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<title>朱子の御朱印帖</title>
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<description>神社・仏閣大好きなOLです。仕事の合間に日本国中津々浦々を回っています。神社検定２級です♪１級目指す方、情報交換しましょう！</description>
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<title>蔵王堂（金峯山寺　金峯山修験本宗）</title>
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<![CDATA[ 金峯山寺にある蔵王堂（本堂）の御朱印です。<br><br>【御本尊】<br>蔵王権現3躯<br><br>【御開祖】<br>（伝）役小角<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140112/23/syu-kosan/ad/22/j/o0800113512812085376.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140112/23/syu-kosan/ad/22/j/t02200312_0800113512812085376.jpg" alt="" width="220" height="312" border="0"></a></div><br><br><br><a href="http://ameblo.jp/syu-kosan/entry-11748751437.html" target="_blank">金峯神社</a>の際にも書かせていただきましが、蔵王権現は実に不思議な仏です。<br>私は、祟り神（御霊）という日本的な観念を渡来したばかりの仏という新しい科学で処理した結果、生まれた仏なのではないかと考えています。<br><br>そんな蔵王権現を祭る金峯山寺ですが、一時荒廃。<br>平安時代に真言宗の僧・聖宝によって当時最新の末法思想なども融合して再興され、多くの参拝者を集めるようになりました。<br>さらに江戸時代にはあの天海が学頭に就任しています。<br><br>さて、蔵王堂。<br>実は蔵王堂はこちらだけはないのです。<br>山上の蔵王堂も存在し、明治時代に「大峯山寺」として分離独立しています。<br>私は残念ながらそちらには伺うことはできなかったのですが、次回がぜひ訪れてみたいところです。<br>私が御朱印をいただいたのは山下（さんげ）の蔵王堂。<br>残念ながら時間の関係で中を拝見することはできませんでした。<br><br>
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<pubDate>Sun, 12 Jan 2014 23:00:32 +0900</pubDate>
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<title>金峯神社（金山毘古命）</title>
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<![CDATA[ 吉野山にある金峯神社（きんぷじんじゃ）の御朱印です。<br><br>【御祭神】<br>金山毘古命<br><br>【御創建】<br>不明<br><br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140112/21/syu-kosan/c6/38/j/o0800120812811925635.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140112/21/syu-kosan/c6/38/j/t02200332_0800120812811925635.jpg" alt="" width="220" height="332" border="0"></a></div><br><br>御祭神の金山毘古命は、吉野山の地主神様であり、「鉱山」「製鉄」の神様なのだそうです。<br>かつて吉野山で鉱物が穫れたのでしょうか。<br>それとも、製鉄の技術を持った人たちが暮らしていたのでしょうか。<br>かつて祭神として「安閑天皇」が祭られていたそうで、これは蔵王権現（弥勒菩薩、釈迦如来の化身。役小角が示現したとも言われる）と天皇を同一としたためだとか。<br>なぜ老年になって即位した天皇が仏と同一視されたのでしょうか。<br><br>だって、蔵王権現ってこんな見た目ですから…<br><br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140112/21/syu-kosan/0b/32/j/o0800128612811963340.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140112/21/syu-kosan/0b/32/j/t02200354_0800128612811963340.jpg" alt="" width="220" height="354" border="0"></a></div><br>wikipediaより<br><br>天皇、まして「安閑」という諱を持つ天皇と同一視されるのは不思議なかんじ。<br>気になるのは安閑天皇が　あ　の　継体天皇の息子だということです。<br>継体天皇とはいえば、<br>天皇家が途絶えた際に乞われて越前から１９年かけてやってきたという、謎の多い天皇です。<br>即位後すぐに百済に救援の兵を送り、新羅と組んだ磐井と戦うなど、百済との絆が見え隠れします。<br>そして、安閑天皇に譲位したその日、息を引き取っているのです。<br>これは何を意味しているのか、気になるところです。<br>まず、この譲位（生前に天皇の位を譲ること）自体が、日本初だったということ。<br>「日本書紀」がわざわざ半島の書物「百済本記」を引用して、天皇と皇子が同時に亡くなった示唆していること…。<br>いろいろと合わせて考えると、安閑、そしてその後の同母弟・宣化天皇が何者かによって歴史から消されてしまったのではないか、と思ってしまうのは早計でしょうか。<br>ちなみに高齢だったため、安閑天皇は４年は宣化天皇は３年の在位だったとされています。<br>宣化天皇も父と同じく新羅に攻められている任那に兵を送るなど、対新羅の政策をとった天皇でした。<br>志半ばで消された安閑・宣化の荒ぶる魂を仏に写したのが、蔵王権現だったのではないでしょうか。<br><br>この兄弟の後を次いだ弟・欽明天皇の母は手白香皇女（たしらかのひめみ）。<br>雄略天皇の皇女と、その雄略天皇によって父親を殺害され潜伏していた仁賢天皇の娘です。<br>この人の兄弟にあたる武烈天皇が子なく崩御したために迎えられたのが、夫の継体天皇だったのです。<br>欽明天皇の和風諡号は天国排開広庭天皇（あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと）なのですが、なんだが「混乱の後、再度はじまった感」のある諡号ですよね。<br>子に敏達天皇、推古天皇、用明天皇、崇峻天皇がおり、聖徳太子のおじいちゃんにあたります。<br>つまり、欽明の血を引く推古朝の人たちにとって、安閑天皇を仏（神）として祭る理由は充分あったと考えられるのです。<br>蔵王権現は、祟り神（御霊）という日本的な観念を渡来したばかりの仏という「新しい科学」で処理した結果生まれた、憤怒の仏なのかもしれません。
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<link>https://ameblo.jp/syu-kosan/entry-11748751437.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jan 2014 21:05:24 +0900</pubDate>
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<title>極楽寺（浄土宗）</title>
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<![CDATA[ 兵庫県神戸市の有馬温泉にある極楽寺の御朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/9c/93/j/o0800120712782566948.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/9c/93/j/t02200332_0800120712782566948.jpg" alt="" width="220" height="332" border="0"></a></div><br><br>【開基】593年　聖徳太子<br><br>法然上人が説法に来たと伝えられるので、「法然中興」の文字があります。<br>聖徳太子、法然、というだけでも、すごいのですが、<div>平成になって、このお寺の名前をさらに世に知らしめたのは、太閤秀吉でした。<br>阪神大震災で半壊した際に、豊臣秀吉の「湯山御殿」の一部が発見されたのです。<br>（どうやら以前から「ありそう」という噂はあったようですが）<br>戦の合間にたびたび訪れ、大火に遭った後は復興を支援しているほど有馬が好きだったという秀吉。<br>正室ねねのために別荘を建てたのが、お隣の念仏寺のあたりだったそうです。</div><div><br>遺構の上にたてられた市立の「太閤の湯殿館」で上から見学できますので、ぜひご覧になってください。<br>なかなか広い湯船で、いったい何人で入ったんだろう…と想像してしまいます。<br><br><br>御朱印をいただき忘れましたが、お隣の念仏寺の桜もきれいでした。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/f3/ea/j/o0800059812782570740.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/f3/ea/j/t02200164_0800059812782570740.jpg" alt="" width="220" height="164" border="0"></a></div></div>
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<pubDate>Mon, 16 Dec 2013 16:54:44 +0900</pubDate>
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<title>明治神宮（明治天皇）</title>
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<![CDATA[ 東京都渋谷区にある明治神宮の御朱印です。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/43/f3/j/o0800117312782543573.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/43/f3/j/t02200323_0800117312782543573.jpg" alt="" border="0"></a></div><br><br>【御祭神】明治天皇　昭憲皇太后<br><br>【御創建】1920年<br><br>初詣で混み合うことで有名な神宮ですが、圧倒的に平日の昼間に歩くのがおすすめです。<br>あまり音のしない森の中を原宿に観光にやってきたであろう外国人たちが、神妙な顔で玉砂利を踏みしめて歩いていきます。<br>豊かなこの森は人が作ったものです。<br>もとは荒れ地だったところに、学者や造園のプロらが力を集結してこれだけ広大な作り上げたのだと言いますから、当時としては画期的なことだったでしょう。<br>森で囲む以外の方法もあっただろうに、「聖域にはやはり森」がなくてはという意識が西洋化したはずの日本人の中にあったということが興味深いですね。<br><br>祀られているのは、明治天皇とその妻・昭憲皇太后です。<br>1912年に明治天皇が崩御、続いて1914年に昭憲皇太后が崩御されると、政府は明治神宮の創建に乗り出しました。<br><br><br>ところでこちらの御朱印、よーく見てください。<br>宮の字の中にノが入っていないんですよ！<br>あれ…書き間違いかな？と不安になったので、ほかの方がいただいたものを見てもやはり入っていないんです。<br>理由は<a href="http://www.meijijingu.or.jp/qa/jingu/05.html" target="_blank">明治神宮のサイト</a>に載っていました。<br><br>宮より古い漢字なんですね。<br>伊勢神宮の御朱印も注意して見なければ。
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<pubDate>Mon, 16 Dec 2013 16:28:16 +0900</pubDate>
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<title>東郷神社（東郷平八郎）</title>
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<![CDATA[ 原宿にある東郷神社の御朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/a8/98/j/o0800111712782526604.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131216/16/syu-kosan/a8/98/j/t02200307_0800111712782526604.jpg" alt="" width="220" height="307" border="0"></a></div><br><br>【御祭神】東郷平八郎<br>【御創建】1940年<br><br>「勝」の赤い印が鮮やかで目立ちますね。<br>青紫の桐の色と相まって特別な雰囲気を醸し出しています。<br>若者でにぎわう竹下通りの裏手に位置しますが、ここだけ触れてはいけないようなピリッとした空気が流れています<br>軍神を祀っているからでしょうか。<br><br>御朱印をお願いすると、一度奥に御朱印帳を持って行き書いて持ってきてくださいます。<br>あまりない形式なので、少しドキドキします。<br>神様でも天皇でもなく、軍人さんを祀っているわけで、なんとなくいつもと勝手が違い、私などは「神様」よりも敷居が高く感じてしまうのですが…。<br>そもそも私のような戦後生まれの人間は、東郷平八郎がなぜ神様になったのかピンとこないものです。<br>東郷平八郎（1848-1934）は薩摩の出身。意外なことに写真を見るとなかなかの美男子です。<br>イギリス留学もしたと言いますから、軍神というイメージとは違いスマートな紳士だったのかもしれませんね。<br>日清戦争で海軍の官庁として軍功を上げ、連合艦隊司令長官に就任。<br>続く日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊を破り、一躍国民的英雄となりました。<br>世界に名だたる艦隊に勝ったというインパクトは大きかったようで、東郷は神格化され1934年に亡くなった際は国民から「顕彰する神社を作るべき」との要望が相次いだそうです。<br>死の６年後の1940年にこの地に鎮座しました。<br>大戦の気運にのり、「軍神」はますます信仰を集めたことでしょう。<br>しかし、戦火は逃れがたく東京大空襲で全焼。<br>その後、昭和39年に復興し今に至るのですが、戦後の混乱期に「軍神」という特殊な祭神が以前と変わらぬ偉容をもって復活したのは、なぜなのでしょうか。<br>何か深い理由があるような気がするのですが、調べても答えは出てきませんでした。<br><br>
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<pubDate>Mon, 16 Dec 2013 16:08:58 +0900</pubDate>
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<title>吉野水分神社（天之水分大神）</title>
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<![CDATA[ 奈良吉野にある吉野水分神社（よしのみくまりじんじゃ）のご朱印です。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/a4/d5/j/o0800120812781804511.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/a4/d5/j/t02200332_0800120812781804511.jpg" alt="" width="220" height="332" border="0"></a></div><br><br>好きな字です。女性の方が書いてくださいました。神主さんだったのでしょうか？<br><br>【御祭神】天之水分大神（あめのみくまりのおおかみ）　高皇産霊神（たかみむすびのかみ）少名彦神（すくなひこのかみ）　御子神（みこがみ）　天津彦火瓊瓊杵命（あまつひこほににぎのみこと）・玉依姫命（たまよりびめ）・天萬栲幡千幡比咩命（たくはたちぢひめのみこと）<br><br>【御創建】不明<br><br>中に入るときから心が踊るお社でした。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/fc/ba/j/o0800107112781851205.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/fc/ba/j/t02200295_0800107112781851205.jpg" alt="" width="220" height="295" border="0"></a></div><br><br>こちらのしだれ桜も美しかった。<br>何時間でもぼんやりしていたい社殿でした。<br><br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/ee/f4/j/o0800107112781851313.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/ee/f4/j/t02200295_0800107112781851313.jpg" alt="" width="220" height="295" border="0"></a><br><br><br>御朱印にも書いてありますが、「子守り」の神とされています。<br>これは「みくまり」という音から転じたものだと言われていますが、社殿に漂う暖かい雰囲気を感じるとそれだけでもないような気がするから不思議です。<br>現在の社殿は豊臣秀吉が吉野山へ花見に来た際に秀頼を授かったお礼として再建を命じ、その秀頼が完成させたもの。<br>とても華麗な桃山風の建築で、国の重要文化財に指定されているとか。<br>細長い棟をつないだ作りになっていて「水分様式」と言うそうです。<br>こちらにしかない様式なのでしょうか？<br>なんとも雅で、吉野の自然と調和した素敵な建築物です。<br><br>水分とは「水配」の意味で、水を程よく田畑に配分する神様を表しているのではないかと言われています。<br>主神の天之水分大神はそういう力を持った田の神様のようです。<br>この地には宮瀧遺跡があり、古代より人が生活していたとか。<br>水の分配という人と水に関する事柄が祀られたのはこのような背景があるからでしょう。<br>ほかの神様は皆、高木の神様である高皇産霊神に関係がありそうです。<br>少名彦・・・高皇産霊神の子供。<br>御子神・・・不明。玉依姫命と同一？<br>天津彦火瓊瓊杵命・・・高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命（萬幡豊秋津師比売命）の子<br>玉依姫命・・・高皇産霊神の子の児萬幡姫の子？末っ子は後の神武天皇。<br>天萬栲幡千幡比咩命・・・別名「栲幡千千姫命」。高皇産霊尊の娘。<br><br>吉野の山と木々と水との関連を想像してしまいます。<br><br>玉依姫命像は柔和な中にも神秘的なお顔です。<br>白州正子著の「夢幻抄」という本に、秘仏で宮様でさえ拝観が叶わなかったというくだりがあります。<br>ぜひ検索してご覧になってください。<br>凛とした、しかしどこか儚げな表情の女神です。<br>まるで冬は雪深く、春は花に包まれる吉野山そのもののようです。<br>その神像を写した「吉野御子守神像」は今年の「国宝　大神社展」の目玉になっていました。<br>（あんまり似てなような気がするけど…）<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/1e/26/j/o0280040012781909312.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/22/syu-kosan/1e/26/j/t02200314_0280040012781909312.jpg" alt="" width="220" height="314" border="0"></a></div></div>
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<pubDate>Sun, 15 Dec 2013 21:38:17 +0900</pubDate>
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<title>勝手神社（愛鬘命）</title>
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<![CDATA[ 奈良吉野の勝手神社のご朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/fb/fe/j/o0800116612781783780.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/fb/fe/j/t02200321_0800116612781783780.jpg" alt="" width="220" height="321" border="0"></a></div><br><br>「よしの山」がちょっとかわいい。<br><br><br>【御祭神】愛鬘命（うけのりかみのみこと）【※現在は天忍穂耳命（あまのほしほみみのみこと）とされています】大山祇命（おほやまつみ）久久能智命（くくのちのみこと）　木花咲耶姫命（このはなさくやひめ）苔虫命（こけむしのみこと）　葉野比咩命<br><br>【御創建】紀元前386年？<br><br>愛鬘命を勝手大明神と呼ぶそうなのですが…この神がいまいちよく分からない。<br>『天保十四年（１８４３年）『三国名勝図会』には以下のように書いてあるそうです。<br>祭る所の神一座、愛鬘命（うけのりかみのみこと）。六十四神式に、天孫降臨の時、三十二神、相ひ添えて、天降り奉るなり。次に護国後見の為に下さるるの三十二神云々。愛鬘命は勝手大明神なりと。又、京の愛宕山にも、勝手社あり。』<br>天孫降臨の時に降りてきたのだから、天津神なんでしょうが…。<br>なんだか愛染明王と名前が似てますよね。何者なんでしょうか。<br>今の主神とされている天忍穂耳命は天孫降臨した邇邇芸命（ににぎのみこと）のお父さんですね。<br>こちらはまごう事なき天津神の祖。なんだか、政治的な策略すらかんじてしまいます。<br>また、この神は毘沙門天と同一視されるそうです。<br>ちなみに大山祇命は山の神。久久能智命は木の神。木花咲耶姫命は邇邇芸命の妻で大山祇命の娘。花と若さの象徴。苔虫命は諸説ありますが、木花咲耶姫命の姉・磐長姫命（いわながひめのみこと）の子孫か夫？<br>葉野比咩命。本当にどんな神なのか分かりませんでした。ご存じの方、いらっしゃったら教えてください！<br><br><br>さて、この神社は今本殿がありません。<br>2001年に不審火で焼け落ちてしまったのです。（賽銭泥棒が火をつけた、らしい…）<br>ご朱印は宮司さんが兼務されている吉水神社の中で頂くことができます。<br>歴史を調べてみると、この神社は火事と縁があるようで何度も消失しています。<br><br>その反面、歴史を彩るエピソードはどれも鮮やかです。<br>672年に大海人皇子(後の天武天皇)が大友皇子に対抗し吉野で兵を挙げた際（壬申の乱）、勝手神社の前で琴を奏でていると、天女が勝手神社の裏の山の上から袖をひるがえし舞いながら現れたことから「袖振山」と名付けたという故事が残っています。<br>これが宮中に伝わる五節の舞の由来だそうです。<br>1185年には、源義経一行が吉野の落ち延び、静御前と別れて東国に向かいました。<br>その後、一人になってしまった静御前が勝手神社の舞殿で舞を奉納し、その素晴らしさに身元がばれて捕えられてしまったという伝説があります。<br><br>そんな由緒ある神社ですが、その後、吉野は幾度となく戦火に見舞われ、勝手神社も焼失してしまったようです。<br>その後、豊臣秀吉の手によって吉野水分神社などと同じく再興。<br>しかし、江戸期にさらに二度焼失したといいます。<br>それでも文化財に選ばれるほど趣のある社殿だったとか。うう…、見たかった。<br><br>全国28社の勝手神社の総本社であり、吉野水分神社祭神の子守明神とは夫婦神とされています。<br>能の「嵐山」に出てくる老夫婦はこの２人なんだとか。<br>この２柱に金剛峯寺の蔵王権現を加えた３柱を一体分身と考えるのだそうです。
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<pubDate>Sun, 15 Dec 2013 21:30:18 +0900</pubDate>
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<title>吉水神社（後醍醐天皇）</title>
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<![CDATA[ 奈良吉野の吉水神社のご朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/99/56/j/o0800116612781766687.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/99/56/j/t02200321_0800116612781766687.jpg" alt="" width="220" height="321" border="0"></a></div><br><br><br>【御祭神】後醍醐天皇　楠正成　吉水院宗信法印（南朝に協力した金剛峯寺の修験僧）<br><br>【御創建】白鳳年間　役行者<br><br>こちらはもともと吉水院（きっすいいん）という名前の金剛峯寺の僧坊でした。<br>後醍醐天皇が足利尊氏に追われて吉野に逃げてきた際、修験者宗信が吉水院にお迎えし御所としたのがはじまりです。<br>その後、明治時代に天皇を仏式で祀っていることが問題になり、神社になりました。<br><br><br>門をくぐると「一目千本」という看板があり、ここから吉野山の桜がとても良く見えます！<br>たしかに、一目千本！<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/ff/dc/j/o0800059712781772287.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/ff/dc/j/t02200164_0800059712781772287.jpg" alt="" width="220" height="164" border="0"></a><br><br>花見に訪れた秀吉も「絶景じゃ！」と大喜びしたとか。<br><br>そう。こちらは、秀吉はもちろん歴史上のスーパースターたちに縁がある神社なのです。<br>兄頼朝に追われた源義経と静御前が最期の別れをした「義経潜居の間」、その隣にある「弁慶思案の間」など、建物の中も見応え充分！<br>時系列的には、義経一行（1185年）→後醍醐天皇（1336年）→秀吉（1564年）の順で訪れたことになります。<br>これだけ多くの人が愛し、思い入れを持ったということだけでもスゴイことではないでしょうか。<br><br><br>さて、建物を出て奥に進むと「北闕門（ほくけつもん）」と呼ばれる邪気祓所があります。<br>ここはかつて後醍醐天皇が京都に戻れるように祈った場所。<br>修験者たちが大峰山に入山するにあたり、無事に下山できるようにと祈った聖地でもあったそうです。<br>邪気を払うのに最適な場所なのだそうです。<br>足下に「九字」の切り方が書いてあるプレートがありますので、そのとおりにすると良いですよ。<br><br>この時、「勝手神社」のご朱印も一緒にいただきました。<br>2001年不審火により本殿を焼失したため、現在吉水神社内に仮遷座中なのです。<br>２つのご朱印が同時にいただけるのはありがたいのですが、こちらも歴史的に価値のある神社ですので早く復興されると良いですね。
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<pubDate>Sun, 15 Dec 2013 21:18:39 +0900</pubDate>
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<title>生田神社（稚日女尊）</title>
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<![CDATA[ 神戸市中央区の生田神社のご朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/b8/db/j/o0800119912781756740.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/21/syu-kosan/b8/db/j/t02200330_0800119912781756740.jpg" alt="" width="220" height="330" border="0"></a></div><br><br><br>【御祭神】稚日女尊（わかひるめのみこと）<br>天照大神（あまてらすおおみかみ）の和魂（にぎみたま）、もしくは妹と考えられている神様です。<br>つまり女神さまですね。<br>稚という言葉は幼いという意味ですから、若々しい女性の神さまなのでしょうか？<br><br>【御創建】201年<br>日本書紀によると、神功皇后が遠征の帰り、今の神戸港で船が進まなくなったことがあったそうです。<br>そこで占ってみたところ、稚日女尊が現れて「私は活田長狭国（いくたいなだをのくに）に居りたい」とおっしゃったので、海上五十狭茅（うなかみのいさち）という人を神主として祭ったそうです。<br>このとき、同じ天照大神の荒魂（あらみたま）が西宮の広田神社に、えびすと同一視される事代主神が神戸市長田区の長田神社にお祭りされたそうです。<br><br>私にとってはとても馴染みのある神社です。<br>神戸三宮の街中にありますので、お参りもしやすいです。<br>調べてみるともともと布引の方にあったものが延歴の大洪水でこの地に流されてきたようですね。<br>実際に行ってみると分かりますが、結構な距離です。<br><br>神戸は数々の災害に悩まされてきました。<br>この神社もその後の阪神大水害、そして阪神大震災など、さまざまな災害に遭いながらもこの地を守ってきたのでしょう。<br>また、布引の社にはたくさんの松が植えられていましたが、延歴の水害で神社を守ることができなかったため、今の社内には松は一本も植えられていないそうです。<br><br>また、藤原紀香さんと陣内敏則さんが結婚式をあげた神社でもあります。<br>藤原紀香さんは神戸の親和女子の出身なのです。<br>縁結びの神様でもどうしようもできないことがあったのでしょうね…。<br><br><br>ご朱印には社花の「桜」の印が押されています。<br>実際この神社は隠れた桜の名所ですので、春に参拝することをお薦めします♪
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<link>https://ameblo.jp/syu-kosan/entry-11729885729.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Dec 2013 21:07:00 +0900</pubDate>
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<title>高野山大伽藍金堂（真言宗）</title>
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<![CDATA[ 高野山の中心、大伽藍のさらに中心にある信仰の場「金堂」の御朱印です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131215/11/syu-kosan/05/d4/j/o0800128012781193508.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/11/syu-kosan/05/d4/j/t02200352_0800128012781193508.jpg" alt="" width="220" height="352" border="0"></a></div><br><br>達筆ですね（汗）<br>「薬師如来」と書いてある、はず。<br>印の中には薬師如来を表す「ベイ」という梵字があります。
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<link>https://ameblo.jp/syu-kosan/entry-11729590673.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Dec 2013 11:45:14 +0900</pubDate>
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