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<title>HIROブログ</title>
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<title>くも膜下出血⑥  その後・・・</title>
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<![CDATA[ <p>再手術後は、何事もなく3月に1度の通院と2回に1回のMRI検査を行い、血栓予防と血圧降下だけになりました。</p><p><br></p><p>走るの何だか血圧が上がってしまう恐怖心があり運動ができていませんが、ハイキングや初心者向けの山登りには出掛けていました。</p><p>主治医からはしっかりと対処してあるから、飛行機にも乗っていいと言われていました。</p><p><br></p><p>翌年、MRI検査でコイル内にごく僅かの血が入り込んでいる事が判明しました。2.5mm位らしく、再々手術するには1本入るか入らないかの大きさらしく、</p><p>①3ヶ月に1回のMRI検査で大きくなっていないかを確認して大きくなったら手術</p><p>②造影剤検査を行い、入り込んでいる血が固まっていれば問題なし、固まっていなければ状況によってはそのまま手術</p><p>で検討した結果、①になりました。　</p><p><br></p><p>そのため、富士山登山をしようと山小屋を予約したのですが、低い山から徐々に高い山にしながらコイル内の血の様子を見るとの事で予約をキャンセルしました。また、安全が確認出来るまでは飛行機にも乗れなくなりました。</p><p><br></p><p>その後、野球はプレイも怖かったのでチームのお手伝いと思い試合のスコアラーをやりました、しかし、ベンチ内に居ることがとても恐ろしくて、プレイも手伝いもできない状態なのでチームの監督に辞める事を申し出たのですが『俺が監督の内は辞めさせない』と休部扱いとなりました。</p><p><br></p><p>手術から4年が経ち、後遺症もないのですが、まだランニングもしていません。</p><p>主治医からは『トイレの際に踏ん張らないように』との注意を受けています。</p><p>最近ではコロナで遠出ができないので、週末に妻と2人で近所を1〜長いこと時には5時間ウォーキングしたり、犬と散歩したりとのんびり過ごしています。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674953630.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 04:15:59 +0900</pubDate>
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<title>くも膜下出血⑤ 再手術</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><p>4月が免許の更新だったのですが、警察署では更新は行えず、所定の様式の医師の診断書に加えて、試験場で反応力の検査も行い更新することができました。</p><p><br></p><p>3ヶ月経った位で、主治医の先生が変更となり、8月の検査の際に『コイルが血流で押されて凹んでいるので、そこを詰める必要がある』と言われ、2度目の手術を行う事になりました。</p><p>当初から言われていた事だったので心の準備はしていましたが、少し恐怖心を感じた事を覚えています。</p><p><br></p><p>9月になり、今度はHCUに入りました。2人部屋でテレビも観れる部屋でした。</p><p>看護婦さんには『お帰り』や『あらっ戻ってきちゃったの』など言われましたが、元気のいい看護婦さんには『ICUから退院するなんて😡』と怒られもしました😅</p><p><br></p><p>手術当日、手術室の横にある控室で手術室に移動する準備をしていた時に1台の救急車が到着し、そのまま呼ばれなくなってしまいました。</p><p>間もなく主治医の先生が控室に来て、『急患の方が手術室を使う事になってしまうかもしれないがいいですか？』と聞かれ、『私は一刻を争う手術ではないので、私も運ばれてきた時に同じようだったかもしれないので、急患の方を優先にして下さい』と了承しました。</p><p>その後、看護婦さんから『主治医の先生が急患の方の手術を行う事になったのでもう少し待ってて下さい』と伝えられました。</p><p><br></p><p>2〜3時間位して主治医の先生が『大変お待たせしました』と迎えにきてくれたのですが、『昼食は食べられましたか？』と聞いたら、今、急患の方の手術が終わったとの事だったので、『是非、休憩をしてからお願いしたい』と頼みました。</p><p>とても細かな技術を必要とするカテーテル手術なので、忙しい中ではあったと思うのですが休む時間を作ってもらいました。先生からは『ありがとうございます』と言われ、妻と2人でもうしばらく控室で待っていました。</p><p><br></p><p>2回目の手術後は、意識障害も頭痛もなく、1週間で退院することができました。今度は、HCUから・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674952727.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 03:45:11 +0900</pubDate>
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<title>くも膜下出血④  退院後</title>
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<![CDATA[ <p>実は入院が土曜日で、週明けに4月1日付異動の内示があり、退院後は新しい部署での勤務となっていました。</p><p>新しい所属では、1人担当だった為、前任者が1月残って業務を行ってくれていました。</p><p>また、旧所属の長も異動だったのですが、仮に後遺症などなり業務に支障が出るようであれば、新部署での引き取ると人事部門に話をしてくれていたようです。</p><p><br></p><p>また、妻も4月から転職することで決まっていたのですが、前の職場の方々が入院期間中の穴を埋めてくれていたとの事でした。</p><p><br></p><p>この入院を通して、様々な方に支えられて生きているのだと強く感じることができました。</p><p>本当にありがとうございました🙇‍♂️</p><p><br></p><p>そして4月7日に退院となり、息子の中学の入学式にと言い出したら、もちろん妻に猛反対をされました😅その為、自宅でいろんな方から送られてくる写真を見て入学式を感じていました。</p><p><br></p><p>退院して感じたのが、</p><p>①寒がりになった事です。元々妻の方が寒がりなのですが、妻がスプリングコートを着ている時に私はダウンジャケットを着て過ごしていました。</p><p>②大きな音が、例えば、電車の音をホームで聞くと頭がパニックになる感じがしました。</p><p>③激しい頭痛</p><p>この①②は1年位でなくなりました。③は2ヶ月位で弱まり、半年位で無くなったと思います。</p><p><br></p><p>薬は、血液サラサラ、血栓予防、血圧降下、痛み止め、胃薬です。サラサラ薬は1年位でなくなりましたが、それまではお酒も止められていました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674951852.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 03:14:52 +0900</pubDate>
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<title>くも膜下出血③ リハビリ、退院まで</title>
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<![CDATA[ <p>意識が回復してからは話をする事もできました。</p><p>看護婦さんからは、『野球の格好で運ばれてきた人ね』や『奥さんに感謝しなさいよ』など運ばれてきてからの1週間の事をいろいろと教えてもらいました。</p><p>主治医の平光先生がとても若くてビックリもしました‼️</p><p><br></p><p>先生に呼ばれて、ICUの診察場所の様なところに置いてあるパソコンの前で、</p><p>・2cm位の脳動脈瘤が破裂して</p><p>・カテーテルで</p><p>・コイルを作り</p><p>・クリップ式よりも</p><p>などなどいっぱい説明してもらったのですが、何がなんだかさっぱりで、分かったのは、</p><p>くも膜下出血は、1/3の人は命を落とし、1/3の人は後遺症が残ってしまい、何事もなく生活出来る人は1/3の人だという事でした。その時点では、後遺症については分からない状況でした。</p><p><br></p><p>翌日からリハビリが始まめ、身体の動きと脳の動きとを観ていくという事でした。</p><p><br></p><p>身体の動きは、真っ直ぐ歩いたり、カニ歩きをしたりして動きを確認しましたが、思い通りに動いている様でした。</p><p>次に脳の動きでは、時間を決めて数字を繋げていってどこまで繋げられるかや、文書を読みながら決まった文字に印を付け、最後に文章の内容を説明するなど簡単な問題から難易度の高い問題まで様々でした。</p><p>身体を動かす方は何ともなかった気がするのですが、脳の動きの方はとても疲れた記憶があります。</p><p>3日間程度だった気がしますが、リハビリの中では後遺障害は無いとの事でした。</p><p><br></p><p>食事は普通の人と同じ内容でしたが、先生の指示で量は半分で、その代わりに毎回、ビタインゼリーが付いており、とても嬉しかったです。</p><p><br></p><p>ある日、先生に翌日から一般病棟に移ると説明され、看護婦さんにテレビカードの買い方などを教えてもらいました。</p><p><br></p><p>しかし、夕方になって一般病棟に空きが出なかったようで、何故か急に退院する事になってしまいました。しかもICUから・・・概ね2週間の入院となりました。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674949937.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 02:16:07 +0900</pubDate>
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<title>くも膜下出血② 意識回復まで</title>
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<![CDATA[ <p>病院に運び込まれてから意識が戻るまでの記憶はほとんど残っていませんが、気がついたら妻の他に父と母が『よかった』と言いながら笑っていました。</p><p><br></p><p>意識がはっきり戻るまでは1週間位掛かったみたいです。その間の出来事で薄らと覚えているのは</p><p>①ICUで看護婦さんに『ここは何処？』と大きな声で聞かれ、毎回『北原総合病院』と答えており、その度に『北原国際病院』と大きな声で言われていたこと。</p><p>『ここは何処?』とICUの奥の方から順に大きな声がするとビクビクと少し恐怖心を感じていました😅</p><p>②ベットの上で用を出したら、とてもとても臭かくて、意識がもうろうとしている中でも恥ずかしかったです。その後、個室のICUに移されたから、周りに迷惑を掛けちゃったから部屋を移されたのかなと感じたこと。</p><p>③個室のICUの枕の上に心拍数を表示する画面がありました。なぜかそれが仕事のデジタルスケジュール帳と思い込んでいたらしく、(明日の9時から茅ヶ崎のヨーカ堂で打ち合わせ)が入っていると認識していました。翌日に急に『ヨーカ堂に行かないと』と言いながら点滴を取ろうとしたので、『ここは病院』と強く言われたこと。</p><p><br></p><p>この③で何となく意識が戻ってきたらしく、妻や子供の事ではなく、『財布と車の鍵は何処に行った？』と何度も何度も聞かれたと、妻に嫌味っぼく言われたのも覚えています。</p><p><br></p><p>その後、妻が父母や姉達、職場や少年野球など連絡を取ってくれた事にとても感謝しました。</p><p><br></p><p>意識が戻った時には息子の小学校の卒業式は終わっており、いつ病院に呼び出されるか分からない状況だったので謝恩会にも出られず、息子には申し訳なかったと感じています。</p><p>また、ベットの上で息子からの手紙を受け取り、『中学校では野球部ではなくバスケットボール部に入ります』と書かれていました。楽しい中学校生活が送れるように一生懸命応援してあげようと思いました！</p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674947603.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 01:29:14 +0900</pubDate>
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<title>くも膜下出血①  病院まで</title>
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<![CDATA[ <p>2017年3月18日(土)くも膜下出血で手術しました。39歳でした。</p><p>手術後、妻がいろんな方のブログを読んで参考にさせて頂いていたと言っていましたので、あれから4年が過ぎ、記憶も薄れてきてしまっている部分もありますが、同じ体験をした方の参考になればと覚えている範囲の事を綴っていこうと思います。</p><p><br></p><p>当日は晴天で野球日和でした。3月にしてはとても暖かい日でした。大会に向けて試合形式の練習をしており、ベンチに座って休むこともなく、ピッチャーや守備、バッター、ランナーなどをやっていました。</p><p>練習時間も終わりに近づいてきた頃、ピッチャーとしてボールを投げ、左中間に打たれた打球を振り返って見た瞬間、後頭部で『ドーン』と鈍く鐘が鳴らされた様な違和感を感じました。そして、ショートから返ってきたボールを受け取り、次のバッターにボールを投げたら、山なりのボールになってしまいキャッチーまでボールが届きませんでした。</p><p>首の付近が軽いのか重いのか解らない様な変な感じもしたので、ピッチャーを代わってもらおうと歩いてマウンドを降り、歩きだすとバランスが取れずに倒れてしまいました。</p><p>2人の方が肩を貸してくれてベンチにまで戻ることができました。ベンチで横になりながら、カバンの場所を伝え、ペットボトルを取ってもらいました。この時は軽い脱水症状だと感じていました。(脱水症状になった事も無かったのですが、脱水症状とはこんなふうになるんだなと感じていました)</p><p>『平気か？』と問われると、『大丈夫です』と答え、フラフラしながら帰りの身支度もしましたが、運転は出来そうにもなかったので『もう少しベンチで横になり落ち着いたら帰ります』と言ったら、『馬鹿やろ！病院に連れて行くんだ！』と怒られ、3名の先輩方が役割分担を決めてくれていました。</p><p>遠くでは『そんな奴ほっといて早く帰ろうぜ』とブラシを掛けながら叫んでいる方も1名居ましたが・・・</p><p>先輩の方が、きっと頭だから『北原国際病院』がいいと病院に電話をして向かう事になりました。先導車、私の車、帰り球場まで戻る車の計3台で向かっている最中に、『具合はどうだ？』と聞からたので大した事は無かったのですが素直に『少し吐気が』と言ったら急にハザードを出して路側帯に車を止め、先導者と連絡を取り合い救急車を呼ぶことになりました。</p><p>到着した救急隊に同病院に連絡をした上で向かっている事を伝えて頂いたので、救急で掛かることができました。</p><p>ここまでの対応が本当に素晴らしかったと、3名の先輩方には心から心から感謝しています🙇‍♂️</p><p><br></p><p>救急車の中では自宅の電話番号を聞かれましたが、妻が買い物に行くと言っていたと伝え、妻の携帯電話の番号を伝えました。</p><p>未だこの時でも『重症の脱水症状かな?』としか思っていませんでした。</p><p><br></p><p>また、この日の夜に担当の会議が入っていました。次の日には息子の少年野球の総会があり、野球に行く前に市民センターで印刷した総会資料が車の中に入っていました！</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/syoutakuma0/entry-12674931598.html</link>
<pubDate>Sun, 16 May 2021 23:15:48 +0900</pubDate>
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