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<title>手芸好きのブログ（手芸のこと・ダウン症のこと・これまでのこと）</title>
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<description>手芸好きな私の日々雑感。</description>
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<title>これからの息子を考える</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">今までは、生活習慣とか社会生活に必要なことを教えてきた。理解力は低いかもしれないが、それなりに覚えてくれた。十分ではない。</span></p><p><span style="font-size:1em;">息子は、どちらかといえば，他の皆さんより能力的に低いほうで、理解できるまでには時間がかかる。理解できないものもある。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">お金の計算ができないので、一人でスーパーなどにいけない。自動販売機でジュースなどは買えるが、２００円とか５００円でお釣りをもらうようにしている。母親と一緒に買い物をする。小さいとき、お金を机の上に並べて、時間をかけて教えたが、なかなか覚えられなかった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">バスに乗って目的地に行けるが、乗り換えとなると行けない、一度路線が違うバスに乗ってしまって、帰りが遅くなったことがあった。どのように</span></p><p>家の近くのバス停まで帰ってきたのか、本人に訊いても答えられなかった。きっと、親切な運転手さんにお世話になったのだろうと思う。</p><p>他のことでも、説明ができない。そんなことがあって、一人でバスに乗ることを怖がるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>できないことがあるが、できることもある。人と仲良くできるとか、親しみやすい、。明るい、面白い、。身の回りのことがきちんとできる。仕事が好き。掃除が好き。きれい好き。</p><p>&nbsp;</p><p>今は、仕事が好きで、毎日作業所に通っている。細かい毛糸を編む仕事（機械）を楽しんでやっているが、視力のほうはどうだろうかと考える。</p><p>メガネはかけれたことがないが、この先は気を付けなければならない。</p><p>&nbsp;</p><p>作業所から連絡で、当番のとき、朝の会の順番を忘れたとか、ラジオ体操の順番が違ったとかありました。</p><p>気になることで、大事なことなので、これから経過をみていかなければならない。</p><p>これかの息子の１０年がどのように進んでいくのか注意ししてみていきたい。心身ともに健康で、明るく生活できることを願っている。</p><p>&nbsp;</p><p>夫も、私も、息子のために元気でいたい。</p>
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<pubDate>Fri, 13 Aug 2021 11:54:21 +0900</pubDate>
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<title>もうすぐ、４１歳の息子　</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">もうすぐ、４１歳の息子です。今日も、元気に作業所に行きました。元気に、機嫌よく行ってくれることが願いです。</span></p><p><span style="font-size:1em;">ほめて伸ばすやりかたです。過保護かなと思うこともたくさんあります。</span></p><p>「お母さん、一番好きな人は誰？」と、息子、「それは○○でしょう。」（息子の名前を言う）息子は嬉しそうに「そうだね。」</p><p>息子に「一番好きな人は誰❓」と，聞くと、息子は「お姉ちゃん」「ああ、そうなの。」と私。息子、「お姉ちゃんの好きな人は、花婿さんだよ。」</p><p>「ああ、そうなの。」と、私。息子「お父さんの好きな人は、お母さん。」私「そうでしょう。そうでしょう。」</p><p>息子は、家族から愛されています。感謝です。息子なりに幸せに暮らしています。</p><p>&nbsp;</p><p>息子は、毎日身支度をきちんとして作業所に行きます。暑いけれど車を洗う仕事も楽しんでやっています。</p><p>能力的にできないことも難しいこともありますが、息子なりに頑張っています。</p><p>息子が生まれて、母親として多くのことを学んできました。息子ができないことで涙が出たり、できたことでうれし涙が出たり、涙とともにあるいてきました。周りの皆さんの支えがあってこそ、ここまで来ました。</p>
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<pubDate>Mon, 02 Aug 2021 13:56:08 +0900</pubDate>
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<title>二人とも、７７歳になった</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">ワクチンも２回打ちました。娘に予約を頼みました。スムーズにいってよかった。</span></p><p><span style="font-size:1em;">二人とも、副作用も軽いもので２日後には普通通りでよかった。</span></p><p><span style="font-size:1em;">毎日、何とか元気に過ごしている。夫は、忘れていることもあったり、ちぐはぐな会話もある。言葉が出にくくなっているため、身振りで伝えることもある。目も悪くなってきている、耳も，聞きなおすことがある。</span></p><p>老化現象なのか、でも、ウインブルドンのテニスを見たり、ニュースを見るのを大切にしている。</p><p>私の話をよく聞いてくれる、そして正しい意見をしてくれる。全くの認知症だろうかと思う。</p><p>老化の道を自然に歩いているように思う。</p><p>私が、やることは、毎日血圧を測り、体温を測る。薬を忘れず、歯磨き、目薬も大事なことだ。</p><p>着替えも当然なこと、食事も、時には話し相手も、新聞の記事を読んでやったりもする。</p><p>いろいろやることもあるので、ゆっくり読書を楽しむことはなかなかできない。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、毎日元気で過ごすことができることに感謝している。そして、夫の手助けをできる時間があることは、幸せなことだと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 18 Jul 2021 10:43:52 +0900</pubDate>
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<title>息子は面白い</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">相変わらず、「お母さん、僕のこと好き？」と訊く。「もちろん、大好きだよ。」と、答える。「僕の顔は？」</span></p><p><span style="font-size:1em;">「かわいい顔しているよ。可愛いね。」と、答える。「お母さんは美人だね。」と、息子、そんなこと言われたことない私。「こんなに、しわくちゃなのにね。」息子「そのままでいいよ。」「へー、嬉しいね。」</span></p><p><span style="font-size:1em;">親子で、何を言っているのか、過保護どうしか。</span></p><p>「お母さん、抱っこして？」と、息子。「お母さんを抱っこしてよ。」と、私。時々ふざける息子。</p><p>「抱っこは駄目だけど、おんぶならいいよ。」と、息子。一歩進んだかな。</p><p>息子と、しりとりあそびをする。先日は，「す。するめいか。」「ろ、ロシア」思ってもいない言葉が出てくる。</p><p>知らずのうちに、言葉をたくさん覚えている。時々、しりとりをすると、思ってもいない言葉が出てきて、おもしろい。</p><p>毎日、水筒を持たせるが、先日私が忘れてしまった。どうしよう。困っているのではないかと心配になる。</p><p>帰ってくるまで落ち着かない。</p><p>「今日、お母さん、水筒を持たせるのを忘れてしまった。ごめんね。」と謝る。「いいよ。僕は大丈夫だから。」「お昼に、お茶をもらえたの？水筒を忘れたこと、言えたの？」「言えたから、大丈夫。」</p><p>良かった。気を付けようと、反省する。いろいろ、持たせるもの、やることがあるので、忘れないように紙に書いて張ってある。</p><p>体温をはかりましたか。ひげをそりましたか。すいとうをもちましたか。おはしをもちましたか。</p><p>親子で見る場所に貼ってあるが、それでも忘れることがある。</p><p>作業所が休みの前には、上靴を持って帰る。上靴を入れる袋を息子はリュックに入れる。忘れない。上靴を持っていく日にも、忘れない。私が言わなくても。「えらいね。忘れないよね。お母さんよりえらい。」と、ほめる。</p><p>「お母さん、水筒。」と、言われる。あ、そうだと、私。「お母さん、しっかりして。」と、言われることがある。</p><p>息子に、注意される、息子が小さい時、息子から注意されることを思いもしなかった。</p><p>歩けるようになるかしら、言葉が言えるようになるかしら、学校に行けるかしら、お仕事ができるようになるかしら、と、不安でいっぱいだった。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日の夕飯は、息子の話に耳を傾ける。面白いことを言うので夫は吹き出す。</p><p>にぎやかな夕飯、夫は息子に、これを食べたらとかお茶を飲んだらとか、世話をやく。</p><p>このようなことが、元気のもとになるのかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、どんなことを覚えてくるのかな。どんな話をしてくれるのかな。</p>
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<pubDate>Thu, 27 May 2021 10:46:51 +0900</pubDate>
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<title>兄と私</title>
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<![CDATA[ <p>戦争中に生まれ、戦後の混乱の中育ちました。私には、１０歳上の兄がいます。私はおとなしく、母にわがままをあまり言わなかったように思います。物もない時代なので、みんな一生懸命生きていたからだと思います。</p><p>兄とは、兄弟げんかをしたことはありません。１０歳も違うといつまでも、小さくて、面倒見なければと思っていたと思います。</p><p>小学校に行くようになると、小さな机をもらいました。引き出しにいろいろ細々したものを入れました。兄はその引き出しを見て、整理整頓ができていないと言いました。</p><p>「お兄ちゃんの引き出しを開けてごらん。僕は、目をつぶっても、どこに何があるかわかる。本立ての本の位置もわかる。」と言いました。</p><p>私が、学校で臨海学校に行ったことがありました。日程が進み，帰る日になりました。持ち物を兄が取りに来てくれました。その時、きちんと荷物をつくっていなかったので兄は母に、「○○○は、整理整頓ができていないよ。」と、言いました。兄は、しょうがない妹だと思ったと思います。</p><p>夏休みに毎日絵日記を書く宿題がありました。オート三輪の絵が描けず困っていると、兄が描いてくれました。</p><p>今でも、絵日記を見ると、兄に描いてもらった絵があります。先生は，きっと描いてもらっていることがわかったと&nbsp; 思います。</p><p>甘えている妹、見るに見かねている兄です。本の読み聞かせもしてくれました。中学生になってもしてくれたことがあります。今思うと懐かしいです。勉強は、当たり前に教えてくれました。「ばかだねー。」と笑いながらです。</p><p>初めて映画館で、見た映画は、「白雪姫」でした。兄が連れて行ってくれました.小学１年の時。</p><p>すごい混んでいて、初め兄におんぶをして見ました。その後、座りました。帰りは夜になっていたので、兄がおんぶをしてくれて、家に帰りました。兄が高校生の時です。</p><p>&nbsp;</p><p>兄が大学２年、私が１０歳の時、父が亡くなりました。</p><p>大学を卒業すると、兄は我が家の大黒柱として、母と私を養ってくれました。</p><p>&nbsp;</p><p>私は学校を出してもらって、嫁にも出してもらいました。いつまでも、私のことを心配してくれ、手紙もくれ逢にも来てくれました。困難にあった時、絶望した時、いつも励ましてくれました。</p><p>私が大量の吐血をしたとき、新幹線ですぐに駆けつけてくれました。病院のベッドで目を覚ますと兄が心配そうにしていました。私の顔に手を当てて、「冷たいな。」と、言いました。</p><p>私は、来てくれたことにお礼を言って「大丈夫だから。」と、言いました。</p><p>&nbsp;</p><p>兄の手紙を数えると、１４０通くらいあります。私が家から離れて赴任した時からの手紙です。</p><p>一番多いのは、兄がリタイヤしてからの手紙が多いです。家の庭の様子、家族のこと、旅行のことなどです。</p><p>また、自分の病気のこと、治療のこと、手術のこと、緩和ケアーのことなど、詳しく書かれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>几帳面な兄だった、いつも私のことを心配していました。</p><p>最後の手紙には、お礼の言葉が書かれていました。お礼を言うのは私なのに。兄の手紙に必ず返事を書きました。私の手紙もたくさんあったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>亡くなる前に会ったとき、「もらった手紙は全部処分したから。」と、言いました。</p><p>「お兄ちゃんが亡くなると，おまえは一人ぼっちになるね。」、と、心配していました。</p><p>最後まで、お兄ちゃんで、父親代わりでした。</p><p>兄のそばで最期を見届けました。</p><p>亡くなって６年になりますが、今の方が悲しく、涙が出ます。この、兄の妹であったことを、幸せに思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 19 May 2021 12:15:11 +0900</pubDate>
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<title>母が生きていれば１１６歳</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">明治生まれの母，亡くなってから４０年近くなる。もう、そんなに時間が経つのか、でも忘れたことはない。</span></p><p><span style="font-size:1em;">私のセーターだったり、着物だったり、娘のおくるみだったり、お着物だったり、浴衣だったり、セーターだったり、母の手作りのすべてから、愛情を感じる。</span></p><p>明治生まれで、高学歴を持っているわけではない。良妻賢母を目指した時代なので、家族第一できたのだろう。労を惜しむことなく、家庭生活を送れるように日々愛情をこめて生活してきたのだろう。</p><p>戦争と言う最悪の時代をくぐってきた。命のはかなさも身にしみ、命を保つすれすれのところで、できることをなんでもやってきた。家族に食べさせる食料を、汽車に乗って農家に買いに行ったこともある。</p><p>母は、私を産んでから体調がすぐれなかったが、リュックを背負って、あの座れない混雑満員の汽車に１時間以上立って目的地に行った。</p><p>大変だったと思う。生きるためにはそうしなければならなかったのだろう。私も、母について行ったことがあるので、よくわかる。</p><p>母の幸せとは、生きていることに尽きるだろう。そして、一つ一つの小さな嬉しいことの積み重ねを大事にしてきたのだろうと思う。</p><p>今月は、母の日と母の誕生日があった。</p><p>私が小学２年生の時、母の日の時の作文を朝礼台にのって読んだことがあった。その日の朝、先生に言われたので驚いた。母のお手伝いのことを書いたように覚えている。</p><p>その頃は、母の日は今のように華々しいものではなかった。母にプレゼントを渡すなんて知らなかった。</p><p>カーネーションをプレゼントする時代はもう少し先のことである。</p><p>我が家は、質素な生活が続いた。</p><p>そういう中ではあったが、子供には希望を持って、目標を目指して進んでほしと思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私が１０歳の時父が亡くなり、それから母は一人で子供たちを一人前に育てた。</p><p>口紅一つつけなかった母、愛情あふれ、弱音をはかなかった。</p><p>今の私を見ていてくれていると思う。母から受け継いだものが少しはあるのかな。</p><p>母が扇ぐうちわの優しい風の中、昼寝をしたことを思い出す。</p>
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<pubDate>Sun, 16 May 2021 09:20:46 +0900</pubDate>
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<title>ワクチン接種の波にのまれるのか</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">５月の下旬に私たち夫婦にワクチン接種についての手紙が来る。テレビを見ていると、電話も、インターネットもつながらず直接出向いている老人の列がみられる。</span></p><p><span style="font-size:1em;">何時間も、電話をかけ続けるが、つながらない。こんなこと、そうなるに決まっている。もう少し、やり方がないものかと思う。でも、改善がなされることなく、また他の市町村でも行う。</span></p><p><span style="font-size:1em;">その渦に、私たちも飲み込まれるのかと思うと不安になる。かかりつけの医院ではワクチンを打ってくれないので、総合病院に行こうと思う。</span></p><p><span style="font-size:1em;">さて、私は、電話にかじるつくのか、慣れないインターネットを使って、予約をするのか、頑張ってやってみようと思うが、どれくらいの時間がかかるかわからない。</span></p><p><span style="font-size:1em;">予約ができても、歩くのもやっとの夫を病院に連れていかなければならない。自分一人なら、どうとでもなるけれど、夫を連れていくとなると、あまり長い時間待つことに、不安である。</span></p><p><span style="font-size:1em;">テレビを見ていると、ほかの国では、予約の仕方が考えられている。日本も学んだらいいのにと思う。</span></p><p>早い者勝ちの、競争には心が重い。</p><p>国会議員は、自分の家族の予約を時間をかけてとってみてほしい。上級公務員も、自分の親の予約を、電話をかけ続けて、やっとの思いでとってほしい。庶民がどんなに苦労しているか考えてみてほしい。そしてもう少し</p><p>いいやり方を考えてほしい。国を動かす力を持っているのだから、よく勉強してほしい。</p><p>それとも、上級国民は、スムーズに予約がとれるのか。そういうニュースも、あったけど。</p><p>&nbsp;</p><p>５月の下旬に手紙が来るが、ワクチンを打つのは６月かな。</p><p>７月まで２回打てるのかわからない。国は掛け声ばかり、実態を知らない。</p><p>夫と二人、どうにかこの波をのりこえよう。</p>
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<pubDate>Wed, 12 May 2021 09:58:24 +0900</pubDate>
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<title>夫のこと改めて思うこと</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">夫は、私と同じ昭和１９年生まれ、現在７６歳です。戦争中に生まれました。</span></p><p><span style="font-size:1em;">夫が戦争中疎開先で、小児まひになってしまいました。姉たちが、弟を見て、歩く様子がおかしいと言いだしました。その頃は、ワクチンもない時代です。戦争中と言うことで、正式に小児まひとわかったのは、いつだったのでしょうか。大きな総合病院で診てもらってのことだったようです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">夫の母は、息子をおんぶして、マッサージに毎日通ったと、話していました。それはそれは、家族にとって深刻な事だったようです。左半身がまひしていました。戦争中のこと、終戦後のこと、世の中が混乱していました。</span></p><p>小学校１年生の時、夫に出会いましたが、普通に歩いていましたし、左手が不自由と言うことをあまり感じませんでした。小学校低学年なんて、気にもとめないもんでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、身体が弱くよく休んでいました。風邪をひいたのか。その頃、休んだ人には、給食のパンをとどけていました。私もよく届けました。「元気になってね。」と言う、手紙を添えたこともありました。</p><p>保健室にも、つきそったこともあります。おせっかいなのか、好きだったのかわかりませんが、いつも、気になっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>左足は毎日学校に歩いて通学していましたから、不自由そうだとは思いませんでした。中学生の時、テニスで市の大会で、３位になっていました。</p><p>左手は、開くのに時間がかかるし、しっかり開けません。何時も、握っています。</p><p>両手を使う鉄棒とか、跳び箱とか、できないこともあったと思います。小学生の時、当番だった彼は、花瓶の水を替えなければなりませんでした。水道のところに花瓶を持って行って、水を替えるのが大変そうだったことを覚えています。少し大きめの花瓶だったので、持っていくが大変だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>左手がうまく使えないけれど、髪の毛を洗うこととか、爪を切るとか、一人で上手にやっています。結婚してからわかったことです。小さい時から、、親や姉たちから教えてもらっていたと思います。きちんとたたむとか、私たちと変わることがあまりありません。将来困らないように、一つ一つ身に付けさせてくれたと思います。それは、ありがたいことで感謝したいと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>左手が不自由なことについて、本人は話すことがありませんでした。だから、できないとか、不満を言わなかったです。親が悪いとか、全く聞いたことがありません。この、境遇を受け入れて、自分なりに努力をしてきました。頭の良さと努力は、足元にも及びません。</p><p>&nbsp;</p><p>出会ってから、７０年、結婚して５０年、ずっと夫を見てきましたが、一生懸命生きてきたことに頭が下がります。</p><p>最近、夫は、「左手がこうだったから、自分なりに随分頑張ったよ。」と、言っていました。</p><p>「どう人生を歩いて行ったらよいか、ずっと考えて生きてきたんだ。」子供のころからそういう考えが芽生えてそのことを忘れることなく、勉学に励み、社会に出ても人と肩を並べることができる資格をとってきたと。</p><p>子供のころから、意識を持って生きてきてことに、驚きました。</p><p>すごいなあ。</p><p>私には、もったいない人だ。夫と巡り合ったことを、神様に感謝しましょう。ありがとう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/splendid-weather/entry-12669631723.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Apr 2021 10:43:01 +0900</pubDate>
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<title>夫がやっていること</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">出来なくなっていることもあるけれど、できることもある。できることを大切にしたい。食事の時、一人でお箸で食べること、食事が終わると、「おいしかった。」と言う。不満を言ったりしない。いつまでも、自分で食べてほしい。</span></p><p><span style="font-size:1em;">ごみが出れば、自分でごみ箱に入れる。そこら辺に、置いておかない。息子が、、飲んだペットボトルを置いておけば、きちんと片付ける。</span></p><p><span style="font-size:1em;">洗った食器をいつも私が拭いて食器棚に置いておくけれど、時間の関係でそのままにしている時は、食器棚にいれてくれる。入れる場所が違う時があるけれど、注意などしない。やってくれることがいいことだと思っている。</span></p><p><span style="font-size:1em;">「お父さん、ありがとう。」と、言うことにしている。</span></p><p><span style="font-size:1em;">若い時から、靴下など、自分の脱いだものはそこら辺に置いておかない、洗濯機のそばのかごに入れてくれた。自分の衣類はきちんと箪笥の引き出しに入れていた。きちんんとたたんで。身に付いている習慣だ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">若い時のこと、夫婦げんかをして、私は悔しい思いをしたんだと思う。昼間私が一人になった時、夫の箪笥の引き出しの肌着が入っているところを、全部部屋中にばらまいてしまった。</span></p><p>私の気持ちも収まって、片付けなければと思いに駆り立てられた。さて、どこにどうやって入れていくのかわからない。夫はきちんと種類別にたたんで置いていた。私なりに箪笥の中に入れたが、どう見ても夫が気がつくだろうと思った。こんなことしなければよかったと、後悔した。けんかの原因は、思い出せない。</p><p>どうしようかと考えて、夫に謝ることにした。夫が帰ってきたので、正直に話した。怒られるかと思ったが</p><p>夫は、笑ってしまって、それでおしまい。以後、私はバカなことはやらない。</p><p>&nbsp;</p><p>夫は、息子が出かける時「行ってらっしゃい。気を付けてね。」と言う。帰ってくると「お帰り。よく頑張ったね。」と、言う。私が出かける時、「転ばないように。」と言う。</p><p>そして、何かやってもらった時「ありがとう。」と言う。</p><p>この気持ちは、ありがたく大事なことと思っている。</p>
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<pubDate>Sun, 18 Apr 2021 11:11:34 +0900</pubDate>
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<title>介護もこれからだと思う</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">夫は、食べたことも忘れるようになってきた。「朝、食べた？」「一緒に食べたよ。」と、私は献立を言う。「ああ、そうだった。」と、夫は言う。何か、探しているようなので、何を探しているか訊いてみると、「何を探しているのか忘れた。」と言ったので、二人で笑う。</span></p><p><span style="font-size:1em;">リビングから、夫の部屋まで一緒に歩く。歩くのも、おぼつかなくなった。「旅は道連れ、余は情け」とか、「人生楽あり苦もあるさ」などと言いながら手をつないで笑いながら歩く。</span></p><p><span style="font-size:1em;">通院は、まだできているが、この先のことを思うと不安になる。総合病院に行くと、検査をいろいろやるのでもちろん車椅子に乗ってもらう。以前は、乗らないと言い張って困った。地下に行ったり２階に行ったりどうしても車いすが必要で、もう納得している。</span></p><p><span style="font-size:1em;">私はリュックを背負って行く。車椅子を押していくにはリュックは必要だ。介護も、今までは序の口なのかと思う。これからだよ。と自分に言聞かせる。何事も、考えても仕方がないので、その時その時自分ができることをやればいいと思う。今までの７年は、戸惑うことも多く、手探りだった。何とか方法を見つけてきた。</span></p><p><span style="font-size:1em;">しかし、これからが、本番かと思う。どんなことが待っているかわからないが、何とか乗り越えていこう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>子供が小さい時、登った山々のこと、旅行のことなど、たくさんの思い出を夫と話す。</p><p>娘の小学校の入学式は、夫が行ってくれた。その日は雨が降っていて少し寒い日だった。</p><p>私は、仕事があったので、夫が行ってくれた。そんなことを、夫と思い出をたどった。</p><p>そういうことは、楽しい時間で、笑顔になる。楽しいことだけを思い出そう。</p><p>娘のこと、息子のこと、夫の頭の中はいっぱいである。</p><p>昼間、「○○ちゃんは、どこにいるの？」と、娘のことを探す。「○○ちゃんは、お仕事だよ。」と、答える。</p><p>「電話して」と言う、「するね。」と、答える。</p><p>穏やかで、楽しい毎日を過ごしたいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/splendid-weather/entry-12667852522.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Apr 2021 08:40:10 +0900</pubDate>
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