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<title>秋山翔雲のエッセイ</title>
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<description>守秘義務を守りながら色々な人々に起こった様々な事、そして私自身の諸相をエッセイとしてＵＰしたいと思います。悩み事を抱えている人は覗いてみて下さい。</description>
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<title>秋山祥雲、久々のブログです。</title>
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<![CDATA[ 　株式会社セーコンというプラスティック成形会社があります。本社は横浜ですが秋田県大仙市の北楢岡に秋田工場と同市神宮寺八石にメディカル工場があります。メディカル工場ではあのニプロの医療機器、点滴のチューブや注射器のプラスティック部分を作っています。<br>この会社のコンプライエンスは非常に問題があります。<br>　今回、小生のブログがしばらく時間を置いたのには理由があります。これには訳があって、非常に難しい事情がありました。<br>　同県同市大曲黒瀬町で飲食店を経営していた田島まさとさんと言う方がいます。田島さんは元大学助教授で、１９９９年に京都大学大学院の研修員を務め、翌２０００年には京都大学教育学部研究生をやった方で、ユング派の教育分析を２００時間以上受けて心理教育相談室や神経科ｸﾘﾆｯｸの心理カウンセラーをする傍ら、厚生労働省の健康運動実践指導者の資格認定に関わり講習会の講師や評価委員をしていました。また、兵庫県に依頼によって脳性麻痺や脳梗塞患者、難病者の水中療法をライフワークとしていました。<br>　２００１年に家庭の事情で京都大学を辞め、娘さん２人と共に実家のある秋田県大仙市に戻りました。しかしハローワークなどに通ってしごとを探しても仕事は見つからず、日中は建設会社の土木作業員、夜は自宅の一部で焼鳥屋をやって中学１年の娘さんと小学４年生の娘さんを為に昼夜働いて２人の娘さんを育てていました。<br>　ある日、焼鳥屋の常連客である医師が来て田島さんにこう言い出しました「老人福祉施設を作りたいのだが既存の物では募集が難しい。何か不可知のある物、特殊なものを実施していかなければ経営は難しい。いろいろな人に相談したところ田島さんに相談した方がいいと言われてきたのだが田島さんは何かそう言う事に関係していたのか？」と聞いたそうです。<br>　田島さんは東京女子体育大学や青山学院大学助手を経て大阪の大学の助教授になり、研究業績を認められて京都大学に移った方で、阪神淡路大震災の後は仮設住宅に住む歩行困難者のプール・リハビリなどをしていました。イギリスのハロウィック水泳療法やスイスの水治療、国内外の水泳療法や水治療を学び、それぞれの一長一短をアレンジメントし、独自のアクア・セラピー（フローティング・エクササイズ）を確立し成果を上げていた事から兵庫県の地方テレビ局・サンテレビに出演し、秋田に帰ってからも自殺ばかりを考えていた脳梗塞患者を４年間で全国障害者スポーツ大会の水泳大会で２種目に優勝し秋田テレビに３回のシリーズで採り上げられたり、９０歳の寝たきり、昼夜逆転の脳梗塞患者を８週間で参歩が出来るようにしたり。筋萎縮性側索硬化症や乳幼児重症ミオクロニーてんかんの女児のアクア・セラピーをしていました。<br>　田島さんを訪ねた医師は田島さんが行ってきた水中療法の映像と論文を見て、自身と株式会社セーコンの今社長が共有している強首温泉の診療所の跡地で高齢者施設を造り、そこで短期宿泊型の施設とプールを備えた施設を造り経営を考えました。<br>　翌日、田島さんはその医師に呼び出され株式会社セーコンの今社長と会う事になりました。今社長は田島さんがこれまでやって来た来た脳<br>梗塞患者や脳梗塞患者、難病者に対する水中療法を聞き「秋田県で一番困っている高齢化や自殺対策に直結する問題だ」言い「秋田県のアイディアを世界に発信しよう」とその場で賛同し「貴方がやっている事は素晴らしい、金はいくらでも出す。是非その水中療法を展開し歩行困難者や寝たきりの人を歩けるようにしよう」と言ったそうです。そこは「ブルーバー」という飲食店で、医師をはじめ製薬会社の社員も同席していたそうです。<br>　その後も「まる八」という飲食店や「庄八」という飲食店、「黒水仙」という飲食店でイトウヨウカドウの重役や秋田県工業技術センターの部長、セーコンの所在地である神宮寺の人たちの前で田島さんを紹介し、ビジョンを話していたそうです。<br>　しかしいくつか条件があって、田島さんに会社を創る事、金融機関に３０００万円ほど融資を受ける事「それが出来たら貴方のやる気と本気を認めよう」ということだったそうです。田島さんは今社長の言葉を信じて知人から投資や融資を受け会社を創設し、商工会や信金を訪ね、信用保証協会付きで市からの融資を受けました。しかし、何ヶ月経っても今社長からの資金援助は無かったそうです。挙げ句の果ては「そんな約束はした覚えはない」と一蹴され、４０００万円に近い負債を抱えてしまったそうです<br>　田島さんは投資してくれた人や融資してくれた人に「詐欺！」「嘘つき！と罵倒され精神的に追いつめられ、とうとう健康を害してしまいしました。今は障害者手帳（２級）を交付され、一生、障害者として生活をしなければならなくなりました。<br>　昔であれば「武士に二言はない」。今でも「男に二言はない」と言う言葉を耳にしますが、株式会社セーコンの　今　東久雄　社長の田島さんに対する約束不履行、口約違反。<br>これは詐欺罪になるのではないでしょうか。<br>　先日、株式会社セーコンの小松という部長に第三者を交えて今社長の口約違反について話し合いのテーブルに着いて欲しいと懇願したらしいのですが、株式会社セーコンの訴訟代理人から、田島さんと株式会社セーコンの間には一切契約した事実はないと紙切れ１枚が届いたのだそうです。株式会社セーコンの　今　東久雄　氏は信用しては行けないという事ですね。田島さんも性善説ではだめですよ！まず生きる事です。生きてさえいれば何とかなります。決して自分で自分の命を絶ってはいけません！！<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ta-003/entry-12067372577.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Aug 2015 07:30:41 +0900</pubDate>
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<title>秋山翔雲のエッセイ</title>
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<![CDATA[ 　６月の４日から７日まで、仙台にいる親戚が私の山荘に４日間滞在した。目的は趣味の写真撮影で、定年退職後カメラで風景写真を撮るのだそうだ。東京都とは違い、田舎住まいの私の家の近くはちょうどその頃新緑の萌え立つ時節だった。<br>　私も久々に仕事から離れて、貸してもらったキャノンの一眼レスを使って好きな写真を撮った。山野草や野に咲く花々を撮っているとそれだけで楽しかった。<br>　何より嬉しかったのは小野リサのアルバムを持ってきてくれたこと、そして私が大好きな渡辺まりが出演する「恋するドライブ」という番組でで放映された小野リサとのＤＶＤをもらったことだった。　　　<br>　渡辺まりは昔から大好きで、彼女の知性、人品、そして声がたまらない。小野リサとのトークがまたいい。おっとりとした小野リサの話口調と頭の回転が速い渡辺まりの掛け合いが何とも言えない。<br>　映像は２人が深大寺そばを食べに行ったところで終わっているが頭が疲れた時にはこのＤＶＤを観るのは最高だ。<br>　小野リサのポルトガル語のボサノバもいいが、私はクレモンティーヌのフランス語のボサノバが最も好きだ。彼女は日本のアニメソングなどをカバーしているがアニメソングではなくて「アーリー・ベスト」というアルバムがいい。奈良女子大学で研究会があった時に、夜、何人かでレストランに行った。その時にフランス語のボサノバが店内に流れていた。店員さんに「これは有線ですか？」と聞いたら「ＣＤです」と言ったので早速買ったのが「アーリー・ベスト」だった。フランス語というのはゆっくり聞くと催眠効果があるのか、脳がここちよくなる。クレモンティーヌのアルバムは何枚かあったが、いつの間にか次々に無くなっていく。たぶん私が「これ、いいからきいてごらん」などと言って貸してしまって返ってこないのだろうう。もったいないことをした。<br>　<br>　いま井上恵三先生から電話が入ったので今日はここで中断します。ごめんなさい。<br>　　
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<link>https://ameblo.jp/ta-003/entry-12047823139.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Jul 2015 03:54:39 +0900</pubDate>
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<title>秋山祥雲  沖縄の民話</title>
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<![CDATA[ By Folktales of Okinawa <br>Bank of the Ryukyus International Foundation Naha Okinawa Japan<br><br><br>THE GOLDEN BIRD<br><br>Long ago on the island of Miyako,there lived an old man who was a hunter and very skillful with a bow and arrow.One day ,the old man was up in the mountains hunting for game.On this particular day,he could not get anything.not even one wild bird.He went further into the mountains and when he reached a certain spot.he saw a beautiful golden bird on the branch of a tree.Since the bird was so beautiful and stood there watching the bird.<br>    The bird looked at the old hunter and called out to him. The hunter was surprised to see the bird was talking to him.<br>    "if you promise me you will never hunt bird on this mountain again. I will reward you with whatever you desire," the bird said. "So what do you say,old man?" <br>    The old man stood there with his mouth hanging open and after he regained his composure, thought over what the bird said. Finally, he thought of his grumbling old wife. She always complained that the house they lived was a shack and kept saying she wanted a nicer house. The old man, gentle and kind ,thought he could grant her wish right now.<br>    "Here's my wish.Could you give me and my wife a fine house?'"<br>    The bird nodded its head promised the old man a mansion.The old man promised not to hunt bird on the mountain, thanked the bird ,then walked home. When he reached his house. he saw a handsomely built mansion on the same spot. He couldn't believe his eyes and rubbed them. As he walked inside, he marvelled at the high ceilings and large size of the rooms.<br>    "Wife, where are you?" He called out.<br>    "You came back! I'm over here!"<br>    The old man continued walking and found his wife sitting on a brand new tatami mat in the middle of a big room with one wall of shiny gold, called a fusuma. The old man asked her what happened.<br>    "These carpenters came knocking at the door and asked about the mansion I've always wanted. I didn't dare ask why, so I told them to make it look like a castle, And they did."<br>----to be continue.<br><br><br><br><br>   <br>
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<link>https://ameblo.jp/ta-003/entry-12046723078.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jul 2015 01:23:53 +0900</pubDate>
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<title>秋山翔雲のエッセイ　２０１５．７．４</title>
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<![CDATA[ 　人間も７０歳を過ぎるとほとんど終わりかなと思っていたが、これがなかなか面白いもので、若い人にはわからないでしょうけど７０歳からの人生もすてたものじゃあないですネ。<br>　今日、井上恵三と言う元プロスキーヤーに電話をしたら、昨日のお祭りでビールとハイボールを飲んだ上にニッカウイスキーのボトルを半分も飲んで、もう今日はへべれけだと言っていた。<br>　井上先生は私のスキーの師匠ですが、７６歳の年を考えたら、いくら何でも飲みすぎでしょう。支障をきたしたらどうするんですか、と私は言いたい。<br>　元プロスキーヤーと言いましたが、この人は日本のプロスキー界を立ち上げたひとりです。大学１年（１８歳）でインカレ優勝。スこーバレーもプレオリンピック出場。大学２年の時はインカレ２位。日大を卒業後、園部勝氏と日本職業スキー指導者連盟（SIA）を創り競技スキーヤーの育成とスキースポーツの指導と普及の最前線にいた方です。テレビなどでは三浦雄一郎さんなんかが有名ですが三浦さんは途中で冒険スキーヤーになって富士山やエベレストで滑降をしたりしました。８０歳でのエベレスト登頂は並大抵のことではないことは私などが敢えて言うことでもないですが…。<br>　話しが脇道にそれましたが、その井上恵三氏がいま取り組んでるのが他に類を見ないスキーの指導書なんです。<br>　私が弟子入りしてから何十年になるかははっきりとは覚えていないのですが。どこかのスキー場でグループレッスンをしている時に、リフトの上からジロジロと私を見ていた人がいました。こちらも誰だろう？と気になっていたんですが「井上先生！井上先生！」と私を見て叫ぶんです。あーっ思い出した。あの人は東京都スキー連盟の専門員で私が準指導員を受験した時に私を落とした人だ。どうしよう？！ま、とりあえず私を井上恵三と間違えてくれているのだから、そう言うことにしとこうっ。３度目の何とやら、またリフトから「井上先生！」と声をかけられたので「おう、元気かい？」と言うと「ホテルはどちらにお泊まりですか？」というので「○△□♪＄」と言って「じゃあねー」と言ってお客さんとホテルに帰りました。<br>　スキーの後の温泉って言うのはいいですね。湯上がりにビールを頼もうとフロントに行ったら何やらホテルのスタッフが騒がしい。「そうしたの？」と聞くと「さきほど、東京都スキー連盟の人が来て、ここに井上恵三先生が泊まっているはずだっていうんです。でも、そう言うお方は宿泊されていませんと何度言っても聞き入れてもらえなくてお酒を２升置いて行かれまして、どうしたものか困っていたところです」という話し。定宿でしたから、女将さんに目配せをして「あっ、それ私です」とフロントの人に言って２升ゲット！夕ご飯の時にお客さんと美味しく頂きました。滑りはとうてい師匠にかなうはずもなく、でも私は井上恵三氏の声色、しゃべり方、立ち居振る舞い。すべて真似をしました。だからスキー学校に電話が来ると「はい、井上！おー、どうしてる。そうかい、ちょっと待ってくれ」と言いながら何度、二階の校長部屋へ取り次いだかわからない。<br>　井上恵三氏のスキー技術、スキー理論、そして彼のインストラクションは、私の知りうる日本のスキー指導者の中では追従を許さない。彼はマイネルのスポーツ運動学やフッサール、ボイテンデイクなどの哲学から始まりユング、アドラーの心理学、形而上学、コーラン、宗教学にも精通している。なまなかな学者先生でも歯が立たないのである。<br>　これは井上恵三氏本人からの願いで「ぜひ俺の自伝を書いてくれ」と言うことから始まったが、「自伝」を言うのはそもそも自分が書く物であって他人が書く物ではない。ゆえに<br>わたしは「井上恵三人物伝」としてならば書けますよ！と言ったところ「それでいい」と言うことになったので、私のエッセイの何カ所かに私の知っている限りの井上恵三氏の話しをアップしようと思っている。<br>　先ほどの日本酒２升の話しもそうですが、リフト小屋の親父さんからも井上恵三氏に間違われたことがあります。その事を師匠に話したら「ばっきゃーろー（バカ野郎）俺はお前みたいな下手くそじゃねーやーい、その２升返せ（激怒）」でした。<br>
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<pubDate>Sat, 04 Jul 2015 20:39:01 +0900</pubDate>
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<title>秋山翔雲のエッセイ　</title>
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<![CDATA[ 三つの坂<br><br>　世の中には上り坂、下り坂、まさか、という三つの坂があると言いますがAさんの場合は並大抵の「さか」ではなかったですね。「性善説」と「性悪説」がありますが、この方の場合は、母親から「情けは人のためならず」「功徳を尽くせ」と教えられて育ったせでしょうか、人を疑うと言うことを知らない方でした。困っている人を助けては裏切られてばかりで、お人好しというか何というか…。<br>　大学の先生だったんですが、娘さん２人を守るために職を捨てて第２の人生を始めた人でした。今はどこで何をされているのか、平成１２年頃までは連絡も取れていたのですがいつの間にか携帯の番号が変わっていて連絡の取りようもない。教員生活の最後の２年間は京都大学に籍を置いていたはずです。<br>　いろいろな学会に入っていたんですが、どの学会に問い合わせても所在はわからないままです。<br>　そう言えば東日本大震災の時に、一時期「災害ボランティアのＴさん」というタイトルでヤフーのトップページに載っていたあの人ではなかったのかなあと思っています。<br><br>日本一高い散髪代<br><br>　「お受験」と言う言葉がいつごろ世の中に定着したのか私は解りませんが、すいぶん小さい子どもさんから「進学塾」に通わされて、家にいても「勉強しろ」「勉強しろ」の毎日を送っていたＧ子ちゃん。ストレスからチック症になり、こころのバランスがとれなくなりました。<br>その子のお父さんという人が子どもが大好きで、そのお父さんはことある事に勉強を強いる奥さんと闘っていたみたいです。が、ついにある日Ｇ子ちゃんが臨界をこえてしまいました。<br>進学する学校から面接の案内が来て「前髪程度は揃えて下さい」と書いてあったそうです。母親はＧ子ちゃんを近くの理容室に連れて行って髪を切ったのですが、昔の「おかっぱ頭」になって家に帰ってきました。Ｇ子ちゃんは鏡の前で呆然としていて、妹のＭ子ちゃんが「お父さん、おねいちゃんがおかしい！！」と、お父さんに言って、Ｇ子ちゃんがいる部屋に行って「どうした？」と聞くと「前髪程度は揃えてって書いていたのに、お母さんがこんな髪型にされてしまったー！」と号泣したのだそうです。<br>　Ｇ子ちゃんは学校では全校集会の司会者をしていて、後輩の女の子からＧ子さんの髪型がステキだと憧れられる存在だったそうです。なのに、「こんな髪型にされてしまったー！！私、もう学校に行きたくない。電車にも乗りたくない。外にも出たくない。もう受験なんかいやだー」<br>　お父さんはお母さんを呼んで「子どもの心をめちゃくちゃにしてまでも私立の中学に入れなきゃ行けないのか？見て見ろＧ子を」と怒りました。するとお母さんは「そんなことぐらいで大げさな」と、まったく気にもとめなかった。公立の中学は「在日の子」がいてガラが悪い。だから私立に中学に入れる。と言うのが母親の言い分だったそうです。その母親は大学の先生で「人権問題委員会」のメンバーで、むしろそのような「人権」に関しては逆の立場にいなければならない方でした。<br>　お父さんはついに堪忍袋の緒を切りました。そしてＧ子ちゃんに「この髪型で、おまえの気に入るような髪型にするとしたらどうしたらいいんだ？」と聞いたそうです。するとＧ子ちゃんは「あのね、お父さんの家の近くのサクラ理容室に行ったら私の気に入った髪型にしてくれる」と言ったそうです。<br>　その日は金曜日、お父さんは地方の出身で、行くとしたら飛行機で往復しなければなりません。お父さんは早速飛行機の予約をして、次の日の土曜にお父さんの実家に向かいました。途中途中でＧ子ちゃんは「空って青かったんだね。曇って白かったんだね」と言ったそうです。お父さんは心が破れそうになったと言います。<br>　さて、飛行機に乗って空港に着き、タクシーと電車を乗り継いだ２人は父さんの実家に着きました。その時お父さんの財布には１００円玉が１個だったそうです。２人は顔を見合わせて笑ったそうです。<br>　Ｇ子ちゃんはすぐにおばあちゃんに連れられてサクラ理容室に行きました。１時間ほどしたらＧ子ちゃんとおばあちゃんが２人で歌を歌いながら帰ってきました。明るい、いつものＧ子に戻っていたそうです。<br>　次の日、日曜日、Ｇ子ちゃんとお父さんは飛行機で帰りました。空港からタクシーで家に戻った時、タクシーのおつりが１００円玉１個、２人は「また１００円玉１個だ」と大笑いしたそうです。飛行機の往復、タクシー代、散髪代、計約８万円。「日本一高い散髪代だったね」とＧ子ちゃんが言ったそうです。でもお父さんは「なあに、お前の心のことを考えたら、それぐらい大したことじゃない」と言ったのだそうです。Ｇ子ちゃん「こころ」は生き返ったのでした。<br>　後日、Ｇ子ちゃんは私立の中学校に合格したのですが、入学はせず、Ｍ子ちゃとお父さんの３人で家を出て、お父さんの田舎で住むことになりました。調停裁判も１ねんで終わり、お父さんが「子の看護権」を取ったのだそうです。言うなれば、Ｇ子ちゃんに対する虐待と、それを見ながらビクビクした生活をしなければならなかったＭ子ちゃんの心の声が裁判官に届いたのでしょう。<br>　それからの３人の生活は一変しました。Ｇ子ちゃんはもうすぐ３０才？Ｍ子ちゃんは２７～２８才かな？<br>　お父さんはどうしてるのかなあ。何せ子どもが大好きな方でしたから、今頃は孫の子守でもしているんでしょうか。お元気ならいいんですが…。<br><br>次回は「鼻くそは黙ってろ！」か「ウォシュレットが止まらない」について書く予定です。<br>　<br>　<br>
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<pubDate>Mon, 08 Jun 2015 20:29:49 +0900</pubDate>
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<title>2015.03.31 秋山翔雲のエッセイ</title>
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<![CDATA[ 　明日から、って言うか、あと３０分で４月１日。<br>エイプリルフールですですねえ。何かネタ考えないとナー…っと思いながら<br>パソコンの配線なんかいじっていたら、もう０時４０分。<br>　ところで、千代田区の南九段に鮨処「きよし」って言うお寿司屋さんが<br>あるんですが、強そうな板さんと優しそうな大将、そして女優の池内淳子さんに<br>そっくりの女将さんが美味しいお寿司とおもてなしをしてくれます。<br>アッ、これはエイプリルフールじゃなくてです。<br>　行きたいんだけど、なかなか行けない。<br>どちらかというと私は中央線で新宿よりも西側、中野～吉祥寺～立川辺りを<br>飲み歩いてるんです。六本木なんかに行ったら迷子（？）になるやら目が回るやら。<br>この頃は賑やかな居酒屋さんじゃなく、静かで落ち着いた、ゆっくりできる<br>お店に足が向きます。もちろん味の方も上でなくちゃいけません。<br>なんかお腹が減ってきたので近所のラーメン屋さんに行ってきます。<br><br>訂正：前回の記事で諸相って載せましたけど正しくは「諸想」です。<br>　
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<link>https://ameblo.jp/ta-003/entry-12008679092.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Apr 2015 00:37:29 +0900</pubDate>
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<title>20150326 スタート</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#000000">こんにちは。</font></p><br><br><br><p>今日からブログを始めました、秋山翔雲(僧のようで僧でもない)です。</p><br><br><br><p>何だかんだ言いながら２０年近くカウンセリングをしています。<br><br></p><br><p>日常の事なんかを徒然と書いていきますので、よろしくお願いしまーす。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ta-003/entry-12006435649.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Mar 2015 19:21:07 +0900</pubDate>
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