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<title>takのブログ</title>
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<title>結婚ってどうよ</title>
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<![CDATA[ 社内では伝説的で力のある先輩(独身・37才)から、<br><br>「結婚ってどうよ？」<br>と聴かれた時に、<br><br>初対面であったことと変な緊張、そして変な気遣いから<br><br>「良かないですよ。結婚前と違ってケンカも増えますし、気が強くなりますし」<br>と、よくある当たり障りのないことを言うと<br><br>「ふーん」とだけ返ってきた。<br><br>変に恥ずかしがらずに<br>「友達はいつでも助けに行けないけど、嫁さんならいつでも助けに行けるから良かったです」<br><br>と言えば良かった。あの人はきっと、ちゃんと本音を伝えても聴いてくれたであろう、と今になって思う。<br><br><br>僕の友達はイィ奴ばかりだ。みんな不器用だけど。不器用だから不器用な奴の気持ちを分かってあげられる。<br><br>どんな形であれ、イィ奴の近くにはイィ人がいてくれれば良いな、と思うのです。<br><br>本当に勝手ですが、近くにいれないことが時々、とてももどかしくなるのです。
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-12381023840.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jun 2018 18:52:03 +0900</pubDate>
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<title>神も仏も　　2013/8/15</title>
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<![CDATA[ 神も仏も所詮脳の中の出来事だ。悩みや想いを頭の中で一度第三者に託す（つもりになる）ことが重要で、それこそが祈りの本質なのかも知れない、とふと思った。<br><br>一度客観的になることで頭の中を整理する。整理できなくても、落ち着かせようとする。<br>「そもそも客観的など有り得ない」と大学の先輩が言っていたけど、そこはあくまで客観『的』である。上手く言ったものだ。<br><br><br>今日買い物に出て、たまたまロッテリアがシェーキの半額セールをしていたので２人で寄った。<br>かぼす味のシェーキが『当時』の味かどうかは定かではなかったが、小さい頃静岡に遊びに行くと、よく祖母に連れられロッテリアに行った事を僕は思い出していた。<br><br>そうして僕は祖母がもういないのだという事を思い出して、一人でゾッとしていた。圧倒的な事実。<br><br><br>旅から戻った大学５年生の夏、祖母の家に行くとちょうど送り盆とのことで夕方、玄関先に小さな火をくべた。祖父の為の送り火だった。<br>「どこに還っていくの」<br>「さぁね」<br>僕は漠然と天国なのだろうと知りながら尋ね、祖母は屈んだ小さな背中のまま答えた。<br>そうして僕らはしばらく黙ったまま、ただただ火を見つめていた。穏やかな灯は心を穏やかにする。昔の人はきっと理由が欲しかったんだな。<br>５年の月日が経ち祖母は骨と写真になり、見送られる側になった。それだけでない。祖母がいた事も祖母と短いながら過ごした事も事実だが、今や祖母は思い出という僕の脳の中の出来事になってしまった。<br><br>あるいは僕の言ってることの方が間違いで、神も仏もばあちゃんも『ここ』にいるのかも知れない。<br><br>〃いないかも知れないし、いるかも知れない。いずれにしてもいる証明もできなけりゃいない証明もできないのがミソなんだ〃<br><br><br>今日はお盆。墓は遠いから行けないけれども、（というのもこういう仕事をしてても祖母が『そこ』にいるのかいまいち分からないから、墓に足を運ぶ気にならないのかもしれない）、少なくとも何かの折に祖母を思い出し、せめて祖母のことを忘れずにいようと思った。<br><br>窓の外は雨の気配に満ちている。やがて来る夕立の予感。<br>かぼすって何なのかいまいち分からないまま、２人で分けたシェーキはあっという間に口の中で溶けて消え、窓ガラスの外、頼りなく付いた雨粒も、曖昧に融けて消えた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11593407648.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Aug 2013 01:06:52 +0900</pubDate>
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<title>死に場所　　2008/12/19</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" class="FANCYURL_EMBED" data-widget-namespace="jp.mixi.home.pc.page.diary.embed.renderer">11月の27日から12月3日まで、バラナシという街にいた。 <br><br>聖なる河ガンガー（ガンジス河）に臨む街バラナシは、街のある西側は建物がゴミゴミと乱立して賑やかなのに対して、対岸は不浄の地とされているため一切、人が住んでいない。乾季には砂浜と、その奥に富士の樹海を連想させるような、妖しい森が広がっている。 <br>そのため夜になると向こうには一切の明かりがなく、ガンガーは音もなく流れ、ぼんやりと対岸の輪郭が見えるだけの、どこまでも鈍い闇．．．。その光景は僕に見たこともない三途の川と、黄泉を連想させる。 <br><br><br>ここはヒンドゥー教の聖地で、ガンガーで沐浴して（体を洗うと）一生の罪が洗い清められ、より良い来世を迎えることができるという。さらにここで死に、葬儀され体を焼かれ、その灰をガンガーに流されると、輪廻の輪から解脱できるという。 <br>どーでもいいけど、この『解脱』って言葉、高3のとき流行ったな．．．。 <br><br>川沿いにある火葬場からは24時間、火の手が消えることはない。 <br>男は白い布、女はオレンジの布にくるまれて灰にされ、人生を充分生ききっていない子どもは河に沈め、流される。なのでボートに乗ったりすると赤ん坊の死体が浮いているのを見かけることもある。 <br><br>火葬場の周り、つまり川沿いでは子どもらが凧を上げたり、若者はクリケットを楽しんだりしている。旅行者に麻薬を勧める者、女の子のナンパに一生懸命な者、物売りの子ども、ハンセン氏病で手足や指のない物乞い。河で水浴びする者、洗濯をする者。 <br>人々の営みが、普通に在る。 <br><br><br>ある日僕らはバラナシで最も有名な日本人宿『久美子ハウス』を見物に行った。ま、男１人ならまだしも、ショウやん連れて泊まる所ではないなということになって、僕はショウガ焼き定食、ショウやんはラーメンライスだけ食べて帰ることにした。 <br>で、久しぶりの日本食は涙腺が刺激されるほどウマかったのだけど、僕はその昼食の後すぐに原因不明の強烈な吐き気に襲われ、 <br>『ごめん、ちょ、先ホテル帰ってるわ』 <br>と言って別行動をとることにした。 <br>いま思うと僕がそのとき飲んだ、紙パックのりんごｼﾞｭｰｽを、久美子さんがエンピツ（のとがってる方）でブスッ！とストローの穴を開けてくれたせいかもしれない。 <br><br>なんにせよ、それはもうひどい吐き気だった。たまったもんじゃなかった。一刻も早くオテルのベッドで横になりたかった。 <br>喧騒とゴミと糞尿の、狭くて薄暗い石畳の路地裏を、僕はフラフラしながらただただ歩いた。 <br>牛の物言わぬ深い深い瞳が、僕をみつめた。道で仔犬が死んでた。裸の老人が、道端で横になっている。小さいハエが何匹もその周りをブンブン飛び回っても、誰もそれを振り払うものはいない。 <br>　誰かが僕に声をかけたが、僕はそれらの一切を無視した。僕はなんにも見ちゃいなかった。うっすらと心の底で、ただホテルの方向だけを意識していた。 <br>　きっと僕の眼は虚ろで、周りから見たらクスリでもやってるヤツに見えただろう。いやもしかしたら誰も僕のことなんか見ていなかったかもしれない。 <br>　僕はまだそういうのに一度も手を出したコトはないけども、「麻薬ってやったらこんな感じだろうか」とぼんやり考えた。 <br><br>　　　全てが遠い出来事のようだった。 <br><br><br><br>僕はその日の午後いっぱいは、火葬場で過ごそうと思っていた。気持ち悪いって思われるかもしれないが、ちゃんと、見ておきたかった。 <br>しかし体調がもうそれどころではなかったので、構わずホテルに帰ろうと思っていた。それなのに気が付いたら、あの川沿いの火葬場に出ていた。 <br>引き寄せられたのか、呼ばれでもしたのだろうかと、一瞬そんなことを考えてしまった。 <br>ま、いっか。もともとそのつもりだったし、僕は遺族と少し離れたところに腰を降ろして、かつて生きて考えて動いていたであろうカラダが燃えていくのを、けっこう長い間、見ていた。 <br>変な表現だけど、動かないインド人って、とてもとても、妙な感じがするのだ。遺族もほとんど押し黙って、ただただそれを見ている。 <br><br>不思議と吐き気は収まっていた。単純に休息が必要だったのかもしれないし、そもそもの始まりは昼メシ前にここを通った時に見た、あれは人の顔．．．のせいだったかもしれない。 <br><br>インド人は基本的に言うこと大体テキトーなので真偽のほどは定かではないが、毎日1000～2000体の死体が焼かれるのだそうだ。なので川沿いに数カ所ある火葬場には常に5、6の煙がたちこめていて、完全に日が小さくなって薪だか人の灰だか分からなくなっているものもあれば、まだ焼き始めてあまり時間がたっていないのだろう、人のそれと分かる状態のものもある。 <br>あれは．．．人の足か．．．。まだ顔の輪郭も髪も残っている。そして足を．．．竹の棒で．．．折った。まるで薪のひとつみたいにあっけなく、折れた。ああやってすこしづつ小さくして、灰にしていくのだろう。 <br><br><br>ヒンドゥー教徒にとって聖なる河ガンガーで死に、還ることは至福の喜びであり、インド各地から巡礼に訪れる人や、ここで死ぬために、人生の終わりにはるばる旅をしてくる人もいるという。 <br><br>『死に場所』が決まっているっていうのは、幸せなことだろうか。 <br><br>神さまとか天国とか来世とか信仰とか、僕にはあんまり馴染みのある事ではないけど、大事なのはそれがホントに存在するかどうかじゃなくて、『そうだ』と信じて疑わない事にあるのだろう。そうすれば彼らにとって、それが現実となる。 <br><br>信じていれば、救われるのか。どうなんだろう、僕にはわからないな。ただ、気持ちは救われるかもしれないな。それが大事なのかもしれない。 <br><br>人間の思いつく全ての理屈って、結局全部慰みものなんじゃあなかろうか。 <br><br><br>毎日ここに来て火葬を見て、気が狂って死んだ日本人がいたという。僕は『おそらく麻薬でもやってたんだろう』と安易に考え、そう答えた。インドに長居してるような日本人は、そのへんの評判があまりよくない。 <br>しかし気が狂ってここで死ぬってのは、少しお門違いな気が僕にはした。まぁ彼が何を想ってそうなったのか、僕には知る由もないのだけど。それにそんなに真相を知りたいとも思わなかった。 <br><br><br><br>２月に死んで灰になったお祖父さんのことを想った。 <br>ごうごう燃える炎の中にじいちゃんが滑り込まれていって、荼毘に付してるその間、僕たちは戻ってなんだかはっきりしない味の寿司を食べてた。僕らは喋ったり喋らなかったりしながら、ただただ箸を口に運んだり運ばなかったりした。 <br><br>しかたがなかった。誰にもそうする以外どうしようもなかった。 <br><br><br><br>『死に場所』が決まってるってことは、ともすれば幸せなことかもしれないな。 <br><br>２月に灰になったお祖父さんのことを想った。 <br><br><br><br><br>ここじゃない　今じゃない。　俺の死に場所はここじゃない。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11573286322.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jul 2013 23:00:12 +0900</pubDate>
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<title>安心な僕らは　　2008/12/11</title>
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<![CDATA[ 今さらだけどインドって人が多い。上尾より多い。<br>持ってる者と持ってない者の差が大きい。どこだってそうかもしんないけど。おそらく僕らはインド人よりもインドを回ったろう。変なの。だからってインドの何を知ってるワケでもないけど。<br>僕らは確実に前者だろう。フツーに生きてりゃなかなか死ぬことはない、だけど僕は無条件に『日本に生まれて生きてる僕らは幸せだ』って言えそうにない。<br>みんな苦しそうだもの。もちろん楽しい事だっていっぱいある。だけど悩みひとつ持ってない人に今まで一度も会ったことがない。分野や程度の大小じゃなしに。そりゃ見る人によれば贅沢な悩みかもしれんけど、それでも。<br><br>バカはバカなりにバカな悩み抱えてんだ、バカにすんなってね。<br><br><br>話は変わるがもうすぐ年末年始っすね。考えてなかった…紅白、前田ん家でヘヘオと林と高橋と吉野（と時々正木）と過ごす自堕落な新年が恋しい。<br><br>ショウやんの言う事も一理ある。１人はけっこう寂しいな…バングラ行こっかな。<br><br>華やかさ煌びやかさ、賑かさの裏で惨めな想いをしてる人もきっといるのだろう。<br>年末近くなると水商売に携わってる女性の自殺者が増えるって話をなんかで読んだことがある。<br><br>もう12月かぁ…月並みだけど、早いなぁ……<br><br>来る。夜が来る。もう帰らなくちゃ。<br>今日は満月ですね。変な話だけど、僕は毎晩大体月を見てる。みんなも見たりしてるんだろうか？<br>うっちーがやけに月の満ち欠けに詳しかったな。男は夕暮れ、女は満月を見ると憂鬱になるんだって誰かが言ってたな。<br><br><br><br>遠くにいくことの価値はどこにあるのだろう。<br>僕の友人がこの夏、遠くにいった。そのコの日記、なんか好きだった。<br>僕はなんにもわかっちゃいない。ただ、もう少し遠くにいってみようと思います。<br><br><br>ショウやんとの旅も終わった。<br><br>彼女には社交事例じゃなしに世話になった。<br>いつだってそうだけどサヨナラの時は案外言葉が出てこない。<br><br>また１人になった。<br>独りは気が楽だけど、やっぱ人間ときどきは誰かといるべきだよ。<br><br><br><br><br>遠くにいくことの価値はどこにあるのだろう。<br><br><br>ショウやんとの旅も終わった。<br><br>明日からどこへ行こう<br>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11571400681.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jul 2013 22:04:15 +0900</pubDate>
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<title>思い出すのは　　2008/11/28</title>
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<![CDATA[ 昔僕が子どもだったころ、いつだったかもう忘れてしまったが、今でも憶えているこんなテレビのコマーシャルがあった。<br>それは確かお茶だか梅酒だかのＣＭで、青年が旅の空のした、恋人（？）に絵葉書を送るという内容のものだった。<br><br><br>青々と緑の眩しい茶畑だか梅林だかで、身なりの整ったとは言い難い青年が１人、抜けるような青空を見上げる。<br>そしてナレーションが入る。『摘みたての葉を送りました<br>（旅に出たのに？）想い出すのは、君のことばかりです』<br>いやもしかしたら『摘みたての季節を送りました<br>君のことを想い出しました』だったかもしれないが、もう定かではない。<br><br><br>で、その絵葉書を受け取った女の人（素朴だが、綺麗な、しかし顔はもうモヤッとして思い出せない）が、良く晴れた日のベランダで、その梅酒だかお茶だかをグラス片手に飲みながら、<br><br>『なーに言ってんだか。』<br><br>と、小馬鹿にでもするようにふふんと、しかしまんざらでもなく嬉しそうに、さらさらさらりと、鼻唄でも口ずさむように囁く。<br>その雰囲気が、すごい好きだった。<br><br><br>もう今ではその人の顔や風景、言葉といったディテールは明確には残っていないのだか、それでもそれらは僕の記憶とおそらく憧れと混ざりあって溶け合って、ぼんやりと曖昧だが、今でも記憶のどこかに残っている。<br><br><br>数学の公式も英単語も、死んでいった人たちの数も偉い人の名前も、悲しかったことも忘れてしまったのに、不思議とぼんやりと、忘れないこともある。<br><br>おそらく僕は あのときのままだ。<br><br>酔っ払ってるだけなんですよ。<br><br><br><br>旅に出たのに僕は弱くなるいっぽうだ<br><br>別に強くなるためにとか自分を成長させるために旅に出たわけじゃないけれど。<br>少なくともものすごい自分勝手な人になってる。気の使い方を忘れてしまった。<br><br>旅に出たのに僕は想い出してばかりだ<br><br>そしてそれらを後生大事に抱えてる。ただそれだけなんですよ。<br>全てを捨てる勇気（？）は僕にはない。<br><br>別に自分探しをしてるんですなんて 言いたいわけじゃないんだ。<br>しかし結局あれもこれも、言い方の問題で、やってる事は大体いっしょなのかもしれないな。<br>ならばいったい僕は何をこんなに苛ついているのだろうか。<br><br>旅に出たのに僕は結局イメージの中で生きてる<br><br>おそらく僕の大体は、イメージと下心と、曖昧なモヤッとしたもので出来てる<br>22にもなって僕はまだ感情論ばかりだ<br><br>別にどっちが幸せかとか、1日1日を精一杯生きましょうなんて言うつもりはないんだ。<br><br><br>できるならば、ひょうひょうとしてたいな。<br><br><br>忘れたこと、思い出せるかな<br><br><br>星のした旅をしてること 絵葉書でおくって<br><br><br><br><br>旅をしている旅を、している。<br><br>不安になって声に出してみた。わざわざ言葉にするもんでもないのかもなぁ。たぶん言葉は付属品だ。<br><br><br>それでも言葉になんかとてもなりきらないんだけど、なんだか留めておきたい時がある。<br>言う程じゃないんだ。けっこう楽しんでるよ。<br><br>酔っ払ってる、だけなんですよ。<br><br><br><br><br><br><br>『なーに言ってんだか。』<br><br>
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<pubDate>Thu, 04 Jul 2013 22:25:04 +0900</pubDate>
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<title>影　　2013/6/28</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" class="FANCYURL_EMBED" data-widget-namespace="jp.mixi.home.pc.page.diary.embed.renderer">西陽があんまり強く田園の緑を染めたものですから、僕は少しばかり、泣きそうになっていたのです。<br><br>先日ばあちゃんが入院したとのことで里帰りした。母方の祖母は今年の正月に他界してしまったので、僕にとっては父方の祖母がラストばあちゃんになる。<br>いくら持ち直したと言ってもアラナイだから後10年は難しいだろう。親だって60だ。親の還暦って子どもにとってもなんやらカンガイブカイ。<br>お互いに歳をとっていっているのだ。そして至極当たり前のことだけれど、死んだらもう２度と戻らないのだ。<br><br>見舞いを終えて家に着くと夕飯まで時間があったので、久しぶりに近くの田んぼを一人で散歩した。<br>川沿いの田園の一角は数年前に貯水池になっており、昔と違って遊歩道が整備され、犬を連れている人や散歩している老夫婦がちらほら歩いていた。<br>半そでではほんの少し寒いが心地よい。千切れた雲がいくつか夕暮れの空に浮かんでいる。見渡した空は限りなく夏に近い春の気配に満ちていた。<br>強い強い西陽が僕の影を青々とした田園に落とした。ごくごく気付かない内に少しづつ、僕の影が長く伸びていく。<br><br>夏が思い出とか郷愁の代名詞みたいになってるのはなぜだろう。<br><br>保育園の頃だったか小学校の低学年だったか、近所に１コ下のヒロ君って子がいて、遊びに来た正木を勢い余って田んぼに突き落としたな。<br>夏祭りの夜にみつを達と公民館の屋根に登って花火を見てたら、おっちゃんに怒鳴られて慌てて逃げたな。<br>中学の部活の帰り道、同じ方角の友達と列になって見る夕暮れが好きだった。<br>高校の時失恋して、なんとなく一人で田んぼの近くの河原で黄昏てたら、巨大なゴールデンレトリーバーが乱入してきてそれどころじゃなくなったな。<br>誤解を恐れずゲスな事を言うと、いつか好きな人が出来たら一緒にここを歩くのが子どもの頃の僕の憧れだった。<br><br><br>遠くで子ども達が列になり、夕暮れの田園を越えていった。長く伸びた影たちが家々に帰っていく。影の数だけ「ただいま」があり、「おかえり」があるのだ。<br>あぁこれがいわゆる原風景というものなんだろうなとふと、僕は考えていた。<br>田園と荒れ地、夕暮れ。静かな住宅街、遠くから聴こえる、ピアノの音。帰り道のカレーの匂い。郷愁と、憧れ。<br><br>思えば僕を含めて数少ない僕の友達のほとんどが町を出ていってしまった。時々会って噂を聞く限りでは、小・中学の同級生の半分以上は出ていってしまったんじゃないかと感じる。<br>みんなこの先どうなっていくんかなぁ。<br><br>長く伸びた僕の影も、曖昧になって消えた。夜が少しづつ僕らの街に近付いている。僕もそろそろ帰ろう。<br>長く伸びた影も曖昧になって消えた。<br>僕もいつか、「おかえり」を言う側になるのだろうか<br><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11562677362.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Jun 2013 23:16:54 +0900</pubDate>
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<title>大切なことは　　2008/11/21</title>
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<![CDATA[ デジカメのデータが恐らく全部消えた。正直、けっこうしんどい。笑えんわー<br><br>今、自分で自分を慰めるのに必死だ。<br><br>まぁ不幸中の幸いというか、ケータイの方でも撮ってたから、そっちは無事なのだけど。<br>無理にカタチになんか残そうとすっからいざそれがなくなった時辛くなんだ。<br>これだから機械は苦手だしかし機械は裏切らないという。裏切ったのはどっちだ。<br>身ぐるみ剥がされた人もおるけんな命も荷物もあるだけマシか。<br>心のアルバムとやらに残ってることを期待するばかりだ。<br>データがなくなったくらいで騒いでるんも、もってる奴の悩みか。くだらねえっちゃくだらねえか。<br><br>今、自分で自分を慰めるのに必死だ。滑稽なほど。<br><br><br><br>ところで砂漠は……すごい。この言葉に尽きる。何を呑気な、だけど。<br><br><br>もってきてた星の王子さまを読んでみる。<br><br>夜の砂漠で一人になってみた。<br>一度夜の砂漠で一人になってみたかったんだ。<br>ここで終わってもいいかもな。 いいか？<br><br><br>世界は広い。まいったこればっかりはどうしようもない。<br>まさに命がいくつあっても足りない。しかしいのちは ひとつで充分な気がする。<br><br>世界は途方もなく広くて人生は… 短い？<br>どうなんだろね<br><br><br>住めば都だどこでだって生きてける気がする<br>しかし同時に『人間ってやつぁ、いるところが気にいることなんて、ありゃあしないよ。』も分かる気がする。<br><br>今じゃもう何が大切なのかわからなくなってるんだ<br><br><br><br><br>夜の砂漠でひとりになってみた<br><br><br>いったい僕はなにをしにこんなところまできたのだろうか<br>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11560240190.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Jun 2013 14:13:45 +0900</pubDate>
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<title>そのこと　　2008/11/10</title>
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<![CDATA[ あんなに辛いと思ってたのに そのことを忘れてしまった。<br>あの人の鼻のかたちを忘れてしまった。<br><br><br>まったく世話ないな。都合良くできてるもんだ。<br><br><br>あんなにみっともなく転がったのにな<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>さようなら さよなら<br>あの夜も今日みたいに暑かった<br><br><br><br>どーにも都合のつかないコトも多いようです。なので人間の性格が都合良くできてるコトくらいはまぁ、許してやったらどうですか。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11559561782.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jun 2013 14:38:30 +0900</pubDate>
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<title>印度　　2008/11/4</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" class="FANCYURL_EMBED" data-widget-namespace="jp.mixi.home.pc.page.diary.embed.renderer">インドのコルカタに着いた。 <br><br><br>なるほどすごいところに　きちまったかもしれないな。 <br>汚くて　五月蝿くて　臭くて　うさんくさい。　　鼻毛伸びちまうよ <br><br>しかし　不思議と嫌いじゃない。 <br><br>いよいよ雰囲気がバングラに似てきた。リポンに似ている顔を見かけるとハッとする <br><br><br><br><br>おそらくここじゃ人は簡単に生まれて　簡単に死ぬんだ。 <br><br>まぁ　人が生まれて死ぬんはどこでも一緒だけれども。 <br><br><br><br>それと　これは別にインドに限った話じゃないけれど　犬も簡単に生まれて死ぬんだ。 <br>都市部の野良犬は本当ひどい。動物好きな人が見たら　月並みに心が痛むんだろうな。 <br>”負け犬”って言葉誰が思いついたんだろ？　まるっきり覇気がねぇ　彼らのそれはまさに負け犬だ。 <br><br>ただおそらく負け犬でも生きてけんだろうな。 <br><br><br><br>坂口憲二が昔　日曜の深夜に「この夏は忘れない」という旅番組をやっていた。 <br>とにかく画が綺麗で　番組のフンイキが　暑苦しくなくて　わざとらしくなくて　なんだか好きだった。 <br>その中で「インドは一人旅のメッカで、強烈すぎるばかりに　ものすごく好きになるか　ものすごく嫌いになるかのどっちかだっていう　話を聞いたことがある」って言っていた。 <br><br>そんなこと言われたら　僕はなんだか好きにならにゃいかん気がしてした、勝手に。 <br><br>ともあれ　漠然といつか来ることになるだろうなと思っていたが　ホントにそうなるとはな。その”いつか”が。 <br>時々「あ、オレいま旅してんのか」と思う時がある。まぁ別にあんまし悪い意味じゃナシに。 <br><br>旅行記もいくつかもってきたんだけど、不思議と読むのをやめた。そこに書かれてるような”体験”や”風景”を見て、自分もそれと同じ”ような”モノを見たり体験”しなきゃいけない”気分になるのが　イヤだからだ。 <br><br><br>目的をもってしまうと、それ以外の何かが、見えなくなる？ <br><br><br>ジェンさんは言った <br>「うーん　写真で見たような、思ってたほど綺麗じゃないな」 <br>「カメラマンのカメラマンたる所以は　キレイな写真を撮ることですからね」 <br><br>旅をしてる間しばしば　「すげぇ！～～～～みたいだ」って思うことがある。 <br>結局イメージの中で生きてる。 <br><br>この　”みたいな”　　”ような”を　越えてみたい。 <br><br><br><br>林は水臭いのがキライである　だからしばしば水臭くない感じの　短い言葉を使う <br>しかしそれが　時々すげー嬉しかったりする。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11558692825.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Jun 2013 12:21:38 +0900</pubDate>
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<title>昨日のこと　　2008/11/3</title>
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<![CDATA[ ものすごい色の夕焼けを見た。列車の窓から。<br><br>今日、さよならの朝焼けを見た。<br><br><br><br>そういえば、あの頃のタケさんと同じ歳になっちまった。<br><br>不思議なもんだ。<br>下の子らから見たら、どんな風に映ってるんだろか。<br><br><br><br>どこまで来たんかな<br><br>ずいぶん遠くまで 来たような ？<br><br>今、どこにいるのか<br><br>どこへ行くのか<br><br><br><br><br>ビンさんは言った<br>『こころも一緒に連れてってくれ。』<br><br>セイントは言った<br>『Love the world .』<br><br><br>パフュームか<br><br><br><br><br><br><br>雲が西に流れてく<br><br><br><br>行きますか。<br><br><br><br><br>こころも一緒に連れてくんだ<br><br>どこまでだって いけるぜ。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tak-kiribuchi/entry-11558691133.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Jun 2013 12:18:30 +0900</pubDate>
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