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<title>TARGET FIELD 夢の架け橋</title>
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<description>しあわせはいつもじぶんのこころがきめる</description>
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<title>RY COODER / RY COODER</title>
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<![CDATA[ <div>『レコード名盤の紹介その11』</div><div><br></div><div>RY COODER / RY COODER</div><div>1970 - RS 6402[US]</div><div>※ 画像のレコードは日本盤です。</div><div><br></div><div>RY COODERについて書こうと思ったのは、この連載記事を書き始めた最初の頃。どのアルバムにするか、めちゃくちゃ悩みました。一つはこのデビューアルバム、もう一つが名盤中の名盤「CHICKEN SKIN MUSIC」、そして一番聞いた「CROSSROADS SOUNDTRACK」。実際に「CHICKEN SKIN MUSIC」は途中まで記事を纏めていました。ですが、ちょっと違うんじゃ無いかなと思い始めて、途中で辞めてしまいました。そして、改めてて考え直して書いている次第です。まず彼の肩書きはギタリスト、マンドリン・プレイヤー、歌手、また、このアルバムではベースも担当しています。でもこの肩書きの前に２つの形容詞がつきます。「一流の」と「オリジナリティ溢れる」の２つ。まずギターについては、スライド・ギターの名手として知られており、多くのギタリストが彼の名を挙げています。フィンガー・ピッキングにも定評があり、指の爪で澄んだ音色を出しています。特に両方を織り交ぜたフレーズは、オリジナリティが溢れているとされています。マンドリンについても、いわゆるブルーグラス系の奏法というより、スリーピー・ジョン・エスティスと長く演奏してきた盟友ヤンク・レイチェルのブルージーなプレイに影響されています。また、世界各国のルーツミュージックに対する造詣も深く、アメリカのルーツ・ミュージックを発掘し、多くの音楽ファンへ広く紹介しています。このアルバムはどこか懐かしい、古いアメリカの匂いを感じます。今まで16枚のオリジナルアルバム、3枚のライブアルバム、16枚のサウンドトラックアルバムを世に出し続けている彼の最初のスタートがこのアルバムでした。聴きまくった方も多いと思いますが、再度針を落として、RY COODERを再体験して下さい。</div><div><br></div><div>Side One</div><div>① ALIMONY (Tommy Tucker) 2:11</div><div>② FRANCE CHANCE(Joe Callicott) 2:45</div><div>③ ONE MEAT BALL (Louis Singer &amp; Hy Zaret) 2:27</div><div>④ DO RE MI(Woody Guthrie) 3:03</div><div>⑤ OLD KENTUCKY HOME(R. Newman) 1:45</div><div>⑥ HOW CAN A POOR MAN STAND SUCH TIMES AND LIVE?(Alfred Reed)2:45</div><div>Side Two</div><div>① AVAILABLE SPACE(Ry Cooder) 2:11</div><div>② PIG MEAT(Huddie Ledbetter) 3:07</div><div>③ POLICE DOG BLUES(Arthur Blake) 2:43</div><div>④ GOIN' TO BROWNSVILLE(John Estes) 2:43</div><div>⑤ DARK IS THE NIGHT (Blind Willie Johnson) 2:48</div><div><br></div><div>Ry Cooder &nbsp; Vo.G.B. Mand.</div><div>Chris Ethridge &nbsp; B.</div><div>Ritchie Haward &nbsp; Dr.</div><div>Roy Estrada &nbsp; B.</div><div>Milt Holland &nbsp; Per.</div><div>John Barbeda &nbsp; Dr.</div><div>Max Bennet &nbsp; B.</div><div>Bobby Bruce &nbsp; Vn.</div><div>Gloria Jones &amp; Co. &nbsp; Vo.</div><div><br></div><div>ライ・クーダー登場</div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;小倉エージ</div><div><br></div><div>ライ・クーダーのことを、いったいなんて紹介したらいいんだろう。元タジ・マハルのメンバー、スタジオ・ミュージシャン、ボトル・ネック・ギタリスト、マンドリン・プレイヤー、エレキ・ベース・ プレイヤー、ブルース、それもミシシッピー河下流のデルタ・ブルースのインタープリター。いや、やっぱりロックのミュージャンというのが、いちばんぴったりしている。</div><div><br></div><div>すでに日本には、そのタジ・マハルのアルバムや、ストーンズ、ゴードン・ライトフット、アーロ・ガスリーのアルバムのセッション・マンとして、また、ミック・ジャガーの主演した映画「パフォーマンス」 のサウンド・トラック・アルバムでいくつかボトル・ネック・ギターを聞かせているのだけれど、多くのロック・ファンにはなじみのない名前らしく、あまり知られた存在ではないようだ。</div><div><br></div><div>そのライ・クーダーが、ソロ・アルバムを発表することになった。プロデュースを担当しているのは、ハーパーズ・ビザールなどのユニークなロック・グループ、そして最近ではアーロ・ガスリーやゴードン・ライトフットのアルバムを手がけているレニー・ワロンカーと、キーボード・プレイヤー、アレンジャーとしても活躍し、自らも『ソング・サイクル』 という最高に感じてしまうアルバムを発表している ヴァン・ダイク・パークスのコンビである。このふたりの名前を見つけただけで、歓喜しているファンもかなりいるに違いない。</div><div><br></div><div>ともかく、ライ・クーダーのバイオグラフィーから紹介していくことにしょう。</div><div><br></div><div>生い立ちや、小さい頃の話</div><div><br></div><div>1947年3月15日、ロスアンジェルスの生まれ。まるっきりの都会っ子というわけだ。そうそう、ライ・ クーダーというのは省略した呼び名らしく、ニール・ ヤングやタジ・マハルのアルバムではライランド・ P・クーダーとなっている。</div><div><br></div><div>3才の頃からシルヴァートーンの4弦ギターをいじくりまわし、ウディ・ガスリーやバール・アイヴスのレコードを聞きながら育った。8才になった時、 両親からジョッシュ・ホワイトのレコードをプレゼントされ、ギターのとりこになったのがそもそものはじまり。そうして彼は父親にマーティンの6弦ギターをプレゼントしてもらい、自己流でギターをやりはじめたのである。そんなある日、レコード屋の店先で盗み聞きしたレコードのフィンガー・ピッキングに魅せられ、それからはフォーク・シンガーについてギターのピッキングを教えてもらうようになった。</div><div><br></div><div>やがて、そんなことでは満足できなくなったのか、次第にフォーク・クラブに出入りしはじめ、素晴しいギター・プレイヤーが来たという噂を聞きつけては、いつもステージに近いいちばん前の席に陣取り、必死になってギター・テクニックを学んだというから、おもしろい。まあ、熱心なフォーク・ギターのファンなら、そんな経験は誰にでもありそうなことだけれど、彼はそれだけでは物足りず、たとえばプラインド・ゲイリー・デイヴィスなどが町に来ているのを知れば、その人のところへ行って話を聞くだけではなくて、宿泊しているところにまで押しかけ、ちゃんとお金を払って目の前でやってもらい、テクニックを学んだというのだからおそれいる。</div><div><br></div><div>そんな風にしてギターを覚えていった彼は、ロスアンジュルスのアッシュ・グロヴという有名なフォーク・クラブのパーティーで、思いがけず、初ステージを踏むことになった。けれどはじめてのことですっかりあがってしまい、あせるばかりでうまく演奏できず、冷汁をかくやら、笑われるやらで、さんざんなものだったらしい。</div><div><br></div><div>それから1年たった17才の時、今度はジャッキー・デシャノンのバック・ギタリストとしてデビュー。しかしグループは長続きせずしばらくして解散してしまった。さらに同じ頃、彼はタジ・マハルと知りあい、意気投合してコンビを組み、歌いはじめることにした。当時、ザ・バーズの人気が出はじめた頃で、彼らもしばらくしてエレクトリック・ギターを持つようになり、ライジン・サンと名乗るグループを作って、活躍しはじめたのである。</div><div><br></div><div>そのライジング・サンズはCBSと契約しテリー・メルチャーのプロデュースのもと、レコーディングにとりかかったのだが、なれないこともあってトラブルが続き、結局3万ドル近い金をつぎこみながらアルバムが出される前にグループは解散してしまった。(その後、タジ・マハルはデヴィッド・ルピンソンのプロデュースでアルバムを制作。それにライ・クーダーはリズム・ギターとして参加している)。</div><div><br></div><div>その頃、彼はキャプテン・ビーフハートとして知られるドン・ヴァン・ヴリットに出会い、彼にさそわれてキャプテン・ビーフハート&amp;ヒズ・マジック・バンドの臨時メンバーとして、また、彼らのデビュ―・アルバムにも参加したことがあった。</div><div><br></div><div>セッション・マンとして活躍しはじめたライ・クーダー さて・ひとりになったライ・クーダーは、テリー・メルチャーにさそわれ、ポール・リヴィアとレイダースのレコーディングに、セッション・マンとして参加した。ところが、まったく譜面が読めず、コードの名前すら知らないこともあってかなり苦労したらしい。それでも、ユニークなボトル・ネック・ギターの腕が買われて、彼の名は次第に高まり、ポール・リヴィアのレコーディングで知り合ったヴァン・ダイク・パークスなどとともにバム・ポーランドはじめ、数多くのレコーディングに参加するようになったのである。</div><div><br></div><div>そんなセッションに参加するうち、ライ・クーダ一は、彼に大きな影響を与えることになったジャック・ニッチェに知りあった。</div><div><br></div><div>ジャック・ニッチェはライ・クーダーに、ブルースのこと、アレンジメント・プロデュースなどのことなどを教え、ことあるごとにセッションに呼んでくれた。そして1969年、ジャック・ニッチュとともに映画『パフォーマンス』のサウンド・トラックを取るためにイギリスに渡り、ローリング・ストーンズと出会ったのである。</div><div><br></div><div>そのローリング・ストーンズとの出会い、そしてトラブルについては、ライ・クーダーのために話しておかねばならないだろう。</div><div><br></div><div>ともかくライ・クーダーは、ストーンズに頼まれ、アルバム「レット・イット・ブリード」のセッションに参加することになった。</div><div><br></div><div>“ねえ、僕が着いた時はね、彼らは何もしてなかったんだよ。練習はおろか、だいいち練習する新曲も全然作られてなくてね。ただスタジオでギャー、ギャーさわいでいるだけでね。奇妙な連中がそこら中にほっつきまわり、音楽なんてどこにもなかったよ。アマチュア・グループのような音だしてね。それで、リハーサルのようなものがはじまりかけたので、僕はギターをやりだしたんだ。そうするとキース・リチャードはプイっとばかりどこかに消えてしまい、とうとう帰ってこなかったよ。ミックに、いつになったら始めるのかと聞いたら、いやまだ準備が充分じゃないとかで、そんなことしながら、4~ 5週間も僕はそこにいたかな。その間僕は、知ってる限りのことをやったんだ。そして彼らはそれを全部テープに取っていた･･････彼らは僕のとっておきのフレーズを盗んだのさ･･････それよりも重要なことは、僕の曲の基本的なアイディアまでね。･･････ある日、ふらりとスタジオに出かけてみると、僕が2、3日程前にやった曲を、そっくりそのままキースがやってたんだ。彼は僕のテープをずっと聞いていたんだよ、ねえ、わかるかい。それを聞いた僕とジャックは、すぐさまロスアンジェルスに帰る手続きしたよ･･････ あとでその話を聞きつけたミックが電話してきて、“どうしたんだいライお金のことかい?”ていうんだよ。だから僕はミックに、必要なものはすべて手に入れただろう、だから僕は帰ったのさって、言ってやった、あそこで僕がやったたくさんのものが、『レット・イット・ブリード」にばけたというわけ。 それで僕にはマンドリンのクレジットをひとつだけ入れてくれただけ、「ホンキー・トンク・ウィメン」も、 僕が持っていたフレーズから盗んだものだよリーダ一自身がローリング・ストーン紙で述べている。こ の話がほんとうだとしたら、ライ・クーダーは『レット・イット・ブリード』の影武者ということになる。後になってうまく話はまとまったと伝えられてはいるが、なんとも口惜しい話ではないか。再びアメリカに帰り、活躍を続けていたライ・クーダーは、その後リプリーズ・レコードと契約。ソロ・デビュー・アルバムを発表することになった。</div><div><br></div><div>ボトル・ネック・ギターのこと</div><div><br></div><div>さてここで、ライ・クーダーが最も得意としている、ボトル・ネック・ギターのことについて簡単にふれておこう。</div><div><br></div><div>“ボトル・ネックというのは”ブルース・ギター独特の奏法のひとつ。小指にピンのネックをはめ、スティール・ギターのバーのように指板をスライドさせてギターを奏する方法。スティールやドプロのようにギターを水平にせず、ふつうの持ち方で弾く、奏者により調弦が異なる”(フォーク・ソングのすべて/フォーク・ソング小事典 中村とうよう編)ということになる。特にミシシッピ・デルタ地方出身のブルース・シンガーに多く見うけられるものだが、ライ・クーダーは15才の時、それらをレコードなどで研究し、自らも演奏しているジョン・フェイに教わり、彼の演奏を見ながら覚えたという。さらにライ・クーダー自身も、ロバート・ジョンソンやチャーリー・ペイトンのレコードを聞き、身につけていったに違いない。</div><div><br></div><div>“僕は古い曲をひっぱり出して、再生しているだけにしかすぎないんだよ。アレンジというのか、ともかく古い曲をひっぱり出してきて、どうにか仕上げ、多くの人に聞いてもらえるようにしているんだ。僕はロバート・ジョンソンのようにはうまくひけないかもしれないが、でも彼の音楽を発展させることはできると思うんだ”とライ・クーダーは述べている。さらに続けて、“これまでソロなんてあまりやったことがないんだ。でもボトル・ネックというのはほんとうに、僕には歌を歌っているようなものだったよ。でも今は、歌うことも好きになりかけてるんだ･･････</div><div><br></div><div>このアルバムや曲目のことなど</div><div><br></div><div>アルバムのトップを飾るのは、トミー・タッカーの「アリモニー」。アリモニーとは別居手当、つまり離婚の慰謝料のこと。ここでは6人の連れ子をかかえ、慰謝料の支払いに苦しんでいる男が描かれている。ライ・クーダーの哀れっぽい歌い方、そしてかぶさってくる女声コーラスが、彼を追いたてているようでおもしろい。エレクトリック・ギターによるボトル・ネック・ギター、鈍いドラム、そしてピアノで作られた泥くさいサウンドもなかなかごきげん。</div><div><br></div><div>「フランス・チャンス」は、ジョー・カリコットの作品。アコースティック・ギターによるボトル・ネック・マンドリンをバックにして歌うブルース・ナンバーで何とも言えぬ不思議な魅力を持っている。</div><div><br></div><div>「ワン・ミート・ボール」はジョッシュ・ホワイトのレパートリー。ライ・クーダーにとってはなじみ深い歌のひとつに違いない。</div><div><br></div><div>ある男が食堂に入っていった。でもふところには15セントしかないからメニューをすみからすみまでさがし、たのんだのがミート・ボール1個。ウェイターは大きな声で「ミート・ボール1個」と叫んだものだから皆なの注目を浴び、きまりが悪くなった男の話を描いたもの。とても哀れな歌なのだけれど、ライ・クーダーの歌にはじめじめしたところがない。ストリングスのアレンジを担当したのはヴァン・ダイク・パークス。続く「ドレミ」は、有名なフォーク・シンガーのウディ・ガスリの作品。「ドレミ」とはお金のこと。つまり、お金がなければどうしようもないという歌である。それにしても、ガスリーのの作品をこんなに感じるアレンジで仕上げるなんて まいってしまう。とくに“カリフォルニアはエデンの園さ…………………” という歌詞のバックに流れるストリングスは、ほんとうに、最高。</div><div><br></div><div>「オールド・ケンタッキー」は、シンガーソング・ライターとして、またピアニストとしても活躍しているランディ・ニューマンの作品で、のどかなケンタッキーの故里を描いたもの。このアルバム唯一のコンテンポラリー・ソングである。</div><div><br></div><div>「プア・マン」は、ニュー・ロスト・シティ・ランプラーズのレパートリーで、ライ・クーダーはストリングスをまじえたカントリー・ロック的なサウンドをバックに歌っている。</div><div><br></div><div>B面のトップ「アヴェイラブル・スペイス」は、アコースティック・ギターによるボトル・ネックをフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバー。とてもプリミティウな味わいのある曲だけど、現代に通じる何かがある。</div><div><br></div><div>「ビッグ・ミート」はレッドベリーの作品。ざっくばらんなアレンジのようだけれど、ほんとうはとても凝ったものだ。</div><div><br></div><div>「ポリス・ドッグ・ブルース」はアーサー・プレイクの作品。フィンガー・ピッキング・ギターだけをバックに、珍らしくあっさり歌っている。</div><div><br></div><div>「ブラウンズヴィルへ行く」はスリーピー・ジョン・エステスの作品。マンドリン、エレクトリック・ギターによるボトル・ネック、シンプルなパーカッションをバックに歌っているわけだが、この曲もまた不思議な魅力にあふれている。</div><div><br></div><div>アルバムのラストを飾るのはブラインド・ウィリ 一・ジョンソンの「夜は暗闇」という、アコースティック・ギターによるボトル・ネックのソロ・インストルメンタル・ナンバー。この曲は、以前、映画パフォーマンス」の中で紹介されていた「バーウィス・スクェアー」と、まったく同じもの、それには何故かジャック・ニッチェのクレジットがついていたが、真の作者はもちろんブラインド・ウィリー、ジョンソンである。</div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/17/f1/j/o1080068115812448101.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/17/f1/j/o1080068115812448101.jpg" border="0" width="400" height="252" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/78/e2/j/o1080106915812448105.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/78/e2/j/o1080106915812448105.jpg" border="0" width="400" height="395" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/b7/91/j/o1080107615812448107.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260815/11/target-field0508/b7/91/j/o1080107615812448107.jpg" border="0" width="400" height="398" alt=""></a></div><p><br></p></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 15 Aug 2026 11:29:25 +0900</pubDate>
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<title>Starking Delicious / Starking Delicious</title>
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<![CDATA[ <div>『日本のブルースアルバムの名盤紹介その14』</div><div><br></div><div>Starking Delicious / Starking Delicious</div><div>(Atlantic / K-10003A)</div><div><br></div><div>浪速の歌姫・大上留理子さんをボーカリストにした、サウス、ソーバッドに続く伝説のSOUL・FUNK・BLUES・BAND。初期メンバーには増田敏郎さん、大型化した際には小島良喜さんが在籍していました。残した音源はこのライブアルバムとオムニバスSHOW BOAT LIVEに収録された「Sookie, Sookie(1966 Don Covay,1968 Steppenwolf)」と'75 8.8 Rock Dayに収録さるた「Trying to Live My Life Without You(1972 Otis Clay)」「Money Won't Change You(1966 James Brown)」「That's How Strong My Love Is(1964 O.V. Wright)」の3曲がある。アルバムも含めて、残された音源が全てライブ音源であり、実力派のライブ・ファンキー・バンドだった証明でもあります。私は奇跡的に全ての音源をアナログレコードとCDで所持しています。</div><div><br></div><div>大上留理子(Vo)</div><div>西浦幸子(Vo)</div><div>北川進太郎(Gt)</div><div>平山国次(Gt)</div><div>小島良喜(Key)</div><div>東山光良(Ba)</div><div>岩本一郎(Dr)</div><div>辻川雅治(Tp)</div><div>池田トール(Sax)</div><div>三浦束洋司(Sax)</div><div><br></div><div>Side A</div><div>① ジョージファンク (Inst.) 池田とおる作詞/池田とおる作曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>② プラスティック・ウーマンPart II 大上留利子作詞/大上留利子作曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>③ 愛をありがとう UNTIL YOU CAME INTO MY LIFE Maurice Bryant・Ann Peebles作詞曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>④ スティームローラーブルース James Taylor 作詞曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>⑤ アンブレラ 大上留利子作詞/大上留利子作曲/スターキング・デリシャス 編曲</div><div>Side B</div><div>① 浪花ソウルステュー(メンバー紹介) 大上留利子作詞/スターキング・デリシャス作曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>② できる事ならもう一度 大上留利子作詞/平山国次作曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div>③ ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラブ・イズRoosevelt Jamison 作詞曲/スターキング・デリシャス 編曲</div><div>④マイ・ウェイ マイ・ソング 北川道太郎作詞/北川道太郎作曲/スターキング・デリシャス編曲</div><div><br></div><div>※B-①はKing CurtisのMemphis Soul Stewのパロディ</div><div><br></div><div>スターキング・デリシャス（Starking Delicious）は、大阪で結成された日本の伝説的な大型ソウル・ファンクバンドです。「浪花の歌姫」と称された大上留利子をボーカルに擁し、関西のブルース・ソウルシーンを牽引しました。</div><div>＜バンドの歴史と特徴結成＞</div><div>1974年頃に大阪で6人編成のロックバンドとしてスタート。初期のメンバーには、岩本一郎(いわもといちろう d)、角谷安彦(かどややすひこ b)、増田敏郎(ますだとしろう g)、仲 豊夫(なかとよお g)、他がいました。</div><div>＜大型化＞</div><div>1975年に大幅なメンバーチェンジを行い、女性ボーカル陣やホーンセクションを加えたソウルバンドへと発展。評価: 「8.8 Rock Day'75」で優秀バンド賞、大上留利子がベストボーカル賞を受賞し、関西発の強力なライブバンドとして脚光を浴びました。代表作1977年にリリースされた唯一のアルバム（ライブ盤）『スターキング・デリシャス』は、和モノ・ファンク・歌謡曲の文脈でも名盤として高い評価を受けています。主な収録曲:「GEORGE FUNK（ジョージ・ファンク）」「PLASTIC WOMAN Part II（プラスティック・ウーマン Part II）」「NANIWA SOUL STEW（浪花ソウルステュー）」</div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/7f/18/j/o1080076215812225845.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/7f/18/j/o1080076215812225845.jpg" border="0" width="400" height="282" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/85/ec/j/o1080108415812225847.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/85/ec/j/o1080108415812225847.jpg" border="0" width="400" height="401" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/7c/51/j/o1080106115812225848.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/7c/51/j/o1080106115812225848.jpg" border="0" width="400" height="392" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Fri, 14 Aug 2026 17:24:43 +0900</pubDate>
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<title>WEST SIDE SOUL / Magic Sam's Blues Band</title>
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<![CDATA[ <div>『ブルース名盤レコードのジャケット裏面翻訳その34』&nbsp;</div><div><br></div><div>WEST SIDE SOUL / Magic Sam's Blues Band</div><div>(Delmark DS 615 [US] 1967</div><div><br></div><div>Magic Samが残したオリジナルアルバムは僅か2枚しかありません。その2枚がBluesの歴史を大きく変えました。今回は裏面翻訳に加え、トリオから発売された日本盤の日暮泰文氏のライナーノーツも転載しています。非常にボリュームが有りますが、素晴らしい内容なんで、頑張って読んで下さい。</div><div><br></div><div>MAGIC SAM, Vocals and Guitar</div><div>MIGHTY JOE YOUNG Guitar&nbsp;</div><div>STOCKHOLM SLIM* Piano&nbsp;</div><div>MACK THOMPSON or EARNEST JOHNSON* Bass ODIE PAYNE, III or ODIE PAYNE* Drums</div><div><br></div><div>SIDE A</div><div>THAT'S ALL I NEED (3:40)</div><div>I NEED YOU SO BAD (4:51)*</div><div>I FEEL SO GOOD (I WANNA BOOGIE) (4:36)</div><div>ALL OF YOUR LOVE (3:43)*</div><div>I DON'T WANT NO WOMAN (3:38)*</div><div>SIDE B</div><div>SWEET HOME CHICAGO (4:11)*</div><div>I FOUND A NEW LOVE (4:03)*</div><div>EVERY NIGHT AND EVERY DAY (2:19)</div><div>LOOKIN' GOOD (Instrumental) (3:11)*</div><div>MY LOVE WILL NEVER DIE (4:04)*</div><div>MAMA, MAMA - TALK TO YOUR DAUGHTER (2:40)*</div><div><br></div><div>Delmarkの「Roots of Jazz」シリーズではこれまで、ミシシッピ、テネシー、アーカンソー、テキサス、ジョージアといった地域のルラル・ブルース（田舎のブルース）や、セントルイス出身のルーズベルト・サイクスによる比較的新しいピアノ・スタイル、そしてジュニア・ウェルズとバディ・ガイによる現代的なサウス・サイド・ブルースを紹介してきました。本作『West Side Soul』は、シカゴのウェスト・サイドにあるブルース・クラブの常連客には過去10〜12年にわたってよく知られていながら、シカゴのR&amp;Bレコード市場以外ではほとんどその録音を耳にする機会のなかったアーティストによる、初のLP作品となります。ジュニア・ウェルズによる前作（『Hoodoo Man Blues』DS-9612）は、若く新しいブルース・ファン層から極めて高い評価を受けました。私たちは、あの作品が現代ブルースの領域をさらに探求していく上で、一つの高いハードル（基準）になったと感じています。しかし、マジック・サムによるこのデビュー・アルバムは、『Hoodoo Man』に引けを取らないだけでなく、現代のブルース・シーンの記録をさらに一歩進め、最新の状況を提示するものだと確信しています。良し悪しは別として、現在のブルース・シーンには、メンフィスの「ソウル」サウンドや、ゴスペルの影響を受けたデトロイト派のポップ・ソウルといった要素も含まれるようになっています。こうした異なるスタイルの相互作用は、ブルースという形式の発展に多大な影響を及ぼし、伝統的な12小節の枠組みを超えてその表現様式を広げています。現代のブルースマンのレパートリーに16小節の楽曲が取り入れられることは、ソウル・ナンバーに新たな深みをもたらしていますし、そうした楽曲を演奏するアーティストたち（ウェルズ、ガイ、サム）自身も、依然として自分たちをブルースマンだと自認しています。したがって、私たちは「Roots of Jazz」シリーズにおいて、12小節形式ではないという理由だけで楽曲を除外することはありません。もしそうしていたら、スリーピー・ジョン・エステスの素晴らしい曲のいくつかを排除することになっていたでしょうから！</div><div><br></div><div>マジック・サムの経歴については、ブルース・レコード会社でシェイキー・ジェイクのパートナーを務めるビル・リンデマンに紹介してもらいます。</div><div><br></div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;ーボブ・コースター</div><div><br></div><div>兵役を終えたサムは、1960年から1961年にかけて再び「チーフ（Chief）」レーベルで録音を行い、シカゴのウェスト・サイドやニア・ノース・サイドのクラブで演奏活動を展開しました。歌に専念する中で、彼のギター・プレイは円熟味を増し、歌声にも深みが出てきました。その後、彼はウェスト・ルーズベルト・ロードにある「クラブ・アレックス」へ活動の拠点を移し、時にはマディ・ウォーターズのバンドと共演することもありました。また、コパカバーナ（クラブ）から放送されるWOPA局のビッグ・ビル・ヒルの番組にも頻繁に出演していました。この録音が行われた当時、彼はレイク・ストリートとケジー・アベニューの交差点にあった有名なブルース・クラブ「シルヴィオズ（Sylvio's）」で、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフと共演する機会が最も多く、精力的に活動していました。</div><div><br></div><div>サミュエル・マゲットは1937年2月14日、ミシシッピ州中部、グラナダの東8マイル（約13キロ）に位置する農場で生まれました。13歳になる頃には、同年代の多くの子供たちと同様に一日中働いていましたが、そんな中でもギターを学ぶ時間を見つけ出しました。彼は壁に打ち付けた釘に弦を張り、それを弾くという方法で練習を始めたのです。これは、デルマーク・レコードのアルバム『Piney Woods Blues』（DL-602）のライナーノーツで紹介されている、ビッグ・ジョー・ウィリアムズの素朴な一弦ギター（ディドリー・ボウ）の奏法に似たものでした。</div><div><br></div><div>マゲット一家が初めて大都会の生活を経験したのは、1950年にシカゴへ移り住んだ時のことでした。サムは二度と南部には住みたくないと思うようになりました。都会生活がもたらす相対的な自由が、彼の考えを決定的に変えたのです。シカゴのサウス・サイドにあるドレイク小学校に通っていた頃、彼はよくギターを学校に持参していました。クラスメートからはそのことでからかわれることもありましたが、ある朝、全校集会で生徒たちの前で演奏を披露すると、女子生徒たちの心を掴み、「ポケットいっぱいに電話番号を書き留めた紙を入れて帰宅する」ほどの人気者になりました。</div><div><br></div><div>その1年後、27丁目とカルメット・アベニューの交差点近くにある自宅の裏庭で木陰に座りギターを弾いていたサムは、通りかかった「キャデラック・ジェイク」という名のギャンブラーの目に留まりました。ジェイクはサムを励ましましたが、二人が再会するのはそれから数年後のことでした。その時、ジェイク自身もブルース・シンガー兼ハーモニカ奏者になっていたのです。再会した頃には、サムはすでに最初のバンドを結成していました。そのメンバーは、シル・ジョンソン（近年では「Sock It To Me」の録音で知られる）と、現在も多くの仕事でサムと共演しているマック・トンプソンでした。 「マジック・サム（Magic Sam）」という愛称を、彼の姓（サム）と韻を踏む形で名付けたのはトンプソンでした。</div><div><br></div><div>シェイキー・ジェイクは、まだギャンブラーとして活動していた頃からマディ・ウォーターズの追っかけをしていましたが、1954年にマジック・サムと再会した際、彼に楽器の演奏だけでなく歌うことも勧めました。それまでサムはギター演奏の方に関心を持っていましたが、当初の恥ずかしさを克服してからは、商業音楽の世界でR&amp;Bシンガーとして通用するほどの歌唱力を身につけました。しかし、彼はブルースの伝統に強い誇りを持ち、「 ブルースを貫く」ことを決意しました。彼はシェイキー・ジェイクや「ブルース・キング」という名のハーモニカ奏者と練習を重ね、家族で構成されたゴスペル・グループ「モーニング・ビュー・スペシャル」で歌うことを通じて、自身のボーカル・スタイルを磨き上げました。</div><div><br></div><div>1955年になる頃には、サムはブルース・クラブで演奏できる実力を備えていました。ある夜、ジェイクは彼をイースト47丁目にある「708クラブ」へ連れて行きました。そこではマディ・ウォーターズが演奏していました。ジェイクがマディを説得してサムをワンステージ参加（飛び入り）させると、クラブのオーナーは、マディの出演期間が終わった後の後任としてサムを雇うことにしました。1957年にはコブラ・レーベルで初のレコーディングを行いました。サムの回想によれば、レーベル・オーナーのイーライ・トスカーノは、奥の部屋にあるパイプを通して音を送り、それを戻すことで、絶妙な響き（リバーブ）を作り出していたそうです。</div><div><br></div><div>ウェルズ・ストリートにある「マザー・ブルース」では、時折、通常の出演者が出ない日（オフ・ナイト）に演奏することもありました。彼が最後にリリースした45回転シングル盤は、1966年のアル・ベンソンによるクラッシュ・レーベルからのものでした。最近では、学生を聴衆とするコンサートにも出演するようになっています。</div><div><br></div><div>現在、サムには十分な仕事の依頼があり、彼はその時間の多くをブルースの作曲に費やしています。彼は気分が沈んでいる時に曲作りを始め、歌い、演奏し、何度も繰り返す中で曲を微妙に変化させながら、自分が納得できる形に仕上げていきます。最近の作品は16小節の構成をとることが多いものの、そのフィーリングやコード進行、そしてウェスト・サイドのゲットーにおける黒人の生活を世俗的な視点で伝えるという点においては、依然として根底にブルースが流れています。</div><div><br></div><div>シカゴのウエストサイドは、決して穏やかな地域とは言えません。その近年の歴史は、白人主導の政治・経済体制による長きにわたる支配を物語っています。数人の警官がKKK（クー・クラックス・クラン）のメンバーであったこと（実際、そのうちの一人は州のリーダー格でした）が最近発覚しましたが、ミシシッピから移り住んできたばかりの人々にとってさえ、それは驚くべきことではありませんでした。ウエストサイドのゲットーの大部分は陰鬱なスラム街であり、暴力や無秩序、抑圧から逃れる術といえば、悪徳やギャンブル、頻繁に開かれるホームパーティー、そして驚くほど派手なナイトライフくらいしかありません。ウエストサイドのクラブは、ダンサーや女装パフォーマー、コメディアンなどを起用したフロアショーを行う傾向があり、そこで演奏するブルース・バンドは、そうした演者のバックを務めるだけでなく、自分たちの得意曲や当時のブルース・ヒット曲も演奏できなければなりません。そこは厳しい修練の場であり、そうしたバンドが高い演奏技術を身につけている理由もそこにあります。ブルース・クラブは通常、開店と閉店を繰り返すものですが、ウエストサイドのクラブの多くは生き残ってきました。「ザンジバル（Zanzibar）」や「カーリーズ（Curley's）」はなくなりましたが、「シルヴィオス（Sylvio's）」、「キー・ラーゴ（Key Largo）」、「 アレックス（Alex）」、「アベニュー（Avenue）」といった店では、たいていブルース・バンドが演奏しています。ブルース・クラブの名前が毎年変わることに慣れているブルースマンたちにとって、これらの店は場所よりもその名前で知られているのです。</div><div><br></div><div>多くの問題を抱えてはいるものの、ウエストサイドは好きなだけ騒げる場所であり、それはマジック・サムにとって好都合でした。彼は、リビングルームで少数の友人を相手に演奏している時や、裏のポーチに座って歌い演奏し、近所の人々が路地やポーチに詰めかけてその歌声に耳を傾けている時こそ、最高のパフォーマンスを見せることが多かったのです。シカゴ大学のフォーク・フェスティバルといった場所で新しい聴衆を前に演奏し始めた際、彼がすぐにその場に馴染めたのも不思議ではありません。1967年の秋には、ジョンソン財団の有名な施設「ウィングスプレッド（Wingspread）」でブルースを披露し、フランク・ロイド・ライト設計のその建物に彼の音楽を響かせました。最近ウィスコンシン大学で開かれたダンス・パーティーでは、観客の半数がバンドスタンドのそばの床に座り込み、一晩中音楽に身を委ねて楽しんでいました。彼の小編成のバンドは素晴らしい熱狂を生み出しますが、それはサムが観客の雰囲気を読み取り、それに応じて演奏のペースを調整できるからです。あの高音域の歌声は、彼本来の声によるものです。おそらく、彼がギター・ピックを使わないのも、そうした飾らない自然体の姿勢ゆえのことなのでしょう。サムの歌と演奏は、彼が青春時代を過ごしたミシシッピの土地と、荒々しい「ウェスト・サイド」での過酷な日常、その双方に深く根ざしています。しかし、優れたブルースや偉大な芸術がすべてそうであるように、彼は自身の出自や個人的な体験の枠を大きく超え、私たち全員の心に語りかけてくるのです。ですから、もしあなたが「感度が高く」、「流行に敏感」で、「時代の空気を捉えている」――あるいは、人間味や人生の真実に通じていることを表す、あなたの世代のスラングが何であれ、そうした感覚をお持ちの方なら、これまでの音楽の好みに関係なく、きっとこのアルバムを気に入っていただけるはずです。</div><div><br></div><div>本作で堅実なセカンド・ギターを聴かせているのは、LPを購入するようなブルー​​ス・ファンにはあまり知られていませんが、シカゴのクラブに通うブルース・リスナーの間ではよく知られたアーティストです。マイティ・ジョー・ヤングは、オーティス・ラッシュやサムなど、地元の多くのブルースマンと共演してきましたが、現在は自身のバンドを率いています。デルマーク・レコードは、近いうちに彼自身のアルバムをリリースする予定です。ストックホルム・スリムは、ある著名なピアニスト（そのリーダーが急遽街を離れてしまったため）の代役を務めました。本名はパー・ノティーニといい、母国スウェーデンでは自身のバンドで録音も行っていますが、音楽を職業にするつもりはないそうです。アーネスト・ジョンソンとマック・トンプソンはシカゴのブルースマンたちの間ではよく知られた存在ですが、LPへの参加は今回が初めてのようです。オーディ・ペイン・ジュニアは1950年代初頭からシカゴのブルースマンたちと活動しており、彼がクラブやレコーディングで参加しなかったバンドを挙げるほうが難しいほどです。2回目のレコーディング・セッションの際、彼はブルース・シーンや自身の12人編成ダンス・バンドを離れ、「アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル」のツアーでヨーロッパに同行していましたが、息子のオーディ・ペイン3世がその代役を十分すぎるほど見事に務め上げました。最後に、本作の制作にあたりご協力いただいたシェイキー・キャデラック・ジェイクことJ.D.ハリスに感謝の意を表します。</div><div><br></div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;ービル・リンデマン</div><div><br></div><div><br></div><div>＜ ミスター・バッド・ラックへのブルース ＞</div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 日暮泰文</div><div><br></div><div>　広い間口と底知れぬ奥行きを持つブルース。その中でも音楽的豊かさと純粋性ゆえに、ブルースの中核を成しているシカゴ・ブルースを60年代後半、極めて高い水準にまで持ちあげつつあった若きブルースマン、マジック・サムを突然の心臓マヒで奪われてしまったブルース界の衝撃は大きく、われわれブルースファンは慨嘆にくれ、シカゴ・ブルースの前途を憂えたのだった。</div><div>　サムの死は1969年12月1日のことだった。もう4年が経ようとしている。新しいシカゴ・ブルースのレコードを聴くたびに、マジック・サムの死によって生じた空洞があることを意識せずにはいられない。それは予想以上に大きく、また、それを埋めることの出来るブルースマンはまず出てこないように感じられる。</div><div>　ブルースと言えば、60年代中頃までは大体フォーク・ブルース的なものを指していたのだが、若いファンの要求に応えるべく、それ以降、バンド・ブルースのLPが次々に登場し始めた。サミュエル・チャータースのプロデュースになる「シカゴ／ザ・ブルース／トゥデイ」（ヴァンガード）あたりから、シカゴで当時活躍する若手ミュージシャンが大いに注目されるようになった。</div><div>　マジック・サムも、デルマークからこの「ウエスト・サイド・ソウル」を出して、一躍名をあげた（白人ブルースファンの間で）ブルースマンだが、彼を死へ追いやったのもこのブルース・ブームだったと言えるだろう。悪徳プロモーターは、サムに非常にハードなスケジュールを強い、それがために日毎にサムの体は弱っていったのだと言われている。月曜日の朝食をとったあと、胸やけを訴えるサムは寝室で倒れ、ベッドにたどりつく前に息を引き取ったという。</div><div>ブルースマンとしてはまだこれからという年齢～32歳だった。</div><div>　私事で恐縮だが、ぼくがサムの死を知ったのはそれから10日ぐらいもあとのことだったように記憶する。シカゴのあるコレクターからの手紙に”2、3日前に死んだ、とあっさり着いてあるだけだったが、MAGIC SAMとDIEDの2文字の伝えていた恐しさとショックは今でも忘れることが出来ない。</div><div>　当時はマジック・サムに関心を持っている日本のブルースファンの数など知れたものだったが、その後、徐々に彼の遺産の素晴しさに気付いてくれる人が増え始め、最近では、ブルースのバンドの中にもサムのレパートリーを採り上げる人達がかなりいるようだ。</div><div>　そして遂に、モダン・シカゴ・ブルースの名盤、この「ウェスト・サイド・ソウル」の日本発売が、デルマーク・レコードと契約のあるトリオ・レコードからされることになり、ぼく自身もやや興奮気味で、このライナーの原稿書く手も震えているほどだ。しかし、正直に白状してしまうと、ぼくは始めてこのLPを聞いた時はさほど良いとは思わなかった。いや、むしろガッカリした。このLPが発売された（'68年）ことを知った時、ぼくはとびつくようにしてこのLPを手に入れた。サムに関する知識は殆んどなく、ただシカゴの黒人の間でだけ高い人気を持っているブルースマンである、ということぐらいしか知らなかった。聞いてなぜ失望したかと言えば、このLPに見事に捉えられている。伝統的シカゴ・ブルースと、よりモダンなB.B.キング系ブルースの融合という種類のブルースを全く予期していなかったからではないかと今になって思っている。マディ・ウォータース・タイプのオーンドックスなシカゴ・ブルースかB.B.／フレディ・キング・スタイルか。そのどちらかを期待し、その中間というものが存在していようとは全く思っていなかったようだ。だから、ダウン・ビート誌でこのLPがなんと5ッ星ついているのを見た時は全く信じられず。「コイツ、ブルース聞いてるのかねェ」などと評者の名前を見入る始末。しかし、その後、シカゴ・ブルースのシングル盤やら何やらいろいろ聞くうちに、また、サムのLPを何度か聞くうちに、ジワジワと出てくる味に驚き始め、このLPの重要性を認録するようになった。バディ・ガイ程度だと思っていたヴォーカルも、よくよく聞くとそのハイ・ピッチ・トーンの中に一人間としての、一二グロとしての複雑多岐な感情が実に表現力豊かに、微妙に表わされていることに気付いた。力強さ、パワー、線の太さ、荒っぽさ～そういった基準を外れたところに若いブルース・シンガーの低い評価を受けがちなタレントが存在していたというわけだ。</div><div>　今では、この「ウェスト・サイド・ソウル」はぼくの最も愛聴する盤の一枚になってしまっている。聴きすぎて、ややノイズが目立ってきたので、日本盤が出来上れば、ぼくのデルマーク原盤はお役目終了ということになって、隅のほうにそっとしまわれることになるだろう。</div><div><br></div><div>このLPについてのメモ</div><div><br></div><div>　デルマークは、主宰者であるボブ・ケスターの好みのせいもあって、最初はフォーク・ブルース的なものばかり出していたのだが、ジュニア・ウェルズの"フードゥー・マン・ブルーズ”の売行きに自信を持ち、モダン・ブルースマンの2人目としてマジック・サムを吹込んだ。プロデューサーは、ボブ・ケスターであるが、デルマークのやり方として、アーティスト自身のセッションに対する意向を非常に大切にし、ほとんどよけいな口だし的なことはしないようだ。販売面のことをまず念頭においてやるようなものでないことは確かだ。</div><div>　このセッションには、おじのブルースマン、シェイキー・ジェイクが立会っており、ジェイクの考えが相当このLPには組み込まれているらしい。</div><div>　既に述べたように、モダン・シカゴ・ブルース LPとしては最高の一枚であって、その重要性は、例えばロバート・ジョンスンのコロムビア製やマディ・ウォータースのチェス、B.B.キングのケントにも匹敵し得るものと確信している。</div><div>　バック・ミュージシャンのうち、マイティー・ジョー・ヤングは、既にデルマークから単独LPを出している、中堅シカゴ・ブルース・シンガー／ギタリスト。やはり、B.B.キング系たが、セルテックス、USAなとのシカゴ・レーベルに吹込んだものがコレクターの間では知られている。ジョー・ヤングのバンドは常にシカゴの“tightast band"だといわれている。</div><div>　ピンチ・ヒッターとしてセッションに加わったストックホルム・スリムは、サム・チャータースの手によって母国、スウェーデンでレコーディングをしたという話も伝わっている。</div><div>　マック・トンプスンもアーネスト・ジョンスン、オディー・ペインもベテランのシカゴアンだが、特にマックはサムの旧友で、ほとんどサムと一緒に長年仕事を続けてきた。"マジック・サム"という名前を考えたのもこの人だ。</div><div>　サムの生いたちなどについては、このLP の英文ライナー・ノーツに詳しいのでここでは省略させて頂き、その音楽の詳しい分析などと共に、次のLP"ブラック・マジック"で触れようと思う。</div><div>　このLPが出てから、サムの名前は一部、シカゴのゲットーを超スピードで飛び出し、世界中に沢山のファンを作った。</div><div>　半ば伝説的な語り草になっているのだが、1969年夏のアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演したサムの演奏は素晴らしく、絶頂期を迎えたサムの実力をまざまさとみせつけるものだったとされている。</div><div>　なお、ブルースのレコードの歌詞の聞きとりは非常に難しく、一般英米人では困難なため、日系三世でシカゴのブルース・シーンには非常に明るいウェイン・マスダ氏に依頼し、完璧を期した。</div><div><br></div><div>MAGIC SAMのレコーディング・キャリア</div><div><br></div><div>① MAGIC SAM 1937-1969 (英 Blue Horizon=米 Polydor)</div><div>② WE SING THE BLUES＜1曲＞ (英Sue)</div><div>③ WEST SIDE SOUL （Dolmark=トリオ）</div><div>④ BLACK MAGIC（Dolmark=トリオ）</div><div>⑤ SWEET HOME CHICAGO＜2曲＞（Dolmark＝トリオ）</div><div>⑥ AMERICAN FOLK BLUES FESTIVAL＜2曲＞（英CBS）</div><div>⑦ LOOK OUT SAM (独 SCOUT)</div><div>⑧ MAGIC SAM LEGACY（Delmark）</div><div>　マジック・サムの遺産は、現在のところ単独LPは3枚のみである。そのうちの2枚はデルマークへの吹込みであって、④も来年になってから日本発売される。今の段階では、内容詳細は不明だが、デルマークからもう1枚、サムの LPが近々リリースされる予定（⑧）。</div><div>この"ウェスト・サイド・ソウル"が店頭に出る頃には、アメリカで発売になっているのではないかと思う。</div><div>　さて、①はサムがデビューを飾ったコブラ・レーベルへの吹込みを集めたもの。イーライ・トスカーノの経営していた50年代中期の代表的シカゴ・ブルース・レーベル、コブラからは 4枚の78回転盤（シングル45もある）が発売されたが、このLPはそれら全曲におクラ入りになっていたテープ、また、サムがバックでギターを弾いている、シェイキー・ジェイクの曲を併せて一枚のLP</div><div>としたもの。この時期のサムを高く評価する人もいるのだが、ぽくはむしろあらゆる点で成熱したデルマーク盤の方を実のところ、高く買っている。コブラに吹込んだ当時は、サムは若冠20歳で、ややブルース・シンギングにも深味が欠けていたと考えている。しかし、デビュー曲 “AlI of Your Love”から有名な "EASY BABY" に至るまで、サム独特のスタイルは既に出来上がっている。</div><div>　コブラは約2年の活動期間中、小会社のアーティスティック（Artisticーバディ・ガイが2枚のデビュー・レコードを出した）を含めて30枚のレコードを出しただけで倒産した。</div><div>　中では、既に完成されていた、オーティス・ラッシュの素晴らしい吹込みの数々が出色。サムも陸軍に召集され、60年、シカゴに戻ってきてから、これもシカゴ・ブルース・シーンのレコード・マンとして名の通った、メル・ロンドンのチーフ・レーベルに吹込みを開始している。チーフの多くもブルース・マニアのコレクターズ・アイテムになっており、ジュニア・ウェルズ、アール・フッカー、エルモア・ジェイムズ、リリアン・オフィットなどが特に著名。</div><div>　サムのこの時期は、コブラの延長だが、女性コーラスなどを入れた曲もあり、かなりコマーシャル臭い。②で聞ける曲は、ファッツ・ドミノの“Every Night About This Time"だが、ゴリッパ、全くサム独自のスタイルに潤化している。チーフでもやはり4枚のシングル盤が出たが、音楽的にも商業的にも成功したものではなかった。</div><div>　マイク・レッドビターのディスコグラフィーに依れば、このあと'64年にCBSというレーベルから Hi-Heel Sneakers 。/ All of Your Loveの1枚を出しているということなのだが、このシングル盤は実際にレコードを持っているというコレクターが世界のどこにもいないようで、その発売の事実は疑問視されている。CBSといっても恐らく、シカゴの小レーベルで、トミー・タッカー（チェッカ一）の大ヒットをカバーしようとしたものであろう。</div><div>　このあと、66年にアル・ベンスンの持っていたレーベル、クラッシュ CRASHから1枚のシングル（Out Of Bad Luck / She Belongs To Me）を引っさげて出てきたサムは、完全に一流のブルースマンに変身していた。世に”Bad Luck"を歌ったブルースは多々あるが、これほどまでに痛烈な苦しみ、不満をブチまけた迫力あるブルースは数少く、音楽的完成度の群を抜いていることとあわせて、サムにとっても、また、60年代のブルース・レコーディング史にとっても忘れられぬ大傑作になった。</div><div>　この年、いよいよデルマークに吹込みを開始。いま、このレコードが余すところなく証明しているように、実に充実した、深い味わいのあるサム独自のブルースの世界を展開してくれている。（③、④、⑤）</div><div>　⑥は、'69年にアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルの一貫としてヨーロッパに渡った時のもので、曲は18番”Easy Baby"。</div><div>　同じ時の吹込みで、ドイツの SCOUTというレーベルから何曲か出ているようだが、限定盤だったようで、詳細はよくわからない。</div><div>こうして、今までレコーディングされたものをみてきたわけだが、やはり思うことは、なぜにそんなにも早く死ななければならなかったのだろう、といううことしかない。疑いなく、'70年代のトップ・ブルースマンの地位は約束されていたというのに････なんというバッド・ラック！</div><div><br></div><div>＜曲目解説＞</div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 楠目繁樹</div><div><br></div><div>A-1 &nbsp;That's AIl I Need</div><div>　ソウル的感覚を持つサムではあるが、ソウルミュージックというよりは、むしろポビュラーに近い曲調である。出来の方も可もなく不可もなくと言ったところ。やはり、このような曲でサムを判断すべきではないだろう。彼がブルース以外の音楽への興味を見せた一つの例だろう。</div><div>A-2 &nbsp;I Need You So Bad</div><div>　オリジナルは多分ビール・ストリーダーズのドラマー、アール・フォーレストの“Oh Why”であろう。シカゴ中堅ハービストのジェイムズ・コットン（James Cotton）のヴァープ、B.B.キングがRPMに録音したものも有名。彼はB.B.キングの曲を参考にしているようだ。B.B.の曲よりも、ややアップテンボに演奏しているが、このくらいのミディアム・テンボが一番力を発運できるようである。特にギター・ワークで影響を受けているが、B.B.以上に迫力あるものとなっている。イギリスのブルース専門誌“BLUES UNLIMITED"の人気票でギタリストの部門で上位にランクされているのもうなずける。もちろんヴォーカルの素晴らしさも見のがせない。前半の落ちついた歌い方と後半での"Hey! Baby, I Need You So Bad"などで聞けるシャウトは正に圧巻である。現在活やくするブルースマンで、あれだけの高い評価を受けたのも、ヴォーカル・ミュージックであるブルース</div><div>で、これだけの表現をし得たからである。このLPの内でもベストの内にはいる一曲である。彼もB.B.の曲を愛聴していたという。</div><div>A-3 &nbsp;I Feel So Good （I Wanna Boogie）</div><div>　サムのフェイバリット・アーチストには、ジミー・マクラクリン、ロウエル・フルリン、この他にブルーズの巨人ジョン・リー・フッカーも含まれる。アン・アーバーでのコンサートの時に、よく曲と曲とのあいだに、ジョン・リーそっくりの音を出しているが、ジョン・リー独得のブギースタイルである。ジェムズ・コットンや白人ブルース・バンドもよく取りあげる曲だがオリジナルはジョン・リーのブギをアレンジしてサンに吹込んだリトゥル・ジュニア・パーカー。単調なリズムのくり返しの中から力強いビートと迫力が生まれている。このよう</div><div>な曲調はヴォーカルが非常に難かしいが、やはり彼は、よくリズムに乗り、歌っている。</div><div>A-4 &nbsp;AII Of Your Love</div><div>　彼のオリジナルで、もちろん Cobraに録音したものと同じである。Cobraと比較すると、成熟したサムの姿がよく提えられていて、こちらの方が上だ。普通、先にマイナーレーベルで録音したものと、メージャーや白人の経営するコレクターレーベルでの録音を比べると、圧倒的にマイナーでの出来がよいという例が多いのに対して、彼の場合は逆である。つまり彼が音楽的に成長しつづけて、充実期に入ろうとしていた時にデルマークに吹込みが行なわれたからだ。曲調は、マジック・サム・タイプとでも言ってもいいほど、彼のスタイルを代表するものである。特に間奏でのギター・フレーズは全く独創的だ。</div><div>A-5 &nbsp;I Don't No Woman</div><div>　オリジナルは、テキサスのデューク（Duke）・レコードのドル類スター、ボビー・ブランド（Bobby Brand）のものに求められる。ブランドの熱っぽい音は非常に印象的だが、サムはもっと軽く、やや早めに演奏している。ギターもブランドのものとよく似ているが、軽快に弾いている。サムが受けた影響を語る場合、シカゴ=アーバンブルーズはよく指摘されるが、デュークのボビー・ブランド、ジュニア・バーカー（彼はサムにヴォーカルの面でかなり強く影響している）についてはあまり語られていないようだ。これらのテキサス・アーバン・ブルーズを消化し、形を変えて、表現している。ここでのギターはオリジナルに優るとも劣らないほど快調である。</div><div>B-1 &nbsp;Sweet Home Chioago</div><div>　ブルーズ・ファンにはおなじみの曲。戦前では、1930年にウォルター・フェネル（Walter Fennell)が“Kokomo Blues”として録音している。が、ココモ・アーノルド（Kokomo Arnold）の”Kokomo Blues"が有名であり、ビッグ・ボーイ・ノックス（Big Boy Knox）、フレディー・スプリュエル（Freddy Spruell）、などの傑作もある。"Eleven Light City Blues"という曲名でも、数曲録音されているし、戦後ブルーズに多大な影響を残したロバート・ジョンソン（Robert Jonson）は、この曲名で録音している。戦後になると、”Kokomo Me Baby”というフレーズが消え、ロバート・ジョンソンのバリエーションが多くなる。デトロイトを中心に活動したボボ・ジェキンズ（Bobo Jekins）は”Baby Don't</div><div>You Want To Go”として録音、ジュニア・パーカーは“Sweet Home Chicagoで、ルーズベルト・サイクス（Roosevelt Sykes）は“Sweet Home Chicago”として録音している。これだけ長い歴史と多くのアーチストの吹込みと比べてもまた、この曲には、サムのバックボーンである、シカゴ・ブルーズの感覚が強く感じられるのは、やはり彼にとって“Sweet Home Chicago"である</div><div>からだろうか。</div><div>B-2 &nbsp;I Found A New Love</div><div>　よくソウルミュージックにみられるような曲名であるが、もちろんオリジナルブルーズ。そのせいか、かなりヴォーカルにソウル的感覚を聞くことができる。特にプレイクのある所でのヴォーカルによく表われている。関楽も派手さはないが、彼独特の味わいのあるものとなっている。</div><div>B-3 &nbsp;Every Night And Every Day</div><div>　前曲と同じ様な曲調であるが、より落着いた出来になっている。バッキングでのギターも他の人には、真似の出きないような感覚で弾いているが、彼はピックを一切使用せずにギターを弾いているのには、全く驚いてしまう。正に"MAGIO SAM"の名前にふさわしいギター・テクニックを持っている。ブルーズ・ギタリストの中にピックを使わず、サムピック（親指につける）を使う人がかなりいるが、全く使わない人は、数少ない。彼はその中でも抜群の1人だ。オリジナルは、ジミー・マクラクリンがインペリアルに残したファンキー・プルース。</div><div>B-4 &nbsp;Lookin' Good</div><div>　I Feel So Goodに似たション・リー・フッカータイプのブギ、旅手さはないが軽快なウォーキングべースにのり、ギターも快調である。このようなインストは、黒人特有のものである。白人ブルーズバンドなどはよくフレディ・キング（Freddy King）のインストなどよく演奏するが、やはり黒人特有のリズム感がないと全くつまらなくなってしまうからであろう。よく聞き込んでみれば、なかなか味わいのある曲である。</div><div>B-5 &nbsp;My Love WiI Never Die</div><div>　オーティス・ラッシュがコブラに吹込んだマイナー・ブルース。I Found Loveに似たソウル的曲構成にしている。バディ・ガイ（Buddy Guy）ジュニア・ウエルズ （Jr. Wells）などの若手がこういう曲を歌っても概してつまらないものになってしまう。やはり力量の差であろう。</div><div>B-6 &nbsp;Mama-Talk To Your Daughter</div><div>　日本ではあまり知名度はないが、ファンの間では人気の高いシカゴ・ブルーズマン、J.B. レノア（J.B. Lonor）の曲である。レノア自身のレコーディングの中でもベストの一曲だと思う、無名ではあるが、ハーモニカ・ファツ （Harmonuca Fats）の録音も仲々良い。</div><div>ミディアム・テンポにおける力強いギターと張りのあるヴォーカルがここでも開ける。</div><div>　この曲でLPは終わる訳だが、何回も聞き返して欲しい。いつの間にか、サムのとりこになっている自分に気づくであろうから････。<p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/8c/f1/j/o1080100515811938743.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/8c/f1/j/o1080100515811938743.jpg" border="0" width="400" height="372" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/fd/24/j/o1080108815811938745.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/fd/24/j/o1080108815811938745.jpg" border="0" width="400" height="402" alt=""></a></div><p><br></p><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/70/8a/j/o1080106015811938748.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260813/18/target-field0508/70/8a/j/o1080106015811938748.jpg" border="0" width="400" height="392" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Thu, 13 Aug 2026 18:18:50 +0900</pubDate>
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<title>角打ちシスターズ</title>
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<![CDATA[ <div><p>角打ちシスターズ<br></p></div><div>『 ニューアルバム「琥珀」発売記念ライブ 』</div><div>2026/8/11 at THE RAINCOAT</div><div><br></div><div>静沢真紀 G Vo</div><div>和田八美 P Vo</div><div><br></div><div>よい音楽は良い音の箱とともに。</div><div><br></div><div>つくづくこの二人が作る空気感はたまらんものがあります。ギターとピアノが融合するのは個人的に難しいと思っています。どちらもフロント楽器なんで、普通は喧嘩するものです。そのフロント楽器が融合している。互いが互いにリズムを補いながら。こんな演奏はなかなか見れない。そして、声も別モノ。喧嘩する声質が見事に融合している。なんなん？この二人？感性が卓越してる？あと、融合の仕方が凄い。ツボに入るギーソロ、ピアノのフレーズ。乗るとか乗らないとかのそんな話ではない。なんか聞き惚れてしまいました。こんなライブは初めてです。</div><div>最初のミニアルバムが出て4年弱。一緒に演奏しだしたのは恐らく4年前後。その4年間、二人は真剣に音楽と向き合いながらお互いを尊重し、作り上げたものなんだなって思いました。少なくとも私は心が震えました。</div><div>アーティストは一つ一つのストーリーを語りべとして伝えてます。受け手もそれぞれがストーリーを持っています。ライブはそのストーリーが花開く場。やっぱり、良い音楽は良い音の箱と共に進んで行くんだと思います。今日も素晴らしい音楽と出会えました。有難う御座いました。</div><div><br></div><div>セットリストは以下の通りです。</div><div><br></div><div>1st</div><div>① 寄っていって酔ってって(2022 1st角打ちシスターズ)</div><div>② Can’t Help Falling In Love(1961 Elvis Presley)</div><div>③ Windy City(2021 8ythm / ハツミズム 和田八美)</div><div>④ Wild Horses(1971 The Rolling Stones)</div><div>⑤ Bring It On Home to Me(1962 Sam Cooke)</div><div>⑥ Where Have You Been All My Life?(2026 2nd琥珀)</div><div>2nd</div><div>① Hideaway(1959 Freddie King)</div><div>② Cross Road(1937 Robert Johnson,Cream)</div><div>③ ねぇ 返してよ(2026 2nd琥珀)</div><div>④ What'd I Say(1959 Ray Charles)</div><div>⑤ Amber Flame(2026 2nd琥珀)</div><div>En</div><div>① Tennessee Waltz 〜去りにし夢〜(1950 Patti Page,江利チエミ)</div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/11/3c/j/o1080081015812226408.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/11/3c/j/o1080081015812226408.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a><br></div></div>
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<pubDate>Wed, 12 Aug 2026 08:21:44 +0900</pubDate>
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<title>ザ・ローレルズ</title>
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<![CDATA[ <div>『ザ・ローレルズ』</div><div>2026/1/24 at 福島サードストーン</div><div><br></div><div>奥山幹郎 &nbsp;(Vo.G)</div><div>山盛愛彦 &nbsp;(G. Cho.)</div><div>井上勲 (B. Cho.)</div><div>サッシー トモ (P. Cho.)</div><div>高木太郎 (Dr)</div><div><br></div><div>よい音楽は良い音の箱とともに。<br></div><div><br></div><div>京産軽音の大先輩のスーパーギタリストの山盛愛彦さん、昨年レインコートでThe Margiesで見せて頂いた優しいタッチの凄腕ベーシストの井上勲さん(井上 勲)、城領明子トリオでバリバリのドラミングを見せて頂いた高木太郎さん(＠高木太郎)、堺ブルフェスやYouTubeでよく拝見するピアノのサッシートモさん(さっしぃ &nbsp;とも )。そこに初見の奥山幹郎さん(奥山 幹郎)がどう絡むか？ザ・ローレルズの事前のYouTubeも何も無い中での初観戦でした。</div><div>これだけの忙しいメンバーの中でやるのでコピー中心かと思いましたが、多分、全曲オリジナルでした。そして、奥山さんの書く歌詞が多方面から問題定義した社会性の高い歌詞が多かったです。イジられキャラの奥山さんですが、物凄く良い歌詞を書かれます。あと、勲さんのベースはやっぱり、素晴らしい。リズムも一切とらないし、ドラムも一切見ないのに、ドラムとバッチリ合ってて、滑らかに動く左手は見ていて感動しました。また、高木太郎さんのドラムも本当に素晴らしい大好きなドラマーです。特に3曲目のLemonのレゲエのリズムはめちゃくちゃカッコよかったです。そして、4曲目のSomaliaの山盛さんのソロ、さっしぃさんのソロは荘厳でどんどん惹きつけられました。流石スーパーミュージシャンのお二人でした。</div><div><br></div><div>演奏してくれたセットリストは以下の通り</div><div><br></div><div>1. Metaverse</div><div>2. 飛べない蝶</div><div>3. Lemon</div><div>4. Somalia</div><div>5. Enpathy</div><div>6. Vector</div><div>7. Age Doesn't Matter</div><div>8. ノックアウト・マウスに幸あれ</div><div><br></div><div>en. ラグタイムの夜</div><div><br></div><div>ハイレベルでめちゃくちゃカッコいいバンドでした。</div><div>良い音楽は心が満たされます。また見に行きます。</div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/93/e3/j/o1080081015812230847.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/93/e3/j/o1080081015812230847.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Sat, 24 Jan 2026 18:00:38 +0900</pubDate>
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<title>泉州たまねぎファイターズ</title>
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<![CDATA[ <div>『泉州たまねぎファイターズ』</div><div>2026/1/24 at 福島サードストーン</div><div><br></div><div>よい音楽は良い音の箱とともに。<br></div><div><br></div><div>泉州たまねぎファイターズ(通称"泉たま")は1979年に結成されて、メンバーチェンジを1度もする事なく、現在まで活動されています。リーダーの前田さんと少しお話しさせて頂きましたが、現在71才だそうで、凄い老舗バンドです。私が大学生の頃、Lマガジンでその名前は知っていましたが、実際に演奏を生で見たのは昨年の堺ブルフェスが初めてでした。ウエストコーストのような美しい、爽やかなサウンドを聴かせていただきましたが、反面、誤嚥(ごえん)や認知症、尿もれの歌詞など、めちゃくちゃ笑わせて頂きました。</div><div><br></div><div>Masanori Maeda &nbsp;(b.vo)</div><div>Yuji Watanabe &nbsp;(key.vo)</div><div>Yoshinori Sugimura (g.vo)</div><div>Yosinobu Kiyokawa (g)</div><div>Katsumi Imai (dr.vo)</div><div>Masaru Anzawa &nbsp;(Steel.g)</div><div><br></div><div>ボーカルの渡邊さんの声が兎に角甘いです。スッと耳に入ってきます。また、G.コーラスのSugimuraのMCが上手いです。掴み最高でした。演奏は流石老舗バンドです。6人の大所帯でも完璧に合っていて、めちゃくちゃ楽しめました。リーダーでB.コーラスの前田さんはリズムセクションでありながら、フロントに立たれコーラスもする為、真後ろに居るドラムの今井さんを見ることなく、バッチリ合わすのにビックリしました。またスチールギターのAnzawaさんがめちゃくちゃ良い色を出されてました。</div><div><br></div><div>演奏してくれたセットリストは以下の通り</div><div><br></div><div>1. イン・ユア・アイズ</div><div>2. GOEN</div><div>3. ノーモア・ウーマン</div><div>4. 真夏の蜃気楼</div><div>5. しーゆーしーゆー</div><div>6. 忘れちゃったのよ</div><div>7. WOO アモーレ</div><div>8. 国立ワンダーランド</div><div>9. アポロ2</div><div>10. ヒッチ・ア・ライド</div><div><br></div><div>en. ウソやってん</div><div><br></div><div>全曲オリジナルの泉たまサウンドに酔いしれました。</div><div>泉州たまねぎファイターズ。また酔いしれに行きます。</div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/78/d9/j/o1080081015812230626.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/78/d9/j/o1080081015812230626.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Sat, 24 Jan 2026 17:00:55 +0900</pubDate>
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<title>角打ちシスターズ</title>
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<![CDATA[ <div>『角打ちシスターズ』</div><div>2025/1/22 at 雲州堂</div><div><br></div><div>よい音楽は良い音の箱とともに。<br></div><div><br></div><div>前々から見に行きたくて仕方がなかった角打ちシスターズ。体調不良が続き、それどころじゃ無かった。</div><div>体調が戻り、ようやく見に行けました。</div><div>まず、雲州堂の音の良さにビックリ。</div><div>イメージは拾得や磔磔のイメージでしたが、想像よりはこじんまりとしていて20人強のハコとしてはベストでした。</div><div>で、角打ちシスターズの感想。</div><div>めちゃくちゃギターの上手い塩次伸二氏を師事したブルースギタリストとクラシックピアノをしっかり学んだ上に、StuffのRichard Teeに影響を受け、敬愛するアリヨさんを師事するピアノニストが融合したらどうなるか？</div><div>しかも歌うのだ。かなり楽しみでした。</div><div><br></div><div>実は3曲入りのCD『寄っていって酔ってって』は通販で購入済みで何回も聞いている。しかし、今の角打ちシスターズを体感したかった。演奏してくれたセットリストは以下の通り。</div><div><br></div><div>1. 寄っていって酔ってって / 角打ちシスターズ</div><div>2. Can't Help Falling in Love / Elvis Presley</div><div>3. Crossroads / Cream、Robert Johnson</div><div>4. Bring It On Home to Me / Sam Cooke</div><div>5. Wild Horses / The Rolling Stones</div><div>6. Sukiyaki / 坂本九</div><div><br></div><div>1. Where Have You / 角打ちシスターズ(Instrumental)</div><div>2. Tennessee Waltz / Patti Page、江利チエミ</div><div>3. Baby What You Want Me to Do / Jimmy Reed</div><div>4. ねえ返してよ / 角打ちシスターズ</div><div>5. Honky Tonk Women / The Rolling Stones</div><div>6. Anber Flame / 角打ちシスターズ(Instrumental)</div><div><br></div><div>en &nbsp;Libertango / Astor Piazzolla(Instrumental)</div><div><br></div><div>いや、やっぱり二人ともめちゃくちゃ上手かった。</div><div>素晴らしい技術を見せて頂きました。</div><div>また、選曲もバラエティに富んで全く飽きない。</div><div>プレスリー、サム・クック、ストーンズが2曲。</div><div>坂本九に江利チエミ、ジミーリードとオリジナル4曲が混ざり合い。とても満足できる内容でした。</div><div>しかし、アンコールのリベルタンゴには驚きました。</div><div>また、オリジナルが素晴らしい！互いの技術がクロスして、雲州堂が響いてました。</div><div>そして、歌唱。和田ハ美さんはストレートな美しい伸びのある声、静沢真紀さんは超個性的な声(めちゃくちゃ褒め言葉です)が美しいハーモニーを作り上げ、演奏と相まって、堪らない空間に身を置かせて頂きました。</div><div><br></div><div>角打ちシスターズ。また見たいです。夏にリリース予定のフルアルバムも楽しみです。また、ライブに行かせて頂きます。</div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/11/99/j/o1080081015812230125.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/11/99/j/o1080081015812230125.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Thu, 22 Jan 2026 19:00:25 +0900</pubDate>
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<title>Yammy*とタクトの真夏の大冒険</title>
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<![CDATA[ <div>『Yammy*とタクトの真夏の大冒険』</div><div><br></div><div>昨日、新装移転したVanda Melilieさんに伺ってきました。</div><div>以前の新大宮の店舗に伺ったのは森智彦君のLIVEです。かなりキャパも広くなり、めちゃくちゃ良いライブハウスになっていました。奈良市は同じ奈良県ですが、実はとても遠くて、1時間40分ぐらい掛かります。新大宮が前職の職場だったので、よく知っていました。しかし、よくよく考えたら、それは近鉄を使う方法で、JRを使うとなんと30分以内で行ける超近距離LIVEハウスです。</div><div>今後、Vanda Melilieさんに伺う事が増えると思います。</div><div><br></div><div>で、表題。多分、フルバンドじゃない編成でこんなにツボったのは人生初かもしれない。</div><div>抜群の歌唱を持ちながら、まったりと横揺れでギターを演奏するYammy*。彼女の透き通った声はまるで水面の上でヒタヒタと浸透してくるかのような心地良さを感じる。素晴らしいボーカリストです。</div><div>カバーも沢山歌っていますが、なによりもオリジナルが素晴らしい。彼女のLIVEに行く事が、もうスキップするようなウキウキ感を感じてしまう。</div><div><br></div><div>その心地良さにアクセントを加えるタクトのドラム。何ていうのか、堪らんのよね。あのスネアの音が。2人編成なんで、音数はめちゃくちゃ少ないのに、期待を超えてしまうドラミングがもうヤミツキになります。ああ、このバンド、めちゃくちゃ好きだわって思うんですよね。で、そんな2人が織りなす音がね、聴いているんじゃなくて、その場にいる人全員で作り出してる気がするんです。そして、主役の2人が連れて行ってくれる、冒険活劇。それが『Yammy*とタクトの真夏の大冒険』って言葉がピッタリな気がします。</div><div><br></div><div>暖かい気持ちと期待を遥かにこえる高揚感に満たされて、SONG TRAVELERSの LIVE、サイコーでした。</div><div><br></div><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/2e/1b/j/o1080081015812230357.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260814/17/target-field0508/2e/1b/j/o1080081015812230357.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><p><br></p></div>
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<pubDate>Fri, 02 Aug 2024 19:00:12 +0900</pubDate>
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