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<title>ブラックニッカの空想図書館</title>
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<description>何かが起こる。ある日突然に。そしてぼくはそのことを考えなければならない。いや、深く沈殿している・・どうしたらいいのだろう？「書く」しかない。書き続けるしかない。</description>
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<title>もっと遠くへ、もっと遠くから  ３</title>
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<![CDATA[ どうして批判的ジャーナリズムが縊死したのか？<br>どうして詩はこんなにも瑣末なことにかまけているのか？<br>身体はどうしてこんなにも馬鹿でかくなければならないのか？<br>考えることは沢山ある<br><br>古びた顔はたえず過去ばかり見ていて<br>眼鏡の汚れで相変わらず過去なのに<br>くだらない未来と勘違いして  馬鹿にされている<br><br>迷路の中をさまよい<br>ＲＰＧのようになっているのかもしれないね<br>多くの幻想の敵を倒し、幻想の貨幣を得て<br>様々なアイテムを増やし、幻想の強度を高める<br>未来という過去はアーサー王のように幻想の姫君を救ったつもりでいるんだ<br><br>子どもの頃のぼくはやれやれと言い、<br>そうね、と<br>きみは遠くの惑星を見ながら呟いた<br>きみの呟きは<br>とても悲しいリコーダーの音色みたいだった<br>悲しい音とリコーダーとの差異について十文字で答えよ<br>十文字分の沈黙がぼくたちを包む<br>ぼくたちは沈黙しながら考える<br>きみのリコーダーはとても悲しいけれど素敵な音だよ<br>ぼくは夢の中で聴いた『亡き王女のためのパヴァーヌ』を思い出した<br>どんな夢だったんだろう？<br>忘れてしまったよ<br>とぼくは言った<br>とても大切な言葉を探していたんだよ<br>と子どもの頃のぼくが言った<br>ポー河を遡上し<br>ヴァィオリンの音に惹かれるように<br>死んだ友だちがとても深い沈黙のような<br>暗い森の中でぼくの名を呼んだんだ<br>友だちの死を確認するために<br>言葉を探してと言ったんだ<br>それは際限のない海を漂流するビンみたいな言葉だけれど<br>ぼくは友だちの死を認めるために<br>ともかく言葉を探しているんだ<br>と子どもの頃のぼくは言った<br>どんな言葉なの？ときみは言い、<br>それが解らないんだとぼくは言った<br>友だちは何も言わなかったからね<br>でもね  ぼくは知っているんだ<br>と子どもの頃のぼくが言った<br>そうかもしれない<br>と沈黙のままに<br>ぼくは頷いた
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<pubDate>Fri, 26 Jun 2009 10:28:16 +0900</pubDate>
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<title>もっと遠くへ、もっと遠くから  ２</title>
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<![CDATA[ こんな調子でよく生きてきたものだ<br>と、子どもの頃のぼくは言い、<br>これからもきっと調べ続けて生きて行くんだね<br>と、子どもの頃のぼくはがっかりした口調で言った<br>語が細い糸によって重力にとらわれている<br>その一々の語はゆっくり過ぎるのか  何処へともなく<br>消えて行くのをは黙って見つめた<br>ぼくの頭の中では深く深く沈むきみの声も重力にとらわれている<br>信じられるかい？<br>一つの火の輪に飛び込んだライオンが<br>たった一つの語に尾を捕まえられのさ<br>そうして語は消失するのさ<br>ぼくはやれやれ、と言った<br>きみは一生懸命に自分の位置を確かめようとしていた<br>子どもの頃のぼくは<br>へびのようにくねくねと自分の身体を揺するんだ<br>どうしてそんなことをするの？ときみが聞いたら<br>そんなことわからないよ  と子どもの頃のぼくは言った<br>様々な様態を表現することは良いことじゃないかな<br>とぼくは言い、<br>でも意味はないでしょう  ときみは言った<br>もちろん  と陽気に子どもの頃のぼくが言うと<br>｢美しき五月のパリ｣が子どもの頃のぼくを囲み<br>｢さようなら一七才｣がきみを取り囲んだ<br><br><br>ぼくはと言えば<br>生きていることの総量と調べることの総量は等しいという仮説を<br>どうしたら証明できるのか、あるいは証明できないのかを考えていた<br>きみと子どもの頃のぼくはそんなくだらない仮説は捨ててしまうべきだというから<br>ぼくはやることがなくなってしまい<br>反論するしかなくなってしまった<br><br>不可視化された存在がそんなに簡単に<br>可視化された不在を表出しては、生きていることの意味は分からないよ、とぼくが言ったら<br>きみは重力から解放された鳥みたいになってしまった<br>それは<br>誰からも見放され、相手にもされないことだと知って<br>鳥は死ぬんだぜ<br>美しい夜にね<br>きみとぼくも同じなんだよ<br>きっとね<br>解放の意味とはそういうことなんだよ<br>とぼくは剥がれ落ちる語と声にしがみつくように言った<br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 25 Jun 2009 20:04:00 +0900</pubDate>
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<title>遠くへ、もっと遠くから</title>
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<![CDATA[ ｢へび｣ってどうして蛇なんだろうとぼくは言った<br>子どもの頃  初めてて見た｢へび｣は青大将で<br>公衆浴場のなかをゆっくりと泳いでいたんだ<br>ぼくは父さんにしっかり抱きついた<br>そして不思議そうに見ていた<br><br>ボイラー室に｢へび｣は棲みついていたね<br>白く柔らかな卵があった<br>と  迷わす子どもの頃のぼくが言った<br>どうして｢蛇｣はへびというのかしら ときみは<br>頬杖をつきながら言った<br>ぼくはなんだかはぐらかされたような気がしたけれど<br>答えられなかった<br>図書館で調べてみたらと子どもの頃のぼくが言い<br>でも図書館はどこにあるの？<br>ときみは言った<br>結局  調べることを一つ増やしただけだね<br>と子どもの頃のぼくが言った<br>どうしていつもこうなるんだろう？<br>とぼくは言い<br>結局のところ調べ続けて生きてきたんだおかしなことだけどね<br>調べるという行為がぼくたちの存在や意志よりア・プリオリに存在するみたいにさ<br>そして調べて分かったらそれ以上の調べることが増えるんだよ<br>それが死ぬまで続くんだ<br>子どもの頃のぼくはうんざりし<br>きみはぼくたちを見て<br>青ざめた紋白蝶みたいだと青ざめたへびのように言った<br><br><br>犯罪者は犯罪を起こしたから犯罪者なのであって<br>犯罪への意志を持った人は犯罪者とは言わない<br>これってどこかおかしくないかなとぼくは言った<br>子どもの頃のぼくはやれやれと溜め息をつき<br>犯罪を起こした政治家はなんと言うのかしら  ときみは言った<br>さあ？とぼくは言い、子どもの頃のぼくは<br>犯罪政治家かなあ？と言った<br>変なの!  ときみは言った<br>戦前は違ったんだ<br>反体制派は予備拘束や監視されていたからね<br>つまり政治犯の栄誉があったわけさ<br>だけど今は違う<br>意志以上に行為が必要なんだ<br>犯罪という行為だけが犯罪足りうるのさ<br>しかも意志は問題にさえならない<br>犯罪のモチベーションなんか犯罪を起こさなくても<br>限りなく言い続けることだってできるのに<br>動機無き犯罪のために<br>あらゆるところに監視カメラが設置されているのに<br>誰も文句なんか一つでも出ない<br>社会が認めているんだよ<br>動機無き犯罪こそが正しい犯罪なんだってね<br>おかしいかな？とぼくは言った<br>子どもの頃のぼくは逆立ちをして遠くを見つめた<br>きみはカミュののようにもっと遠くから見ていた<br>
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<pubDate>Wed, 24 Jun 2009 16:03:21 +0900</pubDate>
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<title>悲しいピース  ３</title>
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<![CDATA[ 夜、星々の引力に満ちる<br>暗い引力<br>死を引き合う記号<br>時間も空間も孤独の記号となる<br>ぼくたちが眠りにつくと、記号化した星々は血を流し、涙に濡れる<br>血は道となり、新たな方向になる<br>そこにどんなメッセージが書かれているのか<br>ぼくたちには読めない<br><br>暗い夜の中で鳥は孤独のまま死に、<br>ぼくたちは喘ぐ<br>玉突きのようにぼくたちは喘ぎ、<br>鳥は孤独のまま死ぬ<br>ぼくたちは血が流れるのを息を詰めて見つめる<br>そして喘ぐ<br>ぼくたちは喘ぐ<br>孤独のままに死した鳥を悼み、ぼくたちは喘ぐ、<br>終わるべきだという語が雪のように暗い夜を駆けている<br>世界は暗い<br>鳥の死を確かめるために<br>地中深く穴を掘り、そこで夢見る<br>ぼくたちは深い、とても深い穴の中で<br>そこで鳥の死とともに眠る<br><br>ぼくたちは目覚めることはないだろう<br>墓碑には誰の名もないだろう<br>世界は終わりなく暗いままだろう<br>絶望的に血は流れ続けるだろう<br><br><br>夜の悲しいピースは終わりなく続く<br>
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<pubDate>Tue, 23 Jun 2009 16:41:19 +0900</pubDate>
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<title>悲しいピース  ２</title>
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<![CDATA[ 昼、どんな苦しい夢を見たのか<br>苦悶の表情を浮かべている顔という顔<br>身体という身体<br>手という手<br>思考という思考<br>その血に染まる語が問う<br>ぼくたちは答えようとする<br>やがては固まるしかない血なのだ<br>どうしようもないことで、仕方がないことなのだ、とぼくたちは固まった血のように答える<br><br>血はなおも問う<br>この血はなんだ<br>あの血の流れはなんだ、と<br>どこに行くのか<br>なぜ流れるのだ、と<br>ぼくたちはそれらの問いについて沈黙で答えてきた<br>答えようのない応え<br>まるでジャングルジムの幾何学的な応えだ<br>ぼくたちの沈黙はベンチの形は一つしがないような応えであることを誰もが知っている<br>その愚かさの深さと同様に知っている<br><br><br>
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<pubDate>Mon, 22 Jun 2009 19:17:17 +0900</pubDate>
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<title>山之口貘さん  その９</title>
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<![CDATA[ 松下育男さんが度々引用している『詩人会議』(1980.4)に｢たった一人の詩人｣という一文を寄せているのだが、｢詩を書いている数十年を、たった一人の詩人でいつづけることのむずかしさは、詩に手をそめた者なら、容易に想像がつくことだろうと思う。｣と記している。これは貘さんの『全詩集』を読んで感想なのだが、この指摘は、正鵠をいているとぼくも思う。貘さんの『全詩集』も確かに精読すると、細かな変異はあるのだが、しかしどの詩をとってもやはり貘さんの詩なのだ。そこにあるのが、渡さん流に言えば｢不敵な笑い｣ということなのだが、その｢笑い｣(ヒューモア)と終生変わらなかった｢私は詩人である｣という態度とが通底しながら山之口貘という詩人の特異性はつくられているということになるのだが、その特異性を示す作品｢兄貴の手紙｣をここで紹介しておきたい。もしかしたらその特異性を解くヒントがあるのかもしれない。貘さんの詩は確か思潮社の現代詩文庫に『山之口貘詩集』としてあったと思う。<br><br><br>兄貴の手紙<br><br><br>大きな詩を書け<br>大きな詩を<br>身辺雑記には飽き飽きしたと来た<br>僕はこのんで小さな詩や<br>身辺雑記の詩などを<br>書いているのではないけれど<br>僕の詩よ<br>きこえるか<br>るんぺんあがりのかなしい詩よ<br>自分の着る洋服の一着も買えないで<br>月俸六拾五円のみみっちい詩よ<br>弁天町あぱあとの四畳半にくすぶっていて<br>物音に舞あがっては<br>まごついたりして<br>埃みたいに生きている詩よ<br>兄貴の手紙の言うことがきこえるか<br>大きな詩になれ<br>大きな詩に<br><br><br>第三詩集『鮪に鰯』所収(一人娘の山口泉さんが纏めた遺稿詩集)<br><br>できるだけ現代詩を読む楽しみを伝えたいという当初の思惑通りにいっているのかという不安もある。しかし、この小さな試みが何らかの意義、あるいは一人の人に伝わればと思うばかりです。
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<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 17:06:04 +0900</pubDate>
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<title>レイモンド・カーヴァー</title>
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<![CDATA[ レイモンド・カーヴァーについて、今回は、ちょっと書いておきたい。というのも、入院中に読む本としてカーヴァーの『夜になると鮭は…』(村上春樹訳 中公文庫)があったからだ。カーヴァーとの出会いは、同じ中公文庫で村上春樹訳の『ぼくが電話をかけている場所』だった。ある意味でこの『ぼくが電話をかけている場所』という短編小説は、とても詩的な作品なのだが、本来的にはカーヴァーは、詩人なのではないかと思わせる作家だと思う。そして実際この第二短編集にはそのタイトルとなっている「夜になると鮭は…」という詩を含め四篇の詩が掲載されている。特にお勧めなのは短編小説「二十二歳の父の肖像」だ。P・オースターの『孤独の発明』と比較すると、そこには確かなアメリカの何かの現実が浮かんでくると思うのだが、その何かの浮かび、は、水底から様々な藻を付着させ更には傷んだ(あるいは「痛んだ」)水死体が浮かぶ様をぼくに連想させてしまう。同時に死という抗い難い現実を通しての「存在」ということの不思議さをぼくは丁度鮭が産卵のために産まれた川に遡上することを考えてしまうのだ。鮭が産卵のために遡上するという過程は、死への過程でもあるのだからなのか、あるいはその過程そのものを想起してのことなのかは、わからない。しかしその過程には、様々な藻が付着し、痛みが伴うのではないだろうか？<br>話がかなりズレてしまったが、「二十二歳の父の写真」を紹介しておきたい。<br>二十二歳の父の写真<br><br><br>十月。この湿っぽく落ちつかない<br>  キッチンで、<br>僕は父の居心地の悪そうな<br>  若者の頃の顔を眺めている。<br>羊のような笑みを浮かべ、<br>  片手にひもに吊した<br>すずきを持ち、もう一方の手には<br>  カールスバーグ・ビール。<br>ブルージーンにフランネル・シャツという格好で一九三四年型フォードのフェンダーにもたれ<br>  彼はその勇猛さと強健さを後世に伝えようと試みている。<br>古い帽子を耳がかくれるくらいあみだにかぶったりしている。<br>父はいつも男っぽくありたいと思っていたんだっけな。<br>しかしその目を見れば父の本当の姿がわかる。そして<br>  その両手を見てもだ。<br>それは死んだすずきの口にかけたひもを  弱々しくささげ持ち、<br>ビールの瓶を握っている。父さん、僕は  あなたのことが好きだ。<br>でもなんて言えばいいのかな、僕もやはり酒瓶を<br>  しっかり握れないんだよ。<br>どこに魚を釣りに行けばいいのか<br>  それさえもわからない。
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<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 19:31:33 +0900</pubDate>
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<title>カニバリズムの夜</title>
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<![CDATA[ 以前｢カニバリズムの夜｣という詩を書いたことがあった。手元に原稿がないので、今、紹介はできないのだが、ふと思った。現代こそ、カニバリズムの夜ではないかと。カニバリズムとは、当然のことながら人が人を食するという意である。武田泰淳の作品にも『光苔』というのがあったと思うが、それは極限状況においての実話に基づい作品だったが、今日キャノンの孫下請けにあたる人材派遣会社の人員全員が一斉に解雇されたという。ハローワークは当てにならず、今後の目処は全然立たないという彼の話を聞くと、なんというおぞましい社会かとつくづく思う。メタファーとしてのカニバリズムはもはやシステムとして作動しているのではないか？美しく煌びやかな毒に溢れた社会を後世の人々はなんと表現するのだろう。自殺者予備群のぼくは、年間三万人以上の人が自殺しなければならない国の一つ数字になると思うが、それはまさしくG・ｵｰｴﾙの『１９８４』そのものではないか？
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<pubDate>Fri, 19 Jun 2009 20:35:46 +0900</pubDate>
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<title>木　霊</title>
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<![CDATA[   ｢ベルリンから僕はダグラスで飛んだ。いいお天気でー雲一つなく、破壊の全貌が一望に見おろせた。｣(A・アルブゾーフ『私のかわいそうなマラート』泉三太郎訳)<br><br><br>一<br><br><br>何かが視界に入ると<br>何かが視界から外れる<br>例えば呪われた破壊だって例外ではない<br>いいお天気の下で<br>ぼくの視界の外で<br>絶望と不安に向かって<br>一滴の血を流し続けるかのように<br>気付かず<br>ただいるだけかもしれない<br><br><br>ぼくらには恐怖し続ける眼がない<br>ぼくらには叫び続ける口がない<br>ぼくらには痛み続ける心がない<br>だから<br>いつの間にか<br>一望に見下ろすのではなく<br>消えかかる視界の外にいることだろう<br>たれも見ない<br>熟したトマトのように<br>空中にぶら下がりながら<br><br><br>二<br><br><br>閉ざされた窓のように<br>ぼくらの眼はあったのだろうか<br>震える舌のように<br>ぼくらの眼口はあったのだろうか<br>通り過ぎる冷たい風のように<br>ぼくらの心はあったのだろうか<br>たぶん<br>美しい日々をぼくは生きていない<br>たぶん<br>残酷に過ぎる日々をぼくは見ていない<br>たぶん<br>不安に怯える日々をぼくは感じてはいない<br>しかし<br>見ているのだ<br>しかし<br>聞いているのだ<br>しかし<br>感じているのだ<br>あの不思議な音を<br>あの不安な一点から広がる輪を<br>残酷に生真面目な時間を<br><br><br>三<br><br><br>止まれ  風<br>ぼくはまだ何も見ていない<br>ショーウィンドウの前に<br>無数に響くあらゆる音のなかに<br>原色らしき時代の貧しさとともに<br>帰宅する大勢の足音を遮るように<br>少女の白い帽子を空に漂わせ<br>地があんなにもぼくらに似ているのも<br>馬が狂った荒野を疾走しているのも<br>砕けたガラスに纏い<br>震える蒼さと狂気の重さに<br>耐えかねた死者の悲しみも<br>流れ続ける血の意味さえも<br>たった一つの生きている影さえも<br>何も<br>なにも<br>みていない<br><br><br>２０歳に発行していた『深夜通信』に発表した。今読み返すとバランスが悪いなあと感じいるけれど、基本的なテーマは変わっていないなあとよくも悪くも思う。
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<pubDate>Thu, 18 Jun 2009 15:41:02 +0900</pubDate>
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<title>ちょっと寄り道</title>
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<![CDATA[ さすがに山之口貘さんについて書き続けていると、どうも自分の書いているものは独断と偏見に見えてきしまう。もちろん、ここは｢ぼくの好きな詩人たち｣なのだから、今更独断的といわれても、｢そうだよ｣と答えるのだが、もちろんそれは建て前であって内心冷や汗ものなのだ。もともとは、現代詩って結構面白いじゃないか、というのが目的でもあって、その基準をどこに置くかは、別にしても、なんだ現代詩ってやっぱり面白くないね～！なんてことになったら、こりゃあ現代詩潰しに手を貸しているといわれても、反論出来ないのである。これは困ったことである。嘘を書いているつもりはないにしても、評価が｢面白くない｣のでは、内心｢面白くない｣のである。まあ、それでちょっと寄り道して今後の展開を示しておいて、少しエサを撒いておこうかなと考えてしまったのである。一旦考えてしまったら、どうもそうしないことには気がおさまならないのである…パラノイアもぼくの症状であるらしい。では、ちょっと寄り道の内容をば掻い摘んで紹介したいと思います(おっと｢である調から｢です/ます｣調に呼吸法の転換をしました)。<br>今までは、戦後詩人たちから戦前→戦中という流れで紹介してきました。もちろん、朔太郎や宮沢賢治なんかを書いていませんし、他の重要な詩人たちも網羅していません。これは(朔太郎や宮沢賢治は)意図的に外したのです(補論的に別だてにしたいという当方の勝手な魂胆ですございます)が、他はご要望があればという、都合の良いことを考えています。では、次からですが、戦後以後から1980年代までを(大胆にも)ワンクールに考えています。それから海外詩を好き勝手放題に書いて行こうかなと考えています。ぼくは文学部出身でもありませんし、大学の芸術論なる教養講座には、一度しか出席していません。確かテーマがシラーについてのものだったように思うのですが、一回でそのくだらなさに気が付いてしまったものですから、系統的に書くことが出来ないと思います。ご了承下さいませ。最後に補論的なものを書かせて頂こうかなと考えています(余談ですが、あくまでも勝手気ままというパラノイアに反する性格も持ち合わせていますので、そこのところも含めてヨロシクお願いします)。
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<link>https://ameblo.jp/t992631/entry-10282288233.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2009 16:28:05 +0900</pubDate>
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