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<title>娘に送る101の手紙</title>
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<description>仕事や旅や人生のこと</description>
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<title>旅の続き</title>
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<![CDATA[ <p>ブレシアでのワークキャンプを終えた後も、私は一人で旅を続けた。</p><p>学生用の安い鉄道周遊パスを片手に、バックパックを背負って、各地のユースホステルを泊まり歩いた。日本への帰国便はとりあえず３週間後のロンドン発を予約していたが、親のマイレージ特典航空券なのでいつでも変更だ。</p><p>&nbsp;</p><p>まずはイタリア国内を南下し、ローマを経て、ナポリへ。</p><p>ナポリを見ずに死ねないから…ではなく、同じくバックパッカーとして東南アジア、中央アジアを経てやってくる予定の男友達と、ギリシャで落ち合うことを目指していたからだ。ナポリから更に南、長靴の形をしているイタリアのちょうど踵の辺りに位置する場所にバーリという街があり、そこからギリシャ行きのフェリーが出ているのである。そう、私達は当時、沢木耕太郎の『深夜特急』の世界に完全にハマっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>ナポリという街自体はあまり印象に残っていないが、カプリ島に渡ってお約束の青の洞窟に入ったり、ポンペイ遺跡に足を伸ばしたりしながら、界隈で数日過ごした。そうこうしているうちに、友人がチベットのポタラ宮で体調崩して点滴沙汰になり、ギリシャまではとても無理という連絡が入った。ちなみに、ネットやケータイが普及していた時代ではないので、数日おきに生存確認の連絡を入れていた私の実家経由の情報である。さらに言うと、統一通貨ユーロの導入前で、国を超えるごとにいちいち両替をしないとならない（そして両替の度に手数料で数％目減りしていく）時代でもあった。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、そうなるとこれ以上南下する必要がなくなったので、私はとりあえずローマのテルミナ駅に戻った。</p><p>&nbsp;</p><p>テルミナ駅はローマの中央駅で、国内外の各都市へ鉄道路線が伸びているのだが、この駅で、列車の当発着を示す大きな電光掲示板の前に立ったときの感慨深さを私は今でも忘れない。</p><p>&nbsp;</p><p>数分置きに、パリ行きやジュネーブ行き、ミュンヘン行きの列車がターミナルに入ってくる。</p><p><br></p><p>今の私に必要なものはすべてバックパックに入っており、今は大学の、というより人生の夏休みで、どの列車を選ぶかは私の気分次第。ド・レ・二・シ・ヨ・ウ・カ・ナで決めたって良し。完全に私の自由なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>結局私は選んだのはジュネーブ行きの列車だったが、長くなったので、この旅の続きはまた改めて。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 25 Feb 2018 12:23:30 +0900</pubDate>
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<title>ブレシアの思い出</title>
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<![CDATA[ <p>北イタリアにブレシアという街がある。大雑把にいえば、ミラノとベネチアを横に一直線で結んだときの、真ん中よりミラノ寄りに位置する（ちなみに同じ線の真ん中よりベネチア寄りに位置するのが、ロミオとジュリエットの舞台として知られるヴェローナ）。かつてバイオリンの製造地として名を馳せた街でもある。</p><p>&nbsp;</p><p>大学生の頃、この街に２週間ほど滞在したことがある。ヨーロッパでは、夏休みなどの長期休暇に、学生が労働力を提供する代わりに食住を用意してくれるワークキャンプという仕組みが充実しており、そこに日本から参加したのだ。私が元々申し込んでいたプログラムは、マケドニアという旧ユーゴの国で修道院の補修に携わるという浪漫溢れるものだったのだが、参加直前になって政情不安から開催が取り止めになってしまった。その代わりとして、ブレシアで開催される祭を手伝うというプログラムが回ってきたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>参加者はスペイン、ドイツ、ポーランド、オランダ、スロバキアなどヨーロッパを中心とする10か国程度から計20人程の大学生。祭は夜を通して開催されるため、夜な夜な出店の皿洗いなどをしながら祭を手伝い、明け方から昼過ぎまで近くの学校の体育館で各自持参した寝袋でゴロ寝をするという昼夜逆転した生活だった。</p><p>&nbsp;</p><p>シャワーはなく、簡易トイレの上にホースが掛かっていたので、それで水を浴びて汗を流す。出国前に髪をショートにしたのは正解だったようだ。食事は食材だけ与えられるので、２人組を作っての当番制で炊事をする。そしてまた夜が近づくと、まるで中世の葡萄酒作りの際に少女たちが中に入って裸足で葡萄酒を踏むのに用いていたような大きな桶を皆で囲み、ナイフでざくざく切った果物を投げ入れながら桶に赤ワインやウォッカを注ぎ込み、膨大な量のサングリアを作った。</p><p>&nbsp;</p><p>３、４日に一度は休日も与えられ、ベネチアや近くのガルダ湖に行った。皆荷物を最小限に抑えてバックパックだけ背負って自国から集まってきている人達なので、水着など持っておらず、ガルダ湖では女子達も下着で泳いだ。濃い色の下着は水着代わりにならなくもないとその時学んだ。特に気が合ったスロバキアの女の子とは、帰国後も文通（！）を続け、翌年はスロバキアの彼女の家を訪ねて泊めてもらったりもした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今はもう誰とも連絡はとっていないどころか、名前も憶えていない。勿体ないような気もするが、この思い出の儚さはSNS前史ならではかもしれないと、マドレーヌを紅茶に浸して味わいながら私は思う。</p>
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<pubDate>Sat, 24 Feb 2018 20:57:35 +0900</pubDate>
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<title>働く母親</title>
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<![CDATA[ <p>働きながら子供を育てることは、メリット・デメリット両方あるけれど、メリットの一つは、誤解を恐れずに言えば、人生を模索している現役感を子供と共有できることだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>朝子供を送り出した後、マンションのエントランスで20分も30分も立ち話をしながら「うちの子ダラダラしてばかりで、勉強しなくてー」と言い合うような親に私はなりたくなかった。</p><p>冬の日に「寒い、学校行きたくない」と言う子供に、自分は終日家に居るのに「馬鹿なこと言ってながいでさっさと行きなさい」と言う資格があるか悩むよりも、「お母さんも会社行きたくない」と一緒にブツブツ言いながら家を出る親でありたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そして何より、子供が休日に自宅で勉強しているとき、隣で仕事に頭を悩ませている存在でありたかったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>このいいところは、女親が陥りがちな、子供の人生を自分の人生に重ねたり、子供の成果を自分の評価とみなしたりすることに無縁でいられることだろう。自分は仕事と育児の両立、あるいは仕事での自分のパフォーマンスを上げることに忙しいので、子供の成績などに一喜一憂することもなくなり、大きな怪我なく子供が育っていればそれで万々歳という境地に至る。</p><p>（但し、もしかしたら一般的にはこれは母親が仕事をすることのデメリットであるとみなされるのもしれないけれども）</p>
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<pubDate>Sun, 18 Feb 2018 17:00:10 +0900</pubDate>
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<title>女子と出世</title>
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<![CDATA[ <p>女子学生が女性社会人となったときにまず心すべきことは、「言われた通りのことをやって良い評価を目指す」というマインドセットからの脱却だと思う。これは特に優等生だった女性ほど意外と難しかったりする。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ新卒で最初の数年は、上司の指示への完全服従や与えられた仕事の完遂を目指すのも悪くない。それだってそれなりに難しいことだし、悪い評価は受けないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、数年経ったら自分の立ち位置を客観的に見る必要が出てくる。自分の上司に当たる人間は社内でどういう評価を得ている人間なのか。与えられたこの仕事はどれくらいの重要性があるのか。そうやって発注者や内容をみながら、自分のリソースをどれだけその仕事に割くべきかを自分で判断し、誰がやっても結果が同じと思われるような形式的な業務はできる限り断るのも大事なのだけれど、この発想が、男性に比べ女性には欠けているように思う。真面目な女性ほど、悪法もまた法なりとばかりに、どんな仕事も言われた通りやろうとするのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>勿論これもやりすぎると、アイツは目立つ仕事ばかりやろうとする、という評価につながるリスクもあるのでバランスが必要だが、やはり若い女性には口を酸っぱくして言いたい。</p><p><br></p><p>宿題が所与のものであった学校と社会は違う、どの課題にやる価値があるかは自分で選ばなければならないのだと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 17 Feb 2018 23:04:37 +0900</pubDate>
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<title>me too (2)</title>
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<![CDATA[ <p>セクハラで思い出す２つ目の話。</p><p>&nbsp;</p><p>数年前、彼女からセクハラの相談を受けたのだけどどう返すのがよいだろうか、という相談を年下の男性から受けた。男性もその彼女も、私とは会社も業界も違うので、具体的な助言というより一般的な考えを聞きたかったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>内容は、もうあまり明確には覚えていないけれど、仕事の延長で飲んだ帰りに男性上司からホテルに誘われた、その場は乗り切って、翌日以降はなかったことになっているけど、今後どうしたらいいのか、というような話だったように思う。私は少し迷った後、</p><p>&nbsp;</p><p>セクハラで騒ぎを起こすと、あの親父アホやなと周囲から思われるけれど、管理職や人事を巻き込んで大騒ぎされると、女性側ももうちょっと上手いことハンドリングできなかったのかという目で見られる。総合職だと特にそう。だからこのまま沈静化するなら、無かったことにするほうが賢いかも。</p><p>&nbsp;</p><p>と話した。</p><p>&nbsp;</p><p>当時はそれが正しいと思っていた。今のme tooのような世間の追い風があったわけではないし、そもそもme tooだって、ここまで売れてようやくグウィネスパルトロウやユマ・サーマンも公に発言するようになったのだ。十把一絡げの力のない新人女優時代に騒いでいたら、今の彼女らはないだろう。若い女性が権力や大企業と闘ったところで勝ち目は無いのだ。騒いで会社を辞めてしまっては、その会社は変わらない。歯を食いしばってその会社に残り、女性が管理職になってやっと変えられるかもしれないという土台に立てる程度だ。</p><p>&nbsp;</p><p>その考えには今でも一理あると思っている。でも、me tooのブームで色々な人が意見を出すようになり、その何人かが指摘している。こうやってセクハラに明白にNOを示さなかった私たちの世代が、次の世代にセクハラを残してしまったのではないか。少なくとも責任の一端があるのではないか、と。これは重い問いかけで、私もすぐに答えは出ない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 04 Feb 2018 11:14:31 +0900</pubDate>
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<title>me too</title>
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<![CDATA[ <p>やや時機を逸しているけれど、me tooの動きには私も思うものが色々ある。さすがに40代管理職の自分が被害者としてセクハラに悩むことはなく、むしろ若い男の子をついからかいそうになるのに自省が必要なくらいであるが、若い頃には何度かうんざりするような経験はしている。</p><p>&nbsp;</p><p>また、今も女性から相談を受けることはままある。男性管理職に相談するよりは相談しやすいのだろう。多いのはやはり派遣さんやバイトさんといった立場の弱い女性だという事実には反吐が出そうになる。ちなみに、前述の通り、総合職である私は30過ぎれば自分事としてのセクハラとは無縁になったが（経営幹部と日常的にコミュニケーションをとる立場にある女性にセクハラをするほど加害者も阿呆ではないのだ）、弱い立場の女性達は年齢を重ねてもまだセクハラの被害に遭うということを、男女問わず管理職の立場にある方は是非心に止めておいて欲しい。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、セクハラというと思い出すことが２つある。</p><p>&nbsp;</p><p>一つは、友人の話。彼女は某上場企業で一般職をしていた。そしてセクハラ被害に遭った。職場の飲み会で同僚男性からキスされたそうで、久しぶりに顔を合わせた友人は、怒りながら顛末を説明し、</p><p>「その後、人事部も事態を重く見てくれて、うちの両親に謝罪に来たからまあそれで幕引きにしたけど」</p><p>と続けた。</p><p>&nbsp;</p><p>私の箸を持つ手が止まる。</p><p>&nbsp;</p><p>親に謝罪に来る？キスは確かにセクハラというには重い事案だろう。だが、だからといって、それが社会人に対する企業の態度だろうか。自分に置き換えて想像してみるが、この展開で親が登場するというのは無い気がする。これはもしかして、この企業が「嫁入り前のお嬢さんをお預かりしているのに」という、恐ろしく昭和な考えに基づいて自社の一般職女性を扱っていることの現れなのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ねえ、今日聞いた話の中で一番驚き、また女性蔑視の現れだと感じたのは、企業としての対応のところだけど、と私は思ったが、友人には言えなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>二つ目はまた追って。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tec-mac-maya-con/entry-12348130391.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Jan 2018 15:17:26 +0900</pubDate>
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<title>女同士</title>
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<![CDATA[ <p>私はいわゆる総合職第一世代ではないが、まだまだ総合職同期の中で女性は自分だけという世代だ。</p><p>&nbsp;</p><p>といっても、そのこと自体に不満はさほどなかった。就職において「女性が少数派」な職業を選ぶ人間は、学生時代の進路選択の過程で、すでに女性がマイノリティとなる状態に慣れているものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてむしろ、どちらかといえば女子の集団の中に居ることの方が苦痛だったりする。仕事の後、居酒屋に流れて同僚らと仕事の話の続きをする際には盛り上がっても、学生時代の女友達だけで開催される週末の銀座のオシャレなレストランでのランチ会では借りてきた猫になったりするのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ということで、長らく女子会的なものからは遠ざかっていた私だが、唯一の例外が職場のママ会だ。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちは世間標準からはかなりダメな母親である。</p><p>&nbsp;</p><p>妊娠中もよく終電まで働いたので、「妊娠中の母親学級で、その日の朝食を発表させられたんだけど」と誰かが言えば、「朝食なんて食べてないし」「私はデスクでヨーグルト飲んだ」かと返ってくる。いつもお迎えがギリギリで保育士から怒られ、学童の手配に四苦八苦し、塾弁の代わりにコンビニのパンを持たせてやり過ごす。そんな自虐ネタを言い合って笑い、便利な家電やサービスの情報を教え合う。</p><p>&nbsp;</p><p>勿論、同じ「子持ち総合職女性」といっても、仕事と家庭のバランスの取り方は人によって異なる。夫・実家・シッターさんを最大活用して産前と変わらず海外出張をこなす人もいれば、他人（シッターさん）を家に入れるのには抵抗があるという人もいる。フローレンス（病児保育を提供するNPO法人)との契約が欠かせないのは共通しているが、発熱のせめて初日は子供に付いていてあげたいとする人も少なくない。だから重要なことは、各人が皆自分の信じる（あるいはアベイラブルな）やり方で仕事と家庭のギリギリのバランスを保とうとしていることに敬意を払い、それは決して他人が外から評価すべきことではないという共通理解を持っていることだ。</p><p>&nbsp;</p><p>この「女子会」が、特に子供が小さかった頃には不可欠なほどに貴重な息抜きの場であり、「あぁ、女同士っていいものだな」と私が心底思う集まりだった。</p><p>&nbsp;</p><p>ダイバシティの重要性が叫ばれるようになり久しく、それは日本社会では女性の参画を増やすこととかなり同義であるので私も賛成するものだけれど、同じ立場の仲間ばかりだった状態はさぞ気楽だったのだろうなと、昔ながらのニッポンのオジサンがダイバシティにそことなく反発を感じる気持ちも実は分からなくはない。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちのママ会だって「そんなんじゃ子供が可哀想、仕事辞めたら？」と言う人が居ないから快適なのだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 27 Jan 2018 22:08:44 +0900</pubDate>
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<title>将来を見据えることと見据えすぎないこと</title>
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<![CDATA[ <p>ある日娘が私に言った。</p><p>「お母さんはラッキーだよね、私みたいに賢くて可愛いらしい娘が子供でさ。あーあ、私の子供がのび太みたいな男子だったらどうしよう…」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>恐ろしいまでの自己評価の高さは私のとにかく何でもヨイショ育児の賜物なのでさておくとして、当時10歳そこそこですでにもう自分が親になったときのことを考えているということに、私は女の業を見た気がした。10歳や15歳で、自分が父親になったときのことを考える男子はまずいないのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに妊娠出産は女の人生を大きく変えるので、早めの備えは重要だ。また、子供に恵まれなかったり、高齢出産を経験した有名人が「卵子も老化するなんて学校で教えてくれなかった」と警鐘を鳴らすのをこの数年何度も聞いた。特に、妊娠前は、35歳とか40歳までに産めれば、とだけ考えがちだが、一人産むと赤子の可愛さに目覚めて複数欲しくなるもの。よって、産み始める年齢だけでなく、産み終える年齢まで思いを馳せる必要があることを覚えておくべきだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>だけど一方で、サンドバーグもリーン・インで述べているように、まだ結婚を考える相手も居ないうちから仕事や人生をセーブし始めてしまうことはとても勿体ない。その先に結婚・妊娠・出産が待っている保証はなく、実のところ、仕事や人生をセーブすることとそういった事柄の間に大した相関がないと思われるからだ。縁遠くなりそうだからと断った海外転勤で、もしかしたら現地に新しい出会いが待っていたかもしれないし、残業の少ないポストに移ったからといって妊娠できるわけではないかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>結局のところはバランスということに落ち着くのだろうけど、産む性である女性はついプライベートを軸に人生計画を立てがちになってしまうことを自覚しておくことが大事。</p>
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<pubDate>Sun, 21 Jan 2018 10:34:43 +0900</pubDate>
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<title>ハンドルを握れ</title>
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<![CDATA[ <p>ティーンエイジャー真っ盛りだった頃、私は森瑤子が描く大人の女性の世界に憧れていた。<br><br>その価値観の帰結の一つが、女は助手席に座るもの、という刷り込みだった。実際、ボーイフレンド達に車で海に連れていってもらったり、その帰りにサプライズでトランクから花束取り出されたり、終電逃した後に自宅まで送ってもらったりと、助手席でいい女ぶりながら青春を満喫していた。<br><br>そんな私が運転免許を取ることになったのは二十歳の時だ。アメリカのコミュニティカレッジに通うため、通学に車が必須となったからだ。<br><br>よく知られている通り、アメリカでの運転免許取得は簡単だ。教習所というものはなく（もしかしたらあるのかもしれないが少なくとも一般的ではない）、筆記試験に通れば仮免許が交付され、助手席に免許保有者を乗せればもう路上で運転が可能となる。そしてアメリカ人であれば親の車と協力を得て、我々のような外国人留学生であれば、指導教官が車で自宅まで迎えに来てくれるサービスを利用して、路上運転を数回経たのち、実技試験を受ける。実技試験も難しいものではなく、たとえ初回は落ちたとしても、２、３回挑戦すれば大体の人は合格するだろう。<br><br>そうして私も免許を取得し、運転は通学のための毎日のルーティン業務となっていた。<br><br>そんなある日、カレッジで所属していたサークルのコーチと揉めるという出来事があった。理由はもう覚えていないくらい些細な事だったのだと思う。もしかしたら理由なんてなくて、ホームシックからくる感情がサークルの場で爆発しただけかもしれない。いずれにしても、とにかく私は何もかも嫌になった。<br><br>ホームステイ宅に帰宅後も悶々とした。このまま寝て、朝を迎えたら、サークルに行くべきか行かざるべきかで憂鬱になること間違いない。<br><br>だから私は逃げ出すことにした。<br><br>仮眠をとってから夜明けを待ち、愛車に数日分の着替えとパスポート、それからラジカセを詰め込んだ（中古車にカーラジオが付いていないことは珍しいことではなかった）。ホストマザーに「数日旅に出ます。心配しないで」と書き置きを残して。<br><br>朝焼けのガソリンスタンドでコーヒーを飲んだときの吐く息の白さを覚えているから、あれはきっと冬休みだったのだろう。住んでいた街からは数時間も北上すれば、カナダ国境に着く。YWCAに飛び込みで部屋を見つけ、20歳でも飲酒可能なカナダで久しぶりにお酒を啜り、そして3泊ほどして「さぁ帰るか」と家に戻った。<br><br>つまり、たった3泊4日の逃避行だったわけだが、「行こうと思えばどこへでも行ける」と実感できたことは、私の心をひどく楽にした。このときから、私の中では、自動車を運転することとはすなわち行き先を自分で決められるということであり、自由の象徴となった。助手席に座るということは、楽であるけれど、他人に自分の行き先を委ねることと同義で、まったくなにも格好良いものではなかったのだ。<br><br>勿論、運転手と地図を読む人という適切な役割分担の下、運転を二人の共同作業と位置付けられる人も多いだろうが、残念ながら私はそうではなかった。私は自分で地図を読み、行き先を決め、かつハンドルも握りたいという我儘な人間なのだ。<br><br><br>このブログは、そんな逃避行から四半世紀近く経ち、中年になった私が、ティーンエージャーに差し掛かりつつある娘やその世代に伝えるメッセージです。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tec-mac-maya-con/entry-12346088072.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jan 2018 21:50:11 +0900</pubDate>
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