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<title>自己処理場所</title>
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<description>所詮自己処理の世界です。</description>
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<title>自己処理</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2"><br></font></p><br><p><font size="2">なんとなく、テレビを消したら泣いてしまいそうで</font></p><p><font size="2">誰も居ないリビングで、誰も見ていないテレビの音声を聞いている。</font></p><p><font size="2">久しぶりにブログに頼ろうと決めた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">今朝から気分がよくない。</font></p><p><font size="2">朝起きたときからなんとなく憂鬱で、朝一で病院へ向かわなければならないことがわたしの情緒に負荷を齎してしまったのかもしれない。</font></p><p><font size="2">うーん、なんというか、こういう書き方をしてしまうと自分が可哀想で仕方が無いと訴えているように見えるけれどタイトルの通り、ブログは自己処理のためのひとつのツールです。</font></p><p><font size="2">自分の気持ちを整理しているので、もし気分がわるいというのであればここから先は読まないで頂きたい。</font></p><br><br><p><font size="2">わたしはどうして泣いてしまいそうなのかを考えてみることにした。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">まず第一に大きな不安がひとつある。</font></p><p><font size="2">これはわたし自身のことではないが、わたしの身近な人の命に関わる問題だ。</font></p><p><font size="2">最近目に見えてその悪化が進んでいないので尚のこと、どのように進行しているのか、治療法の無い病と闘うための、明確な術を知らないことがすごく不安で、この生活がこれからどう変わってしまうのか、誰かが居なくなってしまうのかを考えると途端に怖くなってしまう。</font></p><p><font size="2">勿論今わたしが考えても考えなくてもなにも変わらない。漠然とした不安は無駄だと言われたらそれは全てであるが、だからと言って前ばかりを向けるほど気持ちの整理はついていない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">二つ目に自身の将来が未だ定まらないことへの不安。</font></p><p><font size="2">就職活動といわれるものを行う学年であるが、一般企業への就職ではないので、実習と並行しながらその就職先を厳選していかねばならない。大体見えていた進路が、経験を積んでいる中で最近また曇ってしまった。</font></p><p><font size="2">就職関連のほかにもやらなければならないことは分かっているが、その優先順位が摑めていない。それができないわけではないと分かっているので、まだ行動にうつしていないだけだと言った方が良い。だれてしまっている自分への嫌悪感がひとつ、とまとめておこう。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">三つ目は単純に音楽から離れていること。</font></p><p><font size="2">歌を歌いたい、ピアノを弾きたい、誰かと音楽を楽しみたい。それに音楽で出会ってきたたくさんの仲間たちと最近会うことができていないことがストレスになっている。</font></p><p><font size="2">わたしは勿論音楽が好きで、仲間と音楽を共有しながら生きてきた人間だと自負しているが、それ以上に音楽が好きというだけで集まったたくさんの仲間たちとつくってきたものが本当に大切で、あの空間が雰囲気が自身の実感以上に大切なものになっていたことに最近気がついている。</font></p><p><font size="2">誰かも言っていたけれど、自分が音楽を優先していられない今、音楽を手にして生きている人、其れを楽しんでいる人、ライブハウスの映像さえも嫉妬の対象になっているような気がする。</font></p><p><font size="2">ただそこで演奏できるのが当たり前だった、ただそこで楽しんでいることが当たり前だった時代があるからこそ、今の自分に物足りなさを感じてしまっている。</font></p><p><font size="2">そして歌は歌わないと確実に下手になり、歌い続けていれば着実に力がつくことも知っている。そこから来る焦りに似た感情があるのかもしれない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">なんとなくまとめただけだけれどすこし落ち着いた。</font></p><p><font size="2">わたしの人生はわたしのものだし、わたしは何でもできると思っている。</font></p><p><font size="2">そう思っていなければいつでも自分に打ち勝つことが出来ないから、そう生きてきた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">弱い犬ほどよく吠えるというが、まさしくその典型例なのだと思う。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-12048230086.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jul 2015 22:55:00 +0900</pubDate>
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<title>2015/1/19</title>
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<![CDATA[ <br><p>帰り道、相原公園で泣いた</p><p>ひとりで泣いた</p><p>泣くために立ち寄った</p><p>ひどく寒かった</p><p>帰るとまた移植の話が始まっている</p><p>妹はもくもくと皿を洗う</p><p>重苦しい空気がいやで散発を下らしい妹に髪型おそろいだね！と言って笑いあいそれに気がついた母はわたしにおかえりといった</p><p>今日は一日血色がわるかった</p><p>手の色が青ざめ、友達いわく黒ずんでいた</p><p>何が起因しているのかは分からないが</p><p>わたしは今すごく不安定で今日は酒の力を借りて眠るしかないと思っている</p><p>頭がおかしくなりそうだ</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11979186168.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Jan 2015 20:28:06 +0900</pubDate>
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<title>耳障りなため息</title>
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<![CDATA[ <br><br><p><font size="2">正直なところ、何がなんだか分からない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">１３時にバイトをあがって帰り、父母の居るリビングには妙な空気が漂っていた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">再検査が必要なので断定出来ないが、母の持病から併発した病気がかなりよくない状況</font></p><p><font size="2">らしい。</font></p><p><font size="2">病名を聞く前に、それこそ映画や小説などで言われるようなワードを並べられ、わたしは冷静に答えるしかなかった。冷静に、というより現実味が無くただ無機質な返事をするより他無かったという方が正しいのかもしれない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">こうやってわたしがブログを打っている間も父と母は会話をしており、そちらばかりに気をとられて自分の文章を打つことに集中できないでいる。父の口数が多いのは少し取り乱しているからで、わたしの帰宅直後よりはずっとましだがあれやこれやと容量オーバーだと伺える。ああだこうだと言われる母を早く寝かせてあげて欲しいし、なんだか少し苛立ちさえ覚えてしまうくらい話しているように思う。とはいえ今打っているわたしの文章だって、稚拙な言葉をただ並べて心の複雑さを簡単に揃えておきたいのに全然整いそうに無い。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">今日は友人のライブを見に行く予定だった。</font></p><p><font size="2">今日はライブを見に行く予定だったけど、ちょっとやめておこうかな。</font></p><p><font size="2">と母に言うと、行って来なよ、と言い　続けて　みんなの生活がとまったらいけない。</font></p><p><font size="2">とそう言われた</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">その通りだとおもった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">もし母が本当にその病気だと診断されても</font></p><p><font size="2">その結果移植をすることになったとしても</font></p><p><font size="2">京都や海外で治療をすることになっても</font></p><p><font size="2">母が死んでも</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしの生活はとまらないし、とめたいと思ってもそうはならない</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">これはばあちゃんが今の状態になったときにも思ったことで、初めてのことばではなくて</font></p><p><font size="2">それなのにわたしは未だ第三者的目線でしか今直面している問題を見つめることが出来ていない。向かい合いたくないわけではない、向かい合い方がまだ分からないというほうが正しいかもしれない</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そして一瞬　いつかの夏、祖父が衰弱したときに感じたような感覚が戻ってきた</font></p><p><font size="2">目の前の老人を自分の祖父だと認知できなくなるような、心臓が内部から下腹部のほうへ引っ張り下ろされているようなそんな重さが残る</font></p><p><font size="2">今この会話をしている女性は誰なのだろうと　認めたくないという拒絶反応なのだろうか</font></p><p><font size="2">不思議な感覚だ</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">会話を終えてわたしの目の前でパソコンをいじり始めた父もあらゆることを考えているからだということは承知しているが本当に口数が多い</font></p><p><font size="2">その病気だと診断されれば莫大な医療費がかかる</font></p><p><font size="2">今までの生活を変えていかなければならないのだ</font></p><p><font size="2">心配なのは分かるがわたしも母も気疲れしているので少し平和に時を過ごしたい</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしはこれから夕飯の買出しに行こうと思うのだが</font></p><p><font size="2">妹はまだなにも知らない</font></p><p><font size="2">話すのはきっとわたしの役目だ</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">自己処理目的で綴ったブログだが、わたしの方こそ支離滅裂だ</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">父は今、今日一番深いため息をついた</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11978282399.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Jan 2015 15:04:01 +0900</pubDate>
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<title>〔恋人（こいびと）〕</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ただなんとなくブログを開いてしまったときのこの感じ、分かる人はいるだろうか。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">とくにネタがあるわけでもなく、何か書きたいことが浮かんできたというわけでもなく。</font></p><p><font size="2">ただ漠然と何かを書こうと思って開いてしまったときのこの感じ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">色々と考えてみて、これを読むであろう皆さんはどのような内容だと楽しいのだろうか、どんな内容を期待しているのだろうかとこう、思考を巡らせてはみたがそもそもわたしのブログは誰かのためにあるわけでもないし誰かが期待しているものでもない。自分の好きなことをかけたら良いし、タイトルの通り自己処理に使えたら満足なわけだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ついこの間、世界はクリスマスというイベントを終えたわけであるが、わたしはなんだか寂しい。クリスマスに特別な気持ちがあることは二つ前のブログにも記したとおりなのであるが、あれよあれよと終ってしまったその特別な日は今や恋人たちの一大イベントと化しているようだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">彼らにとってはクリスマスよりもクリスマス前夜が重宝されているようだが、その理由についてはきっと何かしらきっかけがあったのだと思うがまあここではどうでも良いので調べないが（誰か知っていたら教えてくれ）わたしは毎年クリスマス当日の方が充実している。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">うろ覚えだが、おととしのクリスマスは恋人と過ごし（た気がする）、去年も友人と遊んだ。そして今年は酒飲みの友達と箱根まで旅行をしてきた。今年一緒に過ごした友人には恋人がいるのだがまあ色々あるようで女同士の会話を楽しみながら旅行を終えた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">まあ大体想像はつくだろうが箱根の町も恋人恋人恋人の波。わたしたちは女二人旅だったので少しばかり浮いていたかも知れない。（そのくらいカップル率が高かった）どのカップルも幸せそうで、老若男女皆ゆっくりと流れる時間を、箱根という町で味わっていたのではないか。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そこでふと思ったのだが、恋人とは一体なんなのか。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">こんなことはまあ今になって突発的に思ったというよりも前々から思ってはいたわけであるが、中々考えようとはしていなかった。恋人という存在がいないと、そのなんなのかハッキリと説明できない存在が欲しくなり、いたらいたで上手くいかないと嘆く。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしは以前経験していた恋愛がそのまんま「依存」の関係だったので、良い状態の恋人関係というものを詮索している。それが良いものなのかそうでないのか、また、相手によって変わるものなのか。誰も良い状態なんてものは分からないのかもしれない、でもきっと知りたいとは思っている。その手探りで不安定な関係を恋人関係と呼ぶのだろうか。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしは当時のことを思い出すと背筋が伸びるような感じがするのだが</font></p><p><font size="2">たとえば何か楽しいことがあったとする。恋人に報告し、このことを</font><font size="2">共有することで相手も幸せな気持ちになり、互いにこの楽しい気持ちが大きくなるのは、素敵なことだ。しかし、苦しいことも相手と共有することで大きくなる、これもまた事実で。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">互いに自分の不の感情や雰囲気を共有しあい、引きずりあっていく。時には悲しさを相手にこすりつけ、またときには罪悪感ににた感情を吐露し責任を分かち合っているような、そんなことをしてしまうときもある。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしはこの行為が嫌いだ。</font></p><p><font size="2">自らの経験を話しているので、勿論知らんフリをして否定することは出来ないが、改めて客観的に考えるとどうも気持ちが悪い。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">恋人がいない期間はこんなことはないわけで、どんなことがあってもなんとなくやってこれているのだ。こう考えると恋人という存在がいることのデメリットを示しているように思えるが、なんでも話せる相手は必要なのもまた事実。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしは昔から家族にあまり自分の話をしない。（これは母譲りなようだ）話せる友人は、と考えると思い浮かぶ人はいるがその人たちも自分のことでいっぱいいっぱいなことが傍にいるからこそわかる。わたしの思っていること悩んでいることを聞かせるのは気が引ける。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そうなると残るは恋人なのであるが、無条件に話を聞いてくれるとかそんな関係の人が恋人でなければならないわけではないのにわたしにはこのポジションの人間が話しやすいようで。</font></p><p><font size="2">ただ面倒くさいのが、わたしは話を聞いてもらうだけでは足りない人間で、自分の話したことに必ず反応を示して欲しいのだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしが人に話をするときは自分だけでは要領オーバーになったときで、自分以外の意見を聞きたいときで、いわゆる「答えの決まっている」相談はしないのだ。それをただ肯定してうなずいて聞いているだけなのは我慢ならないというか時間を無駄にしてしまったような気分になる。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">逆の場合も同じだ。</font></p><p><font size="2">人の相談を受けるときは、必ずその議題に対する問題解決の対策を考える。話を聞くだけが目的なのであれば別だが、相談とはそういうものなのだとわたしは決めているのでどちらの場合もそうだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">以上のようなことが満たされなかったことにより、前の恋人とはもめたことが幾度と無くあったわけなので</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">結局恋人ってなんだ</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">（書くのがめんどくさくなった）</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">おしまい</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11969869899.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Dec 2014 23:00:34 +0900</pubDate>
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<title>知らない窓</title>
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<![CDATA[ <br><br><div>わたしは、人の気持ちを考えられない人間らしい。</div><br><div>話すとややこしくなるので省略するが、つい最近あることで父と揉めたときのことを話しながら、</div><div>わたしがいない時に彼がそう言ったのだという。人づてに、わたしの妹の口から発せられたこの言葉だが、理解するのに少し時間がかかった。</div><br><div>そのうちに、以前母にも同じようなことを言われたことを思い出して、なんか笑うしかないような そうか、という感情しか頭の中になかった。</div><br><div>そんなことを考えたことがなかったし、わたしは気がつかなかった。でも、それをそうだと認めることで説明のつく過去の出来事がたくさんあることに再び嘲笑を浮かべるより他なかった。</div><br><div>今朝、最寄りから大学までの道のりを歩いた。今朝妹に言われたことを考えながら、ただ山道を進んだ。</div><br><div>このことを考えていると、そういうの苦手そうだね、と知人に言われた。</div><div>苦手だと意識したことはなかった。考える機会がなかったと言った方が正しいかもしれない。</div><div>自分の考察や思考を理論的に組み立てて説明するのは得意な方だ。グループディスカッションや研修会の場でもいくらでも話しができる。</div><br><div>だが、自分の感情を、理論や理屈でない部分で伝えることは十分にできていないことは認めざるをえないようなきがした。エモーショナルな部分について、わたしは誰かに伝えるのが苦手だ。その結果自分の感情を伝えたい時に、意図していた通りに伝わらないことが多いのかもしれない。そして、言葉通り、人の気持ちを考えられないことも輪をかけてしまっているらしい。</div><br><br><div>今朝からそのことばかりがわたしの頭を支配していて、なんとも言えない気持ちだ。物事を思った通りに言えることは自分の長所であり、必要なことだと自負していたが、そこには意図せずした脅威を孕んでいることもあるようだ。</div><br><br><div>自分のことは自分が一番よく分からないのだとよくいうが、わたしは自分と向き合う必要があるようだ。</div><br><br><div>今はただ空っぽな心持ちだ</div><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11966845783.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Dec 2014 15:27:07 +0900</pubDate>
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<title>I saw the Mommy kissing Santa Claus.</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">12月ももう半分が過ぎた。</font></p><p><font size="2">わたしのバイト先である酒屋は一年の中でも稼ぎ時を迎えつつある。と、いうのも年末年始にかけてお歳暮、クリスマス、お正月と酒の需要が高まるからである。各種包装に配送と忙しくなる。一年を通して割とゆったりとした職場であるが、この時期は賑やかで楽しい。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">さて、先日のブログでは少し重めの、しかも若干専門的な内容についてをずらずらと書き綴ってしまったので、今日はもう少し楽しい話をしたいとPCを開いた。冒頭から特になにも考えずに打ってきているので、どんな方向へ話が行くかは定かではないのだが、今回は「クリスマス」の話が出来ればと思う。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">わたしは生後二ヶ月で洗礼を受けた、所謂クリスチャンという者の一人だ。生後二ヶ月という月齢を見れば分かることではあるが、自分の意思を持って洗礼を受けたわけではない。しかし公立小学校を卒業後私立ミッション系の女子中学高等学校へ進学し、六年間カトリックに触れながら育ってきた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">毎朝聖書を読み、聖歌集を開いた。月に一度は校内のお御堂で祈りを捧げ、年に一度は全校で行われたミサにも参加した。校内には修道院もあり、校長をはじめ、教師の中にもシスターが何人もいた。そんな環境で育ったこともあり、自ずとカトリックの精神を肌で感じてきているわけである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そんな中育ったこともあり、わたしにとってクリスマスは、特別なものである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">中高時代、クリスマスページェントといわれる行事があった。外部のお客さんも招いて行われるものであったが、ハンドベルの演奏をした他に、ボランティアでスタッフを行うくらいその行事が好きだった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">我が家でも毎年ツリーを出し、飾りつけをする。昔からサンタクロースがやってきて、決まってプレゼントの他に手紙をくれた。サンタクロースに食べてもらおうとクッキーと牛乳を置き、トナカイにはニンジンを置いた。翌朝きれいに食べてあるそれらを見るのがなによりも楽しみだった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">小学校五年生のとき、母にサンタの存在を確認したことがある。母はそれまで濁していた言葉を改め、サンタは実は父と母だったことを告げた。その夜わたしはベッドで泣き続け、中々寝付けなかったのを覚えている。それまでのクリスマスのことを考えると、信じてきた事実がポッカリとなくなってしまったようで、クリスマスの楽しい記憶が嘘だったのかと錯覚してしまったのだ。</font><font size="2">しかしそれは勿論間違いで、クリスマスの素敵な思い出は確かに事実として存在し、サンタクロースの代わりを父と母がやっていたというだけなのだから。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そんなこんなで家族とのクリスマスの思い出はとても暖かいもので、よく聞く「心くすぐられる」という表現がよく似合うような記憶なのである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そしてクリスマスといえば恋人達のシーズンだとそんな歌がいくつもあるように、カップルの一大行事としてハロウィンをも凌ぐ商業収入ナンバーワン行事なわけであるが…。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><font size="2"><p><font size="2">友だちと過ごしたクリスマスはいくつもあり、どれも素敵な時間だったと記憶している。</font></p><p>しかし、恋人と過ごしたクリスマスに良い思い出がないので、クリスマスはまだまだ家族との記憶が強いのかもしれない。恋人と過ごしたクリスマスは一度だけ。以前、一年間付き合った彼と過ごしたクリスマスであったが一日中喧嘩っぽくなってしまったことと、３DSをプレゼントされたこと以外はあまり覚えていない。</p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">この時点でネタとして取り上げるまでもないのかもしれないが、これは少しばかり寂しいようにも思う。今年のクリスマスは友だちと箱根旅行に行く予定だ。また友だちとの思い出は増えるだろうが、一向に「恋人との素敵なクリスマス」は実現出来なさそうだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">どうであれ、わたしの最終的な夢は、自分の家族の中に将来のパートナーを招待して暖かいクリスマスパーティを開くこと。</font></p><p><font size="2">これを言い始めるとクリスマスに限ったことではないのだけれど、家族団らんに新しい最愛の人が加わるのは想像しただけで笑顔になれるような、「心くすぐられる」気持ちになるものだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><font size="2"><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20141215/20/sweetspot-niko/50/09/j/o0600080013159841201.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20141215/20/sweetspot-niko/50/09/j/t02200293_0600080013159841201.jpg" width="220" height="293"></a> <br></p><p>2015年我が家のクリスマスツリー！</p></font><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p></font>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11965013146.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Dec 2014 18:46:31 +0900</pubDate>
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<title>保育者として生きることを考える</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　師走。一年の最後の月である。</font></p><p><font size="2">　一年の節目として、人々がその一年を振り返り、来年を見据えるのがこの月のこの時期であり、勿論わたし自身も例外でなくその中の一人なのである。</font></p><p><font size="2">　</font></p><p><font size="2">　現段階でわたしは、</font><font size="2">進路決定の真っ只中である。そして、来年にはその道への一歩を完全に踏み出さなければならない。</font></p><p><font size="2">　そこでわたしは今回自分の考えを整理する意味も込めて、このブログを嗜めようとそう決めた。　</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　来年一年というのはわたしにとって大きな変化の年であり、その字の通り「大変」な年になることは間違いないだろう。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　「大変」とは、大きく変わる、と書く。</font></p><p><font size="2">　これは今日大学で開かれた特別講義中に用いられた言葉で、相模原市の「やまびこ会」という自閉症児・者親の会の皆さんからの受け売りの言葉である。</font></p><p><font size="2">　</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　わたしは大学三年間、人間の出生から自立までの身体・精神の成長を学んできた。免許のみを見れば保育士、幼稚園・小学校教諭となんとなく進路は定まっているように見えるが、実は「保育士」という免許は非常に万能なのだ。</font></p><p><font size="2">　通常「保育士」と耳にすると保育所、という児童福祉施設を思い浮かべると思うが、実は他にも就職先には随分と広い選択の幅がある。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　例えば知的、重症心身障害児施設などの障害児施設や、母子生活支援、児童養護施設、乳児院、児童相談所一時保護などがあげられる。（その他にも育児中の母親の相談を受ける類の施設も数多く在る）</font></p><p><font size="2">　勿論場所によっては公務員試験を受験する必要があるなど、免許のみでは就職できないところもあるわけだが、この幅広い就職先を選択できる保育士という職業に就くまでに大学の講義は当然のこと、多くの実習を乗り越えてきているのである（わたしは四年制の大学なので、四年制大学の事情しか認知していないが）。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　（全員のことを知っているわけではないが、少なくとも）わたしを含め、わたしの周りの人間は、実習では足りない場所には皆それぞれ自ら足を伸ばし、ボランティア活動やアルバイトとして学びと経験の場数を踏んできている。</font></p><p><font size="2">　わたし自身保育所、児童養護施設の実習を終え、来年には小学校教育実習と母子生活支援施設の実習が決まっている。これまでにボランティアとして小学校・児童館・児童相談所MF事業を経験し、来年から児童相談所一時保護施設でアルバイトをする予定である。</font></p><p><font size="2">　経験してみないと何も分からないのは当然で、肌で感じる以外に自分にとって適職なのかどうかと言うことは判断しかねるというのがわたしの考えなので、本当は全てを経験したいが、限られた時間の中ではそういうわけにもいかないようだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　わたし自身、以上のような経験をしても必ずこれだ！と言い切れる場所を新社会人の時点で見つけられる自信がない。先輩方のお話を聞く機会によく聞く内容として、実習先で自分の就職したい場所を見つけたのだということがある。実習先そのものに惚れこんで、そのまま就職希望にした先輩や、更に大きなくくりで決めた先輩方もいたようだ。少なくとも今の</font><font size="2">わたしはそのような先輩方のようにはスパッと決められるような状態ではない。</font></p><p><font size="2">　つまり、それだけ子どもと関わる仕事は魅力的なところばかりなのである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　いままでの経験の中ではまだハッキリと具体的な就職場所としての希望を出せていないわけであるが、</font><font size="2">集団としてよりも対個人を大切に出来る職場に就くのがわたしの道だということには気がつけた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　そしてもうひとつ、（冒頭で述べた）特別講義</font><font size="2">中のお話から、またわたしが関わらせていただいている児童相談所の児童心理士さんのお話から、自分がこれから保育者になるにあたり大切にすべきことが見えてきた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　わたしたちが学</font><font size="2">んできた子どもに関する専門知識を、本当は全てのお母さん・お父さんが学べたら良いと、常日頃思っている。そしていつか自分の経験を踏まえた上でそんな機会をつくることの出来る人間になりたいとも考える。</font></p><p><font size="2">　ただし、これは保育の現場において前面に出すべきものではない。</font></p><p><font size="2">　わたしは子どもと関わるプロフェッショナルになりたいのであって、研究家などではないのである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　わたしたちがこれから関わる全ての子どもには、必ず父親と母親が存在し、あるいは別の誰かが「保護者」として存在している。家族というのは種多様な形をもち、決まった型はないと思っているが、その中で100人いれば100人それぞれの個性があり、生き方がある。つまり、100人いれば100人分の保育をきちんと考えることが必要で、子どもの保護者と二人三脚で考え、経験し、歩まなければならない。</font></p><p><font size="2">　わたしたちの持つ専門性は、ここにこそ活かされるべきなのだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　常に専門性という「色眼鏡」をかけて子どもと関わってはならないのだ。</font></p><p><font size="2">　これはわたしにとってはまだ難しいことで、まだまだ沢山の経験が必要であると自覚している。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　どんな職場へ就職しても、このことは大切にし、子どもと関わるプロフェッショナルを目指したいと考える。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　子どもを育てる仕事は、自分の育ちにもなる。</font></p><p><font size="2">　日々の学びを大切に、子どもや保護者と共に成長できるような保育者になりたいと、わたしは考える。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11963922525.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Dec 2014 23:44:56 +0900</pubDate>
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<title>いのちを愛するおしごと</title>
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<![CDATA[ <br><br>実習が始まり、早一週間。<br><br>とある児童養護施設で、幼児さんの生活に入っています。<br>はじめの一日二日は雑務の多さにへこたれそうになりましたが、今では子どもたちとのお別れがただただ寂しいです。<br><br>志穂都さん、と名前を呼ばれるだけで胸がきゅんとして、愛おしい。(ほとんどの子どもが、呂律が回らずチホトたんになる)<br><br>来週の日曜日まで、たくさんたくさん可愛がり、彼らの長い人生のそのほんの少しの時間だけれど、わたしの愛情で安心させてあげたいなと思います。<br>毎日たくさん抱っこにおんぶに子どもたちとスキンシップをとるので、夜眠るときには子どもの体重や腰周りに巻きつく足などの感覚が残っています。そんなのもすごく大切な気がします。<br><br>今日、普通の家庭の四倍くらいの量の洗い物をせっせとこなしているときに お別れが寂しくなりぼーっとしていました。<br>すると、暴れん坊将軍の男の子が志穂都さん、と呼びかけてきたので はあい？と答えると、なにか特別用があるわけではないらしく にこっと笑って、フラっとどこかへ行ってしまいました。<br><br><br>出来ることならずっとこの子たちのそばに居たいとさえ思えます。<br><br>子どもたちと関わることは、非常に尊いことです。<br>わたしは子どもたちのために生きると、今ここで改めて言えます。<br><br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140713/20/sweetspot-niko/06/c6/j/o0480036013002155943.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140713/20/sweetspot-niko/06/c6/j/o0480036013002155943.jpg" alt="photo:01" width="300" height="225" border="0"></a></div><br clear="all">
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11893632341.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Jul 2014 20:18:23 +0900</pubDate>
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<title>別に死ぬわけではない</title>
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<![CDATA[ <br><p>別に死ぬわけでもないのにこの少し寂しい雰囲気は一体なんだっていうんだ。</p><br><p>わたし自身の気持ちの持ちように関してもそうだが、家族が心なしか優しい気がする。</p><p>今まで二週間家に帰らないことは過去に一回あっただけだからだろうか。（ちなみにその一回とは、イギリスの祖母の家に滞在していた期間のことだ。あれも確か二、三週間だったと記憶している。）</p><br><p>まあそもそもこのブログを書こうと思い立ったのも、このなんともいえない雰囲気に流されてのことなのだが…　まあこれはこれでいいだろう。</p><p>書き出しからどこか遠くへ行くような言い方をしているが、そこまで遠いところへ行くわけではない。</p><p>とある山の中の児童養護施設へ、二週間の実習だ。</p><p>わたしの進路の候補にも入っている、児童指導員としての職場だ。</p><p>つまりこの実習は、わたしの進路決定の糸口になるといっても過言ではないのだ。</p><p>一所懸命職務をこなし、職員さんのお仕事を学びながら、たった二週間の間ではあるが、その長い人生のなかのたった二週間の間だけでも、子どもたちにとって“関わってよかったお姉さん”になることができるように。努めて参ります。</p><br><p>二週間一日も休みがないわけではないが、明日、実習初日にならないとまだ今後二週間の予定が分からないという状況なので、今から約束は出来ないのだが是非</p><p>わたしの休暇がわかれば、その時はご飯程度でも付き合っていただけたら嬉しいです。</p><br><p>とまあここまでほろ酔い気分で書いているわけだがわたしは明日からの二週間が非常に楽しみである。</p><p>多少の不自由はあるが、この実習をモノにできるかは自分自身だと、重々承知している。</p><p>とはいえ、先に実習へ行っている仲間達の様子を見ていると皆大変そうで、精神的にも身体的にも両面で弱っているようだ。ある程度の覚悟は必要だろう。</p><p>もし万が一、万が一わたしが弱っているように見えたならば、通話でもLINEでも助けて欲しい。</p><br><br><p>なんだこの実も蓋もない文章は</p><p>まあ、なんだ　この微妙な緊張感と少しの期待を汲み取ってもらえたならば満足だ</p><br><br><p>お粗末様でございました。</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11889866133.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Jul 2014 18:59:09 +0900</pubDate>
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<title>陽だまりの朝に</title>
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<![CDATA[ <br><p>陽だまりの朝にという曲があります</p><p>わたしはこの曲のボーカルラインと、それから詩をつくりました</p><p>以前付き合っていた恋人を思いながら書いた詩です</p><p>こんなこと言っても良いのか分からないけれど、ほんとうに彼のために書きました</p><br><p>経験のある人もいると思いますが、別れた後も少し関係は続いて、時々会っては一度ボロボロになった関係を元に戻そうとした時期がありました</p><p>途中、彼には新しく素敵な人が出来て全部やめようって、そうなって</p><p>わたしの気持ちもやっと冷め止んだのでした</p><p>当時のことを思い出しては涙していたのは分かれて３、４ヶ月くらいでしょうか</p><p>ハッキリとした理由があったわけではなく、わたしはただなんとなく 感覚の赴くまま別れを告げ、半ば無理やりお別れをしました</p><p>そして時期が来て、お互いに成長したあとにもしも、まだお互いに想いがあって　そして大前提として根底には尊敬の意があったのならそのときはまた、そう思っていました</p><p>彼からも、再び告白をすることがあるならば、それは結婚を考えているときだと　そんなお手紙をもらって</p><p>結果的にわたしたちのすべては衝動的で、若かったのでした</p><p>はじめから最後まで、とても若かった</p><br><p>彼が最後見に来たライブで歌った陽だまりの朝に</p><p>わたしは自分が一体どういう気持ちだったのかなんて見当もつかないし、思い出そうとも思いません</p><br><br><p>わたしにとっても陽だまりの朝には、いつまでも彼のための曲で在ってはならないんだって思います</p><p>でも、誰かのための曲に置き換えるのも、勿論間違っています</p><p>持ちつ持たれつ、依存しあっていた当時の状況全部が良いとはいえないけれど、逆もまた然り</p><p>あのころのパワーやプラスの気持ちだけをそのまんま歌にこめられたらなって思ったりもしましたが</p><p>きっと今となっては少しさびしい恋の曲で　そのまんまで良いのかなとか、そんな風に思っています</p><br><p>もう幸せな歌ではなくなってしまいますが、きっとこのまま</p><p>わたしの過去を無理に飾ることはないですよね</p><p>なんて</p><br><p>くだらんね</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sweetspot-niko/entry-11817335448.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Apr 2014 20:10:01 +0900</pubDate>
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