう頑張れないと弱音を吐いたと。<br><br>　それを聞いた私は「ふぅ～ん」とだけ返事をした。<br><br>　私が祖母のことをボケていると言ったことが軽はずみだったとしても、今さら、それを知ったとして、どうだと言うのだろうと思ったから。<br><br>　当時は、祖母を見舞うたび、実の娘はろくに見舞いにも来ず、週に一回、見舞いに来るのは出来が悪くて、可愛くもない孫だけ。後は衰えてくだけの祖母のことを初めて哀れに思えて、こんな哀れな老婆よりも、若くして突然死んだ兄の方が哀れに語られるなんて、納得がいかなかった。だから祖母がボケていたか、どうかなど、どうでもよかった。<br><br>　最近になって、ようやく、祖母が病院のベッドで死ぬまでの間、どんなことを考えながら毎日を過ごしていたのかを考えるようになった。<br><br>　病院のベッドで寝てることしかできなくなったのにも関わらず、ボケていなかったとしたら、、、<br><br>　・・・そう考えると怖くなる。<br><br>　年齢を考えれば、もう回復しないのは、本人でも想像できるだろう。<br><br>　目覚めるたびに、死ななかったことにホっとするのだろうか？しかし明日は分からない。<br><br>　そんな不安を誰が受け止めるのだろうか。<br><br>　ベッドから自力で起き上ることも出来なくなって、コミュニケーションをとれなくなった老人の不安など、誰が気づくだろう。<br><br>　それならば、いっそ、本当にボケてしまえばよかったのにと思った。<br><br>　憚られることのない、理想とする死に向かうまでの間にも、恐ろしいほどの不安があるなんて、当時は考えもしなかった。<br><br>　祖母が癌を患う前、当然、私も若くて、祖母のような死は、事件に巻き込まれた死や、自死、事故死、兄のような若者の死とは、遠く対極にあると思っていた。<br><br>　祖母が地域の老人クラブに入ろうとしなかった理由は、“老人”クラブという、自分の老いを認めざるを得ない、そのクラブ名が気に入らなかったと、随分、前に聞いたことがある。<br><br>　それを知った時は、誰が見ても老人なのに相変わらず捻くれてるなぁと呆れただけだったが、そんな人が、自分はもう回復しないと自覚した時、毎日、病院の天井を見つめるだけの<br>日々に何を想っただろうと考えると、怖くなる。<br><br>　しかし、相変わらず、祖母のような死を、それなりにベストだとする人は多いだろう。<br><br>　　<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 19 Jun 2014 01:56:03 +0900</pubDate>
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<title>　　あの日から、しばらく</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><font size="2">　三年前の３月１１日。<br>　私は家の二階の自分の部屋にいた。<br>　私の暮らす地域の揺れは震度５程度だった。それは後から知った数値なので、あの瞬間、どの程度の揺れだったのかは全く分からず、私はただ立っているのもやっとだった。<br>　よろけながらも階段を下りてゆくと、なぜか猫が二階に上ってこようとする。いつもだったら抱き上げるか撫でるであろう私が、猫をチラリと見ただけで、そのまま、すれ違おうとするので、猫の方も戸惑って動きを止めた。<br>　この猫を抱いて庭に出るべきだろうとは一瞬だけ思ったが、そんなキモチの余裕は私には無かった。<br>　猫を家の中に残したまま庭に出ると、当然ながら二階ほどは揺れてなかった。しかし地面が揺れているのは分かる。<br>　もうダメだと思った。<br>　この家は壊れると思った。<br>　そう思ったら急に長年、雨風をしのいでくれたこの家に申し訳ないキモチになった。<br>　私はこの家が好きで好きでたまらい。家族の存在は大嫌いでも、家そのものは愛おしくてしょうがない。<br>　あの日は、それを思い知った日でもあった。<br><br>　東北の揺れの酷さは、しばらくしてツイッターで知った。<br>　どれほど酷い揺れだったのか画像がぞくぞくアップされ、自分の場所がそれほどでもなかったのを、ようやく知ることができた。<br>　思えば、あの日の揺れで、部屋の棚から落ちた物は、私が保育園の時に作ったダルマだけだった。<br>　それくらい東北と比べたら揺れていなかったのだ。<br>　そんなレベルで二階で立つのもやっとだった私がもし東北で暮らしていたらと思うと、生きた心地がしなかった。<br>　<br>　でも、よりによって、なぜこのダルマだったんだろう。<br>　そんなに落ちそうな場所に置いてあったかしら。<br>　置いた場所すら憶えていない。<br><br>　保育園でそのダルマを作った時、もっと鼻もシュッとして、店に飾ってあるような小奇麗な顔になるようにイメージしながら作っていたのに、鼻は団子鼻で、眉毛も上手く描けずに太い毛虫みたいで、目を入れて仕上げると田舎のオヤジみたいな出来。<br>　そんなダルマを見つめながら、こんなハズじゃなかったのにと落ち込んでいた自分を今でも思い出す。<br>　その残念なダルマの顔が、どーみても父の顔に似ていたことも落ち込む理由だった。<br>　今、見ても、本当に似ている。<br>　子煩悩では無かった父に可愛がられた記憶などなく、家に帰ってくれば漬物石のようにドッカリ座りこむだけで、子供からしてみれば、面白みの欠片もない父親だった。<br>　兄が亡くなったことで、そんな父の死など、どーでもよくなってしまっていた。<br><br>　あの日から十数日経った日、私は死んだ父の年齢になった。<br>　落ちたダルマを見ながら、十数日間、その日を迎えられるだろうか、とボンヤリ考えていた。<br>　兄の年齢は超えたが、父の年齢を超えるのは無理なのかもしれないと。<br>　余震がくる度に震え上がったが、働いている時だけは地震の怖さを忘れられた。<br>　意外にも、その日は静かに訪れて、何事もなく過ぎて３年が経つ。<br>　父の知らない時間の経過を３年間知っている。<br>　兄も超えたし、父も超えた。<br>　もう、これで十分かもしれないと、最近、考えるようになった。<br>　父の年齢を超えて、しばらくの間、日常が愛おしかった。<br>　でも、今は、それほどでもない。<br>　これからも生き続ける理由が、よく分からない。<br>　自分の都合のいいタイミングでこの世から去ることを、それほど悪いことだと思えなくなっているが、その都合のいいタイミングとやらを具体的に考えると怖くなってしまう。<br>　だけど、自分の始末は自分でつけたい。<br></font><br>　<br>　<br>　<br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11792894197.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 22:48:34 +0900</pubDate>
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<title>　　『あまちゃん』のユイと春子</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><br><font size="2">　『あまちゃん』、好きで観てるけど、ユイの田舎を出たい息苦しさがイマイチ共感できない。春子が２５年前に田舎を逃げ出したのは共感できるけど。<br><br>　ユイと春子が似てると感じてる視聴者は多いらしい。<br>　確かに、閉鎖的な田舎に圧迫感を覚えるのは、田舎に暮らしている者なら、よくあることで、実際、私も、その点は同じだし。<br><br>　ユイと春子は、その美人でカワイイ容姿から、周囲にチヤホヤされてきた、という点では同じなんだけど、この二人、家庭環境が決定的に違う。<br><br>　ユイは地元名士の娘で、母は元アナウンサー、自宅は豪華で、田舎なら周囲が羨むような環境で暮らせているのと比べると、春子の場合、父は遠洋漁業で家には年に数日しかおらず、母は海女、自宅はというと、ユイの家とは雲泥の差の古い造り。どう考えても、ユイと比べると、春子の方が田舎のネットリとして僻みっぽい人間関係の近くで暮らしていたように思う。だから、春子が田舎を逃げ出したいと思ったのには共感できる。いくら容姿が良くてチヤホヤされてたとはいえ、ヤンキーで少々素行が悪ければ、田舎では噂話の的になり易いから。<br><br>　正直なところ、ユイの田舎嫌いは、このドラマのヒロインでもある春子の娘、アキのように東京で暮らしていたにしても誰からも見向きもされなかったような挫折を味わったワケでもないので、持て囃されたあげく、もっと評価されたいという欲望の青天井が招いてるように思えてきて、同じ田舎嫌いでも、なんか、ちょっと共感できない。<br><br>　・・・でも、面白いから観続けるけど。<br></font><br><br><br><br><br><br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11549191884.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Jun 2013 15:39:23 +0900</pubDate>
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<title>　　差別の基準</title>
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<![CDATA[ <font size="2"><br><br><br><br><br>　先日、コリアンタウンのある新大久保で排外デモが起きたらしい。<br><br>　それに対して批判するメッセージを表明する著名人がいて、著名人と言われても、個人的には知らない人ばかりだったけど。<br>　とにかく、その著名人とやらが排外デモに対して遠回しには批判なんだけど、「仲良くしよーぜ！」みたいな軽々しいコト言って、逆に火に油を注いでいて、デモを止めさせたいのか、それとも本音は自分の有料メルマガ読者を増やしたいだけなのか、分りづらかった。個人的には後の方の印象が強かったけど。<br><br>　何をどう説得したところで、韓国人から実害を被った日本人に軽々しく「仲良くしよーぜ！」は逆に失礼だとしか言いようがない。<br>　何も被害を受けてない日本人は冷静になるべきだとは思うが。　<br>　実害を受けた人には、その相手を批判する権利も、嫌う権利も認めるべきだと思っているので。ただ、その負の感情を無関係な他人にまで背負わせてしまうのはアウトだが。<br><br>　・・・まぁ、どちらにせよ、地方暮らしの身としては、東京らしい現象だな、という印象が強い。<br>　地方だと、国籍に限らず、嫌な相手に対する行為は、こんなに、あからさまなコトはしない。陰湿な行為はよく見かけるけど。<br><br>　今でも時々考える。<br>　国籍で差別されるのと、同じ国籍の人間から個人の持つ出自や性別、学歴、宗教観、家庭環境、容姿といったことで差別されるのとでは、どちらがマシなのだろうか？と。<br>　<br>　強引に単一民族の体をなしてる日本のような国は、差別の基準が国籍単位から個人単位へと移行してるだけで、差別される原因が個人単位の場合、自己責任論にすり替えられてしまい、「努力しないお前が悪い」という根性論で語られることが多く、“差別”という意識すら持たれない。<br><br>　排外デモに対して「仲良くしよーぜ！」などと、軽々しいメッセージを出してた著名人？連中は、個人単位に埋もれてしまった差別に対しては、どう考えているのだろう。私には足もとが見えてない輩にしか映らなかった。それに、国籍で差別されることの現実的な苦しさすら他人事の輩に映った。<br>　そもそも、子供のイジメにすら通用しない「仲良くしよーぜ！」ってな軽々しいノリを、一歩間違えれば暴走しかねないデモに対して使う感覚が全く理解できなかったアノ的外れな感じが、脱原発デモで脚光を浴びようとする忘れられたタレントの空回りな姿と似てる気さえした。<br><br><br><br></font><br><br>　<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11513812111.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Apr 2013 16:28:33 +0900</pubDate>
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<title>　　・・・結局、洗脳されてる基準って何？</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><font size="2">　中島知子の洗脳騒動って、ちょっと怖い。<br><br>　・・・何が怖いって、<br><br>　騒動について本人が語ったVTRをテレビで観たけど、素人からすると、あの状態のどこが“洗脳”なのか分らなかったから。<br><br>　気が付いた時にはテレビから姿を消してして、次にテレビで中島知子の名前を耳にした時には、既に洗脳されている情況にある、ということだったので、本人がこの騒動について語るまでの長い間、素人が考える勝手な洗脳キャラみたいに、いつしか中島知子がなっていた気がする。<br><br>　素人があやふやな基準で思い浮かべる“洗脳”のイメージの元は、ほとんどが、おそらくオウム真理教が暴走した時の信者の姿だと思う。<br><br>　しかし、久しぶりにテレビで目にした中島知子には、それを感じなかった。<br>　私も素人なので、勝手に思い描いていた洗脳イメージに中島知子が一致しないので、戸惑っている、というのもあるけれど。<br><br>　ただ、あのVTRで、洗脳されているかどうかはともかく、素人目にも確かだと思えたのは、家族関係に問題を抱えている、ということ。<br>　どの程度の問題なのか、というのを“洗脳”という言葉が邪魔をして見えなくさせてしまっている気がする。<br>　どこの家族にも、程度の差こそあれ、問題を抱えているのだと思うけど、中島知子の場合、騒動の前に、その点を報じられたことがなかったので、傍目には、いきなり彼女が変わってしまったように映ったのかもしれない。そんな気がした。<br><br>　ハッキリ言ってしまえば、都合が悪くなった家族が“洗脳されている”と言い出せば、そういうことになってしまうのだと思う。<br>　家族が言うのだから、確かだろう、と。<br>　<br>　どこか釈然としないまま“洗脳”と騒がれてしまっている怖さと、田舎の根も葉もない噂話も、さほど変わらない気がした。<br><br>　しかも、テレビもこの騒動で数字を稼ぎたい一心だから、“洗脳”ではなかったなどと、いまさら言われても困るハズだし。<br></font><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 17 Apr 2013 17:30:27 +0900</pubDate>
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<title>　　映画『レイチェルの結婚』に感じる息苦しさ</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><font size="2">　観終えて、・・・ん？ちょっと待て、何も解決してなくね？この家族。って思った。<br><br>　レイチェルの結婚式が済んで、同時に物語りも終わるんだけど、唯一、明るい話題といえば、レイチェルが身篭ったことくらい。<br><br>　あらすじを読んだ時、私はこの映画を観て、おそらく、弟を死なせてしまった責任を全て負わされて、家族に疎ましがられるキムに同情するんだろうなと、思ってた。<br>　家族の祝い事の席なのに、つまはじきにされる辛さに息苦しさを覚えるだろうと思ってた。<br>　でも違った。別のことに息苦しさを覚えた。<br><br>　物語が始まって早々、姉レイチェルの結婚式の準備に我がままを言ってばかりのキムに腹立たしさすら覚えた。<br>　そんなキムの場をわきまえない立ち振る舞いや言動が原因で、結婚式だというのに、家族がギクシャクし始める。　<br><br>　この家族をギクシャクさせる原因は、姉レイチェルの結婚式に出席するため帰ってきた妹のキムが、かつて起こした車の事故で、幼い弟イーサンを溺死させてしまったことになっているけれど、イーサンが生きている頃から、キムは薬の過剰摂取に走ってる。<br>　そんなキムに弟の子守を任せた母の本心は語られない、というか、なぜ精神が不安定だった自分なんかにイーサンの子守をさせたのか？とキムに質問されると、殺すとは思わなかった、と、いきなりキレて質問には答えず、責任をキムに全て押し付けてしまう。<br>　この母親も、そこをキムに問われると何も言えないらしい。<br><br>　つまり、イーサンが事故で死んでしまう前から、この家族は問題を抱えていたことになる。<br>　それなのに、キムがイーサンを殺したという話で渋滞してしまい、それ以前の、キムが薬の過剰摂取をしてしまった問題までには行き着かず、当然、生前のイーサンを語る者などいない。<br><br>　この物語はタイトルの通り、レイチェルの結婚の始まりと終わりを第三者目線で映し続ける。<br>　あくまでも結婚式が主体なため、キムの出現で露になった家族の問題は、式の合い間に起こった事故のようで、生前のイーサンの姿を映し出すことはない。写真が一瞬だけ映るが、物語の流れのなかで映るだけだ。<br>　とにかく、生前のイーサンに重きを置かないことに徹底している。<br><br>　それは、この家族にとって、今はまだイーサンは死んでしまったイーサンでしかないとでも言っているようで、死んだことでしかイーサンは語られず、イーサンが生きていた短い時間を語る者がいない現実に、この家族の再生はまだ遠いと思わざるを得ない。<br><br>　水の中からキムを見つめる、イーサンの目線だと思わせるシーンがあり、キムの誤った運転で溺死してしまったイーサンの魂が、まだそこにあるかのようだが、家族が「死」でしかイーサンを語れないことは、同時に、イーサンの魂をそこに縛り続けていることのようで、それが、どうしようもなく息苦しかった。<br><br>　生前のイーサンの姿が全く映し出されることがなく、この家族が抱える問題の中に死んだイーサンの意思など、どこにも存在せず、生きてる者だけが死んだ者を都合だけで語る無責任で勝手な様子が、たまらなく息苦しかった。<br><br>　イーサンの死後、両親は離婚するが二人とも再婚を果たし、レイチェルは結婚する。<br>　新しい人生をキム以外の家族は皆、歩み始めている。イーサンが死んだ責任を全てキムに押し付けて。　<br>　独りなのは死んだイーサンとキムだけだ。<br>　物語の中でも、負い目からか、キムだけがイーサンを想い出しているように見える。<br><br>　冒頭から感じる、腹立たしいまでのキムの我がままな態度は、何に対してだろうか。<br>　姉レイチェルの結婚式に大人しくしているのが、正しい妹としての在り方だとは思うが、その正しさにキムが寄り添えない理由は、イーサンのことを含めて家族全員に対して感じている言葉に出来ない違和感のようで、仮にその違和感を表す的確な言葉をキムが持ち合わせていたとしても、それを理解し、受け入れられる時間が、この家族にはまだ訪れてない気がした。<br>　それなのに、レイチェルの結婚式が済み、同時に、この家族が良い方向へ向かっているような物語りの終わりに違和感を覚えたけれど、違和感で正解な気もする。<br>　結婚式に計らずも生じた家族の問題が、一時に全て解決するはずはない。<br>　家族の問題をメインに描けばレイチェルの結婚式は“途中”でしかなく、その“途中”が一時の終わりを迎えただけなのだから。<br></font><br><br><br><br><br><br><br><br>　<br>
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11499216045.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Mar 2013 17:46:33 +0900</pubDate>
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<title>　　『おおかみこどもの雨と雪』の、生物の死と不在</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><font size="2">　いつもは人間の姿をしている花の夫が、ある雨の日に突然“狼”の姿のままで、この世を去ってしまう場面。<br><br>　この場面は、夫が妻の花に次の生命を注ぎ込む際に“狼”の姿になる場面と対の関係だと思う。<br><br>　東京のある街を流れる人工的な川に死んだ狼が沈んでいた。<br><br>　職員数名が川から狼を引き上げると黒いビニール袋に入れ、ゴミ収集車に放り込んだ。<br><br>　物のように扱われる夫の亡骸を前に、まだ幼い雨と雪を抱えた花が泣き崩れるが、周囲の人間は、その理由が分からない。　<br><br>　その後、花は子供二人を連れて、亡くなった夫が幼少期を過ごした景色を求めて山裾に移り住む。<br><br>　あの場所で狼夫が死んだなら、あんなふうな処理はされなかったはずだ。ゆっくり時間をかけて自然に還っていっただろう。<br><br>　狼男なんてファンタジーを物語に登場させておきながら、観ているこちらが戸惑ってしまうほど、その“死”の残酷さを容赦なく描く。<br><br>　花と幼い雨と雪の人生が大きく変わってゆく分岐点が、周囲の人間にとっては、どこからともなく現れた狼が川に落ちて死んでいただけのことなのだ。<br><br>　動物の死は人間の死と区別して考える。当り前のように、そう思ってた。しかし、当り前でなくなった瞬間が私にもあったのを思い出した。<br><br>　突然死んだ兄の葬式の日。<br><br>　喪服の流れは、兄の遺影に手を合わせ、焼香をし、残された家族の私達に頭を下げると去ってゆく。<br><br>　私は繰り返し頭を下げながら一連の流れをぼんやり見ていた。<br><br>　ゆっくりとした喪服の流れの外に兄が納まった棺桶が置いてある。<br><br>　死んだといっても、まだ肉体はそこにあるのに、喪服の流れが棺桶の前に止まることはなかった。<br><br>　それが葬式というものだった。<br><br>　はじめて葬式というものの正体を感じ取った気がした。<br><br>　兄の葬式が済んで数日後、私は何かの用事で車を走らせていた。午後、まだ陽が高い時間、その日は休日だったと思う、平日とは違い、少しだけ渋滞していた。<br><br>　減速しつつ、ふと道路わきに目を向けると、車に轢かれた犬の死骸が横たわっていた。<br><br>　私は、その犬の死骸をチラリと見ると、前を走る車と同様にそのまま通り過ぎる。<br><br>　あの犬の死と兄の死、どこに違いがあるのだろう。<br><br>　車を運転しながら、そんな想いが頭をよぎった。<br><br>　そう想ってしまったことに不思議と不謹慎さを覚えなかった。だからと言って、大っぴらに他人に言える感覚でもない。<br><br>　今でも、二つの死の違いが分からない。<br><br>　ただ、私がいつか、あの犬のように死ぬことだけは分かる。兄のようにではなく。<br><br>　きっと生物の死に違いは無い。<br><br>　死に方に違いはあるけれど。<br><br><br><br><br><br>　物語が終わりに近づき、ある台風の日に、狼として生きてゆくことを選んだ雨は母の元を去る。<br><br>　台風の強風に煽られながら雨戸を一人で取り付けるにはやっとの母に見向きもしない。<br><br>　せめて母が雨戸を取り付けるのを手伝ってからその後に、とか、せめて姉の雪を学校に迎えに行ってからその後に、などと、つい考えてしまう人間の都合なんかよりも、今にも死にそうな森の悲鳴の方が雨にとって最重要になっていた。<br><br>　まだ母として何もしてあげてないのに、と、雨を引き止めようとする花の言葉にも、人間の言葉で答えようとはぜず、父のように成長したしなやかな狼の身体で一気に崖を駆け上がると、感謝を遠吠えで返した。<br><br>　この瞬間、人間としての雨が決定的に不在になる。<br><br>　おそらく人間の姿で花の前に現れることはないだろう。<br><br>　しばらくして、中学の寮で生活し始めた娘の雪は家を出て行き、一人では広すぎる古民家で独り、亡くなった夫の写真を見つめる花の耳には、二度と会えない息子の遠吠えが、遠くの峰から風に乗って聞こえる。耳をすまして息子が元気なことを確認すると、花は微笑んだ。<br><br>　夫の死と、二度と人間の姿では会えない息子の不在が、風の便りと共に混ざり合い、広い家の中を優しく吹き抜けてゆく。<br><br>　花は中学の寮に入った娘の雪とは定期的に会えるだろう。しかし息子の雨にはおそらく会えない。生きているのに。でもきっと同じ時刻に、同じ峰の方から約束のように雨の遠吠えが聞こえるに違いない。<br></font><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11476216798.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2013 20:00:09 +0900</pubDate>
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<title>　　『おおかみこどもの雨と雪』の、あの場面</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><br><br><font size="2">　久しぶりの更新だな。<br><br><br><br><br>　物語が終盤にさしかかった頃、弟の雨が姉の雪に狼として森へ行って勉強しようと誘う場面がある。<br>　弟の誘いを姉の雪は断る。それが当り前のように誘ってくる弟の態度に雪は苛立っている。雪は人間として生きてゆく選択をしたから。弟の雨も人間として生きてゆくべきだと雪は考えているのに。<br>　人間として生きてゆくには、自分の半分は狼だという事実を隠さねばならない。<br>　姉弟はお互いの選択が理解しあえず喧嘩をしてしまう。<br><br>　似たような価値観の齟齬で戸惑った記憶がある。<br><br>　この場面を観たとき、はっ、としたのだから、私の中では“似ている”のだと思う。でも喧嘩には至らなかった。それでも、あの日、驚くほど戸惑った記憶をハッキリ憶えている。<br><br>　私は中学生で、弟は小学生だった。<br><br>　ある日の午後、弟が笑顔で、少しだけ興奮気味に私に話しかけてきたことがあった。<br><br>　「〇〇君の家には、凄い高そうなオーディオセットがあって、××もあって、・・・でも、〇〇君の家って、お父さんいないんだよ。どうしてなんだろうね、、、」<br>　<br>　確か、内容は、こんな感じだった。<br><br>　そんな事、私に話されたって困る。知るわけがない。<br><br>　それよりも、あの時、弟の笑顔の意味が分からなかった。<br><br>　今でも、分からないけど。<br><br>　それでも考える。<br><br>　諦めの笑顔なのか、それとも、ひょっとして、父親がいなくても、高価な物が手に入る手段を、俺ら家族だけが知らないんじゃないの、という、どうにかして鉱脈を探したい欲から出た笑顔なのか。<br><br>　・・・分からない。<br><br>　ただ、あの日の弟の笑顔が私にはキモチ悪かった。<br><br>　「お父さんいない」なんてことを、弟が平気で口にするなんて思いもよらなかった。それが自分の家族に対してであろうと、他人の家族に対してであろうと。<br><br>　私は、小学２年の時に父が亡くなって母子家庭になってから、それを理由に態度が急変したクラスメイトに陰口を叩かれたり、教師にまで辛く当たられたことがあって、自分が父親のいない家庭の子供だというのを他人に知られることがすっかりトラウマになってしまい、家族の中でも亡くなった父の事を口にすることは滅多になくなっていた。そんな生活が日常になったある日、唐突に弟から話しかけられたのが、〇〇君の家の話だ。<br><br>　その頃の私は「父」とか「お父さん」という言葉ですら受け付けなくなっていた。自分に欠けたのもとして、言葉を聞いただけでも羞恥心で全身が熱くなってしまうほどだった。<br><br>　学校でその言葉を投げかけられたら、私には父がいないのだから討ち死にしてしまう。<br>　普通の家庭の子供より、避けなければならない矢が多い。その分、緊張をしながら学校生活を送らねばならなかった。だから家に帰ったら、その事を考えたくなかった。それなのに、弟は〇〇君の家の話をしてきた。しかも、父がいないのに、という話を。<br><br>　・・・傷に塩を塗られた気分だった。<br><br>　自分の家に父親がいない話だってしたくないのに、他人の家の話なんて、もっと嫌だ。せめて、家にいる時くらい忘れたかった。他の子よりもハンデを背負っていることを。<br><br>　私は、それまで当然のように、弟だって「父」のことは口にしたくないだろうと思い込んでいた。<br><br>　弟は私と比べると父の記憶がほとんど無い。きっと、父がいないことが普通の生活なのだ。父がいた風景もボンヤリとしか憶えてないだろう。だからなのか、「父親がいない」という現実の捉え方が、私と弟では違っていた。<br><br>　それをはじめて知ったのが、その何気ない会話の時だった。<br><br>　私はすごく動揺してしまって、弟の言葉をただ聞いていただけで、何もこたえることはできなかった。ただ、心の中で「そんな話、やめてくれ」と叫んでいた。<br></font><br><br><br><br><br><br><br><br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/sonoowa3940/entry-11475749560.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2013 01:20:33 +0900</pubDate>
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