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<title>沖縄二高女看護隊　チーコの青春</title>
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<description>沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校（白梅の塔）の生徒の物語です。</description>
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<title>「チーコの青春」が電子書籍になりました</title>
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   「沖縄二高女看護隊　チーコの青春」 がアマゾンのキンドルから電子書籍として発売されました。 よろしくお願いいたします。     　　　　　　　　　  
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<dc:date>2013-04-22T11:02:22+09:00</dc:date>
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<title>チーコの青春　目次</title>
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 　沖縄県立第二高等女学校は琉球松の生い茂っていた松尾山の高台の上にありました。白壁の美しい近代的な二階建て校舎だったようです。　昭和19年10月10日、突然の大空襲で那覇の街は焼け野原と化し、二高女の校舎も焼け落ちてしまいます。その後、焼け残った建物を仮校舎として授業を続けますが、翌年の３月になると米軍の攻撃が迫って来て、四年生は補助看護婦として、お国のために働く事になります。二高女は山部隊(第27師団)の第一野戦病院に配属されました。　戦後になって、師範学校女子部と一高女は校友会誌の名前から
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<dc:date>2011-04-24T15:49:03+09:00</dc:date>
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<title>昭和20年（1945年）2月6日</title>
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1月22日の空襲で、二高女の仮校舎だった若狭町のお菓子工場も焼け落ちてしまって、授業は中断してしまいました。2月になって、松尾山にある知事官舎が仮校舎に決まりました。知事官舎は前の知事さんがいなくなってから空き家になっていて、新しく来られた島田知事さんのために綺麗にしたんだけど、島田知事さんは食糧営団の理事長さんのお宅を宿舎にする事になって、二高女で借りる事になりました。そして、2月5日から看護教育が始まりました。男子中学生たちは立派な兵隊になるために通信訓練や戦闘訓練を始めていて、女学生も立派
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<dc:date>2011-04-24T15:30:34+09:00</dc:date>
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<title>昭和20年（1945年）1月31日</title>
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沖縄に新しい知事さんがやって来ました。後に「沖縄の島守」と呼ばれる島田叡(あきら)知事さんです。前の知事さんは去年の暮れに出張と称して本土に帰ってしまいました。当てにならない知事さんなんか用はないって、沖縄の人たち言っていましたが、知事さんに続けと本土出身の県庁の偉い人たちがみんな、沖縄を去ってしまい、沖縄出身の議員さんたちまで、何だかんだと理由をつけて沖縄から出て行ってしまいました。県庁に勤めていた父は毎日、情けないと愚痴ばかりこぼしていました。新しい知事さんが任命されるはずだけど、戦場になる
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<dc:date>2010-09-25T08:45:09+09:00</dc:date>
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<title>昭和20年（1945年）1月22日</title>
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昭和20年のお正月はＢ29の襲来で始まりました。被害はありませんでしたが、空襲警報が何度も鳴って、元旦を祝う事もできませんでした。2日は何事もなくて安心していたら、3日、4日と敵機が襲撃して来て、飛行場と港が爆撃されました。近いうちに大きな空襲があるに違いないと疎開する人たちが増えました。1月21日の日曜日、私は友達と一緒に大里村まで黒砂糖の買出しに出かけました。お昼頃、空襲警報が鳴って、私たちは南風原にできた陸軍病院の防空壕に避難しました。その日も飛行場と港が爆撃を受けました。そして、次の日で
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<dc:date>2010-06-06T17:37:47+09:00</dc:date>
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<title>昭和19年（1944年）12月11日</title>
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期末試験が終わった12月11日、また悲しい事件が起きました。当時、沖縄には「ケービン」と呼ばれて親しまれた軽便鉄道が走っていました。那覇を基点に北は嘉手納まで、東は与那原まで、南は糸満まで通っていました。10月10日の空襲で、汽車も駅も線路も破壊されてしまいましたが、ようやく復旧されて、軍の専用列車になりました。一般の人は乗れないのですが、兵隊さんたちの好意によって、遠くから通っている生徒たちは内緒で利用していたようです。その日の午後5時半頃でした。糸満へ向かうケービンが稲嶺駅の近くで大爆発を起
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<dc:date>2010-04-28T21:16:03+09:00</dc:date>
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<title>昭和19年（1944年）11月</title>
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那覇の街はすっかり焼け跡になってしまいました。家を失った人たちは掘っ立て小屋を立てて、暮らし始めました。私たちも家の跡地に小屋を立てました。父は首里の祖母の家に行けって言ったけど、首里から学校に通うのは大変だし、父と一緒に小屋で暮らす事にしました。小屋を立てる時、弟の康栄の先輩、安里さんが手伝ってくれました。安里先輩は野球部の投手で、女学生たちの憧れの的でした。勿論、私も陰ながら憧れていました。その先輩が毎日、首里から那覇にやって来て、私たちの小屋作りを手伝ったくれたのです。家は焼け落ちてしまっ
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<title>昭和19年（1944年）10月10日</title>
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この日は決して忘れる事はできません。突然、アメリカが沖縄に攻めて来たのです。それはあまりにも突然の事でした。当時、私たちは勤労奉仕の陣地造りと学校の授業を交替でやっていて、私たちのクラスはその日は授業のある日でした。学校に向かう途中、飛行機が編隊を組んで北の方から飛んで来ました。その日は日本軍の演習があると噂で聞いていたので、朝早くから頑張っているなと思ったのですが、なんと、その飛行機は那覇港に爆弾を落とし始めたのです。私たちは慌てて学校の防空壕に隠れました。空襲は７時頃から８時半頃まで続きまし
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<title>あの花この花</title>
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謹賀新年今年も「チーコの青春」をよろしくお願いいたします。「あの花この花」は70年前の昭和15年の正月にヒットした歌です。西条八十さん作詞、古賀政男さん作曲で、二葉あき子さんが歌いました。「チーコの青春」第三部の８．山第二野戦病院で、戦死した友達のためにチーコたちが歌いました。
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<title>昭和19年（1944年）9月</title>
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那覇は兵隊さんでいっぱいになりました。学校の校舎も兵舎として使われ、二高女にも山部隊（第二十四師団）の兵隊さんが駐屯していました。沖縄を守るために働いている兵隊さんたちを見ながら、私たちもお国のために働かなければならないと強く思いました。そんな時、小禄飛行場（現在の那覇空港）の近くのガジャンビラ（筆架山）で高射砲の陣地造りが始まりました。私たち女学生も動員されて、汗と土にまみれて働きました。作業はきつかったけど、昼休みになると兵隊さんたちと一緒に歌を歌ったのが、楽しかった思い出として記憶に残って
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<dc:date>2009-12-26T20:59:02+09:00</dc:date>
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