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<title>中途失聴からの回復日記</title>
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<description>長い失聴期間を経て、人工内耳手術を受けました。手書きノートに残していた「聞こえ」の記録を書いてゆきます。</description>
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<title>人工内耳との出会い１。</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td id="webmail_view_main_text_cont"><pre>2013年、あるＳＮＳで知り合った先輩がいる。トライアスロンという共通の趣味を持ち、両耳を中途失聴された先輩だ。すでに人工内耳を装用していて、劇的に聞こえが改善されていた。人工内耳手術について。当時は「両耳重度難聴」のみ手術適用というガイドラインがあった。自分の場合、左耳70dB（高度難聴）だったため適用外だった。2018年にガイドラインが変更され、高度難聴でも語音明瞭度が50%以下ならば手術適用となった。すっかり情弱となり、この情報は知らなかった。2021年、コロナ禍によりマスク社会となる。難聴者にとって、会話するとき読唇術を使えないのは最悪の環境だった。再び人工内耳のことを調べたところ、ガイドラインの変更に気付く。今度こそ、自分は適用対象だと。病院探しが始まる。</pre></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980930245.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Oct 2026 00:15:28 +0900</pubDate>
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<title>難聴左耳だけで50年を過ごす。</title>
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<![CDATA[ <pre>小4の11月に右耳を失聴して以降、左耳（50dB）だけで過ごす。小4の2月に再び突発性難聴を発症し、左耳も80dBまで低下したが、対応が早かったため60～70dBに戻すことができた。先生やクラスメイトに恵まれたことは幸運だったと思う。たくさん遊び、たくさん本を読んだ。中学から学び始めた英語の発音・アクセントに大苦戦。たまらず、左耳に耳穴式の補聴器を使用することを決断した。耳掛け式は高性能だが、走るとき（陸上部）の邪魔にならないよう、小さいことを重視した。大学4年のとき、障害者手帳取得のため大学病院へ検査通院。聴力は6級相当（左耳70dB、右耳100dB）だが、語音明瞭度は10%という低さのため、4級に認定された。これ以降、59歳の12月まで耳鼻科への通院履歴がない。そこそこ大手の金融機関に就職。合併によって4つの社名を経験したが、自分は転職したことはない。いつのまにか40年目に突入した。</pre>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980816023.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Oct 2026 00:14:00 +0900</pubDate>
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<title>10歳の秋、右耳の聴力を失う②</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td id="webmail_view_main_text_cont"><pre>遠い日の記憶。目まいと耳鳴りは軽減したが、右耳はほとんど聞こえないまま。耳鼻科医院へ行った２日後の水曜日、様子見で登校する。左耳だけで聞くと普通の会話にならない。それまで30～40dBの声で会話していたものが、聞き返してばかり。学校の先生もクラスメイトも戸惑い、呆然としていた。現状を受け入れることできず、学校へ行けなくなった。今でこそ「不登校」とか「登校拒否」とかいう便利な言葉があるが、当時は「ズル休み」と呼ばれた。この11月は、ほとんど学校へ行っていない。あまりにも重く苦しく、その後も思い出しては眠れなくなった。50年以上たっても息苦しくなる。</pre></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980734109.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Oct 2026 00:11:47 +0900</pubDate>
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<title>10歳の秋、右耳の聴力を失う①</title>
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<![CDATA[ <pre>遠い日の記憶。小4だった11月、ある金曜日の夕食時のこと。身体がふらついており、母親に食欲が無いことを伝える。体温は39.6℃、吐き気あり。すぐに近所の内科医院へ。目まいが酷いことを指摘され、耳鼻科医院へ行くようにと。解熱剤を処方され、そのまま土日は静養した。月曜日、耳鼻科医院へ。熱は下がったものの、目まいと耳鳴りが続く。聴力検査をして右耳の聴力が100dBに低下（ほぼ失聴）していた。左耳も中度難聴（40～50dB）だと言われた。左耳は少し前から聞こえづらくなっていた。右耳が健聴だったおかげで、あまり不便には感じていなかったが、これは大変なことになったと思った。</pre>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980731547.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Oct 2026 22:09:25 +0900</pubDate>
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<title>現在までの経緯</title>
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<![CDATA[ <p>小4の秋　メニエール病と突発性難聴を発症、右耳を失聴（100dB超）した。<br>小4の冬　再び突発性難聴を発症、左耳も中度難聴（60～70dB）に。<br>中2より左耳に補聴器を装用。以後、59歳まで装用した。<br><br>大4の秋　就職活動のため障害手帳を作成。<br>左耳が高度難聴（70dB）。語音明瞭度10%のため、障害手帳4級認定。<br><br>2022年　自分も人工内耳の適用基準を満たすことを知り、病院を探す。<br>仕事継続してのマッピング通院を考え、名古屋市内の病院を選択。<br>左耳は重度難聴（80dB）まで落ち、障害手帳3級に。<br><br>2023年4月　還暦直前、左耳へ人工内耳手術。KANSO2装用。<br>2024年6月　丸50年も失聴していた右耳へ人工内耳手術。KANSO2装用。<br>左耳の残存聴力も無くなり（100dB）、障害手帳2級に。</p>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980548600.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Oct 2026 00:40:38 +0900</pubDate>
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<title>ブログを始めました。</title>
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<![CDATA[ <p>はじめまして。<br>愛知県在住のアラ還、会社員です。<br><br>長い失聴期間を経て、人工内耳手術を受けました。<br>手書きノートに残していた「聞こえ」の記録を書いてゆきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/taka3527/entry-12980538033.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Oct 2026 22:09:36 +0900</pubDate>
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