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<title>sugisan64のブログ</title>
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<title>タイ、ラオスの旅（３）</title>
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<![CDATA[ <font size="6">タイ、ラオスの旅（３）</font>１月１５日　カンチャナブリーへ　一泊観光<br>　朝６時、ツーリストの車がホテルに来て我々を拾ってくれる。それから２つのホテルで５人程拾い、郊外のガソリンスタンドで他の車で来た人達と合流し、一泊組と日帰り組に別れ出発する。我々の車には１８才のドイツ人高校生、２０才のスウエーデン人女子大学生、若いカップルのチェコ人達だった。<br>カンチャナブリは我々日本人には泰緬鉄道で有名な所だ。第二次大戦中、日本軍がビルマへ軍事物資を輸送する為連合軍捕虜や現地人を使い建設した橋で、「戦場にかける橋」とそのテーマ曲はミッチ・ミラー楽団の「クワイ川マーチ」として有名である。映画ではシアーズ中佐をウイリアム・ホールデンが演じ、第３０回アカデミー賞を受賞している。<br>　戦争博物館を見て、すぐ横のクウェー川にかかる橋を歩いて渡る。川幅は８０メートル位でゆったりと流れる川を見ていると戦争という残虐なイメージはとても浮かんで来ない。この近くにこの建設で犠牲になった人達の共同墓地がある。しかし英国など連合国側の墓地はあっても一番犠牲を被った現地のタイやビルマの人達の墓地はない。<br>　　　　　　　　　<br>　<br>　泰緬鉄道の後はタイガー・テンプルへ、「この辺りは昔虎が多く生息していたのが、密猟により殆どいなくなってしまったが、お寺の僧侶たちが生き残っていた虎の赤ちゃんを育て、今では２００頭近くになり広大な寺の各所で見ることが出来る」とガイドの説明があった。<br><br>　車から降り暑い昼下がり、寺の敷地内を登ったり降りたりして歩くこと２０分位、やっと虎さんとのご対面。荷物はすべて入り口に置き、サングラスは外し並んで待っていると、一人一人に係の人がついて中に入る。するとあちこちに虎が寝そべり、客が横に座ったり、寝て虎の腹に顔を乗せているではないか。虎は一応鎖に繋がれているがガブッとやれば「ハイ、それまでよー」だ。中に入るとマンツーマンで付いてくれる、そして係の人が写真を撮ってくれる。今回このツアーは４,２５０B（約１５,０００円位）で全部込み込みなので、この寺の入場料はいくらか分からないが、紀行文を書いている今インターネットで調べると１,０００バーツ（３,６００円位）と載っていたので結構高い。<br>　その後集合場所に行き、車に乗って待っているがなかなか発車しない、小一時間程待ってやっと一組のカップルが乗り込んできた。運転手がすごい剣幕で「遅いじゃないか」と怒ると、可愛い顔の女性が「集合時間は聞いていなかった」と応酬し一歩も引かない。暫く激論の後こっちも少々頭にきて「我々は長いことあなた達を待ってたんだ」と云うと我々には済まなそうな顔をするが、運転手には自分の正当性を主張して収まらない。この運転手はここからの担当で以前のことは知らないから、ジャッジする人はいないから収まりがつかない。結局気まずいまま出発し、小さな滝を見学して、今晩の宿泊先へ。途中義父が「あんたっちゃー何処から来たんだね？」と聞くと、それを内の奥さんが英語で云うと「ウクラナ」と答えたので「えっウクライナ」と皆んなで驚き、その場は和やかな雰囲気になる。<br>その時同乗していてバンコックから一緒に来たドイツ人の男の子は、名前をヤニクといいハイデルベルグ在住の１８才、高校生か高校を卒業したばかりで一人で旅行している。「ドイツの選挙権は？」と聞くと、地方選挙（市長選等）は１６才からで国政選挙は２０才からと言っていた。丁度私達の孫になる位のかわいい青年だった。<br>　もうひとりのきれいな女性はルーシー・スエラン・スコラさんと云う名前で、スウエーデンのニューショピングに在住、２０才の現役の大学生である。ニューショピングは後で地図を見てみると首都ストックホルムから南へ１２０KM程のバルト海を望む街だった。彼女は６ヶ月の旅でガイドブックも持たず気の向くままの旅らしい。<br>　国を出てくるとき父親は泣いていたと言っていた。それにしてもバイキングの末裔か知らないが、二十歳の女の子が一人で世界中を気の向くまま旅するなんて「スッッゲーーー」
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<link>https://ameblo.jp/sugisan64/entry-11989493875.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Feb 2015 21:50:26 +0900</pubDate>
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<title>タイ、ラオスの旅（２）</title>
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<![CDATA[ <font size="6">タイ、ラオスの旅（２</font>）前置きが長くなってしまったが、こんな訳で藤島さんと突然知り合い、思いがけない「乳酸菌ビジネスをラオスへ」の任務を携えての旅になったのだった。<br>　１月１３日５時に起き、浜松の義父の家により、セントレア空港１１時発のタイ航空でバンコックへ向かう。現地時間で午後３時半ころバンコックのスワンナプーム国際空港に到着。<br>空港には野上君が迎えに来てくれていた。彼とは３年ほど前に訪れたスコタイで知り合い、２年ほど前には静岡の我が家まで遊びに着てくれた若者で、現在は現地の女性と結婚しバンコックに在住している。<br>彼が「タクシーでいくと渋滞ですから電車で行きましょう」と云うので、始めてのバンコックの電車（BTS)に乗る。<br>紙幣でも使える販売機もあるそうだが、我々の駅は硬化しか使えず、カウンターで硬貨に両替し行き先のボタンを押すとカードが出てくるので、それを改札口に差し込み出てきたカードを取るとゲートが開き通過するのだが、なかなか難しい。しかし改札口には必ず駅員（警備員のような人）がいてうまく通過できなければすぐ来て助けてくれるので、我々のような慣れない外人には親切な電車である。<br>空港ーパヤタイ（４５バーツ、１５０円位）パヤタイーブロンボン（３７B、１３０円位）始めてのバンコックの電車は楽しかったが、我々の降りた駅にはエレベーターやエスカレーターがないので３階位の階段を登ったりおりたりするのには参ってしまった。野上君がとってくれた「４１Suite Bangkok Hotel」にチェックインし近くの中華料理屋で食事し久し振りの再会を楽しんだ。<br>１月１４日<br>　我々３人は観光用の水上ボートで寺院や水上マーケットに行き、奥まった水路を探索し欄園などを見学する。その後路上でカオサン通りに行くにはどうしようか試案していると、タクシーの運転手らしき人が来て勧誘してくる。<br>　内の奥さんの計画では歩いていける距離なので聞いてみると、とても歩く距離ではない「４００Bで行く」と言うので渋っていると、「それなら２００Bで行くが、その代わり土産物屋に寄り、そこで買わなくてもいいから時間を過ごして欲しい。そうすればその店のオーナーがガソリンのチケットをくれるから。というのでそのタクシーに乗りその土産物屋に行く。<br>　土産物屋といっても立派な店で一階はジュエリーがまばゆいように陳列してある。我々が買える宝石などないから、冷やかして時間を潰していると、２階に雑貨品があると言うので２階に行くとバッグや帽子など手頃な品物があるので３人共夢中になり結構買い物をしてしまう。１時間ほどして降りて行くとその運ちゃんがニコニコして待っていてくれた。<br>　車に乗り内の奥さんが「明日カンチャナブリーにバスで行きたいが」と話すと「バスは辞めたほうがいい、私の知っているツーリストを紹介するからそれで行ったほうがいい」と言うので、年寄りもいるし、荷物もある、そして何よりこの運転手が信頼出来る人と感じたので、その会社に行ってもらう。そして明日のツアーの予約をし、結局目的のカオサンに行くのは辞めてジム・トンプソンの店に行きそこでその運ちゃんと別れる。最初言った金額に５０バーツ程プラスして渡したらニコニコしていた。<br><br>＊カオサン通り　世界の名だたるバックパッカーの聖地、旅行社やレストランがひしめきあいタイの若者の人気の場所＊ジム・トンプソン　１９０６年生まれのアメリカ人、建築家として活躍した後、諜報機関CIAの前身のOSSに転属し<br>　　ノルマンディー上陸作戦に従軍し、タイ支局長に就任。終戦後妻との離婚もありタイに残り、ホテル経営の後タイ<br>　　シルクの復興に専念しファッション業界から注目され映画「王様と私」の衣装として採用されるなど欧米諸国で<br>　　タイシルクの人気が上がり世界中で有名になる。しかしベトナム戦争の最中、マレーシアの高級別荘地「キャメ<br>　　ロンハイランド」の友人の別荘で忽然と姿を消し大規模な捜索にもかかわらず発見されなかった。CIAに暗殺され<br>　　たとの噂もあり定かでない。松本清張はこの事件にヒントを得て「熱い絹」の小説を書いたことでも有名。<br>　　そのブランドは高品質と優れたデザインで世界に名だたる人気を誇る。<br>
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<link>https://ameblo.jp/sugisan64/entry-11989345322.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Feb 2015 15:27:34 +0900</pubDate>
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<title>タイ、ラオスの旅</title>
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<![CDATA[ <br>　　　　　　<strong><font size="4">タイ、ラオスの旅</font><font color="#FF1493"><font size="2"></font></font></strong><br>　ここ数年私が自治会役員になってから、海外への旅行は以前に比べるとだいぶ少なくなった。今回も寒いから温かい所へ、と計画したのだが目的地は必然的にタイ、ラオスになった。内の奥さんが計画し、チケットもインターネットで取り、相手との交渉も任せっきりで「おんぶに抱っこ」の旅だった。<br>　バンコックには３年ほど前にスコタイで知り合った野中君が住んでいる。ラオスには静岡大学に留学していたパラデットと、義父がひょんな事から資金援助しゲストハウス経営が軌道に乗っているパンがいる。だから必然的に彼らを尋ねる旅になったのだが、突如この旅が大きなミッション（任務）を帯びた旅になったのである。<br>昨年１２月の中頃、小学校からの友人である吉田知ちゃんから突然電話があり「僕とは高校時代の友達で興ちゃんと共通点が２つある面白い男がいるから会ってみる？」との事だった。その共通点は？と聞いた所、一つは私の親父の小学校時代の教え子で、もう一つは２人が好きで尊敬する政治家がたまたま一緒だったのである。<br>二つ返事でOKしたのは当然の事だが、彼はその政治家の紹介で退職後カンボジャで農業をしていて<br>我々がラオスに行くことを知った彼も是非我々と会いたいとの事だった。<br>　１２月２０日、藤島さんと知ちゃん、そして我々夫婦がセノバで食事をしながら彼の仕事ぶりを聞いたのだが、７０才近くなり、一流会社を定年退職しその後単身カンボジャに渡り、一人農業に取り込んでいるその情熱に度肝を抜かれてしまった。一体何が彼をそこまで夢中にさせたのか？よっぽど儲かる仕事なのか？カンボジャでの一人生活に何か隠された秘密があるのか？、色々勘ぐってしまったがその時私が感じたことは「その有機農法にあるのだ」と思った。s<br>　それは「乳酸菌」を使った農法で、主にコンポスト（堆肥）とサイレージ（餌）に分かれる。前者は作物を育てるのに有効で、種を乳酸菌に漬けた後その種をまき、乳酸菌の堆肥で育てると成長が早く、使わない作物に比べると驚くほど豊かに育つと云う。又餌に混ぜて豚や鶏に与えると上質の肉になり、病気をしなくなり鶏の糞は臭くなくなる。そしてその糞を食べた魚は成長がはやく大きくなるので、循環農業が可能になると云う。<br>以上の事は受け売りなので間違っているかも知れないが、それを熱っぽくしゃべる藤島さんをみているとこの乳酸菌を使ったビジネスの凄さを予感させてくれた。それとこのビジネスを紹介してくれた大物政治家が「君は人柄がいいから是非やるように」と推薦されたらしいが同感である。<br>そして我々が今回の旅で泊めてもらうラオスのパラディトとは、彼が静岡大学に留学している時知り合い、彼が現在農林省の高級官僚であることを話すと、藤島さんは「是非この話を彼に話しラオスでこの農法を広めて欲しい」と熱っぽく語られ、その情熱に諭されてその気になってしまったのだった。<br>　なかなかタイ、ラオスの旅に出発出来ないが、もう少し彼との関わりを話そう。それから自治会の年末行事などで忙しい日々を過ごしていると藤島さんから「杉山さん１月５日に名古屋に一緒に車で行ってもらいます」と携帯に電話があった。「ラオス行きの件で会わせたい人がいる」との事なので詳しくは聞かないで承諾したのだった。<br>　そうこうしている内に年を越し、１月５日、静岡IN近くの洋服の青山前でやっと明るくなりかけた７時に車を待った。私の家はJR安倍川駅近くで待ち合わせ場所まで３０分位である。だから散歩がてらに歩いて行くことにした。この年になって真冬の早朝に外を歩く事などなく、まして安倍川の橋を歩いて渡るなど考えても見なかったが、橋を足早に歩いて行くと、しらじらと明ける冷気の先に鮮やかに真っ白な雪をかぶった富士山を見た時は一瞬立ち止まり霊峰富士に手を合わせてしまった。<br>７時ちょっと過ぎ、一台の車が泊まった。車中には藤島さん以外に２人おらた。運転しているのが古屋さんでカンボジャには太陽光発電の取り付けできて、藤島さんと知り合ったそうある。彼の紹介で天理教名古屋支部長に会いに行くという。もう一人の方はカンボジャの日本大使館で通訳をしている沢井さんと云う方で藤島さんのカンボジャでの活動をサポートしてくれている方だった。<br>その時は「乳酸菌農法」と「天理教」と「ラオス」がつながらかった。天理教名古屋支部は東名名古屋INから１５分位の名古屋市から尾張旭市に少し入った所で、小高い丘に建つ立派な建物でまるで出城のようだった。後で聞くと陶器で財をなした大金持ちの邸宅だった所を譲り受けたそうである。<br>お会いする方は支部長で宗教家との事だったので白髪の厳格な容姿を予想していたが、会ってみると私の息子位の年代で恰幅のいい青年で少し驚いてしまった。<br>　お名前は森井さんといい、男３人兄弟で２人が天理教に携わっておられ、今日お会いしたのは一番下の弟さんだった。もう一人のお兄さんは県会議員に今年出馬するそうである。<br>彼のお父さんが王政の時代からラオスで布教活動をしており、無医村を医薬品を持って回り、ラオス政府からは大きな信頼を得ていたのだが、１９７５年南ベトナムが陥落すると共和国が成立し、暫くラオス遠ざかっていた。しかし２００５年の名古屋万博でラオスのパビリオンが開設され、宿舎を提供した所、ラオスの代表でNO2の閣僚の方も「私も皆んなと一緒にいたい」と言って主催者から提供されたホテルを辞退し、この支部に寝泊まりし毎日通ったそうである。それと前後してラオス政府に「又ラオスに戻っていいですか？」と言った所「是非戻ってきて下さい、しかし共和制なので活動は結構ですが宗教法人の看板では出来ませんので」と言われ、ビエンチャンに日本語学校を開設しそこを起点に布教活動とコンサルティング業務を現在おこなっているそうである。今回も古屋さんの紹介で藤島さんのビジネスをラオスで展開出来るか話を聞いてみようとなったらしい。<br>２時間ほど会談し、森井さんも１月１５日位にはビエンチャンに行くので、そこでパラディトを紹介する約束ををして、天理教名古屋支部を後にしたのだった<br>
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<pubDate>Fri, 13 Feb 2015 14:22:41 +0900</pubDate>
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