<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>とある坊主がつぶやいてみた</title>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/syamon228/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ぼちぼち</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>主人公は自分である</title>
<description>
<![CDATA[ <p>中学３年生の息子が、今の時期になって勉強をしなければと焦っている。</p><p>&nbsp;</p><p>勉強をしなければという自覚が生まれただけでもたいしたものである。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえ結果が思い通りにならなくても、やる事をするならばそれはそれでいい。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、スポ根が好きである。努力して練習して上手くなっていく。読んでて非常に気持ちいい。</p><p>&nbsp;</p><p>努力しても結果が出ないよりも、やはり結果が出る方が気持ちがいい。しかし実際、現実となると</p><p>&nbsp;</p><p>諦めなければいけない事も出てくるし、挫折する事もある。それでも日常は過ぎていく。</p><p>&nbsp;</p><p>漫画でも小説でも、成功したものを題材にして書かれたものの方が好きである。好きではあるが</p><p>&nbsp;</p><p>そんな訳ないよなという、冷めた見方も存在する。まあどちらも主人公の人生は、その主人公のためにある</p><p>&nbsp;</p><p>それを切り取り、面白いと判断するのは読者である。色々な価値観によって良い悪いは変わってくるものなので</p><p>&nbsp;</p><p>好きに選び取ればいいのかもしれない。失敗する事が悪い訳でもなく、成功するのがいい訳でもない。</p><p>&nbsp;</p><p>どちらも同じ人生である。好きな道を歩いて行けばいい。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211018/22/syamon228/6e/2a/j/o0370032015017942943.jpg"><img alt="" height="320" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211018/22/syamon228/6e/2a/j/o0370032015017942943.jpg" width="370"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12704710545.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Oct 2021 22:30:34 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>回心という事</title>
<description>
<![CDATA[ <p>回心という言葉がある。今まで主体を担っていた自我が自覚によってひっくり返る様を表す。</p><p>&nbsp;</p><p>といっても、主体をになう自我というのは何かを分からない私達は、自分の行動の根にある</p><p>&nbsp;</p><p>あり方を問題にするということはあまりない。自分の存在の意義を問題にするようなことを</p><p>&nbsp;</p><p>したがらないものである。しかし私達は、自我により、知らぬ間に人を傷つけ自分の</p><p>&nbsp;</p><p>思いを押しつけ、それで正しいと思っているのだから困ったものである。</p><p>&nbsp;</p><p>その主体となる自我に気づかされると、いかに自分が傲慢で自己中心的であったかを気づかされる。</p><p>&nbsp;</p><p>そこに慚愧、恥ずかしいという思いが生まれ今までの主体となった自我を客観的に観る眼が生まれる。</p><p>&nbsp;</p><p>これを、主体の転換といい、回心という。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12698697833.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Sep 2021 18:21:33 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>如自当知</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自分の価値観を吟味するということは難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>価値観は物事を見る時判断する時の基準である。</p><p>&nbsp;</p><p>基準が狂っているならば、全てが狂っており、正しく物事を見る事ができない。</p><p>&nbsp;</p><p>基準を吟味する事によって修正を加えることが出来るのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>その前に私達は基準となる価値観を疑う事をしない。自分の価値観は正しいものだと</p><p>&nbsp;</p><p>決めているのである。まずいかに自分の価値観が狂っており自分が間違った価値観を</p><p>&nbsp;</p><p>人に押し付けているかに気づかなければ始まらないのではないであろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>物事を正しく見る。何が正しいのかは分からないが、自分の価値観が正しくないという</p><p>&nbsp;</p><p>自覚が物事を見る基準である。</p><p>&nbsp;</p><p>人を非難し裁く人は、自分の価値観は間違いないと握りしめている人である。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/syamon228/56/22/j/o0370032014966538160.jpg"><img alt="" height="320" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/syamon228/56/22/j/o0370032014966538160.jpg" width="370"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12684217211.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Jul 2021 10:05:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>仔猫</title>
<description>
<![CDATA[ <p>仔猫がミーミー泣いている。どこで泣いているのだろう気になる。</p><p>&nbsp;</p><p>翌日庭先に仔猫がいた。ミーミー泣いている。親からはぐれたのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>娘と一緒に窓から覗いてみる。仔猫はじっとしている。</p><p>&nbsp;</p><p>昼寝をしているのか倒れているか心配になり、娘にミルクを少しだけ持って近づいてみてもらった。</p><p>&nbsp;</p><p>仔猫はムクリと起き上がり、走って逃げていった。元気そうでほっとした。</p><p>&nbsp;</p><p>しばらく仔猫の泣いている声を聞かなかったので、親の元に戻れたかな</p><p>&nbsp;</p><p>と思っていたのだが、またどこからかミーミーと声が聞こえる。</p><p>&nbsp;</p><p>聞こえていても、聞こえなくても、気になるものである。</p><p>&nbsp;</p><p>何もできないが、野良として元気に育ってほしいと勝手な事を願っている。</p><p>&nbsp;</p><p>これは自分の都合で何もできない、傲慢な自分の姿なのであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>..</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210621/23/syamon228/a7/0d/j/o0142012314961011065.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="123" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210621/23/syamon228/a7/0d/j/o0142012314961011065.jpg" width="142"></a></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12682020130.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jun 2021 23:23:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>話題はワクチン接種</title>
<description>
<![CDATA[ <p>お参りに行くと話題はもっぱらコロナのワクチン接種である。</p><p>&nbsp;</p><p>75歳以上の人はもう接種しましたか、予約とれてますか。予約大変でしたよね。</p><p>&nbsp;</p><p>65歳以上の人には予約決まりましたか。予約ずいぶん遅いですね。等々のお話が出る。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで悩むのは、この人はいくつなのだろうか？という事である。</p><p>&nbsp;</p><p>この10歳の幅が失礼に当たらないかと考えてしまうのである。65歳以上の人に</p><p>&nbsp;</p><p>75歳以上の人のつもりで話してしまうと、老けて見えると言っているようなものである。</p><p>&nbsp;</p><p>65歳になっていない人にも予約とれました？と聞くと65歳以上に見えていると言っているようなものである。</p><p>&nbsp;</p><p>女の人にとっては幾つになっても若いですねと言ってもらいたいものだと思うし、</p><p>&nbsp;</p><p>老けてますねは不味いのではないであろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>何事も執われなければ、気にならないのであるが、些細な事でも執われるのが私たちである。</p><p>&nbsp;</p><p>気分が良くなったり、悪くなったり、自分のこうでありたいという思いは切りがないものである。</p><p>&nbsp;</p><p>という事は、こうでありたいという思いに執われている自分に気づかされると</p><p>&nbsp;</p><p>図々しい自分が見えてくるのである。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ人は死ぬまで若々しくいたいのかもしれないが。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210528/09/syamon228/fe/65/j/o0194016814948577780.jpg"><img alt="" height="168" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210528/09/syamon228/fe/65/j/o0194016814948577780.jpg" width="194"></a>.</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12677153097.html</link>
<pubDate>Fri, 28 May 2021 09:55:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>パンの問題</title>
<description>
<![CDATA[ <p>清澤満之の言行録</p><p>　先生曰く、世人はパン問題に苦しむという。されどパンの不足は我等に</p><p>苦痛を与うるものにあらず。パンを求る心こそ人を苦しむるなれ。ゆえに</p><p>パンあるもパンに苦しみ、パンなきもパンに苦しむなり。如来我に食わし</p><p>め給わば我れ世に生きん。如来我に死を命じ給うが為にパンを与え給わず</p><p>んば、喜んで如来の御国に行かんかな。　　（暁烏　敏）</p><p>&nbsp;</p><p>　コロナ禍にあり、経済的に苦境に立つ人が増えている。お金がないとい</p><p>うことは勿論苦しい。生活が成り立たなくなる恐れや不安が心の中で湧き</p><p>上がってくる。今の状況は状況として受けいれなければならない。問題は</p><p>その湧き上がってくる思いに苦しんでいるという事である。</p><p>我の思いは思いでしかないと知るならば、思いを離れ今を見ることが出来る。</p><p>思いは煩悩でしかなく、煩悩に振り回されているのが私である。</p><p>&nbsp;</p><p>..<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210513/22/syamon228/93/59/j/o0795059614941478337.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210513/22/syamon228/93/59/j/o0795059614941478337.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12674328697.html</link>
<pubDate>Thu, 13 May 2021 22:23:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>' 日常 '</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　愚痴を言ったり嘆いてみたり、誰かに言わなければ我慢ができない事がある。</p><p>&nbsp;</p><p>聞いてみると成る程、その通りですね。と納得できる時もあれば、「うーんそれはどうだろう」</p><p>&nbsp;</p><p>と疑問に思うこともある。だからといって、それは貴方が悪いと面と向かって言おうものなら</p><p>&nbsp;</p><p>こちらに矛先が向かってくる。</p><p>&nbsp;</p><p>だが問題は、何がいいか、悪いかではない。良い悪いを握らずにおれない自分が問題なのであ</p><p>&nbsp;</p><p>る。「隣のうちの人が、考えられない事をする。」常識的に考えればありえないだろうというこ</p><p>&nbsp;</p><p>とをする。納得できるわけない。その時自分を苦しめているものがなんなのかを考えてみる。考</p><p>&nbsp;</p><p>えてみるとその人がそんな事をしなければこんなに苦しむ必要が無いのにと思う。自分にとって</p><p>&nbsp;</p><p>都合の悪いことをしてくる人に対して出てくる思いというのは、キリがない。親であろうと、兄</p><p>&nbsp;</p><p>弟であろうと、思い通りにいかなければ、次々に思いが溢れてきて愚痴になっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>私の日常が愚痴に溢れているならば、私の思いを見つめる必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>この思いは何なのかを、自分の思いが愚痴しかないと気づかされると、自分の人生が自分の思い</p><p>&nbsp;</p><p>に振り回されていることに気付かされる。なんて無駄なのであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>思いは思いでしかない。思いはそのままに、今出来ることをすればいい。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210218/20/syamon228/46/a0/p/o0468046814898410187.png"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210218/20/syamon228/46/a0/p/o0468046814898410187.png" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12657486559.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Feb 2021 20:58:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日常の悩みや苦しみは尽きることがない</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　日常の生活が、様変わりしてしまったような今日であるが、それもまた日常であると頷かされる。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">私達は、今という時をそのままに受け止めるという事をなかなかしない。自分の思いでああではない、こうではないと腹を立てたり、愚痴を言ったりしながら過ごしている。それも私達の楽しみの一つとして見る余裕があれば今を過ごせるのであるが、それが私達の執着になり次から次に出てくる思いに振り回されるような事になれば、それは私の障りになり苦しみになる。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　であるなら、私達の次から次に出てくる思いを、執われる事なくそのまま受け取れるならばなんと楽だとは思わないだろうか。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">日常の悩みや苦しみは、今という時に目覚めるならば、生も死も、老いも若さも、病も健康も今私のところにある事実でしかない。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">その事実を見ることが出来ないというのが、私達の大きな病である。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　とはいえ、思い通りになるならこんな楽なことはないと思う。・・・・・・その考えが今を見えなくしている。</span></p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/22/syamon228/72/4e/p/o0292029214887713633.png"><img alt="" height="292" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/22/syamon228/72/4e/p/o0292029214887713633.png" width="292"></a></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12652984049.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Jan 2021 22:41:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>目から鱗</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　目から鱗という言葉がある。思いもかけないことに気づかされる様を表す言葉であるが</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">日常の生活の中で、思い込みにより気付かないことは山ほどある。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">というより思い込みで、正しく物事を見れなくなってしまっている。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">例えば今ある状況とその状況を苦悩に変えるものは別である。しかし私たちはその状況が苦悩なのだと勘違いする。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">新型コロナウイルスにより生活は困窮し思い通りにいかない事ばかりである。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">それはコロナウイルスのせいで私は苦しくて仕方ないと思う。しかしコロナウイルスそのものが私たちの苦悩を生み出しているわけではない。その状況を受け取った私が、自らの思いにより振り回され、その心に. より自らを傷つけてしまう。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">だがそれを頷くことは難しい。状況的に絶望の中にいる時に、その絶望に苦しめられているのではなく自らの心が自らを苦しめているなどという言葉は納得がいかないものなのである。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　目から鱗という言葉のように、今の状況に愚痴を言い腹をたて苦しんでいる自分の姿に、</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">ああ違っていたと気づかされなければ正しい状況を見ることは出来ない。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">その時に一歩踏み出す力が出るのであろう。</span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201117/21/syamon228/65/d3/j/o0627083714852788402.jpg"><img alt="" height="561" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201117/21/syamon228/65/d3/j/o0627083714852788402.jpg" width="420"></a></p><p>,</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12638634885.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Nov 2020 22:14:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>背柱側湾症という病気？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　人の気持ちに寄り添うというのは非常に大切な事かもしれない。</p><p>　自分は背柱側弯症という病気を持っている。背骨が湾曲しS字になる病気である。中学生位から治療してきたのだが、成長が止まったくらいから、治療というものをしなくなった。まあコレは一生そのままのものとして受け止めている。たまたまこの前から五十肩が悪化し治療に行った時、側弯の影響ではないかという事で側湾症に詳しい先生のところにまわされた。しかしその先生は「側湾症というのは今までそのままに育ってきた人には特別なものではないのですよ」と言われた。それを聞いた時、病気としてみていた側湾症を自分の当たり前の姿として見てくれる事にほっとしたものを感じた。自分の姿を肯定されるというのは、何かほっとするものだなとその時思ったのである。</p><p>人は自分を肯定したいものなのかもしれない。認めてくれる人を求めているのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし当たり前のように、そこにあるものをそのままに認めてあげるというのは難しいものである。自分で自分を認めてあげる事ができるだろうか。それを発見する事が必要なのである。そのままの発見である。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/22/syamon228/71/13/j/o0768076814840626664.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/22/syamon228/71/13/j/o0768076814840626664.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/syamon228/entry-12633889306.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Oct 2020 22:44:03 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
