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<title>江原スピリチュアリズムの実践日記④</title>
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<description>日常の気づきやさまざまな社会の事象を「霊的真理」に基づいて綴るブログです。</description>
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<title>虐待</title>
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<![CDATA[ <p>一昨日も埼玉で交際相手の男性の虐待によって、４歳の男の子が亡くなった。</p><p><br>「またか・・・」</p><br><p>いつも幼い命が虐待の犠牲になっている。</p><br><p>いつまでこんな悲しい事件が続くのだろう。</p><br><p>ほとんどのパターンが内縁の夫や交際相手によるものである。</p><br><p>女性である前に既に母親であることを忘れてしまっている。</p><br><p>色恋沙汰に目が眩み、親としての義務や母性まで見失ってしまっている。</p><br><p>恋人に嫌われたくないという一心で、暴力を制する事もできないのか？</p><br><p>この事件の場合「自分はは暴行していないが、彼の暴行を止めるつもりもなかった」と供述している。</p><br><p>自分の恋愛の為に子供は邪魔者扱いということか？</p><br><p>この交際相手との出会いも「波長の法則」が働いているはずである。</p><br><p>子供の事も考えた将来を見据えた発展的な付合いを求めていたのだろうか？</p><br><p>自分が寂しさを埋められればいいという小我な波長が、やはり自分の事しか考えられぬ小我な彼を引き寄せたのだろう。</p><br><p>報道を通じて私たちに入ってくるこういった事件を、自分にも起こり得る事かもしれないと捉え、教訓としていかなければ、いつまで経ってもこのような事件は無くならないだろう。</p><br><p>でなければ報道される意味が無い。</p>
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<pubDate>Wed, 13 Jun 2007 22:36:03 +0900</pubDate>
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<title>真・善・美</title>
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<![CDATA[ <p>「真・善・美」に触れると人は感動する。</p><br><p>なぜ涙が溢れてくるのかわからない時がある。</p><br><p>私たちの「たましい」の「神我」の部分が揺さぶられたのだろう。</p><br><p>音楽や舞台、映画などの芸術に触れるという事が、どれほど大切なことか最近になってようやくわかってきたような気がする。</p><br><p>人は「真・善・美」を目の当たりにし、感動すればするほど、人生を間違った方向には向かわせない働きがあるように思う。</p><br><p>もちろん日常の生活の中で「真・善・美」に触れる事が一番だと思うが、なかなか待っていて来るものではない。</p><br><p>カルマの法則からもわかるように、自分がアクション（因）を起こしてこそ、得られるもの（果）であると思う。</p><br><p>仕事に追われて時間が無いという人も、時間を作る事が下手なだけ、又はそういう状況を自分が望んでいる人もいるのではないだろうか。</p><br><p>芸術を鑑賞する「心のゆとり」が、現代の日本人に必要なのではないかと思うのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10035980626.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jun 2007 23:31:04 +0900</pubDate>
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<title>感謝</title>
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<![CDATA[ <p>私たちはつい不幸の数を数えがちになってしまう。</p><br><p>けれど不幸の数を数えても幸せにはなれない。</p><br><p>不平不満がつのり波長が下がってしまうからである。</p><br><p>そして本当は「不幸」など無い。</p><br><p>物質的価値観にまみれているからこそ不幸と思えるのであって、たましいの成長への負荷だと気付かなければならない。</p><br><p>私たちは中々幸せの数を数えられない。</p><br><p>不幸に思う事よりも、どれだけ幸せの数の方が多いか気付いていない。</p><br><p>生きている、食べられる、寝られる、動けるなど・・・</p><br><p>当たり前のような事も、どんな些細な事からも幸せを感じることができる。</p><br><p>そうすれば自然と「感謝」の気持ちが湧いてくる。</p><br><p>私たちは日々の生活の中で、どれだけ感謝できているだろうか？</p><br><p>自分を取り巻く人間関係にも感謝が必要である。</p><br><p>波長の法則からわかるように、人間関係は自分の心の映し出しである。</p><br><p>自分に関わる人は、鏡のように己の内面を見せつけてくれているので、改善すべき点を教えてくれた人なんだと感謝できるはずである。</p><br><p>そしていつも親のような愛で見守ってくれている守護霊などの霊的存在にも。</p><br><p>自分に関わる全ての人たちへの感謝は、素直で前向きな気持ちとなり、高い波長を引き寄せる。</p><br><p>高い波長でいる事が本当の幸せにつながるのであれば、「感謝」は本当の幸せを得るのに不可欠であると言えるだろう。</p>
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<pubDate>Sat, 26 May 2007 23:55:35 +0900</pubDate>
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<title>視点を持つ②</title>
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<![CDATA[ <p>ニュースなどを通じて私たちに入ってくる情報はさまざまです。</p><br><p>最近では核家族化も進み、隣の家の名前すら知らないという人もいます。</p><br><p>自分の家族さえ守る事ができれば、他人の事はどうでもよいという考えの人もいるのではないでしょうか？</p><br><p>昔のような近所付合いも減り、地域の交流も希薄なものになりつつあります。</p><br><p>人々が段々「無関心」になってきているのです。</p><br><p>痛ましい事故や事件などもたくさんあると思いますが、それらを他人事のように思っていてはいけないのです。</p><br><p>それらは私たちに向けられているメッセージであり、学びなのです。</p><br><p>私たちはもっと広く社会に「関心」を持たなくてはなりません。</p><br><p>私たちに近所のつながり、地域のつながり、そして周囲への思いやりがあれば、未然に防げたものもあると思うのです。</p><p> </p><p>災害などの被災地で、「無関心」でいる事ができるでしょうか？</p><br><p>そういった特別な状況でなくても、日常的に周囲を意識し助け合う心が大切だと思います。</p><br><p>人々の思いやりや助け合いの姿に感動し、美しいと思えるのはそこに「愛」、「神我」があるからです。</p><br><p>「愛」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」なのです。</p><br><p>今の現代社会に対する「愛の視点」を持つ事の必要性を強く感じます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10033507495.html</link>
<pubDate>Sun, 13 May 2007 22:51:21 +0900</pubDate>
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<title>視点を持つ①</title>
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<![CDATA[ <p>スピリチュアリズムに出会う前に、迷った時にどうすべきかの私なりの判断方法がありました。</p><br><p>それは「神ならどうするだろう？」と考える事でした。</p><br><p>自分が神になったつもりで、自分に起きる出来事や相談を受けた事に対して、物事の良し悪しを考えてみるというものでした。</p><br><p>今思えば、当時の私は物質的価値観であり、霊的真理を知らなかったため、必ずしも正しい答えを見い出せていた様には思えないのですが・・・</p><br><p>今現在、困難に直面していて悩みや悲しみから抜け出せない方も多いと思うのですが、そういった人たちは「客観的視点」が無いように思えるのです。</p><br><p>今自分に迫り来る困難を、自分の視点（目線）からしか見ていないため、焦ってパニックになったり、悲しみに打ちひしがれてウツになってしまったりしているのではないかと考えるのです。</p><br><p>そういった時こそ「神なら？」とまでは考えられないとしても、自分の置かれる状況を冷静に分析し俯瞰して見る事ができる「客観的視点」を作る事が大切なのではないか思うのです。</p><br><p>でもそこで以前の私のように物質中心主義的価値観では不十分なのです。</p><br><p>そこに「霊的真理」をプラスしてこそ物事を正しく見る事ができるのです。</p><br><p>困難の意味を知り、どうしていけばよいのかが見えてくるのです。</p><br><p>「霊的真理」をしっかりと理解した上での「客観的視点」こそが「神の視点」ではないのかと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10033305800.html</link>
<pubDate>Fri, 11 May 2007 22:33:30 +0900</pubDate>
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<title>血のつながり</title>
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<![CDATA[ <p>５０代後半の女性からの悩みです。</p><br><p><font color="#6600ff">「バツイチの跡取り息子（３７歳）がバツイチで二人の子連れの女性との結婚を、主人（父）が猛反対しています。どうしたら別れさせる事ができるでしょうか？」という相談でした。</font></p><p><font color="#6600ff"><br></font></p><p><font color="#6600ff">・連れ子は高校生の女の子二人で、気苦労が多いのではないかと心配。</font></p><p><font color="#6600ff">・結婚後は息子との間に子供を作る気はない様子。</font></p><p><font color="#6600ff">・血のつながらない嫁や孫に先祖代々からの土地や財産を相続させたくない。</font></p><br><p>先ず一つ目に、ご両親は連れ子に対する気苦労を心配されているようですが、それも承知の上で本人が結婚を決めたことですから、本人の意思を尊重してあげるべきです。</p><p>普通の結婚に比べれば困難も多いかもしれませんが、幸せになれないなんて確証はどこにもありません。</p><p>苦労をするとわかっていても、本人が自立心を持ってやろうと決意した事ならば、認めてあげる事が「大我の愛」ではないでしょうか？</p><br><p>二つ目に、長男との間に子供を作らないという事から、〇〇家の血筋が途絶えると危惧しているようですが、それは物質的価値観なのです。</p><p>私たちのたましいは、家族と言えども全く別のところから来ていて、一番学べるであろう家族を選んで生まれてきているのです。</p><p>私たちの目的はたましいを成長させる事であって、現世での血のつながりを守っていく事が目的ではありません。</p><p>ですから、途絶えたら不幸になるなどという事は全くなく、それはただの物質的執着なのです。</p><br><p>三つ目に、血縁のない子孫に相続させたくないようですが、それも物質的価値観の視点なのです。</p><p>血のつながりが有ろうが無かろうが、「縁」あって家族となるわけですから、大切に思うべきです。</p><p>「波長の法則」や「カルマの法則」も働いているので、ご両親もその状況から何かを学ばなければならないという事です。</p><p>偶然は無く必然なのです。</p><p>先祖代々の土地を必ず守っていかなければいけないという事もありません。</p><p>先祖はすでに霊的世界へ帰っておりますが、現世にいる子孫は実質的に固定資産税を払わなければいけなかったり、その土地に住まなければいけないと縛られたりするわけです。</p><p>それが本当に子孫の為なのかどうか、わからないのではないでしょうか？</p><p>どうしても財産を渡したくないのであれば、全部ご自身で処分なさって相続しない方がよっぽど良いと思います。</p><br><p>このご主人は非常に物質中心主義的価値観で小我な部分の多い方でした。</p><p>このような考えの人は世の中にたくさんいらっしゃると思います。</p><br><p>私たちは「広義の類魂」なので、「人類みな兄弟」なのです。</p><p>私たちは血縁のある家族という学校を卒業し、他人をも家族同様に愛を向ける事ができるようレベルアップしていかなければいけないのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10033117259.html</link>
<pubDate>Wed, 09 May 2007 22:46:04 +0900</pubDate>
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<title>愛</title>
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<![CDATA[ <p>「愛」は大きく二つに分ける事ができます。</p><br><p>「小我の愛」と「大我の愛」です。</p><br><p>私たちが日常的によく使っている愛は「小我の愛」です。</p><br><p>「これだけしてあげたから、これだけしてもらう」というように見返りを求めたり、「経済的に豊かだから好き」というような条件を伴った愛は、愛ではなく「愛欲」なのです。</p><br><p>「小我」とは「小さい我（われ）」と書く事から、自分個人を指します。</p><br><p>自分だけが良ければいい、自分だけがかわいいという「小我の愛」は本当の愛ではありません。</p><br><p>それに比べ「大我の愛」は何の見返りも求める事のない「無償の愛」であって、自分の利得を一切考えてはいなのです。</p><br><p>私たちは肉体に宿っているため「個」という認識が非常に強いのです。</p><br><p>そのため「他者」を「他者」と捉えてしまうので「少しでも多くの物を得よう」「少しでも損しないように」と分け与えることが損したように思えてしまうのです。</p><br><p>「類魂の法則」からわかるように、全てのたましいは一体で神の一部であり「私」も「あなた」も「自分」なのです。</p><br><p>私たちがたましいの存在であるという事を忘れてしまっているのです。</p><p><br>「大我」とは「大きい我（われ）」と書く事から、類魂全体、たましい全体の事なのです。</p><br><p>ですから「他者＝自分」という図式が成り立ち、他者への見返りを求めぬ「大我の愛」は「自分への愛」又は「神の愛」であると言えるのです。</p><br><p>私たちはこの「大我の愛」を学ぶために生まれてきました。</p><br><p>個々の周囲に対する「大我の愛」が良きカルマとなり本当の幸せを得ることになるのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10032531760.html</link>
<pubDate>Fri, 04 May 2007 00:13:57 +0900</pubDate>
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<title>スピリチュアリスト</title>
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<![CDATA[ <p>スピリチュアリズムを基に、霊的法則を実践して生きる人をスピリチュアリストという。</p><p><br>私たちは少なからず「物質」に振り回されて生きている。</p><br><p>失うことを恐れて生きている。</p><br><p>今までの物質中心主義的価値観では失うことの恐れからは解放することはできない。</p><br><p>失う事が不幸と思えてしまうなら、ずっと幸せを得ることはできない。</p><br><p>物質中心主義的価値観は「不幸を伴った一時的な幸せ」であると言えるのではないか？</p><br><p>「誰にも奪われることのない幸せ」が本当の幸せではないかと思う。</p><br><p>それは「物」ではなく「心」の豊かさです。</p><br><p>今自分にどんな事が起ころうと全てを寛大に受け入れる事ができるだろうか？</p><br><p>恐れること無く経験と感動を積んで真のスピリチュアリストとなりたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10030689574.html</link>
<pubDate>Tue, 01 May 2007 23:46:38 +0900</pubDate>
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<title>「波長」と「カルマ」</title>
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<![CDATA[ <p>江原先生の「八つの法則」の中に、現世の二大法則である「波長の法則」と「カルマの法則」がある。</p><br><p>類は友を呼ぶ「波長の法則」</p><br><p>自分で蒔いた種は自分で刈り取る「カルマの法則」</p><br><p>法則を常に意識して生きていると、間違いなくこれらの法則が働いている事が実感できる。</p><br><p>例えば「自分」と「嫁」との関係。</p><br><p>喧嘩した時なんか「本当頑固で素直じゃないな～」なんて思うんですが、「波長の法則」で考えてみると、相手は鏡のように自分の心を映し出してくれているわけだから、「自分もそういう所直さなきゃいけないな～」といつも反省させられるのです。</p><br><p>何年か前に旅先で駐車場に入れる際、コツッと車をぶつけてしまった事がありました。</p><br><p>その時、悪魔が「バレないから逃げちゃえ」と囁いたのですが、「いや、あかんあかん！ぶつけられた人の気持ちを考えたら・・・」と当たり前の事ですが、被害者の方を待って謝罪し警察に届けました。</p><br><p>それから一ヶ月もしないうちに、今度は自分がスーパーの駐車場でぶつけられ、被害者となりましたが、ぶつけた人もちゃんと名乗り出て謝罪して下さいました。</p><br><p>もしその時逃げていたら、きっと自分も「逃げられる」という目に遭って、逃げられた人の憤りという思いを学んでいただろうと思うのです。</p><br><p>カルマだな～と、つくづく思わされる出来事でした。</p><br><p>この現世の二大法則を知っていれば、自分がどのように生きれば幸せになれるのかが自ずとわかってくるのです。</p><br><p>波長には、思い・言葉・行動の３つが影響します。</p><br><p>卑下、妬み、恨み、蔑み、悪口などのネガティブな思いは波長を下げてしまいます。</p><br><p>波長を上げたければ、前向きに、明るく、自分に関わる人たちを大切にしていく事なのです。</p><br><p>自分さえ良ければいいという「小我の愛」ではなく、見返りを求めぬ奉仕の心である「大我の愛」を持つ事なのです。</p><br><p>カルマから見れば、悪い事だけが自分に返ってくるのではなく、良い事も返ってくるのですから、「自分が幸せになりたければ、人を幸せにすればよいのです」</p><br><p>他者に笑顔で接するというだけでも、良きカルマを積んだ事になります。</p><br><p>カルマはそうした個人に対する些細な事から、地域、会社、国、地球に至るまでスーパーコンピューターの如く及んでいるのです。</p><br><p>そんな大規模な事は関係無いと思う人がいるかもしれませんが、そこに住む全ての人々の共通の課題なのです。</p><br><p>道に落ちているゴミを拾うだけで地球のためになるのです。</p><br><p>霊的視点から見れば、この現世という短い貴重な時間を充実して生きるには、この二大法則を常に意識して日々を暮らしていく事が必要だと思います。</p><br><p>自分が人の役に立てるという「本当の喜び」に気づいてほしいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10031771665.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Apr 2007 22:14:58 +0900</pubDate>
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<title>存在意義</title>
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<![CDATA[ <p>この現世に存在すること。</p><br><p>私たちが生きることには意味があります。</p><br><p>生きる意味の無い人はこの世に一人もいません。</p><br><p>私たちは目的があって生まれてきました。</p><br><p>それはたくさんの経験を積むことなのです。</p><br><p>そこから喜びも悲しみもたくさんの感動を得るためです。</p><br><p>お金や地位、名誉を得るためではありません。</p><p> </p><p>たましいを成長させる事が目的なのです。</p><br><p>何事も最初から自信のある人はいません。</p><p> </p><p>経験を積むからこそ自信が培われるです。</p><p> </p><p>失敗を恐れることはありません。</p><br><p>失敗という経験があるから過ちに気づく事ができるのです。</p><br><p>失敗という経験は成功へのプロセスなのです。</p><br><p>人の目を気にしすぎる必要はありません。</p><br><p>行動する妨げとなりポジティブになりにくいからです。</p><br><p>物事に執着しすぎてはいけません。</p><br><p>それらが叶わぬとき不幸に思えてしまうからです。</p><br><p>人と比べる必要はありません。</p><br><p>人はそれぞれ学ぶべき課題が違います。</p><br><p>自分の置かれる状況を素直に受け入れること。</p><br><p>そしてどうして行きたいかを考えることが大切です。</p><br><p>生きることを途中で投げ出してはいけません。</p><br><p>人は価値があるから生きるのではなく、「生き抜く事に価値がある」のです。</p><br><p>私たちは誰しもが日々の生活の中で学んでいます。</p><br><p>あなたが存在している事で、あなたに関わる人々の学びが生まれるのです。</p><br><p>それは周囲の人にとってとても貴重な経験なのです。</p><br><p>あなたが生き抜くこと自体が、世の中の役に立っている事と言えるのです。</p><br><p>この世に生きること。</p><br><p>その存在だけで素晴らしい事だと思うのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/spi21399/entry-10031162976.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Apr 2007 09:18:05 +0900</pubDate>
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