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<title>死にかけ肉袋</title>
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<title>2013/02/14</title>
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<![CDATA[ 過去にノスタルジーを感じる自分は、やっぱり過去に何かを置き忘れたんだと思う。<br>その忘れ物が忘れられなくて僕の現在は色褪せてるんだからしょうがない。
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<link>https://ameblo.jp/tata12011122/entry-11470442324.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Feb 2013 14:14:28 +0900</pubDate>
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<title>2013/02/07</title>
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<![CDATA[ 夢が好きです。現実的な夢ではなく、眠る時に見る夢です。<br><br>阿保の極みだと思っています。朝起きても、もう少し夢が見たくて、それで眠り込んでしまうのですから。本当は起きて、本の一冊でも読む時間をとるべきなのです。<br><br>それが分かりつつも眠り込んでしまうのだから、始末が悪い。そうして、10時頃に起き出して、嫌な気持ちになるのであります。<br><br>それでも、数年前よりは遥かにマシで、昔は下手をすると昼を回っても起きて来ないような生活をし、パスカルなども昼頃に起き出していたという逸話を後ろ盾にして正当化しているのだからどうしようもない。<br><br>最近思うことは、この僕の夢好きは現実逃避なのだろうということで、突拍子もない夢の世界を日々楽しんでは、目覚めと共にやってくる現実に頭を抱えるのです。<br><br>しかし、夢ばかりの世界になれば、これもまた頭を抱えるのでしょう。夢と言えど何でも思い通りにはならないわけですから、結局は歯痒くなってしまうのだと思うのです。つまり、夢ばかりになってしまえば、夢も現実も境が無くなるわけで、すると、「夢は目覚めれば何の意味も無いストーリーに成り下がってしまう」という、夢を楽しむための前提が消失してしまうのだと考えるのであります。
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<pubDate>Thu, 07 Feb 2013 06:55:14 +0900</pubDate>
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<title>2013/02/06</title>
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<![CDATA[ 結局のところ、僕の中に語るべきことなんてこれっぽっちもないのだろう。<br><br>「ない」とは、つまり、「価値がない」ということを言っているわけで、語りたいことが無いというわけではない。<br><br>しかし、僕にできることなんてたかが知れている。せいぜい、生温い馴れ合いの中で、世辞を貰う程度である。なぜなら、僕は本来怠け者で、本当にどうしようもないタイプの落伍者であるから、本当なら寿命を伸ばすことすら億劫で、頑張るくらいなら死んでしまいたいにもかかわらず、死を、何か取り返しの付かない大惨事のように思い、それが怖くてノウノウと生きながらえている始末なのだから。<br><br>他人が怖くて、顔色を伺うのが趣味になってしまっている。だから、他人には無難な答えをし、なるべく気に入られて、つまり、なるべく目立たないような大多数の中の一人に成り下がるようにして、本当にやりたいことは罪悪感を感じながらするか、はなから僕には無理だと考えて、無難に生きる道を選ぶのである。<br><br>自信が無いものだから、一人になると徹底的に堕落する。しかし、普段は虚栄を貼っている。その虚栄に引き摺られて、尚更堕落したくなる。堕落も他人のせいにして正当化してしまう。こうなっても尚、死ぬのが怖いのだ。<br><br>ハイデガー哲学を僕はあまり知らない。持ち前の虚栄で齧って、持ち前の怠惰で中途半端に理解するだけで、あとは放棄してしまった。しかし、あくまでも自分の理解している範囲で言えば、「被投性」という概念には心惹かれた。確かに我々は世界内存在として気づいたらここに居た、と考えられなくも無いのだから、僕としてはなんとなく被害者ぶりたくもなるのである。だれから被害を被ったかと言えば、それは神のせいということになるのだろう。ハイデガーはしばしば神学的に読めるような気がしていて、結局彼の言う「存在」とは、神の居なくなった世界に新しい人間の支柱を求めた結果生まれた、神の代替品なのではないだろうか。とはいえ、僕の意見に説得力は無く、よくハイデガーを読んでいる人からすれば基礎からやれと鼻で笑われるようなものなのだろうから、もし読んでいる方が居たとしても真に受けないでほしい。所詮独り言で、だからこそ文体も適当なままに投稿できるのである。その裏には、誰も見ていないだろうという前提がある。<br><br>誰も見て居ないのだから何を書いても良いのである。仮にみられても、駄文として見向きもされないだけなのだから。E.シオランが何かの本で、本を書くのは一種の対症療法だと言っていた。つまり、結局のところこのブログは僕の対症療法なのである。<br><br>意見は吐くだけ吐く、そして、それに僕は責任を負わない、といった心づもりだ。外化してしまった文章は、もはや自分ではない、というのもシオランの言葉だが、本当にそうならば良いと思う。僕には少し羨ましい。なぜなら、書いた文を僕はどこまでも自分自身として解釈してしまい、一字一句下手な字面に溜息が出るからである。とはいえ、単に僕の能力が足らないだけだとも考えられる。三流にすらなれないのだ。<br><br>とどのつまりは、根性が僕には無いのである。
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<link>https://ameblo.jp/tata12011122/entry-11464904998.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Feb 2013 15:43:27 +0900</pubDate>
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