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<title>アイツは今日もどこかで誰かと。</title>
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<description>人の日常は気になるものです。現実は小説より奇なりです。リアルさ追求。けど現実をどう小説風に表現するか、凝ってます。ちなみに21歳の男のリアルな色恋沙汰や思想、将来等たまに語るので、ドン引きしないでください(笑)</description>
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<title>求めよ、さらば与えられん（マタイ）</title>
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<![CDATA[ <br>「待ってるだけじゃ幸せは訪れません」ともっともな理由を言い放ち、合コンに行く女の子がいました。<br>&gt;そして彼氏が出来ました。今では幸せな家庭を築いておられます。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;ー５年前<br>&gt;「え、合コンとかチャラ。」そう女の子に言われた男は当時「チャラい」といわれることが一種のブランド（名誉）だと思っていたので、さして気にすることはありませんでした。目的なんてものはなくて短期的な利益（幸福）を求めていたのです。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;お察しの通り、女の子は同一人物です。「チャラい」扱いしていたその合コンが「幸せを求める場」に見えるようになった理由には触れませんが、その女の子と男はこの５年間何かを求めていたことは事実です。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;そして与えられた者とそうでない者に分かれた。求める力の差でしょうか？<br>&gt;「強く願えば、叶う」なんてのもその類でしょうが、腑に落ちません。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;求める前に与えて見たら良いのではないでしょうか？<br>&gt;<br>&gt;ギブアンドテイク よりも テイクアンドギブなんてことを心がけている人もいらっしゃいますね。<br>&gt;<br>&gt;これはこれで「要は見返りを求めてるだけでしょ」と冷めた意見は当然出てきます。<br>&gt;「俺、お前の誕生日祝ってやったのに、なんで俺の誕生日祝ってくれないの？」みたいな具合。<br>&gt;祝ったことすら台無しになって関係崩壊ですね。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;はい、そうです。【見返りを「求めている」】のです。その時点で求めたからといって与えられるわけではないのです。とは言え、求めずに待っていても上述したように与えられるわけではない。<br>&gt;よくある事例で簡単に反論できてしまう言葉がなぜ名言なのかなと思った次第です。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;それでもやっぱり求めるべきでしょうね。生きがいとか考えるならば。<br>&gt;そして、ただ単に待つのも悪いでしょうから、人に与えてれば良いんでしょうね。<br>&gt;なので、求めるのは必然と見返りになるのかもしれませんが、与えた人からリターンが来るとは限らないってことだけ考えれば、良いと思います。簡単な転換です。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;友人Aの誕生日を祝ったから自分の誕生日をAから祝われなきゃいけないなんて考えてると損です。<br>&gt;祝われたことに感動したAは友人Bの誕生日を祝い、それに感動したBがあなたの誕生日を祝うのかもしれませんからね。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;なんたって神様は世界全体が幸せになることを願っている視野が広すぎるんですから、自分だけが幸せになろうと自分の近くしか見ない視野の狭さでは、自分が与えたことで結果世界全体が幸福になったことに気づかないのだと思いますよ。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;話は少し飛躍しますが、求めるより与えていた方が充実しているように思いますよ。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;例えばディズニーランドは楽しいですし、風立ちぬは感動しますし、フランス料理はおいしいです。<br>&gt;だからといってそれを楽しみに、求めているのは薄いな、と思います。<br>&gt;否定はしませんが、それらはある程度の金を払えば「誰でも」経験出来ますからね。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;逆に、何かを与える時というのは否が応でも自分で考えますし、自分で行動しますし、結果自分らしさが出るので、自分の人生歩みたいならそれがベストだと思います。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11624232442.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Sep 2013 17:15:36 +0900</pubDate>
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<title>群れたカラス</title>
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<![CDATA[ <br>&gt;もうすぐ引っ越しです。１ヶ月後には戻ってくるものの東京に家がない状態にものすごく不安があります（笑）<br>&gt;都内の大学生が特にイキイキ（方向違いの暴走？）してるのは「大学生になった解放感」の他に「上京」というイベントあるいは「一人暮らしの解放感」があるからではないかと思います。嫌ですね。<br>&gt;<br>&gt;私自身は「東京」という存在が地理的にも精神的にも近いものでしたので「上京」というイベントには影響を受けませんでした。そう思ってました。地元に帰ることも飲みに行く程度のノリでしたし、だからこそ日帰りなんてことも普通にしていました。<br>&gt;<br>&gt;しかし東京に住む家が無くなるいま、この大空位時代、はじめて東京を「観光」という視点で捉えています。行ったことがあるにも関わらず行ってみたい。それが学生から社会人にあることが原因という見方も出来ますが「<br>&gt;tokyo」に今になって魅せられています。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;今日はそんな話ではありません。<br>&gt;都内の大学生が特にイキイキ（方向違いの暴走？）云々。<br>&gt;チャラついてる飲みサ—<br>&gt;やクラブで遊び呆ける「渋谷なう」が口癖の学生を想像していただければ良いです。何もそれらの行為、行動を否定するつもりはなく、彼らの大半は群れてないと何もできないよね、ひとりでできないもん！だよねという事が言いたいだけです。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;「寂しさ、孤独感」というものが彼らにはあるのだからそっとしとこうという気持ちはあります。しかしそんなこと知りません。それらの感情があるからこそ共通点（地元、バイト、学校・学部・学科、知人）があると即友達認定、１回会ったら友達みたいなことして、群れていくのでしょうね。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;社会人でもそうですよ。１時間程度しかないランチの時間を８人とか大人数で動いてたら効率というか時間活用できなくなるでしょ。大概一番上の位の人の独壇場で終わるのだから。今日はこの人と食べてこういう話をしよう、聞こうみたいに２，３人の少人数で動いた方が有効活用だと思いますが？<br>&gt;<br>&gt;それともなんですか。「みんなで食べるとおいしいね」ってやつですか。みんなで食べてるときって味わってないし、そういうこと言う人って頭悪そうだしそもそも味覚信用できないし、そういう人と食べることでおいしさもテンションも上がらない。そしてぼっち飯の方が味わえるから私は好き。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;ただ、そういう集団の中でうまく生きる技術も必要だとは思います。様々なタイプの人間を相手にする力はないよろあった方が良いですからね。有象無象・魑魅魍魎が世の中蔓延ってますよ。そういう視点からも待機児童の問題は解消しなければいけないと思います。この問題で杉並区役所前で母親たちがデモを起こしたそうです。主婦は強し。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;だから結婚したくないなー好きな人に主婦という身分になって欲しくない。お互い身軽に生活したい。妻より彼女の方が響き的に好きだ。いつまでも若くいたい（笑）イギリスで暮らすことを夢に持ってしまった僕はより結婚願望が薄れた。<br>&gt;<br>&gt;あ、小林薫死刑執行<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11475258274.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Feb 2013 12:37:20 +0900</pubDate>
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<title>いざ、キャバクラ</title>
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<![CDATA[ <br>&gt;下ネタが嫌いだ。別に内容を聞いて嫌悪感を抱いたり、また興味がないわけではない。嫌いな理由の一つはそれを話すうえで「下品な言葉」を使わなければならないことに抵抗があるからだ。かといってそれら固有名詞を医学的な正式名称で言うのも冷めるだろう。そういうことだ。<br>&gt;<br>&gt;しかしその下ネタが男同士のコミュニケーションを高めると昔とある記事で読んだことがある。その雑誌は社会人といってもオヤジたちが読者であろうものなので変態オヤジ用に作られた記事といえばそうだが。わからなくもない。<br>&gt;飲み二ミケーションという言葉がそれを証明しているようなものだ。自分がその界隈でアルバイトをしていることからもわかるが「会社の飲み」で来る人は必ず下ネタを話す。会社の話から始まり、説教を挟み、酔って下ネタ。気分高揚いざ、キャバクラ。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;飲むことが付き合いであり、そこで上司と仲良くすることはあまり好きではないが、確かにそれは一面の真実である。飲むことが下ネタを話すことやキャバクラに行くことに繋がるのであれば、下ネタを話すことも仲良くするために必要なツールとなる。やれやれだぜ。<br>&gt;<br>&gt;なぜそのような行動で仲良くなるかなんてことは単純に「素」を出した、腹割って話したと思いこむからである。<br>&gt;誰にでも性癖や好きな女性を話すことはまずない（あるとしたらその人は社会人として信用されない）のだから「心開いた、開かれた」と双方が感じることが原因である。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;最近はセクシー居酒屋や巨乳ラーメンバーなどわけがわからないセクシー系の店が多くあり「社会人の溜まり場」が増えているので余計にそういう機会にあうことは多いだろう。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;そもそも「溜まり場」でない限りそれらセクシー系な店が存在する意味はない。<br>&gt;昔のことはよく知らないが少なくとも江戸時代には花魁たちで有名な浅草の「吉原」は現代のセクシー居酒屋というよりはまさに風俗。ソープあたりであろう。<br>&gt;大体金を払うのであれば即物的欲求（性欲）を満たすことがリターンであり、客の男たちはそれを目当てなはずだ。なのにそれがない、ただ女の子と話すだけでリターンが何なのか不明なキャバクラがなぜ存在するのかは「性欲薄め、髪薄め、女友達少なめ」な孤独おじさんに聞くしかない。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;それにセクシー系のなにが面白いのだろうか。「見えそうで見えないのが良い」という男の意見は存分に理解しつつも、そもそも胸がエロ要素な意味がわからないし、脚も綺麗に越したことはないにしてもそれ見て幸せな気持ちになるほど心渇いていない。これを言うと誤解が生じるが、正直女性のカラダがエロいと思わない（笑）だから今流行りの檀蜜はマツコデラックスの縮小版で話が深そうとしか思わないし、ＡＫＢ４８の河西智美の手ブラで興奮も、仮に男の子の手を消して全部見えたとしても何も感じない。（それは河西智美だからか？は謎）<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;「男性ホルモン薄め、髪濃い目、女友達多め」終わってますね、思われてるほど性欲も強くない、某編集者「たられば」さんのツイートを参考にすれば「射精欲（性欲）は枯れても、異性との接触欲（必ずしも性欲ではない）は消えない」みたいです。そこにキャバクラの存在意義が見出せるのではないだろうか。<br>&gt;<br>&gt;以下、文憲広告社発行の「ＤＯＫＩＰＯＫＥ」という中央線・山手線エリア地域密着のフリーマガジンを参照。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;逆を考えて見たい。これぞ先進国、男女平等の証明ｗではないかと思われるサービス、ホストクラブや出張ホスト（という名の…）の存在意義。<br>&gt;アンケート（１９～３２歳女性対象）によればホストの顔を気にする、つまりイケメンかどうかを気にする人は５０%<br>&gt;だった。あれだけ髪と顔に時間と金と時に命賭けてるのに半分の人はそれを見てくれないなんて…。<br>&gt;「なぜホストクラブに行くのか」の問いの多くはストレス発散、寂しいから、病んでるからという答えだった。つまり優しさ（理解）を求めに来ているのである。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;そこから世の男たちは長年寂しく、病んでいて、ストレスを発散したいということが言える。だから江戸時代にはなかったキャバクラがある。それまでは性欲だけ満たすお店があれば良かったものがそうではなくなったのだ。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;そうなったことでどうなるか。「夜の世界」で働く人口が増える。そしていつの世も若くて元気のある子が求められるのがその世界。そうして大学入ってすぐ働くようになり、先日までの先輩と見た目が違うことに影響を受ける高校生が出て、それを兄・姉のそういう姿を見た中学生も刺激を受け「若年層の性経験の問題」につながるように思われる。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;例え大学生でも月１００万稼ぐのだからね。アリバイ会社、親や恋人には完全秘密保証、罰金制度、夜の世界専用アパート及び斡旋会社、おじいちゃんおばあちゃんが営む古臭い定食屋がなぜか２３時から朝７時営業、およそ２０<br>&gt;%のサービス料にプラスされる税金、そうした強固な壁に覆われた世界にはエロノミクスでインフレ状態である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11450422149.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Jan 2013 18:14:50 +0900</pubDate>
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<title>現実を否定する男とシンデレラストーリー好きな女。この世に魔法使いはいない</title>
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<![CDATA[ こんばんは。今回は書きたいことがたくさんありすよ（笑）<br>&gt;ゆとり教育ＶＳ詰め込み教育、少し寄り道をして、所得格差、格差婚。主にこれらについて書きたいと思います。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;「これだからゆとりは」と批判されることって意外と多いです。しかし「さすが詰め込み教育」と褒められることってないですよね。「人は人の良い点を見ず、悪いところばかり見る」という良く言われることが理由なのかと最初は思いましたが、おそらく違います。<br>&gt;<br>&gt;ゆとり教育ｖｓ詰め込み教育の話をしているしている人が（言葉は悪いですが）知能の低い、下劣な人が多いからだと思います。だから人の批判ばかりしている。<br>&gt;「自分がバカになったのは当時ゆとり教育を推した大人たちのせいだ」ｖｓ「私は詰め込み教育の落ちこぼれだがゆとりには負けない」という戦いではないでしょうか。もちろん学者先生が真剣に議論していることを除いて。<br>&gt;<br>&gt;要するに、教室内で。テストが返却されたときに高得点者はおとなしく自身の成績を見つめているのに対し、クラスのバカたちは無駄に点数の悪さを競い、騒いでいるよくある状況なワケです。「俺１００点だぜ」は聞かないけど「俺１５点だ」といってクラスに笑いが起きている場面はよくありました。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;ってことはです。時代が同じであれば彼らはゆとりｖｓ詰め込みなんてしないで仲良くバカを競い笑い合っていたはずです。<br>&gt;メディアは「３Ｓ」をすれば売れる。という話を聞いたことがあります。３Ｓとはスポーツ、スキャンダル、セックスです。人々が好きな理由はわかりますよね？でも特にこういう話が好きな層って想像つきますか？<br>&gt;教室内で点数の低さを争っているタイプ（層）の人間じゃないかと思います（失礼ですがｗ）<br>&gt;<br>&gt;日経新聞購読者がインテリとは思いませんが、日経新聞にグラビア写真や芸能人のスキャンダルはまず見ません。まるで漫画を読むように新聞が読める某カラ—<br>&gt;のアレはまさに３Ｓですよね。じゃあそれを読んでいるのは誰かという話です。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;もっと言えば安い大衆酒場で飲んでるサラリーマンの話は大概スポーツ、女、政治と会社の愚痴、昔の武勇伝であって、お洒落なバーを飲み歩いてるサラリーマンとは違いと思います。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;だからゆとりｖｓ詰め込みをしているなら仲良くキャバクラへ行け！と言いたい（笑）<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;ではなぜ彼らは人を批判することが好きなのか。様々な要因はあると思いますが、「低所得者」というのがキーワードではないかと考えます。データは見ておらず、イメージです、失礼します。しかし大衆酒場とお洒落なバーの例えからも連想できます。<br>&gt;低所得者は嘆いている。経済面で結婚できるか不安、なにか自分が社会の底辺に居る気がして嫌だ。だから心が卑しくなる。人を批判する。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;怖いです。どんなに自分のやりたい仕事で楽しんでいても、他人はその人の勤め先のブランド、年収くらいしか見ないのですから（笑）そりゃ嫌になりますよ。<br>&gt;それだけじゃないと思います。こういった人たちって若いときやんちゃ系で何かクラスの人気者だったり、目立つ存在だったから人より上の地位にいる快感を知っているんです。だから自分が社会の底辺にいると思うと、昔の栄光にすがりたくなり、現実から目を反らすために現在を否定する。<br>&gt;<br>&gt;もちろん一部の話であり、私のイメージでしかないですし、それらを否定するつもりはありません。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;おもしろい話をtwitter<br>&gt;で昔見ました。「東大生は学生時代モテナイが、卒業してからモテる。医学部生はモテナイが、医者になったらモテる」この大きな進化を例えてギャラドス現象というらしいです（笑）<br>&gt;ギャラドスとはポケモンのキャラクターで、冴えない顔したコイキング（ここでは恋キング）がとてもかっこいいギャラドスに進化するという意味です。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;こうして立場逆転、格差形成し大人になる。格差婚の話になります。<br>&gt;私の素直な意見です、「うざい」<br>&gt;知性、教養もない女が「高収入」を求める様は、豚がライオンになりたいと願っているようなもので、文字通り「食われて捨てられろ」と思います。<br>&gt;<br>&gt;あるデキる女性が言っていました。「私が有名大学に入って有名企業に入ったのは、その環境にいるデキる男と結婚するため。そしたら私は仕事を辞めて、自分の経歴は気にしない」と。<br>&gt;<br>&gt;これくらいしなさいよ。シンデレラストーリーを夢見るのは良いがシンデレラも魔法にかからなかったらただの貧乏少女。じゃあこの世に魔法使いはいるのか？いないのにどうしてあなたがシンデレラになれるのだろうか。<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;逆もそうですよ。人間性、知性を磨こうと努力しない男が「かわいい紹介して」<br>&gt;<br>&gt;は？<br>&gt;<br>&gt;<br>&gt;最後にひとつだけ。（杉下右京風に）<br>&gt;貧乏な暮らしをしていたシンデレラと豊かな生活をしてきた王子。考え方、価値観、果ては常識まで違うふたりが本当に幸せになれたと思いますか？夫婦・カップル喧嘩の理由って価値観、考え方の違いじゃありませんか？<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11421591444.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Dec 2012 21:03:29 +0900</pubDate>
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<title>「ディズニー行くと別れる」という都市伝説</title>
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<![CDATA[ ディズニーランド・シーに関しての都市伝説はたくさんある。<br><br><br>臓器売買している、地下にカジノがある、カラスが来ないのは超音波によるものでその副作用で子供が異常にはしゃぐなどなど。キレイものを汚したい人間の性というかなんというか。みんなに人気のミッキーを怖いものにしようと皆さん必死です（笑）<br><br><br>僕自身それがホントであろうと興味無いんですけどひとつだけ、昔から言われる都市伝説が気になっています。それが「ディズニー行ったら別れるよ」です。<br>いやいや…と思ってはいますが恐らく一般的な意見はこうだと思います。<br><br><br>・待ち時間が長くてイライラする。<br>・歩き疲れる。<br>・１日中いるし、並ぶし、会話が無くなるする。<br>・受験のとき周りが頭良さそうに見える原理で、周りの多くカップルが自分たちより幸せそうに見える。<br>・余計にイライラして喧嘩する。<br><br><br> 確かに最もだと思いますが、でもすごく気になるのはディズニーで喧嘩したらその後どうなるんだろうということです。沈黙のまま、無表情でスプラッシュマウンテンの写真に写るんですか？まさか帰るんですか？<br> だから例えその場で喧嘩になっても喧嘩するムードでない以上お互い（妥協して？）すぐ仲直りすると思うんです。<br><br><br>僕が思うに、本当に怖いのはその後です。<br><br><br>例えば９月１日も９月２日も時間割の都合はあるにしても学校生活は変わらないでしょう。同じく月曜日も火曜日も仕事の内容はさほど変わらないでしょう。なのに９月１日の学校と月曜日の仕事は憂鬱です。それは夏休みが終わったあとだから、休日が終わったあとだからです。実感したことありませんか？<br><br><br><br>つまりこうです。普段田舎のイオンで映画見たり、街のレストランでディナーしたりしていたカップルが、みんなが行きたい最高レベルのデートコース、ディズニーを経験する。すると今まであれだけ楽しかった、幸せを感じたイオンでの映画、ディナーなどが急に小さいものに見える、しょぼくなる。そうなると普段の生活が何かつまらなく思えて、それが恋人の魅力減少と錯覚を起こし、別れる。<br><br><br>僕自身いますごく感じているのが、人生遊びすぎたのでもう何してもそんなに楽しくないということです（笑）<br>カラオケ行くのにテンションが上がっていた昔。今は暇つぶしです。<br> 飲み行くのも楽しかった昔。今は懐かしい人との再会とか誰かの祝い事とか、その遊びから得られる純粋な楽しさプラス何かのイベントごとという楽しみがないと気乗りしません。<br><br><br><br> 僕は一般的に社会人も学生並みに楽しめると思います。もちろん時間の制約がある分社会人は自由でないかもしれない。しかし貴重な時間だからこそ楽しさって増すと思います。<br>しかし僕自身はそんな気がしない。どんな遊びも飽きました。ですから転換期だと思っています。趣味、嗜好の。<br><br><br>締めとして一言。要は「山場」をどこに持ってくるかの問題です。人生でいちばん楽しいとき、カップルとしていちばん幸せなときその絶頂期を間違えると少し辛いのかもしれないですね。もちろん絶頂期なんて自分次第でいつでも作れるので、いつまでも楽しむことは出来ます。ただ、飽きます（笑）<br><br><br>
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<pubDate>Fri, 31 Aug 2012 19:32:21 +0900</pubDate>
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<title>悪魔の天才児「土日休重要性」</title>
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<![CDATA[ フジテレビで現在放送されているドラマＧＴＯ。反町のときを知っている世代からしたらつい一言申したくなるのはわかります。しかし私はもう完全にハマってしまっています（笑）中でも昨日の「神埼麗美編」は前作にないせいかとてもスカッとした。「悪魔の天才児」役をnon-noモデルの本田翼ちゃんがやるというのもまた秀逸である。<br><br><br>さてさて世間ではお盆ということで、社会人はハメを外し、学生は夏休みのラストスパートということでさらにテンションを上げているのではないでしょうか。また親戚が一堂に会し甲子園を見るなんてのも風情があるというかなんというか。お茶の間にテレビありとはいつまでも変わらないでもらいたいですね。<br><br><br> 考えたことありますか？テレビも２４時間年中無休であるということを。<br>今日の本題はこれです。「土日休みの重要性」<br>私は子供の頃、自分自身はもちろん両親も土日休みでしたので国民は土日休むものだと思っていました。土日はどこも混んでいたのも理由のひとつです。<br><br><br>しかし実際に大人になれば、というより自分が社会人に近づくにつれ「現実」を知ります。土日休みがない人が意外と多いことに。そういう人の言い分（自己正当化）は「平日休みなら旅行も安く行けるし、テーマパークなんて人が少ないから遊び放題だ」です。しかし当然、一緒に行く人も少ないわけです。<br><br><br> ただでさえフリーな時間が少ない社会人は自分と生活リズムが合うヒトとしか関わりません。昼型の人間と夜型の人間が関われるのは学生のうちだけであるように。社内恋愛が多い理由のひとつにこれがあると私は思います。旦那は昼間仕事して、妻は夜仕事をしていると聞けば、あぁ関係は冷え切っているなと思ってしまいます。もちろん家庭の事情でそうせざるを得ない現実もあるでしょうが、フリーな時間が同じであれば一緒に出かけることも出来ますし、一緒に居る時間が増えますね。<br><br><br>では「土日休みでない職業は？」と問われたらあなたは何を連想しますか。様々浮かぶと思いますがその多くがサービス業ではないでしょうか。飲食店、ス—パー、旅行会社などなど。飲食店に代表されるサービス業のイメージを挙げてみると<br>・長時間労働<br>・土日出勤<br>・お客様が絶対<br>・フリーターやバイトが多い<br>あたりですね。実際ネットにあるブラック企業ランキングなるものを見ているとサービス業は多くランクインしています。<br><br><br> しかしです。ここでテレビは２４時間営業であるという話に戻りますが、マスコミ業も土日休みではないんですよ。すごく華やかな業界そうで実際はすごく大変。休みが合わなければ夫婦関係は冷え切るのではないかという話をしました。実際福利厚生で悪い噂があるサービス業よりマスコミ業界の未婚率の方が高いです。それぞれ４５．６５％です。<br><br><br>私は中学の時から編集者、コピーライターに憧れていました。しかし過酷な労働環境、実際３日徹夜、家に帰れない、夜突然の電話もあるのでよく眠れないなんて話はたくさん聞きました。このような理由で夢は断ちました（笑）学生のうちならこのような生活なんてことはないでしょうが、社会人になったら落ち着きたいというのが私の考え、思いでしたのでね。<br><br><br> ではなぜサービス業とマスコミ業でここまで未婚率に差が出るのか？<br> 答えは簡単です。サービス業はバイトに任せれば社員は土日休めるからです。私は高校ではガソリンスタンド、大学では飲食店でアルバイトをしていますが、社員の方は「アルバイトは土日出るものだ」と思っています（笑）<br><br> 余談ですが最近やたらと「激安居酒屋」が出現していますよね。あれ、人件費がそんなかかっていないからなんです。セントラルキッチンというやり方で店ではほとんど調理しなくて済むため、バイトでも出来るようになった。また注文はタッチパネルのため「ホールスタッフ」も数は必要なくなった。<br><br><br> そういった仕事が単純化していくと土日休める社員が増えます。しかし大きな目で見るとそれは雇用の減少となるので少し危惧するところではありますが。しかしマスコミはそれが出来ない。アナウンサーをアルバイトにやらせたり、新聞のレイアウト、ネタの優劣をアルバイトが出来るはずがありません。世の中に情報を発信するという責任ある仕事である以上、責任をとれる社員がやるしかないのです。例えそれが深夜早朝の仕事であっても。<br><br><br> もっとも芸能人なんていつ休みなのかわかりませんよね。えぇ来週のＧＴＯでも神埼麗美、つまり本田翼ちゃんが中心に話が進むので楽しみです（笑）では、八月後半、夏後半をお楽しみあれ（＾◇＾<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11329205872.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Aug 2012 18:15:36 +0900</pubDate>
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<title>田舎モンと都会ジン</title>
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<![CDATA[ 数日間、鳥取と島根を観光していました。とても田舎で、電車の１時間待ちは当然で、バスは１日に４本しか出ていないものもありました。そんな文化に触れて、いよいよ書く時がきたか…と思いましたのでこの「田舎者と都会人」テーマを書こうと思います。<br><br><br>と、言いますのも私は高校を卒業して上京したわけですが、その生活を始め都会に良い感じに染まって（慣れて）行けばいくほど地元に残っている友達との距離を感じてしまうことがあったからです。つまり触れてはいけない話題なのです（笑）ある意味地元にいる友達を卑下する内容になるかもしれないわけですから。<br><br><br>ではなぜその「距離」を感じたのか。それは私が地元に帰り、地元の友達と遊んでいると「東京は良いなー」とか「栃木は何もないし」みたいなことを聞いていたからです。まるで田舎に住んでいることに劣等感を抱いているかのようでした。<br><br><br>たしかにそれはあると思います。都会に憧れる理由みたいなものは確かにあります、でもそれは夢物語のような気がしないでもないですけどね。いくつか例をプラス面、マイナス面と共に挙げてみましょう。<br><br><br><br>・都会はなんでも揃っているから<br>&gt;田舎では映画を見たければ車で何時間、スーパーまでは車で数十分、コンビニはもっと遠い、学校帰りにゲーセンやカラオケなんてないという現実は多々あります。一方都会ではコンビニは歩いて数秒、学校帰りに寄り道する場所、デートコースはいくらでもある。だから都会楽しそう、良いな。という理由<br><br><br>けれどもそれが良いことかと言ったらそうでもない。確かに不便であるから人々のニーズをカバーできない。行きたい大学が地元にないから上京する人がいるように。潰れない八百屋さん、駄菓子屋、下校途中に公園で遊び、話した思い出。それは決して悪いことではないと思う。（私は嫌いですがｗ）まぁ栃木の場合ですと車ですぐ都会に行くことが出来るので私は劣等感みたいなものはなかったです。その田舎独特の人間関係も嫌いではないですし。<br><br><br>・さまざまな出会いがある<br>「東京で大学生してたら合コンばっかだろ？」「芸能人に会った？」は地元の友達が良く言っていたセリフ。都会に出れば奇抜なファッションの人、かわいい子、イケメンそれはもうたくさん居る。一学年４０足らずが当たり前な中学生活をしていたら考えられない、多くの人との出会い。たしかに現実としてそれがある。ただ、それが良いことかと言うとそうだろうか。<br><br><br>実際私は「多くの価値観、考え方に触れた方が人間として成長できる」と考えているので多くの人と知り合える都会が好きだ。けれどもみんながそうではない。先に言っておくと「孤独死」が多いのは人が多い都会でよく起こるのである。つまり人間関係の濃淡。マンションの隣人の顔を知らない都会人、同じ町内の人の噂なら全部知っている、噂の感染速度が高速な田舎。良くも悪くもあるけれど、人が少ない中で孤立するのと、人が多い中で孤立するのとではレベルが違う。<br><br><br>このように田舎者が劣等感を抱く理由としては<br>・すべてが揃っている都会に住む人は（自分たちが持っていないものを含めて）すべてを手にしているという誤解<br>・実家の他に住む家があるということは、自分たちより広い世界を知っている。だから上京した奴は自分たちより世間を知っているという誤解<br>があると思います。では次に都会人と田舎者の人物像について考えたい。<br><br><br><br>一般的に田舎者はのんびりしていて、都会人はせっかちであると言われている。間違ってはいないからそこに触れることはしないとして…いくつかのテーマに分けて論じていきます。<br><br>・不便だとグレる？<br>「田舎のやんき—」って言葉が良く使われています。なんとなく想像はつくものの「都会のやんきー」と何が違うのか。品？常識？視野の広さ？正直私にはわかりません。しかしヤンキー＝田舎という考え方は出来るかなと思います。<br>例えば、中学生が夜の７時まで遊んで家に帰るとする。都会であれば電車は待つことなくすぐに来て、駅から家までの距離はそう遠くないからすぐに帰れるだろう。一方の田舎。７時まで遊んで帰りの電車は１時間待ち。駅と駅の距離が長い田舎は駅数の割に時間がかかる。さらに駅から家での距離がバカみたいに遠いと自転車で何十分とかかるであろう。（私の場合実家から駅まで自転車で３０分はかかる）。そうなると帰宅時間が遅くなるのは必然。かと言って夕方５時になったら遊ぶのをやめろというのは無理な話だ。<br><br><br>それに中学生と言えば少しスリルを感じたい時期でもあり、夜遊びに興味を示す頃。帰宅時間が仕方なく遅くなっているにしても「夜」を感じる時間は都会より多い。そして高校生にもなれば駅と家までが遠いために交通手段として「バイク」が手に入る。しかし高校生にもなれば自我が目覚め「人とは違う自分らしさ」を求めるようになり、それがバイクの改造となる。交通手段が手に入っても遊び場がないことに変わりがないため、ただバイクで暴走行為をする、友達の家、コンビニ前でたむろする。人口が少ないため「井の中の蛙」状態で自分がいちばんだといきがる。これが「田舎のヤンキ—」誕生のメカニズム（笑）<br><br><br>・キャリアウーマン＝都会の女のイメージ<br>女の子というのはどこに住んでいるにしろ、かわいくいたいし、恋をしたい、幸せでいたいという思いは持っているのではないだろうか。私は田舎の女の子って働き者だなと思うことがある。同じ働き者といってもキャリアウーマンは都会にいる。パートのおばさんと聞くとどこか田舎っぽく感じるのは私だけだろうか。<br><br><br>田舎の学生の地点から考える。かわいくいたい、恋をしたいならばお金は必要だ。可愛い服は少し栄えた大きいアパレルショップにしかない。ならば交通費もかかるし、物価も住んでるところより高いだろう。しかし住んでいるところは田舎だから時給が低い。ということは例えば１万円のモノを買う時に、時給１０００円の都会少女は１０時間だけ働けば良い。しかし時給７５０円の田舎少女は１４時間ほど働かなければならない。という点もあれば。<br><br><br>アルバイト先には田舎故に常連さんしか来ない（なかなか田舎に新規客は来ない）。お店にとって常連客を失うのは大ダメージ。店員と客の関係が深いため、愛想の良い接客をする田舎の少女。一方客に愛想良くしなくても新規客が多い都会少女は、客に媚びないし、出会いの多い都会故人との接し方はプロなため客との対話もテキトーに笑顔で流す。つまりやる気があまり見えない、感情を排し機械のように働くのが都会少女。という見方もある。<br><br><br>こうした少女たちが大人になる。真面目に愛想良くしていた優しい田舎少女が、やれ利益やれノルマといったガツガツしたビジネスの場で生き残れるか？否、パートのおばさんがベストポジション。人との接し方、機械的業務のこなし、そういう観点から都会少女はキャリアウーマンへ。<br><br><br>どちらが正しいとかそういうことはないと思います。ただ田舎で育って、都会で生活している今はけっこう幸せである。あのまま田舎の閉鎖的空間で暮らしていたら経験できなかったことも実際に出来たと思えるからです。しかしだからといって優越感に浸ることないでしょう。同じく田舎にずっといることに劣等感を抱くこともないでしょう。でも気になることがひとつあります。実際に田舎の若者はどう思っているのかということです。<br><br><br>都会というきらびやかなところは楽しそう、便利で良いな…。島根県に大森地区という江戸時代の街並そのままののどかな場所があります。そこにパソコンがあるだけで少し奇妙な光景になるほどの田舎です。私はそこを訪れてある昔ながらのお蕎麦屋さんに入りました。そこには私と同年代のアルバイトが２名いました。<br>ひとりは女の子。私のことを食いつくように見ていました。本当に田舎で全校生徒数名の木造校舎の学校に通っていた人からすれば「知らない若い男」に会う機会というのはあまりないのでしょう。珍しがっていました。<br><br><br>もうひとりは男の子。都会にいそうなオシャレさん。コンビニはもちろん最新の雑誌が売ってそうな本屋もないこの町であれくらいオシャレで居るには、テレビ、ネットで見るか車でわざわざ遠出して雑誌やショップに行くしかないでしょう。その現実をどう受け止めているのだろうと私は少し考えました。<br><br><br>話は少し変わりますが、東日本大震災。仮設住宅を映す時に出るのって小さい子かお年寄ですよね？なぜ若者は映さないのでしょう。見ても同情が買えないからそもそもみんないない？遊びたい盛りの若者の仮設住宅生活のリアルを私は知りたい。便利と不便の差で都会と田舎の生活に差が出て、田舎生活に劣等感を抱くならば、ここでのリアルはとても大切な答えとなる気がする。<br><br><br>田舎の町は知らなくても「東京」という都会を知らない日本人っていないですよね。だからこそ東京暮らしってある種ブランドがついてるのだとおもいます。おそらくそれだけなんだとおもいます。きっと。<br><br><br>しかしそれでも「住めば都」という言葉を完全肯定することは私にはできません。<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11324916208.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Aug 2012 14:53:56 +0900</pubDate>
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<title>さぁサンタクロースの証明を始めよう</title>
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<![CDATA[ サンタクロースはいるのか？この問いに季節外れの夏にあえて触れてみたい。<br>そもそものきっかけは日本推理作家協会の「Ｂｌｕｆｆ 騙し合いの夜」というミステリー小説の短編集の中にある「パラドックス実践」という門井慶喜氏が描いた話である。<br><br><br>この話、実は私が中学のときに書いてみたいと思った話と似ている。例えば一般的な学園ドラマといえば、不良生徒が主役で、彼らを教師が立ちなおさせるというストーリーである。<br>一方でこの話、それに私が書いてみたいと思った話は「生徒がとてつもなく頭が良く、それについていけない教師が悩む」といものである。<br><br><br>この「パラドックス実践」の中である生徒が教師に対して問う。「サンタクロースはいるのか証明してください」<br><br><br> 私が小学生のとき、やんちゃでクラスでは目立っているような生徒があるおとなしい女の子に「サンタクロースなんていねーよ、あんなの親がやってんだよ」と言った。まだ小学校低学年だったため、信じている子はたしかに何人かいた。私は親がやっているのは知っていたがその女の子がどうも可哀想で、というのもそのやんちゃな生徒が嫌いだったから（笑）言った。<br>「ってことはサンタクロースはいるってことだよね？」<br>つまりこうだ。サンタクロース イコール<br>親。ならば親が存在するならサンタクロースは存在するということだ。ずいぶん理屈っぽいが小学校低学年の、しかも頭の悪い生徒を黙らすには十分な理屈であった（笑）<br><br><br> つまり定義の問題である。<br>サンタクロース＝クリスマスにプレゼントを運んできてくれる人<br>であれば佐川急便の配達員がもしかしたらサンタクロースになるし、サンタクロース＝赤い服着てトナカイと居る人であれば、そのような人は皆サンタクロースである。<br><br><br> 太陽が東から昇って西に沈むなどという不変の真理は無理だが、曖昧なものは自分の判断基準でどうにでもなる。だからこそ人には「集団の意見に簡単に合わせてしまうようなこと」はしてほしくない。<br>どんなにテレビが言っていても、どんなに偉い先生が言っていても、自分で考えてみよう。<br><br><br> オリンピックでメダルを取ることが絶対ですか？<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11319538273.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Aug 2012 01:22:25 +0900</pubDate>
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<title>モー娘。は恋愛革命を起こしたのか？</title>
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<![CDATA[ 久しぶりです。ふと思ったのですがモー娘。って恋愛禁止でしたっけ？<br><br><br>今日の話は軽い恋愛史です（笑）<br>まずはじまりはバブル期です。金遣いは荒く、遊びまくるサラリーマン。この頃はまだまだ男性社会色が強かったためか女性のカラダは安く買われ、性の価値が低下していたのだと思います。「愛なんていらねぇよ、夏」なんてありましたからね（笑）<br><br><br><br>その性が軽視されていることに警鐘を鳴らしたのが雑誌an anではないでしょうか。「愛のあるセックス」という言葉を流行らせたのがan anという話を聞いたことがあります。愛こそすべて、愛は誠。人々は、特に女性は愛を求めるようになります。愛に溺れます。愛のないセックスなんてしない、愛してくれるオトコが欲しいと思いながらもそう簡単に愛が見つけられたら苦労はしないわけです。いつしか愛を見つけられた人とそうでない人の格差が広がり「恋愛二重構造」みたいなものが出来たのではないでしょうか（笑）<br><br><br>女性の社会進出も拡大し、恋する権利も余裕も出てきたことでそれなりの「オンナとしてのプライド」を持つようになったことも要因のひとつではないかと思いますが恋愛の数が減少してきます。<br><br><br>そこに待ったをかけたのがティーン雑誌のエロ特集、あるいは少しの時を経て出てきた女子高生のリアルを描いたケータイ小説です。これらは「若者は愛なんてなくてもヤリまくってますよ」というメッセージを与える目的であると思うのです。恋愛しようと思えばオシャレをするため雑誌に掲載された商品が売れるため、あるいは真面目に若者の読書離れを引き止めるためなど様々な要因が考えられますが、とにかくこういったブームが来ます。<br>決定打はモー娘。ＬＯＶＥマシーンや恋愛レボリューション２１などで「みんなで楽しく恋をしよう」を訴えていた。たしかに考えてみればそれまで流行った曲は「恋愛はつらいもの」という思いを綴ったバラードが多かった気がします。そうした流れからなのか色気づく女の子たちが増え、若くして読者モデルやグラビアアイドルになる人たちが増えました。<br><br><br>愛を求め、愛に飢えた時代から偽りの愛で満足し、表面上の人の優しさに溢れた時代へ。思いやる心が薄れ「自分磨き」に必死な人たちが増えてきた。けれども政府などが作る社会的な流れは「みんな一緒、格差是正」似たような「個性的キャラ」が多すぎていったい何が個性的なんだと言いたくなるけれども。まぁ良い、人の承認欲求が尽きることはない。人づきあいから「自分磨き」をするべきだ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11316492935.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Jul 2012 14:12:58 +0900</pubDate>
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<title>節電と27時間。僕ってこんなテレビ好きだっけ？</title>
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<![CDATA[ 「節電節電言っておいて…２７時間テレビなんてやめろ」というつぶやきが多く見られた土日。ひとつ確認だがフジテレビが「節電しましょう」と言ったのはいつだ？だいたいテレビ局は自らのメッセージを発する場所ではないから政府が言った「節電」をＮＥＷＳの中で伝えたに過ぎない。だから２７時間テレビは電気の無駄なんて（確かにそうだけど）言っても余計なお世話。<br><br><br>坂本龍一氏の「たかが電気」発言はおもしろかったがそれを皮肉した産経もまたおもしろかった。「文化人なんて所詮目立ちたがり屋だ」（笑）<br><br>今日は２７時間存分に電気を無駄にして楽しんだ２７時間テレビについて書こうと思う。<br><br> ・テーマが「団結」<br> たしかに「いいとも」は曜日ごとにメンバーが違うため同じいいともレギュラーでも仲は深まらない。そこで団結とはもっともだが国民に彼らの団結は関係ない。そしてなぜいま団結するのか？の答えは定かではないが多くの人が「笑っていいとも打ち切り説」を出す。見ている私もそれを感じた。<br><br>・草なぎつよしの１００キロマラソン<br>「タモリさんのために」を連呼していて少し引いた。ただやはりジャニーズ。「足が動かない」とは言っていたが明らかに演出で意外と余裕そうだった。さらにさすがＳＭＡＰと言わざるを得ないエピソードがある（笑）「マラソンは晴れより少し涼しい天候が良いよね」とＳＭＡＰ同士で話してしたら先週のほとんどは「曇りで涼しい日」だった。<br><br><br> ・江頭２：５０、１１年ぶりの出禁を解禁<br> そもそも２７時間テレビって「テレビの祭り」みたいなものだからサプライズや伝説的なことは起こる。「キターーーー」とはまさにあのことだ。恒例の客席ダイブも披露（キャッチした客はサクラ？）<br><br><br> ・男気じゃんけん<br>テレフォンショッキングのときのとんねるずのテンションが低かった。そもそもタカさんて独特でしつこくてツボに入らない人には理解されないキャラだからコントとかしちゃいけないと思っていたが、した、すべった。大物がすべった貴重なシーンだった。男気じゃんけんは生放送でするものではないと思った。<br><br><br> ・ＢＩＧ３<br>ビートたけし、さんま、タモリが揃った。演歌の大御所とはまた違うオーラがある。バラエティでは破天荒な爆笑問題太田もその３人を前にして「夢みたい… 」しか言えず固まってしまったらしい。そこに入れるＳＭＡＰ中居はさすがである。私もＢＩＧ３のように身近にいながら近寄れない、空気をコントロールする人物になりたい（笑）<br><br>・ＳＭＡＰ中居<br> そもそもジャニーズのグループってそれぞれが良くできた組織だと思う。リーダーが嵐は櫻井でなく、ＴＯＫＩＯは長瀬でなく、ＳＭＡＰは木村ではない。それぞれのリーダー大野、城島、中居ってどこか頼りない印象だが立派なリーダーである。特に中居は「歌が苦手」というネガティブ面を公にしてそれを武器とするジャニーズらしくないキャラでありながら今ジャニーズを支える大物であるから恐ろしい。<br><br><br> ・ピカルとはねるの台頭はいつ？<br> 世の中って「中間層」が厚くて、だから「みんなと一緒なら」の心理で人々はなぁなぁで自分らしく生きていけるのだけれど、夢を持つ向上心がある者にとってはその群を抜く難しさに折れてしまうことがよくある。そんなことを感じた深夜帯。ピース綾部は少しずつ司会のキャラを確立しつつあるもやはりの「中流」と「上流」の壁は厚い。<br><br><br> ・アナウンサーとは<br>最近のアナウンサーは笑いのセンスも求められるのか？アナウンサーが歌を歌って、特技を披露して、笑いを取る。朝６時からすごい企画だった。今までアナウンサーは顔、学歴、話し方、育ちが必要であったが、どこかのサラリーマンと同じで「笑いを取る、バカをする力」も必要になってきた。しかしまぁそれもテレビでうまく生きるための必須能力「空気をコントロールする力」のひとつなのかもしれないが。<br><br><br> ・ローラと有田のカンケイ<br>ペケポンの企画でふたりが共演。勝敗を決するゲームの際「わぁ～私たち（いいともチーム）のために負けてねーうふふ」と言えば「わかったぁ～」と有田。思わずさまぁず大竹が「なんなんだよふたり。関係は闇の中だ」と言ったほどだ。ふたりを見ているとヘキサゴンで共演していた木下ユキナとフジモンを思い出す。真相は何処<br><br><br>・競馬中継<br> 必ずある競馬中継。途中で報道センターからのニュースに切り替わるのは理解できるが、なぜ競馬中継がこの祭典に割り込むのか。パチンコなどのギャンブル、興行を裏で操る絶大な力がはたらいているのかもしれない。<br><br><br>・さしこ残念ライブ<br> 本来ＡＫＢライブのコーナーだったが指原がＨＫＴに移籍したために（ＡＫＢではないため）中止になり、指原単独ライブが決定。予想通りと言えばそうだがもちろんＡＫＢが登場。鶴瓶もツタンカーメンの姿で登場し、主役のさしこはすっかり端役(笑) すっかり良いポジションを築いた。どこに行ってもいじられるキャラは確かに愛される。それを持続させるには「飽きさせないこと」が重要、常にネタがなければならない。次のスキャンダルはいつかな (笑)<br><br><br> ・タカ公開プロポーズ<br>いいとも主要レギュラーにスペシャルゲストからのメッセージがあるコーナーにて。巨人の原監督からＳＭＡＰ中居へ、中村アナから夫さまぁず大竹へ、桂文枝から鶴瓶へ、など驚き満載の中タカの母親がタカに「なっちゃんに男のけじめをつけなさい」とメッセージが。茫然とするタカ以外すべての出演者が理解不能な様子で「なっちゃんってだれ？」と。そして電話がつながりプロポーズ。<br><br> これには驚いた。一般人が番組内でプロポーズはよくある話。実際に２７時間テレビ内でザキヤマが関西へ行き一般人のプロポーズ中継をした。しかし芸能人が。<br> もちろんタカは知らずにいたので顔が真っ青になり、うまく言葉も出ない状況。それに生放送。アナウンサーが「時間がないので急ぎで」と急かす。一世一代のプロポーズにそんなこと言っちゃうの？と少しおもしろかったが、しかし芸能人のツラさが見えた。<br><br><br>芸能人は華やかそうだが、言ってみれば競馬の馬と変わらない、見世物だ。そして産経さんが言うように目立たなければならない。人生決めるプロポーズさえ、テレビの視聴率のため、盛り上げのために強制的に作られたものだ。いわば中学生が罰ゲームで告白するようなもの。<br><br> しかしなにはともあれプロポーズの答えは「いいとも」お幸せに。<br><br> ２７時間テレビが本当に好きだ。出演者の数、質、まさに祭りだ。タモリが最後に「私たちが団結した分、国民と離れたかもしれない」と言った。国民のつぶやきを見ると「完全に自己満足な内輪の演芸会」的なつぶやきが多かった。<br><br>良いじゃないか、人が楽しんでるのを見るもの悪くない。主役は出演者、視聴者は傍観者。その距離で良いじゃないか。「内輪の演芸会」なんて言う人は自分がその輪に入れない虚しさや、何にでも首を突っ込みたがるタイプが多い。良いじゃないか傍観者。神輿を担ぐ人が主役、祭りでかき氷とか食ってるヤツは傍観者。花火打ち上げる人が主役、それを見るのは傍観者。その距離感が好き。でも私は、２７時間テレビみたいな企画をしたいです。誰かきょうりょくしてください(笑)<br>
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<link>https://ameblo.jp/summerboy8/entry-11310136611.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jul 2012 21:33:14 +0900</pubDate>
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