<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Hitoshi Yokooのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/suou1955/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>人生も後半を過ぎ、そろそろ総括の時期に至ったようです。私どもの幼い頃からの航跡をたどり、そもそも、｢生きる｣とはどういうことなのか、このブログを通じて掘り下げてみたいと思います。ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 父島大根山分譲霊園は、私が今まで出逢った墓所のなかで、最も美しい霊園である。<br><br>光が降り注ぎ、心地よい海風が吹き渡る眺めのいい場所、眠りに就くには、それだけでも十分である。<br><br>けれども、隣に眠る異教の魂とこの私はどう結びつくのか。結びつく必要は、そもそも有るのか無いのか。異教であるが故に、一層強く結びつくことは可能なのか。<br><br>大根山霊園無縁墓標碑文は答える。地縁血縁の彼方で、いや、それらの喪われに於いて、共同性を喪った者達の共同性の場として、霊園は在ると。無縁者の墓標を中心に置くことで、この霊園は、喪われ者達の共同性を打ち出した。<br><br>(続く)<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12075373754.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Sep 2015 21:40:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 分譲霊園形式の登場を大きな視点から考察してみよう。<br><br>私が生まれたのは1955年、その頃から｢高度経済成長｣といわれる時代が始まり、およそ20年間ほど続く。一般にその時代は、｢明るい未来像｣が描けた時代だといわれる。けれどもリアルタイムで幼年、少年、思春期を農村で過ごした私どもにとって、その時代が、｢明るい未来像｣を描けた時代だったとは、とてもいえないのである。<br><br>幼年期の頃、周りはほとんど専業農家であった。冠婚葬祭は、村人総出で行われ、田植え、稲刈りなどの農作業も共同作業として行われた。幼い日、田んぼの畦道に座り、大人達の農作業を見ていた懐かしい記憶がある。少年期になると、農業の機械化が進み、作業も各々個別に行われるようになる。年末の餅搗きも４~５軒で一緒に搗いていたのだが、それぞれの家で餅搗器を買い、それぞれで搗くようになった。近くに工場が<br>できれば、男達は労働者として工場務めを始めた。共同性が少しずつ喪われるに比例して農村の活力も落ちていった。<br><br>高度経済成長期においては、北海道、東北、四国、九州から、農閑期の出稼ぎが顕著になった。｢出稼ぎ｣は、いつしか｢構造化｣され、｢高度経済成長｣なるものを照らし出す一面を見せたといえる。<br><br>高度経済成長政策は、農村に労働資源を求め、農村人口を激減させ、農作業の機械化は、結局のところ、農家が農協への多額の借金を背負わされるはめに陥り、人々は農村を去り、後継者は育たず、田畑は荒れ地と化し、日本の農村はその政策により、見る影を喪ったのである。世界第２位になるまでの経済的｢繁栄｣を遂げた裏には、農村の犠性そして壊滅があったといえる。<br><br>農村を離れた人々は、故郷喪失者である。確固としたものは喪われ、依るべ無き者として、不安のなかでの暮らしを強いられる。何とか最後に魂をやすめる場所、その場所への欲求は嫌がおうにも高まる。<br><br>分譲形式の霊園は、故郷喪失者の切なる願いに要請されて登場するのである。(続く)<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12067586040.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Aug 2015 19:44:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 父島大根山霊園は、分譲形式の霊園である。墓地を購入する人の宗派が問われないなら、隣に異なる宗派の人の墓標が建つのは、当然の成り行きである。けれども、このような分譲霊園の在り方は、同じ菩提寺に集い、地縁血縁に基づき形成される、日本の農村に見られるような伝統的な墓所(霊園)とは、成り立ちの｢思想｣を異にしているといえる。<br><br>私のような農村育ちの者にとっては、墓地を買うという発想からして、馴染まないだろう。そもそも墓とは、先祖代々から受け継ぎ、そしてそのまま子孫に渡すところのものなのである。私どもの最大の役目は、先祖と子孫の間にあって、その受け渡しをつつがなく行うことにこそあるといえる。その立場に置かれたものにとっては、｢墓地を買う｣という感覚など、ひどく浅薄に感じられるのである。｢親しき縁者の墓地｣に依る人は、墓地の売買など｢魂の売買｣に繋がると、暗に縁無き者の集まりである分譲霊園の在り方を批判するだろう。<br><br>大根山霊園無縁墓地墓標碑文を、もう一度書き留める。<br><br>いちずな旅のなかば<br>島の歴史の一石となって<br>君は倒れ  そして眠った<br>ここはやすらぎの島<br>心やさしい人々の暮らす島だ<br><br>この名前も出身も分からない無縁者の墓標は、霊園の丘を登り詰めた最上段に置かれている。先に、この霊園は分譲形式で、隣にはまるで縁のない異教の人の墓標が建つ、と述べたが、それだけではまだ、普通の分譲霊園の域にとどまる。けれども、この地を自らの終わりの場所に定め、自覚的に文字通りの無縁者として自死した人々の弔いの仕方を通じて、この大根山霊園は、まったく新しい｢霊園の思想｣を打ち出してしまったと私には思えるのである。<br><br>碑文は、死を覚悟してこの島を踏む者に対して、｢いちずな旅｣という言葉でその胸中に分け入り、そして、彼の｢自死｣さえも隠蔽することなく、｢島の歴史の一石｣と受けとめ、この｢やすらぎの島｣で、やすらかに眠って下さいと応える。私どもは、仕事柄あちこちに出向き、暇な時には、失礼を省みず墓地に惹かれて｢墓地散策｣もしたが、このような碑文に出逢うことはなかった。私にとって、この霊園の無縁者のための墓標のその配置と、その碑文の内容は、衝撃であり忘れ難いものとなってしまった。<br><br>人と人との関係、｢共にある｣とは、どのような意味に於いていえるのか？  父島の歴史と大根山霊園の佇まいは、私どもに更なる思考を促す。(続く)<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12065101475.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Aug 2015 20:45:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 父島大根山霊園の無縁墓地碑文には、以下のように記されている。<br><br>いちずな旅のなかば<br>島の歴史の一石となって<br>君は倒れ  そして眠った<br>ここはやすらぎの島<br>心やさしい人々の暮らす島だ<br><br>父島大根山霊園は、なだらかな丘に設けられ、その地は、水平線から日が昇りそして沈むまで光を注がれ、海風を受けながら、二見港から遠くの水平線まで見渡せる美しい場所にある。<br><br>この霊園では、｢神は愛なり｣と記されたキリスト教徒の墓標の隣に、｢南無阿弥陀仏｣と記された仏教徒の墓標が建つ。十字を切る人も、合掌する人も、同じくこの霊園の墓参者なのである。<br><br>なだらかな霊園の丘を登り詰めると、墓参者は石碑に出会う。それは引き取り手のない無縁者の墓標であり、その碑文が先に記した文章なのである。<br><br>宗派を問わない分譲形式の霊園にあって、隣に異なる宗派の墓があることは普通のことである。この形式は、地縁血縁の共同性が強い伝統的農村に育った私のような者には、確かに違和感がある。何世代にも渡り同じ菩提寺に集い、墓地にある墓もどこの家の墓か知り得ている在り方とは、謂わば｢墓地の思想｣が基本的に異なるともいえる。<br><br>隣に異なる宗派の墓がある墓地を仮に｢他者と共にある墓地｣と呼ぶ。地縁血縁に基づく同じ宗派の墓だけの墓地を仮に｢親しき縁者の墓地｣と呼ぼう。是非を問うのではない。意味付けの問題だ。その意味付けにおいて、父島大根山霊園の無縁墓地碑文は、私どもに転回を迫る。<br><br>(更に続く)
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12063686673.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Aug 2015 00:56:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 私は、1995年から10年の間に、父島3回、母島2回、それぞれ2ヶ月ほどの工期で訪れています。島々から与えられたインスピレーションは、歳月を重ねながらもなお深く、私どもに浸透し続けているといえます。<br>このブログに書き留めておきたいのは、そのことに他なりません。  <br>(まだまだ続く)
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12055934377.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jul 2015 18:52:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 小笠原父島の歴史は、流転の航跡を描いて現在に至っています。wikipedianに拠りますと、江戸時代も終わりに近付く頃(1830年)に、西洋人５名、ハワイ先住民25名が移住民として定住します。日本人の入植は1862年、八丈島から38名と記されています。1882(明治15年)には、西洋系、ハワイ系の人達が、日本に帰化しています。人々の暮らしは、当時内地では生産できない果物、野菜等を栽培して内地に送ることにより、豊な生活を享受できたそうです。<br>父島が、荒れる歴史の海に、小舟のように漂うのは、日米開戦からでしょう。島は、至るところにトンネルが掘られ要塞と化し、1944年には強制疎開により、殆どの人々が島を後にします。敗戦後は、アメリカの統治下に置かれ、かつて日本に帰化した西洋系、ハワイ系の家族135名のみ、帰島が許されたそうです。1968年には、日本に返還されますが、アメリカ占領下で暮らしていた人達に加え、帰島する旧島民、新たに移住する人達により、島は複雑な様相を呈したのではないでしょうか。<br>小笠原の歴史は特異なもので、人々の歴史は200年弱、西洋系、ハワイ系、内地からの移民が混在し、統治する国家も変転しています。私どもが、父島に開放感を感じる前提は、そこにあるのだと思います。つまり、島民の共同性を長年に渡る地縁、血縁なるものに求めるのでは無く、それを超えたより普遍的なものに求めることを要請されているからだと思います。島民の方々もまた、そのように努力されているのだと思います。<br>島民の人々が、自らを余所者と自覚しつつ、ここは余所者の集まりだよと認識されているなら、本当の余所者に過ぎない私どももまた、開かれた場所にいると感じることができるのだと思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12055493225.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jul 2015 12:16:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>魂よ！  父島よ！</title>
<description>
<![CDATA[ 私は、法面の仕事に長い間携わってきました。｢法面｣と言われても、ピントこない方が多いかと思いますが、法面とは、ダムや道路の斜面の崩落を防ぐため、人工的に切り取られた斜面のことで、法面工事とは、その斜面を状況に応じて、モルタルで固めたり、フレーム枠で押さえたり、｢客土吹き｣といって、種子を混ぜた腐葉土を吹き付けたりする仕事のことです。<br><br>法面工事で小笠原父島を初めて訪れたのは、1995年春先のことです。この年のことは忘れることができません。阪神淡路大震災で騒然とする中、父島に着くと間も無く、サリン事件が引き起こされました。週に一度、一週間分の新聞をまとめて熟読したことをよく覚えています。<br>ところで、サリン事件とは何だったのでしょうか？  結果的には、戦後民主主義を解体に導く一契機の役割を果たした、と云えるのでしょうか。仏教に関心を持つ私どもも、その後長らく、｢サリン事件｣の衝撃の下にあったと云えるます。(続く)<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/suou1955/entry-12055282778.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Jul 2015 22:24:00 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
