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<title>うつ病からハッピーになろう</title>
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<description>うつ病、自殺未遂経験からハッピーになれた経験を書いていきます。</description>
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<title>うつ状態から復職し現在</title>
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<![CDATA[ <p>復職して早くも1年10ヶ月が経ちました。</p><p>この1年間でうつ状態という状態からはすっかり抜け出したと感じることができるようになりました。</p><p>　</p><p>うつ状態の時と今で大きく違うところは、「①自分を好きになれたこと」と、「②周りを必要以上に気にしなくなった」ことです。</p><p>&nbsp;</p><p>現在うつで苦しまれている方のお力になりたいと思っています、</p><p>うつ状態から抜け出すために、この２つは肝心なことであると思いますので自分の考えを書いていこうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>①自分を好きになれたこと</p><p>うつ状態の時は、仕事、家庭、どちらも自分の行動や考えを否定される事が多く、不満や悲しみを抱える状態が続いていました。</p><p>そして、自分の中では否定される程のことをしていないという感覚であり、なぜそんなに否定されなければいけないのかという気持ちが、自分を苦しめていました。</p><p>この状態が長く続き、自分の行動、言動、全てに自信がなくなり、自分のことが嫌いになっていきました。</p><p>否定されることをしていないのに、という気持ちがあると、自分の感覚と周囲の反応の違いから何をしてもダメだという気持ちが強くなり、自分はダメな人間だ、と洗脳に近い形で意識に刷り込まれていき、気づけばうつ状態になっていくという感じです。</p><p>もし、自分は否定されることをしている、つまり自分に落ち度があるという認識があれば、それは自分の行動で解決できるところもあるかと思います。</p><p>否定される行動に対しての自分の中での感覚と、周囲の感覚のズレ、これがキーかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>映画化もされ、うつ病の関連で有名な本田中圭一さんの著書「うつヌケ」という本の冒頭で、「うつになった原因が分かった、結論から言うとそれは自分を嫌いになったからなんだ」というような文言があります。</p><p>この本を、うつ状態になって間もない頃読みましたが、正直この言葉を理解することはできませんでした。</p><p>この後は登場人物が各々うつ状態から回復していく様子が描かれているのですが、当時は「こんなもの、それぞれの事例であって、人の数だけ回復していく過程があるから、結局答えはないではないか」と、否定的だったのですが、今になってみると、自分を嫌いになるという点は登場人物に共通していて、あながち悪い本ではないなと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、これも現在の自分を好きになれる環境と、1年間という時間があってこそ気づくことができたことです。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは、自分を好きになることが肝心要です。</p><p>1年間で気づいた一つ目の「自分を好きになれたこと」。</p><p>ではなにが必要か、それは「肯定」です。</p><p>&nbsp;</p><p>肯定される、してくれる、そういう環境に身を置く。</p><p>そしてそれは、次の「周りを必要以上に気にしなくなった」にも関連していきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12825194243.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Oct 2023 19:41:50 +0900</pubDate>
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<title>最終話　復職と現在</title>
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<![CDATA[ <p>復職当日、とてつもなく緊張していました。</p><p>事前に、同僚の1人とは電話し、この日に復職することや職場の様子を聞いたりはしていましたがやはり緊張します。</p><p>休みを取ってからというもの、この日のことを考えなかった日はないほど重要な1日です。</p><p>&nbsp;</p><p>職場に向かう途中で知り合いに会ったらどうしよう、長いこと休んで迷惑かけやがって、とか思われているんだろうか、等不安なことが次々と浮かんできますし、どんな目で見られるんだろうかということもとても心配で、とにかく不安で仕方がありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>事前に上司からは、復職の日、皆の前で挨拶するかと聞かれており、私は「しれっと戻るのは嫌だな」と思っていたため、挨拶をすると回答していました。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、出社して職場のドアを開けて部屋に入りました。</p><p>気づいた人から「おお～」と笑顔になっているのが伝わってくるリアクションがありました。</p><p>嬉しかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>上司「ハッピーおじさんが今日から復職されるにあたって、挨拶をされます。どうぞ。」</p><p>私「長い間、ご心配とご迷惑をおかけしました。時間はかかりましたが、自分の問題を解決できたので戻ってくることができました。長い時間をかけることができたのは、職場の皆さんのおかげです、皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本日から少しずつではありますが、仕事に復帰して参りますので、どうぞよろしくお願いします。」</p><p>緊張していたので、はっきりと言えたかは覚えていませんが、何回も練習して臨みました。</p><p>拍手があり、席につきました。</p><p>席につくなり、</p><p>「戻ってこれて良かったね～！」、「心配してたけどこっちから連絡するのもどうかと思って、また元気な顔が見れて良かったよ」等、入れ替わり立ち替わり同僚が声を掛けてくれ、本当に嬉しかったです。中には涙ぐんでいる同僚もいて、私も泣きそうでした。</p><p>休職前に、苦手だった同僚がおり、その人からなんと言われるかとても気がかりでした。</p><p>正直、声をかけるのも億劫でしたが、迷惑をかけたのできちんと言わなければと、声をかけると、「復活ですか、大変でしたね」という優しい言葉をかけられ、とても安心しました。</p><p>今思えば、この同僚からどう思われているかは結構気にしていたなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>初日は1時間だけの勤務でしたので、その後の勤務する度に以前お世話になっていた方々に、数日かけて挨拶をして周りました。</p><p>挨拶するたびに優しい言葉をかけていただき、本当に職場に戻れてよかったと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>復職にあたっては、勤務軽減措置というものがあり、3～1時間程度勤務時間が短くなっています。また、仕事内容についても、対外的な仕事や緊急性のある仕事はなく、書類の整理などの簡単な優しい仕事を任せられます。詳しくは別記事で書こうと思っています。</p><p>そんなこんなで、仕事に関しては無事、復職することができました。</p><p>現在も順調に出勤できています。</p><p>&nbsp;</p><p>私生活はというと、離婚してすぐではありましたが、これまで家族と生活していたこともあり、どこか寂しい気持ちになっていました。</p><p>誰か良い人がいればいいなと思い、試しにマッチングアプリでパートナー探しをすることにしました。</p><p>1週間ほどで、数名とマッチングし、その中で気の合う方がいたため会ってみることにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>結論から言いますと、その方とお付き合いすることになったのですが、この方との出会いによって、ものすごい幸せを実感できるようになりました。</p><p>まだ、お付き合いして短いですし、夫婦ではありませんが、パートナー次第で心持ちはこんなにも違うんだということを感じています。</p><p>離婚歴があり、養育費の支払いもある私の事情を知ったうえでお付き合いしてくれて、こんな人がいるんだと、最初は詐欺ではないかと問い詰めましたがしばらく生活して、そうではないようなので安心しています。</p><p>&nbsp;</p><p>うつ病状態の時には、「生きていても何もいいことはない」、「この先何十年も生きていくなんて無理だ」、と思っていたし、日記は「死にたい」、「楽になりたい」といった文章でいっぱいでした。</p><p>&nbsp;</p><p>それが、休職、療養、別居、離婚、復職、出会いを経て、「自分は生きていてもいいんだ」、「まだこれからの人生楽しいことがたくさんあるんだ」と思えるほどになりました。</p><p>まだ、油断してはいけませんが、現在は本当にハッピーです。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでが、私がうつ病からハッピーになるまでの経緯です。</p><p>&nbsp;</p><p>次回からは、ハッピーになるための考え方、医師や薬との付き合い方、うつ病の人はこう接してほしいと思っているなどについて書いて行けたらと思っています。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12727704801.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Feb 2022 12:23:47 +0900</pubDate>
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<title>第六話　離婚</title>
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<![CDATA[ <p>11月、家庭に戻った時に、義母から、子供は義母が見てるから妻と2人で出かけてみたらという提案を受けました。</p><p>妻と話をする良い機会だと思い、ショッピングモールへ行くことにしました。</p><p>結果としては、ツラくなっただけでした。</p><p>会話が続かず、笑いもなく、とうとう修復できないところまで関係が崩壊しているんだなと感じ、自分の心の中で自然と「離婚しよう」という決意が固まりました。</p><p>子供のことだけが、最後まで気になっていました。</p><p>しかし、この人と生活しているとまたいつか必ず鬱状態になるし、下手したらまた死にたくなるかもしれないと思うと到底元の生活に戻ることは考えられませんでした。</p><p>憂鬱で仕事に行っていない父が、仲の悪い妻と家にいるより、離れていても元気で生きていた方が良いという結論に至りました。</p><p>子供達には養育費という形で償いをしていくしかないと思いました。</p><p>その日の夜、2人で話し合い、離婚が成立しました。</p><p>&nbsp;</p><p>離婚の話し合いはスムーズに進み、特に揉めることもなく終わりました。</p><p>元妻としては、自分のせいで自殺未遂までしている以上、離婚にたいしノーとは言えないということで、離婚に関しては反対しないということでした。</p><p>親権は元妻が持ち、私は養育費を毎月支払う。</p><p>大きな取り決めはそういったところです。</p><p>&nbsp;</p><p>離婚が決まってからの回復は目覚ましく、気分が沈むこともなく復職に向けて職場ともやり取りできるようになりました。</p><p>離婚して数日は、起きてから「本当に離婚したんだよな？」と確認して嬉しさを噛み締めていました。</p><p>&nbsp;</p><p>12月からは、職場近くに新しく家を借り、気持ちも新たに新生活が始まりました。</p><p>12月半ばからは徐々に復職していく予定になっています。</p><p>そして復職の日がやってきました。休職してから、実に1年3ヶ月ぶりの出社です。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12727480329.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Feb 2022 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>第五話　別居</title>
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<![CDATA[ <p>再び元の生活に戻った事で、私の母がヘルプに来ました。</p><p>解決の糸口が見えないまま、ただただ日々が過ぎていきました。</p><p>私の母も温厚な性格で、妻との生活は苦痛だったとのちに聞きました。</p><p>目に見えない圧から、食事が喉を通らず、2週間で6kg痩せて、帰りのバスでは泣いて帰ったそうです。</p><p>そして、母が仕事に戻るため、再び義母が交代でヘルプに来ました。</p><p>一向に回復する気配がないため、ある日、義母からしばらく隣県にある実家に帰ってみたらどうかという提案を受けました。実家は両親の二人暮らしです。</p><p>それまで、子育てがあるから、そんな発想もなかったのですが一回帰ってみるかという気持ちになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、実家に帰るのも気が引けました。</p><p>というのも、父は人の話を聞かない性格で、苦手だなと感じることが多く、同じ家で生活できるのか、その点が心配でした。</p><p>また、病気で仕事を休むと連絡をした時には、「今度職場に戻ったら、同期よりも出世が遅くなることは覚悟しないといけない」、「あの人はメンタルが弱いと言われる」など、うつ状態の自分にとってはとてもツラい言葉を投げつけられたことがありました。</p><p>しかし、家庭にいるよりもマシだと考え、帰ることにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>事実上別居生活が始まったのです。</p><p>季節は夏、7月になっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>実家ではまず、運動をして、昼間に生活をするという基本的なことに取り組み始めました。</p><p>予定通りに進み、贅肉は順調に落ちていき、運動によってホルモンが分泌され、気力が満ちてきました。</p><p>また、地元の友人達も心配し、たびたび食事に誘ってくれ、話を聞いてくれました。</p><p>その間も、以前の職場の同僚等からも連絡があり、色んな人から気にかけてもらっているなと感じると、「生きていていいんだ」という感情が湧いてきました。</p><p>また、父から誘われ釣りにも行きました。</p><p>父とは幼い頃から釣りによく行っており、小さい頃の良い思い出です。</p><p>行き帰りの車内や、釣り場で父と話をしました。</p><p>父とこれ程しっかりと話すのは、人生でも初めてでした。</p><p>優しかった。</p><p>自分の中で、おそらく父の中でも昔からのわだかまりが溶けていくのを感じました。</p><p>帰省当初抱いていた感情はなくなり、これを機にすっかり仲良くなりました。</p><p>父との和解は、人生の中でも大きな分岐点だったと思います。</p><p>心に根ざした大きなネガティブな感情が一つなくなったことで、また大きく回復しました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな平和な日々を過ごし、みるみる回復していくのを実感できるようになるにつれて、ひょっとして妻との生活がうつ病の原因なのではないかと疑いだしたのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12726654062.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Feb 2022 15:16:23 +0900</pubDate>
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<title>第四話　気付き</title>
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<![CDATA[ <p>自分がどういう人間か。</p><p>分かっているようで分かっていないものだと思いました。</p><p>前回の記事のような日々が続いていた、2月のことです。</p><p>いつものように夜中オンラインゲームをしていると、妙に気持ちがスッキリしていることに気がつきました。</p><p>何でだろうと考えていると、最近よく子供を叱るし、妻の指摘にも言い返しているな、ひょっとしたらこれではないかと感じました。</p><p>どういうことかというと、「怒り」を発散していたのです。</p><p>私は幼い頃から争い事が嫌いで、人と口論したりする事を避けてきました。</p><p>反抗期もなく、人と喧嘩したこともほとんどありません。</p><p>そういう性分から、言いたいことも言わずに飲み込んで生活してきたため、怒りを発散することを知らなかったのです。極度のストレスで怒りを発散せずにはいれなくなったのだと思います。</p><p>それに加えて、父が厳しく、いい子でいなくてはいけないという固定概念に囚われていました。その結果、大人になってもいい社会人、いい夫、いい父親でいなくては、と無意識に自分を抑え込んでいたのだと気がつきました。</p><p>幼少期からずっとその感覚で生きているため、気付こうにも気づけない自分の一面でした。</p><p>30歳を過ぎて、自分のあらたな一面を知ったことは嬉しくもありました。</p><p>怒りのコントロールについては、アンガーマネージメントというそうで、大人や発達障害の子供達でもつまづくことが多いポイントだそうです。自分の怒りを自覚してコントロールする、大きな学びでした。現在も意識するようにしています。</p><p>&nbsp;</p><p>これに気づいてから、それまでの鬱屈な生活がとてもキツかったこともあり、躁状態となりました。</p><p>今考えれば躁状態だと客観視できますが、当時はうつ病が治った！という喜びでただハイなだけだと思っていました。</p><p>この躁状態はすさまじく、1日の睡眠が3時間という日が4日程続いたと思います。</p><p>睡眠時間が短いため、4日程なのに2週間くらいの時の流れに感じました。</p><p>医師に聞いてみようと思い、診断を受けました。</p><p>医師に、「こんなにいきなりバチッと治ることがあるんでしょうか」と訊ねました。</p><p>医師からは「人それぞれだが、普通は段々と治っていく方が経験上は多いと思います。まずはしばらく様子をみましょう」と言われました。</p><p>それからはしばらく、怒りの発散を意識したため2～5月くらいまで順調に回復しているように感じていました。</p><p>子供の送迎や、家事、規則正しい生活を実践し、仕事にも行けるのでは？というほどの回復ぶりでした。</p><p>そんな調子でしたので、義母は3月くらいに戻って行きました。</p><p>義母がいなくなり、平穏と言える日々が続いていましたが、ある日、事件が起きました。</p><p>&nbsp;</p><p>いつものように子供をお風呂に入れ、妻がお風呂に入ろうとするところ、温かいお風呂に入って欲しいと思い親切心からお風呂を追い焚きしました。</p><p>すると妻が「急かしてる？」と言いました。</p><p>自分はこの親切心を悪意と捉える妻の特性が本当に苦手で、おぞましい何かを見た時のような吐き気を感じます。</p><p>この一言で、2月から少しでも家庭が回り、自分が社会に戻れるようにという気持ちで頑張っていたことが全て振り出しに戻ったと感じ、とてつもない無力感に襲われました。</p><p>それからまた、元の生活に逆戻りしてしまいました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12726453780.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Feb 2022 13:19:35 +0900</pubDate>
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<title>第三話　家庭　自殺未遂まで</title>
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<![CDATA[ <p>私は、現在34才。</p><p>28才の時に2才年下の元妻と結婚し、2人の子供を授かりました。</p><p>31才の時には新築のマンションも購入し順風満帆といった調子でした。</p><p>&nbsp;</p><p>前回の記事で家庭が原因だったと書きましたが、</p><p>家庭が原因だと判明したのは、自殺未遂をした11月から約8ヵ月後の翌年7月。</p><p>今考えれば、家庭が原因なのは明白ですが、それまで、家庭が原因だとは疑いもしませんでした。仕事の比重が圧倒的に高いと考えていました。</p><p>仕事から解放されたのに、何でこの鬱屈とした気分がなくならないんだろう、いったいどうすれば良くなるんだろうということをひたすら考え、悩む日々が始まりました。</p><p>&nbsp;</p><p>私は病気で療養中という身でしたが、子供が3才、1才とまだ小さかったので妻が少しでも楽になるようにと家事や子供の送迎を行っていました。</p><p>しかし、風呂掃除の仕方、料理の作り方、その他挙げるとキリがないほどの細かな指摘を受けることで自分がイライラしてしまい、ケンカになっていました。</p><p>私は以前仕事でハウスキープやレストランのキッチンも経験していたので、妻の求めるレベルが過剰だと感じ、そこにイライラしていました。</p><p>また、家にいるから家事をするのは当たり前、といった態度や、リビングでうたた寝していると大きな物音で起こされ、また、「うつ病だということを忘れる」などの発言もあり、かなり疲れていました。しかしまだこの時は妻が原因とは思っていませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな生活の中、11月のある日、私が親切心から行ったことに対して、また妻から指摘が入りました。善意を悪意と捉えるタイプなのです。</p><p>そこでついに心が折れ、自殺しようと決意しました。</p><p>自殺しようとした時の心情は結構はっきりと憶えています。</p><p>「俺は何をやってもダメだったな。仕事も家庭もうまくいかなかった。子供達ともっと遊びたかったな、伝えたいことがたくさんあったのに、近くにいてあげれなくてごめんな。両親、友達とか自分のことを心配してくれる人は悲しむだろうけど、もうそのことを考えることにも疲れてしまった。けど、趣味の釣りとか、やりたかったことはやり切れた。人生に悔いなし。あ、けどハンターハンターは最後まで読みたかったな」</p><p>でした。</p><p>&nbsp;</p><p>そういったことを近くのコンビニでタバコを吸いながら考え、家に帰り、子供達にスリスリして別れを告げ、自室で首吊り自殺を図りました。</p><p>しかし、子供にスリスリしているのを不審に感じ、妻が部屋へやってきたので未遂に終わりました。</p><p>この時は妻も死んだら嫌だと号泣していました。</p><p>そして、翌日病院へ行き、そういったことがあったと伝えると、先生はこう言いました。</p><p>「その時部屋に奥さんが来てくれてよかったですか？」</p><p>私はこの質問に「正直分かりません。ただ、この先3、4、50年生きていくなんてとても考えられません」と答えたのを憶えています。</p><p>自殺未遂から翌年7月までは、生きていたいと思うことはなく、ただ生きているという状態でした。</p><p>&nbsp;</p><p>私の自殺未遂の報を受け、妻の実家から義母がヘルプにやってきました。</p><p>義母も含めた共同生活が始まったのです。</p><p>大体の人は、「そんなことしたら余計キツくなるに決まってるじゃん」と思うでしょう。</p><p>しかし、義母は中立的で、家事の要領も良く非常に手厚くサポートしてくれました。</p><p>いまでも義母には感謝の気持ちでいっぱいです。</p><p>&nbsp;</p><p>自殺未遂後の私はというと、完全に昼夜逆転の生活となっていました。</p><p>これも、無意識に妻と生活時間をずらすためにそうなっていると、しばらくして医師から伝えられました。</p><p>この期間は記憶がほとんどありません。</p><p>何も考えたくなくて、昼夜逆転でオンラインゲームを夜通し朝までやっていたのを憶えています。</p><p>体重は7kg増え、髪はボサボサで、外出時の服装にも無頓着。</p><p>ただただ、生きているのがツラい状態で、仕事に戻るなど、到底考えられませんでした。</p><p>人と会うのもストレスで、本当に必要な外出以外しないようになっていきました。</p>
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<pubDate>Fri, 11 Feb 2022 17:03:06 +0900</pubDate>
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<title>第二話　休暇中の生活</title>
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<![CDATA[ <p>前回、休職してからというもの、どのような日々を過ごしていたかというと、初めの1週間は休みだという嬉しい気持ちでいっぱいです。コストコに行ったり、普段行けなかった平日のショッピングモールへ行ったりと、できなかったことをして余暇気分に浸っていました。</p><p>しかし、1週間も経つと次第に仕事のことや、職場でなんと言われているだろうかということが気になりだします。気になるけれども、どうしようもなく、だだ悶々としているしかありません。とにかく、気になるけれどもせっかく休みを取れたんだし、やれることをやって元気になろうと考えるようにしていました。</p><p>趣味の釣りをしたり、料理を作ったり、子供と遊んだり、家でゆっくりしてして過ごしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>この時の体調としては、吐き気はたまにあるものの、身体的にはとくに不調もなく、動き回れるような状態だったのは覚えています。</p><p>服薬は、医師にすすめられるまま、時間通りに服薬していました。</p><p>ただ、服薬に関しては効果が実感できず、3ヵ月目からはほとんど飲まなくなり、次第に全く飲まなくなりました。薬に関しては、別の記事で書こうと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、そんな生活をして、1ヵ月が経ち、仕事のストレスは全くなくなりました。</p><p>その結果私はどうなったと思いますか？</p><p>結果は、全く動く気力がなくなり、休職して2ヵ月経った11月には自殺未遂をしたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その原因は、家庭にありました。</p>
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<pubDate>Thu, 10 Feb 2022 20:02:07 +0900</pubDate>
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<title>第一話　病気休暇</title>
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<![CDATA[ <p>2020年9月、仕事の忙しさはピークを迎えていました。</p><p>次から次に仕事が舞い込み、仕事は溜まっていく一方です。</p><p>こなそうとしても、溜まっている仕事の内容が頭に入って来ず、頭に入れようとするその作業中にすら次の仕事の電話がかかってきます。</p><p>我々公務員は、一般的には17:15分が定時の仕事ですが、私の仕事に関しては定時からようやく自分の仕事が出来るといった超多忙な部署でした。</p><p>この頃、仕事いくと吐き気がしていたのを覚えています。</p><p>そんなある日、いつものように残業していて、溜まった仕事の中でも最も軽いものの決裁を受けようと上司に説明をした時でした。</p><p>「前に伝えた修正指示と違う。（略）仕事を舐めないほうがいいよ」</p><p>と言われた時に、気持ちがプチンと切れてしまいました。</p><p>その後は、泣きながら電車に乗り、家に帰っても号泣していたのは覚えていますが、あまり記憶が定かではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>その上司と仕事をするのは2年目で、厳しいですが人柄も良く普段は良好な関係でした。</p><p>しかし、いっぱいいっぱいだったのと、これだけ頑張っていて仕事のことなど舐めているという気持ちなどないし、何より1年間近くで自分が仕事しているのを見ているはずの上司に言われたことがとにかくショックでした。周囲の大勢の同僚にその様子を見られていたことも一因だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>その1件が、心療内科を受診するきっかけとなりました。</p><p>その日は金曜日で、翌日は土曜の休日だったので、さらに上の上司に連絡を取り月曜日からしばらく仕事を休みたいと伝えました。</p><p>まずは、心療内科を受診して診断書をもらいなさいとのこと。</p><p>&nbsp;</p><p>すぐに近くの心療内科に電話をかけましたが、どこも予約で1ヵ月待ちなどの状態で受診すらできない状況です。</p><p>15件くらいかけたところでようやく当日受診できる医院が見つかりました。</p><p>&nbsp;</p><p>診察では、とにかく仕事に行きたくない、死にたいと思う、この先生きていける気がしないということを伝えてたことを覚えています。</p><p>診断書を受け取り、上司に連絡して、月曜日の早朝に引き継ぎだけはしてほしいと言われました。</p><p>月曜日の5:00くらいに、職場に行き引継ぎ資料を作成して、上司に引継ぎをし、診断書を渡して休職する運びとなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>この日は、仕事から解放された喜びで羽根の生えたような清々しい気分だったのを覚えています。</p><p>しかし、本当の地獄はこれからでした。</p><p>&nbsp;</p><p>つづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12725767945.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Feb 2022 17:04:43 +0900</pubDate>
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<title>まさか自分がうつ病になるとは</title>
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<![CDATA[ うつ病<br><br>それは他人事だと思っていました。<br>職場でも病気になってお休みする方はいましたが、<br>まさか自分がなるとは、、、。<br>そして、休むことを決意することになった当日ですら、そんなこと思ってもいませんでした。<br><br>現在、うつ病（適応障害、抑うつ障害等を総称して表記させていただきます）により、ご自身やご家族がお悩みになっておられる方が、世の中にはたくさんおられると思います。<br><br>うつ状態の時は、先の見えない不安で押し潰されそうでした。この状態は良くなるのだろうか、職場には戻れるのだろうか、一生このままなんじゃ無いだろうか。いっそのこと死んでしまった方が楽だ。そう思っていました。<br><br>私は公務員をしており、うつ病になり、自殺未遂を経験し、2人の子供もおりましたが離婚しました。<br>しかし、現在では復職も果たし、元気に、ハッピーに暮らしています。<br><br>このブログでは、自分がハッピーになるまでの経過を書いていこうと思っております。<br><br>うつ病のツラさが誰より分かるから、今、辛い思いをしている人の力になれたらと思います。
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<link>https://ameblo.jp/tatumi1213/entry-12725671399.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Feb 2022 08:00:00 +0900</pubDate>
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