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<title>～孤独を映すDestiny～</title>
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<description>社交不安障害、うつ、適応障害などを抱えています。マメに更新などできないと思いますが、もしよろしかったらコメントしてもらえたら喜びます。※ブログタイトルは、僕の好きな氷室京介さんの「Be Yourself」の一節からです。</description>
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<title>アリとキリギリス</title>
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<![CDATA[ アリとキリギリスという童話がありますよね。内容はあまりに有名なので割愛しますが…<br><br>子供の頃読んだ漫画の中で、このアリとキリギリスを茶化したセリフがありました。<br><br>本来は、夏の間音楽三昧だったキリギリスが、冬が近づいて食べ物がなく、夏の間一生懸命食べ物を巣に運んで冬に備えてきたアリに、食べ物を分けてくれるよう嘆願するはずなのですが…<br><br>その漫画の登場人物の一人がこれを逆にして、「雨が続いて、アリが一生懸命巣に運んだ食べ物が全て流されて、アリは食べ物を全て失い、一方キリギリスは、音楽の才能が認められて、多くの報酬を得て、食べ物に困る事はなくなった」と言った所、周りから「そんな話があるか！」とつっこまれる…という話でしたが…<br><br>今の世の中、むしろこのセリフほうが世の中を反映してるんじゃないか？と思う。<br><br>キリギリスの成功はともかく、アリが頑張って働いたものが報われない、という所が…<br><br>この童話は、ことわざと同じく、教訓を物語にして伝わってきた、と思うのですが…今の世の中には、教訓として成立しなくなっている…<br><br>こんな例、他にも探せばキリがないくらい出てくるんじゃないか、と思う。<br>ウサギとカメの話も、同じくだと思う。<br><br>こういう話は、生きていく上で大切な事を、長い年月をかけて伝わってきただろうけど、ごく最近のほんの短い時間の間に、全てひっくり返されてしまったような気がします。<br><br>ストレス社会で人の心に余裕がなくなり、メンタルを病んでしまう世の中…その原因は、こんな所にあるんじゃないか、と思う今日この頃です。<br><br><br><br>Android携帯からの投稿
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<link>https://ameblo.jp/stream07/entry-11395113399.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Nov 2012 23:22:00 +0900</pubDate>
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<title>あの時こうしていれば…</title>
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<![CDATA[ 時間は元には戻らない。<br>だから、「あの時こうしていれば…」などと考えでも仕方のないこと…<br>でも、時間とは、良くも悪くも記憶を薄めていき、時間が経てば経つほど、どんどん新しい記憶と入れ替えていってしまう。<br>　<br>でも…<br><br>心に深く刻まれた出来事は、時間が解決してくれない…同じ時期に起こっていた、他の出来事の記憶が薄くなっつしまっているから、なおさら際だって浮かび上がってくる…<br><br>特に、その時はわからなかったけど、後になって、それが自分の人生のターニングポイントだったら尚更…<br><br>自分が中学生の時、一番仲の良かった友達のK君という人がいた。所属していたクラブが同じで、学校だけでなく、プライベートでも良く遊んだ友達だった。<br><br>その頃の自分は、今とは逆で、感情がすぐに表に出てしまう、はっきり言って我が儘な人間だったと思う。<br><br>中学3年も終わりに近付いたある日、K君が自分に軽い悪戯をした。マクドナルドで自分か座っていた椅子を引くという、ほんとに軽い悪戯で、笑ってやり過ごしていれば、それだけで終わってしまうようなものだった。<br><br>でも、その当時から極度のあがり症だった自分にとって、店という公共の場所で恥をかかされた事は、当時の自分にとっては笑って済ます事のできない事だった。<br><br>完全に起こってしまった自分は、怒りの表情を浮かべ、K君を店に残して、店を出ていった。<br><br>それまでにも、そんな事な何回かあり、何日か口をきかなかった後、K君の方から話しかけてきて、また普通の関係に戻る、という感じだった。喧嘩になった後、自分から話しかける勇気なんてなかった。<br><br>今回も、いつもの感じで元に戻るだろう、とタカをくくっていた。しかし、すでにクラブ活動も引退し、卒業と高校受験間近だった事もあり、その機会は巡ってこなかった。今までは何日かでK君から話しかけてきてくれていたが、今回はK君も話しかけてこなかった。<br><br>「とうとう愛想を尽かされたかな？」…今から思えば、自分から仲直りのきっかけを作れば良かったのに、しなかった。話しかける勇気かなかったんだ。<br><br>そしてとうとう、卒業まで関係か戻る事はなかった。K君とは別の高校に進学したので、それ以降、K君と合う機会もなく、今ではどこで何をしているのかもわからない。<br><br>元々あがり症で友達が極端に少なかった自分にとって、唯一何でも話せたK君という友達を失った事は、とてもショックな事だった。<br><br>そして…表情を表に出さないようにした、感情を押し殺すようになった。その頃から、人と話す時に異常に緊張するようになった…K君という友達を失ってから新しくできた友達、社会不安障害(SAD)という友達だった。<br><br>正確にいえば、SADの症状はそれよりかなり前、物心ついた頃からあった。でも、それまでは知っている人が誰もいない環境など、限定的なものだったけど、今までは普通に話せてた人に対しても緊張して話せなくなったのは、K君との件があってからだ。<br><br>あれから20年以上が経った。まさか、その件がこれほど自分の人生にのし掛るとは、当時は思いもしなかった。<br><br>あの時こうしていれば…と考えでも仕方がない事…だけど、あの時、K君に話しかける勇気があれば、自分のその後の人生は変わっていたかもしれない。いまでも本当に後悔している。<br><br>K君がその頃どう思っていたか、その後どんな人生を送っているのか、今となってはもう知るすべもない。今はどこで何をしているかわからないけど、幸せに過ごしている事を願ってます。<br><br><br><br><br><br>Android携帯からの投稿
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<link>https://ameblo.jp/stream07/entry-11392400028.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Oct 2012 15:49:00 +0900</pubDate>
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