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<title>大和魂のブログ</title>
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<title>資源大国日本の行方</title>
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<![CDATA[ ニッポンは資源大国だった「燃える氷」2018年度に商業化 <br> <a target="_blank" href="http://ime.nu/news.livedoor.com/article/detail/4017781/">http://news.livedoor.com/article/detail/4017781/</a> <br>  <br> 「ニッポンは資源国だった」――そんな夢のような話が現実に向けて動き始めた。 <br> 使わなくなった携帯電話やパソコンから採れる「廃品回収」のことではない。 <br> 海底深く眠る本格的な海洋資源だ。経済産業省がまとめた「海洋エネルギー・鉱物資源開発計画（案）」によると、 <br> 次世代エネルギーとして期待され、日本近海に大量に埋蔵されているとされるメタンハイドレートを、2018年度までに商業化するという。 <br>  <br> 「燃える氷」と呼ばれるメタンと水が結びついた固体状の物質 <br>  <br> 資源産出国で台頭してきた「資源ナショナリズム」によって、日本はエネルギー・鉱物資源の安定供給に <br> 支障を来たす事態が予想されている。エネルギー資源に乏しい日本は、外交手段を使って資源産出国との関係強化に努めてきた。 <br>  <br> 資源不足の結果として、世界の最先端を行く省エネ技術を身につけてきたことはあるが、 <br> 日本人は常に頭を痛めてきたのがエネルギー資源確保の問題だ。 <br>  <br> ところが、ここ数年の調査結果で、日本はじつは「資源大国」の可能性がきわめて大きいことがわかった。 <br> その代表的な資源が「メタンハイドレート」だ。 <br>  <br> メタンハイドレートは石油や石炭に代わる次世代エネルギーとして期待されていて、「燃える氷」と呼ばれている。 <br> メタンガスと水が結びついた固体状の物質で、1立方メートルのメタンハイドレートを解凍すると164立方メートルの <br> メタンガスになる。全世界での埋蔵量は陸地で数十兆立方メートル、海域で数千兆立方メートル。 <br> じつに、天然ガスや石油の2倍以上といわれている。 <br>  <br> 日本にとっては、この資源が陸地ではなく、海底深くに埋もれているのがミソ。日本は国土こそ <br> 世界第60位（約38万平方キロメートル）と小さいが、約447万平方キロメートルと世界第6位の排他的経済水域（EEZ）と <br> 大陸棚の広さを誇っている。メタンハイドレートの場合、日本列島を取り囲むような形で、多量に埋蔵されているといわれる。 <br> さらに、石油や天然ガス、海底熱水鉱床などのエネルギー・鉱物資源の存在がすでに確認されているのだ。<br><br>____________________________________________________________________________________________＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<br><br>上の記事に関して<br>我々は日本国は、無資源国家だと教えられてきたがやっと自立への希望が見えてきたと思う<br><br>MHは日本海にも沢山存在している、竹島周辺や北方領土付近はまさにMHの宝庫らしい<br><br>そこで問題になってくるのは特亜の存在だろう、韓国が竹島を手放したくない理由もそこにある。<br><br>今年の5月にも勝手に日本領海域を中国の調査船が入り込んできて<font size="2" color="#0000ff">「中国の規</font><font size="2" color="#0000ff"><strong><br></strong></font><font size="3" color="#0000ff"><font size="2">則が適用される海域」</font><br></font><br>などとバカな事を言って日本の船が撤退させられている<br><br>もしMHを実用化するならばその前にやるべき事は<span style="color: rgb(255, 0, 0);">GHQ占領憲法破棄</span>しかない<br><br>現在の自衛隊は専守防衛で動いているから他国の船を沈める事や竹島を武力で奪還する事ができない<br><br>他国の軍と同様に自衛隊をネガティブリストで動けるようにすれば、<span style="color: rgb(255, 0, 0);">先制的自衛権</span>も発動できる<br><br>そうすれば竹島の奪還も容易にできる上に、先制的自衛権が抑止力になり領土の占領阻止や日本領海域へ入ってくる他国の船を沈める事が合法になる。<br><br>もし、このままMHが実用化できるようになれば実用化する前に全て特亜に掠め取られてしまう事が容易に想像できる<br><br>大日本帝國憲法を現代式に改正し軍隊を配備し、MHを資源として実用化する事は唯一の日本自立への第一歩だと思う。<br><br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=pIc8LE75BZI" target="_blank">メタンハイドレート実用化が迫る自主憲法制定</a><br><br>近隣諸国のMH調査は軍艦のソナーで行ってるのに対し日本では青山さんの独立総合研究所を主に漁船の魚群探知機を使ってMH調査を行っている、国からの援助は年間たったの250万だそうだ・・。<br><br>青山さんの祖国への献身的な努力には頭が下がる思いです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/taigimeibun/entry-10638700810.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Sep 2010 01:31:00 +0900</pubDate>
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<title>日本は侵略国家であったのか</title>
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<![CDATA[ <font size="5">＜田母神・空幕長更迭＞制服組「確信の暴走」、問われる文民統制<br>11月1日9時12分配信 毎日新聞<br><br>◇日中韓首脳会談控え、政権また打撃<br><br>　田母神空幕長の更迭により、世界的金融危機や景気悪化への対応に追われる麻生政権はさらなる逆風にさらされることになりそうだ。インド洋での給油活動を延長する新テロ対策特別措置法改正案の国会審議に影響するだけでなく、政権の歴史認識を問われる事態にもなりかねない。１２月に予定される日中韓首脳会談のホスト役である麻生太郎首相にとって冷や水を浴びせられた形だ。<br><br>　田母神空幕長の論文内容が浜田靖一防衛相から首相官邸に伝えられたのは３１日午後６時ごろ。報告を受けた首相は、記者団の質問に「全然知らない。個人的に出したとしても立場が立場だから適切じゃない」と苦笑交じりに答え、平静を装った。しかし、政府高官は「確信犯としか思えない。政府方針と反する点は問題だ」と困惑を隠さなかった。<br><br>　首相はもともと「タカ派」で対中韓強硬論者とされてきた。しかし、外相時代からは靖国神社への参拝を自粛するなど、アジア外交に対しては現実路線に努めてきた。１０月２４日に北京で中韓両国首脳と会談した際も歴史問題に踏み込まず、信頼関係の構築を優先しただけに、現職自衛隊幹部の「造反」に官邸には失望感が広がった。<br><br>　民主党は新テロ特措法改正案を審議している参院外交防衛委員会で、浜田氏の監督責任などを問う集中審議を要求する構えだ。田母神氏の参考人招致も検討しており、改正案の採決日程に影響が及ぶのは確実とみられる。社民党の福島瑞穂党首は３１日夜、毎日新聞の取材に「更迭は当然。歴史認識をねじ曲げる発言は許せない」と語った。<br>――――</font><br><br><br><br><br><br><font size="5">＞政権の歴史認識を問われる事態にもなりかねない。</font><br><br><br><br><font size="5,color=blue" color="blue">政権の歴史認識は、村山談話を踏襲する最低最悪の認識だ。<br><br>村山談話は、ＧＨＱとマルクス主義歴史学者たちの合作である「東京裁判史観」に基づき、裏付け史料等も関係なく、外務省チャイナスクールの谷野作太郎らごく少数のスタッフによって極秘裏につくられた。<br><br>東京裁判で検察側は、証人にあらゆる嘘出鱈目を証言させ、物的証拠も多数捏造したが、一方で、米英蘭支ソに不利となる弁護側（日本側）の証拠は悉く却下された。</font><br><br><br><br><br><br><font size="5">＞政府高官は「確信犯としか思えない。政府方針と反する点は問題だ」と困惑を隠さなかった。</font><br><br><br><br><font size="5,color=blue" color="blue">政府方針が狂っている。<br><br>政府は、「田母神論文」のどこがどのように間違っているのか具体的に指摘して説明するべきだ。</font><br><br> <br><br><br><br><font size="5">＞首相はもともと「タカ派」で対中韓強硬論者とされてきた。しかし、外相時代からは靖国神社への参拝を自粛するなど、アジア外交に対しては現実路線に努めてきた。</font><br><br><br><br><font size="5,color=blue" color="blue">靖国神社への参拝を自粛するメリットなんて何もないのに、自粛をするのは馬鹿な証拠だ。<br><br>そういう首相の馬鹿丸出しで卑屈な態度が日本を駄目にしている。<br><br><br>これとは直接関係ないが、田母神氏は論文で次のように嘆いていた。</font><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">―――<br>東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから、自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。…（略）…。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自ら力で守る体制がいつになっても完成しない。<br>P8<br>―――</font><br><br><br><br><br><br><font size="5">＞民主党は…（略）…田母神氏の参考人招致も検討しており、…</font><br><br><br><br><font size="5,color=blue" color="blue">「参考人招致」は拒否することも可能だが、出来ることなら田母神氏には招致に応じ、政府が支持する「村山談話」と今回の「田母神論文」のどちらが正論かを浮き彫りにしてほしい。<br><br>ブーメランで民主党を後悔させてほしい。</font><br><br><br><br><br><br><font size="5">＞社民党の福島瑞穂党首は３１日夜、毎日新聞の取材に「更迭は当然。歴史認識をねじ曲げる発言は許せない」と語った。</font><br><br><br><br><font size="5,color=blue" color="blue">歴史認識を捻じ曲げているというなら、「田母神論文」のどこがどのように歴史認識を捻じ曲げているのか具体的に指摘して説明しろ！<br><br><br><br><br>昨晩に続き、「田母神論文」の重要な箇所について、当ブログ記事の中から論文の正当性を裏付ける詳細な説明や史料を次に紹介しよう。</font><br><br><font size="4,color=orangered" color="orangered">「田母神論文」<br>日本は侵略国家であったのか<br>田母神俊雄<br><a href="http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf" target="_blank">http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf</a></font><br><br><br><br><br><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">＞この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。<br>1頁</font><br><br><br> <br><font size="4,color=red" color="red">日本人記者惨殺事件<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26932596.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26932596.html</a><br>テロ続発<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26961991.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26961991.html</a><br>通州事件<br>支那保安隊が南京政府のデマ放送に騙され日本人居留民約260人を大虐殺<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/34809150.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/34809150.html</a></font><br><br><br><br><br><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">＞我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって、1937年8月15日、日本の近衛内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断固たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。<br>1～2頁</font><br><br><br><br><font size="4,color=red" color="red">8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』 <br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html</a></font><br><br><br><br><br><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">＞日中戦争の開始直前の1937年7月7日の盧溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の開始証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている。「大東亜解放戦争（岩間弘、岩間書店）」。<br>2頁</font><br><br><br><br><font size="4,color=red" color="red">盧溝橋事件<br>「七・七事変」とその後の日支全面戦争は支那共産党が計画的に行なった<br>数十年前までは「自分たちが起こした」と堂々と公言 <br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/34343516.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/34343516.html</a></font><br><br><br><br><br><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">＞戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。<br>3頁</font><br><br><br><br><font size="4,color=red" color="red">李氏朝鮮時代→日本統治時代<br>日本が朝鮮半島に残した資産<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html</a><br><br>満州事変<br>支那人「寧ろ日本の支配を」<br>事変後の治安回復と発展<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25371089.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25371089.html</a></font><br><br><br><br><br><br><font size="5,color=indigo" color="indigo">＞しかし、私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。<br>8～9頁</font><br><br><br><br><font size="4,color=red" color="red">我らが祖先の偉大な功績 <br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8446589.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8446589.html</a></font>
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<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 03:44:22 +0900</pubDate>
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<title>公職追放令（1945年）</title>
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<![CDATA[ 日本が武装解除を行った後、<b>アメリカ占領軍はポツダム宣言が「有条件条約」であることを無視し、無条件降伏したと主張して勝手に振る舞うようになった</b>。<b>占領政策はほとんどすべてポツダム宣言違反</b>であり、国際法に沿わないことが行われたのである。そしてそのことが<b>日本に”敗戦利得者”を生んだ</b>ことを忘れてはならない。<br>      その占領政策の一つが公職追放令だった。<br>      占領軍はまず、ミズーリ号での<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_kyusenkyotei.html">休戦協定</a>調印式から約1ヶ月後の昭和20年（1945）10月4日、「<b>政治的市民的宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書</b>」を発表し、内務大臣、警察幹部、特高警察全員の罷免と再任用の禁止を指示した。<br>      これを見てもわかるように、最初に占領軍が行ったことは戦前の左翼を押さえていた機関に属する人を、一挙に追放することだった。これが占領軍が一番最初にやりたかったことなのだ。左翼を押さえた期間を解体することが、占領軍民生局の第一にやりたかったことだった。なぜなら<b><font color="#ff0000">ルーズベルトの周辺、とりわけ占領軍民生局は左翼の巣であった</font></b>からだ。<br>      <br>      終戦直後、アメリカ側の定めた<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_puresukodo.html">プレスコード</a>によって、完全なる<font color="#ff0000">言論統制</font>が敷かれ、占領軍の批判は一切できなくなった。<br>      戦後の占領下、<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/ghq.html">GHQ</a>の命令によって<font color="#ff0000"><b>国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、戦争協力者という名前を冠せられ公職から追放された</b></font>。戦前、少しでも重要なポストに就いていた者であれば、戦後は公職についてはいけないという指令だった。これは実業界にも波及したが、最も悪い影響を受けたのは<font color="#ff0000"><b>学界、言論界</b></font>だった。<br>      <br>      公職追放令は、占領軍民生局の<b>ホイットニー</b>局長と<b>ケーディス</b>次長が中心となり、その右腕だった外交官<b>ハーバート･ノーマン</b>らによって発せられた。<b>ホイットニーもケーディスも社会主義者</b>であったことが今では明らかになっている。<b>ハーバート･ノーマンは後にコミンテルン（ソ連）の工作員であったことが判明し、裁判にかけられそうになって自殺した</b>。彼らが、公職追放令によって、戦前、少しでも筋の通ったことを言ったり、日本のことをよく言った歴史学者や法律学者、経済学者たちを一掃した。<br>      同じ昭和20年（1945）10月22日、占領軍は「<b>日本の教育制度の運営に関する覚書</b>」を出し、10月30日には「<b>教職員の調査、精選、資格決定に関する覚書</b>」を発して、軍国主義者や極端な国家主義者、占領軍政策反対者等を教育事業から排除するように命じ、また現在および将来の教員の資格審査を行うよう命じた。翌年5月7日には、「<b>教職員の除去、就職禁止及復職等の件</b>」がポツダム勅令として公布され、いわゆる「<b>教職追放令</b>」が行われている。<br>      さらに占領軍は、幣原喜重郎内閣が計画していた戦後最初の総選挙の実施を延期させたうえで、1月4日に包括的な公職追放をすることにした。「好ましくない人物の公職よりの除去に関する覚書」を発したのである。<br>      その覚書は追放すべき人物を、<br>      A項　戦争犯罪人<br>      B項　職業軍人<br>      C項　極端な国家主義団体などの有力分子<br>      D項　大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会などの有力分子<br>      E項　日本の膨張に関係した金融機関ならびに開発機関の役員<br>      F項　占領地の行政長官など<br>      G項　その他の軍国主義者および極端な国家主義者<br>      に分類した。<br>      そして該当する人物は、中央・地方の官職と関係の深い特殊会社や団体などの役員、帝国議会議員とその候補者などになることを禁じたのである。この影響によって、幣原内閣の大臣5人が辞任した。そして、その年の4月に予定していた総選挙では、多くの議員が立候補できなかった。<br>      さらに占領軍は一般的な措置だけでなく、<b>政治家、官吏、教員などを名指しで追放する</b>ということも行っている。その典型的な例が、総選挙で勝って次の首相になると目されていた日本自由党総裁の<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/hatoyama_ichiro.html">鳩山一郎</a>の追放だった。<br>      その後も公職追放は拡大、強化されて、その範囲は<b>地方政界、一般財界、言論界</b>などのますます広がっていった。昭和22年（1947）には、<b>有力会社、新聞社</b>なども追放範囲に含め、追放された者が身代わりを立てるということも禁止された。その結果、約20万6千人が公職追放の対象になった。<br>      つまり<font color="#ff0000"><b>公職追放令とは、敗戦でも何とか生き残った、戦前の重要なポストについていたというだけの人たちが、今こそ日本を復興させようとしたのを根こそぎ排除した政策だった</b></font>のである。<br>      公職追放令が及ぼした影響は、A級戦犯と桁違いだった。20万人以上が追放されたということは、その影響を周囲の人たちも受けているということである。その典型的な例が、鳩山一郎や後に首相となる石橋湛山（<font size="-1">たんざん</font>）だった。<br>      財界人では松下幸之助も追放されている。彼が「極端な国粋主義者」であるわけがない。しかし松下電器産業は戦争中、すでに大きな会社だったので、軍の命令により木製飛行機を作っていた。それを軍需産業だと言われて公職追放になったのだ。<br>      追放された人たちは、公職、教職ばかりか、ものを書くのも許されないから、百姓をやるしかなかった。<br>      名指しで追放されるのだから、立候補する資格のある議員などは皆、震えあがった。借りに立候補しても、いつ、誰が追放の指名をされるかわからない。皆臆病になってしまった。<br>      このような日本が腰ぬけになった状態の中で、新憲法を作ることを命じられ、教育勅語が廃止されたということを我々は忘れてはならない。あんな状態で日本が自主的な憲法を作れるわけがない。<br>      <br>      ここで重要なのは学校、ジャーナリズムに対する公職追放の徹底だった。公職追放令の中心になった人は、ハーバード・ノーマンである。<br>      戦前、帝国大学は「天皇の大学」だったから、左翼系の学者やコミンテルンに通じているような人たちは辞めさせられた。この人たちが、敗戦日本における公職追放令の後、真っ先に戻ってきたのである。そこに元々いた帝国大学教授の多くは公職追放になってしまった。<br>      そして、後に新しくできた大学の教授を排出するような日本の一流大学、旧帝国大学や一橋大学の総長・学長は左翼系になった。戦前ならば、天皇陛下の大学にふさわしくないと批判された人たちである。<br>      彼らのような敗戦利得者が日本に及ぼした影響は大きい。<br>      <br>      その結果<font color="#ff0000"><b>空いた重要なポストを戦前の左翼およびそのシンパが占めることになった</b></font>。彼らが占めた地位は、大学教授やジャーナリストなど、長続きするような地位だった。<br>      東大、京大、一橋大など、日本の主要大学の総長、学部長クラスの多くが、占領軍の民生局による公職追放令によって空いた席にポストが与えられた。こうして大学社会は、多くの教授たちを追放した挙句、完全に<font color="#ff0000"><b>左翼、共産主義者たちの手に握られてしまった</b></font>。彼らが戦後、日本中に数多く作られた大学や短大に教え子を輩出して教授職に育て、かつ、この人たちが作った試験問題で公務員を作った。そうした教授連中とその弟子たちがアカデミズムやマスコミ界の牙城に君臨し、教壇の上から、またマスコミによって<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/nankin_daigyakusatsu.html">「南京大虐殺」</a>などのデマが広まってしまった。日本の主要大学のトップの多くは左翼が居座り、以後もそれがずっと続くことになる。<br>      彼らが教えた主要大学の卒業生は優秀だから、高級官僚になり、有力な新聞社や有力な出版社にもいっぱい入った。また高校や中学校や小学校の教師もその系統の学者に教育された。<br>      <br>      このような現象は、<font color="#ff0000"><b>言論界</b></font>でも<font color="#ff0000"><b>大新聞社</b></font>においても同様に起こった。戦前、骨のある記事を書いたような人たちは皆、公職追放令によって切られてしまったのだ。<br>      <br>      <a target="_blank" href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/funsho.html">焚書</a>とともにこの公職追放令により登場した「赤い教授」の代表者は以下の通り。<br>      <br>      <font color="#ff0000"><b>南原繁</b></font><br>      「神よ、日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬ってください」などとほざいたために東京大学を追放されていた。戦後は東京大学に復帰し、<b>総長</b>の地位まで上り詰めた。また、「全面講和」を主張し、「非武装中立論」を唱えて、首相の吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。当時、「非武装中立論」とは、ソ連に進駐してきて欲しいという容共派だった。<br>      <br>      <font color="#ff0000"><b>矢内原忠雄</b></font><br>      立派なキリスト教徒と言われるが、<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1937_rokokyo.html">支那事変</a>が始まった昭和12年に、講演で「日本の理想を生かすためにひとまずこの国を葬ってください」とのたまって東京帝国大学を追放された。こんな人物が戦後に<b>東京大学の総長</b>になっている。<br>      <br>      <font color="#ff0000"><b>大内兵衛</b></font><font size="-1">（ひょうえ）</font><br>      第二次人民戦線運動関係で東大の経済学部を辞めさせられているが、敗戦後に東大に復帰し、<b>法政大学総長</b>になった。<br>      <br>      <font color="#ff0000"><b>滝川幸辰</b></font><font size="-1">（ゆきとき）</font><br>      京都大学で無政府主義的な刑法の教科書を書いたために辞めさせられた。天皇陛下の大学で無政府主義の刑法を教えるわけにはいかないので、文部省が教科書を書き換えてくれと言ったのに、それを拒否したのでやめることになった。彼は弁護士になったが、日本の敗戦後は京都大学の法学部長、そしてその後、京都大学総長になった。滝川と共に辞職した京大の教授たちの多くは、戦後はいろいろな大学の要職に就いた。<br>      <br>      一橋大学学長になった都留重人は明らかにコミンテルンの手先であったことを告白している。<br>      <br>      戦後はたくさんの大学が作られたが、そこに配属される教授たちの多くは上記の「左翼総長」や<font color="#ff0000"><b>丸山真男</b></font>、<font color="#ff0000"><b>大内兵衛</b></font>といった有名教授たちの息のかかった人たちだった。そいいう連中がみな共産主義思想に同情・共感していた。<br>      しかも、老教授が引退すると弟子が後を継ぎ、その弟子が引退するとそのまた弟子が残るという形で、<font color="#ff0000"><b>南原繁</b></font>や<font color="#ff0000"><b>丸山真男</b></font>の左翼思想が再生産され、後々まで残ってしまった。そういう教授たちに育てられたものだから、<font color="#ff0000">戦後日本は一挙に左翼的な社会になってしまった</font>。<br>      <br>      1991年に<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1991-00/1991_soren_hokai.html">ソ連が崩壊</a>するまで、<font color="#ff0000"><b>大多数のインテリや学者たちはみんなソ連が怖くて仕方なかった</b></font>。アメリカが再び孤立主義に戻ると日本から引き揚げてしまい、日本はソ連に占領されてしまう。そうなると<font color="#ff0000">自分たちは粛清の対象</font>になる。それを避ける<font color="#ff0000"><b>保身術としてアリバイ作りのために反日論評や運動を行なっていた</b></font>。国費で高額な給料で養われていながら国家転覆の革命運動をリードしていたのだ。<br><br>      心機一転、一所懸命働いて祖国復興を目指そうというときに、職場から追放されてはかなわない。こうして、真実を知る多くの人々が口をつぐんでしまった。<br>      <br>      このように<b>我々が今、進歩的だとか左翼的だと言っている人たちは皆、敗戦利得者とその弟子たち</b>なのである。<br>      やがて公職追放令はどんどん緩んでいく。特に<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1950_chosen_sensou.html">朝鮮戦争</a>が起こると、東京裁判における日本の弁護団の「東アジアの共産化を避けようとした」という言い分が正しかったということになり、逆に、<b>共産党幹部は追放せよということになった</b>。実に滑稽な話である。<br>      マッカーサーが日本を離れた後はリッジウェー中将が最高司令官に就任した。リッジウェーは、占領軍の指令の実施にあたって制定された占領下諸法令の再審査の権限を日本政府に与えるという声明を出し、すぐに追放の解除が始まった。最終的には<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1951-60/1951_sanfran.html">サンフランシスコ講和条約</a>で日本が独立したので、追放令は廃止されたのである。
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<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 03:32:52 +0900</pubDate>
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<title>被害者が日本人であれば犯罪者が英雄になれる国、韓国</title>
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<![CDATA[ <h3 class="title">・<a target="_blank" href="http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/korea/news/20050820ddm007030084000c.html">韓国：安重根の遺骨、中国に埋葬か－－統一省、北朝鮮に協議提案</a><br></h3><blockquote>　【ソウル堀山明子】韓国の統一省は１９日、中国のハルビン駅で１９０９年に初代韓国統監の伊藤博文を暗殺し、処刑された独立運動家の安重根（アン・ジュングン、１８７９～１９１０年）の遺骨を南北共同で発掘するため、北朝鮮に実務協議を提案したと明らかにした。遺体は処刑された旅順監獄の近くに埋葬されたとみられており、中国の協力を得て発掘事業を推進する方針だ。<br>　安重根の遺骨の共同発掘事業は、６月下旬に開かれた南北閣僚級会談で合意した。統一省によると、「南北当局の公式合意があれば、中国政府は協力する意思を示しているので、南北の実務協議を基礎に協力を要請しよう」との文書を１８日に北朝鮮側に発信した。実務協議で発掘や返還の形式や手続きを議論するという。<br>毎日新聞　2005年8月20日　東京朝刊</blockquote><br><a target="_self" href="http://konn.seesaa.net/article/5413691.html"><img height="150" border="0" align="left" width="122" alt="terrorist.gif" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkonn.seesaa.net%2F%2Fimage%2Fterrorist-thumbnail2.gif"></a>　安重根は、以前の<a target="_blank" href="http://konn.seesaa.net/article/5413691.html">記事</a>「ネットテロは天に唾を吐くのと同じだ！」でも、ご紹介したが、テロリストである。<br>　「安重根」という名前を見た瞬間に、「韓国では英雄扱いされているが、本当はテロリスト」ということを多くの方に思い出して頂けることが、Ｂｌｏｇ冥利に尽きる。<br>　このテロリストの写真は以下のようにサッカーでも利用されるが、これは、アメリカ戦で、ビンラディンの写真を使って応援することと同じであることを認識しての行為なのだろうか？<br><br>・<a target="_blank" href="http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/e900d1f044ca2786b10d1ef3066cdca1"><span style="font-size: 85%;">★「日本人はお断り」「100倍謝罪しろ」　理想と現実の狭間で揺れる韓流ファン</span></a>  <br>　★厳選！韓国情報★<br><blockquote>&lt;たまにサッカーしてやりゃ反日横断幕掲げることに命を賭け&gt;<br><img height="298" width="430" alt="terrorist2.jpg" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkonn.seesaa.net%2Fimage%2Fterrorist2.jpg"><br></blockquote><br>　さて、私が、「安重根」の名前から連想した事は、平成15年1月29日午前10時に韓国ソウルで起きた下記日本人学校襲撃事件のことである。<br><br>・<a target="_blank" href="http://www.geocities.jp/koreanurupo/">韓国日本人学校襲撃事件</a><br>　一番下の<a target="_blank" href="http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/e900d1f044ca2786b10d1ef3066cdca1">画像</a>は、「★厳選！韓国情報★」さんから<br><blockquote><img height="338" width="450" alt="onode-enjiwo-osou.jpg" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkonn.seesaa.net%2Fimage%2Fonode-enjiwo-osou.jpg"><br><img height="338" width="450" alt="ono.jpg" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkonn.seesaa.net%2Fimage%2Fono.jpg"><br><img height="338" width="450" alt="ono-jusho.jpg" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkonn.seesaa.net%2Fimage%2Fono-jusho.jpg"><br></blockquote><br>　私が感じたことは、韓国人の犯罪者は、被害者が日本人であれば、犯行が悪質であるほど英雄扱いされる。そして、この国民性は、今も昔も変わらないということである。<br>　この国民性は、韓国での生ゴミ餃子騒動にもあてはまる。「今回摘発された不良具材は米国や日本への輸出用として製造されたため、国内には流通していない」とし、被害者が、日本であることを業者が<a target="_blank" href="http://konn.seesaa.net/styles-index.css">釈明したこと</a>を思い出して欲しい。<br>　最後に、朝鮮併合に関する真相が記された記事を以下にご紹介する。韓国からの言われ無き非難から脱却するためには、今一度、歴史を見つめ直す必要性を感じた。<br><br>・<a target="_blank" href="http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi06.htm">韓国の歴史歪曲検証：伊藤博文と安重根「朝鮮併合の真実」</a><br><blockquote>多くの韓国人にとって伊藤博文は極悪人である。<br>かつて日本の千円札に伊藤博文の肖像が書かれていることを韓国人は苦々しく思っていた。<br>一方、日本ではその伊藤博文を暗殺したテロリストとして知られる安重根について、韓国では彼を「義士」と呼びその「業績」を賞賛している。<br>まずはこの二人の経歴を辿ってみたい。<br><br>伊藤 博文（いとう　ひろふみ）<br><br>生没　１８４１年１０月１６日生～１９０９年１０月２６日没<br>山口出身<br>政治家　公爵<br>初名は利助、のち俊輔　号は春畝<br>萩・松下村塾に学ぶ<br>ヨーロッパに留学<br>大日本帝国憲法制定に参与<br>内閣総理大臣・枢密院議長・貴族院議長(いずれも初代)を歴任<br>首相就任４回　歴代最年少総理(４４歳で就任)<br>１８８５年１２月２２日～１８８８年　４月３０日　総理大臣<br>１８９２年　８月　８日～１８９６年　８月３１日　総理大臣<br>１８９５年　３月２０日～４月１７日　下関講和会議における日本全権弁理大臣<br>同年　　　　４月１７日　下関条約調印<br>１９００年１０月１９日～１９０１年　５月１０日　総理大臣<br>１９０５年　朝鮮初代統監に就任<br>１９０９年１０月２６日　ハルビン駅でテロリスト、安重根の銃撃を受け死亡<br>１９０９年１１月　４日　国葬<br><br><br>安 重根（アン　ジュングン）<br><br>生没　１８７９年生～１９１０年３月２６日没<br>朝鮮の独立運動家<br>左利き<br>カトリック教徒　学校を設立　義兵を組織<br>１９０９年１０月２６日　ハルビン駅で朝鮮初代統監の伊藤博文を射殺<br>銃撃にはブローニング社製の自動拳銃(７連発)を用い、６発を発射、その場で逮捕される<br>旅順地方法院で死刑判決をうける<br>１９１０年３月２６日　旅順監獄で死刑執行<br><br>韓国人の多くは伊藤博文へとんでもない誤解をしている。<br>初代統監であった伊藤博文は、当時の第二代朝鮮統監、曽祢荒助（日露戦争時の大蔵大臣）らと共に朝鮮併合反対派でった。<br>ちなみに、このとき朝鮮併合賛成派は山県有朋や寺内正毅陸軍大臣などであった。<br>別に朝鮮半島のことを思ってではなく、「朝鮮併合後の維持には日本の国力を超えた莫大な金が掛かる」事を伊藤博文らは主張し併合に反対したのである。<br>実際、伊藤博文らの朝鮮併合反対派の主張は正しかったわけで、１９４５年の敗戦までに日本が朝鮮半島につぎ込んだ資本・資産は現在の価値になおして８０兆円以上のとんでもない額になったのだ。<br>先見の明を持った、というより常識的な判断が出来た日本の数少ない政治家だったのかも知れない。<br>結局、伊藤博文の暗殺後、１９１０年に曽祢統監は胃ガンで倒れ、同年解任、そして朝鮮併合賛成派の寺内正毅が第三代朝鮮統監に任命される事となり、この時点で朝鮮併合が事実上決定したのである。<br><br>この歴史の流れの中で、テロリスト安重根の役割りを考えたとき、彼が本当に韓国人の賞賛を浴びるに足る人間であったか甚だ疑問である。<br>第一、彼が行ったのは思想信条はどうあれ、間違いなくテロである。<br>これを認めない人間はこの世には存在しないであろう。<br>そして、結果的に安重根は伊藤博文という朝鮮併合反対派の重鎮を暗殺することによって、朝鮮併合への道を加速させただけに過ぎなかったのである。<br>確かに、韓国人が言うとおり仮に安重根が伊藤博文を暗殺しなくても朝鮮併合は行われたかも知れない。<br>だが、それは歴史のIFに過ぎず、論評の価値はない。<br>上記の通り、朝鮮併合の道を加速させ、決定付けさせたのは間違いなくテロリスト安重根である。<br>これが、安重根の暗殺により朝鮮併合が為されなかったというなら、彼のテロにはまだ意味があっただろうが、結果がこれでは意味もへったくれもないものである。<br><br>さらに韓国人の誤解或いは認識不足の一つに、朝鮮併合には朝鮮人自身が積極的に関与していた事実である。<br>朝鮮併合に賛成する多勢の朝鮮人の中でもその筆頭は当時の朝鮮首相、李完用であった。<br>彼は反日派の群衆に２回も自宅を焼かれながら、日本の力により、韓国を近代化しなければならないとの信念で当時の韓国政府をリードしたのである。<br>又、当時の最大の政治勢力は一進会であり、ピーク時会員数１００万人と称している。（韓国人はこの数を認めないが）<br>彼らは日露戦争時、命を懸けて日本に協力したが、第二代朝鮮統監の曽祢とは不和を生じており、併合時はかなり減少して２０万近い勢力になっていたと思われる。<br>１９０９年末、彼ら一進会の提出した、合邦についての請願書が併合に大きく寄与したと言われている。<br>現在の韓国では「李完用」「一進会」とくれば「親日」「売国奴」「国賊」でその論議は終わってしまう。<br>韓国人は当時、少なくとも朝鮮を代表し、或いは朝鮮の一大勢力であった彼らの真実の姿を見ようとせず思考停止してしまうのだ。<br><br>確かに、朝鮮併合に対し反対した朝鮮人も多くいたことは想像に難くない。<br>この意味で、朝鮮併合反対の延長線上にテロリスト安重根が存在したことも十分理解出来る。<br>だが、だからといって安重根のようなテロリストを聖人君子のように崇拝し、そのテロ行為を賞賛するが如きは極めて危険極まりないものであり、また元勲、伊藤博文をテロによって失った日本への挑発行為でもある。<br><br>韓国人も理性が今だ存在するならテロリストを賞賛する自国のあり方をもう一度考え直すべきである。<br>そしてまた、李完用のように朝鮮の未来を考え、日本との併合を推進した朝鮮の先人達も多く存在したことを韓国人は忘れるべきではない。<br>今現在の韓国人がどう思うと、彼らは朝鮮の未来のために命を懸けて戦ったのである。</blockquote>
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<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 03:30:34 +0900</pubDate>
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<title>従軍売春婦の真実</title>
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<![CDATA[ <span style="font-weight: bold;">お気づきの通り、上記タイトルにて従軍「慰安婦」の言葉は使用していない。従軍「売春婦」である。</span><br><p><b>      結論から先に言うが、当時「慰安婦」と呼ばれた女性達は相手をした日本兵たちから金を貰い生計を立てていた。<br>      これを通常「売春」と呼ぶ。その善悪はともかく、彼女たちは「売春」を生活の糧にしていたのである。<br>      一般に韓国内で喧伝される「従軍慰安婦」と呼ばれる存在は、日本軍によって無理矢理連行され、劣悪な環境のもと一日何十人もの日本兵の相手をさせられたとある。<br>      さて、韓国人には次の米軍レポート（要約）をご覧頂きたい。<br>      これは、敗戦直後に米軍が「慰安婦」の実体を米軍情報部が、当の慰安婦本人（北ビルマのミチナ慰安所）から聞き取り調査をしたレポートである。<br>      <br>      曰く「女性たちはブローカー（および経営主）が、３００～１０００円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は４０～６０％、女性たちの稼ぎは月に１０００～２０００円、兵士の月給は１５円～２５円。慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、････寝起きし、業を営んだ････彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。慰安婦は接客を断る権利を認められていた････負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」<br>      <br>      韓国で喧伝される慰安婦像とあまりにもかけ離れているではないか。<br>      少なくとも、米軍が調査した慰安婦達は本人自身の理由（貧困など）により慰安所に入り、月に１０００円～２０００円（一般兵士の月給と比べても１００倍以上の高給）を稼いでいたのである。<br>      さらにその暮らしぶりは当時の米軍から見ても「贅沢」と写るものであったことが分かる。<br>      また、慰安婦は無理矢理客を取らされていたのではなく、客を断る権利もあり、借金の返済が終われば朝鮮に帰る慰安婦達もいたことが記されている。<br>      当時、日本は敗戦国家であり、米軍が日本に対して厳しくその戦争責任を追求していることから考えれば、「慰安婦」はある意味格好の攻撃材料だったはずである。<br>      何も、日本側の有利にレポートを書く必要はなかったと考えるのが普通である。（普通ならその逆に日本に不利になるようにレポートするはずである）<br>      にも関わらず、こういった「慰安婦」の実体がレポートされているのを見れば、当時の「慰安婦」は今現在韓国が捏造するような「従軍慰安婦」ではなかったと考えられるのではないだろうか？<br>      <br>      また韓国側が慰安婦問題で引き合いに出す「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」（吉田清治　著）だが、後に吉田自gが「従軍慰安婦の強制連行など作り話であった」と認めている。<br>      このような作り話の本を元にして、韓国は従軍慰安婦をでっち上げ、日本へ不当なる賠償を要求しているのが現状だ。<br>      実際、吉田のこの本は１９７０年代に発刊されているが、それ以前には「従軍慰安婦」問題など全く存在していなかったのである。<br>      この本が出版され、日本で騒がれるようになると、韓国内で我も我もと従軍慰安婦の被害者を名のる韓国人女性たちが出てくるのだ。<br>      幾らでも日本を告発する機会があったにも関わらず、戦後２５年以上もの間、何故彼女たちは日本の「不当行為」を告発しなかったのか？甚だ疑問である。<br>      <br>      後に、元慰安婦であったという金学順は次のように韓国の新聞で語っている。「生活が苦しくなった母親によって１４歳の時に平壌のあるキーセン検番（日本でいう置屋）に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍３００名余りがいる部隊      の前だった」（ハンギョレ新聞１９９１年８月１５日付）<br>      <br>      何を意味するのかお分かりだろう。<br>      当時、朝鮮では様々な形で人身売買が行われていた。<br>      生活苦に年頃の娘を売りに出していたのである。<br>      彼女たちは進んで慰安婦になったのではないかも知れないが、日本によって強制連行されて慰安婦になったわけでもないのだ。<br>      <br>      また下記に慰安婦に関する当の韓国人達の発言を記してみた。</b></p>      <b>「そんなことはなかった。２５０人余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」＜城山里在住：チョン・タン（八五歳、女性）＞<br>      <br>      「八三年に原本が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われると憤慨した」＜金奉玉（郷土史学者）＞<br>      <br>      これは、戦後４４周年（１９８３年）に際し韓国で出版された「日帝時代に済州島の女性２０５名を慰安婦として強制連行された記録」に関して、城山浦の貝ボタン工場で１５～１６人が強制徴用されたり、法環里などの各村々で行われたとされう慰安婦狩りについて当の住人・研究家の発言である。<br>      なお、上記の引用は、１９８９年８月１４日付の「済州新聞」の署名記事からのものである。<br>      <br>      以上のように、韓国側の主張する「従軍慰安婦」なる存在は全くの虚構と歪曲の元になりたっており、実際の彼女たちは「従軍売春婦」であった。<br>      彼女たちの境遇には同情を禁じ得ないが、それは当時貧しかった日本でも同様に人身売買がなされており何も朝鮮だけの問題ではなかった。<br>      韓国の嘘で塗り固められた歴史にしか自分の身の置き所がなく、日本大使館前などでただ絶叫する哀れな老女たちを見ると、何とも言えない気分になる。<br>      彼女たちを嘘の歴史で救う事が出来ない事を韓国人は理解されたい。</b><br><br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100827/03/taigimeibun/eb/30/j/o0380028510715631706.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100827/03/taigimeibun/eb/30/j/t02200165_0380028510715631706.jpg" alt="大和魂のブログ"></a><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100827/03/taigimeibun/ba/31/j/o0380028510715632150.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100827/03/taigimeibun/ba/31/j/t02200165_0380028510715632150.jpg" alt="大和魂のブログ"></a><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/taigimeibun/entry-10631195702.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 03:01:46 +0900</pubDate>
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<title>南京大虐殺</title>
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<![CDATA[ 支那人にとってこれは歴史問題ではなく、むしろ政治の問題である。<br>      支那は<font color="#ff0000"><b>事実がどうであったか議論することは一切ない</b></font>。子々孫々の代まで教科書で「大虐殺」（支那語では「南京大屠殺」）を教え込まなくてはならないと決められている。<br>      この<b>「南京大虐殺」は支那人にとって、証拠に裏付けされた揺るぎない事実であり、絶対に否定してはいけないものと決められている</b>。<br>      殺害されたとする人数は、過去には「百万人以上」ともされたが、これはあまりに大げさすぎるので、<b>支那共産党は「三十万人以上」と決定し、今日ではそれに対する異説は許されなくなっている</b>。数字が確定したので、あとは「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」など、歴史博物館の展示内容と宣伝技術をいかに強化するかだけが、残された課題である。<br>      党によって「虐殺」の事実が決定した以上、支那ではこれをめぐるさらなる議論は存在しない。あるのは日本側から虐殺否定論が出されるたびに「絶対謝罪もしなければ反省もしない」と日本民族の醜悪さを喧伝し、虐殺プロパガンダの好材料にするくらいのことである。<br>      <b><font color="#ff0000">今の支那にとって「南京大虐殺」、中華民族の愛国心鼓舞と団結のため、絶対欠かせない聖域となっている</font></b>。<br>      だから<b>歴史の捏造が暴露されても、それを支那の国民に知らせることなど絶対にしない</b>。<br>      <br>      日本軍による虐殺はなかったが、支那人による虐殺は多数ある。最近でも<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1950_tibetto_shinryaku.html">チベット侵略</a>、<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1961-70/1965_bunka_daikakumei.html">文化大革命</a>、<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1981-90/1989_6-4tenanmon.html">六・四天安門虐殺</a>など数多い。<br>      <b>支那の軍隊は、清の全盛期が過ぎてからはまさに兵匪そのものと化していた。戦争になると略奪、暴行、虐殺はお手のものである</b>。<br>      ことに、残虐行為は彼らが敗走するときに目立った。進撃しているときではなく、撤退しているときんこそ、虐殺・暴行を働いている。<br>      <b><font color="#ff0000">虐殺は古代から一貫する支那の伝統文化である</font></b>。王朝の交代期に敗残兵が都城で大虐殺を繰り広げていたことは、各時代の正史の記録でも明らかである。<br>      南京城はたびたび大虐殺に見舞われている。魏晋南北朝の時代だけでも300年以上にわたって大虐殺が繰り返されている。宋、隋の時代も、その時代以降も惨劇は繰り返され、そのために廃墟になったこともある。近代に入ってからも1864年や1913年に南京では大虐殺が行われている。<br>      支那側が記述する日本軍の「大屠殺」の情景は、支那歴代王朝のそれに酷似している。<br>      <br>      支那側の主張する日本軍による”虐殺”を調べてみるとき、それらが<b>ことごとく支那伝統の猟奇的屠殺方法を日本人の上に仮託した虚構</b>であることがわかる。悲しいかな、<b>支那人は、彼らの国で行われてきた虐殺が、日本人の民族性と相容れず、したがって日本の歴史の中にほとんどその類例を見出し得ない事実を認識できない</b>のである。憐れむべし、彼らは自らの裡に潜在する嗜虐性は、日本人の裡にもまた潜在すべしと臆断して遅疑するところがないのである。それゆえ、日本人から見れば、支那人が日本軍の”残虐行為”を揚言すればするほど、彼ら自らの嗜虐性を暴露し告白する姿を其処に見出すことになるわけだが、彼らには、二図からのその姿が見えないのである。<br>      <b>東京裁判以降、支那側の”屠殺証言”を日本人として補強し、再生産するのに与ったのは朝日新聞の記者・<a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/honda_katsuichi.html">本多勝一</a>の書いた「中国の旅」</b>である。<br>      <br>      　<img height="15" border="0" width="15" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.geocities.co.jp%2FBookend-Yasunari%2F7517%2Fnenpyo%2Fyougo%2Faikon.gif"> <a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1971-80/1971_chugoku_no_tabi.html">中国の旅</a><br><br>      東京裁判の弁護側の証人の証言を以下のページに記載。これを読めばどういう状況だったのかが分かろう。<br>      <br>      　<img height="15" border="0" width="15" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.geocities.co.jp%2FBookend-Yasunari%2F7517%2Fnenpyo%2Fyougo%2Faikon.gif"> <a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/nankin_daigyakusatsu_shogen.html">「南京大虐殺」に関する東京裁判弁護側証人の証言</a><br>      <br>      <b>日本では虐殺は異常なこととされるのに対して、支那では虐殺は日常茶飯事であった</b>。
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<link>https://ameblo.jp/taigimeibun/entry-10631190753.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 02:53:28 +0900</pubDate>
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