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<title>tadano-obasannのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/</link>
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<description>私の考えることを淡々と・・・。聖書の超私的解釈！なので違うよなんて言わないでね♡卵が先か鶏が先か的なことは、まず気づく事から始めよう！</description>
<language>ja</language>
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<title>長老に逆証言</title>
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<![CDATA[ <p>一月ほど前、ある長老からの着信履歴がありました。<br><br>JW在籍中、エホバに対する気持ちが本当に純粋なこの方の祈りを聞くのが好きでした。<br><br>そして、この方の、純粋ゆえの単刀直入な言葉で背中を押されて、伝道者、バプテスマと決心していったとも記憶しています。<br><br>？？？断絶したのになぜだろう？？？<br><br>いぶかしく思ったので一度はスルーしていました。<br><br>でも、また来ました。<br><br>断絶間際に、メンテ関係の人を紹介したのでその件のお話かもしれないと、今回はなぜか掛けなおしてみる気になりました。<br><br><br><br><span style="color:#80003f;">わたし「兄弟、お元気でしたか？」</span><br><br><span style="color:#004920;">兄弟「まぁまぁ元気にやってますよ。」</span><br><br><span style="color:#80003f;">わたし「どんなご用事だったのでしょう？と思って掛けました。」</span><br><br><span style="color:#004920;">兄弟「ああ、間違って違う人に掛けたつもりつもりでした。」</span><br><br><span style="color:#80003f;">わたし「そうでしたか…。兄弟！わたし今幸せなんですよ。エホバに祝福をもらったとも思っているんです。断絶をきっかけにとても良い状況になったものですから…。」</span><br><br><span style="color:#004920;">兄弟「でも、終わりの日にはお世話を受けないといけないから。」</span><br><br><span style="color:#80003f;">わたし「兄弟！わたしはいまでも聖書を信じていますよ！でも、わたしは組織を疑ったんです！！」<br><br>「司会者姉妹に死んだらどうなるんですか？と聞いた時、エネルギーになってエホバのもとに戻ると教えてくれました。ですから、死んでも大丈夫です。エホバに、自分は自分の思う通りに生きました、と胸を張って言えるので、死んでも大丈夫です。」<br><br>「兄弟、わたしは断絶したんです。ですから、どうぞ番号は削除なさってくださいね。」<br><br>「それでは、お元気で。」</span><br><br><br>わたしは、資料を提出して辞めましたから、疑う理由は十分ご存知のはずです。<br><br><br>兄弟は今はどのようにお過ごしだったのでしょう？<br>少し、元気が無さそうにも感じました。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12415924659.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 10:14:14 +0900</pubDate>
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<title>ありがとうTab2</title>
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<![CDATA[ <p>わたしのタブレットは８GBのAndroid。こうして、ブログを書いたり読んだりそのほかにもいろいろ、よく働いてくれています。<br><br>JWにいた頃、わたしがバプテスマ受けた１年半後位から、紙からタブレット推奨になり、その頃は、若い兄弟に中高年の姉妹たちが群がって頻繁にipad教室が開かれていました。<br><br>ipadは高価だし、わたしには組織がアップル推奨でそれでなくちゃいけない雰囲気に密かな反抗心があったのかもしれない。<br><br>こんなことから持つ気もなかったタブレットだったけど、Androidへの対応も始まった頃、キャンペーン販売員にたまたま声を掛けられて格安でこのタブレットを持つことになりました。<br><br>ひょんなことからわたしのところに来たタブレット。まさか、それがきっかけで組織の嘘を知り、断絶を選ぶことになるとは…。<br><br>でも今は、この未来を得るために与えられたのかも？と思っていますけどね😉<br><br><br><br>さてさて、話は変わってこのタブレット、よく働いてくれたのですが、OSはAndroid5.02、少し古くなってしまってアプリを選ぼうにも「あなたの端末には最適化されません」なんてけんもほろろなことを言われることが多くなってきました。<br><br>それに、「メモリが足りません」とよく言われるし、もう削るアプリも見当たらなくなりました。<br><br>もう、Tab2、いっぱいいっぱいなのね。ご苦労さん！<br>少し肩の荷おろして、アンインストールしたらおしまいのアプリのためだけにもう少し頑張ってね。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12415921601.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 09:58:53 +0900</pubDate>
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<title>祈りは叶っていた</title>
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<![CDATA[ <p>不思議なんです。<br><br>昨日読ませていただいて、今日確かこの言葉が書いてあったと思ったブログ、探したのですが見つからないのです。<br><br>それは、「願いと祈りは違う。願いは、裏に到底叶わない思いが隠れているから叶わないけれど、祈りは違うから叶う」と。<br><br><br><br><br>この言葉から、自分の<a href="https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12408350608.html" target="_blank">前記事</a>を思い出して、そういえば奥様への気持ちを最初「願って」と書いたのに、最後は「幸せを祈る」と書いていたなとか…考えていました。<br><br>そうしたらちょうどその時、その奥様からご主人のお留守中の話し相手に、お茶のお誘いがありました。<br><br><br>喜んでおじゃましたら、とても元気な様子で衣類の整理を始めて生き生きしているご様子。<br><br>色々話しているうちに、ご主人に「あなたの脳も調べてもらったらいいのに！」と言ったの、とおっしゃる。<br><br><br>奥様がよく忘れるようになったとか、脳の検査をするなどということはご主人がわざわざ言っていたことなので、わたしは奥様の心と同化して、<a href="https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12368048582.html" target="_blank">虫の心</a>に書いた気持ちをなぞられたような気がしていました。<br><br>奥様には、控えめに「それくらい言っても良いと思いますよ」と答えていましたが、心では拍手〜、よくぞ言ってくださいました。<br><br><br>祈りは超高速で叶って、ほのぼのとうれしい気持ちの一日でした💓</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>祈りは叶うんですよ～<img alt="ウインク" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png" width="24"><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12409289609.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Oct 2018 11:14:17 +0900</pubDate>
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<title>他人の生き方に関わることは出来ない</title>
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<![CDATA[ <p><iframe class="reblogCard" data-ameba-id="viva-bashar" data-entry-id="12408276364" frameborder="0" height="234px" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" scrolling="no" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/viva-bashar/entry-12408276364.html?reblogAmebaId=tadano-obasann" width="100%"></iframe>時間が経ってしまいましたが、<a href="https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12395327067.html" target="_blank">前記事</a>で書いたご夫婦の後日談です。<br><br>わたしはやっぱり奥様には元気でいて欲しくて、たまたま「自分で出来る免疫の上げ方」という記事をみつけたので、コピーして届けに数日後訪問しました。<br><br>いつも、お二人で歓待してくださるのがうれしいです。<br><br>でも、歓談しながら体の状態の話になったとき、少し前から聞いてはいたことですが、忘れることが多くなったため病院で認知の検査をしたそう…。<br>わたしはこの状態になったのは何度も何度も抗がん剤投を受けたせいもあるのでは？と思いました。<br><br>奥様は、抗がん剤はしばらく休ませてもらうことにしたそうで、がんとの兼ね合いもあるけれど、わたしは少しホッとしました。<br><br>奥様にはこれからは笑って過ごしてほしいと願って、元気なときは趣味の多い人でしたから「今、何をしたら楽しいと思いますか？」と問いかけました。<br><br>答えは、「人に会いたい！」でした。<br><br>それを聞いて わたしの頭にピコン💡。<br><br>わたしの家の近くにある小規模介護施設で、７０歳から８０歳代の方の集まる会があることを、少し前に親戚から聞いていたからでした。<br><br>参加するという気持ちを確かめて、親戚、施設に連絡を取り手配出来ました。<br><br>そして、初参加の日、わたしも馴染むまではご一緒のつもりで行きました。<br><br>会は２部構成。ふまねっと体操とお茶会で、奥様は「病気で震災後７年も引きこもっていたの」と、隣の人に話せるくらい打ち解けた様子で周りも嬉しくなるような満面の笑顔でした。<br><br>良かった〜！と思っていたら、人の気持ちは難しいものですね。<br><br>「とっても楽しかったよ〜！」と言いながら、次回を「迷惑かけるから」と暗い声で断りの電話。<br><br>会いに行って「迷惑だなんて思ってないですよ！」と言っても結果は同じ。<br><br>笑って楽しく過ごす時間になればと動いたことでしたが、Ｙさんの今の状態には負担だったかもしれません。<br><br>もう、わたしにできることは、奥様の幸せを祈ることや、ときどき話をしに行くことくらいでしょうか？出来る範囲で…。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#004920;">マタイ18：3，4，5<br>あなた方に真実に言いますが、身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。それゆえ、だれでもこの幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大な者なのです。そして、だれでも、わたしの名によってこのような幼子一人を迎える者は、わたしをも迎えるのです。</span><br><br>いろいろな意味でこの聖句が浮かびます。<br><br>奥様には自分を生きてほしいな。<br>そして、わたしはそうしようと思います。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12408350608.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Sep 2018 12:07:19 +0900</pubDate>
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<title>命を見つめて欲しい</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは😄<br>更新が滞っていましたのに毎日数人でもアクセスしてくださり、本当にありがとうございます。<br><br>さて、4月から書いておりませんでしたが、実は実生活で、あるアドバイスをもらい、それがちょうど一年前のブログデビューの日とぴったり同じだったこと、それとネタがなくなってきたこと、スラスラと書けないもので生活を圧迫してきたことなどで潮時かなという気持ちになって、長期の休みになっておりました。<br><br>もし、楽しみにしてくださっている方がおられましたなら、長いことごめんなさい。<br><br>さて、そのアドバイスというのは、はじめの頃からの読者の方々はご存知と思いますが、昔、わたしは乳がんを患い、ある健康食品と出会い、それを扱う代理店からいろいろな病気のことや、健康について考え方から教えてもらいました。<br><br>はじめは、JW断絶から始まったブログですが、わたしにとっては聖書も健康も「命」というものでつながっていて切り離せず、教えてもらったことや、自分のことを書くことから実際の健康食品についても触れてきました。<br><br>しかし、薬事法というものがありまして、SNSに載せることは難しく危ないと…。<br><br>知ってほしいという思いだけだったのですが、代理店は対面で寄り添う営業を目指しているのでそれに沿うために、関連記事は削除しました。<br><br>私事で迷惑をかけ大切なものが無くなるのが一番怖いので…。<br><br>ちょっと話が長くなってしまいました。<br><br><br><br><br><br>今日の記事は、わたしの友人の老夫婦のことです。<br><br>昔、洋裁の仕事のお客さんとして知り合って、時々お邪魔してはお話好きな奥様の思い出話を聞いたり、ご主人の博学の一旦を聞かせていただく間柄です。<br><br>わたしを気に入ってくれて、いつも歓待してくださる大好きな方々です。<br><br><br><br>長いお付き合いの中で、震災後の大きなストレスからか奥様にがんが発病してしまいました。<br><br>震災を挟んで会わないでいる間に手術を受けたそうです。<br><br>そのとき私の経験を話し、健康食品を勧め、免疫についても話してきました。<br><br>ご主人には安保徹先生の本も読んでいただき、今の医療でのがん治療は免疫を落とすこともお知らせしてきました。<br><br>しかし、なぜかお二人にはベールが掛かっているように心に響いていないような感じがありました。<br><br>奥様は、ずっと抗がん剤を続けて、そのたびに髪が抜けてしまい<br>ます。そして、受けたばかりのときはひどく疲れるそうです。<br><br>一度は抗がん剤をやめたいと思ったものの、看護婦さんに説得されご主人を一人残して逝けないからと続けることに…。<br><br>とてもおしゃれな奥様、もう慣れてしまったようにされているけれど、意識しないところではどうだろうと思うと心が痛みます。<br><br><br>先日、奥様は白血球減少（免疫が下がりすぎ）のため、抗がん剤が出来なくなったと、どうしたら免疫を上げることができるかと、わたしに連絡が来ました。<br><br>やはり、今まで話してきたことは心でキャッチしてはいなかったのです。<br><br><br>よくあることとして、旦那さんが病気になったときは助かることが多いが、奥さんが病気になったときは助からないことが往々にしてあると聞いています。<br><br>聖書からあるあるの理由を知りました。<br><br><span style="color:#0000ff;">夫は自分の体のように妻を愛すべきです。（エフェソス5：28）</span><br><br>そうしないものだから、わざわざこう書かれている？<br><br><span style="color:#cc0000;">女に対してはこう言われた「……あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり、……」（創世記3：16）</span><br><br>妻は全身全霊で夫を助けようとします。これはよく見聞きしますから。<br>（まっ、例外もあるとは思いますが…。）<br><br>このご主人も、健康食品の説明には加わらず、持っている知識を使わず、奥様の喜ぶことにも意識なく、ご自分の健康法を奥様にもという感じでした。<br><br>抗がん剤で弱った体には酷というものです。<br><br>でもご主人は、洗濯など家事を率先してしてくれるそうです。<br>奥様は旦那様に悪い悪いとおっしゃる。「ありがとう」が良いとおもうのだけど。<br><br>わたしはもっと、お互いに側にある命を見つめて欲しいと思います。<br><br>夫婦関係に他人が割っては入れませんけど…。<br><br>こんなふうにして至った際どい状況に、わたしはご主人に対して言わせていただきました。「ずっと、免疫についてはお話してきましたよ。どれくらい長く奥様と一緒にいたいと思っているのですか？」と…。<br><br>大切なものを無くさないように、大切だと気づいて欲しいです。<br><br><br>わたしの主人も、わたしはどんなことをしても居なくならないと思っていたと思います。大切さを認めたくなかったとも言えるかな？<br><br>それで、わたしも自分のこと、主人のこと、深く深く考えて、行動して、それを認めてもらって、今の幸せな生活が出来るようになりました。<br><br>ひとりひとりが自分の命、側にいる命を見つめて幸せを追求するなら、きっとそんな未来になると思うのです。<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12395327067.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Aug 2018 15:45:01 +0900</pubDate>
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<title>リブログあり、虫の心</title>
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<![CDATA[ <p><br>「一寸の虫にも五分の魂」<br>皆さんは、この言葉からどんな印象を受けますか？<br><br>きっと、虫（人）本人や、取り巻く側など立場によってはそれぞれ受ける印象は、微妙にニュアンスは違ってくるように思います。<br><br>少し前のことですが、他の方のブログを読ませていただいていて、そこのコメント欄に、「このことばは弱い人の強がりに聞こえる」という一文がありました。<br>なんかコメントされた方の立ち位置が想像されて、虫の立場を経験したわたしにとっては、チクリと心が反応してしまいました。<br><br><br><br>昨今、パワハラ被害が公にされていますが、このことは、人の心が為せる業と思うし、どこでも起こり得ること、そしてひとりひとりがもっと身近に考えるべきことと思います。<br><br><br>今年になってからの番組でしたか、あさイチでパワハラ被害を取り上げたことがありました。<br><br>被害を受けていた主婦たちと、その旦那さん方がそれぞれ覆面で話をしている中、あるご主人は「そんなふうに感じているとは思わなかった。二人は一心同体と思っていたから.... 」と言いました。<br><br>え〜！！、主人と同じこと言ってる〜！！！<br><br>昔、公の場で喪主の妻としての立場を無しにするとき、私原因ではなく自分の立場と周りに配慮して、主人は言いました。<br><br>「一心同体だ。お前はおれの影だから、表にでるな。」... と。<br>わたしは、とても苦い、苦しい思いを持ったことを覚えています。<br><br>義父の介護や、震災時の仕事の手伝い、それ以外でもこの苦い思いは目一杯頑張っているときに味わうことが多く、傷も深かったように思います。もう、熟年離婚の原因がいっぱーい！<br><br>そうして意識してない思いがたまっていた時に、エホバに誘われたんですね、きっと。<br><br>エホバの証人になる理由はいろいろでしょうが、入って出たことは、わたしにとっては、聖書を学んで意識していない思いを探す、五分の魂を知る旅だったように感じます。<br><br>心と裏腹な組織のおかげで、深く考えるきっかけをもらいましたし。<br><br>自分を掘り下げる内に、いつしか主人の心にも思いを馳せるようになりました。<br><br>主人は中学生の頃を思い出せないと言います。<br>&nbsp;</p><p>娘の同級生で、ある姉妹の息子さんもそう言ったそうで、わたしの娘だけを鮮烈に覚えているのだそうです。（この息子さん、大学生のときバプテスマ受けたそう <img alt="ガーン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png" width="24">）<br><br>多感な時代を思い出せない人の心を思うと、その時どれだけ心を殺さなくてはいけなかったのかと思いました。きっと、心に包帯を幾重にも巻いてきたのだろうな.... と。<br><br>自分の魂に幾重にも衣を着せて心を感じなようにしている人は、他人の魂にも気づかないように思います。<br><br>でも、自分の魂を精一杯叫んで行動する人はどうでしょう？<br><br>イエスはそういう人々を癒やされたのです。<br><br>マタイ9：2<br>すると、見よ、人々がまひした人を寝床に寝かせたまま運んで来るのであった。<span style="font-weight:bold;">彼らの信仰を見て</span>、イエスはそのまひした人に言われた、「子供よ、勇気を出しなさい。あなたの罪は許されています。」<br>&nbsp;</p><p>マタイ9：20、21、22<br>すると、見よ、十二年のあいだ血の流出に悩む女が後ろに寄ってきて、彼の外衣の房べりに触った。彼女は、「あの方の外衣に触るだけで、わたしはよくなる」と、自分に言いつづけていたのである。イエスは振り向き、彼女に気づいて言われた、「娘よ、勇気を出しなさい。<span style="font-weight:bold;">あなたの信仰があなたをよくならせました</span>」。そして、その時以来、女はよくなったのである。<br><br><br><br>わたしは主人が心を感じてくれないことが不思議でしたが、自分は知ってもらう努力をしてきただろうか？と自問しました。<br><br>自分が素直に感じた心を叫んではいなかったことに気が付いて、ありがとう、ごめんなさい、何でそんなこと言う？気分悪い！とか、感じたことを説明するって面倒くさいことですが、まあ、感じるのはお互い様でしょ！と表すことにしてきました。<br><br>結果オーライでしたよ。お互いに心を話し合えるようになって、ええ、いい感じ！！<br><br>イエスは小さい者でありなさいと説きます。<br>それは一人一人が虫の立場になって、自分の魂を知ることと同じと、わたしは思うのです。そうすれば、世の中にセクハラや、パワハラ、イジメ問題は無くなるかも。<br><br>これは、ひとりひとりの心、ひとりひとりの魂の問題。<br><br>言いたいことがそのままの記事がありました。リブログさせていただきます。ありがとうございました。<br><iframe class="reblogCard" data-ameba-id="viva-bashar" data-entry-id="12367939554" frameborder="0" height="234px" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" scrolling="no" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/viva-bashar/entry-12367939554.html?reblogAmebaId=tadano-obasann" width="100%"></iframe></p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12368048582.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Apr 2018 13:17:29 +0900</pubDate>
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<title>絹のやさしさと見えない世界（健康⑫）</title>
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<![CDATA[ <p>随分前のこと、樹木希林さんが徹子の部屋に出演なさっていたときのこと、その頃はもうご自分がガンを患っていることを公表されていたのですが、こうおっしゃっていたんですね。<br><br>「わたしねぇ、もう着るものは絹しか受け付けなくなっていましてねぇ....。」<br><br>それがとても印象に残っていました。<br><br>そのずーっとあとに、たまたま「冷え取り健康法」という本買っちゃったのですが、これは絹の靴下の上に綿かウールの靴下、そのまた上に絹の靴下と何枚も履き重ねる健康法でした。<br><br>「冷え取り健康法」は、ベッキーさんが徹子の部屋でも説明されてて、１０枚も履いててそれが体にとても良かったそう。<br><br>年齢も上がってくると夜トイレに起きることも多くなりますが、わたしはその当時４枚で試してみて、夜中のトイレは見事になくなりました。<img alt="チョキ" draggable="false" height="16" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" width="16"><br><br><br>その本には「絹」は体の毒素を除いて、そのあかつきには破れると書いてあったりして、そんなこんなからわたしに疑問がわきました。<br><br>なんでガンを患った身体が絹しか受け付けないの？<br>絹が体の弱った人に特別なのはなぜ？<br>絹に体の毒素を除く力なんてあるの？<br>どうして絹をはじめ天然素材は体を良くするのに役立つの？<br><br>わたしは絹と天然素材に興味津々でした。<br><br><br>急に話が飛びますが、<br>皆さんは、雷と土砂降りのときのマイナスイオンが半端ないほどの量だとごぞんじですか？<br><br>だからか、雷の多い年は稲が豊作になると言われていますし、冷たいシャワーでの飛沫がマイナスイオンを発生するとも聞きます。<br><br>そんな事を考えながら冷たいシャワーで風呂掃除をしていたら、絹と天然素材のイオンを知りたくなりました。<br><br>これから書くことは、ちょっとだけ科学好きの変なおばさんの妄想かもしれないので、間違っていたらごめんなさい。<br><br><br>それでネットで繊維の電位を調べてみました。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180319/15/tadano-obasann/70/06/j/o0960160014152681080.jpg"><img alt="" height="700" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180319/15/tadano-obasann/70/06/j/o0960160014152681080.jpg" width="420"></a><br>見て分かる通り、天然繊維は人の皮膚と同じ電位側にあります。<br><br>そして、化学繊維はまったく反対の電位側にあります。<br><br><br>そこで、私の仮説ですが、電位が同じ側ならイオンのやり取りが無くて体に負担を与えないのかもしれない。<br><br>また、電位が反対ならプラスイオンマイナスイオンのやり取りがあって、奪うのか多く背負わすのかはわからないけど、弱った体には負担に思うほどの見えない何かが起きるのでは？と考えました。<br><br>イオンは見えないものですが、厳然と存在します。<br><br>いまテレビでもよく放送されますが、台所のお掃除などに重曹を使うのもイオンを上手く使う方法です。<br><br>汚れに重曹を使ってプラスイオンとマイナスイオンを反応させ、プラマイゼロにすると汚れは簡単に落とせるのです。<br><br>昔、ボディソープのCMで、「弱酸性が肌に優しい」と謳っていましたが、イオンを知って嘘に近いんじゃないかなと感じました。<br><br>弱アルカリ性の石鹸で洗うから、プラマイゼロになって垢が落ちて次の新しい皮膚が出てこれると思うのです。<br>よかったらお試しあれ。わたしは長年、自作石鹸派で肌ツルツルです。<br><br>さて、絹の話に戻りますが、天然繊維の中でも絹が特別な理由。<br>JW時代話してみたら「変なことを考えるね〜」って笑われちゃったのですけど<img alt="ショボーン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png" width="24"><br><br>ウールも、綿も、麻もみんな再生するのだけど、絹はお蚕さんが茹でられて死んで糸を残すんですよね。<br><br>なんかイエスの贖いに似て、人に対してやさしくある存在なのかな？と神の創造の業に感謝の気持ちが湧いてきちゃいます。わたしは真面目に信じています。だってそのほうが幸せな気持ちでいられますから<img alt="ウインク" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png" width="24"><br><br><br>見えない世界のイオンに目を向けると、今の世界の大きな面での異常にも気がつくと思います。<br><br>そして、聖書は目覚めていなさいと説きます。まず目覚めて気がつくこと。そして、今の偏った理由を知って反対のものを合わせてみたら、プラマイゼロになって軽〜く現状打破できるかもしれませんよ。この世はフラクタル。いろんなものから学べることがうれしいですね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12361525318.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Mar 2018 15:38:49 +0900</pubDate>
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<title>悲しくてもどうしようもないこと（健康10）</title>
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<![CDATA[ <p>今日の記事には「医者、お薬信仰」と副題を付けたいです。<br>そして、ある意味JW問題にもつながるかなぁという気持ちもあります。<br><br>では、よろしかったらおばさんのつぶやきを聞いてくださいませ。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>昔、大学病院で義父の上顎がんに抗がん剤治療をするために付き添いをしたことがあるんですね。そのとき大きな疑問を感じたんです。<br><br>なぜ？高度な医療を受けて治ったはずなのに、また皆さん病院に戻って来るのだろうか？って。<br><br>義父の入院中、同じ病院にいた同郷の知り合いは、もぐらたたきのように何度も戻って手術をして万策尽きて自宅療養になり、その後数年で亡くなられましたし....。<br><br><br><br>義父の退院後に、たまたまご近所さんから教えてもらって今わたしの扱う乳酸菌FK-23に出会ったわけですが、このおかげで義父は再発したリンパに出来たガンは消え、大学病院には戻らずに済みました。<br><br>乳酸菌が体の免疫に作用して、体自身ががんを攻撃したのです。<br><br>このことがあってから月イチで２年間、代理店の催す健康講座を受けて、自分が乳がんになったときは自分の意志で乳酸菌FK-23<br>を選び、手術のみですみました。<br><br>今でも自分の判断は間違っていなかったと思っています。<br>これは健康について知りたくて学び、学んだことから自分を信じて行動出来たからにほかならないと思っています。<br><br><br>さて、話は今に飛びます。<br><br>主人の伯母さんは４０年糖尿病を患い、長年お医者さんの言いつけを守って８０歳を超えています。<br><br>また、その娘さんは５０代でしょうか、同じように糖尿病で婦人科の病気で手術もしているようです。<br><br>伯母さんはひとり暮らしなので、たまにお邪魔して健康の話などをしていましたが、半年ほど前、腰の痛みのため整形から出された痛み止めを飲んでいたら、それが原因で透析になりそうだと言うのです。<br><br>なんとか、今の状態にとどまれるようにと乳酸菌の話を医療を知るカウンセラーから聞くよう勧めても、体の仕組みから何故良いのか話してもなんだか伝わりません。<br><br>ある時、娘さんに呼び出されました。<br><br>こんなに伝わらないのに何の話だろう？と疑問をそのまま伝えました。「何を聞きたいのですか」と。<br><br>そうしたら、この間際になって「何をどうしたらよいか」というのです。わたしは医者でもなんでもないですし、家族に透析をしている者もなくて経験談を話せる訳もないのにです。<br><br>わたしが感じ取ったことは、お医者さんの言うことを聞いてこうなったから、その代わりにこうしろと言ってもらって命を預ける人でも欲しかったのかな？<br><br>この親子は本当に頭の良い方たちだと思います。<br>体の声を訊かないほどに脳が勝ってしまっているのかもしれないと思いました。<br><br>昔学んだ健康講座のビデオの冒頭に、自分の健康は自分の責任において自分が守るもの！というような場面があって深く心に残っています。<br><br>だから、人の命など預かることはできやしません。<br>精一杯自分の命を生きるだけです。<br><br>伯母は少し乳酸菌を試して、おしっこがたくさん出て、体がこわくないし、温まった気がすると言いながら、検査でカリウムが多いと言われただけで辞めてしまいました。<br><br>自分の体のサインを信じず、医者を信じて今透析をしています。<br><br>先日会いに行ったら、透析の人が多くて希望の時間が選べないことや、針が入りづらくてとても痛い思いをすることや、長い時間じっとしていることの辛さやいろいろ話します。<br><br>そして、こうなったことへの自分の正当化の同意をわたしに求めるので、「それは伯母さんの感じ方だから、わたしにはわかりません」と素直に言いました。<br><br>わたしはずっと希望を話してきたのです。苦しみを体に強いることを良しとする気持ちはわたしにはわかりません。<br><br>この娘さん、自分の知り合いで脊髄腫瘍の方の行く末を聞いてきました。治療はないのかと。わたしは乳酸菌のことしか言えませんし、言葉に詰まっていたら「ふーん、ダメなんだ」と勝手に決めてしまいました。<br><br>親の命は人に預けようとして、他人の命は決めてしまうんですか！<br><br>伯母さんの苦しい状況、知り合いの方の苦しい状況、娘さんの介護の大変な状況を想像すると悲しくなってしまいますが、それぞれが自分の荷を負うことであり、どうしようもないことですね。<br><br><br><br>皆さんはいったい何を信じますか？<br><br>簡単に自分の命を何かに預けないで下さいね。<br><br>神は、与えられた命を慈しみながら十分に使って歓びと希望に満ちた毎日を生きる者たちを祝福し支えて下さると思うのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12353337708.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Feb 2018 16:03:11 +0900</pubDate>
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<title>ネットワーク（健康⑨？）</title>
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<![CDATA[ <p>しばらく、間が空いてしまいましたが、ゆっくり、ぼちぼちと参りたいと思います。どうか今年もよろしくお願いいたします。<br><br><br>さて、今日のタイトル「ネットワーク」の意味。<br><br><span style="text-decoration:underline;">網の目のような組織。特に、テレビ.ラジオの連絡放送網や、複数のコンピューターを結ぶ通信網および伝送媒体など。</span><br>と国語辞典にありました。<br>‎<br>つまり、いまこうして皆さんのブログを読ませていただき、わたしも末席ながら発信させていただいているこのネットの世界の構造のことですが、何かに似ているなあと思うことがありまして（ここでもフラクタル＝自己相似性です）、記事にしようと思いました。どうか、変なおばさんのつれづれによろしかったらお付き合いくださいませ。<br><br><br><br>実は、体と心に興味の尽きないわたし、秋からNHKで放送されているスペシャル番組「人体」を見逃しまくりで内心残念がっておりましたが、年始めにかなり再放送されてワクワクしております。<br><br>そのなかの「プロローグ」の録画を先日やっと見まして、その内容にびっくりしました。<br><br>それはわたしの体と心の概念を壊し、でも経験から学んでいた心と体の一致には明確に答えを示してくれたからです。<br><br>見ていない方に説明しますと、わたしたちは脳が身体の臓器に司令を出して統率して生きていると考えてきましたが、それは間違いで、脳も、身体のそれぞれの臓器も、平等で、それぞれが連絡を取り合い会話しながら生命を維持しているというのです。<br><br>つまり、体全体がネットワーク構造でできていて、その連絡網が血管であり血液であるというのです。<br><br><br>映像中に、リューマチが発病し組織部分が炎症を起こしていく様子がCGで描かれており、ネットでの炎上の様子とそっくりでした。<br><br><br>さて、似ているものは他にもあります。<br><br>過去記事の「<a href="https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12285011458.html" target="_blank">脳がお疲れの方々へ</a>」で、体の恒常性維持機能について取り上げたことがありますが、それこそ、この機能は体のネットワーク構造からの賜物と言えると思います。<br><br>また、脳の神経構造もしかり、シナプスのつながり方もネットワークです。脳科学からの考察では、心の有り様も五感からの刺激が脳神経のネットワークを走って、そこに蓄えられたさまざまなものを呼び起こして形作られるものという考え方もあるようです。<br><br>ですから、そのつながり方はその人その人で違うものとなり、心はその人だけのもの、他の人が関与できないものと言えるかもしれません。<br><br><br>番組では、人はなぜ病気になるのか？ということに関して、IPS細胞で有名な山中教授が、臓器同士の情報（伝達物質）が間違って出されたり、ちゃんした情報（伝達物質）が届かなかったりして病気になるとおっしゃっていました。<br><br><br>ここでこんな聖句を。聖書は本当にいろいろなこと教えてくれます。<br><br><span style="color:#006a2f;">ローマ1：20<br>というのは、神の見えない特質、すなわち、そのとこしえの力と神性とは、造られた物を通して認められるので、世界の創造以来明らかに見えるからであり、それゆえに彼らは言い訳ができません。</span><br><br>神が造られたわたしたちの体からも学べると思うのです。<br><br>次の聖句は、パウロが会衆に対して言ったことかもしれませんが、神が書かせた書物とするなら、たとえの大元は真実と言えると思うのです。ですから、わたしは体と心、そして人に当てはめて考えます。<br><br><span style="color:#cc0000;">コリント第一12：18〜26<br>しかし今、神は体に肢体を、その各々を、ご自分の望むままに置かれたのです。もしそのすべてが一つの肢体であったなら、体はどこにあるのでしょうか。しかし今、それは多くの肢体であり、それでもなお一つの体です。 目は手に向かって、「わたしにあなたは必要でない」とは言えず、頭も足に向かって、「わたしにあなた方は必要でない」とは言えません。それどころか、実際には、体の中でほかより弱く見える肢体がかえって必要なのであり、また体の中でほかより誉れが少ないと思える部分、これをわたしたちはより豊かな誉れを持って包みます。こうしてわたしたちの見栄えのしない部分に他より豊かな麗しさが添えられ、一方、麗しい部分は何も必要としません。しかしそうではあっても、神が体を組み立てたのであり、欠けたところのある部分に誉れを豊かに与えて体に分裂がないように、その肢体が互いに対して同じ気づかいを示すようにされました。それで、一つの肢体が苦しめば、ほかのすべての肢体が共に苦しみ、ひとつの肢体が栄光を受ければ、ほかのすべての肢体が歓ぶのです。</span><br><br><br>神から与えられた奇跡のような命が、このように育まれているとするならば、きちんとした情報を正しくつなげることでそれぞれの臓器はいきいきと動き最高のパフォーマンスをし、また逆も真なり、一個一個がのびのびと活動するなら正しい情報を発し全体を持ち上げ、病気から離れていられるということになると思います。<br><br>聖句からわたしが学ぶことは、こんなことです。</p><p><br>心については、自分の弱いところや傷に気付き、認めていくということ。そして、じゃあどうしていこうか前向きに考えて、圧倒的ポジティブ思考で変換出来るようになるといいな。<br><br>体に関しては、五感と十分つながって刺激に正しく反応できるようになれたらいいな。<br><br>そして、人と人は、個々人が自分の命に責任を持って歓びに満ちて生きるなら、発するエネルギーも幸せのエネルギーとなり、一人でも多くがそのエネルギーのしずくとなって、波紋を広げられるといいな。<br><br>そんなことを考える新年です。<br><br>さて、最後に、神の創造されたものから神性を考えたとき、1世紀のクリスチャンとはかけ離れた構造のものみの塔は、神の選ばれた組織などとは言えないと思うのです。<br><br>人にどうのこうの言えませんが、どうか、ひとりひとりが苦しみではなく、歓びを見いだせる２０１８年でありますように！<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tadano-obasann/entry-12348622709.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jan 2018 11:42:44 +0900</pubDate>
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<title>あり　自分を証明する</title>
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<![CDATA[ <p>人は自分を証明する何かが欲しいものなのかもしれません。<br><br>深く考えれば、それは尊厳にも関わることと考えます。<br><br><br><br>さて、男の人と言うものは、社会に認められることをなにより大切に思うものと聞いたことがあります。<br><br>しかし、女にとってはそれは理解しがたいことかもしれません。<br><br><span style="color:#0000bf;">女に対してこう言われた。....あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり、彼はあなたを支配するであろう。（創世記3：16）</span><br><br><br>それは、女の意識はただただ夫を慕い、その夫との間に生まれた子どもを愛することに向かうからです。<br><br><br>これらのことを踏まえて、わたしたち夫婦の心の変遷を考えてみました。<br><br>昔、主人の望まないところに引っ越すことになったことから、パワハラのような状況が始まったように記憶しています。<br><br>このことは、実家近くの小さい一軒家から、大家の都合で1ヶ月の内に出るよう言われたのが、ことの発端でした。<br>主人はこのまま地元に居たいと、小さいときやさしくしてくれたおじさんに土地を売って欲しいと頼みに行き断られた事がありました。<br><br>何を言われたか知る由もありませんが、自尊心が砕けてしまったのかもしれません。その後、自分から動くことはしなかったので....。<br><br><br>人の心はわかりません。<br><br><br>その当時、わたしはうぶでしたし子どもたちもまだ小さくて、主人の心の動きなど推し量ることなど出来ませんでした。<br><br>わたしを小馬鹿にしたり、細かいことに怒るので、どこで逃げ出すかを試されているように感じたものです。<br><br>ただただ、怖い顔と、どんなことで怒り出すか導火線を踏まないよう、そして自分の心の平静を保つのに精一杯な時代でした。<br><br>後年JW迫害中には、互いに昔のいろいろな想いぶつけ合いましたが、主人にとって引越し先は社会的に自分の証明には程遠い場所だったようです。<br><br>この意識は地元の人たちにどう見られるかが大いに関係していました。<br>転校生育ちのわたしには、これも分かりかねる意識でしたが..。<br><br>わたしにとっては住めば都、家賃がすごく安かったから今持ち家に住めているので、間違った選択ではなかったと思うのですが、夫にとってはその時は違っていたのですね。<br><br><br><br>人は何をもって自分を証明し、尊厳を保とうとするのでしょうか？<br><br>男は社会に対して？女は夫からの愛？<br><br>では、それがかなわないときは矛先はどこに向かうのでしょう？<br><br>人はキリストとつながらないなら本当に弱いものと感じます。<br><br><span style="color:#0000bf;">しかし、あなた方に次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり、女の頭は男であり、キリストの頭は神です。（コリント第一11：3）</span><br><br>世の中は、現実として厳然と男優位の世界です。<br>キリストとつながらない男は女に、男とつながれない女は一体どこに？矛先を向けるのでしょうか？<br><br>そこに、大きな不幸が生まれる原因があるとも思うのです。<br><br>キリストとつながるとはどういうことかですか？<br>神を知るとはどういうことですか？<br><br>わたしは昔聖書を学んで、わたしだけの小さな奇跡から神を信じることが出来て幸運でした。主人には理解されなくても神に対して愛から行動してきたと言えますから。<br><br>また、この頃主人は自分の腕一本で大きな働きをし、やっと自身で満足する証明が出来ました。<br><br>JW中、聖書をより深く学び、いろいろなことを見聞きし、自分のことも踏まえて思い至った結論は、誰にも犯されない奥底の自分自身とつながるということです。<br><br>ここに気が付かないなら、矛先は外に向き自分を傷つけ人を傷つけ、子どもにも影響を与え、つながれない欠けた想いは受け継がれてしまうと感じます。<br><br><span style="color:#0000bf;">しかし、口から出るものは心から出て来るのであり、それが人を汚します。（マタイ15：18）</span><br><br>わたしは、主人からの証明を欲しがることは執着なんだとふと気が付きました。聖書が教えてくれたんです。<br><br>いままでの生き方は、誰の証明もいらなかった！<br>自分で自身に証明してきたから。尊厳は自分が守るものでした。<br><br>この年になって母親の子どもに対する影響を考えることがありまして、大人になった子どもたちは、欠けた想いを受け継いだことを二人になったときに知ることになりました。その母親に影響を与えるのは誰でしょう？そんなことを考えてしまいます。<br><br>どうか、ひとりひとりがキリストとつながり、愛おしい自分を見つけて欲しい。神は愛そのもの、奥底の自分自身は愛に溢れ、傷つかないんです。<br><br>そうしたらもう外に証明を求めずとも、満ち足りて人と人が傷つけ合うことなどなくなるのに....。<br><br>&nbsp;</p><p>読ませていただいているブログに、わたしの伝えたいことのそのままが書かれていましたので、リブログさせていただきました。ありがとうございます。<br><br><br><br><br><iframe class="reblogCard" data-ameba-id="viva-bashar" data-entry-id="12334623307" frameborder="0" height="234px" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" scrolling="no" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/viva-bashar/entry-12334623307.html?reblogAmebaId=tadano-obasann" width="100%"></iframe></p>
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<pubDate>Fri, 08 Dec 2017 15:00:03 +0900</pubDate>
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