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<title>田中秀和のブログ</title>
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<title>純烈コンサート</title>
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<![CDATA[ <p></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240430/14/tanabou1002/97/c1/j/o1024102315432468983.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240430/14/tanabou1002/97/c1/j/o1024102315432468983.jpg" border="0" width="400" height="399" alt=""></a></div>写真撮影OKだったので、撮影しました。<br>客席は95％くらいがおば様で、ごく僅かの我々男性陣と同数くらいの20台前半以下の女性がいたのには驚きでした。<p></p>
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<pubDate>Tue, 30 Apr 2024 14:23:15 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１７回「大阪の文化史（４）‥‥懐徳堂と適塾ーー近世大坂の学問に学ぶーー（１０月１１日）</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の文化史全４回の４回目（最終回）で、「懐徳堂と適塾」についての講義でした。</p><p>前半は、懐徳堂の成り立ち・発展からその出身者までを学び、後半は、蘭学と適塾・緒方洪庵の人柄、教育理念等について学びました。</p><p>前後半通じて感じたのは、大阪が学問に対する積極性が育つ土壌があり、日本の学問の先端をいっていたということ、民間による町人学問所として身分差別を否定し、自由な学風であったということ等、講義内容はとても魅力的なお話でした。</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、午後からクラス全員で、以前の講義で習った「平野郷」へ行き、地元ボランティアのガイドの案内のもと、歴史とロマンがいっぱいつまった町、近世史にその足跡を残し、自治都市として栄えた平野郷の由緒ある場所、建造物等１０箇所以上を見て歩きました。</p><p>所要２時間のコースで、１万歩近く歩きましたので、５～６㎞は歩いたんじゃないかと思われ、少々疲れましたが、とても有意義な見学でした。</p>
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<pubDate>Thu, 12 Oct 2023 14:48:32 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１６回「大阪の文化史（３）」‥‥連歌と能・狂言、川と舟ー失われた文化、残った文化ー（１０月４日）</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の文化史全４回の第３回目で、「連歌と能・狂言、川と舟」についての講義でした。</p><p>前半、連歌の講義では、連歌とは和歌の上句（五・七・五）と下句（七・七）とを複数作者によって交互に歌っていくものとの話があり、形式、雅を求めるものであり、とてつもなく和歌の教養があって時間のある人たちじゃないとできないということで、現代ではサブタイトルにもなっている「失われた文化」のひとつになってしまっているということにも納得感がありました。</p><p>後半、川、堀の話は、道頓堀の開削や大和川の付け替えについてが中心で、とても興味深く、また知らなかった話が多くて大いなる知識を得ました。また、京都が日本の中心として栄えたのは、淀川が大きく関係しているということ等、水路（川、堀）の重要性がよくわかりました。</p>
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<pubDate>Fri, 06 Oct 2023 11:35:55 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１５回「大阪の文化史（２）」‥‥文楽と歌舞伎（９月２７日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の文化史全４回の第２回目で、「文楽と歌舞伎」についての講義でした。</p><p>文楽（人形浄瑠璃）、歌舞伎の成り立ち、歴史的な変遷、背景、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違い等について詳細な説明があり、こういう古典芸能、伝統芸能には興味はあったものの、特定のファン層以外の人々にはなかなか馴染みの薄いものであったが、その歴史、成り立ちを知り、更に興味が湧いてきて、身近な演目があるときなど一度どちらも観劇したいと思いました。</p><p>どちらの芸能も「愛」が根底にあり、特に文楽（人形浄瑠璃）、上方歌舞伎においては和事（男女の愛）をテーマにした演目が多く、一方江戸歌舞伎の方は、武家の主従愛をテーマとした演目が多いという話には「なるほどそう言われてみれば！！」と納得、感心しました。</p>
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<pubDate>Thu, 28 Sep 2023 15:05:25 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１４回「大阪の文化史（１）」･･･文化史と江戸時代の文化（９月２０日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の文化史全４回の第１回目で、「文化史と江戸時代の文化」についての講義でした。</p><p>文化史とは、近年まで意外と蔑ろにされ補助的でしかなかったが、政治・経済的な国境を越える文化（芸術、芸能）として、文化を通じて歴史をみるという風潮になってきた。</p><p>江戸時代の文化の話で面白かったのは、時代劇等で描写されている様々な文化（例えば、表札、はんこ、お白洲等）が、実は間違いだらけだったということ。表札は一部例外地域を除き掲げていなかったということ、はんこは、朱印は将軍のみで通常は黒印だということ、お白洲は、屋外ではなく、屋根ありか室内だということなど、特に興味をひかれました。</p><p>それと大坂の文化人として紹介のあった「木村兼葭堂」について、あまり馴染みがなっかたのですが、詳しい話も聞けて興味を持ちました。</p>
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<pubDate>Sat, 23 Sep 2023 09:37:02 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１３回「梅田の歴史」‥梅田の歴史を太古から現代まで解説（９月１３日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、夏休み明け２学期最初の授業で、上記テーマの講義で、講師は、綱敷天神社の禰宜であられる白江秀知氏でした。</p><p>大阪随一いや西日本一、日本有数の繁華街梅田、今や毎日大勢の人が集まり行き交う梅田ですが、太古の梅田は海の底であり、そこに淀川、大和川の運ぶ土砂などによって次第に砂洲が広がり、やがて人が住むようになったと考えられていて、特に茶屋町あたりは早い時期から人が住んでいたようで、最近の建設工事の折には古墳時代の遺物がいくつか発見されたとのことです。</p><p>ただ現在のように賑わいだしたのは、明治７年（1874年）に鉄道が敷設され、梅田すてんしょ（初代大阪駅）ができたことで、田んぼ、菜の花畑だらけだった所が大きく変貌していき現在の人が大勢行き交う賑やかな街になっていったということでした。</p><p>本講義において、古代～現代の梅田という地域（広義でいうところの旧北野村、旧曽根崎村全域）の変遷、発展の歴史が良くわかり、講義の後、午後からクラス全員で各班毎に梅田界隈の名所旧跡の探索も楽しくまた有意義に過ごすことができました。</p>
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<pubDate>Fri, 15 Sep 2023 11:40:37 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１２回「住吉大社こぼれ話」･･･住吉の歴史と文化（７月１９日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は一学期夏休み前最後の授業で、上記テーマでの講義でした。</p><p>残念ながら筆者は、今時分コロナに感染してしまい、身体はいたって元気で熱やその他症状も１日で収まって平常の生活に何の問題もない状態なのですが、５日間の人との接触禁止でその最終日で、とりあえずルールは守り、周りに迷惑をかけないため、当日はお休みとさせていただいております。</p><p>従いまして、当日の講義を聴いておりませんので、授業内容の抜粋や感想を書くことができません。</p><p>一学期最後の授業のブログをこういう恰好で終わるのは心許ないのですが、ご了承願います。</p><p>二学期は、９月１３日から始まる予定ですので、また頑張ってブログを書いていきたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tanabou1002/entry-12812849609.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Jul 2023 14:54:27 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１１回「大阪の名所案内」「大阪の四大商店街」（７月１２日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は上記テーマで午前、午後とトータル４時間の長丁場の講義でした。</p><p>午前中前半は、先生が実際に大阪の街を歩いて撮ってきた写真等で、戦争の空襲で焼け残って現在も使われていて有形文化財に指定されている建物も含め、主な名建築物の紹介と出版物からの名建築物の紹介があり、私も実際にいくつか見たものもありましたが、かなりの受講者の皆さんが、大阪観光局公式ガイドブック等を見ながら、改めて大阪の名所、名建築物を探訪してみたいとの感想をもったものと思われます。</p><p>午前の後半から午後にかけては、大阪の四大商店街と言われている、心斎橋筋商店街、天神橋筋商店街、千林商店街、駒川商店街を、これも先生が実際に歩いて撮ってきた現在の写真や昔の写真、一部商店主の方々のインタビューの内容も織り交ぜながら、それぞれの商店街の成り立ち、特徴、今現在の取り組み、課題等に関して詳しく説明がありました。</p><p>この他大阪市内各区の商店街地図等により大阪市内の商店街の紹介もあり、大阪市内だけでもこんなにたくさんの商店街が現在もあるんだなあと感心した次第です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tanabou1002/entry-12811919517.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Jul 2023 16:13:12 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第１０回「大阪の都市形成の歴史（３）」（７月５日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の都市形成の歴史全３回の３回目（最終回）で、「幕末維新期から「大大阪」の時代まで」についての講義でした。</p><p>秀吉の時代から江戸後期にかけて、現在の中心市街（船場を中心とする）が形成され、近代のほとんどの都市は背中合わせの家が同じ町内なのに対し、大坂の街は向かい合わせの家が同じ町内という「両側町」という形式で形成されている。また、東西の「通り」と南北の「筋」で構成された街区となっており、これは上町台地からの傾斜を利用して西へ排水（背割下水）するためのものであるということは大変勉強になりました。ただ、私自身ずっと以前から疑問に思っていた、ミナミの八幡筋や三ツ寺筋といったところが、東西の通りであるのになぜ「筋」と呼ばれているのか不思議に思っていたのですが、島之内地区だけは南へ排水（道頓堀川への排水）するため、この地区のみ南北が「通り」で東西が「筋」と呼ばれるという話には、納得も感服もしました。</p><p>この話は、私が個人的に興味があったので長々と書きましたしたが、この他、明治、大正、昭和と大阪の発展がインフラの整備とともに都市機能を強化、拡張し、今日の大阪が出来上がっていく経緯等よく理解でき、大変有意義な講義でした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tanabou1002/entry-12810907956.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Jul 2023 09:45:38 +0900</pubDate>
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<title>17 もっと知りたい大阪の歴史科</title>
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<![CDATA[ <p>第９回「大阪の都市形成の歴史（２）」（６月２１日（水））</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、大阪の都市形成の歴史全３回の２回目で、「江戸時代の大坂の暮らしと経済」についての講義でした。</p><p>大坂の都市形成の出発点は、本願寺の寺内町が出発点と言われ、この寺内町は、現在の大阪城公園内にあったと考えられている。しかし、町並みは以後に引き継がれたわけではなく、基礎が出来上がったのは、豊臣時代に大坂城下町の建設によって都市域が一気に拡大したということ。</p><p>大坂夏の陣で町も焦土と化したが、大坂城の再建とともに堀川の開削と土地開発により町も復興を遂げ、今に通じる繁栄の礎ができた。</p><p>今回の講義では、江戸時代の大坂の開発、水運に恵まれた大坂の発展の過程、様子がよくわかり、大変興味深い内容でした。</p><p>また、江戸との比較の文献なども紹介され、更に興味深く講義を聴けました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tanabou1002/entry-12808976560.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jun 2023 15:07:04 +0900</pubDate>
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