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<title>イチローのブログ</title>
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<description>僕は鬱だった。</description>
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<title>中学時代の国語の担任教師</title>
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<![CDATA[ 久しぶりの更新です。北海道も初雪。また寒い季節がやってきます。<div>前振りが長くなりそうなので、タイトルの意味、先に書いてしまいます。</div><div>"一生懸命"</div><div>まだなんにもしらなかったあのころの僕には理解するのに時間がかかりました。今でこそ、今なりの理解ができる中学のときの国語の担任の先生が言ったコトバ。</div><div>「何事にも、一生懸命やるんだ。朝起きるときも、あるいて、朝ごはん食べるときは食べる。歯を磨くときも、制服を着るときも。何事も一生懸命にやることだ。」</div><div>昔の事は今になって、何か一つにつながって、また誰かに伝えたいと思いました。その先生は「頑張れ」とは言わなかったけか。</div><div>一生懸命、とはとても容易いものでなかなかできない。</div><br><div>昨日、母親から一通のメール</div><div>「父さん、正月に温泉行きたいって言ってるけど、休みとれそう？」</div><div>この何年か、そんなこと一言も言わない父が計画している。</div><div>先月で還暦を迎えた父。最近なんだか、家族の意味がとても暖かい。僕には帰る場所がある。</div><div>恥ずかしながらなにもできない無力な僕は、どんな親孝行ができるのだろう。</div><div>自分には、いつ何がおきるかわからない、そう言い放ったあの日から少し弱気な父を勇気付けようとしても、それは僕の仕事じゃないと思った。</div><div>今僕が、ここでやることを見せること。お金じゃない。時間でもないかもしれない目に見えない糸。</div><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11948193824.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Nov 2014 21:31:54 +0900</pubDate>
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<title>失恋しました。</title>
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<![CDATA[ 僕は多分、「一生かけても幸せになれないタイプ」型。我が道を行けといった感じ。<br>だけどとても都合が良くて、人を好きになることも、人間だしたまにはあります。<br>相手は彼氏持ちの年下の子。お互いそれを承知の上で、今年の３月に、その出会いから始まった。<br>「彼氏に携帯全部見られました、これ以上連絡しないでください」<br>一ヶ月くらい引きずったけど、そのあとは上の空。忘れていた。<br>そしてこの一週間、たまたまFacebookでつながっていた。唯一連絡が取れるのはそれだけ、番号も住所も知らない。突然電話が来て、会うことになった。あのときの自分の気持ちは、ずっとわすれていなくて、元気にしてるんだろうか。その程度。<br>癒される笑顔に僕はまた恋をした。だけど、やっぱり彼氏持ち。それでも、僕に電話をくれたり、<br>話の共通点も多かったし、ずっとこの人といたい、ただそうおもった。<br>そしてまた昨日、メールが来た。<br>「彼氏のところにいるので連絡しないでね、ごめんね」と。<br>僕はけじめのないことは大嫌い。そのまま素直に待っていればよかったものの、たまらなくなり、<br>自分からまた突き放した。<br>メールで送った僕のメール。<br>「もうこれ以上、会うのはやめよう。僕は君のことが大好きです。君には彼氏がいるんだから、大切にしてあげてください」<br>なぜだかそんなメールを送ってしまった。これは一体なんなんだ。後悔といえば悔やみだし、なにがただしかったのかわからない。でも僕は心から好きと思うことなんて、ここ数年なかった。<br>もうきっと会うこともない。またいつか会えたらいいね。そう思い聞かせては自分を慰める。<br>叫び狂いたいくらいどうしようもないこの夜。<br>気持ちのやりどころがなくとても元気とも言えない。<br>この根拠もないプライドは、昔から変わらない。<br>我が道を行け。<br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11938626613.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Oct 2014 20:56:20 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった。7</title>
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<![CDATA[ 鬱病と言われる人へ。<br>しっかりしなさい。悪いのはあなたではありません。がんばればいいことあるよ。辛いよね。<br>辛いのはみんな一緒さ。何かあったら相談してよ。その気持ち、よくわかるよ。<br><br>そんな言葉、一ミリたりとも通じません。<br><br>ひょんなことがきっかけでなった人や、性格上なりやすい人。人それぞれ様々な形で鬱と戦うのです。自分の檻の中で込もり続け、誰の言葉も通じもしません。<br>でも、少なからず、病院に行って色々な薬を処方され、わけもわからずとりあえず戦っているのです。病院にいくだけでも億劫なのに、人混みにまみれた街を苦しいながらも歩いて病院へ行っている。それだけで充分すぎるほど強いのです。<br>自分でなんとかしなきゃ、会社で起こした超重大なミスで怒鳴りつけられ、責任は自分だけにあるのだから、自分一人でなんとかしなきゃならない。この腐った社会を大々的に見ると、それが本当に事実でしょうか？まったく理不尽だらけで、疲れるのです。疲れたら休め？そんなもんも通じません、<br>休みの日だって会社のことで頭がいっぱい。<br>人間です。こんなことのために生まれてきたのではない。人間らしくない。なにもしたくなくったっていいのです。なにもしなくていい。<br>世間では鬱病患者増加のニュースばっかりで、不況やなんやら、就職難とか勝手なこと言って、<br>まさに「人の不幸は蜜の味」社会なんて、もうとっくに終わっています。<br>ネットでニュースを見てみてください。今こうして、ブログを書いている横目のニュースの記事に、<br>「鬱病患者、厚生労働省の調査によると～」死ぬほどどうでもいいネタばかりです。<br>僕はIT系の仕事上、それ関係のニュースやガジェットは大好きで毎日見ています。<br>iPhone6が手で簡単に曲がる、さらに他社の機種と比べ、加圧器をつかって実験までしています。<br>人間がつくったものなんだし、これだけ薄くて便利になった、それだけをただニュースにしてくれれば、この世はもっと豊かになるはずです。YouTubeでそんな動画みて誰が何をおもうのでしょうか。<br>「あーそうか、曲がりやすい、壊れるんじゃん、じゃーいらねーや」<br>動画をアップしてる人、動画で実験している人、あなたたちは、今までなにをしてきたのですか？<br>時間は作るものだ、といいながら時間の無駄を作っているのはこの世の矛盾です。<br>僕は今でもふとしたことで、この世からいなくなりたいと思うことがたまにあります。<br>残念なことに、その勇気と強さは僕は持っていません。何かをさがしているからです。<br>夢を追いかけているわけでもない。今の僕はなにもない。有り余るほどのお金があれば、なんでもできる。<br>前にも書いたけど、こんなこと呟くドアホがいます。<br>「人は裏切らないけど、お金だけは裏切らないんだよね～」<br>え？負け犬の遠吠え？だったら愛とか名誉とか言うなら金で買ってみろ。本当に大切なものは、その人は一生かけても得られない。<br><br>昨夜、閉店間際の毎日いっている、スーパーで夜飯にと、弁当とプリンを買った。<br>レジのおばちゃんは袋を一緒にいれてくれた。会計後、家でレンジは面倒だったのでiPhoneいじりながら、1分半にセットし、まっていた。<br>昔からある少し古くて小さなスーパー。<br>会計してくれたおばちゃんが「プリンの別のちっちゃい袋いるかい？袋わけるかい？」<br>人に優しくされた、心から感動したのは久しぶりだった。<br>また明日からもそのお店に生き続けようと思った。<br><br>鬱病の人へ<br><br>僕は悪くない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11937306618.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 22:01:55 +0900</pubDate>
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<title>最後のチャンスをくれた父。</title>
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<![CDATA[ 僕は現在27歳。<br>この先、もっとたくさんいろんなことがあるからと言う人がいるならとことん無視するし、ぶちあたったとしたら戦うよ。<br>挫折、どん底、こんなネガティブなことばかり僕は体験してきた。<br>20歳のころ、サラ金から何件も金お借りついに返せなくなった僕は23歳で債務整理をした。<br>当時は無職でも銀行はどんどん金を貸していた。サラ金といってもCMに出ているような大手。<br>金のかかった広告はいつ見てもいろいろな何かを思い出させる。<br>もう返せなくなり、法テラスを紹介された。国がやっている支援制度で弁護士を紹介してくれるところ。当時は大阪にすんでいたけど、その事務所もみごとに立派なビルの最上階。受付の綺麗な女の人に用件を伝え、「少々おまちくださいませ」<br>そんなかしこまった所なんていったこともなかったしとても怖かった。<br>案内されるなり事務的に行き、事情を１から１０までききだされ、なんなら僕がどこで生まれかまで掘り下げられ、山積みといえば大げさだけど、すごい数の書類のやり取りを交わした。二度と金は借りないと誓った日にもなった。<br>こんな話を仲の良い友達はもとい、親にも全部話をした。父親は相談するたびに怒った。当然だった。<br>「お前は好きにやりたいから実家離れたんじゃないのか、好きにしろ、お前で始末つけろ」<br>まさにその通りだった。<br>しかし債務整理後も金銭感覚は治らず、生活水準を下げることができず、返済に回せば良いものを、後回しにした。とにかく好き放題、自分で稼いだ金は自分のもの。もう最悪だ。<br>それ以来、頭の中70%くらいは借金のことでいっぱいの生活を今年の8月まで過ごした。<br>今年8月、北海道は一番の暑い夏だった。そのころも今も一人暮らし、先々月の話。<br>ある日、ふとなにげなく実家の母親に電話した。「来週帰るからね」と<br>すると「実は昨日、父親が胸が苦しいって入院はじめたの」<br>驚いた僕は「え？！なんで連絡くれなかったの？僕が電話してなかったら知らなかったじゃんか」<br>と伝えると母親は「たいしたことないと思うし、心配かけたくなかったから」と<br>幸いにして母親は看護師だから、そういうのであれば大事にはいたらないのだろうと、たまたま仕事を辞めた後だったし、実家に飛ぶように帰った。病院について身体中管でいっぱいの父親がいた。今年の冬には腸閉塞で倒れたばかりだった父は狭心症だった。母親と父親と僕。お医者さんのところでレントゲンを見ながら面談がすぐに始まった。幸い手術は不要で、投薬治療ですんだ、ただ、<br>「このままタバコを吸い続けることは自殺行為ですからね」そうお医者さんは言い放った。<br>退院後、母親に聞くけど、まだタバコ吸ってるよ、と。<br>頑固な父親だし、なかなかやめられないのだろう。僕もそれ以来自力でタバコをやめようと試みるが、やはりやめられない。買う回数は減ったのは明らかだけど、やめてる間が長ければ長いほど、吸うときはとことん吸っている。500円近くなったのに煙に消えるこのタバコ。虎ノ門のJTビルごとなくなってしまえ！なんて思うときもあるほどだ。都合が良すぎる自分はとんだアホだ。<br>退院後、父親から一本の電話があった。こんなドアホな僕に。<br>「お前、まだ借金のこってんだろ。いくらあるか教えろ。全部面倒みてやる。これが最後のチャンスだ。もう二度とない。借金のことでずっと暮らしてきて、仕事も仕事にならんだろう、だから最後のチャンスをやる。俺もこの先どうなるかわからない。そんなお前を見て後悔して何かおこっても嫌だからな、ちゃんと仕事してがんばるんだ。」<br>ちょうど今年還暦を迎える父の言葉だった。<br>僕を助けてくれた。もうなにを思えばいいのかわからなくて、言葉にならない。<br>結局また甘えた格好になり、もうそれまでの自分が嫌になった。<br>それでも好き放題やっている僕は、このままでいいのだろうかと今でも自分に説いては情けを知る。<br>実家に帰るたび、さりげなく、僕が小さいころの写真を差し出してくる母親には毎回泣かされる。<br>当時ビデオカメラだったアナログのフィルムをDVDに焼き直していたり。生まれたばかりの自分が<br>薄い液晶テレビに映し出されたりもした。さりげなく見せる母親。いつも見えないエールを送ってくれている。<br>冒頭に書いたこの一言。文末に改めて書いてみるこの一言。<br>「挫折、どん底、こんなネガティブなことばかり僕は体験してきた。」<br>なんの説得力もない僕が言うこの言葉は今どこにきこえているのだろう。<br>「ありがとう」<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11935519124.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Oct 2014 22:36:51 +0900</pubDate>
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<title>東京。</title>
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<![CDATA[ <div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">東京研修も終わり。今はゲートをくぐり人の多い羽田空港から更新してます。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">会社の総資産。粗利。人件費。維持費。とんでもない額で会社は成り立ち…社長の自慢話のビデオ。誰しもポカンとした。でも会社の研修はこんなもんだよね。誰しもそう思って口にしないだけだろう。意味がないから。大人だから。会社の、ためにとか、なんやかんや結局みんな自分のカネのために働いてるのに、その研修してくれた人だってそう思っているはずなのに本当に矛盾した時代だ。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">いらない者は捨てる。これが、僕が最初に書いたブログにもよく当てはまります。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">僕は２０歳の時から時間を作ってジム通って体作って腹もでてないし、風邪も最近こそひかなくなった。心の病は治らないけど。笑&nbsp;</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">接客業だから身だしなみには厳しい。こんなスーツはダメだとか、メガネがカジュアルすぎるとか言われたし、資料にもそう書いてある。それを指摘する、あんたの出た腹のほうがよっぽどだよ。そんな反発心がどうしてもでてしまう。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">自分の体の管理もできない人間が管理職なんてとんでもない話だ。しかしそれが、お国柄。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">じゃーここでそんな会社辞めちまえっ！ってね。とりあえず何言われても、間違いは認め、改める。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">うまく利用するだけすれば良いのです。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">いつか自立しようと考えているのは誰しもの夢。僕はいつかやるつもりです。場所は台湾。台湾人が日本で成功していることをそのまま日本人の僕が真似してやろうと考えてます。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">この3年間何度も何度も行きました。そして必ず行く所が、龍山寺。とても広いお寺で、たくさんの意味があり、それを知って行くのとでは、見え方が全く変わる、とても素晴らしい名所です。不思議なことが毎回起きます。そこに行くと必ず買うもの。それが、数珠のタイガーアイ。日本円で¥3000くらい。買ったらすぐに、お香の煙の舞う大きな壺の上で、数珠を手で握り、お願いごとや祈りを、ささげます。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">また来れますようにと。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">帰国後、毎日腕につけてはでかけるんだけど、ある日、突然気付いたときに腕から外れて消えてたり、なにもしてないのに切れて弾けたり。毎回と行っていいほど起こりました。買い直したのは3回。ある種のジンクスともとれたけど、その数珠がなくしたり、切れたりすると、突然、台湾の友達からメールきたり、台湾に住んでいた東京の友達からメールがきたり、内容は元気？とか你好嗎？（げんき？）とかだけなんだけど、なんだか引き寄せられてまた台湾に行っていました。iPhoneで書くブログ、なんだか頭がうまく回らないや。笑&nbsp;</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">新橋おりて銀座まで、歩いて散歩した。あそこの長い通りは、個人的に日本だということを強く感じる思い出の場所。途中で寄ったスタバ。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">シナモンとキャラメルフラペチーノの組み合わせ。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">東京は出会いと別れの多い大きな町。そろそろ搭乗時刻。行き先は一緒でもみんなバラバラ。今回は出会ってから10年は立つ友達にも久しぶりに会えた。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">中国語にしても日本にしても共通の意味をなす最後の言葉。</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left">再見。またね！</div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" style="text-align:left"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20141003/20/speaker-1987/1f/e1/j/o0480036013086410716.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20141003/20/speaker-1987/1f/e1/j/o0480036013086410716.jpg" alt="{4B7D2EAC-6D9C-40DB-A9B4-3B366BBA06E4:01}" width="300" height="225" border="0"></a></div></div><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11933959053.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Oct 2014 19:27:13 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった 6　〜処方薬の本当の怖さ〜</title>
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<![CDATA[ ちょうど5年前の話、まだ２２歳だった僕は鬱病と診断され、当時、薬の名前は忘れたけど、鬱のジェネリックの薬と、その薬が胃に負担をかけないようにと出された胃薬。と睡眠導入剤マイスリー、精神安定剤のデパス。あともう一つあったけど名前わすれた...それぐらい多くの薬を飲み”薬漬け”の生活を送っていました。その三年後。その頃東京に住んでいたんだけど、睡眠薬は使い方によってはまったく別の麻薬になるのことは、当時クラブで違法薬物で遊びまくってた僕はよく知っていた。それが前回ブログで書いた「エリミン」通称「赤玉」。<br>ひと昔前は「青玉」とよばれた、ハルシオンが流行ったらしい。当時は、酒に混ぜて「レイプ薬」とよばれたらしいがその頃は知らない。<br>少なくともエリミンは病院で処方されるから合法。（今は向精神薬の規制がかなりきつくなり、新規患者のエリミン処方は、まずされません）。当時、東京のとある病院では簡単に赤玉を処方してくれる病院があり（今は病院ごとなくなりました）、適当に理由つけて、毎月簡単に手に入れては毎晩のように遊びました。使い方は水で飲むのではなく、下の舌で溶かす。頭がすっきりして、そこから依存し始めた。さらに酒と飲めば最高の気分になれた。これも過去の話で、今、真似をしようとしても、なんども言うけど、無理です。むしろ僕にはその方が僕には好都合。法が規制してくれることによってそれから抜け出せたからです。<br>法により規制がかかった理由の一つに、向精神薬の横流し事件が多発したから。何年か前に、大阪のある病院からエリミン錠何百錠が消える、横流しされた事件も記憶にあたらしい。本当にあった事件です。どこに消えたか理由は簡単。覚せい剤とセットで売買するためです。覚せい剤の禁断症状がではじめると、エレミンで「エリ落とし」をするためです。<br>その後僕はエリミン中毒になってしまいました。1日でもその薬を断薬すると、体に電気が走るような感覚、まともに歩けない、声がでない、人混みの電車で息苦しくなり、パニック症候群ににた症状が出始め、とてもやめられなかった。この感覚を「ピンシャリ」とも呼ばれ、まともな生活なんておくれなくなります。それが病院で簡単に処方されてるから、安全、それとは裏腹に思いもよらぬ事態になった。向精神薬をやめる方法は減薬と言われます。どんどん数を減らしていくのが良いと医者にいわれた。しかしやるのは自分、タバコと一緒で、僕にはできなかった。<br>そんな生活を20代前半にして何年も過ごした。<br>ちなみにエリミンはシンガポールでは日本で言う覚せい剤同等の毒薬扱いで違法薬物指定。アメリカや欧州では何年も前から違法薬物指定がされています。ちなみに禁煙薬のチャンピックスもアメリカでは、自殺者が出始めたり、副作用が酷すぎて、ほとんど処方されなくなり、今では毒薬扱いされています。僕も禁煙を試みのんだこともあったけど、悪夢は見るし、気分の浮き沈みはひどいし、眠れないし、まったく効かなくて今でもタバコはやめたくてもやめられていません。これも現段階では禁煙外来では積極的に医者は進めます。他の国と比べること自体、ナンセンスですが、合法麻薬はどこでも手に入ります。<br><br>では僕がなぜここまで薬に対して知っているのか？（医者ほど薄いけど）<br>申し訳ないけど、医者すら信用できなくなったから。<br>それもネットでググったり、人に聞いたり、本を読んだり。そんなこと一切したことがありません。<br>自分の体のことを知るのは自分しかいないと思い、毎月精神科に通っては、自ら適当な理由をつけて、いろいろな薬を毎月のように試行錯誤しました。そしてやっと見つけた、それ以来、今飲んでいる薬は１種類。<br>ロヒプノール。これさえ向精神薬。これなしでは今でも眠れない。朝はとてもいい気分だけど夜になるとイライラし始め、若干たりとも禁断症状はでる。<br>今年５月くらいに向精神薬にさらに規制がかかったことを事前にしっていた当初の僕に処方されてた睡眠薬は3種類。これが規制により２種類までになった。その後病院に行き、「いつもの薬で処方してください」というと、なんと医者はこういった「３種類は多いですねぇ、減らしましょうか」<br>規制のことなど一言も言わなかった。規制がかかる=医者はなんらかの罰則を受け、立場上、懐が薄くなる。現に安いジャネリック薬品をまったく進めない医者が多いのはいい例だ。<br>それでもう、誰も信用できなくなり、これからも「合法麻薬」と、僕は戦う。<br><br>ここでまた自問自答。種を蒔いたのは僕自身でだれのせいでもない。知らないうちにこうなったことに気持ちのやりどころがない。<br>「自分に厳しく、人に優しく」<br>誰かのせいにするのは、一番嫌いだ。<br><br>だけど<br><br>自分を責めてはいけない。今ここでなにかできることはなにもない。<br><br>夜になって、寝て起きたら見えない明日にほんのすこしの光でもさがしてみて、みつからなければ、<br>また明日、明後日、1年後、<br><br>なんとかなる。
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11932692336.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Sep 2014 23:13:58 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった5　</title>
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<![CDATA[ 僕のブログには「なぜか」とか「理由はない」とか気づけば結構文脈に書いています。<br>でもよく考えたら私生活の中で、良いと思うこと、悪いと思うこと、一瞬でも幸せと思える瞬間に、理由なんかどこにも見当たらないのです。もって生まれた感覚。<br>たまたま通りかかった服屋で、これが良いとおもって買った服に、なぜ？と答えを誇示付けするなら、配色が良いとか形が良いとかにでもなるのでしょうか。僕にとって100％よいものは、ある人にとっては100％ダサいものにもなりうるのです。ミリオンヒットをかました名曲だって、なにも思わない人だっているのです。当たり前ですよね。感覚が違うから。<br>僕にはこの世で一番嫌いな言葉がいくつかあります。「みんな一緒だよ」「社会人になったらみんな大変なのは同じだよ」「みんな苦労しているんだよ」「良い歳なんだから」<br>そんなことを一言でも言ってくる相手とは、真っ向から友達にすらなれる気がしません。<br>こう書くと、反社会主義、ただの反抗期、エゴ、性格の問題、いろんなことを思う人もいるでしょう。でもこれも心からそう思ってしまうものだから別に構わない。むしろ自分は自分。相手は相手。<br>合わせる必要はないとおもっています。<br>僕が小学校低学年のときから、母親に週に一回は言い聞かされていた言葉があります。<br>「できるとおもったらできる。できないとおもったらできない」<br>単純すぎて聞き流していたけど、今になってその奥深さに気づき助けられています。<br>前回のブログで書いたけど、19歳の時、地元に全くいい仕事がなくて、ある日、新聞を読んでいたら片隅に　<br>”　旅客機の組み立て時給¥1500　名古屋飛島村勤務　寮あり　引っ越し飛行機代当社全額支給　給料¥255,000～　”　<br>お金もない僕には好都合。しかもDJで有名になりたかったし、とりあえず人が多いところに行けば<br>なんとかチャンスはあるだろうと思った。即日電話して派遣会社へ面接へ行き幸にして即日雇用。<br>翌週には名古屋にいた。<br>しかし、そこの派遣会社、今でこそ当てはまる立派な「ブラック企業」そのもの。寮完備だけど全額自己負担。おまけに寮に完備されているテレビ、1日¥２0、冷蔵庫¥50、工場で支給される制服1日¥100。結局手取りは¥130,000しかなく、広告は全くの嘘だった。そこから社会という、不快で、息苦しい、不信感を抱いたのかもしれない。それこそ、現地で知り合った友達や知人は口を揃えて言った。「若い君には苦かもしれないけど、社会ってこんなものだよ」<br>納得いかなかったし、結局三ヶ月で辞めた。ここで地元北海道に帰ればよかったものの、これまた幸にして、現地で知り合った親友が、住むとこがない僕に、しばらく家使っていいよ、といってくれた。<br>母親に言われた言葉「できるとおもったらできる」をこじつけるかのように心の中で書き換えた。<br>「なんとかなるだろう」そうしたら、なんとかなってしまった。その考えは正しかったのか悪かったのか今でもわからないけど、<br>良いも悪いもない。むしろ今はこう考えるようになった。「良いと思うこをやれば良い、それが良いこと」理由は簡単。理由がないからです。<br><br>僕は先月の半ばに仕事を辞めて、転職して着慣れないスーツきて、ネクタイしめて、そのへんの社会人をしています。これだけ言っといて、反社会主義っぽい僕なのに無力だから働いて飯をたべるしか手立てがないのです。<br>もう一度書きます。<br>「みんな一緒だよ」「社会人になったらみんな大変なのは同じだよ」「みんな苦労しているんだよ」「良い歳なんだから」<br>自ら矛盾だらけの生活に巻き込んでいます。それしかカネを生み出す方法がみあたらないのです。ここまでくると自分が嫌になるし、消えていなくなりたいなんて一瞬でも思いました。これを人は「鬱」と呼びます。<br>そりゃいつだって毎日のように自分に言い聞かせてますよ「自立して会社でも起こせ」<br>悔しくてやりきれなくてどうしようもない。とりあえず雇われている、雇っていただいています。<br>でもできると思えばできる、できないとおもったらできない。母親のこの言葉はずっと頭の中で叫んでいます。<br><br>転職して半月。現代社会を絵に描いたような人がいます。僕の上司。と言っても、相手は平成元年生まれの２５歳の女性。僕は２７歳。<br>彼女は店長がいなくても、わからないことは何一つもないと言った感じ、仕事を淡々と完璧にこなします。<br>初めて出社したとき、「今日からご一緒させていただきます、イチローともうします！よろしくお願いします！！」アホくさっとも思いながら先輩方に全力であいさつをした。<br>ただその彼女だけが、やたらと冷たい。もちろん僕は新人の身。わからないことだらけ。しかし質問して聞いても早口でぼそぼそで聴きとれなくて、きき直すと嫌そうな顔して、また何か言い始める。<br>彼女が公休の時は気が楽でわからないことも理解できるし、とても楽。ここまで書くとただの悪口、陰口。情けなさがモロだしだけど、本当のこと。<br>たしかに僕は入社したばかり新米の身、「ゴミ捨てて」と命令とか「この前も教えたよね？」初めて知る事なのに、ノーとは言えない。彼女は僕のことが嫌いなのか、生理的に受け付けないのか、まったくわからない、だけど、そんな理由はどうでもよくて、仕事にたいして真面目に取り組んでるつもりが理不尽なことに塗れて、今日はさすがに半ギレ状態でとりあえず1日が終わった。<br>入社したときに支店長に言われた言葉をおもいだした。みんな君より年下で上から目線かもしれないけど、それでも耐えてやっていけるか、その分結果だして見返せ、と。あのとき僕は「やります」といったはずだ。だけど、やっぱりいざとなるとこの気持ち。<br>上から目線で命令口調と、人にしっかり指示をすることは絶対違う。立場的にそれに「とりあえず」したがうしかない。<br>初めて入社したときの彼女の気持ちは、若くして無くしたんだろう。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11931740423.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Sep 2014 23:37:28 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった　4　〜クラブDJとクスリ〜</title>
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<![CDATA[ 前回までのブログの生い立ちは、少し置いといて今日は、ちょっと危ないことを書きます。<br>タイトルとは少しかけ離れます。<br>タイトルを変えるとするなら「ドラッグとクスリ」が適切かもしれません。<br><br>”ダメ、絶対”　これだけは本当に伝えたい。<br><br>まず、最初に書いておきます。僕は今まで、覚醒剤、ヘロイン以外の違法薬物はすべてやりました。<br>この文をみてきっとこのブログを見るのをやめる人もいるでしょう。でも本当の話しです。IPアドレスを追って明日には警察に連れて行かれるかもしれませんね。しかし過去の話だからこそ書いているのです。違法薬物をやることを自慢したい、とかかっこいいとか勿論一ミリたりとも思っていません。ただ書きたいだけ。こうして書いていることすら恥ずかしいのです。社会的にも人道的にも。<br>だけど、このブログをかくと決めたからには、別に書かなくてもいいのかもしれないけど、今日は<br>このブログをよんでいただいている人に伝えたくて書いています。<br><br>違法ドラッグの入り口。大麻。当時は「くさ」「ガンジャ」などと仲間内ではよんでいました。<br>それも約10年前、まだ高校3年の夏休みでした。北海道の田舎のある場所では、田んぼの隅に自然に生えていました。それをとって友達10人くらい家に集めて「ガンジャパーティ」をしました。（今はもう、はえていません、さがしてもありません）<br>これが僕のドラッグの入り口になるとは思いもよりませんでした。<br>中学まで吹奏楽だったのに高校に入り、続けるつもりが女の子にモテたくて、なぜかバスケ部に入ると同時にクラブDJをはじめました。当時ヒップホップが大ブームでダボダボの格好にキャップ斜めで、チェケラッチョ。今でこそありえないけど、当時は本当に、はやりました。「イカツイ」ことがもはやステータス。田舎だったから未成年でもクラブなんて当時は行きたい放題。<br>路肩に車を止めて窓、トランク全部開けて爆音。それが当時はかっこよかった。　<br>そのままDJだけを続け、高校卒業後、エピックトランス、ハードハウスにスイッチ。所謂、「四つ打ち」と呼ばれる同じリズムのデジタル音楽。同じリズムの四つ打ちクラブミュージックなんて全く興味なかったのに、たまたま知り合った人の影響で訳もなくハマった。<br>そのころはドラッグはやってなくて、少しだけ大麻に手をつけたことがあった、という程度。<br>その1年後、さらに違う知人の影響でハウスミュージックにシフトチェンジ。お洒落なカフェで流れてそうなアレです。そして18歳のころ地元の小さなクラブで本格的にDJデビュー。<br>今でもそうだけど、当時19歳の僕はとにかく目立ちたかった。誰よりも有名になりたくて、そのままなぜか、名古屋へ引っ越し３年住み、これまた、たまたま知り合った人がクラブでDJをさせてくれるようになり、毎週末は必ずDJをしていた。そのあと大阪へ引っ越し２年半住んだ。ここで覚えたドラッグがエクスタシー、「バッテン」「マメ」といわれるもの。それが引き金となり、ケタミン、コカイン。<br>この前、免許更新に警察署行ったけど、ポスターに書いてある違法薬物を一気に覚えてしまった。<br>最初はとてもこわかった。「これ、飲んで」と、得体の知れない丸い玉。飲んでから気づいた。<br>もう死ぬんじゃないかと思った。それまでドラッグなんか絶対ありえないと思ってたから。そもそもやりたくなかった。<br>だがその後、毎週末のようにやった。もはや常習犯。立派な犯罪を犯した。違法である以上ダメなものはダメ。<br>捕まらなければ犯罪じゃない、ばれなきゃ大丈夫。<br>やるのは自分だし、誰にも迷惑なんかかけない。<br>でもその答えが全く間違っていることに気づいたのは、その後東京に移り住んだ後だった。<br>東京のクラブはドラッグのメッカ。クラブにいけば白目むきながら踊っている人なんて五万といた。<br>上京して半年後、そんな様子をなんともいえない、第三者の目でみるかのような自分がいた。自分もやりたいほうだいやっていたのに。<br>自問自答した。<br><br>何の意味もないことに。その先になにがあるのか？なにもない。<br>仕事でストレスがたまる？快楽主義だから良い？そんなもん、意味なんてなにもなさない。<br><br>僕は前科がない。<br>一方で友達が何人か職質でつかまった。<br><br>この二つには合法だったとしても、必ず後悔する。<br><br>捕まらなかったから大丈夫。それが今の僕。鬱と呼ばれる病気になった。なぜか？<br>僕が常用していたのはエクスタシー。これにはほんの数ミリの覚せい剤が入っています。<br>その効き目が薄れるのはおおよそ、６時間後。禁断症状がではじめる。それを抑えるのが病院で処方してくれるエリミンという睡眠薬。「業界」用語では赤玉といわれる。当時は「エリ落とし」よばれ、とても楽になるし眠れる。<br>エリミンは短時間型睡眠薬とよばれ、向精神薬のひとつ。今年、向精神薬の規制がかかり、今では、<br>まず処方されません。<br>後遺症はずっとのこり、今でも、睡眠薬がないとねれないし、ちょっとした嫌なことでも悪い妄想に走る。仕事に影響し、友達も減り、性格が悪い方向へと変わる。毎月精神科に通い今だに引きずっている。<br><br>捕まればどうなるか。これだけはモラルのある人間ならだれだってわかるだろう。<br><br><br>なんだか話がごちゃごちゃになったけど、結局それを離脱したくて、僕は地元である北海道に帰ってきた。その後も鬱はよくならず、６種類くらいの薬を毎日のんでいた。<br>それすら嫌で、二ヶ月に一個づつ処方箋でだされる薬を断薬。今は一種類を夜寝る前にしかのんでいない。<br><br>たまに友達が泊まりにくることがあるけど、その友達たちは僕の過去のことなんかもちろん知らない。<br>「おやすみ」と言って睡眠薬なんかのまずにぐっすり眠るその姿を見ていつも思う。<br><br>「僕も昔は、こうだった。」と。<br><br>母親は僕が上京するときに一言こう言った。<br><br>「あなたのしたいことを自由にしなさい。後悔だけはしないように生きていきなさい。あなたの幸せは私の幸せだから」<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11930762747.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Sep 2014 22:26:08 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった。３　〜クラブDJとクスリ〜</title>
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<![CDATA[ トランペットを始めた小学校3年の夏、僕の小学校は全国大会にでるほど有名で、そんなこともしらず、毎日、土日も部活だった。もちろん目指すは全国大会金賞優勝。そんないろんな目標がデカデカと描かれた画用紙が音楽室中に貼られていた。その二年後くらいだったかな、いよいよ、コンクールの地区大会、そして全道大会でも金賞を取り、そのまま東京の全国大会へなんと３年連続で行き、地元では新聞にも乗るほど有名な学校になった。<br>ちょうど三度目の全国大会の時、二泊三日の３０人以上の団体行動だったけど、毎年最終日は必ず、ディズニーランドへ行くのが恒例で、むしろそれが一番のみんなのたのしみ。<br>夕方近くなりみんなで少し、オセンチになりながらバスで空港へ向かい、離陸の加速の瞬間が大好きな飛行機に乗り地元へ帰ってきた。<br>たまたま母親は仕事でタイミングが合わず同伴できなかったけど、地元について、母親は車で迎えに来てくれた。夜も遅いのに、なぜか3歳離れた弟もなぜか車に乗っている。<br>「おかえり、たのしかったかい？」嬉しそうでもなし、弟も泣いた後のような顔、車内三人、異様な空気だったのを今でもはっきり覚えている。しばらくして、帰り道が全然違うことに気づいた僕は、沈黙の車内の母親にたずねた<br>「ねぇねぇ、どこにいくの？」<br>「ばぁちゃんちに行くの」<br>とても無表情で怖くてそれ以上なにも聞けなかった。<br>ばぁちゃんちに着き、そこに父親がいた。ばぁちゃんと何か話している。最初はなにか話し合いでもしているのかと思ったけど、急に母親が叫び出し、父親とケンカが始まった。それをなんとか落ち着かせようと間に入るばぁちゃん。弟と僕は怖くて二人でくっついてとにかく大泣きしていた。<br>内容なんか覚えていないけど、数日後、離婚した。<br>母方につくことになり、ずっと住んでた家をでて、三人でばぁちゃん家に引っ越しした。<br>父親は一人で実家にずっと住んでいたらしいが、仕事すらなにをしているのか、さっぱりわからなかった。<br>引っ越したと同時に中学へ上がった。ばぁちゃんはなんでも買ってくれた、制服も、ゲームもほしいものならなんでも。ずっと欲しかったヤマハのトランペットも買ってくれた。ピカピカのトランペット。中学一年のくせに自前の楽器。一時は注目を浴びた存在になり将来の夢はプロのトランペッターになることだった。通っていた中学の3年間もまた全国大会3年連続出場果たした。会場は東京の普門館。3年目はそこの会場で全道大会優勝のときはみんなで泣いて喜んだ。<br><br>ほとんど自慢話しのようになっちゃったけど、僕は本当に恵まれていた。<br><br>高校へ行って僕の音楽生活は180度、思いもよらぬ方向へ変わった。<br><br>つづく<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11928897967.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Sep 2014 02:48:17 +0900</pubDate>
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<title>僕は鬱だった。 2　〜クラブDJとクスリ〜</title>
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<![CDATA[ このブログは赤々と本当にあったことを書くと言ったけど、なんやかんだ我ながら面白い２７年を今の所送っていると思う。<br><br>遡ること僕が小学校3年の時。当時放課後のクラブ活動といえば、吹奏楽部か野球部。それ以外の人は塾に行ったり公園であそんだり、習い事したり、僕もその一人だった。父親は当時の学校のコーチと顔見知りで、<br>「こいつなら、野球できるぞよろしな」ぐらいな勢いで、危うく野球をさせられるところだった。<br>あの時は日ハムはなかったから、なぜか北海道では巨人戦しか放送されていなかったからか、北海道民は巨人フォンが多かった。たまに公園でやった父親とのキャッチボールもまだ覚えてる。<br>その一方、僕の母親は音楽で育った。「あなたの年の頃の私は吹奏楽やってたよ、楽器やってみたら？」それでも半信半疑「ん～わかった、とりあえず友達にきいてみる」くらいな程度で全く乗る気でもなかった。<br>次の日、近所に住んでいる仲の良い女の子の同級生に、話半分で「吹奏楽って女ばっかじゃん」って聞くと「興味あるならさ♪、ウチが先生とこ連れて行くからさ♪今から先生のとこいこ、ね♪？」そのまま腕つかまれて職員室に連れて行かれた。職員室なんて大嫌いだった、タバコで煙いし、センコーなんて大嫌いだったから入りたくもなかった。<br>「ねぇ先生、イチロー君、吹奏楽はいるって♪」<br>「いや、あのぉ。。。（そんなこといってないんだけど。。。）<br>先生はなぜだか僕の顔みるなり<br>「ん～～～。。。チューバ、、いや違うトロンボーン、、、ん～君はトランペットだね」<br>その日、なぜかトランペットを、とりあえずやることになった。なぜか吹奏楽部員になった。<br>ちょうどその頃、NHKの朝の連ドラでやってたのが「天うらら」。主題歌になっていのが「天うららインザスカイ」（だったかな）ってタイトルの曲で、とても綺麗なトランペットの曲。奏者はロシア出身のセルゲイナカリャコフだった。もう、それで火がつき一気に彼のファンになった。<br>学校でかりてたトランペット持ち帰って練習したりとにかく一転してなぜか必死になった。<br>そこから今でも僕の「音楽」ははじまり、今につながり、形を変えて今ここに生きています。<br>タイトルにつなげるまで長文になりそうなので続きはまた。<br><br>僕が大好きな歌手、玉置浩二。（僕の実家の近所出身）←これ結構自慢ポイント。笑<br>彼は曲を作るとき、必ず実家に帰ってくるそうです。僕は見た事ないんだけど、目撃情報はたくさんあって地元では有名な話です。<br><br>”あの頃はなにもなくて　それだって楽しくやったよ　メロディー　いつのまに<br>大切なもの　なくした”　<br><br>いつ聴いても酔いしれる名曲”メロディー”<br><br>さて今日も　いってきます。<br>がんばらない、疲れるだけだから。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/speaker-1987/entry-11928478076.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Sep 2014 22:26:16 +0900</pubDate>
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