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<title>サムライ整体師のブログ</title>
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<title>高原を堪能する！！</title>
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<![CDATA[ 昨日、私は長野県の美ヶ原高原美術館へ行ってきました。<br><br>http://utsukushi-oam.jp/<br><br>１０年以上前からあることは知っておりましたが、その野外彫刻が見たくて見てくて<br>ずーっと夢でした。<br><br>岐阜からだと遠いしな～・・・<br><br>だけど、思い切って行ってきました。<br>片道４時間の行程です。<br><br>到着すると美ヶ原高原のあちこちに大小色々な彫刻がありました。<br><br>「お！！これは凄いなー～！！」<br>と言うのもあれば<br>「何だろうな？？？芸術って何でもアリだな・・・」<br>と言うのもあったりして。<br><br>２時間以上かけて見回ってきました。<br><br>いや～！！芸術って素晴らしいものですよね。<br><br><br>その後は、霧ヶ峰を散歩してきました。<br>子供の頃、家族で行ってその写真がまだあります。<br><br>冬は雪が積もるのでスキー場にもなっています。<br><br>グライダーの練習をやっていて、しばらく見ていました。<br><br><br>それから諏訪まで出て、日帰り温泉の片倉館へ行って温泉に入ってきました。<br><br>昭和３年建築の歴史ある建物で千人風呂が有名です。<br><br>http://www.katakurakan.or.jp/<br><br><br>確か？２６年前の小学校の社会見学でも、そのお風呂に入りました。<br><br>かなり深いお風呂で、その時は首の所まで深さがあった記憶があります。<br><br>あっという間に一日が過ぎ、また４時間弱の行程を運転して帰ってきました。<br><br>すっかり高原の風に癒されました。<br><br>今日はこれまで<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tatsuki20080208/entry-10915284770.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Jun 2011 19:37:58 +0900</pubDate>
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<title>新撰組隊士　佐野七五三之助登場！！</title>
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<![CDATA[ 昨日は、一宮スポーツ文化センターで<br>ＮＴＴ尾張支部のＯＢ会があり、私がお世話になった山○さんに<br>居合の演武を頼まれましたので行ってきました。<br><br>あいにくの雨でしたが、何とか竹、その他の演武道具を取りそろえ<br>会場に到着する事が出来ました。<br><br>今回の演武は、ただの演武ではありません。<br><br>山○さんは愛知県蟹江町に住んでおりまして、現在は歴史ガイドボランティアで<br>活躍されている方です。<br><br>蟹江町からは、佐野七五三之助（しめのすけ）と言う、<br>平隊士ですが新撰組に入隊した隊士がおります。<br>なので、毎年２月にはその佐野七五三之助を主役にした新撰組のパレードを<br>歴史ガイドボランティアの方が主催してやっているのですが、<br>我々の戸山流美濃羽会のメンバーも、そのパレードで居合の演武を行っております。<br><br>昨日は、そのＮＴＴのＯＢ会で、是非とも余興で新撰組隊士、佐野七五三之助になって、<br>演武をやってほしいと言うことで、演武をしてきたわけです。<br><br>ところで、佐野七五三之助（しめのすけ）って皆さんご存知ですか？<br>局長の近藤勇、副長の土方歳三、一番隊組長の沖田総司に比べたら<br>平隊士ですので有名じゃないですが、少し紹介をさせていただきます。<br><br><p><b>佐野 七五三之助</b></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">（さの しめのすけ、</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BF%9D" style="color: rgb(0, 0, 255);">天保</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">7年（</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1836%E5%B9%B4" style="color: rgb(0, 0, 255);">1836年</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">） - </span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E5%BF%9C" style="color: rgb(0, 0, 255);">慶応</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">3年</span><a title="6月14日 (旧暦)" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8814%E6%97%A5_%28%E6%97%A7%E6%9A%A6%29" style="color: rgb(0, 0, 255);">6月14日</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">（</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1867%E5%B9%B4" style="color: rgb(0, 0, 255);">1867年</a><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8815%E6%97%A5" style="color: rgb(0, 0, 255);">7月15日</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">））は、</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%81%B8%E7%B5%84" style="color: rgb(0, 0, 255);">新選組</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">平隊士で</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%AA%E9%83%8E" style="color: rgb(0, 0, 255);">伊東甲子太郎</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">派の隊士。諱は重之。</span><a class="mw-redirect" title="名古屋藩" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E8%97%A9" style="color: rgb(0, 0, 255);">尾張名古屋藩</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">出身。</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3" style="color: rgb(0, 0, 255);">内閣総理大臣</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">&nbsp;</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%AB%98%E6%98%8E" style="color: rgb(0, 0, 255);">加藤高明</a><span style="color: rgb(0, 0, 255);">は甥（妹の子）にあたる。</span></p><p style="color: rgb(0, 0, 255);">尾張国（現在の愛知県）海部郡須成村の神職、寺西伊予守家班の嫡子として生まれる。前名は寺西蔵之丞。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%B0%B8">嘉永</a>3年父が55歳で死去した後、<a title="尊皇攘夷" class="mw-redirect" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E7%9A%87%E6%94%98%E5%A4%B7">尊皇攘夷</a>を志し、名前を佐野七五三之助と改めて江戸へ出奔。尊王攘夷の機会を得ず、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%B9%85">文久</a>3年（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1863%E5%B9%B4">1863年</a>）頃、横浜の外人居留地警備の役目を担った時、伊東や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E6%B3%B0%E4%B9%8B%E9%80%B2">篠原泰之進</a>らと出会う。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%B2%BB">元治</a>元年（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1864%E5%B9%B4">1864年</a>）10月に新選組に入隊し、四番組に所属。慶応3年3月に伊東ら<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%99%B5%E8%A1%9B%E5%A3%AB">御陵衛士</a>が新選組を脱退した際は、密命を受けて新選組に残留。6月10日の新選組幕臣取立てに反対して御陵衛士に参加しようとするが、規定によって断られ<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E6%9C%A8%E5%8F%B8">茨木司</a>・<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B7%9D%E5%8D%81%E9%83%8E">富川十郎</a>・<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%BA%94%E9%83%8E">中村五郎</a>らと共に、会津藩邸内にて切腹した（異説では、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%81%B8%E7%B5%84">新選組</a>隊士<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E9%8D%AC%E6%AC%A1%E9%83%8E">大石鍬次郎</a>らに惨殺されたとも）。</p><p style="color: rgb(0, 0, 255);">佐野は、大石が検死にやってきた時に一旦甦り、大石に斬りかかったと言われる（大石に惨殺されたとする説では、佐野は大石に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8D">槍</a>で腹を刺し抜かれたが、必死の抜打ちで、大石に手傷を負わせたと言われている）。これは、一篇の古文書に書かれていたことが拡大したものとされている。</p><p style="color: rgb(0, 0, 255);">佐野の懐中には、死を覚悟の辞世を秘めていた。辞世の句は「二張の弓引かましと　武士（もののふ）のただ一筋に思ひ切るなり」。慶応四年に発刊された辞世集で上記の内容と異なる辞世であったことが書き残されているものも見つかっている。</p><p style="color: rgb(0, 0, 255);">遺骸は新選組の手によって<a title="光緑寺（存在しないページ）" class="new" href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%89%E7%B7%91%E5%AF%BA&amp;action=edit&amp;redlink=1">光緑寺</a>に葬られたが、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E4%B8%89%E6%A8%B9%E4%B8%89%E9%83%8E">鈴木三樹三郎</a>らの手によって<a title="戒光寺（存在しないページ）" class="new" href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%92%E5%85%89%E5%AF%BA&amp;action=edit&amp;redlink=1">戒光寺</a>に改葬された。</p>（ウィキペディアより抜粋）<br><br>剣は北辰一刀流の使い手。<br>切腹した後も、検死にやってきた大石鍬次郎に蘇生して斬りかかる等恐ろしいまでの執念です（ひぇ～）<br><br>その佐野七五三之助に私が昨日は役をやらせていただき、山○さんは近藤局長。<br>陣ぷれ太鼓、「ああ新撰組」の合唱など行った後、<br>いよいよ私の演武です。<br><br>結果は竹は斬り損じることはなかったですが、<br>演武をやった後、やっぱりこうすれば良かったかなあ？<br>と言う反省点はあります。<br><br>しかしまあ、大人数の前での演武は緊張するし、調子は狂うし<br>普段の実力の６割も出せればいい方だと師匠には言われておりましたが<br>まさにその通りですね。<br><br>ですが、無事に演武も終わりましたし、<br>練習の課題も出来ました。<br><br><br>剣豪になるのも楽じゃないっすね。<br><br>今日はこれまで<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tatsuki20080208/entry-10908115839.html</link>
<pubDate>Mon, 30 May 2011 19:54:30 +0900</pubDate>
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<title>天気が悪い日も練習</title>
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<![CDATA[ こんにちは。<br><br>昨日の２２日は雨でしたが、居合の練習に行ってきました。<br><br>新たに練習内容としては、組太刀をＮ田先生と行いました。<br><br>まずは、短剣組太刀。<br>一方が太刀でもう一方が短い小太刀を使います。<br><br>何年か前にも練習したことがありましたが、すっかり忘れていました。<br>その短剣組太刀を覚えれば、一応は私の所属している戸山流美濃羽会の<br>型は一通り、習得？覚えたことになります。<br><br>小太刀での動きは、太刀を使うのに比べて少し変わっています。<br>太刀の体裁きと違い、短い分、相手に対して入り身になった状態で<br>間合いを近づけないといけないので、戸惑います。<br><br>ですが、Ｎ田先生の分かりやすい説明と実演により、一応は覚えました。一応は・・・<br><br>それともう一つ、今度は剣ＶＳ槍の組太刀も練習しました。<br>それは今度は長い槍が相手ですので、これも間合いをいかにして詰めるか？<br>が問題です。<br><br>組太刀、相手があって型が成立するものですが<br>それにより、体の裁き方が身につきます。<br><br>無駄な動きをなくし、少ない動きで相手を制す。<br>奥が深いですよ・・・<br><br>組太刀の練習の後は先々週から新しく入ったＧ藤君を指導させていただきました。<br><br>先週、斬りの基本は教えましたが、今回は見違えるほど斬れるようになっていました。<br><br>まだ２３歳と言う若さながら、あっぱれです。<br><br>そう言えば、私が居合を始めたのも２３歳。<br>そのまま続ければ、私くらいの年になれば、かなり上手になっていることでしょう。楽しみです。<br><br>散々、竹を斬りつくして、その日の居合の稽古は終了しました。<br><br>今日は腕も痛くなりませんでした。<br>やっぱり、あんまり長く休むと駄目ですね。<br><br>それでは今日はこれまで。<br>
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<pubDate>Mon, 23 May 2011 15:43:07 +0900</pubDate>
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<title>ブログ、再開しました</title>
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<![CDATA[ 本日、５月１６日の吉日から、ブログを再開いたしますので<br>宜しくお願い致します。<br><br>主に普段の何気ない出来事や健康の事、<br>あとはサムライ整体師の所以なる、趣味の居合道などについて<br>書いていきたいと思います。<br><br>さて、本日は昨日に見たＤＶＤの映画について<br>お話ししたいと思います。<br><br>「１３人の刺客」<br><br>と言うのをレンタルで借りてきてみましたが、<br>面白かったです。<br><br>とにかく最後の殺陣が凄かったです。<br>斬って斬って斬りまくれ！！の勢いで<br>１３ＶＳ３００の美濃国の落合宿での戦いです。<br><br>また、日本刀と言うのは人を斬ると切れ味が鈍るので、<br>用意しておいた無数の刀を使い捨てにしていく描写など、リアリティがあったように思います。<br><br>刀の話については、大好物なので<br>またいろいろとお話ししていきたいと思います。<br><br>あんまり話すとネタばれしてしまいますので<br>興味のある方はご覧ください。<br><br>「桜田門外の変」も面白そうだし、<br>「必死剣　鳥刺し」は見ましたが、面白かったです。<br><br>昨日見た「１３人の刺客」は、個人的には松方弘樹がかっこいいなーと思いました。<br><br>あの人こそ、和服なり日本刀を差した姿が似合う人はいないと思いますが。<br><br>私の居合の師匠のＮ田先生も、和服、日本刀を差した姿がかっこいいです。<br>その師匠に憧れて、今の流派の居合を始めたと言っても過言ではない位です。<br><br>昨日は久々に居合の稽古をして、情けないことに<br>少し体が痛いです。<br><br>運動不足ですね。<br><br><br>では<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tatsuki20080208/entry-10893424282.html</link>
<pubDate>Mon, 16 May 2011 14:55:06 +0900</pubDate>
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