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<title>秀光ブログ４ ～ここからの旅の果てのここ～</title>
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<description>神の化身や仏教関連の記事が多いですけど、マルチなジャンルのブログです。一切の収益なく、無私の奉仕で活動。また、愛なしに無価値というスローガンです。いいね！を付けてくださった皆様、ありがとうございました。(※サットサングは、特にメッセージボードにて)</description>
<language>ja</language>
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<title>2021年4月14日の勾玉と6月21日の右手ブレスによる霊験について。喜びとともに行動するなら？</title>
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<![CDATA[ 皆様、ごきげんよう。<br><br><br>いかが、お過ごしでしょうか？<br><br><br>以前、このブログの２０２１年４月１４日の記事で、勾玉の雲が出現したことをお伝えしましたね。<br><br><br>黒い雲の勾玉でしたが、穴の部分は白く光っていましたね。<br><br><br>これは、"内側から光を発して闇を打ち破り、災いを転じて福と成す"ということ。<br><br><br>すなわち、『内なる光で変化を引き起こし、悪を破壊する』のです。<br><br><br>もう一度、言っておきますが・・・<br><br><br>２０２１年『４月１４日』に、『勾玉』の雲が出現し、その日の内に記事で伝えたのです！<br><br><br>４という数字は、変革も意味します。<br><br><br>では、１４は？<br><br><br>ちゃんと意味がありました。<br><br><br>今年の夏は、新型コロナウイルスのデルタ株によって、爆発的な感染拡大がありました。<br><br><br>そして、それは秋に入ると徐々に収束しました。<br><br><br>なぜでしょう？<br><br><br>『デルタ株で、変異を修復する"ｎｓｐ１４"が変化し、その修復が追いつかず。変異が蓄積し、ウイルスが次々に死滅。その結果、デルタ株による第５波が収束した可能性あり』(要約)<br><br><br>そういう遺伝学の研究結果が、昨日(2021年10月30日)に発表されましたね。<br><br><br>やはり、『４月１４日』の『勾玉』の通りで、スリー・バーラサイと天照が調和し、日本を救う為に祝福していた！と言えるでしょう。<br><br><br>"ｎｓｐ１４"が「変化した」ことで、ウイルスが死滅。それが、第５波収束の一因であろうと言われているんですから。<br><br><br>まさに、これこそ「太祓」と言えるはずです。<br><br><br>スリー・バーラサイは「自然は、"神そのもの"である！」と教えてますし、神の祝福が現れる場合もあるのです。<br><br><br>スリー・バーラサイとして祝福を示すことも出来たのに、あえて日本の古き善き神道の女神・天照大御神と調和した上で、日本の為に祝福してくださったのです。<br><br><br>スリー・バーラサイは、日本人が自分の国の信仰や文化を愛し、大切にすることを望んでおられるからでしょう。<br><br><br>また、２０２１年６月２１日の記事では、『右手で祝福をする形の雲』が出現したことをお伝えしました。<br><br><br>親指の向かって右側には、「７」という数字の雲があります。<br><br><br>よく見ると・・・<br><br><br>その親指の中央付近には、金色の光が楕円状に現れています。<br><br><br>それが何を意味するか？は、分かる人には分かるでしょう。<br><br><br>「楕円状」の「金色」の「光」ですから。<br><br><br>スリー・バーラサイは生前、私の所有する銀製ヤントラを金色に変えました。<br><br><br>その画像は、YouTubeで公開されましたし、彼は御存知です。<br><br><br>そして、肉体を去っても、スリー・バーラサイは健在です。<br><br><br>２０２１年６月２１日。<br><br><br>巨大な雲で形作った右手と、その親指に楕円状の金色の光をあらわして、祝福してくださいました。<br><br><br>これは、日本の皆さんと分かち合う為でもありました。<br><br><br>つまり、この雲の右手ブレスが、その後の連続災害から人々を守ろうとして、『ゴッド・タイミング』で現れていたことは、今や一目瞭然の事実です。<br><br><br>(スリー・バーラサイと私に対して)肯定的な皆さんとは、何とか祝福を分かち合おうと試みています。<br><br><br>まだ時間がある内に、『神の愛と祝福を分かち合い、善いカルマを拡げる』なら、大難を小難に出来る可能性もあるからです。<br><br><br>その後、今年７月～８月にかけて「大雨災害」が発生し、１０月には「二日間にわたる連続地震」に、🌋阿蘇山噴火🌋と様々な災害が続きました。<br><br><br>詳しく見てみましょう。<br><br><br>今年７月に入ってからの大雨では、７県１４河川で氾濫が起き、深刻な土砂災害も起きました。<br><br><br>２０２１年９月４日には、メッセージボードに『どこであれ地震にも注意が必要』と書いておきました。<br><br><br>その約一ヶ月後に、何が起きたでしょう？<br><br><br>わざわざ、『注意が必要』と書くだけのことはありました。<br><br><br>「二日連続」で、「同じ最大震度」という『異常な地震』でしたから。<br><br><br>その前日にあたる１０月５日には、『カルマを正す重要性』や『運命を改善する方法』に関する記事もアップしていたのです。<br><br><br>その翌日！<br><br><br>２０２１年１０月６日の２：４６に、岩手県沖を震源地とする『最大震度５強』の地震。<br><br><br>２０２１年１０月７日の２２：４１に、千葉県北西部を震源地とする『最大震度５強』の地震。<br><br><br>『同じ最大震度５強』の地震が、二日連続で、それぞれ東北(青森)と関東(埼玉、東京)で発生したのです。<br><br><br>御覧の通り。<br><br><br>私は、本当に重要なことや、何かしら意味のあることをしているのです。<br><br><br>人々の命を守る為に・・・<br><br><br>社会が、より善くなる為に・・・<br><br><br>日本の皆さんの幸せと平和の為に・・・<br><br><br>それが、『理由』です。<br><br><br>しかし、災害の度に、このようなことを書くのは、もうやめるでしょう。<br><br><br>すでに、書くべきは書いてきました。<br><br><br>私がしていることの本当の意味を、(少しでも)理解できる人たちがいるとしたら、サットヴァが優勢な人たちだけでしょう。<br><br><br>タマスやラジャスを抑制し、サットヴァを優勢にしておくべきです。<br><br><br>そうでなければ、正しい霊性修行や、善い奉仕活動をしているとは言えませんよ。<br><br><br>この肉体は普通の人間ですから、何も知りませんし、何も出来ません。<br><br><br>全てを知ろうとしたら、狂いそうになります。全知は、神にお任せしておけばよろしいのです。<br><br><br>奇蹟は、全宇宙の秩序(カルマ等)に影響を及ぼし、責任重大です。奇蹟は、神にお任せしておけばよろしいのです。<br><br><br>私は、普通の人間として・・・<br><br><br>何か知りたければ、普通に知る為の努力をします。<br><br><br>何か出来るようになりたければ、普通に出来るようになる為の努力をします。<br><br><br>スリー・バーラサイは直接、私に『文を書く仕事』も祝福してくださいました。<br><br><br>その仕事をするにあたり、私には２つの方針があります。<br><br><br>１つは、不変の普遍的ダルマをストレートに伝えることです。<br><br><br>もう１つは、多種多様な方便を用いて伝えること。<br><br><br>この方便は、あくまでも方便ですから、ある時期が来たら、終わるものもあります。<br><br><br>「方便」とは、もともと仏教用語です。<br><br><br>方便は「相手本位の利他行」を意味し、基本的に「嘘はない」のです。<br><br><br>仏陀の、ある物語を要約で書いておきます。<br><br><br>ある時、自分には何人も子どもがいるのに、他人の子どもまで誘拐する女性がいました。<br><br><br>彼女は、本当に子どもが好きでした。<br><br><br>自分なら、全ての子どもの面倒を見て、全員を幸せに出来る！と考えていたのです。<br><br><br>しかし、子どもを誘拐され、悲嘆に暮れる母親たちは、仏陀に助けを求めました。<br><br><br>仏陀は弟子に対し、彼女の可愛がっている末っ子を連れてくるよう命じました。<br><br><br>弟子はひそかに、その末っ子を呼び寄せ、仏陀のもとへ連れて行きました。<br><br><br>彼女は末っ子がいないので、パニックに陥りました！<br><br><br>そして、鬼👹の形相となり、全知で有名な仏陀のもとへ来ました。<br><br><br>彼女は「誰かが、私の可愛い末っ子を誘拐した！教えて！誰が連れ去ったの？あの子は、どこにいるの？」と助けを求めました。<br><br><br>仏陀は、正直に答えました。<br><br><br>「私とともにいます。その子を連れてくるよう、弟子に命じたのは私です。」<br><br><br>彼女はショックを受け、何故そんなことをしたのか？聞きました。<br><br><br>仏陀「あなたには、たくさんの子どもがいる。それなのに、あなたは、子どもが一人いないというだけで、その有り様です。」<br><br><br>彼女は、「たった一人いないだけでも、許せない！」と怒りました。<br><br><br>仏陀は、平静でした。<br><br><br>仏陀「あなたは今すぐ、その子と家に帰れます。しかし、あなたが誘拐した子どもたちの母親は、今もなお苦しんでいます。あなたの味わった不安と苦痛は、今もなお彼女たちに与えている不安と苦痛の一欠片に過ぎません。」<br><br><br>彼女は、気付きました！<br><br><br>『私は、貪欲による罪を棚に上げ、身勝手に怒っていた！自分がされたくないことを、他人にしていたのだ！』と。<br><br><br>彼女は仏陀の全知と方便に平伏し、誘拐した子どもを母親のもとへ戻し、謝罪しました。<br><br><br>母親たちは、彼女が他人の子どもでも、我が子と分け隔てなく、愛情深く世話していたことを知りました。<br><br><br>そこで、母親たちが大変な時には、彼女が保育士のような役割を担い、子どもたちの面倒を見るようになったのです。<br><br><br>私は必要に応じ、方便としての文を書き、期間限定で公開することもあります。<br><br><br>私は、どういう人間なのでしょう？<br><br><br>前から、よく聞かれます。<br><br><br>「あなたは、どういう人間なのか？」と。<br><br><br>ですから、答えておきましょうか。<br><br><br>私と他人が、一緒にいる時・・・<br><br><br>他人が私に何をしても、私にとって善くも悪くもありません。<br><br><br>私は何も執着しないまま、神に捧げます。<br><br><br>神が反応し、報いを返します。<br><br><br>善い人々とは、より多くの愛と祝福を分かち合えるでしょう。<br><br><br>悪い人々とは、全く愛も祝福も分かち合えないでしょう。<br><br><br>全ては、鏡に反射するかのように起きます。<br><br><br>私の人生は、神のものです。<br><br><br>私が執着しないで神に捧げ、神が反応して報いを返していることは、そのまま現象化するので、はっきり分かることです。<br><br><br>あの自然現象に出現した勾玉や右手ブレスのように！<br><br><br>神意による愛と祝福が、いつも現象化してくるのです。これが、日常茶飯事で起きています。<br><br><br>だから、『常に神！神！神！私の全ては、神のもの！』と、正直に言っているのです。<br><br><br>ある人が私に対し、思いと言葉と行動を一致して肯定的なら、その人は報われるでしょう。<br><br><br>ただし、否定的な部分もあるなら、その分だけ差し引かれます。<br><br><br>大切なのは、形式的な問題ではなく、中身の問題です。<br><br><br>どこにも私を必要とする人たちがいないなら、私は一人でいます。<br><br><br>事実、一人の方が身軽かつ気楽であり、神とともにいられて幸せです。<br><br><br>たくさんの人付き合いがあるということは、それだけのトラブルもあるということ。<br><br><br>必ずしも、たくさんの人に囲まれていることが幸せとは限りません。<br><br><br>むしろ、あれこれと他人のせいで、心の平安を失うでしょう。<br><br><br>私は、孤高タイプです。<br><br><br>しかし、ほぼ私の思考は、皆の為にあります。<br><br><br>私が忘れる時、それは必要ないからです。<br><br><br>私が思い出す時、それが必要だからです。<br><br><br>そのようなことが起きるのは、私の為というよりも皆の為です。<br><br><br>神は忘れるべきを忘れられるように祝福し、思い出すべきを思い出せるように祝福します。<br><br><br>ある人たちは、私に向かって、💀迷妄のゲーム💀を仕掛けてきます。<br><br><br>外面が善かれ悪かれ、形式がスピリチュアル的でも世俗的でも、それは💀迷妄のゲーム💀なのです。<br><br><br>彼らは、やりたいようにやってのけます。<br><br><br>ある時点までは付き合って、戯れるしかありません。<br><br><br>しかし、その💀迷妄のゲーム💀が、結末を迎える時！<br><br><br>容赦なく、彼らは次々と「現実」に直面します。<br><br><br>彼らは、自分が撒いた種の実を、自分で刈り取らねばならないからです。<br><br><br>私は、"立会人"のようなもの。<br><br><br>一つ言えるのは、その「隠れたところ」にいらっしゃる神御自身が、全てを目撃しているということです。<br><br><br>私は今、神が定める義務と奉仕を実践する為に生き残っています。<br><br><br>私は、そういう人間です。<br><br><br>しかし、私の真似をしないでください。<br><br><br>私は、特異な帰依者たちの中でも、極めて特異な方みたいですから。<br><br><br>ところで、様々な祝福や恩寵を分かち合うには、どのようにしたら良いのでしょう？<br><br><br>ほとんどの祝福は、私と肯定的な人間関係を続けていれば、自動的に分かち合えます。<br><br><br>形式的な祈願や儀式は、あまり必要ないのです。<br><br><br>否定的な関係にあるなら、何も分かち合えないし、肯定的な関係にあれば、色々と分かち合えるというだけです。<br><br><br>それで、何か体験する場合もあるでしょうし、その体験のかたちは人それぞれでしょう。<br><br><br>この事情を知っていて、何らかの祝福を体験できたのなら、ただ心の中で愛や感謝に溢れているだけでは不十分です。<br><br><br>私に感謝を伝えられるなら、そうするべきです。<br><br><br>愛と敬意ある人なら、もちろん私にも感謝を示すでしょう。<br><br><br>また、貧困に苦しむ人々の中にいる神へ・・・<br><br><br>愛と感謝の気持ちを、『善い社会奉仕活動』というかたちにして、捧げてください！<br><br><br>全ては、スリー・バーラサイが祝福なさっているのです。<br><br><br>スリー・バーラサイは誰にでも合わせて、愛と祝福を体験させてくれます。<br><br><br>彼の愛と祝福を体験する為に、超常能力を持つ必要はありません！<br><br><br>サットサングでも、祝福を共有することが出来ます。<br><br><br>真のサットサングは、統一性なしに成り立ちません。<br><br><br>肯定的かつ統一性をもって、神や霊性に関する何かをする時のみ、捧げる側と受け取る側で、祝福を分かち合えます。<br><br><br>しかしながら、あなた自身に必要な祝福が足りない内から、他者と分かち合うことが出来るでしょうか？<br><br><br>自らの現状を謙虚に直視し、正しく実践しましょう。<br><br><br>私は実践的に体現し、素直に書いて、お伝えしているのです。<br><br><br>スリー・バーラサイは、原初至高の神御自身です。<br><br><br>天界では、御自分のヴァイクンタで、皆の為に奉仕しておられます。<br><br><br>地上では、御自分のサマディー・マンディールで、皆の為に奉仕しておられます。<br><br><br>しかし、最も大変そうなのは、帰依者のハートに住んでいる時でしょう。<br><br><br>ただし、大変かどうかは、帰依者によるかもしれません。<br><br><br>スリー・バーラサイは御自分のことよりも、帰依者を深く愛しておられるように感じます。<br><br><br>ところで、宇宙とは何でしょう？<br><br><br>この世界には、様々なゲームがあります。<br><br><br>スリー・バーラサイによると、「神は、全宇宙が神の舞台であり、そこで神のゲームをする。全ての相対的で、儚い物の"創造・維持・破壊のゲーム"である。」とのこと。<br><br><br>神もまた、💗神のゲーム💗をなさるんですね。<br><br><br>ただし、注意深く読み解いて、正しく理解していただきたいと思います。<br><br><br>神の化身の言葉は『霊的に深い意味』もあるので、きちんと霊性修行や善行奉仕を実践していれば、正しく理解できるでしょう。<br><br><br>１つはっきり言えるのは、「サイ・アヴァターのメッセージは、魂に自由を与える！」ということ。<br><br><br>で、宇宙とは何でしょうね？<br><br><br>皆で交通ルールという規律を守らなければ、事故が多発し、社会の秩序が壊れてしまい、誰も安心して暮らすことが出来なくなるでしょう。<br><br><br>宇宙にも、カルマという規律があります。それを守らなければ、宇宙は崩壊してしまうでしょう。<br><br><br>スリー・バーラサイは、「宇宙が真実でなければ、惑星はそれぞれの軌道に乗ることはできず、人類の存続も危うくなるでしょう。太陽の輝き、月の光、我々の喉の渇きを癒す雨、空気が我々の命を支え、大地を作物で満たしてくれます。それが、"創造"というものです！」と教えています。<br><br><br>つまり、宇宙とは"創造"なんですね。<br><br><br>それは、きっと"ポジティブ"なものでしょう。<br><br><br>宇宙が、ポジティブな創造の世界であるならば・・・<br><br><br>人生もまた、本来は"ポジティブで、創造溢れる道"と言えるかもしれません。<br><br><br>すなわち、人生においては『出来るだけ、喜びの気持ちを持って行うこと』がポイントであろうと思うのです。<br><br><br>宇宙や自然、運命の流れに逆らうことなく、順調に生きていくというのは、それがポイントであろうと思うのです。<br><br><br>２０１２年を経て、内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されています。<br><br><br>よって、否定的な気持ちで何を行っても、否定的な結果がやってきてしまうでしょう。<br><br><br>肯定的な行動には、肯定的な結果がやってきますよ。<br><br><br>人間の本能・・・その欲求は、"喜び"ですからね。<br><br><br>ほとんどの場合、自分が好きなことだけをしていたいでしょう？<br><br><br>好きなものを食べ、好きな人を欲しがり、好きなものを見たり聞いたりして、好きなことなら何時間でも集中できるはずですから。<br><br><br>"喜び"を求め、"喜び"に満たされていたいのです。<br><br><br>その"喜び"の気持ちを持って行動するなら、人生や運命において、うまく軌道に乗っているということですから、肯定的な結果もやってくるでしょう。<br><br><br>もう一度、言っておきます。<br><br><br>２０１２年を経て、本格的に内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されていきます。<br><br><br>よって、喜びの気持ちを持って行動するなら、肯定的な結果がやってくることでしょう。<br><br><br>悲しみや憎しみ、敵のことや罪、病気や悩みについて、あれこれ考えていたら、全てにおいて弱くなりますよ。<br><br><br>三つの時間における"現在"というものは、全てが過去のカルマに縛られているわけではない。未来を生み出す可能性も秘めており、自由に開かれているのです。<br><br><br>ですから、その未来を生み出す可能性に気付けば、どれほど新しいか！どれほど自由か！どれほどワクワクしてくるか！ということにも気付くでしょう。<br><br><br>ならば、"喜び"の気持ちを持って、何か行うことが出来るかもしれませんよね？<br><br><br>ささやかながら、応援しております。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12707386087.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Oct 2021 20:57:07 +0900</pubDate>
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<title>運命を改善する２つの方法について。知識と知恵 ～船頭と社長の話～ 「善人と悪人」がいるのは何故？</title>
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<![CDATA[ 皆様、ごきげんよう。<br><br><br>いかが、お過ごしでしょうか？<br><br><br>まず、前記事の内容で、誤解のないように説明しておくべきことがあります。<br><br><br>【重症とは瀕死のことであり、もう中等症で人工呼吸器装着の事態になります。<br><br>中等症でも、重い呼吸困難に陥るのです。<br><br>日々の感染予防と、感染拡大防止を徹底しましょう。】<br><br><br>と、書きました。<br><br><br>誤解が生じている場合は、謹んでお詫び申し上げます。<br><br><br>新型コロナウイルスに関する正確な情報は、必ず厚生労働省のホームページで把握なさってください。宜しくお願い致します。<br><br><br>とはいえ、その文については、ここで説明しておきます。<br><br><br>呼吸とは、呼吸運動(換気)とガス交換(酸素化)のことです。<br><br><br>人工呼吸器とは、呼吸運動(換気)を助ける機械です。<br><br><br>新型コロナウイルス感染による重症になったら、この人工呼吸器による助けが必要となります。<br><br><br>酸素吸入器は、ガス交換(酸素化)を助けます。<br><br><br>中等症は、酸素吸入が必要な段階です。<br><br><br>それでは、なぜ『中等症で人工呼吸器装着の事態になる』と書いたのでしょう？<br><br><br>よく読んでいただければ、幸いです。<br><br><br>『もう中等症で、人工呼吸器装着になります』とは、書いておりません。<br><br><br>もし、中等症で装着と言いたいなら、「端的に」そう書くでしょう。はっきりしていて、分かりやすいですから。(でも、そうしませんでした)<br><br><br>なぜ、「事態になる」と付け加えたのでしょう？<br><br><br>ポイントは、その『事態』という言葉の意味にあります。<br><br><br>辞書によれば、『事態』には『成り行き』という意味もあるのです。<br><br><br>例えば、「事態を見守る」という言葉がありますね。それは「成り行きを見守る」とも言えます。<br><br><br>※成り行き＝移り変わる途中段階や、経過の意。<br><br><br>この場合、装着は結果です。<br><br><br>装着に関する途中経過には、どのようなものがあるでしょうか？<br><br><br>まず、「装着の必要性を判断するべき段階」があります。<br><br><br>よって、『人工呼吸器装着の事態になる』とは・・・<br><br><br>『人工呼吸器を装着する成り行きになる＝(急変して)その装着の必要性を判断するべき段階に至る』という意味で、書かせていただきました。<br><br><br>それは、どういう状態なのでしょう？<br><br><br>『まだ装着には至らないが、もう酸素吸入でも苦しくなる』という状態です。(装着寸前)<br><br><br>区分では、『人工呼吸器装着が必要となるまでの段階を、中等症以上』とあります。<br><br><br>今年８月上旬と言えば、新規感染者が毎日１０００人以上という・・・<br><br><br>新型コロナウイルスによる爆発的な感染拡大が、次々に起きていました。<br><br><br>東京では今年７月下旬頃、新規感染者が何日か連続で「３０００人を超える」という状況でした。<br><br><br>日本のあちこちで、感染拡大が起きていました。<br><br><br>何らかの事情があって、ワクチンを接種できない人たちも、たくさんいらっしゃいました。<br><br><br>より一層の危機意識を高め、さらなる感染予防や感染防止対策を徹底するべき時だった！と言えるでしょう。<br><br><br>だから、『中等症でも甘く見ることは出来ませんし、油断しないでいましょう！』という気持ちを込めて、あのような書き方になったのです。<br><br><br>今年９月上旬あたりから、一日の感染者数が１０００人未満へと減少傾向になる日も見られました。<br><br><br>しかし、医療現場は大変なままであり、新たな取り組みも！<br><br><br>埼玉県では、新型コロナの「中等症病院」で、中等症患者の状態が悪化した場合、支援コーディネーターの医師が訪問して気管挿管する・・・という体制が作られたようです。<br><br><br>気管挿管後は、その支援コーディネーターの医師とともに、救急車で重症病院に転院へ。<br><br><br>しかし、重症ベッドが確保できなければ、そのまま重症病院の集中治療医がリモートによってフォローするそうです。<br><br><br>次々と重症患者が増加しており、その病床も逼迫していたということなのでしょう。<br><br><br>今年９月７日頃には、(２回のワクチン接種済みでも感染する)ブレイクスルー感染が見られました。<br><br><br>それに対して、「免疫力の低下によって、ブレイクスルー感染が起きる」と説明した専門家もいます。<br><br><br>私は、その約一ヶ月前(今年８月７日付)の記事で・・・<br><br><br>【今は「免疫力アップ」こそが、最善の「正」でしょう！<br><br>とにかく、ワクチン接種を済ませても、全く油断できませんよ。】<br><br><br>と、すでに書いていましたね。<br><br><br>それはとにかく・・・<br><br><br>まだまだ気を付けて、感染予防は継続して参りましょう！<br><br><br>それは『自分の命を守る為』であり、また『自分の大切な人たちの命を守る為に！』ということです。<br><br><br>その上で、人生を大いに楽しんでいただきたいと思います。<br><br><br>また、(普通に)みんなで助け合うことを身近なところから始めて、社会全体へと拡げるなら、より良いですね。<br><br><br>他人を傷つけて、どんな喜びが持続するというのでしょう？<br><br><br>人間が苦しむのは、かつて他者を苦しめたカルマのせいです。(堕落のせいで、苦しむ場合もあり)<br><br><br>"同じ目に遭う時が来る"ということなのでしょう。<br><br><br>(因果の宇宙にある)カルマのシナリオに、未来の運命が描かれてしまうのです。<br><br><br>たとえ占星術等で未来を覗き見て、うまく逃れたとしても・・・<br><br><br>それは占星術等のおかげではなく、功徳のおかげだそうですよ。<br><br><br>それで功徳が尽きれば、もう逃れることが出来なくなるでしょう。<br><br><br>カルマは、必ず強制的に条件を整えていき、ついに力を発揮します。<br><br><br>なぜ、そうなってしまうのでしょうか？<br><br><br>占星術等では、全カルマを正確に知ることが出来ず、運命を完璧に変えることも出来ないからです。<br><br><br>神御自身のみが、全カルマを正確に知っており、(規律を守った上で)運命を完璧に変えることが出来ます。<br><br><br>神は、帰依者のカルマを総合的に計算します。<br><br><br>愛と帰依が完璧なら、功徳に応じて祝福しつつ、悪いものを終わりにしてくれます。<br><br><br>その場合、大難が小難になったり、小難が無難で済むこともあるでしょう。<br><br><br>占星術等は、(人生における)楽しみの一つにすればよろしいのです。<br><br><br>カルマによる運命を改善する為に、人間に出来ることが２つだけあります。<br><br><br>１つは、神への愛と帰依です。(神の１つの名と姿に、深く祈ること)<br><br><br>もう１つは、善い社会奉仕活動(功徳を積む為)です。<br><br><br>スリー・バーラサイは、「あなたが調整した通りに、あなたの人生が決まっていくのです。白い紙の上には、あなたが使ったペンの色だけ残ります。」と仰っていますね。<br><br><br>人に信仰心と善いカルマがなければ、神は何もしてあげられないでしょう。<br><br><br>神自らが、カルマという規律を守ります。<br><br><br>例えば、パトカーを運転する警察官も、自ら交通ルールという規律を守りますね。<br><br><br>まさか！交通違反の車を取り締まったパトカーが、その直後に交通違反で事故を起こすでしょうか？(あり得ません)<br><br><br>それから、はっきり言っておきますが・・・<br><br><br>罪や失敗、悲しみや憎しみについて、グチグチ考え続けても、何の役にも立ちません。<br><br><br>「これは、自分の最善の為に起きたこと。ありがとうございました。」<br><br><br>「手中にあるのは、過去でもなければ、未来でもない。今この瞬間である。人生は、発展していくもの。だから、前進あるのみ！」<br><br><br>「さあ！楽天的に考えてみよう！貴重な人生を、新しい善いもので満たしていこう！」<br><br><br>"ものの見方"を、そのように切り替えた方が有益とお思いになりませんか？<br><br><br>人生の幸不幸は、"ものの見方"次第かもしれませんね。<br><br><br>より多くの幸せを感じられる人たちは、それだけ苦労を無駄にしなかったということでしょう。<br><br><br>彼らは正しく識別した上で、自分に与えられた境遇の中に最善を見出だし、足ることを知って感謝できるのです。<br><br><br>そうすることの価値を、経験的に理解し、身に付けているから。<br><br><br>事実、それで充分です。<br><br><br>人間の中身は肉体の年齢よりも、苦労の年輪次第でしょう。<br><br><br>世の中には、「苦労なんかしなくていいし、ズルく生きた者勝ち！」という主張もございますけど・・・<br><br><br>それは、労苦でしょう。<br><br><br>先に労いを味わってばかりで、とうとう勝った気になるかもしれません。<br><br><br>しかし、後に苦しむしかない惨敗の末路を辿るでしょう。<br><br><br>禍福糾える縄の如く、いつか巨大な規模の"しっぺ返し"があるということです。<br><br><br>苦労とは、(時には辛く苦しいこともありますが)様々な経験を通して、必要な何かを体得することです。<br><br><br>ただ苦しめばいいのではなく、様々な経験を通して、必要な何かを体得していなければなりません。<br><br><br>知識を実践的に身に付けた時、知恵となります。<br><br><br>ある時、船頭と社長が船に乗って、川下りをしていました。<br><br><br>社長は船の漕ぎ方についての知識があり、船頭を批判しました。<br><br><br>最新機器で天気を調べて、最適の晴れの日を選んだ！と自慢しました。<br><br><br>しかし、徐々に黒雲が増え、山の奥で稲光が見え、風が強くなり始めました。<br><br><br>船頭「山の天気は変わりやすい。そんなもの(最新機器)を持っていなくても、経験から分かる。もうすぐ嵐になるぜ。ところで、社長さん。船の漕ぎ方は詳しいようだが、泳ぎ方は？」<br><br><br>社長「知ってるさ！ただ泳いだことはない！」<br><br><br>船頭「そうかい！おいらは、川が荒れない内に泳いで、岸まで行く。おいらの漕ぎ方じゃ、もう船は動かせないから。社長さんは、おいらより、船の漕ぎ方に詳しい。この船で、うまく岸まで行くといい。」<br><br><br>社長「船を失うぞ！お金もかかるぞ！」<br><br><br>船頭「命を失ったら、船もお金も役に立たないんでねぇ。」<br><br><br>船頭は、船から川へ飛び込み、岸へたどり着きました。<br><br><br>社長「なんということだ！天気予報で、今日は晴れだったのに、今見たら大雨マークに変わってるぞ！船の漕ぎ方や川の泳ぎ方は知っていても、何の役にも立たない！全く身に付けてこなかったんだから！命を失ったら、お金も、これ(最新機器)も役に立たないぞ！もうどうしようもない。神に委ねよう！」<br><br><br>知識を実践的に身に付けて、その恩恵を得ること。<br><br><br>それが、「知恵」です。<br><br><br>社長は、以前から奉仕で防波堤を作ったり、(愛と敬意を込めて)神を信仰していました。<br><br><br>船は、強い風と川の流れに動かされましたが、小さな岩と岩の間に先端が挟まって動かなくなりました。<br><br><br>社長は岩から岩へと飛び移り、無事に岸までたどり着きました。そして、神に深く感謝したのです。<br><br><br>人間は、その一生で、泣ききれないくらいの問題を抱えます。<br><br><br>自分のことで果たさなければならない課題も、たくさんあるのです。<br><br><br>今、この瞬間！いつも、自分の足もとに気を付けておく方が有益です。<br><br><br>他人の足もとばかり見て、あれこれ批判している内に、自分が大きな石に躓いて転倒するかもしれませんよ。<br><br><br>あるいは、一寸先の落とし穴に気付かず、転落するかもしれません。<br><br><br>特に、霊性の道では気を付けていなければならないのです。<br><br><br>しかしながら、神の帰依者は、決して一人ではありません。神がともにいます。<br><br><br>どの魂も、いずれは神へ帰る為に、その前進を始める時が来ます。<br><br><br>しかし、(例えば)元旦の日の出🌅とともに、いきなり全ての蕾が花開くでしょうか？<br><br><br>充分に雨風に耐えて、スクスクと育ち、準備の整った蕾だけが、開花🌹していきます。<br><br><br>ある人たちは、「神は、全てを創造した。神が、人間も創造したというなら、なぜ善人と悪人がいるのか？」という質問をしてきます。<br><br><br>これについては、スリー・バーラサイがこう教えていました。<br><br><br>「神の目から見れば、全ての人が等しい。欠点は、人間の"ものの見方"による。」と。<br><br><br>さらに、こう教えました。<br><br><br>「例えば、同じメーカーの車を買っても、なんの問題もなく走れるものもあれば、何台かは事故を起こしたりして捨てられます。車は市場に出す前、完璧に検査されたものばかりです。この不一致の理由は、車を走らせる人間にあります。」と。<br><br><br>神が、全ての人を同じように創造しても・・・<br><br><br>前世のカルマによる「潜在意識の印象」が、人の行為に指令を出し、それぞれに異なった方角へ進ませるとのことです。<br><br><br>(前世で、他者にしたカルマによる)長所や欠点が、各個人に付きまとっているんですね。<br><br><br>スリー・バーラサイは、「それは、避けられないことだ。」と教えていました。<br><br><br>「あなたが今、楽しんでいることは、ずっと前にあなたが保存しておいたものなのです。ですから、ある人々はいつも悲しみに押し潰され、ほかの人たちは幸せな人生を送っているのです。」と。<br><br><br>今生は、前世の善悪の行いの結果であり、また来世を形成する原因にもなります。<br><br><br>自分が撒いた種の実を、自分で刈り取ること。それが、カルマの法則です。<br><br><br>今生におけるカルマの悪影響を改善したい場合は、神へ祈りと奉仕を捧げ、神からたくさんの愛と祝福をいただく必要があります。<br><br><br>その際には、神の１つの名と姿に集中していなければなりません。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12701974369.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Oct 2021 14:14:35 +0900</pubDate>
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<title>詩・街灯と&quot;私&quot;。小説記事のお知らせ。平安と不安。「太っていること」について。原初至高の女神。</title>
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<![CDATA[ 夕闇の、<br><br><br>暗いオレンジ色の、<br><br><br>只ならぬ深みに漂うもの。<br><br><br>独りぼっちの、<br><br><br>あの街灯の、<br><br><br>薄紫の、<br><br><br>煌めきが・・・<br><br><br>なぜか？<br><br><br>ゆらゆらと・・・<br><br><br>揺らめいている。<br><br><br>めくるめくピンクの想い出が、ゆらゆら揺さぶるのか・・・<br><br><br>時代を超えて、青白いガス灯の揺らめきが、ゆらゆらちらつくのか・・・<br><br><br>艶かしいフォルムが、ふわふわ蜃気楼のよう。<br><br><br>雲間から朧気に漂う、<br><br><br>束の間の月明かりの下、<br><br><br>映っては隠れる幻影が、抱きついては逃げ去るの。<br><br><br>「見えないところを、"観る"のよ👄」<br><br><br>誰かが、囁いた。<br><br><br>この世は、舞台？<br><br><br>あたしは、役者？<br><br><br>なら、キャンパスの余白。<br><br><br>それもまた「絵」になるように・・・<br><br><br>全ての幕を演じ終えて、<br><br><br>なお一息ついて、<br><br><br>一微塵の余力を残しておく。<br><br><br>あの気配が、漂っている。<br><br><br>オマケの幕開け。<br><br><br>確かな熱気。<br><br><br>ゆらゆら高まりつつある、それは・・・<br><br><br>温情の花か？非情の棘か？<br><br><br>いつかは去る舞台なら、あたしを追うスポットライトが、まだ消えぬ内に・・・<br><br><br>向かう道の、未知の向こうから・・・<br><br><br>「やってくる新たな景色」を楽しむでしょう。<br><br><br>着実な足音の、重々しい響きを体感しながら・・・。<br><br><br>"真実"は、勝利する。<br><br><br>ふとした瞬間！<br><br><br>激しい夜風が、雷雲の到来を告げる。<br><br><br>純白の稲光が、冷酷の暗黒を切り裂く。<br><br><br>「泣いては清める」夜雨が降るのだ。<br><br><br>遠い過去の、一粒の涙を洗い流し💧<br><br><br>近い未来を、一滴の水で潤す💧<br><br><br>あの街灯が、点いても、消えても・・・<br><br><br>いつも、"私"は「ここ」にいる。<br><br><br>皆様、ごきげんよう。<br><br><br>いかが、お過ごしでしょうか？<br><br><br>一つ前の記事をアップした８月７日って、立秋だったんですねぇ。<br><br><br>８月は恒例ですが、蝉たちのオーケストラによる🔥ホット🔥な交響曲が命を奏でておりました。<br><br><br>今は、９月。<br><br><br>早速、秋らしさが始まりました。<br><br><br>秋の虫たち。涼しいアンサンブルを奏でておりますね。<br><br><br>日本の古き善き文化は、四季の移ろう原風景を愛でることで、人生を有意義に活用してきました。<br><br><br>人生を活かすこと。<br><br><br>それが「生活」です。<br><br><br>８月９日には、長崎で原爆によって亡くなった方々の冥福を祈り、世界の平和を願い、黙とうを捧げました。<br><br><br>何度も、美輪明宏さんの講演や音楽会、演劇の舞台を観に行きましたし、良い御縁がございます。長崎のことも忘れません。<br><br><br>さて、今年３月頃まで書いていた青山秀光作の推理小説について。<br><br><br>前記事でも説明しましたが、もう小説を書いている場合ではない為、終了しました。<br><br><br>その後も半年くらいは公開しておりましたし、私は"もう充分だろう"という考えでしたが・・・<br><br><br>まぁ、色々とございましてね。<br><br><br>結局、「再編集した上で、再アップ」となりました。<br><br><br>内容の一部を変更したり、修正したり、或いは厳選してコンパクトにするなど、再編集しています。<br><br><br>その為に前回と違うストーリー展開もありますので、ご了承ください。<br><br><br>前にアップしていた期間内でまとめることにしましたから、公開日時は今年１月～２月の枠で指定しています。<br><br><br>劇場系記事はフィクションですし、お笑い系や推理小説系などがあります。<br><br><br>これらは、気軽に読んでいただきたいと思います。<br><br><br>さて、新型コロナウイルスに関して。<br><br><br>私は今年８月７日の段階で、すでに「爆発的感染拡大中」と書きましたが・・・<br><br><br>厚生労働省は８月１８日に、４０都道府県で新規感染者数が「爆発的感染拡大」相当になったと明らかにしました。<br><br><br>前記事にも書きましたが、ワクチン接種済みでも感染する場合があり、中等症に陥る場合もあります。<br><br><br>今は、免疫を逃れる可能性がある新デルタ株だけでなく・・・<br><br><br>もっと厄介かもしれない「ラムダ株」も、確認されました。<br><br><br>デルタ株は感染力が強く、感染スピードがはやく、「若い世代でも重症化リスク」があります。<br><br><br>さらに、ラムダ株は感染力が非常に強く、また「ワクチンが効きにくい」という可能性があるそうです。<br><br><br>今年７月に、オリンピック関係者から、(国内初となる)ラムダ株の感染が確認されました。<br><br><br>さらに、ミュー株という新しい変異株も確認されました。まだ、これの詳細は不明のようです。<br><br><br>どう感染予防を徹底していても、感染してしまう場合があります。<br><br><br>出来る限りの最善を尽くし、後は助け合いましょう。<br><br><br>「助ける」という字には「力」があります。<br><br><br>助け合うことは、力を合わせることです。<br><br><br>例えば、どんな善いことをしたらいいか？が、分からなくても・・・<br><br><br>他者に悪いことをしないなら、それは善いことです。<br><br><br>ちなみに、前記事の「早めの療養」とは、「早めの治療と保養」を意味します。<br><br><br>それから、「平安と不安について」ですが・・・<br><br><br>宇宙の中に「＋と－の法則」があるのですから、人間の中にもあるでしょう。<br><br><br>人として生きているのですから、不安や心配、恐怖や苦痛、悩みなどがありますよね？<br><br><br>しかし、不安があるなら、必ず平安もあるということです。<br><br><br>後は、バランスの問題です。<br><br><br>その人の中で、不安が上回ってしまえば、外側に不調和があるでしょう。<br><br><br>しかし、平安が上回っていれば、外側に調和があるでしょう。<br><br><br>さて、以前にもテーマにしましたが、「太っている」ということについて、あらためて。<br><br><br>今も「太っている」ことに対する、私の意見は変わりません。<br><br><br>「ふくよか」で可愛い！とか、「力持ち」でたくましい！という好印象を持つ人たちも、必ずいることでしょう。<br><br><br>「太っている」というだけで、何か大きな問題があるのでしょうか？<br><br><br>何か問題になってくるとしたら、太り過ぎていること。これは、さすがに😱万病のもと😱です。<br><br><br>しかし、逆に痩せ過ぎていることも😱万病のもと😱です。<br><br><br>自分が太り過ぎなのか？或いは、痩せ過ぎなのか？<br><br><br>それは、科学的に知ればよろしいでしょう。<br><br><br>というか、医学的に。<br><br><br>健康診断。または、インボディ。<br><br><br>インボディは、(より詳細に)部位別の筋肉量、体脂肪分析、ウエスト周りや内臓脂肪レベルなどが分かります。<br><br><br>そのようにして、「現実的に」自分の体と向き合います。<br><br><br>太り過ぎも、痩せ過ぎも、末は致命的な疾患を引き起こすでしょう。<br><br><br>お気を付けて。<br><br><br>しかし、ただ単に「太っているから」っていうだけで、すぐ病気になるというわけではありません。<br><br><br>痩せていても、それが原因で病気になることがあります。<br><br><br>体質で太りやすいということや、何らかの服薬による治療をしている方は、その薬の作用で太りやすくなる場合もあります。<br><br><br>とにかく、😋食べ盛り😋なのは、元気な証拠💪✨<br><br><br>運動不足なら、🚶💦運動💃💨すればよろしいのです。<br><br><br>しかし、運動の必要がないほど、体力仕事をしているなら、無理に運動するべきではありません。<br><br><br>また、ダイエットは、むやみやたら運動すればいいというものではなく、無理に食事量を減らせばいいというものでもないですよ。<br><br><br>そもそもの話、一気に体重が減って痩せたとしても、贅肉だらけでは意味がありません。<br><br><br>ダイエットは、脂質や糖質の過剰摂取をやめればよろしいのです。(重要なのは、継続して取り組むことだけ)<br><br><br>医学的に自分の現状を知り、一日に必要な栄養バランスを把握して、後は食習慣を工夫するだけ。<br><br><br>毎回の食事で、脂質や糖質の過剰摂取になっていないか？だけ、気を付けていればよろしいのでしょう。<br><br><br>すでに健康診断で引っ掛かったり、何らかの疾患があるなら、医師や栄養士の指導に従う必要もございますね。<br><br><br>個人的には「太っている方」が、より好ましいと思っています。<br><br><br>見た目が太っているとしても、実際は贅肉が少なく、かなりの筋肉質💪🌟という場合もあります。<br><br><br>前記事の後輩と温泉に入った時、たまたま健康診断の話題から、そういう話になりましてね。<br><br><br>後輩くん。実はガッチリなのに、見た目がムッチリというだけで、よく「太り過ぎ！」と言われてました。<br><br><br>そこで、後輩くんが、触って確かめてみてほしい！とお願いしてきたので・・・<br><br><br>気心知れた仲でしたし、彼の全身をあちこち触ってみました。<br><br><br>結論は、ガッチリと筋肉質でしたねぇ。(ところにより、もちもちモッチリ)<br><br><br>実際、健康診断でも引っ掛かることなく、彼は標準かつ健康でした。<br><br><br>よって、見た目がムッチリでも、それだけで"太り過ぎ"と決めつけるべきではありません。<br><br><br>やっぱり医学的根拠に基づいて、「正確」に知るべきです。<br><br><br>私は夏場であっても、運動や瞑想を目的として、外へ出掛けました。(緊急事態の時から、不要不急の外出は自粛へ)<br><br><br>公園へ来て、木陰を見つけて座っていると・・・<br><br><br>工事現場の作業員や警備員として働いている、体格のいい男たちが昼ごはんを食べにやって来るんですね。<br><br><br>その内の一人は、三人前としか思えない量のコンビニ弁当や惣菜などを、あっという間に食べ終えてしまいました。<br><br><br>その様子を眺めていたら、何だか微笑ましい😌と感じてきましてね。<br><br><br>と、言うのも・・・<br><br><br>私は、あまりガツガツ食べない方ですから。<br><br><br>(強制されなければ)一日一食で充分！という時も。<br><br><br>現在、体重も５０㎏台。(６８㎏前後から、約一年で減少)<br><br><br>これは、厳密な食事制限によるものです。<br><br><br>とうとう、医師から「食事制限は終わり！普通に、しっかり食べましょう。」と指示が出ました。<br><br><br>あたくし。生活がシンプルで、大して食費もかかりません(笑)。<br><br><br>あまり、味も気にしない方だと思います。食事制限中の、ありとあらゆる料理が、ほぼ味付けなし！でしたから。<br><br><br>新型コロナウイルスによる感染症が、まだ存在しなかった頃のこと。<br><br><br>私は夕食を全て食べ終えた後、出された汁物に問題があり、実は腐っていた！というアクシデントがありました。<br><br><br>日中、常温で放置されていた汁物(鍋に入ったまま)でした。<br><br><br>春から夏へ移り変わる頃合いで、もう気温も室温も高くなり始めていました。<br><br><br>しかし、まだ冷房はつけず、かなり台所は高温になってしまったんですねぇ。<br><br><br>で、腐った。<br><br><br>もちろん、誰も悪意はありません。<br><br><br>しかし、私は、自分に出された食事を全て食べてしまいました。<br><br><br>私にとっては、愛情を込めて作られた料理であり、どれを食べたところで有り難いと感じるのみ。<br><br><br>あまり味を気にしないので、気付かなかったようです。<br><br><br>とはいえ、明らかに腐っている😱と分かるものは食べませんよ。(体の健康を気遣うべきですから)<br><br><br>私の味覚や嗅覚には、何の異常もありませんでした。特に、味を気にしなかった・・・というだけです。<br><br><br>その後、やはり熱発をはじめ、嘔気、腹痛、下痢などの症状がありました。<br><br><br>しかし、私は「来ては去るがまま」にしておきました。<br><br><br>この場合、マーヤーの戯れに過ぎませんから。<br><br><br>お粥を食べるわけでなし、水分補給どうのこうのもなく、大したことではないので服薬もしませんでしたが、自然に治りました。<br><br><br>肉体については、あれこれ気にしない方が良いのです。<br><br><br>インドの霊性は、肉体の健康を気遣うよう推奨しつつ、肉体に執着し過ぎると「身体虚弱に陥りやすくなる」とも教えています。<br><br><br>肉体は水の泡のように儚く、精神の影響を受けやすい。<br><br><br>肉体によって、様々な楽しみ(例えば、性的快楽など)も体験できますが、どこか不満が残り、最後は悲しみのもとになります。<br><br><br>スリー・バーラサイは、こう教えていました。<br><br><br>「人生で全てを楽しみなさい。性的な楽しみがなければ、幸せについて気付くこともなく、人間性というものも失っていたでしょう。しかし、性的な楽しみに傾倒するなら、"肉体意識の世界"にある深い深い地獄へ導かれ、執着と束縛の落とし穴に落ちてしまいます！また、性的なことにどっぷり浸かると、不健康であり、肉体の老化を促進させます。あなた自身の最善の為に、自制することを勧めます。」と。<br><br><br>肉体による様々な楽しみを味わっても問題ありませんが、執着しない方がよろしいでしょう。<br><br><br>肉体は出来るだけ健康で、(ある程度)快適に過ごせれば良いというだけのこと。<br><br><br>心は、内なるハートの神へ向かうべきです。<br><br><br>(無知と幻影に属する)外界の物質世界には、一時的な幸せしかありません。<br><br><br>心は内なるハートへ向かうべきであり、そこに住む神の１つの名と姿を思い続けるべきです。(忍耐強く、努力する必要あり)<br><br><br>そして、困窮する人々のハートに住む神にも、愛と奉仕を捧げるようになるでしょう。<br><br><br>真の幸せ(無限)は、内なるハートの神性から湧き出てきます！<br><br><br>ちなみに、スリー・バーラサイは「特別なサイ・アヴァター」です。原初至高の母なる女神「バーラ・トリプラスンダリーの化身」だからです。<br><br><br>つまり、彼は「最も強力な母なる女神の愛と優しさ」によって、教え、導き、守り、祝福します。<br><br><br>スリー・バーラサイは、こう教えていました。<br><br><br>「私は全ての人が(本来は)神だと考えている。しかし、時には貪欲や世俗的な快楽が人間を堕落させ、人を悪魔に変える。人に自分自身の中に神がいることを理解させるには、優しく愛し、なだめ、あやして、神性の人に変化させる！」と。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12696217549.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Sep 2021 14:14:37 +0900</pubDate>
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<title>ウイルスという「負」を打ち破る「正」も、必ずある！小さな楽しみを、たくさん楽しみながら・・・。</title>
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<![CDATA[ 皆様、ごきげんよう。<br><br><br>昨日は、８月６日でした。<br><br><br>特に、宇根利枝さんを思い出します。<br><br><br>奉仕イベントで、対談もさせていただきました。<br><br><br>宇根利枝さんは、広島で原爆を体験し、戦争の悲惨さや平和の大切さを子どもたちや若い世代に語り続けました。<br><br><br>その体験を思い出せば、きっと(胸を痛める)記憶のはず・・・<br><br><br>それでも、宇根利枝さんは、「日本の未来である若い世代」を心から大切に愛し、真の平和を伝えてきたのです。<br><br><br>彼女は、子どもたちや若い人たちのことを、本当に大切に、大切に、心から大切にし、愛してくださいましたよ。<br><br><br>そして、ただ「平和について」語るだけでなく、彼女は「行動」で示しました。<br><br><br>原爆によって、喉の渇きに苦しみながら、水を欲しがって亡くなった方々の為に・・・<br><br><br>たくさんの慰霊碑に「観音様の水」を毎日、捧げました。<br><br><br>ただ単に、天然水を買えばいいというものではなく・・・<br><br><br>宇根利枝さん自らが、苦労して山に登り、「観音様の滝」から新鮮な水を汲み、重くても運んで山をおり・・・<br><br><br>そして、その「観音様の水」を持ち歩いて、たくさんの慰霊碑に捧げたのです。毎日、毎日。<br><br><br>そうして、実践的に「真の平和」を若い世代に示し、また語り続けました。<br><br><br>ですから、若い人たちも、自分から慰霊碑に水を捧げたり、平和の為の活動を始めるようになりました。<br><br><br>今もなお、若い人たちが、宇根利枝さんの活動を継承し、自ら実践し続けているのです。<br><br><br>多くの子どもたちや若い人たちは、まず自らの行動で模範を示す年長者やリーダーには素直に従うものですし、後は自らも考えて、(有益なら)同じように自ら実践していくものなのでしょう。<br><br><br>宇根利枝さんには、広島市政功労賞も贈られました。<br><br><br>ですから、忘れてはいけない「８月６日午前８時１５分」に・・・<br><br><br>原爆で亡くなった方々の冥福を祈り、世界の平和を願い、「黙とう」を捧げました。<br><br><br>人の内なるハートに「平安」があれば、外には自ずから「調和」があります。<br><br><br>それが「真の平和」です。<br><br><br>内に不安があれば、外には不和があります。<br><br><br>それが、最悪は「戦争」になってしまうのでしょう。<br><br><br>さて、今は新型コロナウイルスが爆発的に感染拡大中であり、もはや最悪の事態です。<br><br><br>ワクチン不足のせいで、多くの若い世代が「待たされている」内に感染したり、重症化している場合もあるようです。<br><br><br>若い世代は必要急務で、外に出て働くことも多々あるでしょう。<br><br><br>感染してしまったら、場合によっては「もう手遅れ」もあり得ます。重い後遺症が残れば、もう働きたくても働けないかもしれませんから。<br><br><br>日本の未来にとっても、心が重くなる事態になりました。<br><br><br>今年３月下旬。<br><br><br>突如として、私は小説活動をやめました。<br><br><br>「もう小説など書いている場合ではなくなりました。」とエッセイ１に書きましたけど・・・<br><br><br>やはり、そういう事態が始まりました。<br><br><br>それで、前もって「本当に重要なこと」をエッセイ等で、数ヵ月かけて、アップしておきました。<br><br><br>それらの内容は、今回に限らず、今後も通じるでしょう。<br><br><br>肯定的に読み解けば、重要な意味があったことに気付くはずです。<br><br><br>エッセイ２に、こう書いてあります。<br><br><br>『国の未来は、国会にはありません。国の未来は、学校にあります。学生は何を学び、どう自分たちの未来を創造し、選択し、報いを受けるか？について、考えておかねばなりません。』と。<br><br><br>今、次々とデルタ株による感染が、急拡大しています。<br><br><br>しかし、オリンピックで感情的に興奮していては、冷静な危機意識なんて広がりようもなかったのでは？と。<br><br><br>オリンピックそのものは、素晴らしい。<br><br><br>オリンピック選手の皆さんが、国を代表し、競技する姿は立派ですよ。<br><br><br>まして、メダルを獲得した！となれば、本人のみならず、国全体としても誇りに感じます。<br><br><br>たとえ、メダルを獲得できなくても、オリンピックに出場し、「競技をしたことそのもの」が有意義です。<br><br><br>しかし、「なぜ、今やるの？」ってことは、前から言われていましたね。<br><br><br>にもかかわらず、開催強行となりました。<br><br><br>今も感染症状に苦しむ人々が、たくさん増えているのに・・・<br><br><br>「安心・安全な人たちだけで盛り上がるオリンピック」になってしまったのなら、残念なことですね。<br><br><br>ピースは、二つあります。<br><br><br>１つは、平和。<br><br><br>１つは、破片。<br><br><br>このタイミングで開催強行したオリンピックは、どちらのピースをもたらしたのでしょう？<br><br><br>三業とは「思考、言葉、行動」という、「三つのカルマ」を意味します。<br><br><br>宇宙は、その三つの次元で成り立っています。<br><br><br>神の化身によれば・・・<br><br><br>(邪な社交辞令を含む)三業が一致しないカルマは、自然の運行や人間関係に「災いと混沌」をもたらす！とのこと。<br><br><br>例えば、晴れてほしい時に雨が降り、雨が欲しい時に豪雨となり、平穏な時にいきなり水害とか・・・。<br><br><br>無私の愛とともに、心と口と身のカルマが一致する「美徳」を、トリプラスンダリーと言います。(スリー・バーラサイは、愛と美徳の化身です！)<br><br><br>今、私の胸に強く響いてくるのは、医療従事者たちが「一人ひとりの命を守ろう！」として、真剣に訴える言葉だけです。<br><br><br>真の医療従事者たちは「命を守る」という義務を果たす為、思考と言葉と行いが一致しているからです。<br><br><br>今年８月に入ってから、さらに爆発的な感染拡大が(日本中で)起き始めています。<br><br><br>ワクチン未接種の場合は、特に気を付けなければなりませんね。<br><br><br>また、ワクチン接種済みで免疫があっても、油断できない事態になりました。<br><br><br>「免疫から逃れる可能性」のある、新たなデルタ変異が確認されたからです。(今年７月末に鹿児島で)<br><br><br>今はまだ、きちんと調べている段階のようですが・・・<br><br><br>もう一度、言っておきます。<br><br><br>その新たに変異したデルタ株は、「免疫から逃れる可能性」があるそうです。<br><br><br>ワクチン接種によって、皆さんはウイルスに対する免疫を獲得し、それが重症化も防ぎます。<br><br><br>自然免疫も、獲得免疫も、免疫は免疫。<br><br><br>その免疫を回避する力が強いウイルスにやられた場合、どうなるでしょう？<br><br><br>それでも、ワクチン未接種より、ワクチン接種済みの方が「より良い」でしょう。<br><br><br>新型コロナウイルスとは、変異や強化のスピードが「はやい」のです。そこが、特に問題です。<br><br><br>しかし、この全宇宙が「＋と－の法則」で成り立っています。<br><br><br>"あの勾玉"の如く。<br><br><br>ウイルスという「負」を打ち破る「正」も、必ず存在します！<br><br><br>今は「免疫力アップ」こそが、最善の「正」でしょう！<br><br><br>とにかく、ワクチン接種を済ませても、全く油断できませんよ。<br><br><br>普段から・・・<br><br>⭕ 感染予防の徹底！<br><br>⭕ 免疫力を高める生活習慣！<br><br>この２つの「継続」が重要と言えるでしょう！<br><br><br>というのが、私の意見です。(前から書いてきました)<br><br><br>免疫力アップの為にも、「体内の熱エネルギーを、適切に高めること」がポイントであろうと思うのです。(前記事にも書いてきたこと)<br><br><br>今は、夏真っ盛り。<br><br><br>熱中症等に、気を付けなければなりませんが・・・<br><br><br>毎日、♨熱めのお風呂♨で、湯に浸かる習慣は大切でしょう。(熱めといっても、適切にね😉)<br><br><br>また、規則正しい生活リズムも大切。<br><br><br>特に、しっかりと睡眠をとりましょう！今は、疲労蓄積やストレスをためるのは要注意です！<br><br><br>よほどの確固たる信仰心と十分な功徳のある人なら、神への祈りだけで病気が治るということもあり得ます。<br><br><br>しかし、カリユガが激化しており、それは極めて難しいでしょう。<br><br><br>やはり、きちんとした医師による治療を受けながら、神に祈るべきです。<br><br><br>必ず、病院等で適切な治療を受けること。<br><br><br>また、善行奉仕による功徳を積み、内なるハートの「神」に祈ること。<br><br><br>信仰心や功徳次第で、治療もスムーズになるのです。<br><br><br>そうして、治療と祈りがバランスよく調和し、適切な時が来れば、必ず病気は治ります。<br><br><br>もし、回復を、神の御心のままに任せるなら・・・<br><br><br>何が起きるでしょう？<br><br><br>あなたの神は、あなたの病気や、その苦痛を一緒に耐えているかもしれません。<br><br><br>あなたがどれほどの病気や苦痛を抱えていても、あなたの神は優しく励まし、慰め、支え、ともに耐え、愛してくれます！<br><br><br>そして、神は「適切な時」に、病気と苦痛を取り除くのです。<br><br><br>病気も苦痛も完治しなかった！という場合は、カルマを通して成長する為に、あなたにとって「それが最善」だからでしょう。<br><br><br>病気や、その苦痛は、カルマを浄化します。<br><br><br>場合によっては、人生の真の目的に気付かせたり、肉体に執着しないことの重要性を教えてくれるのです。<br><br><br>また、免疫力アップの為に「生命エネルギー」も高めましょう！<br><br><br>人の椎骨内の"ある部位"から、(神によって)生命活動に必要なエネルギーが働き出ているのです。<br><br><br>ですから、特に腰椎～胸椎にかけてを真っ直ぐにし、普段から良い姿勢を保つことが好ましいのです。<br><br><br>そのエネルギーが働き出る部位は、「生命の源」です。<br><br><br>よく「心臓こそ、生命の源だ！」と言われますが、心臓の移植手術をしても、人は生存できます。<br><br><br>しかし、「生命の源」である椎骨内の"その部位"が、深刻な損傷を受けたら、最悪は死ぬでしょう。<br><br><br>"その部位"から働き出る生命エネルギーを、全身へスムーズに行き渡らせる為に、姿勢を正すことは極めて重要。<br><br><br>瞑想の際には、(特に)腰椎～胸椎にかけてを真っ直ぐにし、姿勢を正すことが基本中の基本です。<br><br><br>歌うにしても、その良い姿勢をキープすることが重要。<br><br><br>真の歌い手か？否か？というのは、歌のスキルや歌声だけでなく、歌う時の姿勢を見ると分かりやすい。<br><br><br>それどころか、生きる姿勢まで、丸見えになってしまいます。<br><br><br>また、某ＳＮＳで、ある男性たち(Ｇ)のことを見守っており、時おり画像も見ますが・・・<br><br><br>私は、彼らの姿勢を見ると、その生き方も見えてきます。<br><br><br>彼らの投稿する言葉は、"情報"です。<br><br><br>時おり、冗談や、(感情をコントロールできずに)つい書いてしまった言葉、あまり意味のない軽い言葉もあるでしょう。<br><br><br>それらは、大して気にしません。<br><br><br>しかし、画像に映る彼らの表情(特に視線)や手、指！そして、姿勢を注意深く観ています。<br><br><br>まさに、"本人"ですから。<br><br><br>時には真面目で優しい人柄が出たり、時には可愛らしいところもあったりして・・・そういうところですねぇ😊(やっぱり、最後は"人柄だ"と思いますよ😉)<br><br><br>ちょっと心配になる時もありますが、(遠くから)彼らの幸せを祈っています😄<br><br><br>とにかく「良い姿勢」で歌う人は、呼吸も深くゆったりしており、明るい気を放ち、歌全体に活力が生じます。(日常的に見ても、良い姿勢は健康的)<br><br><br>しかし、いつも「悪い姿勢」で歌っていると、ネガティブな気を引き寄せて不健康。(しまいに、厄介な病気になるだけ)<br><br><br>歌に限らず、普段から、背骨を真っ直ぐに伸ばし、良い姿勢をキープできるよう、意識なさってくださいまし。<br><br><br>"古き善き日本文化"をもたらした先人たちは、理屈ではなく、経験によって、良い姿勢の重要性を理解していたのです。<br><br><br>この記事では最後となりますが、感染予防について・・・。<br><br><br>まずは、手洗い・うがい！<br><br><br>特に、私は「うがい」と「歯磨き」を徹底してきました。<br><br><br>(うがいは、うがい薬を活用)<br><br><br>絶対に、「喉」を防衛しなければなりません！<br><br><br>新型コロナウイルスの襲撃は、「喉」に対して始まります。<br><br><br>それから、手指消毒。<br><br><br>アルコール消毒液を掌に注ぎ、ただ両手を合わせて塗るだけでは意味がありません。<br><br><br>まず、消毒液を片方の掌中央に注ぎ、もう片方の手は猫の手のように丸めて、指先を消毒してください。(交互に左右で実施)<br><br><br>次に、掌を合わせて擦ります。同時に、指の間も。指を交差させる感じで。<br><br><br>次に、片方の掌で、もう片方の手の甲を。(交互に左右で実施)<br><br><br>最後に、手首を消毒。<br><br><br>特に、指先、指の間、手首をきちんと消毒しなければなりません！<br><br><br>これは、手洗いでも重要なポイントです。<br><br><br>福祉のプロと言える職員さえ、手洗いの基本を知らず、きちんと出来ない者がいます。<br><br><br>マスクも、きちんと装着しなければ意味がありません。<br><br><br>「(医療的ケアの)喀痰吸引を実施できる有資格経験者」として、言っておきます。<br><br><br>鼻の奥は喉につながっており、「上咽頭」と呼ばれています。<br><br><br>前述では「喉」と書きましたが、特に「上咽頭」こそ、最も防衛するべき「要」です。<br><br><br>よって、マスク装着は鼻もしっかり覆う必要があります。<br><br><br>マスクは、なるべく隙間を作らないように、お気を付けて。<br><br><br>ふとした"うっかり"で、容易く感染してしまいます。<br><br><br>だから、「今この瞬間」に気を付けて、(自分の行動を意識する)シャマタの瞑想について、前もって記事に書いておいたのです。<br><br><br>デルタ株の症状は、従来株とは少し違うそうです。<br><br><br>いつまでも古い情報だけに基づいて、判断していられませんね。<br><br><br>有名な「味覚や嗅覚が感じなくなった！」では、「もう遅い」かもしれないですよ。<br><br><br>喉のイガイガ、頭痛、嘔吐や下痢、咳などの顕著な症状が長く続くと、分かりやすいのですが・・・。<br><br><br>特に、重要なチェックポイントがあります！<br><br><br>それは、３つ！<br><br><br>・息苦しさ(呼吸困難を含む)<br><br>・倦怠感(関節痛や強い睡気を含む)<br><br>・熱発(３７．５度以上)<br><br><br>このどれかが生じているなら、感染した可能性も考えましょう。<br><br><br>① 早めの相談！<br><br>② 早めの受診！<br><br>③ 早めの検査！<br><br>④ 早めの療養！<br><br><br>何らかの理由があるにせよ、感染してしまった「あなた」を、私は責めません。<br><br><br>『必ず、回復するように！』<br><br><br>それだけを願い、祈ります。<br><br><br>前記事では、"旅"をすることの素晴らしさや、人とのつながり等を大切にしていただきたいなぁという思いも綴りましたが・・・<br><br><br>私は、その記事で「今はまだまだ感染防止を徹底し、油断できません」とも書いています。<br><br><br>ワクチン接種済みで重症化しなくても、感染する時は感染し、中等症に陥る場合もあります。<br><br><br>重症とは瀕死のことであり、もう中等症で人工呼吸器装着の事態になります。<br><br><br>中等症でも、重い呼吸困難に陥るのです。<br><br><br>日々の感染予防と、感染拡大防止を徹底しましょう。<br><br><br>そして、家にいても「小さな楽しみ」なら、あちこちに隠れていますよ😊<br><br><br>小さすぎて、見つからないのね😌でも、隠れてます。<br><br><br>まずは、すっごく小さくても、「理屈なしに、何だか楽しい！」っていうのを、１つ１つ見つけてみてください。<br><br><br>見ようとすれば、見えてくるものです。<br><br><br>探していれば、見つかるでしょう。<br><br><br>(今は、出来るだけ)自宅で「小さな楽しみ」を「たくさん楽しみ」ながら、平和に、あるいは幸せにお過ごしくださいね。<br><br><br>💝愛と祈りを込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12690784717.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Aug 2021 05:00:14 +0900</pubDate>
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<title>恋のジャングルを抜けて、恋愛の橋を渡り、愛の国へ。それから、ある後輩と夜景の想い出。</title>
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<![CDATA[ 皆様、ごきげんよう。<br><br><br>実は「恋愛について、お書きなさいったら！」みたいなことを、よく言われるもんですから。<br><br><br>今回、こうして「では、参考までに。」ってことで・・・。<br><br><br>そもそも人の恋愛のことですから、人それぞれです。<br><br><br>あくまでも、参考までに。<br><br><br>さて、恋愛ねぇ。<br><br><br>恋愛。<br><br><br>恋と愛・・・か。<br><br><br>恋というのは、亦(また)という字の下に、心が位置しておりますね。<br><br><br>下心があるということなんでしょうかねぇ・・・恋は。<br><br><br>あり得ることかもしれません。<br><br><br>要するに、「恋は、自分本位になりがちなもの」ということでございますね。<br><br><br>ですから、(基本的に)恋は相手に求めるものなのでしょう。<br><br><br>ああして欲しい、こうして欲しい・・・<br><br><br>ああして欲しくない、こうして欲しくない・・・<br><br><br>そうして欲しかった、そうして欲しくなかった・・・<br><br><br>相手を利用するだけ利用して、性欲や物欲を一方的に満たしたいだけだったり、独占欲や支配欲を一方的に満たしたいだけだったり・・・<br><br><br>お互いに求めあうだけでは、たくさんトラブルも起きるでしょうね。<br><br><br>しかし、この世界のどこかに、都合のいい相手が必ず一人はいるはず！と、幻想にふけるのも恋なんですよねぇ。<br><br><br>それが、😝恋の可愛らしいところ😝なのかもしれません😅<br><br><br>とにかく、お互いがお互いにそうなもんだから、衝突が起きる。<br><br><br>高い跳び箱をうまく飛び越えるには、踏み台との強い衝突が起きなければなりません。<br><br><br>恋における衝突は、さらなる高みである恋愛へのステップアップにも出来るでしょう。<br><br><br>自分しか見えなかった恋から、相手のことも見えてくる恋愛へ、飛躍していくのですから。<br><br><br>はじめの内は、恋の中で幻想と現実の狭間を揺れ動くことになりますねぇ。<br><br><br>恋なしに、恋愛もなし。<br><br><br>まずは、恋から始まる。<br><br><br>若い頃の私は、歌を聴いたり、歌ったりすることで、めくるめく情熱的な恋のエネルギーを発散していましたねぇ。<br><br><br>ほとんどの恋は、(歌とともに)想像の世界で間に合わせてきました。<br><br><br>他人様に迷惑かけるわけじゃありませんし、自分の中で恋の主人公を演じるくらい、個人の自由ですからね。<br><br><br>歌はストレスを発散したり、何らかの気持ちを満たす意味で、人生に欠かせません。<br><br><br>「歌う」ということは、素晴らしいことです。<br><br><br>ぜひ🎤歌う🎵ということを、大事にしていただきたいですね。<br><br><br>(プライベートなら)上手いか？下手か？は、どうでもいいこと。<br><br><br>「歌うということそのもの」を楽しんでいただきたいの😌<br><br><br>ところで、じゃぁ恋愛とは何？って話になるわけですよ。<br><br><br>恋愛は、"お互い様"の信頼関係で成り立ちます。<br><br><br>基本的に、「持ちつ持たれつ」でしょう。<br><br><br>喧嘩は当然あるでしょうけど、さらに仲良くなる為の喧嘩というパターンです。<br><br><br>信頼関係と恋愛感情がバランスよく続いているなら、それが「カップル」なんでしょうね。<br><br><br>恋愛は、愛。つまり、必ず相手本位で、「許すこと」と「利益を与えること」の二つが存在します。<br><br><br>恋に愛が調和すれば、恋愛となりますね。<br><br><br>💘恋のジャングル💔を抜けて、💕恋愛の橋💕を無事に渡り、最後に💗愛の国💗へ到達すればよろしいのです。<br><br><br>😘素敵😚<br><br><br>いきなり愛の国に到達するのは、難しいでしょう。<br><br><br>恋愛は、「(自分の為の)欲しい！欲しい！」をすり減らし、「(相手の為の)愛してる！愛してる！」をたくさん育むプロセスです。<br><br><br>とにかく、唐突にもう彼氏ｏｒ彼女っていうパターンより、友達関係から始めたっていいんじゃありません？<br><br><br>そもそも自分のことをよく知らない内から、急に彼氏ｏｒ彼女になれちゃう相手を信じられますか？<br><br><br>相手のことをよく知らない内から、急に彼氏ｏｒ彼女になれちゃう自分を信じられますか？<br><br><br>ですから、恋愛は「相互理解からの相互満足」で成り立ちます。<br><br><br>恋とは、自己満足で成り立つ世界。<br><br><br>恋愛は、相互満足で成り立つ世界。<br><br><br>愛とは、総合満足で成り立つ世界。<br><br><br>と、言えるかもしれません。<br><br><br>と、お思いになりません？<br><br><br>恋愛は、若い内が一番楽しめるものと見なされています。<br><br><br>やはり、相手の肉体的魅力も、恋愛では欠かすことのできないものでしょう？<br><br><br>一般的な傾向から言えば、若くて、肌の艶がピチピチしていて、元気で健康な肉体が好ましいはず。<br><br><br>どんどん肉体は老けていくだけですから、若い内に恋愛経験をたくさん楽しんでおこうとするわけです。<br><br><br>しかし、年齢を増すごとに、「人としての魅力」も増して、その魅力だけで恋愛できちゃう人もいます。<br><br><br>恋愛と言っても、本当に人それぞれですね。<br><br><br>とにかく、相手に欲しがってばかりとか、相手に求めてばかりの人は、恋愛で何も成し遂げられないでしょう。<br><br><br>恋から始めて構いませんが、やはり愛することを忘れずに。<br><br><br>恋愛の行く末は、(お互いに)どれだけ許せるか？そして、(お互いに)どれだけ捧げるか？で決まるでしょう。<br><br><br>その為には、相手をよく知り、相手の気持ちを正しく理解し、本当に相手本位の立場で考えられるようになれるといいですね。<br><br><br>それにしても、恋愛ねぇ。<br><br><br>いいですねぇ。<br><br><br>何だかドキドキしてきますねぇ。<br><br><br>若いカップルたちは今、どんな恋愛をして、ときめきを感じているんでしょう？<br><br><br>うまくいきますように💗<br><br><br>お幸せにね😌💝<br><br><br>カップルになりたいけど、まだ相手がいない人には、良い相手との縁が出来ますように💗<br><br><br>祈りましょう。<br><br><br>まあ、恋愛に限らず・・・<br><br><br>友達と楽しい時間を過ごしたり、想い出を積み重ねたりするのも素晴らしい。<br><br><br>人間同士で仲良くしている姿や、人間愛を深めている人たちの姿は、とても好きです。<br><br><br>平和に、あるいは幸せに、笑顔で過ごせますように💗<br><br><br>祈りましょう。<br><br><br>(今はまだまだ感染防止を徹底し、油断できませんけど)<br><br><br>本当は、旅行も(思う存分)楽しんでいただきたいんですよねぇ。<br><br><br>前から何回も書いてきましたけど、「旅」というのは大事なことです。<br><br><br>いつも通勤や通学で、同じ景色ばっかりじゃ・・・<br><br><br>病みそうになりません？<br><br><br>観光旅行では、いつもと違う景色があり、様々な暮らしがあり、新しい出会いもありますよね。<br><br><br>そう。<br><br><br>新しい感覚❇<br><br><br>新しい発見❇<br><br><br>新しい経験❇<br><br><br>そういう新しい未知の何かがあるかもしれません。<br><br><br>旅の中には、新しいワクワクo(^o^)oが、いっぱい隠れています。まるで宝さがしのような楽しさがある。<br><br><br>それこそ、旅の醍醐味でしょう。<br><br><br>それに視野が広がる。<br><br><br>違う視点✴から見る。<br><br><br>違う角度✴から見る。<br><br><br>違う立場✴から見る。<br><br><br>多角的な視野を育むには、旅の経験が最適でしょう。<br><br><br>観光旅行でリフレッシュするとともに、仕事や勉強にも活用できて、一挙両得🌟<br><br><br>まあ、容易く観光旅行とはいかないにしても・・・<br><br><br>温泉に入るだけでもよろしいでしょう。<br><br><br>温泉で、ゆったり身心をリラックスして、もう何も余計なことは考えないで過ごす。<br><br><br>いいですねぇ。<br><br><br>温泉仲間と一緒に、そんな時間を分かち合ってみるとか・・・<br><br><br>美味しいものを食べたり、飲んだりして、仲間と😃楽しい😃を分かち合ってみるとか・・・<br><br><br>いいですねぇ。<br><br><br>夜景を見ると、懐かしい想い出が蘇ります。<br><br><br>夜景ねぇ。<br><br><br>なんで、あんなに切なくて、でも綺麗なんでしょう？<br><br><br>大地の星空みたいで。<br><br><br>夜景は、大好きですねぇ。<br><br><br>素敵😘<br><br><br>前に、とても可愛がっていた後輩がいます。<br><br><br>礼儀正しくて、優しくて、おっちょこちょい。<br><br><br>笑いのセンスが抜群で、まわりが明るくなる。<br><br><br>性格は表裏がなく、真っ直ぐで豪快でしたねぇ。<br><br><br>心も丸腰で、さらけ出しちゃうタイプだから、ストレートに傷つけられてしまうんですねぇ。可哀想でした。<br><br><br>だから、私が身近な心の支えとなって、助けることにしたのです。<br><br><br>いつも、彼には「心の防毒マスク」を付けるように！って、注意もしていました(笑)。<br><br><br>温泉に入って、御馳走を食べて、たっぷりカラオケ楽しんで・・・<br><br><br>最後に、夜景を観ましたねぇ。<br><br><br>カラオケで、彼の歌声をＣＤ化したので、久々に聴こうかなぁ😍<br><br><br>声がカッコいい。とっても丁寧に歌うんですね。<br><br><br>しかも、恋愛感情を込めて、ビブラートを上手に駆使するもんだから。印象としては、上品で繊細なの。<br><br><br>非常に、グレードの高い歌声です。<br><br><br>で、夜景を観ながら過ごしていて楽しいんですけど、それ以上に満ち足りていました。<br><br><br>あの幸せな笑顔だけで、もう十分。<br><br><br>人は愛された分だけ、愛するようになるんだそうです。<br><br><br>私に愛された分、しっかり誰かを愛していることでしょう。<br><br><br>二人で夜景を観て、そこから何をするというわけでもありませんでしたが・・・<br><br><br>人間、満ち足りていると理屈は要らない。<br><br><br>男同士だから尚更ですが、ペチャクチャ喋ることもなく、静かに二人で過ごせるということ。<br><br><br>それだけで満足でした。<br><br><br>もちろん、みんなで楽しい会話をしながら、笑って過ごしても良いと思いますよ。<br><br><br>(私の場合は)そうして、相手が元気で幸せに、ただ傍に"いてくれる"という・・・<br><br><br>それだけで・・・<br><br><br>それだけのことで・・・<br><br><br>"有り難い"と感じたんですよ。<br><br><br>今は、特定の誰かをどうこうではないですけどねぇ。<br><br><br>特に、子どもたちが元気で、笑顔たっぷりに遊んでる姿を見ると幸せに感じます。<br><br><br>あぁ、夜景。<br><br><br>よく作曲の際、テーマにしていました。<br><br><br>歌う時も、わりかしイメージしますねぇ。<br><br><br>歌詞を作るにしても、夜景は登場数が多いかもしれません。<br><br><br>旅行や温泉、夜景に御馳走・・・<br><br><br>仲間たちとともに過ごした想い出が、夜の街灯に照らされた時だけ、ピカピカ煌めき輝く小雪のように美しい。<br><br><br>実は、あたくし。一人で外食したり、温泉入ったりする方が気楽！っていうタイプなんですが・・・<br><br><br>やっぱり仲間と一緒に過ごした想い出は、スケールが大きいだけに楽しさも倍増です。<br><br><br>人と人のつながり。<br><br><br>大切に。<br><br><br>それは、情報交換のことではありません。<br><br><br>コミュニケーションのことです。<br><br><br>コミュニケーションは、共感的理解力なしに成り立ちません。<br><br><br>その共感的理解力は、人と人が実際に出会い、ともに過ごし、多くを分かち合うことによって育ちます。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12686066383.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Jul 2021 21:21:35 +0900</pubDate>
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<title>真の愛とは？神の恩寵は、罪業を取り除く！幸せを感じやすくなる為の呼吸法について。</title>
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<![CDATA[ はっきり言っておきます。<br><br><br>私が応援すると言った人たちや、私が見守ると言った人たちの幸せを、「特に強く」願っています。<br><br><br>人が悲しんだり、苦しんだりする姿を見たくありません。<br><br><br>いつも、人々が平和で、楽しそうにしている幸せな姿を見ていたいのです。<br><br><br>日中は、よく公園で過ごすことが多くなりました。<br><br><br>子どもたちが、たくさん遊んでいる。<br><br><br>男の子たちはサッカー⚽や、野球⚾をすることが多く、ボールが飛んでくるので、極めて危険なんですけどね😅<br><br><br>子どもたちが仲良く、楽しそうに遊んでいる姿を見るだけで、私は深く満ち足りて幸せに感じます。<br><br><br>喧嘩や、泣き声があれば、私は(いつかの迷子と関わった時のように)神に祈り、はやい段階で解決していただくのです。<br><br><br>基本的には、特定の誰かというより、全てを愛しています。<br><br><br>サマーディを深めると、全てに対する愛が最も強大になります。これは"愛そのもの"である為、何の意図もなく、無作為かつ自動的にそうなるのです。<br><br><br>真の愛は、無限です。<br><br><br>イエス・キリストは、神性の愛をパン種や、大木でたとえました。あるいは、"いのちの水"とも教えていますね。<br><br><br>パン種は膨らんでいくものであり、そうして美味しくなることが出来ます。<br><br><br>大木は、鳥が巣を枝に作っても構いませんし、むしろ鳥の親子を雨風から守り、旅人を木陰で休ませることも出来ます。<br><br><br>"いのちの水"は、湧水の源泉のようなもの。無限に湧き出てきて、喉の渇きを潤し、生命を育むことが出来ます。<br><br><br>真の意味で💖愛する💖というのは、そういうものです。<br><br><br>愛をどれだけ与えても、常に満ち足りており、愛と愛は愛によって調和しあい、さらに大きく広がっていくものです。<br><br><br>無私の愛とは見返りを求めることなく、与えっぱなしです。<br><br><br>さて、私から"おすすめしておきたい記事"は、特に「秀光エッセイ１～１０」です。また、こうした秀光エッセイ・シリーズ後のオマケ記事も。<br><br><br>昨年末から、今年３月頃までアップしていた小説は、公開終了といたしました。<br><br><br>特に、アメブロ(運営)側から、何かをされたわけではありません。<br><br><br>私の判断です。(いいね！を付けてくださった皆様には申し訳なく思います。ありがとうございました。)<br><br><br>〇遊記劇場シリーズは、フィクションです。推理小説は事件が起きますから、過激すぎる表現もやむを得ない時があります。それが、前々から気になっておりました。<br><br><br>人間愛に関する良い内容もありましたし、全カットはもったいないと思いましたが、半年間も公開したら充分でしょう。<br><br><br>このブログ活動ですが、予告や挨拶なく、更新が終わる可能性もあります。予めご了承を🙏<br><br><br>いつ、一段落とするか？は、とにかくとして・・・<br><br><br>今後とも、このブログが悪意ある他人に乗っ取られることなく、また(何らかの理由で)ブログ全体が削除されない限り、消えることはないはずです。<br><br><br>私は、自分のことについては神に全託しており、ほぼ何かをお願いすることもありません。<br><br><br>しかし、日本や他者の幸せを「強く」願い、祝福を分かち合うべき時には、意識を深めて神に祈る場合もあります。<br><br><br>どんな場合であれ、(他者や社会の為に有益となる)正しい祈りであれば、はやい段階で神は願いを聞き届けてくれるのです。<br><br><br>私の場合、神は「スリー・バーラサイ」に統一しています。<br><br><br>このように祝福を分かち合う為の祈願も、私は無償の奉仕で行います。<br><br><br>前記事(２０２１年６月２１日)でも、あの画像を肯定的に見ればいいのです。それだけで、愛と祝福を体験できるでしょう。※この記事に関しては、メッセージボードに。<br><br><br>最後の審判が本格化すると、カルマが跳ね返りやすくなります。刈り入れ時の選別段階で、善悪のカルマがどんどん表面化しますから、必然的に分かりやすくなるのでしょう。<br><br><br>地球のヴァイブレーションが、強力に上昇し続けているのです。２０１２年頃から活発化した太陽風の磁気嵐が、大きく関係しています。<br><br><br>これは、過去２０００年間に見られなかった極めて強大なものです。なぜなら、繰り返し起きてますから。<br><br><br>それにより、内側に隠れているものは何であれ、容易く外側に引っ張り出されます。もはや隠し通せなくなったり、次々に暴き出されたり・・・。<br><br><br>カルマの法則を、(身をもって)思い知るべき時が到来した！と言えるでしょう。<br><br><br>と同時に、💗神の愛と恩寵💗に感謝する好機もある！と言えるでしょう。<br><br><br>神の愛と恩寵は、罪や悪いカルマを取り除くことが可能です。<br><br><br>心の底から罪や悪いカルマを真剣に悔い、ひたすら神の１つの名と姿に祈るべきです。そして、善いカルマ(利他行、社会奉仕等)を積み重ねていきましょう。<br><br><br>もし神が全て許す！と意志なさって、その恩寵を与えたなら、確実に罪業は消えます！<br><br><br>これは間違いない。<br><br><br>もう一度、言っておきます。<br><br><br>神の愛と恩寵は、罪業を取り除きます！<br><br><br>それから、食事について。<br><br><br>食事とは、人が生きていく上で重要です。<br><br><br>ある人々は、ダイエットや断食行と称し、(健康なのに)わざと絶食し続けます。それは正しいことでしょうか？<br><br><br>スリー・バーラサイは"断食"について、このように教えています。<br><br><br>💗スリー・バーラサイ 愛のメッセージ💗<br><br><br>【断食というのは、心を空にして、神のことだけを考えるということです。<br><br>空にするのは、お腹ではありません。<br><br>お腹は、"至高の存在そのもの"である食べ物で満たさなければなりません。<br><br>お腹を空にするのは、間違いです。<br><br>さらに、自分のお腹を満たすだけでなく、(貧困で空腹に苦しむ)他の人たちにも食べ物を分け与えること。それも、神への愛を示します。】<br><br><br>お腹には、ヴァイシュヴァーナラ神(消化を司る神)がいます。<br><br><br>人は食事によって、このヴァイシュヴァーナラ神に、食べ物を捧げているのです。この神は食べ物を消化し、栄養を適切に届ける働きをします。<br><br><br>食事で、お腹を満たして幸せになることは、神への愛と感謝を示しているとも言えます。<br><br><br>また、貧困で空腹に苦しむ他者へ食べ物を捧げるなら、彼らのお腹にいる神への愛と奉仕にもなります。<br><br><br>スリー・バーラサイのアシュラムに滞在した際の、私の"ある想い出"をご紹介しておきましょう。<br><br><br>アシュラムでは、完璧な菜食主義の料理を食べることになります。<br><br><br>食物繊維が豊富で、消化に良く、健康的な食べ物が出てきます。<br><br><br>ちなみに、南インドや東インドでアタ粉を使った主食と言えば、ロティです。<br><br><br>でも、(アシュラムもそうですが)南インドの料理では、インディカ米が多く見られますね。<br><br><br>インディカ米は、日本米と比べてダイエットには最適です。<br><br><br>で、アシュラムの話ですが・・・<br><br><br>滞在者は、バイキング形式で、好きなものを好きなだけ自分の皿に盛り付け、食べることが出来ます。<br><br><br>私の印象ですが、カルヌールのアシュラムで出る料理は、非常に辛いものが多く、味が薄めだったように感じます。<br><br><br>非常に辛いものが大好物な私ですから、カルヌールの料理は印象深い。<br><br><br>ハイデラバードのアシュラムは、それより辛さ控えめで、味は豊富だったような気がします。それはそれで、美味しくいただきました。<br><br><br>しかし、やはり菜食主義料理。<br><br><br>ある女性たちと会話していたら、お腹が張るか何かで食欲不振中という話題になりました。<br><br><br>その夜。また、音楽会合があり、みんな集まりました。<br><br><br>すると、急にスリー・バーラサイは「たくさん食べることが出来るように、みんなを祝福しまーす！」と明るい笑顔で仰いました。<br><br><br>こうしたことは、体験すれば分かるんです。<br><br><br>スリー・バーラサイは、帰依者がいつ、どこで、何をしていようとも、全てを正確に「知って」います。<br><br><br>そのスリー・バーラサイの言葉が持つ力は、強力でした。<br><br><br>私は、(自分では信じがたいほどに)食欲旺盛となりました。<br><br><br>食欲不振中だった彼女たちも、また食べることが出来るようになりました。<br><br><br>こうした話を記事にしても、サットサングになりますからね。<br><br><br>肯定的に共有できれば、祝福の力が発生し、食欲不振の方は食欲が出てくるかもしれません。<br><br><br>スリー・バーラサイは、「誰かが神や霊性について話している時、私(スリー・バーラサイ)もそこにいます。そして、それを話す人と聞く人の両方を祝福します。」と仰ってますから。<br><br><br>そのようにして、スリー・バーラサイは食欲を祝福してでも、しっかり食べるように！と促しました。<br><br><br>食欲があって元気な人は、しっかり食べた方がよろしいのです。(度を越さない範疇で)<br><br><br>さて、食事の際はどうしましょう？<br><br><br>同じ食べるなら、快適な環境で、美味しくいただきたいものですね。<br><br><br>まず食べる前には、あなたが選んだ神の１つの姿を思い、「この食事全てを神様に捧げます！」と心で祈ります。<br><br><br>それから、感謝を込めて「いただきます。」と言えばよろしいのです。<br><br><br>ヴァイシュヴァーナラ神が、どんな姿をしているか？も分かりません。<br><br><br>ですから、あなたの慣れ親しんだ神の姿に関する１つの名前か、総合的に「神様」と呼ぶだけで通じます。<br><br><br>出来れば、自分が選んだ１つの名と姿に、何であれ捧げた方がよろしいですね。<br><br><br>食事は安心・安全で、楽しく、あるいは美味しくいただくものです。<br><br><br>例えば、夕食の時。<br><br><br>一日に体験した嫌なことをあれこれ思い返し、イライラしながら食べるべきではありません。<br><br><br>そういう時は、「今この瞬間」を意識します。<br><br><br>箸を持ち、箸で食べ物を掴み、口に入れ、咀嚼し、味わい、食べる。<br><br><br>「今この瞬間」の一動作ごとを意識していくだけです。<br><br><br>食べる時は食べる。味わう時は味わう。楽しむ時は楽しむ。<br><br><br>しかし、「今この瞬間」を意識するというのは、食事の時だけのものではありません。<br><br><br>不安や心配、悩みで困っているなら、この呼吸法を駆使してみてはいかがでしょう？<br><br><br>「今この瞬間」の、自分の呼吸を意識します。<br><br><br>吸息１：呼息２の割合で、ゆっくり深く長めに呼吸しましょう。(１：２の割合は厳密にやろうとせず、フィーリングで)<br><br><br>まず、視線を斜め上に向けます。<br><br><br>次に鼻から息を吸い、口からゆっくり深く長めに息を吐き出します。(吸息１：呼息２の割合)<br><br><br>息を吐く時に、身心から余計な力みだけが抜けて、全体的にやわらかくなるように感じるとよろしいでしょう。<br><br><br>意識は視線の先より、呼吸に向かいます。<br><br><br>視線を上に向ければ、より肯定的な考えに切り替えやすくなるでしょう。<br><br><br>また、そのように呼吸を意識すれば、感情をコントロールしやすくなります。<br><br><br>感情が制御できないとか、あれこれ考え過ぎるのは、極端に不安で緊張し過ぎていたり、何かに囚われて興奮し続けている場合が多いのです。<br><br><br>この呼吸法を駆使して、まずは気を楽にし、身心をリラックスしていけば、幸せも感じやすくなることでしょう。<br><br><br>視線を上に向け、「今この瞬間」の呼吸を意識します。<br><br><br>吸う息とともに、少し全体的に身心に力を入れた感じにします。<br><br><br>それから、吐く息とともに、身心から余計な力みだけを抜いていく感じです。<br><br><br>やはり「緊張１に対し、リラックス２」の割合です。<br><br><br>欲求不満や、苦しみ、悲しみ、ネガティブなものが力を失い、吐く息とともに抜け出ていくと想像します。<br><br><br>「想像する」という脳力は、身体に大きな影響をもたらします。回復か重症かという瀬戸際で、運命を決定してしまうほどでしょう。<br><br><br>視線や呼吸法、想像力などを駆使した「生きる知恵」を"スキル"として活かし、「今この瞬間」を何度も意識していくようにします。<br><br><br>(ちなみに視線の活用や、この呼吸法については、霊性をはじめ、医療から学んだ知恵に基づいています。)<br><br><br>「今この瞬間」を意識することは、よくスリー・バーラサイのメッセージにも登場します。<br><br><br>私にとって、ゾクチェンや仏陀、キリストやヒンドゥー、天照などの全てが、スリー・バーラサイの一部分です。<br><br><br>スリー・バーラサイが本体であり、この１つの姿に全てが存在します。<br><br><br>ですから、皆さんは皆さんで、御縁の深い神仏の中から、１つの姿と名前を選びましょう。<br><br><br>この記事では最後となりますが、あらためて書いておきたいと思います。<br><br><br>神の化身であるサイ・アヴァターは、１つの肉体のみを有します。(肉体を去っても、その姿のみで活動します！)<br><br><br>スリー・バーラサイなら、カルヌールに誕生した肉体の"あの姿のみ"で活動します。<br><br><br>サイ・アヴァターは、常に無限の力を有して、帰依者一人ひとりと(ハートで)直に接します。<br><br><br>そうして物理的距離に関係なく、内側から指導し、また様々な変化を起こし、一人ひとりに合わせて霊性を高めていきます。<br><br><br>神の祝福と様々な霊的成長による結果は、まさに真実(神そのもの)なのです。<br><br><br>たくさん神の愛と祝福をいただいて、いつも希望を持ち、楽天主義で、一つひとつを着実に実践していけばよろしいでしょう。ただし、その結果は神に委ねるべきです。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12684651754.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Jul 2021 14:04:37 +0900</pubDate>
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<title>「自然は、神そのもの。」 ～雲が、&quot;愛と祝福&quot;を示す右手の形に！～</title>
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<![CDATA[ <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210621/20/syuko7ao/ae/e2/j/o0480064014960904824.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210621/20/syuko7ao/ae/e2/j/o0480064014960904824.jpg"></a><br><br>⬆<br><br>雲の合間から、雲で右手ブレス！<br><br><br>こうしたことは、"リーラ"と言うことも出来るんでしょうね。<br><br><br>スリー・バーラサイは「自然は、神そのもの。」と教えています。<br><br><br>よく雲で、愛と祝福を示すこともあるようです。<br><br><br>今日の昼頃のこと。<br><br><br>このブログにいいね！を付けてくださる愛読者たちをはじめ、日本のことも祝福してくださるように・・・<br><br><br>私は、内なるハートのスリー・バーラサイに祈りました。<br><br><br>そうしたら、すぐに聞き届けられました。<br><br><br>画像中央付近の親指が、一番濃くて、はっきりと見ることが出来ますね。<br><br><br>親指の向かって右側に、薄く７という数字の雲も見ることが出来ます。(※７は、スリー・バーラサイの数字です)<br><br><br>向かって左側に、人差し指があり、さらに中指と薬指はくっついた感じで、小指は雲にちょっぴり隠れちゃってます。<br><br><br>この出来事を肯定的に受け入れてくださるなら、きっとスリー・バーラサイの愛と祝福を分かち合うことが出来るでしょう。<br><br><br>ごきげんよう。<br><br><br>今回は、まとめてみました。<br><br><br>🔘もう一度、お伝えしておきます！<br><br><br>体は社会とともにあって、無私の愛の流れに帰しましょう。<br><br><br>頭は自然とともにあって、無私の愛の流れに帰しましょう。<br><br><br>命は良心とともにあって、無私の愛の流れに帰しましょう。<br><br><br>🔘小麦粉とは、"アタ粉"のことです！<br><br><br>食事について書いた前記事の中にある、『インドでは、米より小麦粉を使った主食が・・・』という内容について。<br><br><br>少し補足しておきます。<br><br><br>この小麦粉とは、全粒粉のことです。<br><br><br>例えば、「チャパティ」という食べ物があります。(特に、"主食"という点では北インドで一般的です😋)<br><br><br>日本のインド料理店でも、メニューに必ずと言っていいほど、よく見掛けるのでは？(そうでもないですかね😅)<br><br><br>その「チャパティ」とは、小麦全部を粉にした"アタ粉"を使います。<br><br><br>この"アタ粉"は、鉄分やビタミン、食物繊維等を豊富に含み、とても健康に良いのです。<br><br><br>白い小麦粉の過剰摂取は、糖質という点で大きな問題を起こすのではないでしょうか？(食べ過ぎ注意⚠のはず)<br><br><br>その白い小麦粉を使う有名なインド料理は、高級品とされる「ナン」が代表的です。<br><br><br>しかし、私が前記事で言いたかったのは、その白い小麦粉のことではなく、小麦全部を使った"アタ粉"のことなんです。<br><br><br>ちなみに、インドの霊性において、極めて最善とされているのは「ラギー(雑穀)」です。<br><br><br>🔘カルマの最終計算とは、どういう状況なのか？<br><br><br>カルマの最終計算(最後の審判)という段階は、どういう状況か？と言いますと・・・<br><br><br>熱かった鉄が、もう冷えきってしまったのと同じようなものです。<br><br><br>極めて、修正困難な終末段階に入った！ということです。<br><br><br>徐々に、カルマの調整が出来なくなっていくのです。<br><br><br>最終計算で悪いカルマが上回った人は、もう善いカルマを積もうとしなくなるかもしれません。<br><br><br>あるいは、善いカルマを積みたくて何かやっても、(無知と迷妄によって)善悪の識別を間違う為、実際は悪いカルマを積み重ねていた！ということになるかもしれません。<br><br><br>さらには、同類の悪魔の影響下に縛られ、悪いカルマを一緒に積み続けることになるかもしれません。<br><br><br>イエス・キリストは、何度も「悔い改め」や「天の御国」に関する福音を伝えていました。<br><br><br>それから約２０００年の間は、カルマを調整しやすい時期だったのです。<br><br><br>しかし、最後の審判が本格化したとはいえ、今はまだ改善の余地があります。<br><br><br>今の内です！<br><br><br>まだ間に合います！<br><br><br>🔘予言ではありません！<br><br><br>私は予言的に振る舞ってるかもしれませんが、それは医療や福祉で重要とされる「リスク・マネジメント」のレベルです。<br><br><br>予言ではありません。<br><br><br>私は、「今この瞬間」を生きていたいからです。<br><br><br>過去は、過ぎ去りました。<br><br><br>未来は、未だ来ていません。<br><br><br>しかし、リスク・マネジメントは、重大なアクシデントを未然に防止する為の危機管理を意味します。<br><br><br>これらは、事実や事例などに基づき、科学的に分析して、未来に起こり得るであろう事故を防止する為のものです。<br><br><br>事故とまではいかなくても、もう少しで事故になるところだった・・・<br><br><br>そのような多くのヒヤリハットを収集分析し、やがては起こり得るであろうアクシデントを防止する対策とともに、注意喚起していきます。<br><br><br>そうして、まずは軽微な事故を防ごうと努めます。<br><br><br>ヒヤリハットを無視したり、何も対策を行わなかったりしていたら、残念ながら軽微な事故が多発します。<br><br><br>そのような軽微な事故さえも無視し、あるいは対策を行わないなら、ついに重大な事故が起きてしまうのです。<br><br><br>よって、私は事実や事例、情報収集を行い、リスク・マネジメント同様に、注意喚起しているだけです。<br><br><br>それが、あたかも予言したかのように見えるだけです。<br><br><br>"予言的"かもしれませんが、予言ではありません。<br><br><br>未来について、不必要に心配しないでいるべきです。<br><br><br>過剰な心配は、起きてもいないトラブルを、本当に起こしてしまうことにもなりかねないからです。<br><br><br>想像上の病気だったものが、本当にそうなってしまうようなものです。<br><br><br>大事なポイントだけ覚えておき、気を付けるべき時に思い出して、対策通りに実行すればいいのです。<br><br><br>🔘プラジュニャーナについて・・・<br><br><br>(前記事に書きましたように)外界の空間と頭の中の空間には、一体性があると言えるでしょう。それを見極める知恵が、プラジュニャーナです。<br><br><br>全てにおいて、「今この瞬間」を生きることが基本です。<br><br><br>シャマタでは、まず「今この瞬間」の自分を意識します。<br><br><br>何でもいいでしょう。<br><br><br>歩いていたら、右足。左足。<br><br><br>ヴィパシャナーでは、その足が接している地面も意識します。<br><br><br>「今この瞬間」歩く足と地面を意識します。<br><br><br>ヴィパシャナーは、どんどん範囲が広がります。地面だけでなく、周囲の様子も加わります。<br><br><br>横断歩道、信号、車の動き、他の人々、木々、公園、雲、風・・・<br><br><br>ただ歩くことだけが「今この瞬間」に起きているのではなく、周囲で様々な「今この瞬間」が起きています。<br><br><br>出来るだけ、同時に意識します。それが、シャマタ・ヴィパシャナーです。<br><br><br>さらに、マハーヴィパシャナーにおいては、外界の空間を意識します。<br><br><br>「今この瞬間」その空間の中に、シャマタ・ヴィパシャナーがあるのです。<br><br><br>プラジュニャーナでは、その外界の空間と頭の中の空間における一体性に気付き始めます。<br><br><br>そして、その空間に展開する創造のドラマにも気付き始めることでしょう。この創造のドラマとは、(無私の愛という)生命活動と森羅万象の全てです。<br><br><br>プラジュニャーナのさらに奥深く、(本質的な)原初の次元にゾクチェンのリクパや、魂の神性があります。<br><br><br>🔘私は、人間的努力を担当します！<br><br><br>私は一切を神に帰依全託し、いかなる物質化現象が起きても、神によるもの！という立場です。<br><br><br>私は神の化身ではありませんし、グルでもありません。<br><br><br>私は、この人生の最後まで、普通の人間として生きます。<br><br><br>誰かに飲み水が必要なら、私は新鮮な水を取りに行きます。そして、適切に飲ませます。<br><br><br>私は、そのようにして善いカルマを積んでいくでしょう。<br><br><br>どこにも水が確保できない時、神が遍在によって、泉を物質化するかもしれません。<br><br><br>しかし、私は泉へ行って、水を汲み、持ってきて、適切に飲ませます。<br><br><br>私は、人間的努力を担当します。<br><br><br>よって、私が経験する物質化現象は、スリー・バーラサイによるものです。<br><br><br>🔘内なるハートに神が入り、１つにつながれば・・・<br><br><br>仏陀は目を閉じて瞑想しましたが、そうして内なる神の光明を見ました。<br><br><br>しかし、その後に目を開けて、外界に表れる神の栄光を見ました。<br><br><br>仏陀は、神のことを叡智と表現しました。当時のインドにおいては、その方が最善だったようです。<br><br><br>内なるハートに神が入って１つにつながれば、二度と神が出ることはありません。<br><br><br>内なるハートに、自分が選んだ１つの神の名と姿を思い続けるべきです。そして、悪いカルマを解消し、善いカルマを積み重ねていくべきです。<br><br><br>目には見えませんけど、魂が成長し、神と１つにつながれば、それは真実(神そのもの)です！<br><br><br>🔘皆それぞれ、独自の体験をする！<br><br><br>スリー・バーラサイは生前、こう教えていました。<br><br><br>💗スリー・バーラサイ 愛のメッセージ💗<br><br><br>【誰かと自分の内なる体験を共有することが有益なら、そうすればいいでしょう。<br><br><br>しかし、他人の霊的な体験を重要視してはなりません。<br><br><br>それぞれの性質に従い、独自の体験をするものです。<br><br><br>あなたは、自分だけの体験をします。<br><br><br>私(スリー・バーラサイ)の話をきちんと状況に合わせて説明することなしに、「ババがこう言った。」とか、「ババがああ言った。」などと言うべきではありません。<br><br><br>私は、１人の人に対して「これが良い。」とか、「あれが良い。」と言いますが、別の人には全く違うことを言うかもしれません。<br><br><br>全ての人に合わせて、話すことが違ってくるのです。】<br><br><br>(※メッセージ中の「ババ」とは、スリー・バーラサイのこと。帰依者は愛と敬意を込めて、「ババ」と呼ぶことが多い。「ババ」とは"神性の師"、もしくは"父なる神"を意味する。)<br><br><br>スリー・バーラサイは神の化身であり、彼を特定の型にはめることは出来ません。<br><br><br>サイ・アヴァターの無限の本質は、人間の姿を取ることにより、些も損なわれていません。<br><br><br>神の化身が有する神性の力や叡智は、人間の姿を取っても減少してはいません！<br><br><br>ただし、人類への模範を示す為、人間のレベルで為すべきを成すという場合もあります。<br><br><br>また、人間の振りをすることもあるのです。<br><br><br>私が、インドのアシュラムに滞在していた時のこと。<br><br><br>スリー・バーラサイは、私が心の中で「日本語」を使って何か考えても、すぐに反応して"正確に"答えてくれました。<br><br><br>スリー・バーラサイは、明らかに全知です。<br><br><br>初めから、私の本名(日本語)を正確に発音することも出来ました。<br><br><br>しかし、ある日。<br><br><br>お昼の間、ずっとハートにスリー・バーラサイを思うことが出来ず、あれこれ悩みっぱなしでいると・・・<br><br><br>その夜の音楽会合で、スリー・バーラサイは、私の本名をうまく言えなくなりました。(うまく言えない振りをしただけです)<br><br><br>あんなに、正確に発音できていたのに！<br><br><br>答えは、簡単でした。<br><br><br>💝愛を込めて💝内なるハートに神を思う時、神もあなたのことをよく知っているのです。<br><br><br>私は内なるハートに、スリー・バーラサイを思う努力をしました。<br><br><br>そうしたら、スリー・バーラサイはまた、正確に私の本名を呼んでくれたのです。<br><br><br>私は「特異な帰依者」として、バーラサイニュースで紹介されたこともあります。<br><br><br>皆それぞれに独自の体験をしますが、私は(特に)ユニークな方というだけです。<br><br><br>よって、何か有益と思う内容があれば、それを参考にしたり、祝福を分かち合ったりすればよろしいでしょう。<br><br><br>そうして、有益なものや、祝福などを幸せに分かち合い、神へ真っ直ぐ向かっていけたら、どれほど素晴らしいでしょう。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12681985450.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jun 2021 20:20:27 +0900</pubDate>
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<title>体は社会に。頭は自然に。命は良心に。触地印の真意とは？心の三つの悪とは？多様性の背後には何が？</title>
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<![CDATA[ ごきげんよう。<br><br><br>体は社会とともにあり、他者の助けとなる働きをする為にあります。自分の体を健康に保つのも、その働きを十分に果たす為です。<br><br><br>しかし、頭は自然とともにあるべきでしょう。<br><br><br>森林の中や川、滝で瞑想していると、頭は純朴であれば十分だと感じることが、多々ございます。<br><br><br>あまりにも頭ばかり使い過ぎると、どうなるでしょう？<br><br><br>頭に体重より重い鉄をくっつければ、ひっくりかえってしまうでしょう。<br><br><br>地面に鉄ごと引っ張られ、頭が体重より重過ぎるからです。<br><br><br>一度、そうなったら、もう起き上がれないでしょう。<br><br><br>つまり、その鉄を頭から放すしかありません。<br><br><br>頭の中は、身軽な方が良いのです。<br><br><br>旅をするにしても、なるべく荷物は少なくし、身軽な方が楽しいのと同じようなものです。<br><br><br>生まれ変わりは、胎から墓へ、墓から胎へと繰り返す魂の旅路なのですから。<br><br><br>本当に必要な思考だけで頭を満たし、不要で役に立たない思考は忘却の彼方へ手放すべきです。<br><br><br>頭の中には、壮大な空間が広がっているかもしれません。<br><br><br>広々とした空や海だけでなく、あの宇宙さえも頭の中に映るではありませんか！<br><br><br>不要で役に立たない思考は、空の雲のようなもの。<br><br><br>頭の中を自然に帰せば、いつかは雲のように去っていくことでしょう。<br><br><br>忘却の彼方へ去るがままにし、追いかけないことです。<br><br><br>必要な思考は、雲がもたらす恵みの雨のようです。<br><br><br>ダムに貯水し、適切な管理のもとで活用すればよろしいでしょう。<br><br><br>私は、よく「ここ」を強調します。<br><br><br>それは、"外界のここ"という意味ではありません。<br><br><br>私が言う「ここ」とは、「今この瞬間」を意味します。<br><br><br>不要で役に立たない思考には、さようなら。<br><br><br>自分は「今この瞬間」を生きて、本当に必要な思考を駆使するべきです。<br><br><br>ですから、頭は軽すぎてもいけませんね😅<br><br><br>体は、社会に。頭は、自然に。<br><br><br>では、命は？<br><br><br>命は、良心に。<br><br><br>体が健康で、社会に貢献する時。また、頭を軽くし、自然に帰す時。命そのものは、生来の良心を発揮します。<br><br><br>体や頭が余計な邪魔をしなければ、命は生来の良心そのものとして活動できるのではないでしょうか？<br><br><br>前にも書きましたが、生命活動は神の働きと人の働きが１セットで成り立っています。<br><br><br>命の息吹は、どうでしょう？<br><br><br>人が吐き出す二酸化炭素で、草木は生きられます。<br><br><br>草木のもたらす酸素で、人は生きられます。<br><br><br>だから、命は生来の良心そのものです。これと体や頭が一致団結すれば、例えば呼吸という生命活動が成り立つのです。<br><br><br>生来の良心に満たされたハートこそ、真に正しい神仏の住む聖域に相応しいと言えるでしょう。<br><br><br>命は、良心へ帰しましょう。<br><br><br>頭は、自然へ帰しましょう。<br><br><br>体は、社会へ帰しましょう。<br><br><br>その三つに共通するのは、💗無私の愛💗という１つのダルマなのです。<br><br><br>さて、前々から言われてましたので・・・<br><br><br>仏陀の触地印について、その真意を解き明かしておきましょう。<br><br><br>あれは、「心の征服」を表します。<br><br><br>彼なりの、何の意図もない自然な表現でした。<br><br><br>仏陀は、いつも「一生、修行中！油断のないよう、常に気を付けていよう！」と自覚していました。<br><br><br>しかも、それは根拠がございます。<br><br><br>あの菩提樹下で、本当にニルヴァーナの至福を発見したからこそ！なんですね。<br><br><br>かえって、彼は人生の最後の時まで、油断なく修行し続ける重要性を痛感させられたのです。<br><br><br>次から次へと、心は人に苦しみや悲しみをもたらします。<br><br><br>いかに心を一度は征服できても、だからこそ活用し続けなければならなかった。<br><br><br>何故なら、心はあの手この手で、(霊的至福を損なう)問題を引き起こすから。<br><br><br>彼は、悟りを得た偉大な聖者として有名になることよりも、そうした内的問題を現実に解決したかったのです。<br><br><br>実用できないんじゃ意味なし！というわけで、菩提樹下の発見は心の征服が始まった！というだけでした。<br><br><br>そもそも、彼の修行の動機は何でしょう？<br><br><br>純粋に、苦しみや悲しみの原因を突き止めたかった。<br><br><br>なぜ人は苦しむのか？<br><br><br>なぜ生まれ、なぜ生きて、なぜ死ぬのか？<br><br><br>心の正体を暴き、また苦しみや悲しみを超越した何かがあるなら、それを本気で探求したかったのです。<br><br><br>何事も、動機や目的の純度は、取り組み全体に影響します。<br><br><br>太古の聖典によれば、心には三つの悪があります。<br><br><br>一つ目は、特に仏陀が大敵と見なした「マーラ」です。<br><br><br>これは、塵のようなものです。<br><br><br>顕微鏡のレンズが汚れていたら、誤った観察結果に終わります。<br><br><br>無関係の塵も一緒に、観察対象にするでしょうか？<br><br><br>仏陀は、外界ではなく、内なる真実を見ようとして、目を閉じました。<br><br><br>二つ目は、あえて仏陀が瞑想の場として選んだ「うるさい菩提樹の葉音」と同様です。<br><br><br>菩提樹というより、問題は菩提樹の葉音でした。<br><br><br>風がなくてもうるさいし、風が吹けばもっとうるさい。<br><br><br>それは、心が四六時中「揺れ動くこと」を意味します。<br><br><br>ですから、もとは"世俗の欲望"を意味する木でした。<br><br><br>心は、いつもフラフラしており、あちこちユラユラ揺れ動く性質があります。<br><br><br>しかも、すぐ騒がしくなりますし、コロコロ変わります。それが、心です。<br><br><br>しかし、そんなに心が混乱していては、何も悟れません。<br><br><br>心とは勝手気儘なもので、新しい変化を追い求めては移ろうものです。<br><br><br>顕微鏡のレンズもフラフラと揺れ動いてたら、正確に観察できるでしょうか？<br><br><br>仏陀は、あえて菩提樹の騒々しい葉音に囲まれながら、内なる静けさを保てるように精神修養していたのです。<br><br><br>三つ目は、「ひねくれていること」です。<br><br><br>心は狂いやすく、曲がりやすく、歪みやすく、迷いやすく、間違いやすい。<br><br><br>顕微鏡のレンズが本来の状態ではなく、(例えば)グニャグニャだったら、観察対象が真っ直ぐでも、どう見えるでしょうか？<br><br><br>仏陀は、全てを同じに扱う大地に触れ、中道かつ安定した心的態度で瞑想に取り組みました。<br><br><br>ひねくれていては、混沌とするだけですから。<br><br><br>このような"心の三つの悪"を征服できなければ、苦しみや悲しみの流転が繰り返されます。<br><br><br>それが激化していけば、人生で多くの損失も引き起こします。<br><br><br>夕闇迫る道端に、一本の縄が丸まって、落ちていました。<br><br><br>そこへ、眼鏡を掛けた男が歩いてきました。<br><br><br>彼は、道端の丸まった縄を見た途端、悲鳴をあげました。<br><br><br>そして、来た道を戻って、逃げてしまいました。<br><br><br>彼には、その縄が毒蛇に見えたからです。<br><br><br>マーラに汚染された心とは、暗い夕闇の中を、塵に汚れた眼鏡でよく見えず、縄を蛇と見誤るようなものです。<br><br><br>揺れ動く心とは、不安や恐怖で臆病になって、それを毒のある蛇だ！と思い込み、悲鳴をあげながら混乱するようなものです。<br><br><br>ひねくれている心とは、来た道を戻ってしまい、これまでの前進を愚かにも台無しにし、全ての努力を無駄にするようなものです。<br><br><br>つまり、こうなります。<br><br><br>まずはマーラを取り除くという、心の浄化こそが最も重要ということ。<br><br><br>心という眼鏡のレンズを綺麗にしておかなければ、視力を補うことが出来たところで役には立ちません。<br><br><br>それから、フラフラさ迷うことなく、心を泰然と落ち着かせ、真の勇気を駆使するのです。<br><br><br>肉体が何か脅威を感じてビックリするのは、防衛本能による自然な反応です。<br><br><br>その後に、いったん冷静になればよろしいのです。<br><br><br>心を静かに落ち着かせる！という、理性を駆使したスキルが肝要です。<br><br><br>そうすれば、「な～んだぁ😅正体は縄じゃんか～！蛇じゃないってばよ。エヘヘ😜」って、笑い話に出来たでしょう。<br><br><br>ところが、心は混乱して揺れ動くと、もっと悪いことに毒蛇とまで思い込んでしまうものです！<br><br><br>真の勇気は、心をフラフラ動かさないスキルのマスターにあります！<br><br><br>最後に、相対する全てを同じ心的態度で正面から眺め、中道で取り組むことです。<br><br><br>大地は、足で踏まれても、雨で浄められても、どちらも同じに扱っています。そして、生命を育む野菜や果物をもたらします。<br><br><br>ブッディは、神性アートマの最も近くにあり、その光明から９割も恩恵を得られます。<br><br><br>仏陀の「ブッダ」とは、常にブッディを正しく活用する者のことです。<br><br><br>正しいブッディの活用こそ、悟りの智慧です。<br><br><br>(仏性とか、菩提心とも呼ばれる)その"悟りの智慧"は、神性アートマへ近付く時に顕現してきます。<br><br><br>仏陀は、外界や他人を見る目より、自分を映す鏡の重要性に気付いていました。<br><br><br>彼は地に触れながら、目を閉じて瞑想しました。ニルヴァーナの至福を楽しみ、微笑みを浮かべながら・・・。<br><br><br>シヴァは、"真の瞑想を司る神"として「パスパティー」と呼ばれます。<br><br><br>「パス」は外界に意識が向かい、散り散りで暴走している諸感覚の奴隷を意味します。<br><br><br>「パスパティー」は、内側に意識を向け、散り散りの諸感覚を自制する支配者を意味します。<br><br><br>自らが、自らの心身と諸感覚の支配者となること。それが「パスパティー」の教えです。<br><br><br>ちなみに、シヴァは破壊を司るとも言われます。<br><br><br>これは、「アガスティー」を意味します。<br><br><br>シヴァの「アガスティー」とは、"悪を破壊する神"という意味です。<br><br><br>仏陀は、"内なるアートマ・ブッディ"に帰依し、「ネティ」を駆使して、『心を浄化』しました。<br><br><br>そうして、マーラを取り除いたのです。<br><br><br>ちなみに、マハーヤーナは「ガティ」を駆使し、マハーサンディーは「アティ」を駆使します。<br><br><br>内なるハートに意識を向け、神の１つの名と姿を思い続ければ、正しいブッディによる心の浄化、真の勇気、中道の実践を成就できることでしょう。<br><br><br>悟りの智慧、あるいは正しいブッディの活用というのは、「いつも油断なく、真に心を浄化し続けること」に他なりません。<br><br><br>さて、さっきから登場している「マーラ」って言葉。<br><br><br>何でしょう？<br><br><br>実は、これ。<br><br><br>降魔成道のエピソードに登場する、あの悪魔の名前でもあります。<br><br><br>悪魔には、大別して三種類のタイプがあります。<br><br><br>① 外部の存在として現れる魔物、悪霊、天界(霊界も)の住人など。<br><br><br>② 苦難、災難、困難、戦争などの大惨事、ただ単に嫌な出来事など。<br><br><br>③ 無知と迷妄、煩悩など。<br><br><br>(どれであれ)霊性の最後の段階では、誰もが③に直面することでしょう。<br><br><br>①は、まだ分かりやすいことです。外部の悪魔なら、ただ単に自分の中から取り除けばいいだけ。これは、神の御力と善行功徳があれば、容易く成就します。<br><br><br>堕落した人が、悪魔に住み心地のいい内的環境をつくり続けるなら、憑依が深まって人生も何もかも狂いっぱなしになるでしょう。<br><br><br>天界の住人や霊界の住人(指導霊や高級霊など)も、輪廻に縛られた存在がたくさんいます。<br><br><br>ある人が、彼らより上の霊的段階へ成長しようとしたら、とたんに邪魔されてしまうでしょう。<br><br><br>結局は、彼らと輪廻に縛られ、流転を繰り返す羽目になるでしょう。<br><br><br>よって、愛と帰依を捧げるべき相手が何者なのか？気を付けて、識別しなければなりません。<br><br><br>神を信じる心があっても、それが真に正しい神かどうか？識別しなければなりません。<br><br><br>真に正しい神であっても、自分は真に正しい信仰と実践が出来ているか？識別しなければなりません。<br><br><br>ですから、ブッディ(識別)は、極めて重要なのです！<br><br><br>②は、悪魔と言う方もいれば、悪い運命と言う方もいるでしょう。<br><br><br>例えば、戦争ではなくて口喧嘩程度とか、大して事態が酷くない場合は、運気が低迷したせいだった！で、済ませてしまう方もいるでしょう。<br><br><br>運命とは、カルマの計算を意味します。<br><br><br>悪い運命は、奉仕等の善いカルマが上回れば、大難から小難へと調整することも出来ます。<br><br><br>③こそは、悪魔そのものです。<br><br><br>最後は、自分との戦いになります。<br><br><br>(2012年を経て)最後の審判が、まさに本格化している今！<br><br><br>真の意味で、最終戦争の地と言えるのは、一人ひとりの内なるハートです。<br><br><br>各個人の中で、神側(天国)が上回るか？悪魔側(地獄)が上回るか？その選別が起きます。<br><br><br>カルマの最終計算です！<br><br><br>これらは外界ではなく、各個人の内面で起きます。<br><br><br>もし悪魔に誘惑され、悪魔側に囚われたら、どうなるか？<br><br><br>もし神に近付く努力をして、神側に入ったら、どうなるか？<br><br><br>それらは、キリストをはじめ、仏陀、ヒンドゥーなど、各信仰の道がさんざん教えてきた通りです。<br><br><br>自分のハートに意識を向け、１つ選んだ神の名と姿のみを思いましょう。この習慣を徹底すれば、死における苦しみや悲しみからも救われます。<br><br><br>人を悲しみに陥らせるのは、過ぎ去った幻を追いかけるからです。<br><br><br>(想い出を懐かしむくらいなら、良いのですが)記憶に囚われると、多くの悲しみを引き起こします！<br><br><br>それから、意識を内面へ向けたとしても、(迷妄や煩悩による)心の迷宮に落ちれば、いずれは狂ってしまうでしょう。<br><br><br>だから、真に正しい神仏や師の導きなしに、スピリチュアルを安全に真っ直ぐ前進できない！と言っているのです。<br><br><br>ハートには、太古から伝わる神仏の１つの名と姿を思いましょう。<br><br><br>ただし、神の化身については、自分が出会って「彼に帰依する！」と決めた１つの名と姿を思うとよろしいでしょう。<br><br><br>そうして、真に正しい神仏の１つの名と姿のみが、ハートにあるならば、心の迷宮に落ちないで済むか、落ちても無事に脱出できます。<br><br><br>スリー・バーラサイは、特に「１つの名と姿のみに集中すること」を強く推奨してきました。<br><br><br>神は、１つです。全ての神仏は、"愛"によって調和しています。<br><br><br>私で言うなら、スリー・バーラサイという１つの名と姿で、全ての神仏と通じます。(スリー・バーラサイが本体であり、全ての神仏はその一部分となるからです。)<br><br><br>一般の日本人なら、天照大御神もよろしいでしょう。<br><br><br>八百万の神々は皆、天照に従います。<br><br><br>天照大御神という１つの名と姿で、あなたに必要な全てを、天照は八百万の神々に命じて与えるでしょう。<br><br><br>あなたがあちこち出掛けて、金銭と時間をかけながら巡礼するより、ハートの真の本殿で天照１つに帰依する方が最善です。<br><br><br>その金銭と時間は、病気や貧困で苦しむ人々への奉仕に使ってください。<br><br><br>スリー・バーラサイは、こう教えています。<br><br><br>💗スリー・バーラサイ 愛のメッセージ💗<br><br><br>家では、あなたは父親のことを「お父さん！」と呼んだり、「パパ！」と呼んだりしますね。<br><br><br>インドでは「ナーナ！」と呼んだり、「アッバ」と呼んだりします。<br><br><br>どれも違う言葉ですが、全ては「父親」を意味しています。<br><br><br>同じく人々が「バガヴァーン(神様)！」と呼んだり、「イエス！」と呼んだり、「仏陀！」と呼んだりしても、全てサイババに届きます。<br><br><br>多様性の背後には、統一性があるからです。<br><br><br>スピリチュアル・ショッピングや、グル・ショッピングをしていたら、しまいに病気になってしまいます。<br><br><br>次から次へと恋人を変えていれば、しまいにエイズになるのと一緒です。<br><br><br>店の品物は全て、同じ問屋から卸されたものです。<br><br><br>あちこち走り回る必要はないのです。<br><br><br>私は、「１つのところに落ち着きなさい！」と言っているのです。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12680740778.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Jun 2021 12:17:37 +0900</pubDate>
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<title>願い事が叶うには、&quot;二つの実践&quot;が必要です。あらためて「食事」という霊性修行について。</title>
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<![CDATA[ ごきげんよう。<br><br><br>人間の魂が成長する為に必要な実践は、二つあります。<br><br><br>一つは、霊性修行。<br><br><br>もう一つは、善行功徳です。<br><br><br>願い事を神仏に叶えてもらうにしても、その二つが"必要十分"に足りていなければなりません。<br><br><br>霊性修行を怠っているなら、願い事は間違いだらけになります。<br><br><br>神仏は、ひどく間違った願い事を叶えるわけにはいきません。<br><br><br>間違った願い事を叶えると、(最終的に)その人が不幸になるだけでなく、無関係の他者をも巻き込んで惨事になります。<br><br><br>あまりにひどく間違った願い事は、本人や社会にとって有害なだけなので、さすがに神仏も叶えないのです。<br><br><br>真の霊性修行は、内面の悪を滅ぼし、正す為にあります。<br><br><br>よって、偽りの霊性修行をしてもダメです。<br><br><br>しかし、願い事が正しいとしても、もう一つが欠けていたら、叶えることが出来ません。<br><br><br>善行功徳とは、その人が他者にした善いカルマを意味します。<br><br><br>全宇宙がカルマ(因果応報)に支配され、成り立っています。<br><br><br>作用・反作用の法則として、粗雑な物理レベルにも見出だせます。<br><br><br>ある行動に対し、その反動が起きる。<br><br><br>その行動と反動が、カルマの法則です。<br><br><br>神仏から善い結果という利益を受け取るには、貧困に苦しむ他者へ善い行いという利益を捧げておく必要があります。<br><br><br>💕ハッピーの種🌱を撒いておくわけです。<br><br><br>種も撒かずに、実を刈り取れるでしょうか？<br><br><br>霊性修行とは、トマト🍅の"種"を、正しく見極める為の勉強や訓練をするようなもの。<br><br><br>似たような別の野菜の種を選ぶなら、それは間違いです。トマト🍅は収穫できません。<br><br><br>それでは時間も、労力も、金銭も無駄になります。予定していた売り物として世に送り出せず、買い手も困ります。<br><br><br>しかし、種を正しく見極められるようになっても・・・<br><br><br>実際に、それを撒いて育てるという実践がなければ、収穫もなし！<br><br><br>種を正しく見極め、実際に撒いて育てていく・・・<br><br><br>その二つが"必要十分"に揃えば、神仏が残りの責任を担います。<br><br><br>立派な実となるように・・・<br><br><br>すなわち、願い事が叶うように、環境や運命等を祝福するわけです。<br><br><br>神仏は「適切」に、願い事を叶えます。<br><br><br>適切なタイミングで、適切なやり方を用い、適切に与えます。<br><br><br>往々にして、人間側の都合に合わせたタイミングではなく、想像通りのやり方でもなく、期待した結果でもない・・・<br><br><br>神仏の決めた方法で、願い事は叶います。<br><br><br>お願いした立場なのですから、人間は謙虚に感謝するべきです。<br><br><br>実は、この「神の働きと人の働きが１セットで成り立つ」というのは、人間の存在そのものが表明する真理です！<br><br><br>そうではありませんか？<br><br><br>人間の体は、何もかも自分の随意で動かせますか？<br><br><br>答えは、「いいえ！」です。<br><br><br>心筋や、呼吸の働きは不随意です。<br><br><br>人間の体も、「不随意の働きと随意の働きが１セット」で成り立っています。<br><br><br>人間自身では、随意に動かせないもの。<br><br><br>それを動かしているのが、神です。<br><br><br>神は、これほど皆さんの身近で「ともに生きて」いるのです。<br><br><br>神に願い事を叶えてもらうにしても、神に人生を託すにしても、全ては「神の祝福と人の努力が１セット」で成り立ちます！<br><br><br>なら、神仏は怠け者をどう扱うでしょう？<br><br><br>仕事、勉学、食事などは、魂を正す為の霊性修行に変えることが出来ます。<br><br><br>それらは、感覚や欲望を中庸にセルフ・コントロールしなければ成り立ちませんから。<br><br><br>「食事」とは、ただ単に「物理的な食材」を摂取するだけで、事が済むものではありません。<br><br><br>つまり、「精神的な面」も、「食事」に強く影響します。<br><br><br>騒音の中で食べるのと、フジコ・ヘミングさんのピアノ演奏を聴きながら食べるのと、どちらが美味しいでしょう？<br><br><br>前にも書きましたが、音は波動や、ある種の力を発生させます。<br><br><br>ですから、調和した美しい音色のピアノ演奏を聴きながら食べるなら、水でさえも、円やかで美味しくなることでしょう。<br><br><br>「美味しい」という言葉には、「美」があるのですから。<br><br><br>料理をすることにも、また「精神的な面」が影響します。<br><br><br>ただ単にイライラしながら料理しただけでも、しょっぱすぎたり、辛すぎたりして、変な味付けになりがちです。<br><br><br>料理をはじめ、食事には、そのようにして「精神的な面」が色々と影響します。<br><br><br>霊的には、作り手の想念が、料理に入り込むと言われているのです。配膳時の、送り手の想念も入り込みます！<br><br><br>太古から伝わるヒンドゥーの教えは、人間を構成する鞘が５つあると教えています。<br><br><br>その鞘のことを、コーシャと呼びます。<br><br><br>人間の一番外側にある鞘は、アンナマヤ・コーシャです。<br><br><br>食べ物によって構成される鞘で、これは肉体に関係します。<br><br><br>食事とは、一番外側にある"食べ物と肉体の鞘"だけでなく、さらに"内側の鞘"にも及びます。<br><br><br>内側には、"想念の鞘"もあります。<br><br><br>食べ物に入り込んだ想念を食べることで、この"想念の鞘"に深い影響が出てくるのです！<br><br><br>ある時、一人の霊性修行者が、旅館で食事をしました。<br><br><br>目を見張るほどに、豪華な御馳走が出てきました。<br><br><br>彼はフードマントラで祈ることも忘れ、味覚の奴隷と化して、動物のようにガツガツ食べてしまいました。<br><br><br>やがて、満腹になり、眠くなってきました。<br><br><br>彼は眠りに耽り、悪夢で目を覚ましました。<br><br><br>次第に、寝ても覚めても"悩み"が次々にわいてきました。<br><br><br>それが"心配"し過ぎていることによると分かりました。<br><br><br>しかし、なぜ急に心配ばかりわいてきたのか？<br><br><br>気分転換で旅館内を歩いていると、たまたま厨房から怒鳴り声が聞こえました。<br><br><br>料理する側も、運ぶ側も忙しくしており、"急いで"いるのが見えました。<br><br><br>あまりにも急ぎ過ぎて、多くのことを仕損じてしまうのです。<br><br><br>また仕損じるのではないか？と心配ばかりしながら、料理したり運んだりしている。<br><br><br>彼は、さっきの食事で、その悩みも「一緒に食べていたんだ！」と気付きました。<br><br><br>インドでは、フードマントラと呼ばれる真言があります。<br><br><br>まず神に食事を捧げて祈りつつ、食事に混入するネガティブ・マインドを、マントラの力で浄化します。<br><br><br>その霊性修行者は、食前になすべきフードマントラ詠唱の重要性を思い知りました。<br><br><br>フードマントラの他にも、いくつか方法があります。<br><br><br>ガヤトリーマントラを唱えても、よろしいのです。<br><br><br>また、誰もが出来る身近な方法は「内なるハートに神を思い、全てを捧げて祈る」ということです。<br><br><br>現代には、心身に多くの病気が見られます。<br><br><br>そのような病気を引き起こす霊的な原因は何でしょう？<br><br><br>それは、料理を乗せる容器、料理に使われる材料、料理過程の三つにおいて、不正な手段で入手したものか、提供者側の悪い想念が混入したこと、そのどちらかによるものと言われています。<br><br><br>食事は、重要な霊性修行になります。<br><br><br>食べ過ぎてはいけませんが、食べなさ過ぎてもいけません。<br><br><br>ダイエットは食事全体で、糖質や脂質の過剰摂取をやめるべきです。<br><br><br>どんなにダイエットを頑張ってる！と主張しても、(食事全体で見て)糖質や脂質を過剰摂取し続けていたら無意味です。<br><br><br>正しい結果が伴わないダイエットなら、もう自己管理では無理でしょう！<br><br><br>それから、(以前も記事に書きましたが)食べ物には気を付けなければなりません。<br><br><br>肉類より豆類の方が、良質なタンパク質を豊富に摂取できる！と考えられます。<br><br><br>食べ物には、様々な想念が入り込みます。<br><br><br>ならば、肉類を食べるというのは、どういうことになるのでしょう？<br><br><br>すなわち、殺された生き物の恐怖や苦痛をも、その肉と一緒に食べてしまうとお思いになりませんか？<br><br><br>そんなものまで食べているとしたら、やがては積もりに積もって、(例えば)恐怖や苦痛が伴う心身の疾患を引き起こすことにもなるのでは？<br><br><br>「動物たちの命を頂戴して」有り難くいただきます！というなら、「命を奪われる恐怖と苦痛も」有り難くいただきます！ということになります。<br><br><br>それらが積み重なれば、いずれ心身に何らかの問題を引き起こすであろう！と、スピリチュアルでは言われているのです。<br><br><br>しかし、肉体労働等で体力を養うべく、肉類を食べる必要もあるでしょう。<br><br><br>ですから、せめて食前に、神に捧げる祈りが重要です。<br><br><br>食事よりも先に、神のことを思い出すべきです。<br><br><br>そして、「消化の火を司る神様。この食事の全てを捧げます。ありがとうございます。」と心の中で祈ることなら、簡単に出来るはずです。<br><br><br>また、癌の主要原因は人工の化学調味料にある！とスピリチュアルでは言われています。<br><br><br>特に、砂糖の過剰摂取が問題！とのことです。<br><br><br>ですから、ダイエットだけでなく、健康管理という点でも、糖分の過剰摂取はやめるべきです。<br><br><br>基本的に、霊性修行者は肉類、酒類や煙草の摂取を避けた方が良いでしょう。<br><br><br>ニンニクやタマネギは、過剰に摂取すると性欲を強めます。<br><br><br>しかし、ニンニクは健康に貢献しますから、適切に摂取すれば問題ないでしょう。<br><br><br>果物は、過剰に摂取するとタマスを増大させます。<br><br><br>(主食として)白米は定番ですが、やはり食べ過ぎると肥満の原因になります。また、糖分の過剰摂取にもつながり、糖尿病や高血圧の原因になります。<br><br><br>出来れば、白米より玄米がよろしいでしょう。<br><br><br>インドでは、米より小麦粉を使った主食を最善とします。<br><br><br>また機械じかけの調理や、化学物質だらけの料理は、(霊的に言うと)心身に少なからず悪影響をもたらす！と言われています。<br><br><br>機械じかけの調理によるものは、食べた人の精神を不安定にし、無気力や憂鬱な気分に落ち込みやすくするようです。<br><br><br>また、化学物質という無機質な食べ物に心身が汚染されると、慢性疲労に陥りやりすくなるようです。<br><br><br>それなら、外食産業でも手作り中心のものや、オーガニックな食べ物を使うような、いわゆる「健康志向の店」が好ましいと言えるでしょう。<br><br><br>貧しくても幸せな家族の食卓では、必ず！と言って良いほどに💝愛を込めた手作り料理💝が健在です。<br><br><br>家族愛、親子愛、夫婦愛、また"愛あるパートナーシップ"でもそうですが・・・<br><br><br>そうした様々なかたちの人間愛において、手作り料理は「世界に二つとない真の御馳走😋」に変えてくれるのです。<br><br><br>人間関係で愛が死んでいる限り、どれほど金銭的に裕福でも、見た目が幸せそうでも、いずれ「現実は惨めで貧乏だったこと」が暴き出されるでしょう。<br><br><br>調理は、とにかくとして・・・<br><br><br>子どもには食器洗い、食事の準備、片付けなどを実践させると人格育成に好ましい影響があります。<br><br><br>責任をもって義務を果たす人間に育てるという・・・その基本は、食事の場面から！<br><br><br>人の手の温もりによる料理や、健康に良い食べ物を摂取し続けることが「健康になる秘訣」です。<br><br><br>それは「幸せな人生や、楽しい生活を送る秘訣」とも言えます！<br><br><br>日々、必要な活力も湧いてきて、心身も強くなっていくでしょう。<br><br><br>食事一つで、グン⤴とハッピーライフに変えることが出来ます。<br><br><br>それほど人の幸せや、楽しみ、安らぎにとって、食事は重要な役割を担っているのです。<br><br><br>まして、霊性修行者は食事について、真剣に取り組む必要があります。<br><br><br>食事の場面とは材料の工夫や調理だけでなく、準備や配膳、片付けまで含まれます。<br><br><br>食器を洗ったり用意したりする心的態度が悪ければ、結局は食べ物を汚染します。<br><br><br>真のスピリチュアルでは、それほど心的態度が行為と密着しているのです。<br><br><br>食事を霊性修行とするなら、その要点は二つあります。<br><br><br>一つは、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。<br><br><br>食べ過ぎると精神が混乱しやすくなり、身体が鈍重で気だるくなったりします。かえって、仕事や勉学等を成し遂げる為のエネルギーを失うでしょう。<br><br><br>食べなさ過ぎると、心身が病んだり弱ったりするか、深刻な問題行動を引き起こすでしょう。<br><br><br>もう一つは、間違った食習慣を正すことです。<br><br><br>自分の体が今、現実としてどうなっているのか？<br><br><br>また、その体と食のバランスに対し、自分の心は何か貢献できているのか？それとも、邪魔をしているのか？どちらなんでしょう？<br><br><br>自分の心身が抱える現状を直視し、中庸にセルフ・コントロールした食習慣を身に付けていけばよろしいのです。<br><br><br>と、さんざん書いておきながら・・・<br><br><br>このことも書いておきたいと思います。<br><br><br>人は、心身の健康に気を付けた上で、食べたいものを食べたいように食べたらいい！と。<br><br><br>肉体の健康とは裏腹に、あれこれ抑制していては精神が不健康になるでしょう。<br><br><br>糖質や脂質を過剰摂取してでも食べたい放題では、精神は満足して健康でいられても、もちろん肉体が不健康になります。<br><br><br>(心身のバランスを中庸に保つ！という意味の)健康に気を付けた上で、人は食べたいものを、食べたいように、食べたらいい！と思いますよ。<br><br><br>それは、以前から記事に書いてきた通りです。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12675026688.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2021 13:19:37 +0900</pubDate>
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<title>&quot;法身説法と加持身説法&quot;、及び&quot;ゾクチェン&quot;について。オマケで、秀光さんと迷子の男の子。</title>
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<![CDATA[ ごきげんよう。<br><br><br>さて、今回は・・・<br><br><br>"法身説法と加持身説法"について。また、"ゾクチェン"について。<br><br><br>リクエストにお応えしなければならなくなり、少しだけ説き明かしておきたいと思います。<br><br><br>そもそも、密教の加持が成り立つには、師や仏尊の加護と、それを受け取るに相応しい純粋な想念が必要ですね。<br><br><br>加持とは、握手のようなものでございます。<br><br><br>仏尊が「ただ一方的にパワーを与えるだけ」で、人々は「ただ一方的にパワーを貰うだけ」で、それだけで成り立つという単純なものではないんですねぇ。<br><br><br>仏尊が差し出した恩恵溢れる手に対し、人間も綺麗な手を差し出して、互いに手に手を取り合って前進した時のみ成り立ちます。<br><br><br>つまり、握手するに相応しい手かどうか？という前提条件があるわけです。<br><br><br>握手の前に、その手をきちんと洗っておかねばならないんですが、これは分からなくもない話ではないでしょうか？<br><br><br>神社仏閣。境内に入りましたら、大抵は手を洗う場所がありますからね。<br><br><br>ただし、ここで言う"手を洗っておく"は、握手のたとえに関連します。<br><br><br>その真意は、"純粋な想念を持ち続ける必要がある"ということです。<br><br><br>だから、弘法大師は"アディシュターナ"を、"加護持念"という意訳で解説しました。<br><br><br>太陽の光輝が行き渡り、晴れ渡る青空は完璧な光景です。<br><br><br>しかし、泥沼の表面には、(その光景が)そっくりそのまま反映することはありません。<br><br><br>綺麗な泉の澄んだ水面にだけ、(その光景が)そっくりそのまま反映します。<br><br><br>加持とは、そのように想念を純化し続け、仏尊の加護が(完璧なまま)長く反映していられることが重要というわけでございますね。<br><br><br>よって、密教の教える加持とは"受け取り手次第"です。<br><br><br>それで成り立つか、成り立たないかが決まります。<br><br><br>もし加持が成り立たないなら、護摩はパフォーマンス・ショーになってしまうでしょう。<br><br><br>師がサンダルで、気絶するまで弟子を殴ったなら、暴行事件の加害者と被害者がいるだけです。<br><br><br>便利だから！とデジタルに深く依存し、意識は外界に強く縛られ、魂も堕落してしまっているなら、そのような人が加持力を体験できるでしょうか？<br><br><br>そんなに甘い世界でしょうか？密教とは。<br><br><br>加護と持念がバランスよく成り立った時、"ある種の力"が発生します。それを"加持力"と言います。<br><br><br>その知識ありきで、"法身説法と加持身説法について"を説明して参りましょう。<br><br><br>法身説法とは、不特定の者に対応するようなものです。<br><br><br>持念、すなわち加護を受け取るに相応しい純粋な想念があろうが、なかろうが関係ありません。<br><br><br>法身の説法に聴き従おうが、反発しようが全く関係ない。<br><br><br>森羅万象も、ありとあらゆる生命体も、法身の説き明かすダルマの普遍性により、全てが無条件で自ら従わざるを得ないのです。<br><br><br>しかし、加持身説法は特定の者に対応するようなものです。<br><br><br>清涼殿で、弘法大師が加持身説法を成し得たのは、その場にいた人たちに仏教への信心があったからです。<br><br><br>弘法大師のエンパワーメントが強力だったからではありません。<br><br><br>彼がどう強力に働きかけても、まわりの人たちに仏教への信心がなければ、所詮は暖簾に腕押しでしょう。<br><br><br>もちろんのことながら、加持は成り立ちませんから、その種の説法も成り立ないでしょう。<br><br><br>その場にいた人たちの仏教に対する信心があったからこそ、加持感応が起きたのだとお思いになりませんか？<br><br><br>ある者は戯論をやめざるを得なくなり、ある者は仏尊の慈愛に涙し、ある者は知るはずもない大日如来を感得したのです。<br><br><br>法身説法は本質的であり、加持身説法は報身説法の一種です。<br><br><br>法身説法の故に、報身説法や応身説法もせざるを得なくなるのです。何の意図もなく、必然的にそうなるだけのこと。<br><br><br>本来は法身であるが故に、否応なく成長しなければならないからです。<br><br><br>報身による説法は臨機応変に対応したプロセスであり、法身説法の本質へと通じる段階的な導きとも言えます。<br><br><br>(ちなみに、報身は受動的です。)<br><br><br>顕教と密教も同じ仏教でありながら、その説法には大きな違いがあります。<br><br><br>顕教では、ある疾患に対して食事療法を用いるようなものです。<br><br><br>非即時的であり、長期間を要します。<br><br><br>密教では、ある疾患に対して投薬治療を行うようなものです。<br><br><br>即時的であり、短期間で達成します。<br><br><br>顕教における華厳の教えは、ゴータマ・ブッダによるものではなく、報身の次元に出現した法身ヴァイローチャナ・ブッダによるものでした。<br><br><br>密教も、報身の次元に出現した法身マハーヴァイローチャナ・ブッダが加持とともに説法したものです。<br><br><br>華厳経のヴァイローチャナ・ブッダと、密教のマハーヴァイローチャナ・ブッダは・・・<br><br><br>報身の次元に出現した法身のブッダとしては同じですが、全く異なる面が見られます。<br><br><br>この二人のブッダには、どのような違いがあるでしょう？<br><br><br>例えば、誰かがレストランへ行き、メニューを見ました。<br><br><br>ある料理の説明を読み、カラーで美しい写真に見応えも感じて、美味しそうだなぁ😋って感心しました。<br><br><br>しかし、それだけでお金を払うでしょうか？<br><br><br>いいえ。<br><br><br>実際に、それを注文し、食べてから、お金を払うものです。<br><br><br>説明や、写真の見応え通り、実際に食べて、美味しく味わい、満足しなければなりません。<br><br><br>空腹のままか、満腹になるかは生き死にが関わる"一大事"ではありませんか？<br><br><br>名前に"マハー"があるか否かも、大きな違いがあるのです。<br><br><br>"マハー"というサンスクリット語は、"大きい"という意味があります。<br><br><br>それは、"完璧な"とも訳されます。<br><br><br>マハーヴァイローチャナ・ブッダは、実際に料理を美味しく食べて満腹になり、適切に栄養をつけ、実践的に生きましょうね！という"体得のプロセス"を教えたのです。<br><br><br>それが日本の密教で言うなら、大日経や金剛頂経です。<br><br><br>よって、ただ単に宇宙や生命の真相を説明しただけのヴァイローチャナ・ブッダとは全く違います。<br><br><br>例えば、風邪で苦しんでいるとします。<br><br><br>健康とは何か？<br><br><br>風邪とは何か？<br><br><br>その真相を知ったところで、人々にとっては、どうしたら早く治るか？が重要！<br><br><br>しかし、ヴァイローチャナ・ブッダの教えでは、生活習慣の正し方や食事療法しか道がないようなものです。<br><br><br>それに対し、マハーヴァイローチャナ・ブッダの教えは違います。<br><br><br>治療を優先して、具体的に"薬を処方する"という、いわゆる化学療法を駆使するようなもの。<br><br><br>患者は医師の指導に従い、用法用量を守って服薬することで、風邪が早く治ります。<br><br><br>"マハー"は、"大"です。<br><br><br>"ヴァイローチャナ"は、"日"です。<br><br><br>"ブッダ"は、"如来"です。<br><br><br>"マハーヴァイローチャナ・ブッダ"とは、"大日如来"のことです。<br><br><br>"ヴァイローチャナ"とは、サンスクリット語です。<br><br><br>一般的には、"光明"とか、"遍照"という訳で知られています。<br><br><br>また、(普遍的に)全てを照らす日光のようなものとして、意訳されてきました。<br><br><br>その為、"ヴァイローチャナ"は、真言密教において"日"という一字に変換されたのです。<br><br><br>ちなみに、ゴータマ・ブッダや弘法大師のような応身による説法は、人間のコミュニケーション方法を用います。<br><br><br>個々に合わせて質疑応答したり、たとえ話を用いたり、詳しい解説もしてくれるわけです。(ありがたいですね😊)<br><br><br>それから、ゾクチェンについて。<br><br><br>これも、少しだけ説き明かしましょう。<br><br><br>まずは覚醒を保って、プラジュニャーナを駆使し、自分の心をありのまま観察することから始めるべきです。<br><br><br>プラジュニャーナですから、世俗的知恵と超越的知恵を中道に活用できます。<br><br><br>禅はプラジュニャーナを悟る段階にありますが、ゾクチェンはプラジュニャーナを駆使する段階にあります。<br><br><br>心の本性と心は、どう違うのか？を知り尽くすことが『ゾクチェンそのもの』の加行です。<br><br><br>心の本性は、ゾクチェンのリクパとも呼ばれています。<br><br><br>このゾクチェンのリクパについては、"認識"がキー・ポイントです。<br><br><br>やがて、原初本来のありようは何であれ、二元論と関係ないことに気付くでしょう。<br><br><br>思考なら、思考が生じる瞬間は二元論と関係ありません。<br><br><br>そのような境地で、覚醒を保てば、それがゾクチェンの実践です。単純明快。<br><br><br>でも、奥が深く、実は難しい面があります。<br><br><br>ゾクチェンのリクパだと思い違いしていることが多々起こり得るからです。<br><br><br>とにかく、正しいゾクチェンの実践が熟してくれば、野外で沸騰させた湯に、雪が落ちて溶け去るような段階に入ります。<br><br><br>最後は、テクチューと呼ばれる道が開けます。<br><br><br>私なら、テクチューを『根底から解き放つ』と訳すことも出来ますね。<br><br><br>鏡に反射する像についての認識だけでなく、鏡そのものとなるのですから。<br><br><br>ゾクチェンは、仏教やボン教といった宗教には属していません。<br><br><br>ゾクチェンは、ただ単なる信仰の道という枠にも当てはめられないものです。<br><br><br>むしろ、智慧の道という方が近いでしょうか。<br><br><br>ゾクチェンでも、師や教えに対する"信愛"は最初の条件、まさに道の大前提です。<br><br><br>師の加護や教導への帰依なしに、ゾクチェンは成就できないからです。<br><br><br>インターネットや本などによる"情報"だけで、ゾクチェンは決して成就できません。<br><br><br>ゾクチェンやマハームドラーでは、師という鏡が絶対に必要です。<br><br><br>自分の肉眼で、自分の素顔を見た者は一人もいません。<br><br><br>鏡や、綺麗な水面に映る自分の素顔を見るしかありません。<br><br><br>ゾクチェンやマハームドラーが、今生の内に解脱をもたらす道と言われるのも、師という鏡のおかげなのです。<br><br><br>師という鏡は、最も清浄な円鏡にたとえられます。<br><br><br>無知と幻影のカルマで埃だらけの鏡でしかない他人とは、全く違うのです。<br><br><br>ゾクチェンやマハームドラーの師たち、また神の化身は"最も清浄な円鏡"であり、本質を映してくれます。<br><br><br>それを通して、初めて心の本性や魂の神性という、自分の真の素顔を認識できます。<br><br><br>自分が"生きた人間"のレベルにいるからこそ、同じ"生きた人間"のレベルにいる円鏡が必要なのです。<br><br><br>よって、伝授が全て終わるまでは、師とともに過ごし、師に仕え、師の教導を受けるべき！と言えるでしょう。<br><br><br>ゾクチェンに限界はありません。<br><br><br>例えば、ゾクチェンとは、"足そのもの"と言えます。<br><br><br>よって、多種多様な信仰という靴のどれを履いても、普通に道を前進できます。何の問題もなし。<br><br><br>ゾクチェンを授かる為に、出家して僧侶になる必要はなく、仏教徒になる必要もないでしょう。<br><br><br>ゾクチェンの修行者には教師や医師、石工などもおり、彼らは世俗で暮らし、普通に仕事をしています。<br><br><br>それでもゾクチェンの実践には、何の支障もありません。<br><br><br>ゾクチェンは古来より、解脱の為にカルマを果たす必要があることも教えてきました。<br><br><br>そういう意味では、カルマ・ヨーガという面もあるのです。<br><br><br>ゾクチェンは"原初の本質"に関わるので、あらゆる道に見出だせる普遍性があります。どの道であれ、自分が選んだ１つの道であれ、そもそも"足そのもの"なんですから。<br><br><br>バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ、カルマ・ヨーガの全てを兼ね備えています。<br><br><br>とはいえ・・・<br><br><br>今はカリユガが激化しており、カルキ・アヴァターも到来していました。<br><br><br>神の化身が地上にいらっしゃる時代は、神に全託するバクティ・ヨーガが最も安全で、容易かつ効率よく人生の真の目的を成就できるでしょう。<br><br><br>ある時、砂漠に迷い込んだ二人の男がいました。<br><br><br>彼らは、オアシスを見つけました。<br><br><br>二人とも喉が渇き、水を欲しがりました。<br><br><br>オアシスの真ん中に、巨大な蟻地獄の巣のような穴がありました。<br><br><br>穴の中には鋭く太い棘のある茨が繁っていて、底に水が湧いていました。<br><br><br>一人の男は、ジュニャーナ・ヨーガに熟達していました。<br><br><br>彼は服を脱ぐと、シッディ(神通力)を駆使して小鳥に変身しました。<br><br><br>小鳥は、茨の棘と棘の隙間を抜けていきました。<br><br><br>そして、底の水を飲むと再び茨の棘と棘の隙間を抜けて、穴から出てきました。<br><br><br>そして、人間の姿に戻りました。<br><br><br>とたんに、彼は動けなくなりました。<br><br><br>彼の体は、茨の棘による無数の切り傷で血塗れでした。<br><br><br>小鳥の内は、翼の羽が傷ついた程度だったのです。<br><br><br>しかし、人間の姿に戻れば、その羽も皮膚なのです。<br><br><br>さらに、小鳥のサイズでは充分な水分補給ができました。<br><br><br>しかし、人間のサイズに戻ると全く足りず、そのまま脱水で倒れてしまいました。<br><br><br>ジュニャーナ・ヨーガというものは、全知に達しない限り、何らかの失敗が多々起きやすいのです。<br><br><br>もう一人の男は、神の御心のままに解決してくださるよう祈り、全てを委ねました。<br><br><br>神はただちに、穴の底から満杯の水を湧きたたせました。<br><br><br>茨は底にあり、水は穴から溢れ出るほどに湧いてきました。<br><br><br>彼は、必要なだけ水を飲むことが出来ました。<br><br><br>そして、倒れている男を連れてきて、水を飲ませ、助けたのです。<br><br><br>このように、今は神に全託するバクティ・ヨーガこそ、最も安全で、容易かつ効率よく前進できるのです。<br><br><br>オマケで、今日の夕方の出来事をご紹介しておきます。<br><br><br>私は、(他に誰もいない)自然の恩恵溢れる森林に囲まれた場所で、涼風を楽しみながら、上記の文章を一気に書いていました。<br><br><br>その後、隣接する公園の広場へ続く山道のベンチで休憩していました。<br><br><br>すると、３つの出来事が起きました。<br><br><br>１つは森林に住む様々な鳥たちが近寄ってきては、その歌声を奏でてくれたことです。<br><br><br>１つは快晴が突如として曇り、黒雲が立ち込め、通り雨が私を濡らした後、また青空が戻り、日光が私を乾かしたということです。<br><br><br>１つは、迷子の男の子でした。<br><br><br>幼稚園の年長組と思われる年頃。サッカーのユニフォームを着て、小さな右手に虫カゴを持っていました。<br><br><br>彼は自然に、私の方へ近寄ってきました。<br><br><br>男の子は私と目が合うと、とうとう我慢しきれなくなったという様子で、大粒の涙をポロポロ流し、「ママがいないの。」と何度も言い始めました。<br><br><br>私が黙って、ただ平静に見つめていると、男の子はさらに「ママを捜しに行くの。」と言って、獣道へ入ろうとしました。<br><br><br>最近、私はよく通る獣道ですが、少なくともマムシをはじめ、数種類の蛇に出会っています。(スズメ蜂もたくさん💦)<br><br><br>蛇によっては、(人間の気配に驚くのか)枝の上から落ちてきたり、敵と見なして藪の中から飛び出てきますからね。<br><br><br>⚠危ない⚠<br><br><br>私は、獣道へ入ろうとした男の子を止めました。<br><br><br>彼に話を聴くと、「広場で遊んでてね！」とママに言われていたことも分かりました。<br><br><br>私は男の子に「あちこち行ったら、ママも分からなくなるよ。広場で待っていれば、ママと必ず会えるよ。」と優しく声を掛けました。<br><br><br>しかし、もはや道理が通じる状態ではなく、男の子は今すぐ解決したいのでしょう。<br><br><br>泣きながら、「違うの。ママがいないの。」としか言わないのです。<br><br><br>"どうすれば会えるか？"より、"今すぐにでも会わなければ、この世の終わり！自分はもうおしまいだ😫"とでも言いたいかのように、混乱していたのです。<br><br><br>自分もかつて、そんな時があったなぁ😅と、懐かしい記憶が思い出されました。<br><br><br>「ここに必ずいてね！」と言われ、親のことなどお構いなしで遊びに夢中でも、ふと親がいるか？確認してしまう。<br><br><br>いないなぁ・・・って時も、すぐ気になるわけではありません。<br><br><br>しかし、その内、気になってきます。<br><br><br>「ここに必ずいてね！」と言われても、むしろそう言いたいのはこっちだ！とばかりに、親を一目でもいいから確認しなければ気が済まなくなる。<br><br><br>遊びに夢中になれるのも、どこかに親がいることを確認しているからです。<br><br><br>という、そんな年頃もありましたねぇ。(懐かしい😘ｼﾞｰﾝ😢)<br><br><br>この男の子も、きっと不安になってきて・・・いつ戻って来るか？が、はっきり分からないだけに、とうとうママを捜したくなったのでしょう。<br><br><br>今、こうして・・・<br><br><br>小さな男の子が、先行き見えなくなった問題を解決しようと、必死に考えている・・・<br><br><br>しかし、泣くしかない状態に陥り、ママを捜しに危険な獣道へ入ろうとしている・・・<br><br><br>もはや、自分ではどうしたら良いか分からなくなり、私に助けを求めている・・・<br><br><br>そんな姿に慈愛の気持ちが湧いてきて、私はまず安心させることにしました。(こんな年頃の息子が助けを求めてきたら、こんな気持ちになるのかなぁ😌と思いながら)<br><br><br>今、こうして『私が"ここ"にいるのだから、大丈夫だよ』と。何度も、『ママに会えるからね。』と声を掛けました。<br><br><br>最悪の場合は、携帯電話で警察を呼べば済む話。<br><br><br>私にしたら、大したことではありません。<br><br><br>小さな子どもですから、警察も保護してくれるはず。<br><br><br>警察にいれば最も安全ですし、必ず親も連絡し、いずれ確実に再会できます。<br><br><br>そんなふうに考えていたら、男の子は落ち着いてきたみたいで、「僕。お家に帰る。そうしたら、パパがいるから。」と言い出しました。<br><br><br>やはり、人の魂とは"我が家に帰りたくなる"ものなのだ・・・ふと、そう感じました。<br><br><br>それはとにかく、無事に一人で帰宅できる年齢なのか？<br><br><br>迷子で混乱し、獣道へ入ろうとまでしていたのに、一人で帰るなんて危ないのではないか？<br><br><br>犯罪者に誘拐されたり、事故に遭ったりするリスクも高いのではないか？<br><br><br>私は、心配になりました。<br><br><br>詳しく聞くと、彼の家には「広場から帰るルート」と、私の目の前にある「山道から帰るルート」があると分かりました。<br><br><br>この「山道から帰るルート」は、下り坂一本ですし、(この子が言うには)その先に家があるとのこと。<br><br><br>どうしても帰りたいと言い張るので、「では、このまま下り坂を行くといい。気を付けてね。道に困ったら、真っ直ぐに、また"ここ"へ戻っておいで。大丈夫だよ。」と安心させました。<br><br><br>男の子は、その下り坂を歩き始め、ついに姿が見えなくなりました。<br><br><br>すると・・・<br><br><br>突然、あの男の子の泣き叫ぶ大声が聞こえました。<br><br><br>私は、ただ平静に座っていました。<br><br><br>男の子は、その下り坂の途中で、ママと再会したのです。<br><br><br>この山道ルートは、広場への近道。ママは、息子が遊びに夢中なので、その間に買い物へ行っていたようです。<br><br><br>で、その近道から広場へ戻る途中、親子で感動の再会！というわけです。<br><br><br>男の子はママと手をつなぎ、私の目の前を通り過ぎて、広場へ戻っていきました。<br><br><br>私に助けを求めたことも、私とのやり取りも、何もかも無かったかのように。<br><br><br>しかし、ただ平静に、"来ては去るがまま"にしておきました。<br><br><br>と同時に、男の子には微笑みがよみがえり、親子で幸せそうにしている姿を見届けることも出来ました。<br><br><br>それだけで、私もまた幸せに感じましたから。これで善し！としました。<br><br><br>"幸"という字の中に、"辛"という字があるのです。<br><br><br>しかし、"辛"という字の中に、"幸"という字はありません。<br><br><br>"辛い"という境遇から、苦労して立ち上がり、頭上に塞がる限界という一線を乗り越えた時、"幸せ"が誕生します。<br><br><br>他者の幸せに貢献する"助け合い"の機会は、すぐ身近に、いつでも、いくつでも、存在しているのです。<br><br><br>世の中、辛いことだらけですから。<br><br><br>ということは、(助け合いによって)生み出される幸せもまた、その数だけあるのでしょう。<br><br><br>私の身の回りでは、この男の子みたいに助けを求めてくるケースが日常茶飯事で、よく起きます。<br><br><br>神が、「この人なら、助けてくれるよ❤」と、わざわざ私のもとへ導いたかのように。<br><br><br>💝愛と感謝を込めて💝<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/syuko7ao/entry-12672100382.html</link>
<pubDate>Sun, 02 May 2021 18:04:37 +0900</pubDate>
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