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<title>脈拍のメモ帳</title>
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<description>ただの脈拍のようなメモ帳代わり</description>
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<title>人間性を捧げよ</title>
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<![CDATA[ このブログも書くのもなかなか久しぶり。最近書くこともなかったからしょうがないね<br><br>さて、かなり遅い挨拶となりますが年が明けました、謹んで新年のお祝いを申し上げます。本年も皆様よろしくお願い致します。<br>何故ここまで遅れたのか、色々理由はあるが一番大きい理由は「俺自信がブログをやっていることを忘れていた」という実にしょうもないことだ。<br>12月は様々なことで忙しく、あまりブログや他のゆとりに手を回す余裕がなかった。ツイッターは相変わらずやっていたが<br>そうこうしているうちに自分がブログをやっていることをすっかり忘れていた。ブックマークを整理してなかったら更に発覚が遅れていたことだろう。<br><br>言い訳はこれくらいにして今後の方向性を指し示していきたい<br>「絵のメモ」、「妖怪とか伝承とかの話」、今まではこの2つしか書いてなかったが、最近すごく面白いゲームも始めた。<br>「ダークソウル」というアーマードコアなどを作っているフロム製ゲームなのだが、わりと有名だったので知っている人も多いだろう。かくいう俺も前々から存在は知っていたのだが、「死にゲー」と呼ばれるジャンルと聞いてなんとなく敬遠していたのだ<br>だが最近、ファンタジー系のゲームにハマりだして色々情報を漁っていたらこのゲームの名前がなんとなく目について、敬遠を取り除きやる覚悟をしたのだ<br>しかしやってみるとこれがすごく面白い。世界観は重厚でダークなファンタジーといったところか、暗闇などに敵が潜んでいたり、幻想的とは正反対な醜いモンスターがいる世界。空を見ても消して明るいとは言い難く、雲の隙間から差し込む光がダークな世界観を醸し出している<br>今後はこのゲームの進行具合もこのブログに書き記していきたい<br><br>このゲーム、本当に「死にゲー」で何度も何度も死んで攻略法を編み出すゲームになる。しかしそれもなかなか自分には楽しい。まだまだストーリーは進んでいないが多分何百時間もやりこむことになりそうだ
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<pubDate>Sat, 10 Jan 2015 00:08:51 +0900</pubDate>
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<title>魂袋</title>
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<![CDATA[ ヘルシングを見てたら吸血鬼への興味が再び湧いてきたからそんな話<br><br>まず「ドラキュラ」「吸血鬼」「ヴァンパイア」の違いについて、まずドラキュラと吸血鬼の違いが分かる方は多いと思う。簡単に説明すると吸血鬼は種族名でドラキュラは固有名である。「吸血鬼ドラキュラ」は「人間の田中くん」と同じような感じである。<br>吸血鬼とヴァンパイアの違いについてだが、これはあまり説明されないというか、別に同じでいいんじゃねえのって感じだが、一応説明しておこう。<br>「吸血鬼」は相手の生き血を吸ってエネルギーと魂を得る。しかし「ヴァンパイア」は血に限定されず、相手の精気を吸って自分の糧とする。そういう意味では狼男もヴァンパイアに分類されるだろう。<br><br>吸血鬼といえば「力が強い」「コウモリに変身できる」「プライド高そう」「魔術使えそう」とかそんな感じの印象であろう。いい部分だけを抜き出せば吸血鬼というものに憧れをもつ人間は多いだろう。俺もなりたい。これだけだったら<br><br>強いものには弱点を付けないと倒す術がなくなり、物語が進まなくなってしまう。そんなわけで御存知の通り吸血鬼にも弱点が有る。数だけならメリット以上に。<br>「日光ヤバイ」「流水渡れない」「にんにく無理」「十字架見れない触れない」皆さんがよくご存知なのはココらへんではないか。<br>その他にも「招かれないと家に入れない。」「銀の武器で死ぬ」などがある。そう、非常に豊富な弱点を備えているのだ。<br>強い力には強い制限もあるということか、やはり怪物も世知辛い。しかしこの弱点があっても尚吸血鬼になりたいという人間は多い。俺もなりたい。<br><br>近年ではこの弱点を克服したり、前提を若干崩したりしている吸血鬼が出る作品も多い。十字架が平気だったり、首筋以外のところから口以外の部分で血を吸ったり、棺桶で寝ることがなかったり・・・多種多様な創作物に多種多様な吸血鬼が存在するのだ。<br><br>「こんなの吸血鬼じゃない！！」と憤慨する方もいるだろう。人の考えは様々だ。自分はむしろこの現状は賞賛されるべきだと思う。<br>多種多様な設定が生まれたことで作品にバリエーションが出てきているのだ一つの設定を延々と使っていたらマンネリになってしまう。つまり作品がつまらなくなってしまうのだ。<br>その道を辿らず、独自設定の吸血鬼を描くことによって作品を目新しくさせ、飽きがこないようにする。<br>俺は創る側の人間なのでこっち側に考えが偏るが、人によってそれこそ色んな意見があると思う。<br>しかし別の側に立つ人間を全て否定すれば視野が狭まってしまう。どちらの意見も少なからず頭に入れておくべきではないか。<br><br>作品を、創作物界隈を衰退させないための術を垣間見ているような気分のお話でした
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11963904497.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Dec 2014 23:55:32 +0900</pubDate>
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<title>エモーション・プロモーション</title>
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<![CDATA[ ある方がベースについて書いていたので俺もなんとなく思い出したこと書きたかったり。<br><br><br>俺はギターをやっている。フォロワーのみんなはわりと知ってるかもしれないのだが俺はギターをやっているのである。エレキギター。マンソンギターMA1。ファズファクトリー。そう、やっているのである。<br><br>ある程度年を重ねてやっているわけで、当然バンドも組んでいるのである。まぁまぁ上手いと自負しているが、それはまた今度のお話。<br>お恥ずかしい話、所謂東方アレンジ曲やオリジナル曲もお遊びで作ってるわけで、バンド内で弾くだけでも満足してるがいつまでもそうとはいかず、どうせなら誰かに聞いてもらいたい、自分がどこまで通用しているのか挑戦してみたい、そんな挑戦欲が生まれてくるのである。<br>じゃあ早速録音してニコ動辺りに投稿して反応を見よう。しかしそうはいかない。どうせならなにかに拘りたい。今思えばこれは曲で負けてもこの「こだわりの部分」で勝てればいいやという一つの保険だったかもしれない。<br>話を戻そう。兎も角曲以外にも拘りたい、そうして拘りを考えるがどう考えても一つしか思いつかない。<br>そう、PVである<br>曲にPVをつければ曲もかっこよく見える！さらにかっこいいPVを付ければ何度も見たくなる！聴きたくなる！そんな凡な発想だ。<br>ニコニコ動画にも手書きで描かれたPVはたくさん存在する。だったら俺達にも作れるのではないか。しかし馬鹿な話である。バンドメンツで絵を描けるのは俺だけだ。しかもイラストレーターなのでアニメーションなんて経験があまりない。<br><br>誰かが言った<br>「でも一人でPV作ってる人いるし本職にしてるお前ならイケそう。」馬鹿かコイツは<br>また誰かが言った<br>「そうだよ。一人でも大丈夫だよ。頑張ってね」こいつら手伝う気がないのか。<br><br>結果として兎にも角、ある程度の奮闘はした。構想を練り、下描きを何枚か用意した。しかし俺のやる気は燃えやすく冷めやすい、そこからストーリーを作り、音楽のテンポに合わせての場面転換、キャラクターを動かす、作業は山積みで早速俺は飽きてしまった。<br><br>PVを作っている人は尊敬する。よくあそこまで聴き手を惹きつけるPVを作れるものだ。テンポに合わせた上手い場面転換、発想、考え方、世界の広がせかた、全てがバランスよく組み合わさって音楽と合わせて見やすいように、場面が連想しやすいように作られてる。<br>俺もいつか一人でかっこいいPVを作りたい。そんなお話でありました
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11962329114.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Dec 2014 23:49:05 +0900</pubDate>
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<title>人心観察</title>
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<![CDATA[ 最近の不安だとかを後々の為に色々を書き綴るだけ。<br><br>俺は基本的にエゴイストって感じで動いているからどこかで陰口を言われてるかもしれないし、実際陰口を言われるような接し方もしてきたから特に気にならない、と思っている。陰口を言っている相手は自分にとってはどうでもいい人ばかりなので言ってもどうにも感じない。自分も他人の悪口をツイッターに書いてるからお互い様だ。<br>だけど他人が他人の陰口を言っているのを見るとなんとなく心に曇が生じてくる。その相手が陰口を言われている事を知ったらどんな心境でその後、言っている相手と接触するのだろう。どんな気持ちで相手を見るのだろう。対抗とばかりに陰口を言い返すのだろうか。そんなことを考えてしまう。<br><br>自分の嫌いな相手の事なんて考えたくないという気持ちだから、自分が陰口を言っているときは相手の気持ちを度外視して自分の辛みを吐き散らすのだろうか。自分と全く接触がなく、それこそ「どうでもいい」というような存在だから、他人が他人の陰口を言っているときは心境を考えてしまうのだろうか。<br><br>自分を正当化させる気などはないが、言われた側の相手の気持ちを考えて悪口を言うなどということは不可能だ。相手の気持ちを考えられるような間柄なら陰口などは言わないし、そもそも相手の気持ちを考えられる人間には陰口を言う相手は滅多に現れない。相手の心境を考えられないほど憎み、声にして吐き出さないとストレスが爆発してしまうような相手なのだ。相手の気持ちを考えるなどということはお門違いだ。<br><br>自分でも正直何を書いていいかわからないがこの記事も、ある一人の人間にへの、自分と血がつながっているあの人への陰口だ。あの人の心情なんか知りたくもない。という一つの悪態であり悪口である。<br>そして「他人」と「恨むべき相手」への心への考え方の違い、これがなんとなく自分を不安にさせている。そんなメモでした
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11961116308.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Dec 2014 23:55:49 +0900</pubDate>
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<title>レイド</title>
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<![CDATA[ 季節外れに襲ってくる虫って意外とウザい。そんな話<br><br>今日、うちの家で大量の蚊が飛んでいた。捕まえた数は少なくとも８匹、しかも今現在進行形でﾌﾞｰﾝﾌﾞｰﾝ聞こえる。<br>花瓶の水などは割りと入れ替えてるつもりである。一体なにがこの蚊を増やしているのか、全くわからない。そもそもこの時期にこんなに蚊が出てくるのは不可解ではないか、暖房も特に付けていないしぶっちゃけ部屋の中は常に震えるほど寒い。なのにこの部屋に好んで入ってくる蚊は一体何を考えているのか。<br>生憎俺は人間様なので別の種族が考えてることは顔を覗いても分からない。<br><br>そもそも人間以外に「感情」や「性格」などが存在する生き物はいるのだろうか？それぞれ「癖」をもった生き物はいるだろうが、感情などの概念を持つ生き物はこの世に存在するのであろうか？人間には少なくともこの２つは存在する。自分には存在してる。自分は人間なので恐らくは同じ人間である皆様にも存在するであろう。<br>しかし種別や体の作り、ありとあらゆる物が違う、共通してるのは「生きている」ということだけの虫、動物、植物etc...には感情というものがあるのか、非常に興味深く、永遠に辿りつけないようなこの難題、はたして解ける「人間」がいるのだろうか？「感情を持っている」人間が「感情を持っていない」生き物のことを理解出来るのであろうか？<br>何かを持っているものは持ってないものの気持ちが分からないというのが世の常である。その答えは永遠に出ないのかもしれない。<br>人間から決められたとおりに完璧に動く科学などを使っても、血液などと違って、常に不規則、予測不可能な動きをする「感情」というものを完全に捉えるのは不可能かもしれない。<br><br>しかしはっきりと感情を持っている人間だけが特別な生物ではない。虫にも感情に位置する、あるいは人間には観測出来ない「なにか」を持っているかもしれない。<br>生物の神秘って凄いなぁと思い、蚊をデストロイしていく俺でしたとさ。」
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11960719342.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Dec 2014 23:55:32 +0900</pubDate>
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<title>壁の向こうの呟き声</title>
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<![CDATA[ ツイッターのフォロワーがブログでツイッターの話をしていたのでなんとなく自分も思ったことを。<br><br>最初、自分はツイッターが流行り始めた当初は「一人で小便垂れ流すような独り言を投稿して何が楽しいんだ・・・？」と思っており、流れに乗って始める気はサラサラなかった。ファボやRT、リプという機能の存在を知らなかった、というのもあるが、やはり独り言をいちいち文字にする必要性を感じなかったからだ。<br><br>実際、コミケのサークル告知の為に作ったアカウントも特に呟きたいこともなく、適当に宣伝を垂れ流していただけだった。ツイッターを始めたがそのツイッターの特徴を全く捉えず「仕方がないから」使用しているにすぎなかった。<br><br>約1年前の夏あたりに始めた新しい(現在よく使用している)個人的なアカウントも特に色んな人をフォローせずただ無理して何かを無理やりつぶやいて、結局少しの期間放置してしまうという惨状。今でこそよく使ってるアカウントだが、初期のツイートは見るに耐えないものとなっているだろう。<br><br>しかし今年に入り、本格的にツイッターをやり始め、その中で様々な人をフォローしていくことでなかなか「目新しい」ツイッターというものが見えてきた。ただ皆が独り言を呟いていた想像していたツイッターとは別のツイッターだった。<br><br>自分の現状や心境を語り、それに対する考えを出す人、その人にリプを送り、自分の意見や反論を示す人、空リプでひたすらダジャレを言ったりする人。それこそ様々なツイートが自分のTLに流れ込む。それが自分にはとても楽しい物だった。自分はそれに混ざりたいと思ったのだ。<br><br>ツイッターで呟いてる人物とは、壁の向こうの住民だ。顔も知らなければ声もわからない。そんな人達が遠慮もなくズバズバ言葉のメスを入れているのが楽しくて堪らなかった。この現状を見て俺も「ツイッター・・・楽しい！」と思い、今のような状況になる。<br><br>もっと書きたいことがあったが長くなるのも面倒臭いし今日はこれまで。またいつか書くかもね。
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11960313783.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Dec 2014 23:59:45 +0900</pubDate>
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<title>瘢痕</title>
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<![CDATA[ 前に物忘れの事を書いたけどなんとなくそれに関連するようなしないようなお話。<br><br>絵を描いてると極々たまーにだけどスランプが起こる。1年に一回起こるか起きないか程度だがスランプというのは一度起こると非常に抜けにくい。そしていつ起こるか分からないから非常に怖い存在だ。<br>なにか専門的な仕事をしている人にはスランプの恐ろしさは十分わかると思う。<br>なにせ自分の生命線が狂ってしまうような現象なのだ。恐ろしくない人のほうが少ないだろう。出来るだけ出会いたくない存在だが全く無視していくというのもなかなか難しい。なにせこっちから近づくのではなく向こうから近づいてくるのだから。<br><br>スランプというのは何故起こるのか。なんとなくな自分の考えをメモしていきたい。<br>「スランプ」というものは最初はただ単純な失敗から始まるのではないか。<br>単純でほんの些細な失敗。そこから頭の仕事に対する考えがマイナス思考に染まっていき、そのマイナス思考がさらに失敗を生む・・・所謂負の連鎖というものだ。その負の連鎖に「抜けにくさ」が備わる、それが「スランプ」なのではないか、と自分は考えている。<br><br>抜ける方法はただ単純に「プラス思考」に考えればいいだけだが、それがなかなか難しい。例えば口の中に美味しいストロベリーアイスが入ってる状態で「ブルーベリーの味を連想してください」と言われてもなかなか思い出せないだろう。それと同じことで、マイナス思考に染まった脳を真逆のプラス思考に変えるということはポジティブな人間ではないとなかなか難しい。<br><br>対策としてはやはり些細な失敗で挫けないことが大切なのである。が、そのつもりでもいつの間にか悲観的な考えを持ち、スランプの蟻地獄に嵌ってしまった、ということもある。<br>やはり落ちてしまったものはどうしようもない。嵌ってしまっても出来る限り落ちていかないことが重要である。穴は深く潜れば潜るほど抜けるのが大変であり、それはスランプにも言えることだ。<br><br>悲観的な考えをセーブするようにして、ポジティブな思考を培っていこうと考えたメモでした。
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11959909307.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Dec 2014 23:55:28 +0900</pubDate>
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<title>切っ先</title>
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<![CDATA[ 流れに乗って始めたこの三日坊主にせんと頑張ってきたブログだがなんとか1週間を迎えた。<br><br>最初は「まぁすぐ飽きるだろうな。もって4日程度か」などと思っていたがブログを書いてるとなかなか楽しい。<br>すぐ尽きると思っていたネタも案外尽きないもので、むしろ湧いてくる。ブログのネタを探すのが楽しいのもあるだろうが、その日や自分を振り返ったり、自分なりの絵に関するメモを残すというのが楽しいのだ。<br><br>書くのも楽しいが見るのも楽しい。流れに乗って始めたので当然流れを作ったフォロワーや乗ったフォロワーもいる。そいつ等のブログを見るのがなかなか楽しかったり、わりとへぇ～っとなる話題が多い。映画の感想を書いていたり、食レポをしていたり、過去を振り返ったり・・・<br>多種多様な話題があり、見ていて非常に飽きない。学生の頃、たまたま見つけてしまった友達の日記をちょっと見るだけのつもりだったのに、長々と読んでしまうような楽しさ・・・ツイッターとはまた別の面白さがあるのだ。<br><br>さて、話は大きく変わるが、今年も師走に入り一年の総決算の日がきた。気持ちだったり覚悟だったり、決算するものは様々だが一年を振り返るというのは共通しているだろう。<br>この一年、自分も本格的にツイッターを始めた年だったのでわりと新鮮味がある一年だった。振り返る程大層な経験はしていないがなかなか楽しい1年と言える。それこそ社会という面で振り返ればこれほど事件のあった年も珍しいが・・・<br><br>年の最後への考え方は様々だろう。名残惜しく一年を終える人もいればスカッとした気持ちで1年を終える人もいる。そんな師走、皆様も過去を振り返り、自分を総決算してみてはいかがでしょうか。
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<pubDate>Mon, 01 Dec 2014 23:48:13 +0900</pubDate>
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<title>銃声的記憶</title>
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<![CDATA[ 最近、というか近頃この頃、ど忘れの「強さ」が激しくなってきた。<br><br>なにか作業してる時に本のネタや構図が頭の中にびびっときて「早速書かなきゃ」と思っていざペンタブを握ったら「・・・？なんで俺はあの作業を放置したんだ？」となる。なんでペンを握っているのか、ではなくなんであの作業を放置したのか、である。つまりアイデアを思いついたこと自体を忘れてる。これはヤバイ、と思いながらも「思いついた」ということを忘れているのでヤバイということにもすぐには気づけない。これはなかなか厄介だ。<br><br>みんなは思いついたことをメモすりゃいいじゃん、と思うかもしれない。実際俺もすぐメモをとることを思いついた。しかしアイデアが浮かんだ時にメモ帳を取り出すとまたアイデアを忘れてるのだ。流石にこれがしょっちゅうあるわけではないが、アイデアという一つの財宝を逃すのはなかなかもったいない。<br><br>自分なりに考えるとどうも「次の動作に移る」と忘れるようだ。つまり「アイデアを思いついた」あとに「メモを取り出す」動作をすると忘れるっぽい。<br>ならば動作を出来るだけ少なく、短くしたらどうだろう。常にペンを携帯しておきアイデアが思いついたらその場ですぐ机でもなんでも書けるところに書くのだ。申し訳ないがまだ試していないので効果は分からないが、自分でもなかなかいい「アイデア」だと思う。<br><br>まだ若いのにこんな強いど忘れがあって大丈夫なのか。もう少し身体を大事にしようと思う話でした
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<pubDate>Sun, 30 Nov 2014 23:55:15 +0900</pubDate>
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<title>時の流れに唯風化</title>
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<![CDATA[ 昔描いた絵を眺めてた<br>時間の流れが最近早いと思ってた俺だが最初期の頃に描いた絵はやっぱりかなり昔に描いたと実感がある。昔の俺は味があるというか、バランスなんてどうでもいいからとにかく絵を描きたいって感じの絵を描いてた。つまりドヘタ。<br><br>この世には何事にもスイッチや発端、原因というのがあるもので、自分が絵を描いたのにもきっかけがあるのだ。しかしそのきっかけがどうにも思い出せない。ツイッターを始めたきっかけやギターを始めたきっかけや、それこそどうでもいいようなきっかけはポンポン思い浮かぶが、絵を描いた理由がどうしても思い出せない。<br><br>俺はなにを思い至って絵を描き始めて今に至るんだろう。<br>最初は絵を描いて何がしたかったんだろう。<br>多分、昔の俺は絵を描くのが楽しかったのだろう、ならば絵を描くことが楽しいからこの道に進んだのか、それも違う気がする。「楽しい」という感情はあくまできっかけを後押ししただけであって、それ自体がきっかけではない気がする。ではその後押しされた「きっかけ」とはなにか<br>やっぱりさっぱりわからない。<br><br>これは所謂「最初の気持ちを忘れてしまった」状態なのか。今でも絵を描くのは楽しいと思っているが最初の頃の楽しさを忘れてしまったのだろうか。そうなのだとしたらなんだか無性に悔しい。最初の頃の気持ちを持続出来ないままというのは如何なものだろう。<br><br>きっかけというものはとても些細で単純なこともある。しかしその些細な事が後を大きく変えるかもしれない。小さいとか単純とかが大切なのではなくその時の気持ちが、きっかけには必要なのかもしれない。<br>きっかけというものを少し大事にしようと思っただけの話でした
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<link>https://ameblo.jp/syobonter/entry-11958590734.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Nov 2014 23:37:33 +0900</pubDate>
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