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<title>田中博士のブログ</title>
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<title>観葉植物を買いました</title>
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<![CDATA[ 少し忙しかったので久しぶりの投稿になります。<br><br>今日、大学からの帰りに100円ショップに寄ったところ、観葉植物が売ってました。<br><br>何となく欲しくなったので購入してしまいました。
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<pubDate>Mon, 16 Jun 2014 23:21:21 +0900</pubDate>
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<title>言葉について　其の２</title>
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<![CDATA[ <br>よく口汚い言葉を使うと怒られます。<br><br>例えば「クソ」や「クズ」。<br><br>確かにこういった言葉を他人に向けて使えば、それは暴言になるでしょう。<br><br>しかし、何故これらの言葉が口汚い言葉として忌避しれてしまうのでしょうか。<br><br>私はこういった言葉は非常に美しいと思います。<br><br>言葉は事物と完全に一致するのでしょうか。<br><br>例えば「花」という言葉を聞いて人はどんな花を想像するのでしょうか。<br><br>「花」という言葉一つとっても人それぞれ想像する事物は違うと思います。<br><br>それでは「クズ」という言葉を聞いて人は何を想像するでしょうか。<br><br>恐らく想像し難いと思います。<br><br>「クズ」と聞いてすぐに何かを思い起こせる人は多くないと思います。<br><br>それなのに「クズ」という言葉は忌避されてしまうのでしょうか。<br><br>私はとても美しい響きだと思います。<br>
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<pubDate>Sat, 24 May 2014 23:05:25 +0900</pubDate>
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<title>言葉について</title>
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<![CDATA[ <br>よく難解な文字や横文字を乱用する方がいます。<br><br>日記や詩とか、あくまで個人的な営みならば確かにそれでも構わないでしょう。<br><br>しかし他人に対して何かを訴えるとき、伝えたいときにこういった言葉を何故使う必要があるのでしょうか。<br><br>他人に何かを伝えるという営みはあくまで、分かりやすく簡潔である必要があると思います。<br><br>難しい単語や無駄な横文字は他人に何かを伝える営みの阻害にしかならないと思うのです。<br><br>本当に誰かに伝えたいことがあるのなら、こういった語句ははっきり言って無駄です。無意味です。<br><br>むしろそういう難解な語句を使うことで「知らないのなら俺の話を聞く資格はない」というような、非常に上から目線の態度になると思います。<br><br>私たちが誰かに何かを伝えたいとき、私たちは相手のことも考えて本当に伝えたいことが伝わるようにするべきではないでしょうか。
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<pubDate>Thu, 22 May 2014 23:59:28 +0900</pubDate>
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<title>高尾山に行ってきました</title>
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<![CDATA[ <br>今日はとある講義の都合で高尾山に行ってきました。<br><br>東京都内の山だからどんなものだろうと思っていましたが、予想外に自然の多いいい山でした。<br><br>山は神様がいらっしゃる処ですので、大勢で行くのはあまり気が進みませんでしたが頑張って登ってきました。<br><br>清流や綺麗な湧き水などとても清清しい気分になりました。<br><br>登っている途中にふと気づいたことがあります。<br><br>それは祠やお地蔵さんが少ないことです。<br><br>私の気のせいか、それが普通なのか分かりませんがそう感じました。<br><br>私が登った経路で一尊しか見ませんでした。<br><br>私の地元の山では石碑や祠がかなりあったのですが、高尾山では少なかったように感じます。<br><br>
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<pubDate>Sun, 18 May 2014 21:12:30 +0900</pubDate>
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<title>答えとは</title>
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<![CDATA[ <br>よく議論で「そう言うのなら代案を出せ」と言われます。<br><br>正直、全ての事物に答えを求めても意味がないと思います。<br><br>その人の中では答えが出ていると言うのに、代案など馬鹿馬鹿しいと思います。<br><br>自分の中で完結した答えをぶつけ合ったところで何になるのでしょう。<br><br>それでは議論なぞに意味などあるのでしょうか。<br><br>私は意味ないと思います。<br><br>時間を無駄にして、お互いに不愉快になって議論などという茶番に何の意味があるのでしょう。<br><br>
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<pubDate>Fri, 16 May 2014 22:55:53 +0900</pubDate>
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<title>集団的自衛権</title>
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<![CDATA[ <br>少なくとも私は今の「日本国」のために殉じるつもりはない。<br><br>あんなくたびれた老いぼれどものために死ぬつもりはない。<br><br>別に命が惜しい訳ではない。<br><br>ただ我が命と日本国とを天秤にかけたところで、私にとっての日本国とはその程度の存在と言うだけ<br>である。<br><br>私にとって大切なのは「日本」であって「日本国」、ましてや政府ではない。<br><br>私たちは「力」にうぬぼれてはいないだろうか。<br><br>権力であっても、自衛力であっても、何か空虚なものにうぬぼれてはいないだろうか。<br><br>確かに「力」は強く、あれば便利なものだと思う。<br><br>「力」を否定するつもりはない。<br><br>だがしかし、そんなものは空虚で底がないものである。<br><br>もっと言おう。<br><br>どんな大金であっても燃え尽きれば唯の灰になる。<br><br>「力」は自分が持つものでなく、「力」を持つ何かを持つのがいいと思う。
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<pubDate>Thu, 15 May 2014 21:09:46 +0900</pubDate>
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<title>無題</title>
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<![CDATA[ <br>知識のあることが「善い」人であるのだろうか。<br><br>「善い」人であることが素晴らしいことなのだろうか。<br><br>素晴らしいことが至高なのだろうか。<br><br>「いい」ことは「いい」のであって、それ以上でもそれ以下でもないのであろうか。<br><br>少なくとも自分にとってよければ「いい」のだと思う。<br><br>他人に規定される意味などないと思う。
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<link>https://ameblo.jp/tanaka-hakushi/entry-11850246395.html</link>
<pubDate>Wed, 14 May 2014 23:51:39 +0900</pubDate>
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<title>なんで機能主義に陥るのでしょう・・・</title>
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<![CDATA[ 例えば「効率的に動きたくない」という感情までも機能主義者は非効率的だとして抑圧してしまう。<br><br>そうやって精神を殺し続けることまでも人権という効率性に内包されてしまうのだと思います。<br><br>それでは身体を殺すことは非効率的なのに精神を殺すことは効率的だとされてしまうのでしょうか。<br><br>また身体と精神を二元論的に捉えるか否かも疑問です。<br><br>精神と身体が乖離できないものなら精神の死は非効率的だと思うのですが。<br><br>それならば精神と身体を完全に二元として捉えることができるのでしょうか。<br><br>そう考えると機能主義の機能とは何にとっての機能なのでしょうか<br><br>それほどまでに効率性を追い求めなければならないのでしょうか。<br><br>もっと掘り下げましょう。<br><br>経済という効率のために私たちは精神、もしくは文化を殺すのでしょうか。<br><br>もちろん効率性をないがしろにするつもりはありませんけど。
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<link>https://ameblo.jp/tanaka-hakushi/entry-11849406900.html</link>
<pubDate>Tue, 13 May 2014 22:45:02 +0900</pubDate>
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<title>ブログ始めました</title>
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<![CDATA[ <br>晴れてブログを始めることになりました。<br><br>基本的には思ったこと、何かを書きたくなったときに投稿しようと思います。<br><br>ですので更新も不定期になるかと思います。<br><br>そのときの気分によって口調が荒くなったり、凄いくだらないことを書き込むこともあります。<br><br>ご容赦下さい。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tanaka-hakushi/entry-11849394699.html</link>
<pubDate>Tue, 13 May 2014 22:30:05 +0900</pubDate>
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