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<title>主人と私</title>
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<description>私が産まれてから今までの間に１番印象に残っている光景は、６歳のころ住んでいた長屋が火事で全焼したことです。とてもきれいだった記憶があります。</description>
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<title>腫瘍</title>
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<![CDATA[ <p>私は結婚はしていても自分が家族を持てる気はしなくて、子供が出来ても出来なくてもやはりどうでもよく、主人が欲しいなら子供が出来ても良い程度に考えていました。</p><p>&nbsp;</p><p>ある日、結婚前に私が脳ドックを受けたらMRI中に寝てしまった話を聞いて、主人も興味本位で脳ドックを受けてみたら脳腫瘍が見つかりました。<br>再検査には私も立ち会い、「脳の上部にスモモ大の腫瘍があり大血管に接触している」と大きさがピンと来ない説明をされました。最近になって、「このころはミカンＭサイズだった（けど今はミカンＬサイズ）」と言われたので、そっちの例えの方が分かりやすいかもしれません。<br>組織検査等はできないので（やるくらいなら摘出手術をした方が早い）「今、悪さするかもしれないし、このまま寿命まで悪さしないかもしれない」と言われ、主人は考えなくていいことは考えない性質なので一切考えないようにしていたから、面倒事には主人より少しだけ心構えが出来ている私が脳腫瘍の対処方法を調べていました。問題はどこまで調べても、頭蓋骨を開かなければ何も分からないに戻ってしまうことでした。<br>それでも子供を作ることは可能かどうかを確認する主人に対し、「それが影響するのかどうかも分からない」と、どこまでも白黒が付かない診断結果でした。</p><p>&nbsp;</p><p>分からないのなら脳に異常が出る前に子供を作っておきたいと主人に言われ、それからは排卵日を計算するぐらいのことはして妊娠に挑んでいましたが、それから３か月経っても妊娠しなかったため、今度は産婦人科で不妊検査をすることにしていました。<br>ところがその事前検査で主人の生殖器官内に腫瘍が出来ていることが分かりました。<br>不妊検査のために行ったので、なおも妊娠が可能かどうかを質問する主人でしたが、妊娠よりもまず腫瘍が危ないほど大きくなっていると言われ、すぐさま行くようにと地元の大病院を紹介されました。<br>大病院へは再び私も立ち会って再検査を行い、「今日、これから今すぐにとは言わないが、早急に手術が必要」と言われ、慌ただしく準備をして数日後には入院。<br>生殖器官ごと取った方が良いようでしたが、まだ妊娠を考えていることを説明し、生殖機能は残す方向で開腹手術を行い、無事に腫瘍の摘出終了。生殖器官も無事でした。</p><p>&nbsp;</p><p>あまり悪い方に考えない性質なのが幸いしているのか、主人は元気に術後生活を送っていました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12455660016.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Apr 2019 18:29:17 +0900</pubDate>
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<title>新婚、再び</title>
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<![CDATA[ <p>高校を卒業して家を出たと同時に、友人関係は１人残らず切れましたが、たまたま１人暮らしをしていたマンションの同じ階に、小・中・高と一緒の腐れ縁な友人が住んでいて（友人は大卒）、その１人とだけは未だに友人関係を続けています。</p><p>&nbsp;</p><p>その友人を結婚式に呼んでみたものの、急な話だったのと仕事の関係で来られず、私の親戚一同だと、父親は死亡中、母親は気の狂いが大きくなってあれほどしがみ付いていた家を出て精神病院に入院中、伯母は高齢で遠出が無理、姉は駆け落ちしてから絶賛行方不明中のため、どう考えても結婚詐欺以外の何物でもない、主人側の参列者のみの結婚式を行いました。<br>よく主人の親戚から文句が出なかったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>やはり聞かれれば何でも答える性質なので、そのころの主人は私の家庭環境をだいたい知っていましたが（あまり聞こうとはしないので、だいたい）、男らしく今が良ければ良いと納得してくれました。おめでたい・・・じゃなかった、ありがたい人です。<br>でも、主人の家の人はそうでもないだろうからと、私の父親は死亡、母親は認知症で入院中と家族に説明していたようでした。姉の件は何も言っていないようでした。<br>主人の家族の内心は分かりませんが無事に結婚式を終えて、翌々月にはヨーロッパへ新婚旅行。記録的な大寒波に襲われて、どこへ行っても灰色の光景でしたが、成田離婚もなく無事に帰国し、結婚半年後には主人が注文住宅を新築。<br>私に貯金がないことは伝えていたので、家も土地も主人が全てのお金を出し、私は１円も出していません。<br>そのため、このころから私は主人のことを「主人」、もしくは「ご主人様」と呼んでいます。</p><p>&nbsp;</p><p>そのころの私は、ときどき一緒に寝ている主人の顔を眺めながら、何故この人は私と一緒に居るのだろうと、たまに考えていました。<br>自分で自分がどうなのかは分かりませんが、少なくとも学生のころから私の性格は変わってなく、それなら他人からどう見えるのかも変わっていないはず。<br>なら、「心を開かない」「人でなし」のままなはずなのに、それの何が良くて結婚もして一緒にいるのだろうかと、そればかりが疑問でした。<br>さりげなく・・・もなく、ハッキリとそう聞いたこともよくありますが、特に理由を答えられることはなかった気がします。</p><p>&nbsp;</p><p>新婚らしく新居では夜の生活を（朝でも昼でも）毎日のように続けていて、そのうちあれほど延期させられた避妊具も使わなくなり、その皮膚感の違いに今までとは逆に私の方が少し夢中になってしまい、偏執的に様々なことを試し続けて、相手の身体の仕組みも調べ続けて、それが過剰だったのか、主人は開始後２分足らずで早々にイってしまうようになってしまいましたが、その主人に、結婚してから２年ほど経つけど子供が出来ないねと言われたころ、主人に病気が２つ見つかりました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12454022607.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Apr 2019 16:46:24 +0900</pubDate>
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<title>結婚、再び</title>
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<![CDATA[ <p>旅行先で私の方から求婚しましたが、その日は性交で話を流されて、それから何日経っても主人からハッキリとした返事はなく、まあ、額は教えていないけど借金があることや、父親は自殺して残った母親とも折り合いが悪いことは伝えていたので、普通の家庭で育っている主人なら、それを理由に断るかもしれないと考えてはいたので、それならそれでも構わないかと思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>私が主人に結婚を申し込んだ理由は、主人の家が金持ちだと知ったからです。</p><p>&nbsp;</p><p>そのころは職場の近くに引っ越していたので、副業のためにだけ長距離移動をするような生活を続けていて、少し疲れていたときに、仕事で付き合いのある公共工事を受注している会社の人と話し、道路建設のため地主代表と土地売買の交渉をしている話を聞いて、その主人の家のある地域に住んでいる代表者の名字が主人と同じで、でも、田舎だからか同じ集落に同じ名字の人が何人もいるため、後からそれとなく主人に聞いてみたところ、その地主代表が主人の父親本人でした。<br>主人の実家は普通の農家ですが、家の近くに山林を所有していて、そこの真上を道路が通ることになり、買収価格がウン千万円は手に入るそうでした。<br>それを聞き、特に具体的な計画等はなかったけれど、なんとなく主人に結婚を申し込みました。</p><p>&nbsp;</p><p>面白い話としては、同じころ主人の父親が、私と一緒にいる主人の姿を偶然に目撃し、「悪い奴に騙されている気がする」と周りに相談していたことです。<br>後日、それを主人から笑い話として聞かされ、たまに両親が子供の結婚相手を見て反対する体験談を聞きますが、無下に反対しているわけではなく、人生経験の多さからくる経験上の人を見る目を活かした発言もあると思うので、よく聞いておいた方が良いと思いました。<br>そして、私の姉同様に当事者は親どころか誰に何を言われても聞く気がないことも分かります。鯉は桃食うです。</p><p>&nbsp;</p><p>しばらくして、まだ借金は残っていましたが、返済の見込みが付いたので、副業を紹介してくれた関係者ごと全て手を切りました。その副業については未だに１度も尾を引いたことはないので、うまく逃げ延びられていると思います。<br>最近になって１度だけ、主人が保険の新規契約を申し込んだら、「結婚相手（私）と同姓同名で同年齢で同地域に住む元暴力団関係者がいる」と保険会社に言われたと聞き、少し不安に思ったぐらいです。</p><p>&nbsp;</p><p>完済に見込みがついたおかげで、元々私はお金に興味がないことから、そのころには主人の家の金にも興味がなくなり、併せて主人との結婚もどうでもよくなっていましたが、ある日、１か月の時間制限付きで主人から、結婚したいと言われ、そのころになってもまだ結婚しようがしまいが別にどちらでも構わなかったので結婚することにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり私は主人に何の感情もないどころか、打算的な思いもないまま結婚したことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>子供のころから私を「人でなし」とか「人の心がない」とか言っていた人たちは、私より私の性質を見抜いていたのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12452546813.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Apr 2019 09:50:36 +0900</pubDate>
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<title>馴れ初め、再び</title>
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<![CDATA[ <p>子供のころから、あまり人と話す方ではないのに加えて、ほとんど自分と姉以外の他人には興味がなく、目の前で誰かが倒れていても特に何とも思わず、その倒れている人に助けを求められれば始めて何かをする性質でした。<br>今ではそうやって人を騙す人がいると分かり、助けを求められても何もしないように気を付けています。<br>なるほど、火事の時、私を助けてくれなかった人たちは、よく考えた上での行動だったのだなと今では思います。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも学生時代は趣味の読書や映画の世界で何人か友人もできました。そのうち１人とだけは今でも付き合いがあります。その友人の、私が死んでも特に何とも思わないだろう性格が、逆に気が置けずに付き合いやすいところです。</p><p>&nbsp;</p><p>ときどき、学校でも職場でも「どうして人に心を開かない」と私に絡んでくる人がいて、こちらはその言葉の意味も少し分からないところがあって、反論のしようもないから困惑してしまいます。<br>皆は他人へどのように「心を開いて」いて、それを受けた他人は何を持って相手が「心を開いて」いると認識できるのは未だに分かりません。</p><p>そんな性格だからか、それとも顔とか別の何かが駄目なのか、異性関係ではモテたことがないどころか、異性の前に出ると態度を変える（よくいるタイプの）人が、私の前だと同性といるとき用の態度を取るなど、そもそも異性とすら見られていないような感じで、代わりにこちらも異性にはそんなに興味がなく（ゼロではなかった）、誘われればついていきますが、自分からは誘うことがなく特にどうなろうがどうでも良い感じでした。<br>中学時代のバンドをやっていたころはモテたというか、よく声を掛けられた記憶がありますが、何せ当時は初心なの中学生でしたので特に何もありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>借金を背負ってからは、異性関係の優先順位はかなり低くなり、特に興味もありませんてしたが、そんなときに本社から飛ばされた支社で主人と出会いました。</p><p>&nbsp;</p><p>そのころは、仕事は昼と夜の２つを抱えている忙しさもあって、誰かと付き合うつもりも付き合える気もなく、主人を車で送っていたのも、たまたま帰る時間が同じだったってだけで感情は何もありませんでした。<br>あまり他人に興味がなくても、他人と話を併せることはできるので、主人とその友人２人とのアウェーの飲みに出ても、普通に話はできていたと思いますが、特に主人にも誰にも何の興味もなく過ごしていました。<br>夜の仕事で金曜夜から日曜にかけては忙しいため、その日程を調整して主人から誘われた旅行を了承したのにドタキャンで潰されたときは、きっぱりと迷惑だと言いましたが、別に旅行へ行きたかったわけではなく、ただ迷惑だから迷惑だと言っただけです。</p><p>&nbsp;</p><p>不思議なことに人に興味がないときには、人に誘われてもどうでもよく、文字どおり「温泉に行こう」と言われたので、何の感情もなく「温泉へ行って」いました。<br>しばらくして、肉体関係に誘われましたが、興味もないから本当にどうでもよく、肉体的には可能だからしようとしただけで、こちらからしたい気持ちはなく、避妊具がないからできないと言われれば、なら止めておこうで終わりでした。<br>そのため、その翌日に主人から、今まで友達だったのに恋人同士になるなんて恥ずかしいねと言われたときは、顔には出さなかったと思いますが困惑しました。<br>私の方は前日の夜の未遂を考慮に入れても主人と恋人になった記憶はなく（恋人でなくても性交はできる）、というか、その時点でも職場の上司と部下の関係なだけで、友達だと思ったことすらなかったからです。私は主人への情が全くありませんでした。他の誰にも情は感じていませんでしたが。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、私は借金を返し続け、２週に１度は主人と会い、２回の失敗を経て３回目に成功してからは、会うたび・・・２回に１回ぐらいは肉体関係を結び、その１年後ぐらいのときに、私の方から主人に結婚を申し込みました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12450599632.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Mar 2019 10:08:48 +0900</pubDate>
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<title>借金</title>
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<![CDATA[ <p>たかが金といっても、不動産売買の借金と普通の借金（？）を併せて約2000万円は大きかったです。<br>借金の形に何処かへ連れていかれるか、臓器を抜きとられて川に捨てられるかされても、納得できる金額だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず、実家のある市内の各金融業者を訪ねて、借金総額を確かめついでに当月分を返済して回り、それからしばらくは家でも職場でも借金取りからの電話に怯えながら過ごして分かった借金の総額は、その時点で2400万まで膨れ上がっていました。わずか数か月で借金が２割増しは酷いですが、収入ゼロで当月の借金返済を借金で行っていたから、借金総額とその利息が複利扱いで膨れ続けていく理屈なので、当然と云えば当然の結果です。<br>問題ごとは対処するしかないため、勤め先が大きい会社でしたので組合等に相談し、とりあえず借金の１本化を図ったところ、その手続きが終わるまでの日数や、それまでに見つけられていなかった借金に、その延滞金等々も併せて、最終的には2850万の負債となりました。そのころには私も貯金がゼロになり他に財産もなければ、自分にも車の借金が残っている状態でした。<br>飲まず食わずで給与の全額を注ぎ込んでも、当時の手取りだと返済に20年はかかる計算で、普通にローンを組んだら50・60年は掛かる、ほとんど人生を詰んだような形でしたが、結婚していなければ子供もいない１人身でしたので、いざとなれば何処か遠いところへ逃げればいいかーと楽天的（？）に考えていました。<br>ちなみに母親は、母親の姉である伯母に「面倒を見る」と言われていて、どうでもよかったけれど甘えることにしました。日々の生活ぐらいなら遺族年金等で充分どうにかなったはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>それから、学生時代に付き合いのあった年上の人たちの伝手を使い、会社には内緒で副業に就きました。<br>その夜間の仕事で手に入れたお金を借金の返済に充てることで、今の生活を捨てずに生き残る道を探していました。<br>特に悪い仕事ではなかったと思いますが、あまり他人様に大っぴらに言える仕事ではありませんでした。<br>それでも収入＝手取りとなる賃金はありがたかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>今もしも同じことが起きたとしたら、昼も夜も働ける体力はないので、まだ若いころで良かったと思っています。<br>同じころ、その副業がバレはしなかったけれど、家の問題や借金の問題から本社には置いておけないと判断されたのか（会社にも親からの嫌がらせ電話や、借金の問い合わせ電話が来ていました）、99キロほど離れた支部へと飛ばされました。<br>副業のため残業できなくなっていたので、ヒマな支部へ飛ばされたのは結果的にありがたかったものの、その副業のためには夜までに住処へ戻らなければならず、仕方なく往復４時間近い長距離通勤を続けることになります。</p><p>&nbsp;</p><p>自分からは自分のことを話さないけれど、他から聞かれれば特に秘密もなく話してしまう性質なので、子供時代からこのころまでの話を他人に聞かれてすると、よく「不幸だ」とか「怖い」とか「もう聞きたくない」とまで言われますが、何せ幼いころからそれが日常でしたので、私自身は特に何とも思っておらず、もちろん「その貧しい体験が今の私の糧になっています！」などと前向きには絶対に考えられないけれど、特に自分が不幸だとは思っていなかったし、実は今でもあまり思ってはいません。<br>せいぜい、小学校へ入ったときと同様、周りよりは貧乏だったと思える程度でしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、少し感情の揺り幅が他の人より小さいのは自覚していました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12447396168.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Mar 2019 19:21:49 +0900</pubDate>
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<title>父親</title>
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<![CDATA[ <p>会社勤めを始めてから数年後（姉が退院したころ）、母親から何年かぶりに電話があり「サラ金から80万でいいから借りてこい」と言われました。</p><p>&nbsp;</p><p>そのころになっても残業は多く、でも、会社の景気が良かったのか残業代が出ていたので、サラ金へ行かなくても貯金は80万ぐらいならありましたが、それよりもまず理由を聞いたら要領を得なかったため、次の休みに実家へ戻って話を聞くと、父親が現場で作業中に酒を飲んで途中で帰ったりするせいで何処へ勤めても直ぐにクビになり、無職になってからも酔っ払い運転で交通事故を起こして、警察を通さずに示談金を払ったりで収入も現金もなくなり、今は毎月の生活費を借金で調達し、借金を借金で返す自転車操業を続けているけれど、とうとう借りられるところが無くなったそうでした。<br>その時点での借金総額が幾らあるのかも不明でしたが、後から計算すると900万円程度だったと思われます。<br>何故そうなったのかと聞くと、家にも寄り付かない私が悪いと怒鳴られ、そして電話で言われた80万の金額の根拠は、今月中に返さなければならない最低金額だそうで、もうどうしようもないことから、父親には早めに死ぬよう助言して帰りました。</p><p>&nbsp;</p><p>それからしばらく両親からの嫌がらせが続きましたが、年末のその月分の借金の返済日前に父親が自宅のガレージで首を吊って死にました。<br>子供のころから評判の悪かった地元の警察は、近所の人が見ているのにガレージを開けっ放しにして、周りに首吊り死体を公開していたそうです。SNSのない時代なのは幸いでした。<br>それらのことを伯母に知らされて、その翌日に死体を燃やしに行ったとき、私への恨み言が書かれた父親の遺言状を母親から手渡されたのには流石に笑いました。</p><p>&nbsp;</p><p>親戚内の困った人が死んだのは喜ばしいことですが、火葬場では親戚一同が皆疲れ果てた顔をしていて、誰も何も言わずに座っていたのが印象的です。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中、母親だけは「必ず返済していて借金を踏み倒したことはない」と借金で借金を返す生活を正当化し、「これで家は手放さなくてもよくなった」と喜んでいたので、父親からの相続を放棄をしたとしても、サラ金を含む借金だらけなんだから、自己破産しか手はないので家はなくなるし、サラ金がそれで引っ込むとも思えないよと話したと同時に、母親が幼児帰りを起こして発狂しました。<br>人が狂う瞬間を目の前で見たのは、後にも先にもこれ１回だけです。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、気の狂った母親が親戚一同の言う事も聞かずに家から離れることを拒み、狂っているのを装っているのか、それともマダラ狂いなのか、人前では狂っていないように振る舞えるため相続拒否もできず、両親の借金は全て私に押し付けられることになります。</p><p>&nbsp;</p><p>借金にはいつのまにか連帯保証人にされていた（書類の偽造です）、何年か前に建てた家屋の代金とその利息もありました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12445530354.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Mar 2019 18:07:22 +0900</pubDate>
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<title>姉</title>
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<![CDATA[ <p>困ったもので、姉は大学卒業後に東京の会社に勤め始めましたが、その１年後に勤め先の上司と結婚して会社を辞めてしまい、専業主婦になりました。<br>親戚一同に「大学進学が無駄だ」と言われ、私は姉が幸せならそれで構わなかったものの、当時の私はまだ高校生で、「あんな親不孝者の結婚式に行く必要はない」と言われると、自力で東京まで行く手立ても思い浮かばず、姉の花嫁姿は見られませんでした。未だに写真でも見ていません。</p><p>&nbsp;</p><p>勤めてから１度だけ、東京へ出張した際に、翌日の休日を利用して、姉に連絡を取って会いに行きました。<br>顔を見てすぐに姉だと認識できたものの、なにせ７・８年ぶりに会ったので、姉が私より背が低くなっていることに驚きました。逆ですが。<br>姉と姉の娘（つまり私の姪っ子でした)との３人で、姉宅で姉の作った昼食を食べてから、しばらく姉と７・８年ぶりの会話を楽しみ、晩になって姉の旦那が帰ってきてからは、４人で外食に出かけてから別れました。<br>途中、姉が旦那の膝の上に座ったりと、姉に「女」を感じたのは恥ずかしかった記憶があります。</p><p>&nbsp;</p><p>今思うと、その日の会話で姉からサインは出されていたのですが、当時すでに周りから「人の気持が分からない人でなし」と呼ばれていた私は気が付かず、そのせいもあって私が姉の姿を見たのはその日が最後となりました。</p><p>&nbsp;</p><p>実はマザコンで金に汚い旦那と、その姑に苛め抜かれていた姉は、ご飯を食べられなくなるほど精神的に追い詰められ、拒食症と診断されて神経科へ入院しました。<br>伯母からそれを聞かされたときは、姉宅で２人だけになったときに、「この前、これから洗濯と掃除で、戦争（洗濯＋掃除）だと話したら、すごい怒られて・・・」と、どうでも良い話を、何故かそこだけ真剣な口調で話されたことを思い出しました。その怒った人や怒られ方を詳しく尋ねなかったことは今でも悔やまれます。私の数少ない後悔の２つ目です。<br>急いで会社の休みを取って、東京の病院へと行きましたが、「予約がないと面会謝絶です」と断られて、手紙と土産を看護婦さんに渡してとんぼ返り。無駄な行為でしたが、しばらくして姉から電話があり、体重が30キロに減って骨と皮のような見た目になったこと、神経科に入院となっているけれど、要は放っておくと死んでしまう危険性から、精神病院に隔離されている扱いなことを教えられました。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、姉は退院と同時に離婚されて家から追い出され、精神的な病気を理由に親権も取られましたが、こちらへ帰ってくることはなく、父親が死んだときに１度だけ電話で泣き声を聞いたけれど、そうこうしているうちに自分より１回り年下、姉より６歳下の私より更に６歳下の男性と付き合い始め、でも、相手の親には強固に反対されたそうで（反対する気持ちは分からないでもない）、２人で駆け落ちに近い形で逃げたらしく、それからは未だに音信不通です。</p><p>&nbsp;</p><p>駆け落ち相手と幸せなら良いのですが、１度目の結婚相手を知る限りでは異性を見る目がなく、なかなか現在の生活ぶりの想像が付きません。</p><p>&nbsp;</p><p>今は生きているのか死んでいるのかも分からない、家族の中で唯一仲の良かった私の姉だった人の話です。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12443842069.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Mar 2019 13:02:57 +0900</pubDate>
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<item>
<title>学生時代</title>
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<![CDATA[ <p>姉は私より６歳年上で、私が小学生になったころ、姉が制服を着るようになったころには親戚宅で暮らし始めていたので、火事の時は既に一緒には住んでいなかったのが幸いでした。同じ部屋で寝ていたとしたら、私は姉を助けられたか自信がありません。<br>姉が伯母宅へ行ってからは会うことも少なくなり、あまり仲良く遊ぶようなことはありませんでしたが、それでも時々２人で会うと遊んでくれた記憶があります。</p><p>&nbsp;</p><p>火事の後は少しの間だけ伯母宅で姉と一緒に暮らし、そのとき、姉と私は少し特徴のある手の形が同じことに気付きました。<br>当時はそんな言葉を知らなかったけれど、姉とDNAの重なりを感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>また姉と別れ、今度は工場の上の部屋での３人暮らしに戻りましたが、火事を経験しても何かが変わることはなく、父親は酒を飲み続け、母親は学校からの見舞い金に喜び、私は不衛生な環境と貧しい食生活で痩せ細り、背は高いほうなのに腰は両手でグルリと掴めるようなガリ痩せで、ギネスブックの世界一痩せている人より、体重と身長の割合で計算すると痩せていた時期もありました。成人後、標準体重を超えるほど太ってしまった今となっては信じられません。そうだったと話しても他の誰も信じてくれないほどです。<br>子供のころは、その見た目同様に身体が弱く、特に免疫力が低いのか、１週間に１度は熱を出して倒れていました。母親は飽きっぽい性格で、倒れたときには看病してくれますが、すぐに忘れてしまうので、放ったらかしにされて寝続けていることが多かったです。それでも自力で立てなくなるほど酷いときはあまりなく、特に困りはしませんでした。<br>１度、１週間続けて休まずに学校へ行ったときは、土曜日にクラスの皆から拍手された記憶があるので、こちらの予想以上に休みが多かったのでしょう。義務教育とはいえ、よく卒業できたものです。<br>医者には「このままだと20歳まで生きられない」と言われたことがあり、それならそれでも構わないかと思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>中学に入ってからは、特に仲が良くなければ、それから良くもならなかった同級生に誘われて、バンドをやっていた時期があり、他にも自分からは何もしないけれど、家に居たくなかったのか、誘われれば付いていく性質だったため、中学から高校までの間は、少し歳上の大人の人たちとつるんで過ごすことが多かったと記憶しています。<br>家に帰らないこともあり、さすがに３日も帰らないと親に怒鳴りつけられ、自分の親とその人たちとどちらが大切なのかと問われましたが、それは答えるまでもありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな学生生活を終え、テストの成績だけは良かったけれど大学へ行く気などなく、卒業後は定職にも付かずフラフラしている間に20歳を過ぎてしまい、なんとなく前情報とは違ってまだ生きていなければならないような気がして、履歴書に書けない空白期間が出来ているのは当時でも問題でしたが、当時は今より景気が良かったのか、テストの点だけは取れるからか、なんとか大手の会社勤めに成功しました。<br>そのとき、親が何故かコネを使おうと、よく知りもしない議員のところへ頭を下げに行くのに付き合わせられた記憶があります。その議員が、それから間もなく死んだのは今考えると幸いでした。</p><p>&nbsp;</p><p>就職後、サービス残業の多い会社で年中忙しく働いていると、２年後くらいに親から電話があり、工場上の部屋を出て家を建てたと言われ、その金はどこから出たんだろう？と疑問でしたが、もうそのころには親とは半分は縁を切ったような状態で、盆正月でもその新しい実家とやらへ帰ることはなかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>同じく、やはり高校卒業と同時に、奨学金制度を使って東京の大学へ逃げた姉も地元へ帰って来ることはなく、姉なのに７・８年ほど会わなかった時期がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>それから、いろいろなことが起きました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12442238954.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Feb 2019 16:06:59 +0900</pubDate>
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<title>幼年期</title>
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<![CDATA[ <p>私は両親と歳の離れた姉との４人家族でした。<br>今では何人家族だったのかすら分かりません。</p><p>&nbsp;</p><p>幼いころは、自分の家が当たり前の基準値となるため何とも思っていませんでしたが、学校へ通い始めると自分の家が他の生徒たちとの家とは少し違うことに気付きました。<br>簡単に云うと貧乏で、他にも貧乏な家の子は２・３人いましたが、長屋の４畳半１間に家族で住んでいるような貧乏人は私１人。着ているものは子供着ではなく親の古着を詰めたもので、長屋には風呂がなければ毎日銭湯へ行けるような金もなく、かなり汚い子供だったと思います。<br>夏場は臭かっただろうし、当時の同級生たちには申し訳なく思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>父親は土方（大工）でしたので、今も当時も建設業は稼ぎが悪い職業ではないはずなのですが、この手の話のお約束で、父親がアル中レベルの酒飲みで、家の金を全て使って飲み歩き、酔っぱらって帰ってきては家族の前で小便を漏らすような人でした。<br>母親も、やはりお約束で、そんな父親に依存して生きていて、当時は確かに今より専業主婦が多かった時代でしたが、それにしても明日食べるものがないと分かっていても、父親がいないところで私たちに愚痴を言うだけで、内職１つしようとしない人でした。</p><p><br>私はともかく、姉は耐えられなかったのか、それとも親戚が可愛そうだと思ってくれたのか、私が小学校へ上がるころには、姉の方だけ伯母宅に引き取られて暮らしていました。<br>その伯母は「子供は自分の子供でも嫌いだ」と常日頃から話すような人でしたので、その生活はあまり良いものではなかったと思いますが、月末は食べるものがなくなって、酒を飲んでいる父親を見ているしかない我が家よりはマシだったかもしれません。</p><p>私が６歳のころ、長屋の別の部屋に住んでいるお爺さんの寝煙草で長屋が全焼しました。<br>煙が充満する部屋の中で、もう親は逃げていたので、出遅れた私は逃げ道を失ってしまい、少しでも煙の無い方へと窓際へ移動して、裏の家とは土地に段差があったので、窓から裏の家の屋根へと飛び降り、そのまま屋根伝いに火の気のないところまで逃げ、そこいら辺に大勢いた野次馬に降ろしてくれるよう頼みましたが、誰１人として近付こうともしてくれませんでしたので、また自力で屋根から飛び降りて生き延びました。<br>このときの行動については、その後、何度も何度も繰り返し思い出すことになります。あまり物事を深く考えないせいか後悔はしない性質ですが、産まれてから今までの間に後悔している数少ない出来事の１つです。<br>深夜だったからか、同じ長屋の住人が何人か焼け死にましたが、逃げている途中で振り向いて長屋を見たときの、古い木材が弾けて炎を上げ、何人かくべられながらも長屋全体が焼け落ちていく様は、とても綺麗だったと記憶しています。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12440538985.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Feb 2019 11:41:56 +0900</pubDate>
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<title>結婚</title>
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<![CDATA[ <p>それからも２か月に１度は温泉旅行に行っていました。<br>雪国のせいか冬場の99キロの長距離運転が予想以上に面倒だったことから、赴任２年目の冬前に職場近くのアパートへ引越しましたが、上の階の足音がダイレクトに響く出来の悪い作りのアパートで、あまり主人が泊まりに来ることはなかったです。<br>そしてその頃、付き合い始めてから１年半後あたりの旅行中に、私の方から結婚を申し込みました。<br>でも、その時は特に具体的な話にはならず、それからも特に進展がないまま付き合っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>知り合ってから３年目、２人とも同時に本社の方へと異動となり、始めはお互いにアパートを契約して別々に住んでいましたが、また私の方のアパートに問題があり、今度は隣人がDQNってやつなのか毎夜大騒ぎしてうるさくて寝られず、管理会社経由で苦情を入れようとしたけれど、「大家が何もしないことにしている人で」とのことで諦め、安眠のために主人のアパートへ泊めてもらうことが増え、やがて主人の部屋で半同棲の状態となりました。<br>８畳１間の部屋で２人暮らしは少し手狭に感じましたが、そのころはお互いに仕事で帰りが遅く、２人でゆっくり過ごすのは土日のうち、どちらか片方ぐらいだったので問題ありませんでした。<br>もちろん付き合っている間に何度かは喧嘩になり、殺すの殺されるの・・・はなかったけど、別れるの別れないのの騒ぎも２度くらいはありましたが、それでも概ね仲は良い方だったかと思います。<br>性交は普通にしていましたが、避妊具は必ず使っていました</p><p>&nbsp;</p><p>そして同棲４年目、知り合ってから７年目、主人の方から、来月に年齢が大台に入ってしまうから、その前に結婚したいと求婚された（もしくは７年前の返事を貰った）ものの、その時点で主人の誕生日までは残り30日。<br>その30日間は慌ただしく、主人の両親と兄弟への挨拶周りから始まって、結婚式は花嫁衣装を着た写真撮影だけにして挙げないつもりでしたが、２人とも職場の上司に懇々と諭されて挙げることにし、その会場選びやらプラン選びやら何やらでも慌ただしく動き続け、それでも予定より１日早い、主人の誕生日の前日に無事結婚式を挙げることができました。<br>同日、式場へ向かう前に入籍も済ませてしまい、同じ日に戸籍上でも婚姻関係となりました。<br>ちなみに式の参列者は、主人の両親と兄夫婦、そして主人の友人２人（うち１人は７年前にドタキャンした人）が、私側の参列者として参加し、当事者を併せても８人だけの小じんまりとした式でした。<br>式の申し込みから式当日までは３週間足らずだったのに、どんな特殊な注文にも慣れているのか眉一筋動かさずに対応してくれたホテルの担当者さんには感心させられました。</p><p>&nbsp;</p><p>その日はホテルの結婚式プランの流れで、豪華スイーツルームに宿泊しましたが、疲れ果てていて設備の良さを味わう余裕もなく、すぐに２人とも寝てしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでが主人と私の知り合ってから結婚するまでの流れです。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/spork2/entry-12438953006.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Feb 2019 18:59:18 +0900</pubDate>
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